バーネット著、土屋京子訳
裕福なクルー大尉の娘セーラは、父親の赴任先であるインドで生まれ育ったが、母国英国の教育を受ける為、ロンドンの寄宿学校に入学する。優雅な振る舞いと贅沢な持ち物から「プリンセス」と特別扱いされていたが、クルー大尉がダイヤモンド鉱山への投機に失敗し破産、更に失意の中死亡したと知らされる。一文無しになったセーラは学校の小間使いとしてこき使われるようになった。屋根裏部屋での生活も、プリンセスとしての気概と想像力でセーラは乗り切ろうとする。
映像作品などで馴染みはあったが実は初めて読んだ。『小公子』を読んだ流れで本作も読んだのだが、『小公子』は階層の下から上へ、『小公女』は上から下へという逆パターン。小刻みな盛り上がりがあり、朝の連続ドラマ的な次はどうなる?!という引きの強さがある。セーラは大変出来の良い「よい子」ではあるが、意外と頑固だったり辛辣だったりカッとしたりで、実は大人にとって都合のいい「よい子」というわけではない。だからこそ生き生きとしている。
今だったら児童虐待な境遇だし、それ以前の父親からの贅沢なプレゼント(相当やりすぎだと思う)や学校からの特別扱い等はさすがに今だったらまずいだろうという時代性を感じるし、セーラを助ける「魔法」のかけ方も、女児(いや男児でもか)に対してそれはまずいのでは?!という危うさ。そもそも、セーラの経済的・教育的な背景は英国の植民地政策の賜物だし、学校の生徒たちは社会の上層部におり、小間使いのベッキーらとの間には越えられない壁がある。植民地主義・階級社会ありきの「いい話」ではあるのだ。その一方で、セーラとベッキーらとの間には立場を越えた少女同士の友愛・助け合いがあり、本著解説でも言及されているようにシスターフッドの前段階とも言える。またセーラの、ある利他的な行為がある人の人生を変えるが、これが「持たない者」同士のものだったということが本著の肝なのではと思う。