3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名あ行

『オン・ザ・ロック』

 作家のローラ(ラシダ・ジョーンズ)は夫ディーン(マーロン・ウェイアンズ)と2人の子供と暮らしている。ディーンは同僚女性との出張や残業が相次いでおり、もしや浮気?と疑い始めたローラは、プレイボーイな父フェリックス(ビル・マーレイ)に相談。フェリックスはこの事態を調査すべきと張り切り、ローラと共に素人探偵を始める。監督・脚本はソフィア・コッポラ。
 夫の浮気疑惑を相談するくらいだからローラは父親ととても仲がいいのかというと、そうでもない。浮気を繰り返してきた父に母もローラも苦しめられてきた。浮気について相談するには実体験豊かというわけだ。とは言え、彼は楽しい人ではある。フェリックスは画商でリッチ、かつ趣味が良くユーモアがある。父、夫としては失格でも遊び相手、祖父としてはかなり良いと言える。だが人生を託す相手、共に歩むパートナーにはなれない、というのがフェリックスの在り方であるように思った終盤、彼の自分本位な考え方が露わになってかなり退くのだが、当人は自分が不誠実だという自覚は全くないだろう。
 ローラは自分では認めていないだろうが、かなりの父親っ子なのだと思う。彼女の価値観はフェリックスとは違うが、趣味の良さや芸術に対する造形の深さは通じるものがある。何より、彼女は自分たちの元を去った父に愛してほしいという渇望を捨てられていないように見えた。そんな彼女が、自分は誰と人生を共に歩むのかを再確認していく。腕時計の使い方が非常にわかりやすく象徴的だった。
 一方、ディーンはフェリックスといまひとつウマが合わないらしいと示唆される。フェリックスがローラを溺愛しているからというのもある(冒頭のモノローグがなかなかの気持ち悪さだ)が、バックグラウンドの違いも大きいだろう。作中ではっきりとは言及されないが、おそらくローラの実家はそこそこ富裕層。フェリックスの身なりも実家のお茶会も、お金、しかも成り上がりではなく生まれた時からお金がある層特有の洗練と趣味の良さがある。ローラ当人はいつもボーダーシャツにジーンズというスタイルだからわかりにくいが、「良いもの」に囲まれた育成環境だったのだろう。その環境で培われたものには、なかなか追いつけない。ディーンはそこそこ稼いではいるみたいだが、やはり彼女の豊かさとは意味合いが異なるのだ。彼が終盤にローラに漏らす言葉は、そんなことを想っていたのか!というものなのだが(少なくともローラにとっては思いもよらないことだろう)、2人の背景の違いが反映されたもののように思った。


ロスト・イン・トランスレーション [DVD]
ジョバンニ・リビシー
東北新社
2004-12-03


『甘いお酒でうがい』

 40代独身の川嶋佳子(松雪泰子)はとある会社で派遣社員として働いている。職場の後輩・若林ちゃん(黒木華)との交流、撤収された自転車との再会、楽しみにしているお酒等、日々は続く。そんなある日、二回り年下の岡本君(清水尋也)と恋に落ちる。監督は大九明子。
 原作がお笑いコンビ「シソンヌ」のコントだそうなのだが、映画も全編コントみたいだった。松雪泰子が演じているし基本笑わせる演出ではない(コメディ部分もあるが)のだが、真面目に見るものなのどうなの?という中途半端さ微妙さを感じた。佳子の言動が、自意識強めのSNSやブログのパロディみたいで、見ているとお尻がむずむずしてくる。松雪の衣装があまり似合っていないので余計にそう思ったのかもしれない。40代女性の生活をかなりカリカチュアしているように見えてしまう。「こういう人いるでしょ」という前提に基づいた「あるある」を並べていく話だけど、その前提自体が実在しないものだという空虚さを感じた。生々しさの演出が生々しさのパロディでしかないというか…。やはりコント原作ゆえの特性だろうか。また、短いエピソードの連続による構成なので、実際の上映時間(107分)よりも大分長く感じられた。体感時間は二時間越え。このネタだったら1時間くらいでよかったんじゃないかな…。
 ただ本作、黒木華がやたらと可愛い。こういう後輩がいたらそりゃー好きになっちゃうし一緒に飲みに行くの楽しいだろうなーという説得力がある。松雪と黒木の掛け合いがかわいすぎて、もはや岡本君いらないじゃないかと思った。

勝手にふるえてろ
片桐はいり
2018-05-06


『浅田家!』

 浅田家の次男・政志(二宮和也)は写真専門学校に進学し、卒業写真の被写体として家族を選ぶ。浅田家の思い出のシーンを再現したその写真は学校長賞を受賞した。卒業後、仕事もせずふらふらしていた政志だが、再び写真に取り組もうと決意。その題材もまた家族だった。様々なシチュエーションに扮した写真は、やがて木村伊兵賞を受賞。プロの写真家として順調に歩みだすが、2011年3月11日、東日本大震災が起こる。監督は中野量太。
 かなりダラーっとした構成に思えた。もうちょっとカットしてもよかったんじゃないかなという気もしたが、構成・編集が下手でダラーっとするというよりも、このシークエンス内の流れをそのまま保存したい、このシーンのこの人の表情の変化を追い続けたいという意図が入りすぎてのことだったように思う。びっくりするくらいひねりがないというか、王道なつくりで、ダサくても直球でやろうとする作品だった。
 中野監督は一貫して家族の話を撮り続けているが、本作はそのものずばり「浅田家」なのでど直球で家族が中心にある。政志の兄(妻夫木聡)のモノローグで始まるので、これは家族から見た政志の話なのかと思って見ていると、最後は政志のモノローグで終わる。彼にとっての「家族」、自分の家族の姿であり様々な家族の姿であったことがわかる。
 政志が家族写真って何だろうと真剣に考え始めるのはおそらく後半だ。写真家として何をするのかという自覚も、後半になってから考え始める。それまではわりとフィーリングでやってきたけど、深く傷ついた人、自分の想像の及ばない人と相対しカメラを向けるのは、フィーリングだけでは無理なのだろう。ポートレートとは何かをやっと考え始めたな!という印象があった。
 家族の話ではあるのだが、政志本人は家族を愛してはいるけど、家族の為には生きられない人なのではないかと思った。思い付きでぱっと動いてしまうように、常に表現衝動の方が上回る。父親や兄のようには家族を想えないという面はあるのでは。それがダメだというのではなく、そういう人、そういう家族だということだが。
 母親役の風吹ジュンがすごくいい感じなのだが、中野監督は母親という存在に対する思い入れ、期待みたいなものが少々重すぎる気がした。また、黒木華演じる政志の幼馴染があまりにザ・幼馴染キャラというテンプレさで、主人公を支える女性キャラとしての役割しかないのにはちょっとがっかりした。

浅田家
浅田政志
赤々舎
2019-02-28


チチを撮りに
滝藤賢一
2016-04-28


『ヴィタリナ』

 出稼ぎに出て数十年たつ夫が死んだという知らせを受け、カーボ・ヴェルデからリスボンにやってきたヴィタリナ(ヴィタリナ・ヴァレラ)。しかし夫は既に埋葬されていた。ヴィタリナは夫が住んでいた部屋に暮らし始める。
 ファーストショットが素晴らしい。暗い路地の奥から何かの気配が近づいてくる、時折白く光るものは杖だとわかってくる、人々が近づいてくるのだとわかってくる、という流れにしびれる。暗い画面の中、杖に反射するわずかな光が強烈なインパクトを残す。ペドロ・コスタ監督作品はどれも陰影のコントラストが劇的だが、本作も同様。夜の暗闇の中、アパートがスポットライトを当てられたように浮かび上がる。ちょっと舞台演劇的な光の使い方だ。実際スポットライト的に照明を当てているのかもしれないが、フレームとライティングがすごくかっこいい。ひとつひとつのショットが絵画のようにインパクトがあり決まっている。ペドロ・コスタの作品の強さはここにあるし、映画はフレーミングと光なんだなと実感する。映像がドラマティックなのだ。
 ヴィタリナの夫は移民としてポルトガルにやってきた。ヴィタリナも夫を追ってまた移民となる。彼女の言葉から、夫はヴィタリナに自身がどのような生活をしているか隠しており、彼女を裏切ったこともあるとわかってくる。夫が残した部屋で生活することは、夫の生活を彼女がなぞり、上書きしていくようでもあった。彼女と夫それぞれの人生は、彼女のモノローグや夫を知る人たち、近所の人たちの言葉の断片から立体的になっていく。ヴィタリナと夫のストーリーは、同時に多くの移民たちのストーリーでもあるのだろう。とは言え、ヴィタリナという個人が中心にあり、彼女固有のものとして一般化しきらない。男は働きに出て女は家を守るという旧来の世界に生きているが、それに納得しているわけではないし夫への文句もある。夫を亡くし異郷で途方にくれる一方で、一人で家を完成させ屋根の修理をするような独立した姿も見せる。「女の強さ」的なものに集約されないタフさを感じた。


歩く、見る、待つ ペドロ・コスタ映画論講義
ペドロ コスタ
ソリレス書店
2018-05-25




『新しい街 ヴィル・ヌーヴ』

 アルコール依存症の詩人ジョゼフ(ロバート・ラロンド)は、かつて家族で過ごした思い出の地に離婚した元妻エマ(ジョアンヌ=マリー・トランブレ)を呼び出す。街ではケベック州独立運動が高まっていた。監督はフェリックス・デュスル=ラペリエール。レイモンド・カーヴァーの短編『シェフの家』にインスパイアされた作品だそうだ。
 ジョゼフは海辺の家で家族と過ごした時間がよっぽど懐かしいのか、この場所に拘っている。ここでエマと一緒に過ごせばあの時間を取り戻せるのでは?という淡い期待が見え隠れする。しかしエマにとっては既に過ぎた時間であり、良い思い出かもしれないがそれ以上のものではない。文筆家としてどうやらジョゼフより活躍しつつあるエマが見ているのは未来だ。2人が過ごす海辺の家での時間は一見穏やかなのだが、それぞれの視線は過去と未来、逆方向を向いており重なり合うことはない。それぞれのモノローグでそのすれ違いが露わになっていくのだ。
 2人の休日の背景にあるのは、住民独立運動だ。1995年にカナダのケベック州で実際にあったそうで、現実の投票では1%差で独立否決。本作中では逆に可決された世界になっている。地域の独立が、ジョセフ一家それぞれの独立と重なっていく。不安さの中にもその先の時間が見えるような、不穏だけど暗くはない余韻。
 アニメーションとしてとても魅力がある。線もフォルムも揺らぎ続ける手書きのタッチが、ジョゼフとエマの揺らぎ続ける心情とリンクしていく。フォルムが安定しない所に惹かれた。特に暗闇の中で家が燃え落ちるイメージは少々禍々しいのだがインパクトがある。色調の淡さ、渋さも魅力。静かなトーンなのだが、街のデモや交通渋滞、ライブの狂騒などの暴発しそうな空気感も伝わる。

大聖堂 (村上春樹翻訳ライブラリー)
レイモンド カーヴァー
中央公論新社
2007-03-01





『行き止まりの世界に生まれて』

 「アメリカで最も惨めな町」に選ばれたイリノイ州ロックフォードに暮らすキアー、ザク、ビンはスケートボードに夢中な少年たちだった。ビンは自分たちのスケーティングを撮影し続け、やがて自分たちの生活、思いにカメラを向けるようになる。3人の12年間を追ったドキュメンタリー。監督はビン・リュー。
 スケートボードで走り回り宙に舞う青年たちの姿は軽やかで、何にも縛られていないように見える。ジャンプの瞬間は重力からも解き放たれ、日々の生活のしがらみからも解放され自由だ。とは言えそれはあくまで一瞬で、着地すればまた生活が待ち構えている。3人の少年時代からこの「生活」は見え隠れしているのだが、成長しそれぞれ家族を持ったり仕事を始めたりする中で、更に「生活」は色濃くなっていく。ラストベルトにあるロックフォードはアメリカの吹き溜まり的な扱いで、雇用もないし発展の兆しも見えない。町の風景にも空き家や空きテナントが目立ち、明らかに閑散としている。3人もこの町に未来はないと口にするが、ここから誰もが抜け出せるわけでもない。町を出ていくにも基礎体力(基本的な経済力や計画性・知識など)が必要なのだが、それが削られ続ける、あるいは得ることができない環境にいるのが「貧しい」ということだ。
 特に若者にとっては、家庭が安心できる場、体力を温存でき安定して学習できる場であるかどうかが将来的な貧困を回避する大きな要素になるだろう。キアーもザクもビンも父親(義父)の暴力にさらされ、守られていなかったという背景があることがわかってくる。特にビンの義弟が父親について言及するシーンの言葉の間、ビンへの暴力についての言及や、扉をそっと閉める(大きな音を立てると父親は怒った)姿は、暴力が人にいかに深い傷をつけ、それが回復しないかということを如実に表している。ビンはドキュメンタリーを撮影することをカウンセリングみたいなものと言うが、その境地にたどり着くまでが(彼と母親の関係を見てもわかるが)本当に大変だったと思う。一方で、ザクの恋人に対してビンが「(ザクが)なんで殴るのか僕が聞こうか?」と言うシーンがある。友人と恋人との関係にどこまで踏み込んでいいのかわからないが、暴力を知ってしまった以上何か言わずにいられないというもどかしさも感じた。
 キアーは黒人、ザクは白人、ビンはアジア系だが、少年時代からずっとつるんでおり仲は良い。ビンが向けるカメラの前でここまでさらけ出してくれるのかという驚きと、2人のビンに対する信頼の深さが感じられた。ただ、ザクと他の白人の友人が人種差別ギャグでけらけら笑っている様にはちょっとぎょっとするし、それを見ているキアーが何とも言えない表情をしている。また「白人だって辛いんだ」論を持ち出す人や、それに対して黒人差別の歴史背景を出して諭す人などもいるが、どちらも(前者はもちろんだが)白人。当事者性が薄い所で自分たちのことをとやかく論じられているような気にならないかとハラハラしてしまった。自覚薄い差別というのはこういうことかと目の当たりにした気分だった。

ロード・オブ・ドッグタウン コレクターズ・エディション [DVD]
ジョン・ロビンソン
ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
2009-11-04


ストレイト・アウタ・コンプトン (字幕版)
ポール・ジアマッティ
2016-04-20


『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』

 1933年、イギリス人のガレス・ジョーンズ(ジェームズ・ノートン)は世界恐慌の中、スターリンが統治するソビエト連邦のみが反映していることに疑問を持つ。記者としてモスクワからウクライナに向かったジョーンズが見たものは、想像を絶する実情だった。監督はアグニシュカ・ホランド。
 実在したジャーナリストのエピソードをドラマ化したもので、ジョーンズの記事に影響を受けたというジョージ・オーウェルが『動物農場』を執筆するシーンから始まる。ジョーンズが発信した内容が後にどのようにフィードバックされたのか見えることで、少々勢い任せ(何しろあの程度の装備で真冬のウクライナをさまようのは無謀だと思う)なジョーンズの行動の価値、事実を発信し続けることの価値が示されるのだ。
 ジョーンズは元々ジャーナリストだったわけではなく、ソビエトの現状に疑問を持ち、現地調査をするために便宜上、当初はジャーナリストを名乗っていたにすぎない。モスクワに入ってからの彼の取材活動は危なっかしい。当時のソビエトの状況が海外には伏せられていたこともあり、言動は無防備で真っすぐなので、こんな小細工すぐに当局にバレるのでは?!とハラハラした。
 彼の調査手法に老獪さは全くない。相手の懐に潜り込んで親密になって情報を引き出すという老獪な方法もあるだろうが、親密さを保ちつつ一線を越えずにいられる人はごくわずかだろう。本作に登場するピュリッツァー賞受賞者のデュランティ(ピーター・サースガード)はモスクワに駐在しているうちに、好待遇に溺れスターリンのスポークスマンと化した。彼らの乱痴気騒ぎには、やはりジャーナリズムは権力と距離を置くべきだと痛感させられる。ジョーンズの正義感は青臭いかもしれないが、それがなかったらジャーナリズムはたちゆかないだろう。本作はジョーンズがジャーナリストになっていく過程の物語でもある。原題はシンプルに「Mr. Jones」なのだが、端的に的を得た題名だ。
 中盤、ウクライナに入ってからは妙に幻想的で、ジョーンズの頭の中の地獄めぐりにも見えてくる。が、これはジョーンズ=一般人にとって本当のこととは思えないほどひどい、想像の域を現実が越えてしまったということだと思う。更に恐ろしいのは、その地獄は特定の人間の意志によって生み出されたものだということだ。そこで何が起きているのか世界に向けて発信する(たとえバカにされ、本気にされなくても)というのは、地獄の拡大を押しとどめようとする行為なのだ。



動物農場〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)
ジョージ・オーウェル
早川書房
2017-01-07





ソハの地下水道 [DVD]
アグニェシュカ・グロホフスカ
東宝
2013-04-19


『アメリカの影』

 黒人の血を引いたヒュー(ヒュー。ハード)、レリア(レリア・ゴルドーニ)、ベン(ベン・カルーザス)の兄妹を中心に、マンハッタンに暮らす若者たちの姿を描いた群像劇。シナリオなしの即興演出で、映画の新たな方向性を確立したと言われる作品。監督はジョン・カサヴェテス。本作が長編デビュー作。1959年製作。
 ヒューは歌手だが段々仕事がなくなっているようで、ストリップショーの司会をやらされるようになり、納得がいかない。歌手であるというプライドを損なわれることに強い怒りを抱き、仕事をとってくるマネージャーにも八つ当たり気味だ。レリアは作家志望でビート族の若者たちとつるんでいるが今一つ馴染めない。ベンは一応ミュージシャン(トランぺッター)らしいが働いている様子はほとんどなく、酒に溺れ気味で不安定だ。彼・彼女らの行動は騒々しく刹那的で「今」を生きている感じが強烈だ。動きも感情表現も騒々しく、エネルギーを持て余しているようにも見える。
 ただ、「今」が火花のようにはじけるほど、その先の未来に期待できないという閉塞感も強まってくる。今を生きる、というよりもとりあえず今しかないから生きる、という感じだ。ベンがバーで絡んできた相手に喧嘩をふっかけるのも、絡まれてきたから喧嘩するのではなく、喧嘩をする為に絡んでいるように見えた。何か爆発させないとやっていられないという哀しさがある。
 3兄妹は黒人の血を引いているが、レリアは見た目はほぼ白人だ。親しくなった青年が彼女に黒人の兄弟がいると知ってたじろぐ。後から「君と僕は同じだ」という伝言をレリアに残すが、取ってつけたようで空しい。理念としては確かにそうなんだけど、じゃあ彼と同じ位置にレリア達が立てるのかというと、そうではない。彼が「同じだ」と言えるのは自分が守られた、強い立場だからで、そこに無自覚なことにレリア達は苛立つのだろう。
 ほぼ俳優の即興で台詞や演技は考えられているそうなので、彼らが生きている時代・場所がダイレクトに反映されている。しかし時代性に頼らず、時代を経た後に鑑賞してもそれが生き生きと感じられるという所が、本作の強さだ。

アメリカの影 2014年HDリマスター版 [DVD]
ヒュー・ハード
キングレコード
2018-08-08


ザ・フィフティーズ1: 1950年代アメリカの光と影 (ちくま文庫)
デイヴィッド ハルバースタム
筑摩書房
2015-08-06


『悪人伝』

 ヤクザの組長チャン・ドンス(マ・ドンソク)はある晩何者かにめった刺しにされる。一命を取り留めたドンスは対抗組織の犯行と見て、犯人捜しを始める。一方、連続殺人犯を追っていたチョン刑事(キム・ムヨル)は犯行時の状況から、ドンスを襲ったのも同一犯と見て情報を得る為ドンスに近づく。なりゆきで情報交換し共闘することになる2人だが。監督はイ・ウォンテ。
 ヤクザと刑事が組んでシリアルキラーを追い詰めていくというバディもの…を意識したのだろうが、あまりバディ感はない。2人が一緒に行動する機会が意外と少ない(そりゃあ立場上一緒にいてばかりじゃまずいのだが)し、信頼感もいまひとつ。相手のことを知ろう、理解しようという意志はあまりないのだ。利用しあうという関係にとどまっており、そこがライトで見やすい所でもあるし物足りない所もでもある。本作、面白いことは面白いのだが、ストーリー上起こるべきことが順次起きていくという感じで、いまひとつ奥行きがない。ドンスにしろチョンにしろ、ヤクザという役割、刑事という役割という表層的な所にキャラクターが留まっており、1人の人間として立ち上がってくる感じには乏しい。特にドンスはマ・ドンソクが演じる必然性があまり感じられないのが勿体なかった。
 ドンスとチョン刑事は、殺人犯を捕まえるという、一見共通の目的を持っている。しかし犯人をどう扱うか、何をもって罰するかという点は相容れない。ドンスは私的制裁を加える(要するにリンチの上殺す)ためであり、チョンは法律で裁くためである。ヤクザと警官という2人の立場の差がここにはっきりと出ているのだ。ラストは2人の方向性の折衷案みたいなのでこれはこれでかなり怖い、同時に笑っちゃうんだけど…。
 なお「悪人伝」というほどドンスもチョンも悪人ではない。ヤクザとしての悪知恵、刑事としてのこ狡さはあるし、ドンスは犯罪者ということになるが、純粋な「悪人」とはちょっと違うだろう。犯人こそが悪なわけだが、彼は「Devil」と表され「人間」ではないのだ。

犯罪都市(字幕版)
チェ・グィファ
2018-09-04


『アングスト/不安』

 刑務所から出所したばかりの殺人犯K.(アーウィン・レダー)は、新たな犠牲者を求めてさまよっていた。大きな庭に囲まれ、周囲に民家のない屋敷に狙いを定めたK.は、その屋敷に暮らす一家が帰宅するのを待ち構えて犯行に及ぶ。1980年にオーストリアで実際に起きた、殺人鬼ベルナー・クニーセクによる一家惨殺事件を元にした作品。監督はジェラルド・カーグル。
 1983年に制作されて以来オーストリアでは長年放映禁止になっていたそうだが、この度なぜか日本で劇場初公開された。相当猟奇的らしいしショッキングな描写が多いから心臓の弱い人は注意!という事前のお知らせもあったし、普段こういった作品はあまり見ないので、見るかどうか迷った。しかし撮影を短編『タンゴ』(偏執的かつ珍妙で素晴らしい)のズビグニェフ・リプチンスキが担当したというので、どうしても気になって見に行ってみた。
 で、実際に見てみると、危惧していたほどえぐくはなかった。確かに残酷なシーンはあるのだが、むしろ非常に冷徹で残酷さに酔うようなナルシズムは薄い。主人公であるK.のモノローグにより、あくまでシリアルキラー目線で進行する。彼の行動原理や殺人の動機に安易な理由付けをせず、「共感させない」「わからせない」という姿勢に徹した演出だ。それが対象との距離感を保つ冷静さを生んでおり、かつわからなさによる怖さが強調される。
 K.の犯行にはある程度の計画性と狡猾さがあるが、どう考えてもそれは理屈に合わないな?!とか、自分の首を絞めているよな?!と言いたくなるわきの甘さや衝動性も強い。自分をコントロールできる部分と出来ない部分の落差が激しいのだ。K.は殺人により快楽を得るシリアルキラーだが、得られる快楽に対する殺人と言う行為のコストパフォーマンスはものすごく悪そうに見える。殺人は重労働かつ高リスクでロマンとは程遠い。それをわざわざやってしまう心境の不可解さ、怖さが際立っていた。
 ユニークなショットが多く、撮影の面白さが味わえる作品だった。移動するK.を間近から追うショットは、カメラが並走しているというよりも、俳優自体にカメラを取り付けて一緒に移動しているみたいに見えるなと思っていたら、本当に俳優にカメラを取り付けた器具を背負わせていたそうだ。

屋根裏の殺人鬼 フリッツ・ホンカ(字幕版)
グレタ・ゾフィー・シュミット
2020-06-17


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