3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名あ行

『永遠のジャンゴ』

 1943年、ナチス占領下のパリで、ギタリストのジャンゴ・ラインハルト(レダ・カテブ)は毎晩のように満席のホールを沸かせていた。しかしナチスによるジプリー迫害は厳しくなり、ジプリー出身であるジャンゴの身も危うくなる。昔馴染みのルイーズ(セシル・ドゥ・フランス)の手引きでスイスとの国境にほど近いトンン=レ=バンに身をひそめるが、そこにもナチスがやってきた。ジャンゴはナチス官僚が集うパーティーで演奏しろと命じられる。監督・脚本はエチエンヌ・コマール。
 ジャンゴの演奏は聴いていると踊らずにはいられないものだ。しかしナチスは「踊らせる」要素、音楽の高揚感は悪しきものとして扱う。ジャズは黒人の音楽だからダメ、演奏しながら足でリズムを取るのはダメ、シンコペーションは5秒以内等、アホじゃないかというオーダーなのだが、ナチスは大真面目だ。音楽を過大評価しているようにも思えるが、人の心を煽るもの、熱狂させるもの、そして自分たちにコントロールできないものの力を危険視していたというのは分かる。だったらもっと早い段階でジャンゴも取り締まられていそうなものだが、ナチスの中にも音楽好き、ジャズマニアはいて、彼らが後ろ盾になっている。統制のとれたナチスという組織の中からも、音楽という要素によりはみ出てくるものがある。ある種の抗えなさが、音楽の力なのだろう(逆に、音楽の高揚感が人々の統率に使われることもあるが・・・)
 クライマックスで、ジャンゴはギター1本でナチスに対抗しようとするのだが、彼の音楽が高まっていくにつれ、その場の雰囲気がだんだん「ナチスの官僚が集う会」からずれていき、高揚が拡散されて乱痴気騒ぎ感が強まっていく感じにはワクワクする。ジャンゴのヒーロー性が発揮されるシーンでもある。しかし、彼が音楽で救えるのはほんのわずかなものだ。彼が作曲するジプシーの為のレイクエムは、自分と音楽が見殺しにしてしまった存在への贖罪でもあったのだろう。
 逮捕されたジャンゴが、体の測定をされるシーンがある。体を勝手に触られる、解釈されるのは、強い屈辱であり傷つくことだ。こういうシーンを見ると体温がさーっと下がる気がする。



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2011-10-29



『エンドレス・ポエトリー』

 故郷トコピージャから首都サンティアゴへ移住したホドロフスキー一家。父ハイメ(ブロンティス・ホドロフスキー)は商売に明け暮れ、息子アレハンドロ(アダン・ホドロフスキー)にも家業への参加を強いるが、アレハンドロは詩人としての道を歩みだす。監督はアレハンドロ・ホドロフスキー。
 『リアリティのダンス』の続編となる、ホドロフスキー監督の自伝的映画。父と少年時代の息子アレハンドロの物語だった前作から引き継がれ、今回は青年時代のアレハンドロが旅立つまでの物語となる。撮影はクリストファー・ドイル。色が鮮やかかつ透明感があり、ホドロフスキーのちょっとどろみのある作風を中和しているように思う。本作、映像にはっとするシーンがいくつもあった。カーニバルの群衆シーンは高揚感あり素晴らしい。同じ群衆シーンでもファシズムの予兆と不吉さ満載の行進シーンと、セットで本作を象徴する映像になっていると思う。
 冒頭、「書き割り」による過去の街が出現し、ハリボテの汽車が動き出す瞬間にはっとした。ああこれが映画だ!という感じがしたのだ。作りものである、しかし現実よりもより輪郭がくっきりしているというような。本作はホドロフスキーの実体験が元になってはいるのだろうが、あくまで自伝「的」なものであって、フィクションだ。ホドロフスキー個人の体験となった時点で、その出来事はホドロフスキー個人のフィルターを通したフィクションになっているとも言える。そのフィクションを映画として再構築したのが本作で、冒頭の過去の街の現れ方は、それを明瞭に表していると思う。
 自分の体験、人生を咀嚼し直し、再構築することはフィクションの持つ機能の一つだろう。本作では特に父親との関係に如実に現れている。母、あるいはアレハンドロのミューズであった女性たちとの関係は、彼にとって不可解ではあるが都合のいいものとしての側面が目立った。しかし、父親はコントロールの範疇外であり理解の糸口も見えない。最後のシーン、ホドロフスキーは実生活での父親との和解には至らなかったそうだが、だからこそこうせずにはいられなかったんだろうなという切実なものがあった。

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タロットの宇宙
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『アトミック・ブロンド』

 冷戦末期、西側に極秘情報を渡そうとしていたMI6の諜報員が殺され、最高機密の行方がわからなくなった。MI6の諜報員ロレーン・ブロートン(シャーリーズ・セロン)は機密リストを奪還し、裏切り者の二重スパイを特定するという任務を命じられた。西ベルリンに赴いたロレーンは、現地エージェントのデヴィッド・パーシヴァル(ジェームズ・マカヴォイ)に接触する。監督はデヴィッド・リーチ。
 最近のいわゆる「アクションがすごい」(例えば本作監督のリーチが製作・共同監督を務めた『ジョン・ウィック』のような)は、アクション自体はすさまじいスピード、破壊力に見えても、そんなに痛そうには見えない場合が多いと思う。いちいち痣や切り傷、擦り傷まで見せたりしないし、そもそもなかなか死なない。しかし本作は、「アクションがすごい」ことに加えて、アクションにより受けるダメージが生々しく、かなり痛そうだ。いちいち痣は出来るし怪我をして血がにじむし、殴られたり高所から落ちたりしたら、すぐには動けない。怪我をしたらなかなか治らない、というのは普通のことなのだが、本作のような映画でそれをきちんと見せられると最早新鮮に見える。このくらいの打撃を加えられたらこくらいのダメージを受ける、という具体性があるのだ。
 また、ロレーンが女性である=同業の男性に比べると筋力が少ないという設定をふまえたアクション設計で、自分よりウェイトがある・腕力のある相手をどう倒すかという所も面白かった。フライパンやら椅子やらで戦い、双方ズタボロになっていく様は見ようによってはコミカルだが、ズタボロさ、ヨレヨレ加減(足元のふらつき方)に妙に生々しさがある。ロレーンは、非常に強いが無敵というわけではないのだ。原作がグラフィックノベルだというから、もっとマンガ的な無敵っぷりなのかと思っていたが、そこまでではない。しかし、そこが魅力になっている。傷と痣が残っていても、露出の高いドレスを堂々と着こなすあたりも素敵だった。彼女はそういう職業であり、そういう人なんだなとよくわかるシーンだったと思う。
 アクション以外の部分が意外と地味なスパイ映画になっているのも意外だった。青を基調に赤をアクセントにしたビジュアルはスタイリッシュ(ちょっと懐かしめの感じだけど)だが、話が案外泥臭い。泥臭いというよりも、あまり建て付けがうまくなく実際以上に込み入って見えてしまうと言った方がいいか。どの登場人物もずば抜けて聡明・計算高いというわけではなく、自分がやっていることが大きい図式の中でどのあたりのパーツになるのか読み切れていない感じ。その読み切れなさが、冷戦当時のスパイものっぽく哀愁漂う。ロレーンについても同様・・・なのだがこのラストだとなぁ・・・。一つ上の階層からの視線が入ってしまう気がする。
 なお、音楽のセレクトは素晴らしい。あの時代っぽさと今っぽさのさじ加減が抜群だと思う。終盤、ある曲が流れると、ああ時代が変わった!って気分になるところも説得力あった。

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寒い国から帰ってきたスパイ
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『愛を綴る女』

 フランス南部の村に住むガブリエル(マリオン・コティヤール)は、愛を乞うあまりエキセントリックな言動に走り、村では噂になっていた。母親は彼女をスペインから来た労働者・ジョゼ(アレックス・ブレンデミュール)を結婚させる。しかしガブリエルはジョゼに「あなたを愛することはない」と告げる。腎臓結石の治療の為に療養所に入ったガブリエルは、そこで帰還兵アンドレ(ルイ・ガレル)と出会い恋に落ちる。原作はミレーナ・アグスの小説『祖母の手帖』。監督はニコール・ガルシア。
 原作は、孫が祖母=ガブリエルの手記を読んで彼女の過去を紐解くという構成だったのだが、手記=ガブリエルの一人称ゆえに、その内容はあくまで主観によるもの、「信用できない語り手」によるものだ。この足元の不確かさ、あいまいさが作品に奥行きを与えていた。真相らしきものが現れても、どこか胡散臭さが残るところが魅力なのだ。しかし映画化された本作は、その語りのあいまいさが失われてしまった様に思う。そもそも映像での一人称演出は難しいので、見せ方としては本作のやり方で問題ないのだが、最後の「種明かし」的な部分が唐突だし、明瞭すぎるのだ。これだと、「ようやく目が覚め真実の愛に気付きました。めでたしめでたし」って感じだ。でも、本作はそういう作品ではないはずだと思う。
 人は主観でしか生きられず、どのような愛がその人にとって適性なのか、選ぶのは本人でしかない。それが周囲からは狂っているように見られても、そうあるしかないという人は確実にいるのだ。ジョゼは客観的には良き夫であり、ガブリエルに尽くしていることがわかる。だがガブリエルが求めるのはそういうものではない。彼女の生活がジョゼに支えられているとか、ジョゼは彼女のことを愛しているだろうとか、そういうことはわかっていても、どうしようもない。一見、長年連れ添いジョゼとガブリエルの間に愛が生まれたようにも見えるんだけど、多分、ガブリエルにとっては愛とはちょっと違うんだろうな。
 原作読者としてはいまひとつな部分がある映画化だったが、人と人の距離感の見せ方には映像ならではの面白さがあった。特に冒頭、運転中のジョゼが息子(ある事情によりひどく緊張している)に対して見せる振る舞いは、父子の親密さを感じさせるものだ。ガブリエルも同乗しているが、今一つ息子の様子を察していない。夫や息子に対してどこか上の空な感じ。独身時代のガブリエルと両親妹との関係も、食卓のシーンで端的にわかる。



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『亜人』

 研修医の永井圭(佐藤健)は、交通事故死した直後に生き返る。世界各地で出現が確認された、何度死んでも蘇る新人類「亜人」になってしまったのだ。亜人研究施設に収容され過酷な実験の被験者にされていた圭は、同じく亜人の佐藤(綾野剛)に助けられる。しかし佐藤は「亜人特区」を求めて大量虐殺も厭わないテロリストだった。佐藤からも逃げ出した圭は、亜人と人類との戦いに身を投じていく。原作は桜井画門の同名漫画、監督は本広克行。
 原作は未読、アニメシリーズは2期とも見たが、とても面白くよくできていたと思う。本作は実写化映画だが、原作とは大分改変されている(と思われる)し、相当かいつまんだ話になっている。展開は早く、109分と比較的短い尺。この設定だったらこんな感じだって大体わかるよね!という観客に委ねる部分が大きいと思うし、多分原作未読でも支障ないのではないだろうか。
 映画としてはすごく割り切った作りというか、注力部分とそうでない部分の落差が大きい。いわゆる人間ドラマや個々の登場人物の心理描写等は大分大雑把で、お世辞にも繊細とは言えない。それいちいちセリフで言わせるの?という興ざめな部分も(セリフ説明自体は実際はそんなに多くないのだが、なぜわざわざそれを言わせる・・・)。サスペンスとしての筋立ても大分脇が甘く、極秘のはずなのに研究室の場所何で変えないの?!とか、そもそも社長室にそんなもの置くなよ!とか、突っ込み所だらけでお世辞にもストーリーテリングが巧みとは言えない。本作はとにかくアクション一点張りで、そこに勝負かけている感がある。最近の日本映画ではHiGH&LOWシリーズに並ぶ新鮮さだった。
 CGで作られた「幽霊」を駆使した亜人同士の闘いはもちろん見所なのだが、意外とガンアクションに力が入っている。弾薬を装填して発射して、再装填して、という一連の流れを途切れずに見せており、これは銃器が好きな人が演出しているのかなという印象だった。綾野が拳銃からライフルまで幅広く銃器を扱うのだが、動きが様になっていた。本作、綾野のアクション演技の精度が大変高く、元々かなり動ける人だとは知っていたけど、ここまで来たか!と。このままアクションスターになっちゃうんじゃないかという勢いで、本作のアクションのすごさはほぼ彼が担っていると言ってもいいのでは。体もしっかり鍛えており、二の腕のがっちり感に驚いた。
 なお、メディアを使って「世の中」を見せる演出が大分ダサい。これ10年くらい前のセンスじゃないの?本広監督はそのあたりの感覚に無頓着なのかな・・・『踊る~』の頃からあんまり変わっていない気がする。

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『エイリアン コヴェナント』

 地球が滅びつつある時代、人類移住計画を託された宇宙船コヴェナント号には、コールドスリープ状態の乗組員の他、長い航海の間、船の管理を任されているアンドロイド・ウォルター(マイケル・ファスベンダー)が乗船していた。しかし船にトラブルが起き、乗組員たちは予定外にコールドスリープを解除される。人間からと思われる信号を辿り未知の惑星に辿りつくが。監督はリドリー・スコット。
 私はエイリアンの造形とシチュエーション(密閉空間で次々に襲われる系)がとにかく苦手で、エイリアン3部作はTVで放送されている時にちらっと見ている程度(しかし『エイリアンVSプレデター』は劇場に見に行っていることを思い出した・・・あれはちょっと別枠ですよね)、前作『プロメテウス』は当然見ていない。更にリドリー・スコット監督作品自体が苦手で、はっきりと面白いかつ好きだと思えたのは『オデッセイ』のみ。しかし本作を見た人たちの反応がどうにもおかしなことになっているので、気になって挑戦してみた。
 結論から言うと、エイリアン初心者の目からも「それ、エイリアンいります・・・?」的案件だったように思う。確かに、前3部作におけるエイリアンがいかに生まれたかという話ではあるのだが、それ以外の部分に熱が入りすぎていて、『エイリアン』的部分が取って付けたような作り。ホラー映画のお約束的展開で、意外性もないしなぜいきなりこれを?という疑問ばかり膨らむ。SFとしても『オデッセイ』撮った(まあ原作が良くできていたわけだけど・・・)人とは思えない杜撰さ。近年のSF映画では、未知の惑星に降り立つ時には(大気の成分調査済みであっても)外気を遮断するヘルメットの装着はもはやセオリーだと思うのだが、本作はいきないノーヘル。これにはのけぞった。上陸後もそれは環境汚染では?逆に宇宙船内を汚染することになるのでは?と突っ込み所がありすぎる。つまり、撮る側がこういう部分はわりとどうでもいいと思ってるんだろうなぁ・・・。
 本作のメインはデイヴィッドの創造主病というか、クリエイションに対する妄執だろう。オリジナリティは持たないはずの「作りもの」が自分の創造主をエサにして新たな創造主になろうとするわけだが、それをエイリアンと絡める必然性て、あまり感じないんだよな・・・。
 なお俳優陣に関してはファスベンダー独り勝ち。ウォルターとデイビッドをちゃんと演じ分けているのには感心した。そもそもファスベンダー以外を魅力的に撮ろうという意欲が見受けられない。

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『アウトレイジ 最終章』

 韓国滞在中の花菱会幹部・花田(ピエール瀧)がトラブルをおこし、日韓を牛耳るフィクサー・張会長(金田時夫)の手下を殺してしまう。張会長の保護を受け韓国にいた大友(ビートたけし)は花田を追い日本へ。一方、花菱会では会長の野村(大杉漣)と若頭・西野(西田敏行)の間で亀裂が深まっていた。韓国での事件を利用し、張グループもまきこみ花菱会のトップ争いが始まる。監督・脚本は北野武。
 前2作に比べると事件の全容というか、アウトラインがぼやっとしているなという印象。飛び抜けて頭がいい、悪賢い人がいるというよりも、全員そこそこの悪賢さで、小物が小競り合いをしているという印象だ(ただし張は別格の得体の知れなさを維持している)。野村はいくらなんでも組長として脇が甘すぎるように見えるし、それよりは上手であろう西野も、少々行き当たりばったりのように見える。元会社員と生粋のやくざの差が描かれていた。が、彼らの行動は分かりやすいと言えば分かりやすい。欲がはっきりとしており、ある意味単純。そして彼ら自身、相手も同じように欲を持っている、金や権力を志向して行動していると考えている。だからこそ、そこから逸脱していく大友の存在は不可解であり、薄気味が悪いのだろう。
 大友の行動原理はシリーズ1作目から一貫していると言えばしている。昔ながらの任侠道とは言い切れない(そこまで人情に篤くはなさそうだし、興味ない相手には心底興味がない)が、金で動くというわけでもなく、シマを広げたいというわけでもない。既に拠り所を失い、本作では更に幽霊のような存在としてふらふらとうろついているように見える。大友という幽霊が成仏するまでの物語であるようにも見えた。大友の行動原理は彼の内部にしかないので、傍から見たらえっそこで止めちゃっていいの?とあっけにとられるのだ。
 とは言え、悪い奴、悪くて現実的な奴は幽霊の存在など、多少薄気味悪いと思っても気にしないし、幽霊でさえ道具にして生き残りのし上がるのだろう。

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『エルネスト もう一人のゲバラ』

 1962年、ボリビアからキューバのハバナ大学医学部に留学したフレディ前村エルタード(オダギリ・ジョー)は、キューバ危機の最中にチェ・ゲバラ(ホワン・ミゲル・バレロ・アコスタ)と出会い心酔していく。やがて祖国ボリビアで軍事クーデターが起きる。フレディはゲバラの部隊への参加を決意する。監督は阪本順治。
 革命という言葉からイメージするような劇的なドラマはなく、1人の青年の大学生活、そして背景となる時代の動きを描く青春ドラマとして見た。特にキューバ危機をキューバはどのようにとらえていたのかと言う、内部からの視線は興味深かった。冒頭、ゲバラが広島訪問をするエピソードがあり、それをわざわざ入れるの?と思ったのだが、ここにつなげてきたのかと。
 青春ドラマとしても大分控えめ、情感抑え目で一見地味な作品ではあると思うし、時代背景をある程度知らないと何が起きているのかわからない(ゲバラがどういう人かということと、キューバ危機くらいは知らないときついかも)所もあるだろう。とは言え、フレディがどのような人であるか、ということはかなり丁寧に描いているように思う。
 フレディの行為に対して同級生が「彼の両親は立派だったんだな」とコメントするシーンがあるが、ああいった行為を親の教育、振る舞いの賜物と見なすんだなとはっとした。そういう感覚って、今はあまりなくなったんじゃないかなと。フレディの言動の端々から生真面目で責任感が強い人柄が窺える。そして、多少経済的に余裕のある、「ちゃんとしたおうち」に育ったということが徐々にわかってくる。
 ただ、彼の真面目さと経済的背景が、裏目に出ることもある。同級生に「君には本当の貧しさはわからないだろう」と言われるシーンがある。同級生はとにかく早く医者になって家族を食わせなくてはならないと必死で、フレディのように学生運動に参加している余裕はない。国のこと、政治のことは生活の余裕あってこそ考えられるということか。フレディは責任感によって行動しているわけだが、相手にとっては施しに見えることもある。そしてこのギャップが、最後にしっぺ返しとなってくるのだ。これは、ゲバラにも通じるものではなかったかと思う。断絶を埋めようとするものだったろう行為が、更に断絶を可視化し深めるものになってしまうのだ。
 フレディは個性が突出していたりカリスマ性があったわけではないが、道端の小石にすぎなくとも善良な一個人として生きようとしたのだろう。しかし、やはり何者かになりたかったんだろうなとも思える。呼び名として与えられた「エルネスト」の名は、与えた側にはさほどの意味はなかったかもしれないが、フレディにとってはやはり大きな意味があった。そこが何だかやるせなくもある。

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『幼な子われらに生まれ』

 40代のサラリーマン田中信(浅野忠信)と妻の奈苗(田中麗奈)はバツイチ同士の再婚で、奈苗の連れ後の薫(南沙良)と恵理子(新井美羽)と暮らしている。奈苗が妊娠し、3人目の子供の誕生を控えているが、信は左遷にあってしまう。また薫は信と距離をおくようになり、「本当のパパに会いたい」と言いだす。原作は重松清の小説。監督は三島有紀子。
 信は仕事で出世することよりも家族と一緒に過ごすことを優先するし、家族思いではある。しかし、大人になりつつある血の繋がらない娘との関係は難しいものになっていくし、奈苗の話を聞く心の余裕もなくなっていく。夫として、父親としての不完全さが露呈していくことになり、だんだん家に帰りたくなくなってしまうのだ。奈苗に対して、それを言ったら関係崩壊するぞというような言葉まで投げつけてしまう。
 それでも、信が幼い薫と恵理子の「父親になる」と決意するシーンはとても印象に残った。現在の彼は迷うことばかりだし家族の中には不協和音が充ちている。信も奈苗もいわゆる「出来た」人間ではなさそうだし、夫・妻としても親としても色々至らないところはある。それでも、この時の気持ちに立ち返ることが出来れば、何とか踏ん張れるのではないかと思わせるのだ。奈苗が信と前妻の娘に対して、とっさに保護者としての表情を見せるシーンにもはっとした。
 このように大人の不完全さを描く良いシーンもあるのだが、正直なところ、色々とひっかかる部分も多かった。奈苗が妊娠ハイとでも言えばいいのか、妙に能天気に見えてしまうので、この人をどのようにとらえればいいのかともやもやする。また、前妻(寺島しのぶ)の言葉は随分「台詞」感があって、他の部分から多分に浮いていたように思う。前妻が抱えるプレッシャーや息苦しさと信の無理解には、こういうシチュエーションてあるよなーという「あるある」感が強いのに、前妻の言葉は作りものっぽい。セックス中の振る舞いにも、彼女が心配していることからするともっと他に言いそうなことあるんじゃないの?!と興ざめした。本作はあくまで信の視線によるもので、奈苗の能天気さや妻の芝居がかった態度は、彼にとって「そう見える」ということなのかもしれない。しかし、奈苗や前妻も信と同様に惑っているはずだ。女性たちの描写がほぼ紋切、しかも古臭いタイプの紋切型に見えてもったいなかった。
 なお、俳優の中では奈苗の前夫役の工藤官九郎が素晴らしかった。絵に描いたようなダメさ!ぱっと見るだけでこいつクズだなと思わせるクズオーラの出し方が素晴らしい。



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『あさがくるまえに』

 17歳のシモンは交通事故に遭い、脳死状態と認定された。医師はシモンが組成する可能性はまずないとして、臓器提供を求めるが、両親は突然の出来事を受け止められない。一方、音楽家のクレール(アンヌ・ドルヴァル)は心臓病が悪化し、移植を勧められていたが、決心しかねていた。監督はカテル・キレヴェレ。
 ある1日、正に「あさがくるまえ」に大きな決断を迫られる2組の家庭を両側から描く。家族を突然亡くした混乱と悲しみや、移植に対する恐怖など、普通と言えば普通のことを描いているのだが、心のゆらぎを丁寧に追っており、通り一遍な感じはしない。思考が硬直したように臓器提供を拒むシモンの父親や、徐々に心が動いていく母親(エマニュエル・セニエ)、2人は別居しているが、悲劇を前にまた支え合う姿を見せる。自分は若者とは言えないのに、他人の臓器を使ってまで延命していいのか迷うクレールの姿や、彼女を思いやりつつも苛立ったり弟への嫉妬を隠せなかったりする息子。クレールとパートナーだった女性ピアニストとの、かつての親密さの名残(しかし今現在でも思いやりは確かにある)も印象深い。
 当事者はもちろんだが、医者や移植コーディネーター(タハール・ラヒム)の心もまた揺らいでいるのだ。シモンについている移植コーディネーターが、臓器提供が決まり医者と喜ぶシーンがある。しかし、あっけらかんと「喜びのポーズ」を決める医者に対して、コーディネーターは若干微妙な表情をする。医者(や移植を受ける側)にとっては喜ばしくても、シモンの家族の心情を想像すると、やった!とは言えないだろう。コーディネーターは両方の側に立っているのだ。
 シモンが早朝に自転車で町を掛ける情景、サーフィンする様や海の中等、はっとするような美しさがあり惹きつけられる。彼を襲う事故のことを思うとその美しさがやりきれないが、日常ってこういうものかもしれないなという気もする。ふいに美しい瞬間が立ち上がるが、その先どうなるかはわからない。美しさも惨酷さもいきなり訪れる。

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2012-01-27


移植医療 (岩波新書)
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2014-06-21

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