3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名あ行

『エイリアン コヴェナント』

 地球が滅びつつある時代、人類移住計画を託された宇宙船コヴェナント号には、コールドスリープ状態の乗組員の他、長い航海の間、船の管理を任されているアンドロイド・ウォルター(マイケル・ファスベンダー)が乗船していた。しかし船にトラブルが起き、乗組員たちは予定外にコールドスリープを解除される。人間からと思われる信号を辿り未知の惑星に辿りつくが。監督はリドリー・スコット。
 私はエイリアンの造形とシチュエーション(密閉空間で次々に襲われる系)がとにかく苦手で、エイリアン3部作はTVで放送されている時にちらっと見ている程度(しかし『エイリアンVSプレデター』は劇場に見に行っていることを思い出した・・・あれはちょっと別枠ですよね)、前作『プロメテウス』は当然見ていない。更にリドリー・スコット監督作品自体が苦手で、はっきりと面白いかつ好きだと思えたのは『オデッセイ』のみ。しかし本作を見た人たちの反応がどうにもおかしなことになっているので、気になって挑戦してみた。
 結論から言うと、エイリアン初心者の目からも「それ、エイリアンいります・・・?」的案件だったように思う。確かに、前3部作におけるエイリアンがいかに生まれたかという話ではあるのだが、それ以外の部分に熱が入りすぎていて、『エイリアン』的部分が取って付けたような作り。ホラー映画のお約束的展開で、意外性もないしなぜいきなりこれを?という疑問ばかり膨らむ。SFとしても『オデッセイ』撮った(まあ原作が良くできていたわけだけど・・・)人とは思えない杜撰さ。近年のSF映画では、未知の惑星に降り立つ時には(大気の成分調査済みであっても)外気を遮断するヘルメットの装着はもはやセオリーだと思うのだが、本作はいきないノーヘル。これにはのけぞった。上陸後もそれは環境汚染では?逆に宇宙船内を汚染することになるのでは?と突っ込み所がありすぎる。つまり、撮る側がこういう部分はわりとどうでもいいと思ってるんだろうなぁ・・・。
 本作のメインはデイヴィッドの創造主病というか、クリエイションに対する妄執だろう。オリジナリティは持たないはずの「作りもの」が自分の創造主をエサにして新たな創造主になろうとするわけだが、それをエイリアンと絡める必然性て、あまり感じないんだよな・・・。
 なお俳優陣に関してはファスベンダー独り勝ち。ウォルターとデイビッドをちゃんと演じ分けているのには感心した。そもそもファスベンダー以外を魅力的に撮ろうという意欲が見受けられない。

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『アウトレイジ 最終章』

 韓国滞在中の花菱会幹部・花田(ピエール瀧)がトラブルをおこし、日韓を牛耳るフィクサー・張会長(金田時夫)の手下を殺してしまう。張会長の保護を受け韓国にいた大友(ビートたけし)は花田を追い日本へ。一方、花菱会では会長の野村(大杉漣)と若頭・西野(西田敏行)の間で亀裂が深まっていた。韓国での事件を利用し、張グループもまきこみ花菱会のトップ争いが始まる。監督・脚本は北野武。
 前2作に比べると事件の全容というか、アウトラインがぼやっとしているなという印象。飛び抜けて頭がいい、悪賢い人がいるというよりも、全員そこそこの悪賢さで、小物が小競り合いをしているという印象だ(ただし張は別格の得体の知れなさを維持している)。野村はいくらなんでも組長として脇が甘すぎるように見えるし、それよりは上手であろう西野も、少々行き当たりばったりのように見える。元会社員と生粋のやくざの差が描かれていた。が、彼らの行動は分かりやすいと言えば分かりやすい。欲がはっきりとしており、ある意味単純。そして彼ら自身、相手も同じように欲を持っている、金や権力を志向して行動していると考えている。だからこそ、そこから逸脱していく大友の存在は不可解であり、薄気味が悪いのだろう。
 大友の行動原理はシリーズ1作目から一貫していると言えばしている。昔ながらの任侠道とは言い切れない(そこまで人情に篤くはなさそうだし、興味ない相手には心底興味がない)が、金で動くというわけでもなく、シマを広げたいというわけでもない。既に拠り所を失い、本作では更に幽霊のような存在としてふらふらとうろついているように見える。大友という幽霊が成仏するまでの物語であるようにも見えた。大友の行動原理は彼の内部にしかないので、傍から見たらえっそこで止めちゃっていいの?とあっけにとられるのだ。
 とは言え、悪い奴、悪くて現実的な奴は幽霊の存在など、多少薄気味悪いと思っても気にしないし、幽霊でさえ道具にして生き残りのし上がるのだろう。

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ビートたけし
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『エルネスト もう一人のゲバラ』

 1962年、ボリビアからキューバのハバナ大学医学部に留学したフレディ前村エルタード(オダギリ・ジョー)は、キューバ危機の最中にチェ・ゲバラ(ホワン・ミゲル・バレロ・アコスタ)と出会い心酔していく。やがて祖国ボリビアで軍事クーデターが起きる。フレディはゲバラの部隊への参加を決意する。監督は阪本順治。
 革命という言葉からイメージするような劇的なドラマはなく、1人の青年の大学生活、そして背景となる時代の動きを描く青春ドラマとして見た。特にキューバ危機をキューバはどのようにとらえていたのかと言う、内部からの視線は興味深かった。冒頭、ゲバラが広島訪問をするエピソードがあり、それをわざわざ入れるの?と思ったのだが、ここにつなげてきたのかと。
 青春ドラマとしても大分控えめ、情感抑え目で一見地味な作品ではあると思うし、時代背景をある程度知らないと何が起きているのかわからない(ゲバラがどういう人かということと、キューバ危機くらいは知らないときついかも)所もあるだろう。とは言え、フレディがどのような人であるか、ということはかなり丁寧に描いているように思う。
 フレディの行為に対して同級生が「彼の両親は立派だったんだな」とコメントするシーンがあるが、ああいった行為を親の教育、振る舞いの賜物と見なすんだなとはっとした。そういう感覚って、今はあまりなくなったんじゃないかなと。フレディの言動の端々から生真面目で責任感が強い人柄が窺える。そして、多少経済的に余裕のある、「ちゃんとしたおうち」に育ったということが徐々にわかってくる。
 ただ、彼の真面目さと経済的背景が、裏目に出ることもある。同級生に「君には本当の貧しさはわからないだろう」と言われるシーンがある。同級生はとにかく早く医者になって家族を食わせなくてはならないと必死で、フレディのように学生運動に参加している余裕はない。国のこと、政治のことは生活の余裕あってこそ考えられるということか。フレディは責任感によって行動しているわけだが、相手にとっては施しに見えることもある。そしてこのギャップが、最後にしっぺ返しとなってくるのだ。これは、ゲバラにも通じるものではなかったかと思う。断絶を埋めようとするものだったろう行為が、更に断絶を可視化し深めるものになってしまうのだ。
 フレディは個性が突出していたりカリスマ性があったわけではないが、道端の小石にすぎなくとも善良な一個人として生きようとしたのだろう。しかし、やはり何者かになりたかったんだろうなとも思える。呼び名として与えられた「エルネスト」の名は、与えた側にはさほどの意味はなかったかもしれないが、フレディにとってはやはり大きな意味があった。そこが何だかやるせなくもある。

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『幼な子われらに生まれ』

 40代のサラリーマン田中信(浅野忠信)と妻の奈苗(田中麗奈)はバツイチ同士の再婚で、奈苗の連れ後の薫(南沙良)と恵理子(新井美羽)と暮らしている。奈苗が妊娠し、3人目の子供の誕生を控えているが、信は左遷にあってしまう。また薫は信と距離をおくようになり、「本当のパパに会いたい」と言いだす。原作は重松清の小説。監督は三島有紀子。
 信は仕事で出世することよりも家族と一緒に過ごすことを優先するし、家族思いではある。しかし、大人になりつつある血の繋がらない娘との関係は難しいものになっていくし、奈苗の話を聞く心の余裕もなくなっていく。夫として、父親としての不完全さが露呈していくことになり、だんだん家に帰りたくなくなってしまうのだ。奈苗に対して、それを言ったら関係崩壊するぞというような言葉まで投げつけてしまう。
 それでも、信が幼い薫と恵理子の「父親になる」と決意するシーンはとても印象に残った。現在の彼は迷うことばかりだし家族の中には不協和音が充ちている。信も奈苗もいわゆる「出来た」人間ではなさそうだし、夫・妻としても親としても色々至らないところはある。それでも、この時の気持ちに立ち返ることが出来れば、何とか踏ん張れるのではないかと思わせるのだ。奈苗が信と前妻の娘に対して、とっさに保護者としての表情を見せるシーンにもはっとした。
 このように大人の不完全さを描く良いシーンもあるのだが、正直なところ、色々とひっかかる部分も多かった。奈苗が妊娠ハイとでも言えばいいのか、妙に能天気に見えてしまうので、この人をどのようにとらえればいいのかともやもやする。また、前妻(寺島しのぶ)の言葉は随分「台詞」感があって、他の部分から多分に浮いていたように思う。前妻が抱えるプレッシャーや息苦しさと信の無理解には、こういうシチュエーションてあるよなーという「あるある」感が強いのに、前妻の言葉は作りものっぽい。セックス中の振る舞いにも、彼女が心配していることからするともっと他に言いそうなことあるんじゃないの?!と興ざめした。本作はあくまで信の視線によるもので、奈苗の能天気さや妻の芝居がかった態度は、彼にとって「そう見える」ということなのかもしれない。しかし、奈苗や前妻も信と同様に惑っているはずだ。女性たちの描写がほぼ紋切、しかも古臭いタイプの紋切型に見えてもったいなかった。
 なお、俳優の中では奈苗の前夫役の工藤官九郎が素晴らしかった。絵に描いたようなダメさ!ぱっと見るだけでこいつクズだなと思わせるクズオーラの出し方が素晴らしい。



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『あさがくるまえに』

 17歳のシモンは交通事故に遭い、脳死状態と認定された。医師はシモンが組成する可能性はまずないとして、臓器提供を求めるが、両親は突然の出来事を受け止められない。一方、音楽家のクレール(アンヌ・ドルヴァル)は心臓病が悪化し、移植を勧められていたが、決心しかねていた。監督はカテル・キレヴェレ。
 ある1日、正に「あさがくるまえ」に大きな決断を迫られる2組の家庭を両側から描く。家族を突然亡くした混乱と悲しみや、移植に対する恐怖など、普通と言えば普通のことを描いているのだが、心のゆらぎを丁寧に追っており、通り一遍な感じはしない。思考が硬直したように臓器提供を拒むシモンの父親や、徐々に心が動いていく母親(エマニュエル・セニエ)、2人は別居しているが、悲劇を前にまた支え合う姿を見せる。自分は若者とは言えないのに、他人の臓器を使ってまで延命していいのか迷うクレールの姿や、彼女を思いやりつつも苛立ったり弟への嫉妬を隠せなかったりする息子。クレールとパートナーだった女性ピアニストとの、かつての親密さの名残(しかし今現在でも思いやりは確かにある)も印象深い。
 当事者はもちろんだが、医者や移植コーディネーター(タハール・ラヒム)の心もまた揺らいでいるのだ。シモンについている移植コーディネーターが、臓器提供が決まり医者と喜ぶシーンがある。しかし、あっけらかんと「喜びのポーズ」を決める医者に対して、コーディネーターは若干微妙な表情をする。医者(や移植を受ける側)にとっては喜ばしくても、シモンの家族の心情を想像すると、やった!とは言えないだろう。コーディネーターは両方の側に立っているのだ。
 シモンが早朝に自転車で町を掛ける情景、サーフィンする様や海の中等、はっとするような美しさがあり惹きつけられる。彼を襲う事故のことを思うとその美しさがやりきれないが、日常ってこういうものかもしれないなという気もする。ふいに美しい瞬間が立ち上がるが、その先どうなるかはわからない。美しさも惨酷さもいきなり訪れる。

BIUTIFUL ビューティフル [DVD]
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2012-01-27


移植医療 (岩波新書)
〓島(ぬでしま) 次郎
岩波書店
2014-06-21

『オン・ザ・ミルキーロード』

 長らく戦争が続くとある村。牛乳配達人のコスタ(エミール・クストリッツァ)はミルク売りの娘ミレナ(スロボダ・ミチャロヴィッチ)に想いを寄せられていた。ミレナは兵士である兄ジャガ(プレドラグ・”ミキ”・マノイロヴィッチ)が帰郷したら兄と一緒に自分とコスタも結婚式を挙げようと計画していた。しかしコスタはジャガの花嫁として迎えられらたイタリア人女性(モニカ・ベルッチ)に恋をしてしまう。監督・脚本はエミール・クストリッツァ。
 クストリッツァ監督作品はペシミスティックな躁状態とでも言うような、独特のテンションがあって大変賑やかで騒々しいが悲劇の予兆を常にはらんでいる印象がある。本作では、コスタが美女2人にモテモテだったり、戦争に慣れきった村の兵士たちが妙に呑気だったり、クストリッツァ作品お馴染みの動物たち大活躍だったり、コメディっぽい要素がふんだんにある。一方で、コスタと花嫁の逃避行は困難極まりないし、理不尽としか言いようがない形で突然大勢が(人間動物分け隔てなく)死ぬ。えっ、この人たちこんなにあっさりと退場しちゃうの?とびっくりするくらいだ。
 そんな理不尽な暴力とファンタジーの世界との間を疾走していくような力技。滝を飛び下りるシーンや雷雨の中の浮遊など、ファンタジーとして本当に美しいのだが、その薄皮一枚向こうには生々しい戦場が広がっている。終盤のある悲劇は、正にこの世の悲惨さとそれを覆うファンタジーのベールの組み合わせとして描かれている。こうでもしないと浮かばれない、とでも言うようだ。
 コスタと花嫁を助けてくれるのは、動物や鳥や虫で、人間は全く手助けしてくれない。人間たちはむしろ2人を引き離そうとするのだ。人間に対する信頼感があまりない世界なのだ。コスタは世捨て人のような存在で、むしろ動物たちに近いのだろう(熊と親しげに接するシーンが印象的だ)。だから、生々しく人間としての生気や欲望を放つミレナとは一緒になれないのだ。花嫁は世捨て人というわけではないが、国も家族も捨てざるを得なかった難民のようなもので、この世にはやはり居場所がないのだ。この世に居場所がない人たちの行き着く先はこれしかないのか、とラストにはやるせない気分にさせられる。

アンダーグラウンド Blu-ray
ミキ・マノイロヴィチ
紀伊國屋書店
2012-04-28


夫婦の中のよそもの
エミール・クストリッツァ
集英社
2017-06-05

『エル ELLE』

ゲーム会社のCEOミシェル(イザベル・ユペール)は、自宅で覆面をした男に襲われレイプされる。被害に遭った後も今まで通り出勤し仕事をこなしていくミシェルは、友人たちに事件のことを報告する。警察への通報を勧められるが、彼女はかたくなに拒む。彼女には警察を毛嫌いする理由があったのだ。原作はフィリップ・ディジャンの小説『oh・・・』。監督はポール・バーホーベン。
 画期的なヒロインであると大絶賛されるのと同時に、レイプ被害の経緯の描き方に問題があると批判もされたという前評は聞いており、どんな問題作なんだろうと思っていたら、あれ?案外普通・・・。ドラマの見せ方は手堅いのでそれなりに面白いが、斬新さや強烈な何かは感じない。確かにレイプ被害に関する、主に犯人との関係の部分が変な誤解をされかねない描写なので(意図的に複数の解釈ができるような演出にしているのだとは思うが)、そこは批判されるだろうなというのはわかる。ただ、私にはミシェルがごく普通の人物であるように見えたし、彼女の行動も特に特異なものではないように思った。
 ミシェルは平均よりはしっかりとした、頭のいい人として描かれているが、特別に意思が強いとか、モンスターのようであるという印象は受けなかった。理不尽なことがあれば怒るし、攻撃されたら身を守ったりやり返したりするし、気に入らないことは気に入らないし、やりたいことはやる。こういうのは普通のことだろう。それとも、こういう態度は普通ではないと取られるのが一般的なのか?だとしたら随分とカルチャーショックがあるな・・・。
 ミシェルはそれなりに意志は強くやりたいことはやる人だが、相応の躊躇や迷いもある。彼女がレイプされたと知っていながら「俺は気にしないから」とばかりにセックスしにくる愛人にややうんざりしながらも、結局は相手をする件など、結構流されていて意外だった。また、頼りない息子を結局甘やかしてしまうところも、やはり流されている。全面的に強いというわけではないのだ。そういう所を含め、実に普通だと思う。
 特異さを感じさせるのは、むしろ引っ越していく「彼女」だろう。別れ際の一言の背後にあるものを考えると、ちょっとぞっとする。そこでなぜ食い止めないの!と。少なくともミシェルは食い止めようとしているわけなので。「彼女」が支えにしているものを思い返すと、これまたぞっとする。それは、ミシェルの父親をある行為に駆り立てたものと同じところに根差すのだ。結局自分勝手な希求、解釈を否めない類のものなのかもしれない。
 ところでユペールは、母親と多かれ少なかれ確執のある役柄を演じることが多いように思う。本作も「母親が大変」物件でもあった。ただ、母親との関係は悪いけど母親に抑圧されている感じではないので、そこは他の作品とは一味違うかなと思う。そもそも本作はそれ以上に「父親が大変(どころじゃない)」物件なんだけど・・・。ミシェルが自分を縛るものをどんどん排除していく話なので、そこは爽快だった。

エル ELLE (ハヤカワ文庫NV)
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早川書房
2017-07-06


ピアニスト [DVD]
イザベル・ユペール
KADOKAWA / 角川書店
2014-06-27


『俺たちポップスター』

 幼馴染のコナー(アンディ・サムバーグ)、オーエン(ヨーマ・タコンヌ)、ローレンス(アキヴァ・シェイファー)はヒップホップグループ“スタイル・ボーイズ”として一世を風靡した。しかしフロントマンのコナーが突然“コナー4リアル”としてッソロデビューしグループは解散。オーエンはコナー専属DJになったが今や名ばかり、ローレンスはスタイル~時代にコナーが功績を独り占めしたことを恨み、田舎に引きこもって農場主になった。人気絶頂のコナーは新アルバムをリリースするが世間からは酷評され、あの手この手で売り上げを伸ばそうとするが全て裏目に出る。監督はアキヴァ・シェイファーとヨーマ・タコンヌ。脚本はこの2人に加えアンディ・サムバーグ。主演の3人が監督・脚本を務めているのだ。
 コナーを追う音楽ドキュメンタリーの体で作られているのだが、カメラに向かってのコナーの喋りやスタッフの紹介、「お仕事」風景「プライベート」風景、そして随所に挿入される実在のミュージシャン、セレブたちのコメント(カメオ出演のみの人も。よく出てくれたなーと感心を通り越して呆れた。特にコックの人。扱いがひどい)。あっこういうの絶対前に見たことある・・・的なシチュエーションをパロディ化していて、アメリカの音楽ドキュメンタリーあるあるギャグみたい。当然、アメリカの音楽やポップカルチャー、セレブネタが多いので、よくわからないところもあったが(私はアメリカのポップカルチャーには明るくないので)、そこそこ音楽好きなら笑っちゃう部分は多々あると思う。音楽に関しても、スタイル・ボーイズの楽曲といいコナーのソロ楽曲といい、こういう安い感じの曲どこかで聞いた・・・というポピュラーさとダサさの兼ね合いが絶妙。そして歌詞がはてしなくバカバカしい。字幕で見るとバカバカしすぎて逆に笑えないのが痛かった。
 基本的にバカバカしいコメディなのだが、どこかもの悲しさもある。コナーの栄枯盛衰の「おかしくてやがて悲しき・・・」感に妙に説得力がある。また、3人が元々幼馴染の友人同士だという所が悲哀を増しているように思った。長年の友人を羨まなくてはならないのって結構しんどいと思う。純粋に仕事上のみの関係だったら、コナーとローレンスはこんなに拗れなかったんじゃないかな。ずっと子供時代の友情を信じ続けられるオーエンのメンタルの強さはんぱないわ・・・。

俺のムスコ [DVD]
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2013-07-24

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2016-11-02

『アリーキャット』

 元ボクサーで今は警備会社のアルバイトをしている朝秀晃(窪塚洋介)は、行方不明の野良猫・マルを探していた。保健所でマルを抱いた男を見つけ声をかけるが、その男・梅津郁巳(降谷建志)はこの猫はリリーという名前で自分が飼うんだと言い張る。猫を介してマル、リリーと呼び合うようになった2人は、元恋人からストーキングされている土屋冴子(市川由衣)のボディーガードの仕事を秀晃がしたことがきっかけで、彼女を東京まで送り届けることにする。監督は榊英雄。
 窪塚と降谷という、ある時代のアイコン的な2人の共演。私は「ある時代」ど真ん中の世代なので、感慨深くもあり懐かしくもあり。本作の雰囲気自体、90年代のVシネとか漫画とかを彷彿とさせるように思う。どこがどう、と問われると答えにくいのだが、全体の設定のふわっとしているところとか、いきなり黒社会や政界が絡んでくるところとかかな・・・。
 とは言え懐古趣味という感じは全然しないし、窪塚も降谷も現役感がしっかりある。窪塚はここ2,3年でやっぱりスター感あるなと思うことが増えたし、演技の技術も明らかに伸びている(何せスコセッシ監督作に出演したしなー)。また降谷は、ここにきてそんな直球のあざとさ見せちゃう?!可愛い感じ出しちゃう?!という意外さを見せている。こういう人懐こいわんこ系キャラがハマるとは・・・。諸々可愛すぎてやばかった(私が)。
 秀晃も郁巳も決していわゆる勝ち組、社会の強者というわけではないし、清廉潔白で正義の味方というわけでもない。郁巳は人のいいお兄ちゃんと言う感じではあるが、秀晃はボクサー時代に諸々やらかしており決して褒められたものではなかったことが、徐々にわかってくる。そんな彼らが、なけなしの勇気と意地でふんばる姿がかっこ悪くもいじらしい。冴子親子に自らの生い立ちを重ね、自分の過去を振り切るかのように無謀な策に出る秀晃と、そんな秀晃への共感からか憧れからか、一方的に彼を鼓舞する郁巳。特に郁巳の能天気さ、無邪気さは時に秀晃をイラつかせるものなのだが、周囲の人たちを和ませ、徐々に彼らの拠り所になっていったようにも思えた。
 楽しく見たが、作中の女性の処遇が暴力にさらされるものな所、女性登場人物の造形がわりと単純な所は気になった。一方的な暴力は、フィクションの中とは言えやっぱり見ていてあんまりいい気はしないので(こういう所も古さといえば古さなのか)。

沈黙-サイレンス- [DVD]
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ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2017-08-02




『甘き人生』

 1969年、イタリアのトリノ。9歳のマッシモは母親が大好きだったが、ある日突然、母親(バルバラ・ロンキ)がいなくなってしまう。司祭から母親は天国に行ったのだと告げられるが、マッシモはそれを信じられない。1990年代、新聞記者になりローマで暮らすマッシモ(バレリオ・マスタンドレア)はまだ母親の死について受け入れられず、父親(グイド・カプリーノ)との溝も深くなっていた。原作はマッシモ・グラメッリーニの自伝的小説。監督はマルコ・ベロッキオ。
 まだ幼いマッシモに対して父親は、母親の死をとっさに隠してしまう。後日司祭が母親が亡くなったと説明するものの、父親が最初に「お母さんは出かけた」というような説明をしてしまったことが、マッシモの中でずっと尾を引いている。子供に死、特にマッシモの母親のような死に方をどのように伝えればいいのかというのは、イタリア(カソリック国であるイタリアでは、マッシモの母親の死は更に説明しづらいだろう)のみならずどの文化圏でも悩ましいことだなとしみじみ思った。父親の説明は明らかにまずいのだが、彼も動転しているし子供にこういうことをどう話せばいいのかわからないのだ。父親はその後30年にわたって息子に本当のことを言うことができないのだが、いくらなんでもちょっと無責任だろう。この父親は大変不器用で、マッシモに対する愛情はあるのだろうが、お互いに理解しがたい存在だったように見えた。唯一一緒に盛り上がったのはサッカー観戦だが、それもマッシモの過熱により頓挫してしまう。
 母の死を受け入れることに対する躓きが、中年になってもマッシモを縛っている。幼少時代の様子を見ればわかるように、マッシモは母親との結びつきがとても強い子供だった。母親との一体感が強すぎる為に、母親の死が受け入れられなかったとも言える。一歩引いて他人として見てみれば、彼女の死の真相はおおよそ見当がつくものだ。真相があいまいにされ続けてきたことで、母親は自分とは別の人間であるということも、またあいまいになっていたのではないだろうか。母親の死の真相がわかってようやく、母親であっても他人であり、何を考えているのかなど本当にはわからない、ということが受け入れられたのではないか。母親が不可解な存在であることと、母親に愛されていたことは、両立するのだ。
 1970年代から90年代のイタリアの文化的な背景が垣間見えるところが面白い。特に、音楽映画的な側面もあり、当時の流行音楽が盛りだくさん。少年時代のマッシモの友人宅はヴィスコンティの映画に出てきそうな邸宅なのだが、友人が部屋で大音量で聞いているのがDeep Purpleというミスマッチ感が愉快。どの時代でもロック小僧はエアギターやるのか・・・。

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