3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2021年04月

『小公女』

バーネット著、土屋京子訳
 裕福なクルー大尉の娘セーラは、父親の赴任先であるインドで生まれ育ったが、母国英国の教育を受ける為、ロンドンの寄宿学校に入学する。優雅な振る舞いと贅沢な持ち物から「プリンセス」と特別扱いされていたが、クルー大尉がダイヤモンド鉱山への投機に失敗し破産、更に失意の中死亡したと知らされる。一文無しになったセーラは学校の小間使いとしてこき使われるようになった。屋根裏部屋での生活も、プリンセスとしての気概と想像力でセーラは乗り切ろうとする。
 映像作品などで馴染みはあったが実は初めて読んだ。『小公子』を読んだ流れで本作も読んだのだが、『小公子』は階層の下から上へ、『小公女』は上から下へという逆パターン。小刻みな盛り上がりがあり、朝の連続ドラマ的な次はどうなる?!という引きの強さがある。セーラは大変出来の良い「よい子」ではあるが、意外と頑固だったり辛辣だったりカッとしたりで、実は大人にとって都合のいい「よい子」というわけではない。だからこそ生き生きとしている。
 今だったら児童虐待な境遇だし、それ以前の父親からの贅沢なプレゼント(相当やりすぎだと思う)や学校からの特別扱い等はさすがに今だったらまずいだろうという時代性を感じるし、セーラを助ける「魔法」のかけ方も、女児(いや男児でもか)に対してそれはまずいのでは?!という危うさ。そもそも、セーラの経済的・教育的な背景は英国の植民地政策の賜物だし、学校の生徒たちは社会の上層部におり、小間使いのベッキーらとの間には越えられない壁がある。植民地主義・階級社会ありきの「いい話」ではあるのだ。その一方で、セーラとベッキーらとの間には立場を越えた少女同士の友愛・助け合いがあり、本著解説でも言及されているようにシスターフッドの前段階とも言える。またセーラの、ある利他的な行為がある人の人生を変えるが、これが「持たない者」同士のものだったということが本著の肝なのではと思う。

小公女 (光文社古典新訳文庫)
バーネット
光文社
2021-04-13


小公女 (福音館古典童話シリーズ 41)
フランシス・ホジソン・バーネット
福音館書店
2011-09-15


『透明性』

マルク・デュガン著、中島さおり訳
 地球温暖化が更に進み、人類が生活していられるエリアが北欧圏に限られた2060年代。アイスランドを本拠地にするトランスパランス(透明性)社の元社長「私」は個人データを人工的な肉体に移植し、不老不死を可能とする計画を進めていた。
 近未来を舞台としたディストピア小説の一種なのだろうが、現代との地続き感が強い。フィクション度が高いのは人工身体への個人データ移し替え技術くらいか。国家への大きな影響力を持つグーグル(ちゃんと実名で登場する)によって個人データが完全に可視化され、管理されることと引き換えに便利快適な生活を送るというのは、現状とそんなに遠くはないのでは。そこをひっくり返すトランスパランス社の計画の進め方も、将来的にはなんだかありそうなものだ。現実が既にディストピア的だということを若干誇張して描いたという感じの作品だ。個人情報が大々的に収集され、それが一極集中する、それにより個人の有益か否かを判断するのはトランスパランス社のごく一部の人間だ。テクノロジーの快適さと合理性とエコロジーを突き詰めていくと民主主義からはどんどんかけ離れていく、そしてそれしか人類が生き延びる道がなくなっていくというあたりが、最もディストピア的な所か(伊藤計劃の『ハーモニー』を思い出した)。ただ、人がそこまで不老不死に執着するものかというと正直微妙な気がした。そういう執着を持つ者が多い、かつ富裕層に集中しているという前提基づく話なので。なおエピローグで一ひねり加えているが、これはなくてもよかったような。預言書的な体にしたかったのかもしれないが逆に拍子抜け。

透明性
マルク デュガン
早川書房
2020-10-15


ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)
伊藤 計劃
早川書房
2012-08-01



『BLUE/ブルー』

 ボクサーの瓜田(松山ケンイチ)はボクシング一筋に打ち込み、後輩への指導力もあるが、自分の試合では連敗。後輩の小川(東出昌大)は才能と体躯に恵まれ、日本チャンピオンへもあと一歩と迫るが、体調の異変に悩んでいた。瓜田は小川を支え、共にチャンピオン戦を目指し邁進する。監督・脚本は吉田恵輔。
 エンドロールを見ていたら、吉田監督が脚本の他、殺陣指導までしていてびっくりした。ボクシングを長年続けている方だそうで、ボクシング描写への愛、熱量も頷ける。ボクシングと共にある青春、人生を描いた作品になっていると思う。
 ボクシングに限らずスポーツを題材にした作品は、試合の勝ち負けが中心的なテーマになることが大半だろう。本作でももちろん試合はするし勝ち負けは大きな要素ではある。が、それがテーマかというとそうでもない。勝手も負けてもボクシングと共にある生活は続く、自分はボクシングを愛している、という生き方そのものがテーマだ。個々の人生とボクシングとの分かち難さが描かれる。指導者としては才能があるが試合そのものへの才能はないという瓜田の存在は正に「ボクシングへの愛」を体現しているものだろう。また、将来的な悲劇の予感を抱えつつもプロボクサーを諦めない小川もそうだ。一方、モテたいからボクシング「ぽい」ことをしたいとジム通いを始めた楢崎(柄本時生)が、徐々にボクシングそのものに魅了されていく様もまた、ボクシングへの愛の一つの形だろう。
 瓜田も小川も楢崎もボクシング一本で食べるプロというわけではなく、生活の為の仕事をしつつジムに通い、試合に向けてトレーニングを積む。生活の為の仕事は決して高給というわけではなさそうだし、生活はつましいものだ。それでも、トレーニングにしろ、試合の為の研究にしろ、彼らはひたむきで熱心。瓜田と小川がチャンピオン戦に向けて対戦相手の動画を見てシュミレーションしあうシーンは、2人とも本当にボクシングが好きなのだと実感できる。その愛は必ずしも報われるものではないのだが、彼らの熱量には見ていて胸が熱くなる。ジムのオーナーやトレーナー、事故で引退せざるを得なかった選手ら、自分では試合しない人たちもまた、ボクシングを愛する人たちとして存在感があった。
 松山ケンイチの役者としてのすばらしさを改めて実感した。この登場人物はこういう人で作中の位置づけはこういうもの、という作品理解が的確なのだと思う。瓜田はあまり感情的になる人ではなく、言動も抑制が効いているのだが、無言の姿が雄弁。また小川役の東出もフィジカルの良さが活かされとても良かった。前述の瓜田との対戦相手研究シーンは2人の息があっており、ちょっとしたしぐさや言葉の入れ方がとても良く、印象に残った。

愛しのアイリーン [Blu-ray]
安田顕
バップ
2019-03-06


百円の恋 [DVD]
新井浩文
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
2015-06-10




『マ・レイニーのブラックボトム』

 Netflixで配信鑑賞。1927年、人気黒人歌手のマ・レイニー(ビオラ・デイビス)はシカゴでレコーディングを始めようとしていた。バックバンドの1人でトランペット奏者のレヴィー(チャドウィック・ボーズマン)は自分のアレンジを通そうとして他のメンバーともめていた。マ・レイニーも白人プロデューサーと対立し、レコーディングは難航する。監督はジョージ・C・ウルフ。
 やたらと舞台劇っぽい構造、演出だなと思っていたら実際にオーガスト・ウィルソンの戯曲の映画化だった。舞台用の戯曲は、当然なのだが映画の脚本とは違うのだなということを再認識した。舞台用の方が台詞は多いし、ドラマ内の人の動線の制限も映画よりは縛りが強い。コントロールされている感がより強く感じられる。舞台だと空間が限定されているから当たり前なのだが、映画の場合、空間を広げようと思えば設計段階で広げられるので、舞台用戯曲をそのままあてはめるとちょっと窮屈に感じるのだろう。本作は元の戯曲をあまりアレンジせずに使っているのかなという気がした。
 マ・レイニーは周囲に対して基本的感じ悪い振る舞いなのだが、それは彼女が相手から舐められないようにというファイティングポーズなのだろう。黒人かつ女性である彼女は、白人からも黒人男性からも軽く扱われがちで、いくら人気歌手であっても譲歩したら付け込まれる一方なのだという事情が見えてくる。ギャラの件で彼女ががんとして引かないのはそのためだろう。交通事故の場面でも、下手に出るということをしない。ただ、強気に出つつ、白人たちから危害を加えられないぎりぎりの線で喧嘩するという綱渡り感がある。アメリカで黒人であるというのがどういうことかということか、如実に示されるシーンだった。
 一方、レヴィーは白人に対して下手に出て、懐柔しつつ自分の要求を通そうとする。やり方は違うが対等ではない立場から交渉しなくてはならないという点では同じなのだ。レヴィーの両親のエピソードは凄まじいものがある(当時としてはそんなにイレギュラーなことではなかったろうことが更にきつい)が、それを受けて今のような振る舞いになっているのかと思うと、それもまた痛ましく思えた。レヴィーは下手に出つつ舐められてはいけないと気負っているという裏腹な態度をとるが、それが最後の悲劇につながっているように思う。そこに対してそう振舞う必要はなかったのにと。

ビール・ストリートの恋人たち [Blu-ray]
テヨナ・パリス
バップ
2019-08-21


The Essential Recordings
Rainey, Ma
Imports
2016-06-03


『楽園の夜』

 Netflixで配信鑑賞。暴力団構成員のテグ(オム・テグ)はボスであるヤン社長の片腕として一目置かれていた。対抗組織がテグの姉と姪を殺害、その報復として彼はプクソン派のト会長を殺した。ヤン社長はテグを済州島へ逃がし、現地での世話役としてジェヨンと(チョン・ヨビン)という若い女性が迎えに出てきた。島での日々は穏やかだったが、組織の手が2人に迫っていた。監督はパク・フンジョン。
 冒頭からいきなりバイオレンスで、その後も血みどろ度がどんどん上がっていく。組織の上に立つ人が皆クズ、全員悪人状態だ。テグとジェヨンも組織の人間として清廉潔白というわけではもちろんなく、それぞれ手を汚していく。しかし彼らはボスらのような強欲さは見せない。男女が出会うがロマンスにはならないというところもポイントだろう。彼らの間には何らかの絆みたいなものが生まれるが、それは恋愛ではなく使い捨ての手駒同士の連帯感めいたものだと思う。その連帯感を受けたものであろう、終盤の展開は痛切だ。暴力を行使するのはテグやジェヨンだが、それはボスらの思惑の中で起こされるものだ。だからボスらの思惑を外れた所で発せられるジェヨンのある行為は、陰惨ではあるが妙に清々しく感じられる。抗争の中の暴力と異なり、権力に対する執着やぎらつきがないからだろう。
 ガンアクションなど盛りだくさんなのだがそんなに新鮮味はなく、中盤はかなりだらっとした流れだ。もう少し短くてもよかった気がする。ただ、久しぶりに大規模なカチコミシーンがあったので、そこは満足度が高い。クライマックスもまたカチコミではあるが、前半のカチコミとは全然意味あいがちがい、これは胸を打った。なお暴力まみれだがしばしばユーモラスなシーンがあった。泥酔したジェヨンが警官警官に絡むシーンとか、布団ばんばんおばさんとか、必要性があるシーンというわけでもなく余分といえば余分なのだが、なぜか記憶に残る。

悪女/AKUJO [Blu-ray]
ソンジュン
KADOKAWA / 角川書店
2018-06-22


新しき世界 [DVD]
ソン・ジヒョ
TCエンタテインメント
2014-08-02





『砂漠が街に入りこんだ日』

グカ・ハン著、原正人訳
 砂漠が張り込んだ街を旅する私、同級生の死を知り彼女との思い出を振り返る私、いなくなったあの子と死んだ若者たちの夢を見るあなた、子供の頃に家でをしたわたし。様々なわたしやあなたの物語が静かに語られる。
 「わたし」の話だったり「あなた」の話だったりするが、その「わたし」や「あなた」は別々の人物で各話に関連性があるわけではない。ただ、どの作品もどことなく寄る辺のなさを感じさせる。自分はここにいるはずではないのでは?という足元のあやふやさや別の場所へ向かうベクトルを感じるのだ。『ルオエス』は正に旅の途中だし、『家出』は外の世界に対する子供の憧れと恐怖を描く。一方で『聴覚』や『放火狂』は自分にそぐわない今ここの世界をそぐうように自分を、あるいは世界を改変してしまおうという衝動であるように思えた。傍から見たら理解し難いかもしれないが、「わたし」にとってはそれが自然なことなのだ。
 語りと語られる事象との間に何となく距離感があり、それがクールな印象を与える。著者は韓国語を母国語として、フランスに留学してフランス語で本作を書いた。母語ではない言語で書かれた作品のトーンはジュンパ・ラリヒ『わたしのいるところ』を思わせる。自分の肉体からちょっと浮いた、生々しさを抑制した硬質な印象を受ける。不自由さが作品の端正さにつながっているように思った。

砂漠が街に入りこんだ日
グカ・ハン
リトル・モア
2020-08-01


ディディの傘 (となりの国のものがたり6)
ファン・ジョンウン
亜紀書房
2020-09-18


『水中で口笛』

工藤玲音著
 随筆集『わたしを空腹にしないほうがいい』『うたうおばけ』が話題になった著者の第一歌集。高校生時代から最近の作品まで、歌人としての歩みを追うように収録された作品集。
 私が著者は短歌を詠む人だと知ったのは、『わたしを空腹にしないほうがいい』を読んだ後のことだった。どんな歌を詠んでいるのかあまり知らないまま『うたうおばけ』も読んで、随筆家としての著者のファンになったのだが、今回初めてまとまった数の著者の短歌を読んだ。近所の本屋にもちゃんと平積みされていて、なんだかしみじみ感慨深い。フォーマットは違ってもやはり同じ人が書いた作品なんだなという納得感がある。日常の一コマを切り取ったようでいて、何かの拍子にふわっとイメージが飛躍する。生活感あるものから、ロマンチックでちょっと艶めかしいものまで。これはまだ10代の学生の頃かな、とかこれは就職したばかりでやる気に満ちている若者っぽいなとか、ある人の人生の様々な局面がきらっと立ち現れるような切り取り方だ。
 私は短歌の技法についてはほぼ無知なのだが、この後に何かまた展開があるのでは、と想像させる断ち切り方が意識にひっかかってくる。「五キロ痩せ猫が一匹わたしから消えてしまった、猫、おてんばな」「選ぶことのできない不幸と選ぶことのできる不幸 夏が、風に」
 個人的に惹かれた作品は「すもも齧る わたしがかつて強い熊のひとりの娘だったみたいに」「あの街があの波でこの公園になったのだひろいひろいひろいこの」『花束に花多ければ花言葉あふれて氵に水を遣る」

水中で口笛
工藤玲音
左右社
2021-04-19


うたうおばけ
くどうれいん
書肆侃侃房
2020-04-29


『誓願』

マーガレット・アトウッド著、鴻巣友季子訳
 〈侍女〉の指導にあたっていた小母リディアは、ギレアデ共和国の司令官たちの弱みを掌握し、権力の中枢に食い込む存在になっていた。司令官の娘として大切に育てられているアグネスは、良き妻となるための教育や結婚が決められている将来にどことなく違和感を感じるようになっていた。一方、カナダで暮らす古着屋の娘デイジーは、両親が突然爆殺され呆然とする。更に思いもよらない事実と直面し、ある選択を迫られる。
 『侍女の物語』の続編、というよりもスピンオフ的な作品(『侍女~』の15年後が舞台)。私は『侍女~』未読のまま本作を読んだのだが、内容理解に問題なかったし十分面白い。面白いといっても、ギレアデ共和国の構造、成り立ちがクソすぎてはらわた煮えくりそうになりつつの面白さなのだが。『侍女~』を読んだ人には言うまでもないのだろうが、ギレアデ共和国は過激なキリスト教原理主義に基づく統治がされており、女性は男性よりも劣った、出産と家事に紐づく機能しか認められない存在だ。唯一の例外が侍女たちを管理する「小母」たち。小母リディアがその立場を利用し何をしようとしているのか、その計画とアグネス、デイジーとはどう関係があるのか、3つの視点から物語が進み、合流する。そこにはカタルシスがあるし手に汗握るスリルもあるのだが、それは多くの侍女・小母たちの屍の上に成り立っているものだろうこともわかるので、『侍女の物語』読むのが更に怖くなってきてしまった…。
 本作ではギレアデがどのような顛末を辿ったのかも記されているが、現実の世界がむしろギレアデ化してきている気がして恐ろしくてならない。個人の体はその人個人のもので国や共同体に奉仕するものではないはず。

誓願
マーガレット アトウッド
早川書房
2020-10-01


侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)
Margaret Atwood
早川書房
2001-10-24


『21ブリッジ』

 マンハッタン島でドラッグの強奪時間が起こり、銃撃戦の末、警官8人が殺害された。捜査を担当することになったアンドレ・デイビス刑事(チャドウィック・ボーズマン)は麻薬捜査課のバーンズ刑事(シエナ・ミラーと組み、事件を追い始めた。しかし、事件には色々と奇妙な点があることに気付き始める。監督はブライアン・カーク。
 マンハッタン島から犯人を逃さないために、デイビスは島にかけられている21の橋を封鎖し包囲網を掛ける。舞台はマンハッタンのみと限定されている。大規模な移動はないし、アクションもそこまで派手ではない。オーソドックスでちょっと懐かしさも感じる刑事ドラマだ。行動範囲が限られている中で、動きのメリハリをつけようという工夫が見られて楽しかった。小規模ならば小規模なりの見せ方がある、というやる気を感じる。また、長さが100分程度というコンパクトさ、さくさく進行していく様もいい。オチは王道(これが王道として通用しているのもどうかと思うのだが…)だが、娯楽作品としてやりすぎず盛りすぎず、ちょうどいい塩梅だと思う。
 デイビスは有能で一目置かれてはいるが、同時に倦厭されてもいる。彼は過去に何度も容疑者を射殺しており、度々諮問委員会にかけられているのだ。殉職した父親を継いで警官になり、犯罪を憎む心は強いが、やり方は強引で、自分の中の正義感が警官としてのルールよりも先に立つ。そんな彼が、事件を追う中である選択を迫られていく。一つの組織の中にいると、自然と組織のルールに染まっていく。そこにおかしさがあっても気付きにくいし、気付いても指摘をすれば自分の立場が危うくなる。ついつい忖度してしまいがちだ。ただ、それは公正なこと、正義に基づくものなのか。デイビスの警官としてのアイデンティティがどこにあるのかが問われていく。そのルールはおかしいと思ったら、やはり異を唱えないとならない時がある。気軽に見られる作品だが、この部分は全組織人に響く、というか響かないとまずいだろう。

壊れた世界の者たちよ (ハーパーBOOKS)
ドン ウィンズロウ
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2020-07-18


コップランド [Blu-ray]
ロバート・デ・ニーロ
パラマウント
2021-07-21


『パーム・スプリングス』

 11月9日、カリフォルニアのリゾート地パーム・スプリングスで行われる結婚式に出席したナイルズ(アンディ・サムバーグ)と花嫁の姉サラ(クリスティン・ミリオティ)。2人でパーティーを抜け出していい感じになるが、ナイルズが突然矢で狙撃され、2人は洞窟の中の赤い光に飲み込まれてしまう。サラが目覚めるとそこは11月9日の朝。ナイルズによると、彼は何十万回も11月9日を繰り返しており、サラもそれに巻き込まれたのだという。監督はマックス・バーバコウ。
 予告編はものすごく能天気なトーンだったのでそういう映画なのかと思っていたら、能天気というより、能天気にならざるを得ないシチュエーションだった。コメディはコメディなので面白おかしく描かれているが、客観的に見ると精神的にかなりしんどい。それをやりすごすには、とにかく楽しいことをやり続けるしかない。死んでもまた同じ日の朝からやりなおしなので、積極的に死ぬのだが、痛覚はそのままなので明るく死ぬ姿が大分狂って見えてちょっと笑えない。バーに2人で乱入して踊りまくるシーンなど多幸感に溢れているのだが、やけっぱちと紙一重の幸福だ。
 そしてその幸福は、ナイルズの世界にサラが加わった、2人であるという所から生まれている。人間は思っているよりも他者の存在にメンタルを引っ張られるという話だ。そしてその他者は1人では足りない。ナイルズはサラと2人だけの世界が続くことを望むが、サラにはそれでは不十分だ。彼女がループに入り込んでしまったのは、妹に対する罪悪感から逃げたかったからかもしれないが、逆に言うとそのくらい妹を大切にしているということだろう。彼女の人生には、たとえ不愉快さを含むとしても妹と向き合うことが必要なのだ。ナイルズにはそこまでのものはなかったのかもしれないが、サラと一緒にいたかったら「外側」を受け入れざるをえない。
 一方で、ループの中で生きる覚悟を決めた人もいる。ただ、彼もまた他者、自分の「外側」と共にあることを受け入れている。形は違えど、自分の人生をだれとつなげるかという一歩を踏み出しているわけで、それはそれでありなのだと思う。

エターナル・サンシャイン [Blu-ray]
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NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
2019-11-20


ミッション:8ミニッツ [Blu-ray]
ジェフリー・ライト
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
2013-01-23


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