3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2021年03月

『黄色い部屋の謎』

ガストン・ルルー著、平岡敦訳
 科学者スタンガルソン教授とその娘マティルドが住む城で、マティルドが何者かに襲撃され重傷を負うという事件が起きた。事件が起きたのは研究室のある離れの一室で、完全な密室だった。一体犯人はどうやって侵入し、どうやって逃げたのか?18歳の新聞記者ルルタビーユとパリ警視庁警部ラルサン、2人の名探偵が謎に挑む。
 密室ミステリの古典にして名作といわれる作品だが、なるほど納得。ジャン・コクトーが熱烈な序文を寄せたのもわかる。論理的遊戯としてのミステリ以外のことをやろうという色気がない、ロジックに徹したミステリ小説なのだ。当時これは新鮮だったろうなと思う。密室のトリックも真犯人の設定(いきなり出してくるな?!と思った。何か前振りあった?)も、正直苦しいと言えば苦しい。ただその部分局地的な精度というよりも、それ以外の可能性を排除していく道筋の絞り込みの論理だてに技があるのだと思う。門番夫婦が何をしていたのかという解の導き出し方とか、地味だけどいいんだよな。これが本格ミステリの基礎!という感じ。
 探偵役であるルルタビーユは才気あふれるが、往々にして小生意気で気まぐれに見える。彼の手紙という設定のパートだとより際立つ。自意識過剰気味な気負い方がいかにも若い。

黄色い部屋の謎【新訳版】 (創元推理文庫)
ガストン・ルルー
東京創元社
2020-06-30


黒衣婦人の香り (創元推理文庫 108-2)
石川湧
東京創元社
1976-03-19






『ミナリ』

 1980年代、韓国系移民のジェイコブ(スティーヴン・ユアン)一家は、農業での成功を夢見てアメリカ、アーカンソー州にやってきた。トレーラーハウスを持て妻モニカ(ハン・イェリ)は失望するが、子供たちは新しい環境に馴染んでいった。毒舌なモニカの母・スンジャ(ユン・ヨジョン)も加わり、新しい生活は軌道に乗ったかに見えた。しかし畑の水は干上がり、作物の買い手も見つからず、生活は暗礁に乗り上げる。監督・脚本はリー・アイザック・チョン。
 ミナリとは韓国語でセリのこと。スンジャが川辺にセリを植えるのだ。水辺には蛇がいるから近づくなとジェイコブとモニカは子供たちに言いつけるが、スンジャはものともしない。スンジャの言動はユーモラスだが危なっかしい。モニカはスンジャに子守を頼めば自分も仕事に専念できると言って彼女を呼び寄せるのだが、スンジャは一家の役にはあまり立ってない。そういう人もメンバーとして内包してしまうのが家族という仕組みの面倒さでもあり、奥深さでもあるだろう。幼い長男デビッドはスンジャを「おばあちゃんらしくない」と言う。確かにスンジャはクッキーは作らないしプロレスと花札が大好きで下品なことも平気で口にする。しかしすべてのおばあちゃんがクッキーを作り甲斐甲斐しく孫の面倒を見るわけではないだろう。「おばあちゃんらしさ」があるからおばあちゃんになるわけではなく、色々なおばあちゃんがいるわけだ。これは「お父さん」も「お母さん」も「お姉ちゃん」も同じことだろう。ジェイコブは「お父さん」をやろうとして上手くできていない印象だった。彼は子供たちに父親が成功する姿を見せたいんだというが、父親として必要なのはそういうことではないだろう。だからモニカの心は離れていくのだ。別に「らしく」なくてもいい。家族と向き合わずに「らしさ」を演じても意味がないのだ(なお長女のみ非常に「長女らしい」振る舞いなのが気になった。出来すぎなのだ)。
 本作、個人的にはあまり響くところがなかったのだが、アメリカでは反響が大きかったというのはやはり、アメリカは移民の国ということなのだろう。ジェイコブ一家が生活費を稼ぐために苦労する姿や、教会で向けられるまなざしの冷たさ、モニカに対する「かわいい」言葉という言葉へのモヤモヤ感など、多くの人が体験してきた(している)ことなのだろうと思う。



千年の祈り (新潮クレスト・ブックス)
イーユン リー
新潮社
2007-07-31




『シン・エヴァンゲリオン劇場版』

 ミサト(三石琴乃)率いる反ネルフ組織ヴィレは、パリ市街地であるミッションを開始していた。コア化で赤く染まったパリを復元し、エヴァ修復に必要なパーツをかつてのネルフ支部から回収するのだ。復元オペの作業時間はわずか720秒。その時間を確保するため、マリ(坂本真綾)の改8号機がネルフのEVA大群を迎え撃つ。一方、シンジ(緒方恵美)、アスカ(宮村優子)、(仮)アヤナミレイ(林原めぐみ)は日本のどこかをさまよっていた。脚本・総監督は庵野秀明。
 3時間近い長尺なのだが、あー終わった!お疲れ!解散!これで本当に終了、もう続きはないだろう。本作を見てから先日放送されたNHKのドキュメンタリー『プロフェッショナル仕事の流儀』庵野監督回を見たのだが、本当にお疲れ様ですねとしか言えない。監督もスタッフも何年にもわたって心身削ってここまで来たんだなとしみじみた。シリーズに強い思い入れがある人はまた違った感慨や不満があるのかもしれないが、さほどコアなファンではなく一応リアルタイムで並走してきたという程度の視聴者(私にとってのエヴァはやはりTVの延長線なので)にとっては、まあこの終わり方でいいかなと思う。
 ただ、エヴァはもう新しいコンテンツではなくなったんだなということも強く感じた。TVシリーズ放送が1995年~1996年だから最先端でいろというのが無理な話ではあるのだが、ここ20年近く「エヴァ以降」のものを見続けてしまったので、もう本家で何やってもそれを越えた新しさというのは感じないんだろうなと。『プロフェッショナル仕事の流儀』の中で庵野監督は、自分の頭の中にあるものだけでは新しいものは出てこない、自分の外側のものが必要なのだと言う。スタッフを追い込むのも何か予想外のものが出てくることを期待してのことだ。しかし完成したものにそんなに新しさは感じられない(これは私が映像表現の「新しさ」に疎いという面もあるが)、また逆に庵野監督のパーソナルな部分の反映が色濃いのではと思えてしまうというのは皮肉だ。やはり20年前に終わらせておく(本作のようなラストにたどり着いておく)べき作品だったと思う。もっと早くにエヴァの幕引きができていれば、庵野監督によるアニメーション作品をもっと見られたかもなぁという、アニメファンとしての惜しさもある。
 また本作、地に足をつけて現実を生きろ、成熟しとというメッセージ(多分)はこれまでの劇場版と変わらないのだが、生き方・成熟のモデルがかなりコンサバなのではという印象受けた。それを今更やられてもなぁ…先人が散々やった後では拍子抜けだ。とは言え庵野監督も還暦と思うと、年齢的な限界なんだろうかとも。














 

『ひとり暮らしの戦後史 戦中世代の婦人たち』

塩沢美代子・島田とみ子著
 太平洋戦争により夫を奪われる、また男性人口が一気に減ったために結婚の機会を失い、一人で生きることを余儀なくされた女性たち。生活苦に追われながら戦後を生き抜く女性たちへの聞き取り調査と統計から、戦後生活史の様々な側面をたどる。
 1975年に出版された本だが地味に版を重ね、近年再注目されているそうだ(私の手元にあるのは2015年の第5刷)。本著が再注目されたのは、女性の自立やキャリア構築を阻む日本の社会制度が、未だに根深いからだろう。労働運動に内部矛盾と行き詰まりを感じる女性が「保守・革新を問わず共通な日本人の精神構造に深く根差しているような気がして、そう簡単に展望がもてないんですね」と語るのにはため息が出た。本当にそうなんだよな…。
 一応男女平等という建前にはなったが、本著で聞き取りに応じた女性たちが置かれた立場や直面している困難の数々は、現代でも驚くほど変わらない。確かに男女雇用機会均等法は出来たし当時に比べればずっとましにはなっている。が、社会の性質や、社会の仕組みを作る立場にいるのが男性ばかりだという状況はあまり変わっていない。女性は結婚して仕事をやめ家庭に入るもの、長期で働くことはないという前提の元に雇用制度が作られていたために、本著に登場する女性たちは職を転々としたり、長く働いても昇給は男性に比べると圧倒的に少なく当然年金額も僅かになってしまう。いまだに同じ構造だ。単身で働き続ける女性は増えたのにも関わらず、女性は労働力の調整弁として扱われがちだ。また単身高齢者の住居確保の難しさは、男女関係なく現代では更に度合いが増しているように思う(収入に占める家賃の割合は現代の方が厳しいかも)。70年代の問題が今も現役であるというのが何か情けなくなってしまう。老若男女の多様な生き方が尊重され安心して生活できる社会保障制度を全く作ってこられなかったということだから。
 自分が体験してきた(している)苦しさ、将来直面するであろう困難が記されており正直読んでいてかなりしんどかった。が、こういう声を拾い集め記録し、これは社会の問題で社会の仕組みから変えなくてはならないのだと、声を上げる人たちのリレーを続けるしかないのだろうなと思う。ちょっとづつでもましにしたいよね…。


三ギニー (平凡社ライブラリー)
ウルフ,ヴァージニア
平凡社
2017-10-10


『ぼくにはこれしかなかった』

早坂大輔著
 岩手県盛岡市にある古書・新刊書店BOOK NERD。会社員として働いていた著者は、2017年にこの店を開いた。それまでの仕事とは全くの畑違いである書店を始めた理由、経営上の困難、そして働くとは何なのか。現在進行形で書店店主として働く著者のエッセイ。
 盛岡に旅行した時BOOK NERDに立ち寄ったのだが(本著内でも「いつの間にか本を作っていた」という章で触れられている、くどうれいん『わたしを空腹にしない方がいい』を買うため)、私個人の読書傾向とは品ぞろえが違うものの、店の方向性がはっきりとしていてユニークだし洒落ているなという印象だった。てっきり書店勤務ないしは出版系の仕事経験のある人が独立して始めた書店なのかと思っていたら、想像とは全然違う経緯で店を始めておりちょっと驚いた。本著序盤のばりばり働いていたサラリーマン時代の話、40代が近づき仕事への意欲が急になくなるくだり(これ鬱の初期症状では…と心配になる感じのスイッチの切れ方)、そして独立して起業(最初に書店以外で起業していたのも意外だった)とその顛末など、なかなか胃が痛くなりそうな話が続く。特に最初の起業の話と書店が軌道にのる前の話は、独立・起業を考えている人は読んでおいたほうがいいと思う。友達との起業はするな。
 なお著者は決して文章が流暢というわけではなく、個人的に好みの文章でもない。私の好みからすると装飾と情緒が過多で、ナルシズムが少々鼻につくし、「きみたち」への呼びかけも必要性がわからない。ただ、なぜこの仕事でないとだめだったのか、相当苦くてもなぜ続けている(続けざるを得ない)のかという切実さが刻まれており、そこは読ませる。巻末の「ぼくの50冊」もブックレビューとして良い。

ぼくにはこれしかなかった。
早坂大輔
木楽舎
2021-03-26




『エイブのキッチンストーリー』

 ニューヨーク、ブルックリンに暮らす料理好きな12歳のエイブ(ノア・シュナップ)。イスラエル人の母とパレスチナ人の父は、子供の選択肢を尊重して家庭内は無宗教で通している。しかし父方の祖父母と母方の祖父母とはそういうわけにはいかず、諍いが絶えなかった。ある日エイブは世界各地の料理を組ているみ合わせているブラジル人シェフ・チコ(ロウ・ジョルジ)と出会う。家族の不和に悩んでいたエイブは、料理で皆の関係を修復しようと挑戦する。監督はフェルナンド・グロスタイン・アンドラーデ。
 父方の実家と母方の実家は宗教・文化が違うだけでなく、歴史的な根深い対立がある。親族としては非常に面倒くさいし常に不穏なのだ。エイブは父方の実家と母方の実家が異なる文化宗教であることは理解しているし、お互い相容れないということもわかっている。が、エイブには歴史的な背景や対立の根深さ、どうしても許せないくらいの経緯があるということはぴんときていない。エイブはパレスチナの伝統料理とイスラエルの伝統料理を組み合わせたフュージョン料理を披露する。それはどれも美味しそうだ(本作に出てくる料理はどれも美味しそうだった)。だが、他所の文化を「フュージョン」することがその文化を軽んじることになる場合もあるだろう。特にエイブ一家の場合宗教に関わることなので(エイブはその文化圏で育っているから食品に関する具体的な禁忌についてはわかるんだろうけど)、他文化の取り扱いにはなおのこと気をつけないとならないのでは。エイブにはそのあたりのデリケートさは、まだわかっていないように思えた。いきなり距離を詰めようとするあたりが子供らしい。家族に対してまだ諦め、というと突き放しすぎかもしれないが、距離感を保てないのだ。
 とは言え、エイブが家族の不和に傷ついており、それを修復しようとしているということは家族にも伝わる。エイブが望んだような仲の良さではないが、お互いをやんわり認め合う(許し合うわけではない)という関係にはなれるのでは、と希望が感じられた。
 なおエイブの両親は息子の料理スキルをちょっと甘く見すぎだし、そこに対する関心度はいま一つなように思った。サマーキャンプの内容はさすがにもうちょっと調べておこうよと言いたくなった。


イカとクジラ コレクターズ・エディション [DVD]
オーウェン・クライン
ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
2009-12-23


『ザ・ライダー』

 カウボーイのブレイディ(ブレイディ・ジャンドロー)はロデオ中に頭に大怪我を負う。復帰を願うが後遺症が残り、引退を考えざるを得なくなる。監督はクロエ・ジャオ。出演者はモデルとなった実在の人物本人たちだそうだ。
 アメリカ中西部のサウスダコタ州が舞台なのだが、だだっ広く荒涼とした風景が素晴らしい。ロデオ自体の魅力はさっぱりわからないのだが、こういう土地を馬で走ることの解放感は伝わってくるし、ブレイディがロデオ込みでこの土地を離れられないのもわかる。
 ただ、ブレイディがこの土地を離れられないのはロデオへの拘りだけではなく、ロデオ中の事故で障害を負った仲間のケアや、軽い知的障害があるらしい妹の保護者として振舞わなくてはならないという事情もある。ブレイディ自身だけのことを考えると、いっそ地元も家族も捨てて一人で出ていけたら楽なのかもしれないが、そうはできない真面目さがある。カウボーイやロデオというと荒っぽいマッチョな世界、アウトローの世界を連想するが、ブレイディやロデオ仲間たちからは意外にマチズモは感じられない。ボーイズクラブ的な連帯はあるが、それほど悪ノリみたいな振る舞いは見られない。事故に遭った仲間の為に皆で祈るシーンが印象に残った。
 カウボーイにしろロデオにしろ、それのみでは職業として食っていけない時代だろう。実際、ブレイディは(事故後でロデオはできないという事情もあるが)生活費の為にスーパーで働いている。しかしブレイディにとっては馬と接している時、ロデオをしている時こそが生きている・働いていると実感できるものであり、彼にとっての生はそこにある。その生き方は現代の資本主義的な価値観からすると時代から取り残されたものだろう。ただ、ブレイディは自分にとってベストな生き方は何なのか、何をやりたいのか掴んでおり、諦念は漂うが全く諦めているわけではない。自分の生のあり方を知っている人は、幸せかどうかは別として強い。本作が苦いがよどんでいないのは、そのあたりに要因があるのでは。

ザ・ライダー (字幕版)
リリー・ジャンドロー
2018-11-07


すべての美しい馬 (ハヤカワepi文庫)
コーマック マッカーシー
早川書房
2001-05-01


 

『ビバリウム』

 トム(ジェシー・アイゼンバーグ)とジェマ(イモージェン・プーツ)は新居探し中のカップル。ふと立ち寄った不動産屋から、そっくりな家屋が整然と立ち並ぶ新興住宅地「ヨンダー Yonder」を紹介される。内見を終えて帰ろうとすると、不動産屋は姿を消していた。2人は車に乗ってヨンダーを出ようとするが、いくら走っても毎回同じ家の前に出てしまう。そして町に閉じ込められた2人の元に、赤ん坊が入った段ボール箱が届く。監督はロルカン・フェネガン。
 「世にも奇妙な物語」とか奇想コレクションとか異色作家短編集みたいな不条理の世界。ただし不条理なのはトムとジェマにとってだけで、ある存在にとっては理にかなっているわけだが。アバンの映像でどういう話なのかはほぼ分かってしまうので、ミステリ的な要素はない。そのままあまり考えずに見る方が楽しめる作品だと思う。シュールな話かと思っていたら終盤で急にわかりやすくホラーめいてくるのだが、意外なストレートさも持ち味だ。
 ルネ・マグリットの絵画のような青緑の色合いと、くっきりとして見える輪郭にインパクトがある。雲の散らばり方が不自然に牧歌的なあたりはちょっと笑ってしまう。同じ形の家屋が延々と並ぶ風景は、色合いはキュートだが嘘くさくて不気味だ。また室内のしつらえも、色味はマグリット的できれいだけど、間取りやインテリアはスタイリッシュとは無縁の野暮ったさで退屈な空間だという、ギャップに妙な味わいがあった。ひと昔前の平均的な建売住宅という感じなのだが、平均的すぎて逆に変だ。
 何か決定的な違和感を感じさせるという点で、子役の演技が見事だった。人の神経を逆なでするのだ。一つ気になったのは、ジェマが務める幼稚園の生徒がほぼ全員白人のように見えたこと。アメリカの都市部としてはかなり珍しいのでは?それこそ「ヨンダー」的な統一感とも言えるのだが、そういう企みはあまりしてなさそうな緩さのある作品だった。

街角の書店 (18の奇妙な物語) (創元推理文庫)
シャーリイ・ジャクスン
東京創元社
2015-05-29


さあ、気ちがいになりなさい (異色作家短編集)
フレドリック・ブラウン
早川書房
2005-10-07


 

『花束みたいな恋をした』

 明大前駅で終電を逃した山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)は、好きな映画や文学が同じで話が盛り上がり、恋に落ちる。大学を卒業し同棲を始め、いつまでも2人でキラキラした「現状維持」の日々を送るつもりだったが、麦はイラストレーターの仕事を中断し就職活動を始める。脚本は坂元裕二、監督は土井裕泰。
 脚本を手掛けた坂元の作品としての側面が強い。土井監督は脚本の持ち味を活かすための映像作りに徹している印象だった。なので、脚本の良さは発揮されているが1本の映画としては微妙だなと言うところもある。坂元脚本作品の特徴は台詞、モノローグの量と人工性にあると思う。50分前後のドラマを週1で見るくらいのペースだと楽しめるのだが、2時間の映画には言葉の量が少々過剰すぎて、胃もたれしてしまった。とは言え、2人の会話が立場入れ替えて反復されたり、同じやり取りの意味が全く変わってしまったりという、時間の経過のいかんともしがたさ、残酷さを突き付ける演出はテクニカルでインパクトがある。そこに感心するか、鼻につくか、好みが分かれそう。恋の終わり、というか終わらせようという意志とその手順を後処理含め(同棲していると実務的な片付けが結構面倒だよね…)きちんと描いたという面では、日本の恋愛映画としては珍しいのかもしれない。
 麦と絹は驚くくらい趣味が合い、出会ったころはいつまでも話していたいくらい盛り上がる。だからこそ、それは恋でないとダメだったのか?と不思議だった。趣味の話で盛り上がるなら友人の方がいいだろうと個人的には思ってしまう。そういう友達のような恋人・夫婦もいるが、麦と絹は「いかにも恋人らしいことをする恋人」でありたかったのか。だとすると、やはり結婚という方向には行かない(言い出した方も多分「これじゃない」と思いつつ言っているなというのが滲んでいて辛い)だろう。
 麦と絹の距離が離れていく過程に、具体的に第三者が介入してくるとか障害が立ちはだかるみたいな「事件」はない。個別の人間が一緒にいることの宿命みたいな離れ方だ。ただ、背景に2人の経済状況があるというのは否めないだろう。仕送りを絶たれたらスタバのコーヒーは飲めないし、イラストレーターでは生活できないから麦は会社員になり企業の価値観で行動するようになる。そこで絹との距離が広がるわけだ。結構世知辛いのだが、こういった部分はあまり深掘りされない。が、そこはもうちょっと掘っておくべきなのでは?と思った。麦は仕事だから辛くない、辛いというのは甘えだと言うが、仕事だろうが何だろうが辛いものは辛いし当人のせいではない。そこを甘えだと言わせてしまうような価値観が、2人の恋を終わらせたという側面もあるのでは。

カルテット Blu-ray BOX
吉岡里帆
TCエンタテインメント
2017-07-07


あひる (角川文庫)
今村 夏子
KADOKAWA
2019-01-24


『ミラクル・クリーク』

アンジー・キム著、服部京子訳
 バージニア州郊外の町ミラクル・クリークで放火事件が起きた。火災が起きたのは酸素治療施設「ミラクル・サブマリン」。焼死した少年の母親が逮捕され、1年後、裁判が始まる。ミラクル・サブマリンを利用していたのは生涯や難病を抱える子供たちとその親たちだった。彼らの間で何があったのか。
 被告側弁護人と検察官とがやりあう法廷劇のパート、事件が起きるまでの関係者たちの過去、裁判中の関係者たちの現在が交互に進行していく。登場人物それぞれの視点で描かれるのだが、誰もが何か隠し事をし、嘘をついている。ではなぜ隠したのか、その嘘は何の為なのかという部分が謎の核心になっていく。それぞれの視点が他の人の視点の死角を補完していきパズルのように面が広がっていく、ミステリとしての組み立て方が上手い。「誰が」「なぜ」の双方がどんどん接近していき、ぐいぐい読ませる。こういう時って往々にしてこういうことをしていまうのでは、という人間の弱さ・狡さに対する説得力があるのだ。誰かがもう少し勇気があれば、正直であれば、事件は起きなかったのではとも思え、そこがやりきれない。
 ミラクル・サブマリンを運営するのは韓国系移民の一家だが、アジア系移民に対する偏見や風当たりの強さがきつい。あからさまな悪意よりも、善意のつもりで偏見に満ちた発言をするという無自覚ぶりが実にきつい。アメリカの自由でも平等でもない側面が描かれている。また自閉症や難病を抱えた子供の親の負担が心身ともに大きい様、特に精神的な追い詰められ方が刺さってくる。個人としての自由、楽しみを感じることに罪悪感がつきまとうというのがしんどい。


パチンコ 上 (文春e-book)
ミン・ジン・リー
文藝春秋
2020-07-30


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