3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名あ行

『悪人伝』

 ヤクザの組長チャン・ドンス(マ・ドンソク)はある晩何者かにめった刺しにされる。一命を取り留めたドンスは対抗組織の犯行と見て、犯人捜しを始める。一方、連続殺人犯を追っていたチョン刑事(キム・ムヨル)は犯行時の状況から、ドンスを襲ったのも同一犯と見て情報を得る為ドンスに近づく。なりゆきで情報交換し共闘することになる2人だが。監督はイ・ウォンテ。
 ヤクザと刑事が組んでシリアルキラーを追い詰めていくというバディもの…を意識したのだろうが、あまりバディ感はない。2人が一緒に行動する機会が意外と少ない(そりゃあ立場上一緒にいてばかりじゃまずいのだが)し、信頼感もいまひとつ。相手のことを知ろう、理解しようという意志はあまりないのだ。利用しあうという関係にとどまっており、そこがライトで見やすい所でもあるし物足りない所もでもある。本作、面白いことは面白いのだが、ストーリー上起こるべきことが順次起きていくという感じで、いまひとつ奥行きがない。ドンスにしろチョンにしろ、ヤクザという役割、刑事という役割という表層的な所にキャラクターが留まっており、1人の人間として立ち上がってくる感じには乏しい。特にドンスはマ・ドンソクが演じる必然性があまり感じられないのが勿体なかった。
 ドンスとチョン刑事は、殺人犯を捕まえるという、一見共通の目的を持っている。しかし犯人をどう扱うか、何をもって罰するかという点は相容れない。ドンスは私的制裁を加える(要するにリンチの上殺す)ためであり、チョンは法律で裁くためである。ヤクザと警官という2人の立場の差がここにはっきりと出ているのだ。ラストは2人の方向性の折衷案みたいなのでこれはこれでかなり怖い、同時に笑っちゃうんだけど…。
 なお「悪人伝」というほどドンスもチョンも悪人ではない。ヤクザとしての悪知恵、刑事としてのこ狡さはあるし、ドンスは犯罪者ということになるが、純粋な「悪人」とはちょっと違うだろう。犯人こそが悪なわけだが、彼は「Devil」と表され「人間」ではないのだ。

犯罪都市(字幕版)
チェ・グィファ
2018-09-04


『アングスト/不安』

 刑務所から出所したばかりの殺人犯K.(アーウィン・レダー)は、新たな犠牲者を求めてさまよっていた。大きな庭に囲まれ、周囲に民家のない屋敷に狙いを定めたK.は、その屋敷に暮らす一家が帰宅するのを待ち構えて犯行に及ぶ。1980年にオーストリアで実際に起きた、殺人鬼ベルナー・クニーセクによる一家惨殺事件を元にした作品。監督はジェラルド・カーグル。
 1983年に制作されて以来オーストリアでは長年放映禁止になっていたそうだが、この度なぜか日本で劇場初公開された。相当猟奇的らしいしショッキングな描写が多いから心臓の弱い人は注意!という事前のお知らせもあったし、普段こういった作品はあまり見ないので、見るかどうか迷った。しかし撮影を短編『タンゴ』(偏執的かつ珍妙で素晴らしい)のズビグニェフ・リプチンスキが担当したというので、どうしても気になって見に行ってみた。
 で、実際に見てみると、危惧していたほどえぐくはなかった。確かに残酷なシーンはあるのだが、むしろ非常に冷徹で残酷さに酔うようなナルシズムは薄い。主人公であるK.のモノローグにより、あくまでシリアルキラー目線で進行する。彼の行動原理や殺人の動機に安易な理由付けをせず、「共感させない」「わからせない」という姿勢に徹した演出だ。それが対象との距離感を保つ冷静さを生んでおり、かつわからなさによる怖さが強調される。
 K.の犯行にはある程度の計画性と狡猾さがあるが、どう考えてもそれは理屈に合わないな?!とか、自分の首を絞めているよな?!と言いたくなるわきの甘さや衝動性も強い。自分をコントロールできる部分と出来ない部分の落差が激しいのだ。K.は殺人により快楽を得るシリアルキラーだが、得られる快楽に対する殺人と言う行為のコストパフォーマンスはものすごく悪そうに見える。殺人は重労働かつ高リスクでロマンとは程遠い。それをわざわざやってしまう心境の不可解さ、怖さが際立っていた。
 ユニークなショットが多く、撮影の面白さが味わえる作品だった。移動するK.を間近から追うショットは、カメラが並走しているというよりも、俳優自体にカメラを取り付けて一緒に移動しているみたいに見えるなと思っていたら、本当に俳優にカメラを取り付けた器具を背負わせていたそうだ。

屋根裏の殺人鬼 フリッツ・ホンカ(字幕版)
グレタ・ゾフィー・シュミット
2020-06-17


『一度も撃ってません』

 売れないハードボイルド作家・市川進(石橋蓮司)、74歳。近年は原稿を持ち込んでも編集者に断られてばかりだった。そんな彼には伝説のヒットマン噂があり、過去に警察にマークされたこともあった。しかしその噂にも実はからくりが。監督は阪本順治。
 何とも懐かしい気持ちになる1作。そういえば昔(80年代くらいか?)こういう愉快でちょっと洒落た(本作はそんなに洒落てないんだけど、「あの頃の洒落てる」空気を再現しようとしているように思う)B級邦画ってあったなという気がしていくる。出演者はベテランばかりで豪華だが、気負った所が全然なくて、よい意味で全編おまけ、余暇みたいな作品だと思う。ストーリー上、あのエピソードのオチはないの?とかあの設定は何か意味あったの?とか細部のつじつまを合わせずに緩くまとめているところもおまけっぽい。それでもゆるすぎたり内輪ウケ的になっていないのは、俳優、スタッフの力量によるものだろう。ゆるくても「映画」というのはこういうものだ、という基本的な所が踏まえられているのではないかと思う。
 あの頃のお洒落さ、ハードボイルド的なかっこよさを盛り込んだ作品だが、ノスタルジーの甘美さにひたりきらず、ユーモラスな方向へと舵を切っている。今となっては市川のやっている「かっこいいハードボイルドしぐさ」はなかなかお寒いものだ。酒とたばこと夜遊びが「洒落」ている世相ではなく、若手編集者にも容赦なく突っ込まれる。それでも自分のかっこよさをやり抜く市川は、やっぱりかっこいいのかもしれない。彼の振る舞いは滑稽に演出されているが、バカにしてはいない。
 市川、石田(岸部一徳)、ひかる(桃井かおり)は長年の付き合い。ただ、過去に色恋沙汰もあれこれあった男女という感じではなく、ボーイフレンド・ガールフレンド的なじゃれあいをずっと続けてきた人たちなんだろうなという雰囲気が出てきた。市川の妻・弥生(大楠道代)としては部外者扱いされたみたいで面白くはないだろうけど…。弥生の扱いは全般的にちょっと軽すぎというか、重く見ていない感じがして、そこはひっかかった。また岸部一徳がセクハラオヤジを演じているが、昔はモテたとかちょいワルおやじとかではなく、ちゃんと「これはセクハラでこいつはクソですよ」という見せ方。娘とのエピソードにも全くフォローがない(そりゃそうだなと納得させる)ところも潔い。

大鹿村騒動記
松たか子
2013-11-26


真夜中まで [DVD]
真田 広之.ミッシェル・リー.岸部 一徳
video maker(VC/DAS)(D)
2007-12-21






『エジソンズ・ゲーム』

 19世紀アメリカ。白熱電球の事業化を成功させた発明家エジソン(ベネディクト・カンバーバッチ)は直流式送電による電力送電事業の拡大と新しい研究とに没頭していた。一方、実業家ウェスティングハウス(マイケル・シャノン)は交流式送電の実演会を成功させる。このニュースを聞いたエジソンは自分の発明が盗まれたと激怒し、交流式は危険だとネガティブキャンペーンを打つ。監督はアスフォンソ・ゴメス=レホン。
ウェスティングハウスとの会食の約束をエジソンがすっぽかすという冒頭から、非常ににテンポが速くどんどん話が進む。最近あまり見なくなった画面分割演出がテンポの速さと情報量をより強調しているように思った。当時の時代背景や2者が打ち出している送電システムの違い、そもそもエジソンとウェスティングハウスが何をしている人なのかなど、あまり具体的な説明はされないので、ある程度予習をしてから見た方が楽しめるかもしれない。わりと知っていて当然でしょうみたいな見せ方なので、アメリカでは言わずもがなな史実なのだろうか。
 エジソン夫妻とウェスティングハウス夫妻、2組の夫婦は対称的な描き方をされている。エジソンは自分の研究と事業に熱中して妻子のことを時に忘れてしまう。行き過ぎてしまう彼を私が引き止めるのだと妻が話すシーンもある。エジソンは幼い子供たちにとって愉快な父親ではあるのだろうが、家族として共に暮らすには少々大変な人だ。妻ともすれ違いが重なり、取返しがつかない事態になる。一方ウェスティングハウスは妻とのパートナーシップが良好。プライベートだけでなく事業の上でも、妻と車の両輪のように稼働していく。考え方も生き方も対称的な2人の人物は家庭での在り方も違うという演出だろうが、あまりウェットな感触はない。とにかくテンポが速くエモーショナルさを煽るような溜めはほぼ排除されているので、かなりドライ。見る人によっては無味乾燥に思えるかもしれない。ただ、このドライさが自分にとってはちょうどよかった(タイミング的にもドライなタッチの方が楽に見られる時期だったのかも)。
 電力事業が拡大していく様が、映像としてわかりやすい見せ方で、さすが映画だなと妙に納得した。エジソンは自分なりの理想・主義があって直流式を推し進めるのだが、交流式に押され、ある一点で主義を曲げてしまう。それがアキレス腱となって攻め落とされていくというのが(彼のネガティブキャンペーンが行き過ぎたものだったとはいえ)皮肉だ。ただ、彼の秘書(トム・ホランド)のように「あなたと仕事をするのが好きだ、楽しいから」と支え続けてくれる人もいる。人としては難物だが、職場としては刺激的だったのか。一方で、二コラ・テスラ(ニコラス・ホルト)のようにエジソンの才能を認めつつ見限る人もいる。テスラが選ぶのは、転載ではないが誠実な仕事相手であるウェスティングハウスだ。人の価値をどこに置くかという考え方の違いが、エジソンとウェスティングハウス当人だけでなく、彼らの周囲の人たちの態度からも垣間見られる。

訴訟王エジソンの標的 (ハヤカワ文庫NV)
グレアム ムーア
早川書房
2019-06-06


処刑電流
リチャード・モラン
みすず書房
2004-09-19


『アンティークの祝祭』

 大きな屋敷に一人で暮らすクレール(カトリーヌ・ドヌーブ)は、長年集めてきたアンティークをヤードセールで売り始める。意識や記憶がおぼろげになることが増え、人生の幕引きを決意したのだ。彼女の奇妙な行動を知った娘のマルティーヌ(キアラ・マストロヤンニ)は疎遠になっていた実家を訪れる。監督はジュリー・ベルトゥチェリ。
 冒頭、夜の子供部屋で幼少期のマルティーヌが寝付けずにいる、一方で若き日の母クレール(アリス・タグリオーニ)は身支度をしている。子供の世界と大人の世界の境界を感じさせる構造と色味の美しさで引き込まれた。クレールの屋敷の内装や登場するアンティークの数々も美しい。ドヌーブとマストロヤンニという実の母娘共演が話題の作品だが、むしろ美術面に目がいった。
 クレールとマルティーヌは実の親子ではあるが疎遠。過去のある事件が大きな要因ではあるのだが、元々この2人は人との距離の取り方や情愛の示し方が違うタイプなのだろう。少女時代のマルティーヌがクレールに甘えてもたれかかるシーンがあるのだが、クレールは「痛い」と言ってどかせる。大人になったマルティーヌに対しても(けがをしているとは言え)抱きしめられて「痛い」と言う。娘に対する愛情がないわけではないが、マルティーヌが望む形では差し出せない。マルティーヌの愛の示し方はクレールには少し重いのだろう。誰が悪いというわけではなくそういう人同士の組み合わせになってしまったということなのだ。実の親子であってもこのミスマッチは如何ともしがたい。このギャップが地味に堪える。2人の関係は基本的には変わらないしお互いが満足するようなものにはならない。ほんちょっとだけ許せるようになるというくらいで、ほろ苦さが残る。相互理解による大団円とはいかないのだ。
 ラストの展開が唐突で少々びっくりしたのだが、アンティークにはやはり時間と共に加わった「重さ」があるのかもしれない。クレールが耐えられなくなってきたのは自分の過去・思い出の重さだけでなく、屋敷に詰まったくアンティークの重さものしかかってきたからのように思えた。確かに美術・工芸的な価値は高く見ていて美しいが、一緒に暮らすのは結構圧迫感がありそう。クレールがアンティークをため込んでいったのは、息子や夫を死なせてしまったことに対する自罰みたいなものだったのかもしれない。そこから離れられない、忘れられない状態に自ら追い込んでいったように思えた。それが最後に開放されたのか。

やさしい嘘 デラックス版 [DVD]
ディナーラ・ドルカーロワ
ジェネオン エンタテインメント
2005-03-11


マチルド、翼を広げ [DVD]
インディア・ヘアー
オデッサ・エンタテインメント
2019-09-04



『エクストリーム・ジョブ』

 配信で鑑賞。コ班長(リュ・スンリョン)率いる麻薬班はドジばかりで実績を積めずにいた。国際犯罪組織の麻薬売買情報を入手した麻薬班は犯罪組織の監視に入る。そこで目を付けたのは組織のアジト前にあるチキン屋。チキン屋を装いアジトを監視しあわよくばデリバリーを装い潜入できるかも、と張り切るが、チキン屋が予想外に繁盛してしまう。監督はイ・ビョンホン。
 非常に盛りがよく、それゆえ散漫な印象もある(このネタだったらもっとコンパクトでいいのになと)作品なのだが楽しかった。落ちこぼれたちが持ち味を生かして一発逆転、というストーリーは定番なのだが、一発逆転する場がそこなの!?というおかしみがまずある。彼らは刑事としてまあまあ仕事に燃えてはいるのだが、いかんせん筋が悪い。コ班長は不死身の男伝説を持っているが、最後まで見ても捜査員としては決して切れ者ではないんだよね…。彼の才能が花開く場が店長職としてだというおかしさ、更に班のメンバーも最初は刑事の本分に反している!と反発していたのに売り上げが着実に伸びてくるとその気になって商売に身が入り、模範的な店員としてのしぐさが身に付いてしまう(モメてたのにお客が来ると「いらっしゃいませー!」と振り付きで歓待してしまうシーンに笑った)。捜査より営業と売り上げ、他店舗の店員の素行の監督だ!と完全に経営者目線に。
 それが回り回って最終的な山場を迎えるわけだが、この山場で「実は」的なキャラクター設定が開示されるのはちょっと余計かなと思った。キャラクター設定の盛りが良すぎなように思ったし、結局選ばれしものたちの話だったの?とちょっと拍子抜けしてしまった(麻薬捜査に必要な能力ってそこか?というツッコミも兼ねつつ)。人間どこでどんな才能が発揮されるかわからない、誰でも何らかの花が咲くシーンがあるはず、というポジティブさとそこから生じるおかしさだったはずなのにちょっと軸がずれてしまったような…。
 なお、班内でラブコメ的展開があるのは正直蛇足だし、センスが若干古いなと思った。仕事仲間はあくまで仕事仲間で、無理に恋愛を発生させなくていいし、そもそも恋愛が発生しそうな演出上の仕込みに乏しくて唐突に見えてしまった。単純にチーム内に男性も女性もいる、という程度でいいと思うんだけど。

エクストリーム・ジョブ(字幕版)
シン・ハギュン
2020-04-10


ブラック・クランズマン (字幕版)
ポール・ウォルター・ハウザー
2019-07-19


『影裏』

 岩手県に転勤してきた今野(綾野剛)は同僚の日浅(松田龍平)と親しくなる。2人で酒を飲みかわし釣りに出かけ、青春時代のような日々を送っていたが、日浅は突然誰にも告げずに会社を辞めてしまう。数か月後に日浅はふらりと姿を現すが、2人の関係はどこか変わっていた。原作は沼田真佑の同名小説。監督は大友啓史。
 岩手県盛岡市を舞台に、岩手出身の大友監督が撮った本作。盛岡ご当地映画でもあり、風景やさんさ踊りの情景等、映像が美しい。ただ、地元愛故に若干冗長になっていないか?という気もした。ドラマ展開はかなり抑制を利かせており(原作がそうなのかもしれないが)起伏は乏しくもある。間延びしすぎそうなところを綾野の存在感でもたせているような作品。綾野の力にちょっと頼りすぎな気もする。確かに綾野剛のあんな姿やこんな姿を見たいし撮りたいでしょうが!ちょっとやりすぎ!と突っ込みたくなった。生足そんなにさらさなくても…。
 序盤、震災後だから節電しており暗いというだけでなく、異様な不穏さ(出てくるだけで不穏さをかきたてる筒井真理子の威力よ)が漂う。そこから一転、過去に遡り、今野と日浅の交流が描かれていく。これがあまりにキラキラしていてまぶしく楽しげ。つるんでいるだけで愉快、蜜月状態といってもいいくらいの親密さなので、今野が油断してしまう、期待してしまうのも無理はないし、期待のすれ違いが切なくもある。
 まぶしい時期があったからこそ、日浅が一体何者だったのかという謎が深まる。あのまぶしさは日浅がそういう振りをしていただけ、打算によるものだったのではないかと。そういう側面もなきにしもあらずだろうが、日浅は日浅なりに今野に対する友情、誠実さを持っていたのではないか。最後、ちらっと見える書類の内容にもそれが(そこかよ!というツッコミはしたくなるけど)垣間見えるのでは。ただ、全部いい思い出、みたいな落とし方にはちょっと疑問があった。棘のようなものはずっと残るのではないかな。
 全編抑制が効いているのだが、セクシャリティの描き方はちょっとひっかかる。それが特別なことではないという配慮はされているのだが、ゲイの男性は立ち居振る舞いがフェミニンなはずという先入観があるように思った。フェミニンな人もいるだろうけどそれはセクシャリティとはあんまり関係ないんじゃないかなー。もっとフラットでいいのでは。

影裏 (文春文庫)
沼田 真佑
文藝春秋
2019-09-03



『1974 命を懸けた伝令』

 第一次大戦下の1917年4月。フランスの西部戦線ではドイツと連合国軍のにらみ合いが続いていた。イギリス兵のスコフィールド(ジョージ・マッケイ)とブレイク(ディーン=チャールズ・チャップマン)は伝令としてエリンモア将軍(コリン・ファース)より指令を与えられる。ドイツ軍を追撃中のマッケンジー大佐(ベネディクト・カンバーバッチ)にドイツ軍の撤退は罠だ、追撃を中止しろという命令を伝えるのだ。監督はサム・メンデス。
 全編ワンショット風(実際には編集されていて、たぶんここで繋いだんだろうなーというのはわかる)で撮影されたことで話題の作品だが、確かに映像は面白い。一部でゲームっぽいという評もあるようだが、スコフィールドらと一緒に移動しているような感覚だ。体験型映画というか、一種のイベント映画的な側面が強いように思った。ドラマ面は正直のっぺりとしており紋切り型は否めない(女性と赤ん坊とのエピソードとか特に)が、そもそもドラマを重視した作品ではないのではないか。サム・メンデス監督だから何か重厚なドラマ志向があるのではと予想しちゃうけど、そういうわけでもないんだろうな。
 ロジャー・ディーキンスによる撮影は素晴らしく、あー撮影監督のドヤ顔が見えるわ!というシーンが多々ある。特に夜のシーン、暗闇の中照明弾で周囲が照らし出されるシーンは、作り物めいて地獄のような美しさ。これは確かに、死の危険があってもふらふらと出て行ってしまうかもしれない。監督らはこれがやりたかったんだろうなという納得感はある。
 先日見た記録映画『彼らは生きていた』を思い出したし、『彼ら~』を先に見ておいてよかった。兵士の装備の重さとか、塹壕の様子や地面のぬかるみ(沼地のような場所が多々あり、ずぶずぶ沈んでいく兵士もいたとか)、状況をイメージしやすい。兵士同士の戦場だからこその助け合い(他の場所では会うこともしないという)について『彼ら~』の中で言及があったが、本作中の他隊の兵士や上官とのやりとりにはそれを感じた。


戦火の馬 [DVD]
ジェレミー・アーヴァイン
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
2013-07-03





『オルジャスの白い馬』

 カザフスタンの草原で家族と暮らす少年オルジャス。ある日、市場へ馬を売りに行った父親が戻らなかった。母アイグリ(サマル・エスリャーモバ)が警察に呼び出され、父親の死が告げられる。村で葬儀が行われた後、カイラート(森山未來)という男が母を訪ねてくる。監督は竹葉リサとエルラン・ヌルムハンベトフ。日本・カザフスタン合作となる。
 カザフスタンの草原が雄大で、人々の暮らしは厳しくもどこかのどかだなと眺めていたら、途中から急速にハードな展開になる。角度を変えたらノワール風にも犯罪映画風にもなりそうだ。とは言え少年の視点から描かれているので、一番重要なのは彼にとって「父親が帰ってこない」という所だ。父親に実際のところ何があったのか、母親が村の中で置かれている微妙な立場の理由や、彼女の過去に何があったのかという、大人の事情のドラマは最前面に出てくるものではなく、あくまで背景だ。そして、少年にとっての父親は消えた父親だけで、誰かが代わりになれるわけではない。
 森山演じる謎の男・カイラートが登場すると、ちょっと西部劇的な味わいも出てくる。街から離れた草原が舞台で、馬に乗って活躍するシーンがあるからというだけでなく、疑似父親的な男が現れ母子を助ける、というシチュエーションも西部劇っぽい。森山がまた予想外に様になっているのだが、まさか銃器が出てくる映画だと思っていなかったのでちょっとびっくりした。
 少し不思議だったのが、文化的な背景。父親たちが市に向かう前に祈りをささげるのだが、最後アーメンで締める。しかし葬儀はイスラム教に則ったもの。父親だけ宗教が違うというわけでもなさそうだし、どういう文化圏なのか気になった。ロシアに近いエリアのようなので、キリスト教文化も流入しているということなんだろうか。

コーカサスの虜 [DVD]
アップリンク
2004-12-23


シェーン HDリマスター [DVD]
アラン・ラッド
復刻シネマライブラリー
2018-09-10



『イーディ、83歳 はじめての山のぼり』

 83歳のイーディ(シーラ・ハンコック)は長年介護をした夫を失い、一人暮らし。娘からは老人介護施設への入居を勧められているが気が進まない。ある日、ふとしたきっかけでかつて夢だったスコットランドのスイルベン山への登山を思い立つ。現地で知り合ったアウトドア用品店の店員ジョニー(ケビン・ガスリー)をトレーナーとして雇い山頂目指してトレーニングを開始するが、衝突してばかりだった。監督はサイモン・ハンター。
 イーディがいわゆる「かわいいおばあちゃん」ではないところがとても素敵だった。冒頭、娘に止められている高カロリーな朝食をこっそり隠すところからしていい味出しているのだが、老人ホームでのおしゃべりやグループワークには反感を示し、ジョニーに対しても注文や文句が多い。あるシーンで「生きてきた中で一番幸せ」というが、そのシチュエーションからも1人の人間として独立していたい、自分のやりたいようにやりたいという人なんだなとわかって胸を突かれる。そんな人が、束縛の強い男性と結婚してしまい(その後の顛末は予想できなかっただろうけど)、家庭を持ってしまったのかと。時代の中での価値観、世間の在り方のどうしようもさなを感じる。イーディは老人ホームに入る入らないとは別問題として、娘との関係もぎくしゃくしている。娘としては母親の愛情を十分に感じられなかったということなのだろうが、イーディは「(子育ての)責任は果たした」と言ってしまうような人。そりゃあ娘も日記読んでショック受けるよな…。とは言え、すべての母親が愛情深く「母親らしく」ふるまえるわけではないだろう。こういうのは、もうしょうがないのだ。
 本作は、人が個であることを大前提としてストーリーが展開しているように思う。親子も夫婦も他人で、幸せのありかたはそれぞれ違う。日本の映画だと、イーディと娘が何かしらの和解をするエピソードや、イーディが登山の途中で家族を想うシーンが入りそうなものだが、本作はそういった、家族の不和を緩和するような要素がない。この人はこういう人だからこれはこれでしょうがないという、人との絆よりも個人の在り方を前に出しているストーリーなように思った。イーディだけでなくジョニーについても同様で、彼と恋人の関係は今後こじれるだろうが、それはしょうがないというような描き方。それが彼の価値観であり生き方なのだ。

幸せなひとりぼっち [DVD]
ロルフ・ラスゴード
ポニーキャニオン
2017-07-05


街と山のあいだ
若菜晃子
アノニマ・スタジオ
2017-09-22


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