3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2022年04月

『パリ13区』

 コールセンターで働くエミリー(ルーシー・チャン)はルームシェア相手を募集中。応募してきたのは高校教師のカミーユ(マキタ・サンバ)。エミリーはカミーユをセックスフレンドとしても受け入れる。32歳で大学に復学したノラ(ノエミ・メルラン)は金髪のウィッグを着けてパーティーに出るが、その姿がポルノ女優のアンバー・スウィートに似ていた為に本人だと思い込まれてしまう。監督はジャック・オディアール。オディアールと、セリーヌ・シアマとレア・ミシウスとの共同脚本なことでも話題の1作。
 先日見た『カモン カモン』に引き続きモノクロ映画(しかも都市の遠景から始まるという共通点も)なのだが、同じモノクロでも『カモン カモン』とは質感が全く異なり、こういう所が映像の面白さだなと思った。本作のモノクロはいたってクール。全体的に温度・湿度を下げる効果になっている。ノスタルジックな『カモン カモン』のモノクロに対し、見ている側を少々突き放した印象だ。
 題名にもなっているパリ13区に登場人物たちは暮らしているが、この地域は再開発地区で、高層住宅(高級マンションというより団地的な雰囲気)が立ち並んでいる。移民も多いそうで、エミリーは台湾移民一族であることが作中で言及されている。彼女のご近所さんにはアジア系移民が多い様子も垣間見えた。また、ノラは移民ではないが元々パリに暮らしていたわけではなく、復学の為にボルドーから出てきたいわば「上京」組。外部からやってきた人たちが作り上げた生活圏としてのパリが描かれている。アイコン的な「パリ」よりかえって等身大で親しみを感じる所もあった。高学歴だが職がないエミリーの苦労が身につまされる人も多そうだ。
 エミリーとカミーユは自分の欲望に率直だ。しかし率直な人同士であっても、あなたの欲望と私の欲望は違う、ということが全編通して描かれているように思った。だから孤独を感じるし、欲望の対象に対して過剰なものを望んでしまう。片思い状態のエミリーはともかく、カミーユの望む恋人像はそれ無理じゃない?自分に都合よすぎない?というもの。彼はその理想をノラに(一方的に)見出して夢中になるわけだが、ノラが彼女自身の欲望と向き合うとその理想は崩れ、2人の関係も変わってしまう。
 ノラが被害を受ける性的な揶揄・中傷はひどいものなのだが、これもまた自分の欲望を勝手に対象に投げつけるという行為だろう。それが気軽にできてしまうネット、SNSの弊害はやはり大きい。ノラが受けた被害は(彼女が「一発かました」とはいえ)結局そのまま放置されているので、もやもやしてしまう。

キリング・アンド・ダイング
トミネ,エイドリアン
国書刊行会
2017-05-25


サマーブロンド
エイドリアン トミネ
国書刊行会
2015-09-10



 

『カモン カモン』

 ニューヨークに住むジャーナリストのジョニー(ホアキン・フェニックス)は、9歳の甥ジェシー(ウッディ・ノーマン)の面倒を見てほしいと妹のヴィヴ(ギャビー・ホフマン)から頼まれる。ロサンゼルスのヴィヴの家でジェシーと暮らし始めたジョニーだが、好奇心旺盛でお喋りなジェシーに振り回されっぱなしだ。仕事で急遽ニューヨークに戻ることになったジョニーは、ジェシーを連れていくことにする。監督はマイク・ミルズ。
 モノクロ作品なのだが、すごくカラフルに見える。そこに色が、生き生きとした生活があるように見えるのだ。冒頭の町の遠景、空撮からすごく美しく、親しみのあるものに見えてきて(NYに行ったことなどないのに!)なぜか泣けてきた。渋滞している道路がこんなに魅力的に見えるとは。本作のモノクロの美しさは、映し出される風景を一種のファンタジーに見せる。生活に根差したファンタジーではあるのだが、その生活が一段階いいもののように見えるフィルターとして機能しているように思った。
 ジョニーに対するジェシーの圧倒的な他者性が強烈だった。子供と大人という立場の違いはあるが、それ以上に別の存在であるというインパクトがあった。ジェシーは自由奔放で我儘な子供のように見えるし、実際、常にジョニーが全力で自分に関わることを求めるので、ジョニー側は相当大変だ。子供が、この大人は自分にどのくらい関わってくれるのか?本気なのか?ということをずっと試しているという側面もあったろう。本気でない大人は見限られるのだ。これを24時間365日続けなければならない親って大変だな…。特に母親に対しては往々にして完璧な母親を求めてくるから、ヴィヴの苦労には同情してしまう。
 ただ、ジェシーが我儘一辺倒かというとそういうわけではないだろう。ジェシーはジェシーで子供なりに気を使っているし我慢している。9歳の子供にとって母親と離れる(しかも父親が不調で妻のサポートが必要という理由だし)、疎遠な伯父といきなり2人暮らしをしろというのはかなりハードル高いだろう。ジェシーのにぎやかさは不安さと一体になっているのかもしれない。だからジョニーに対する要求度が高いのだ。
 一方、ジョニーは決してダメな大人というわけではないが、子供と生活することには慣れていないので色々と不注意が多い。親の承諾があいまいなままNYに同行させてしまうというのはかなり問題があるだろう。彼は色々な子供にインタビューをするプロジェクトを進めており、子供に対するインタビュアーとしては上手に対応している。この上手さは とは言え、ジェシーと生活するうちに子供に対する大人の責任を引き受けていくようになる。面倒くさくても他人と本気で向き合うようになるのだ。この本気は、妹や母、そしてもしかすると別れたパートナーに対して彼がずっと避けてきたことだったのだろう。大人になるのは面倒くささを引き受けていくことでもある。
 ただヴィヴが、亡き母に対しても子供に対しても夫に対しても一貫してケアする存在であることは、ジョニーとの非対称さがあり少々辛かった。家族内(だけではないが)だと女性がこういう役割をより負いがちだ。彼女には独立した一個人として他の面もあることは提示されるが、今後もケアに比重を置いた人生にならざるをえなさそうなところがまたきつい。

20 センチュリー・ウーマン [DVD]
ビリー・クラダップ
バップ
2017-12-06


人生はビギナーズ [DVD]
ゴラン・ヴィシュニック
アミューズソフトエンタテインメント
2012-08-03




『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』

 1862年にスウェーデンで生まれたヒルマ・アフ・クリントは、スウェーデン王立美術院で学び、職業画家として伝統的なスタイルの絵画作品の製作をし、成功を収めた。その後、神秘主義に傾倒し、同じ思想を持った女性芸術家4人と芸術家集団「5人(De Fem)」として活動。抽象絵画表現を推し進めた。しかし死後、遺言により作品は公開されず、美術史からは忘れ去られていた。彼女の人生と表現を追うドキュメンタリー。監督はハリナ・ディルシュカ。
 ヒルマ・アフ・クリントという画家のことは全く知らなかったのだが、本作の中で紹介される作品はかなりインパクトがある。ポップで軽やか、リズミカルだ。そして思っていたより相当大きい作品が多い。また連作も多く、実際にまとめてみることが出来たら、かなり見ごたえがありそう。2019年にグッゲンハイム美術館(ほかの国も巡回したそうだ)で回顧展があったそうだが、日本にも来てほしかった。
 一般的に最初に抽象画を確立したのはカンディンスキーということになっていると思うのだが、それよりも彼女の方が早い。なぜアフ・クリントが忘れられていたのかというと、本人の遺言で死後20年の作品の公開が控えられていたということも一因だが、何より彼女が女性だからだろう。美術の世界も他の世界と同じく男性が牛耳っており、女性は見えないものにされていた。生前に多少活躍していたとしても、記録に残りにくい・記録に残らないので研究対象になりにくい・そのうち忘れられてしまう、という悪循環だったのだろう。近年の美術史研究ではそういった中で見落とされていた女性作家が掘り起こされ、再発見されるという流れが生まれているそうだ。そこそこ知名度のある男性作家のものと思われていた作品が実は女性作家のものだった、という事例を実際に見ることがあるが、そういう事情があったのか。美術の世界が案外権威主義だし、マーケット含めまだまだ男社会だということも、女性研究者や画商の言葉から垣間見えた。
 ただ、アフ・クリントが忘れられていたのは、彼女が神秘主義に傾倒していたからという要素もあるかもしれない。文脈が独特でとっつきにくいとか紹介しにくいといった事情が当時からあったのでは。現代の視点で見るとポップでカラフルなのだが、彼女自身はそういう「かわいい」意図で描いていたわけでもないのだろう。神秘主義との関係や、それが作品にどのように反映されているかという部分へは作中あまり言及がない。この辺りはもっと知りたかった。ルドルフ・シュタイナーに自分を売り込んだりしているので、かなりガチな人だったのではないかと思うが。
 アフ・クリントの作品の紹介といった感じで、その生涯や作品の特徴、表現の変遷についてはもう少し掘り下げてほしかった。ただ、まだ研究が進んでいないということかもしれない。10年後、20年後に同じ題材でドキュメンタリーを作ったら、また違った内容になってくるのでは。なお本作、スウェーデンの自然の風景が随所で映し出されるが、ありきたりなようでいてこれがよかった。アフ・クリントの作品の色彩やフォルムは、自然の中にある色彩やフォルムと地続きであることがイメージとして腑に落ちる。

Hilma Af Klint: The Secret Paintings
Art Gallery of New South Whales
2021-10-31



『夏のヴィラ』

ペク・スリン訳、カン・アンファ著
 海外旅行中に出会ったドイツ人夫婦と親しくなり、夫と共にカンボジアのヴィラへのバカンスに誘われた「私」。しかし夫とは気持ちがすれ違っており、ドイツ人夫婦ともある諍いが起きる(「夏のヴィラ」)。パリ留学中の「私」は、企業の現地駐在員として滞在している韓国人女性と親しくなり、異郷での心細い日々から救われる。彼女とは頻繁に食事をしたり遊びに行ったりと親友としての関係が続くが、「私」はやがてフランス人男性と結婚する(「時間の軌跡」)。母国と異国との間で、また他者と間で戸惑う、8編を収録。
 異邦人としてフランスに滞在するシチュエーションが多くみられるのは、著者の実体験を反映させているのだろうか。最初に収録されている「時間の軌跡」でも如実なのだが、異なる言語、異なる文化で自由を感じる部分と摩耗していく部分(こちらの方が大きいか)の描写が迫ってくる。特にフランス人である夫との祖語、常に相手に譲歩しているという感覚がしんどい。また、そういった環境の中で友情を培ってきた友人との距離が徐々に開いていく様が胸に刺さる。2人が時間を共にすることはもう難しくなってしまったという変化の悲しさと同時に、彼女の何を自分は知っていたのか、という悔恨がにじむ。
 「この人の何を自分は知っていたのか」というシチュエーションは他の作品でも見られる。「夏のヴィラ」ではドイツ人夫婦の文化的・歴史的背景に対する無頓着さと私夫婦との経済格差への無自覚さが、実によくありそうな話であるだけに居心地の悪さを感じさせる。「ブラウンシュガー・キャンディ」で描かれる祖母のあったかもしれないロマンスも、「大雪」の母親の圧倒的な他者としての存在も、すぐそばにいる人が未知の存在であるという側面を描いている。「まだ家には帰らない」の最後の段落の凄みには震えた。どの掌編も静かで美しいが、その中に読者をぶん殴るような箇所が潜んでいる。個人的には「ひそやかな事件」の最後が身につまされすぎた。

夏のヴィラ (韓国女性文学シリーズ)
ペク・スリン
書肆侃侃房
2022-04-01


惨憺たる光 (韓国女性文学シリーズ6)
ペク・スリン
書肆侃侃房
2019-06-27


 

『まとまらない言葉を生きる』

荒井裕樹著
 近年「言葉が壊れてきた」。言葉が壊されるとは、人の尊厳を傷つけるような言葉発せられ、生活圏に紛れ込んでいること。また社会に大きな影響力を持つ人が、対話を一方的に打ち切ったり、説明を拒絶したり、責任をうやむやにしたり、対話をあおったりする言葉を発したりすることから感じられる。そういった行為は、言葉の持つ信頼性を損なうものだ。それにあらがっていく言葉をそっと紹介する18編のエッセイを収録。
 本著で紹介される言葉は、主に障碍や病気を持った人のものだ。著者が「被抑圧者の自己表現」をテーマとした文学研究を行っており当事者との交流が深いという事情もあるだろうが、何より彼らがメインストリームから外れた場所にいる、往々にして「みんな」からはじかれがちな人々だからだろう。大文字の主語からは零れ落ちてしまう認識や感覚を救い取っている言葉なのだ。それは近年とみに好まれる「わかりやすさ」では表現しえないものだ。わかりやすい言葉を使うことは、様々な多様なものを切り落としていくことでもある。自分が今「みんな」側にいたとしても、いつ切り落とされる側になるかわからないのに、皆そういうことをあまり考えないんだろうかと度々思っているのだが、本著はわかりやすさの危険さに言及し続けており、深くうなずいた。同時に、自分もまたわかりやすさに乗っかってしまわないかどうか常に自戒が必要だと感じた。わかりにくさ、複雑さと向き合い続けることは面倒くさいし体力がいる。わかりやすさが好まれる社会は、余裕がない(知的な体力に回せる余力がもはやない)社会でもあると思う。
 本著は広く読まれてほしいのだが、真っ先に読んでほしい人たちはこういう本は読まないし、仮に読んだとしても全く意に介さないんだろうなぁという諦めもある。私のように、なんとなくもやもやしているけど言語化できないという層にまずは届いてほしい。

まとまらない言葉を生きる
荒井裕樹
柏書房
2021-05-13


障害者差別を問いなおす (ちくま新書)
荒井裕樹
筑摩書房
2020-04-17


『ハッチング 孵化』

 フィンランドの静かな町で両親と弟と暮らす12歳の少女ティンヤ(シーリ・ソラリンナ)は、体操大会での優勝を目指している。母親(ソフィア・ヘイッキラ)は家族の幸せそうな生活を撮影し、動画配信している。ティンヤの大会優勝は母親の夢なのだ。ある夜、ティンヤは森で奇妙な卵を見つける。家族には内緒で卵を温め続けると、やがて卵からあるものが生まれる。監督はハンナ・ベルイホルム。
 北欧の映画を日本で見られる機会も増えてきたが、フィンランド発のホラー・ダークファンタジーというのは初めて見た。家の裏手はすぐ森になっているというロケーションがまたいい。何かがそこに潜んでいる雰囲気がじわじわくる。ただし物語の立て付けはいたってオーソドックス。王道の母娘の葛藤ドラマだ。ティンヤの母親はかつてアイススケートの道を断念した自分の夢を娘に託しており、ステージママぶりに余念がない。更に動画で「素敵な家族」をアピールしているので、ともすると娘はまず動画の素材であって、彼女個人の意思や個性は後回しになっているきらいがある。母娘が同一化されているのだ。ティンヤはそれでも母親を愛しており、彼女を喜ばせたい一心で努力を続けるが、だんだん母親の要求に追いつけなくなってくる様が痛々しい。母の娘としての自分と、母とは別人である自分とが、どんどん乖離していくのだ。
 その乖離した部分が卵から生まれた「それ」であるように思えた。「それ」はもう一人のティンヤであり、彼女が表に出せない欲望を実現していく。ただ、ティンヤを抑圧しているのは母親であるとはっきり描かれているのだが、「それ」は意外と母親を除外しようとはしない。どういう形であれ母親に愛されたい、受け入れられたいという思いがあってそこもまた痛々しかった。母親の方は、「それ」に対してはっきり除外するべきものという態度で臨む。自分にとって都合の悪い存在は不要だとはっきり示すのだ。

籠の中の乙女 (字幕版)
アナ・カレジドゥ
2013-05-15


RAW 少女のめざめ [Blu-ray]
ローラン・リュカ
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
2019-02-06


『アポカリプス・ベイビー』

ヴィルジニー・デパント著、齋藤可津子訳
 調査会社に勤める調査員ルーシーは、15歳の少女ヴァランティーヌの素行調査を依頼される。依頼主は彼女の祖母。しかし調査の途中でヴァランティーヌを見失い、彼女は行方不明になってしまう。行き詰ったルーシーは伝説的調査員ハイエナに助けを求め、共に少女失踪事件を追う。
 地味で調査員としてもぱっとしないルーシーと、キレものでかっこいいハイエナの凸凹バディ人探しミステリという基本フォーマットはあるのだが、各章は様々な登場人物の視点になっており群像劇のようでもある。そしてそれぞれの人が見ている世界が案外交わらないのだ。その人のことはその人にしかわからない、という共感や理解を拒絶するような一面がある。その最たるものがヴァランティーヌ。彼女に何があったのか、どこへ向かったのかということは調査の中で段々わかってくるのだが、彼女が何を考えどのように感じていたのかということは、誰もわかっていない。ハイエナはうっすらと察知するが、彼女に対して何かができるわけではない。何かをするには何もかも遅すぎる。彼女が置かれた環境にはいろいろと問題があるのだが、特定の要素が彼女の行動を決めたというわけではない、何かはっきりとした原因があるわけではないという書き方。誰かの人生はわかりやすいストーリーではないと示しているようだ。

アポカリプス・ベイビー
ヴィルジニー デパント
早川書房
2021-10-19


キングコング・セオリー
相川千尋
柏書房
2020-12-17


『スパークス・ブラザーズ』

 ロン&ラッセル・メイル兄弟によるユニット、スパークス。1960年代に音楽活動を始めて以来、実験的かつユーモア精神にあふれた音作りで、カルト的な支持を集めてきた。彼らの影響を受けたミュージシャンやかつてのスタッフ、長年のファンらのコメントを挟みつつ、彼らの半世紀にわたる活動を紹介するドキュメンタリー。監督はエドガー・ライト。
 エドガー・ライト監督は良くも悪くも自分が好きなものに一生懸命で、映画製作に関してはそれが吉と出るか凶と出るか(私にとってはおおむね凶なので相性が悪いのだと思う)という面があると思うが、今回は吉だったのでは。スパークスについてそんなに知らない私でも楽しく見られた。スパークスのアーカイブ的映像はもちろんだが、かつてのメンバーやスタッフ、ファンたちだけではなく、ベックやレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリー、フランツ・フェルディナンドのアレックス・カプラノス等そうそうたるメンバーがスパークスの偉業についてコメントしている。デュラン・デュランやニューオーダーが登場するのは個人的にうれしい。スパークスは様々なミュージシャンに影響を与えてきたが、活動歴が相当長いので、影響先の方が有名になってしまって自分たちがパクり呼ばわりされるという悲しいエピソードも。それだけ彼らの仕事が革新的で素晴らしかったということなのだろうが。
 とはいってもスパークスは常に安定して売れていたというわけではなく、不遇の時代も長かったそうだ。90年代前半はとにかく仕事がなくて、黙々と楽曲製作をしつつ貯金で6年近く食いつないだというから、悲しくなってしまう。それでも腐らず地道に仕事を続けて再評価につなげるあたり、基本的に音楽に誠実・勤勉で浮かれない人たちなんだろうという人柄が垣間見えた。2人の生活の様子も紹介されるのだが、地に足が着いていて地味。人気や評価の浮き沈みがあっても彼らのやることはブレないというのが、長続きしている秘訣かもしれない。
 スパークスの2人は映画好きで、映画音楽をやりたいという夢があったそうだ。実現しかけたが企画が立ち消えてしまってショックを受けたとか。レオス・カラックス監督の『アネット』は彼らが音楽・原案提供(元はコンセプトアルバムを構想していたとか)をしているが、映画が完成・公開されて本当によかった(作中ではまだ撮影中)。カラックス、徳を積んだな。

LIL' BEETHOVEN (DELUXE EDITION)
SPARKS
ADA/BMG RIGHTS MANAGEMENT
2022-04-29


Annette
Sparks
Milan
2021-07-02


『ふたつの部屋、ふたりの暮らし』

 モンペリエのアパルトマンで、お隣同士のニナ(バルバラ・スコバ)とマドレーヌ(マルティーヌ・シュバリエ)。2人は長年ひそかに愛し合ってきた恋人同士だった。2人はアパルトマンを売ったお金でイタリアに移住することを夢見ており、不動産屋との交渉もまとまりそうになっていた。しかしマドレーヌは子供たちにアパルトマン売却のことも移住のことも伝えられず、それを知ったニナとの間にも隙間が生じてしまう。さらにマドレーヌが倒れたことで2人には大きな困難が降りかかる。監督はフィリッポ・メネゲッティ。
 真実を告げてぱっと旅立ってしまえばいいような気もするが、ぎりぎりになってもカミングアウトは難しいのか。カミングアウトしなくともアパルトメントを売ることは告げても大丈夫なのではないかと思うが、マドレーヌはためらってしまう。彼女がためらうのは、子供たちからの「母親はこうであれ」という無意識の要求があるからだ。子供が親からの「こうであれ」プレッシャーを受けるというパターンはよく見るが、その逆パターンはあまり見ない(意識的に描かないくらいに無意識化されているということかもしれないが)気がする。マドレーヌの娘は「パパはママを虐待していた」と言うが、一方でマドレーヌが夫の死後も再婚しなかったことについて「ママの恋人はパパだけ」とも言う。これが怖かった。虐待されているという認識と、愛があって唯一の恋人だという認識が彼女の中では矛盾していないのだ。子供の親に対する「親らしくあれ」という要求は、子供が年齢を重ねても薄れていくことがないのだろうか。ニナとマドレーヌの関係を知った後の娘の行動はニナを幸せにするものとは思えないのだが、それでも母親には(自分たちが思うような)「母親」でいてほしいと思うものなのか。
 一方ニナの行動もかなり乱暴でそこまでやるのか、とも見える。しかしそこまでやらないとニナとマドレーヌが一緒に生きることができないということだろう。実質的にパートナーであっても法的な仕組みに参入していないとこういうハードルがある、という実例が延々と続くのでかなり辛い。ニナとマドレーヌが長年生活を共にしてきたことがわかるだけに、これでもまだ駄目なのか、とがっくりとするのだ。更に、これは男性2人だったらまた違った展開になったのではとも思える。経済力の程度や子供からのプレッシャー度合いが違ったのではないだろうか。

テルマ&ルイーズ [Blu-ray]
ブラッド・ピット
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2011-03-18


燃ゆる女の肖像 [Blu-ray]
ヴァレリア・ゴリノ
ギャガ
2022-04-06


『悪い弁護士は死んだ(上、下)』

レイフ・GW・ペーション著、久山葉子訳
 マフィアのお抱え弁護士として知られるエリクソンが自宅で殺害された。死因は鈍器による殴打。殺害現場のベランダで愛犬も首を切られて殺されていた。しかし犬が殺されたのはエリクソンが死んだ4時間後。なぜ犯人はわざわざ引き返したのか?ベックストレーム警部は捜査を開始する。
 ベックストレーム警部シリーズ3作目。金と女と美食(食の好みがあまり繊細ではなくこってり好きな大食漢なので、美食と言っていいのか微妙だけど)に目がないベックストレームは本作でもますます健在。そして作品のコメディ度というかコント度というかが更に上がっている。あからさまに笑わせようとするのではなく、真顔で淡々と妙なことが処理されていく。登場人物が全員ボケで読者がツッコミみたいな構造だ。ベックストレームは相変わらず性別・民族にたいする偏見・差別意識が激しいし、セクハラしまくりだし、お小遣い稼ぎにも余念がないのだが、今回の捜査手順はいつになくまとも。部下たちも約2名を除き妥当な働きをしており頼もしい。そしてこれまで、ベックストレームのモテ具合は本人の思い込み・幻想かと思っていたのだが、本作を読む限りでは意外と本当にモテてるっぽい。一応有名人になったからということかもしれないけど、憎めない面がより前面に出てきているように思う。
 事件捜査はあっちに行ったりこっちに行ったり、更に別の要素が色々盛られてくるのだが、ベックストレームはすべて無難に、そして自分の得になるように収めようとするので、これ本当に収まるの?と心配になってくる。更に19世紀ロシアとイタリアまで絡んできていくら何でも広げすぎでは、これ本当に本当に収まるの?と更に心配になる。しかし力業で収めていくところはさすが。なぜこの表紙?と思っていた表紙の絵もちゃんと絡んでくる。


悪い弁護士は死んだ 下 (創元推理文庫 M ヘ 19-6)
レイフ・GW・ペーション
東京創元社
2022-03-10


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