3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2020年09月

『ブリング・ミー・ホーム 尋ね人』

 看護師のジョンヨン(イ・ヨンエ)と夫のミュウングク(パク・ヘジュン)は、6年前に行方不明になった息子ユンスを探し続けていた。ある日「ユンスに似た子をある漁村で見た」という情報が寄せられる。ジョンヨンは漁村を訪ねるが、ユンスが見かけられたという釣り場を営む一家は、彼女を追い返そうとする。監督・脚本はキム・スンウ。
 勢いがある展開でぐいぐい見せてくる。終盤はこの絵を撮りたいという熱意の方が先に立ってしまって登場人物の行動経緯が展開上ちぐはぐな所もあり、決して精緻な脚本というわけではないのだが、緊張感が途切れず面白い。イ・ヨンエの母親演技から、子供を失った絶望とわずかな可能性にすがる切迫とがひしひしと迫ってくる。
 ジョンヨンとミョングクは子供が失踪するという悲劇にみまわれているが、そこを面白半分につつく世間の冷酷、また無関心が辛い。こんなに無頓着に他人を傷つけるのかと。そして何より、釣り場の一家のように、自分よりも弱い存在を平気で食い物にする、消費していいものとして扱っている様がそら恐ろしかった。更に、彼らが子供や女性を食い物にして守ろうとする利権が全く持ってショボいのだ。こんなことのためにジョンヨンたちはボロボロにされたのか!と愕然とする。全然バランスとれていない気がするのだが、ホン署長(ユ・ジェミョン)たちはそんなこと考えもしないのだろう。すごく狭い世界で展開している小さい悪であることが逆に怖い。

母なる証明 [Blu-ray]
チョン・ミソン
TCエンタテインメント
2020-07-22


私の少女 [DVD]
ソン・セビョク
ポニーキャニオン
2015-10-02


『ぼんくら』

 2016年8月、富山のローカルTV局チューリップテレビのニュース番組が、「自民党会派の富山市議、政務活動費事実と異なる報告」というスクープを報道した。富山市議のドンといわれている準陳市議はその後不正を認め辞職。これを皮切りに市議たちの不正が続々と発覚し、半年で14人の辞職者が出た。議会の腐敗と議員たちのその後を追ったドキュメンタリー。監督は当時ニュース番組のキャスターだった五百旗頭幸男・砂沢智史。
 テレビ番組として放送された後の3年間の取材分を追加したドキュメンタリー映画。大変な労作で(資料の突合せとか見るだけでやる気なくなりそう)すごく面白かった。次々と市議の不正が明らかになっていくわけだが、次々と明らかになりすぎてもはやコント。登場する市議たちがこれまた実に悪そうな下卑た顔に見えてくる。政治家って基本的にいい顔した人が稀だなという、勝手かつあまりよろしくない(見た目で判断しているわけだからね…)先入観があるのだが、本作に登場する市議たちは地方の灰汁の強いおじさんたちという感じ。多分当人たちは悪いことをしている意識もあまりなく、こういうものだから、という通例に基づいてやっていたんだろうなという気がするし、そこに怖さがある。謝ればいいだろう、辞めればいいだろうというレベルで彼らの中では収束してしまいそうなのだ。
 その普通の基準おかしいでしょ、と指摘したのが報道サイドというわけだけど、わざわざ指摘されないと気付かなかったの?平気だったの?スルーしてきたの?と問いただしたくなる。議員当人だけでなく、周囲の関係者たち、他の公務員たちもそういう感覚なのだ。多分富山市に限ったことではなく、地方の議会ってこういう感じなのではないだろうか。日本の政治の風景がそら恐ろしくなる。
 TV局側の調査取材は特別なことをやっているわけではなく、話を聞きだし資料公開請求をし得られた情報をひとつひとつ照らし合わせていくという地道なもの。そういう地道な取材と報道で、決して大きくはない若い(2016年開局)地方局がこれだけの仕事をした、ということには希望が持てる。が、終盤のキャスターたちの顛末を見ると何らかのしがらみが窺えて心配になってしまう。

選挙 [DVD]
紀伊國屋書店
2007-12-22


『ヴィタリナ』

 出稼ぎに出て数十年たつ夫が死んだという知らせを受け、カーボ・ヴェルデからリスボンにやってきたヴィタリナ(ヴィタリナ・ヴァレラ)。しかし夫は既に埋葬されていた。ヴィタリナは夫が住んでいた部屋に暮らし始める。
 ファーストショットが素晴らしい。暗い路地の奥から何かの気配が近づいてくる、時折白く光るものは杖だとわかってくる、人々が近づいてくるのだとわかってくる、という流れにしびれる。暗い画面の中、杖に反射するわずかな光が強烈なインパクトを残す。ペドロ・コスタ監督作品はどれも陰影のコントラストが劇的だが、本作も同様。夜の暗闇の中、アパートがスポットライトを当てられたように浮かび上がる。ちょっと舞台演劇的な光の使い方だ。実際スポットライト的に照明を当てているのかもしれないが、フレームとライティングがすごくかっこいい。ひとつひとつのショットが絵画のようにインパクトがあり決まっている。ペドロ・コスタの作品の強さはここにあるし、映画はフレーミングと光なんだなと実感する。映像がドラマティックなのだ。
 ヴィタリナの夫は移民としてポルトガルにやってきた。ヴィタリナも夫を追ってまた移民となる。彼女の言葉から、夫はヴィタリナに自身がどのような生活をしているか隠しており、彼女を裏切ったこともあるとわかってくる。夫が残した部屋で生活することは、夫の生活を彼女がなぞり、上書きしていくようでもあった。彼女と夫それぞれの人生は、彼女のモノローグや夫を知る人たち、近所の人たちの言葉の断片から立体的になっていく。ヴィタリナと夫のストーリーは、同時に多くの移民たちのストーリーでもあるのだろう。とは言え、ヴィタリナという個人が中心にあり、彼女固有のものとして一般化しきらない。男は働きに出て女は家を守るという旧来の世界に生きているが、それに納得しているわけではないし夫への文句もある。夫を亡くし異郷で途方にくれる一方で、一人で家を完成させ屋根の修理をするような独立した姿も見せる。「女の強さ」的なものに集約されないタフさを感じた。


歩く、見る、待つ ペドロ・コスタ映画論講義
ペドロ コスタ
ソリレス書店
2018-05-25




『TENET テネット』

 特殊部隊に参加し危機に陥った男(ジョン・デビッド・ワシントン)は第三次世界大戦を阻止するために未来からやってきた敵と戦うという任務を課せられる。未来では「時間の逆行」と呼ばれる装置が開発され、人や物を過去に移動させることができるのだ。そして何者かがこの装置を現代に送り込んだ。相棒のニール(ロバート・パティンソン)とミッションに挑むうち、ロシアの武器商人セイター(ケネス・ブラナー)がキーマンだとわかってくる。監督はクリストファー・ノーラン。
 ストーリー構成が串団子状とでもいうか、次々とエピソードが繋がっていくが一つ一つの間の繋がりの説明があまりないので、ストーリーの筋道を追うのがかなり大変だった。主人公の男が、誰が何の為に発した指令なのかわからないのに任務に従い続けるというのも不思議だし、正直、よくわからなかった部分も多々ある。説明がミニマムというよりも、繋ぎ・説明のポイントがずれている気がした。監督のやりたいことに構成力が追いついていないのではないかという『インターステラー』と同パターンであったように思う。『ダンケルク』で改善された長尺も復活してしまっているし、これだけ説明割愛してもこの長さになっちゃうのか…という徒労感がある。
 本作のポイントはもちろん「時間の逆行」にある。時間上のある地点からある地点に飛ぶ=タイムスリップではなく、自分の時間を巻き戻してある地点に到達するというシステムだ。ビジュアルとしては確かにこの方が面白い。面白いのだが、これわざわざ逆向き演技をやらせる必要あるのかな?という根本的な疑問を感じてしまった。ノーラン監督と言えば、CGは極力使わず可能な限り実物を用いた大規模撮影を行うことで有名だ。本作でも本物の飛行機を倉庫に突っ込ませ爆発させるという荒業を筆頭に、派手なシーンがいくつもある。しかし、個人的にはこれらのシーンはあまり印象に残らなかった。むしろ、船と波が逆行していたり、鳥が後ろ向きに飛んだりというフィルムを逆回転させたであろうシーンの方が印象に残った。音も逆回転するという面白さが印象に残ったという面もあったのだが、印象度とコストが私の中では反比例してしまった。
 何より、中盤まではともかく、終盤の大オチって「逆行」を用いる必要があまりないのでは、普通のいわゆるタイムトラベルネタになってしまうのではという気がした。諸々見落として理解しきれていないだけかもしれないが、「逆行」というネタとストーリーとが必ずしも合致していないように思う。また、「逆行」システムだとこの見え方はおかしいのでは?という部分があった気が…いつになく展開の速さ(なのに長い!)で押し切ったなという印象を受けた。

ダンケルク(字幕版)
トム・ハーディー
2017-11-10


プリデスティネーション(字幕版)
クリストファー・カービイ


『新しい街 ヴィル・ヌーヴ』

 アルコール依存症の詩人ジョゼフ(ロバート・ラロンド)は、かつて家族で過ごした思い出の地に離婚した元妻エマ(ジョアンヌ=マリー・トランブレ)を呼び出す。街ではケベック州独立運動が高まっていた。監督はフェリックス・デュスル=ラペリエール。レイモンド・カーヴァーの短編『シェフの家』にインスパイアされた作品だそうだ。
 ジョゼフは海辺の家で家族と過ごした時間がよっぽど懐かしいのか、この場所に拘っている。ここでエマと一緒に過ごせばあの時間を取り戻せるのでは?という淡い期待が見え隠れする。しかしエマにとっては既に過ぎた時間であり、良い思い出かもしれないがそれ以上のものではない。文筆家としてどうやらジョゼフより活躍しつつあるエマが見ているのは未来だ。2人が過ごす海辺の家での時間は一見穏やかなのだが、それぞれの視線は過去と未来、逆方向を向いており重なり合うことはない。それぞれのモノローグでそのすれ違いが露わになっていくのだ。
 2人の休日の背景にあるのは、住民独立運動だ。1995年にカナダのケベック州で実際にあったそうで、現実の投票では1%差で独立否決。本作中では逆に可決された世界になっている。地域の独立が、ジョセフ一家それぞれの独立と重なっていく。不安さの中にもその先の時間が見えるような、不穏だけど暗くはない余韻。
 アニメーションとしてとても魅力がある。線もフォルムも揺らぎ続ける手書きのタッチが、ジョゼフとエマの揺らぎ続ける心情とリンクしていく。フォルムが安定しない所に惹かれた。特に暗闇の中で家が燃え落ちるイメージは少々禍々しいのだがインパクトがある。色調の淡さ、渋さも魅力。静かなトーンなのだが、街のデモや交通渋滞、ライブの狂騒などの暴発しそうな空気感も伝わる。

大聖堂 (村上春樹翻訳ライブラリー)
レイモンド カーヴァー
中央公論新社
2007-03-01





『後悔なんてしない』

 配信で鑑賞。田舎から上京し、工場の仕事と運転代行業を掛け持ちしていたスミン(イ・ヨンフン)は、身なりのいい男ジェミン(イ・ハン)に誘われる。後日、工場でスミンはジェミンと出くわす。ジェミンは経営者一族の跡取りで、リストラされる予定だったスミンの代わりに別の社員を解雇したのだ。スミンは激怒して工場を辞め、ゲイバーで働き始める。ジェミンはバーにも客として現れる。監督・脚本はイソン・ヒル。2006年の作品。
 今から十数年前の作品なのだが、同性同士の恋愛をセックス込みでがっつり描いた韓国映画は、当時はまだ珍しかったのでは(現在も韓国映画ではあまり見ない気がするが、私は韓国映画あまり見ていないからな…)。当時の同性愛に対する世間の許容度が垣間見え、息苦しい。ゲイ同士のコミュニティはあるがあくまで閉じられたもので、対外的に自身のセクシャリティをオープンにしているわけではない。ジェミンの両親は息子が同性愛者だと知っているが、「結婚はしてもらう」と言い渡す。黙認されてはいるが世間体が強固に横たわっており、その前では同性愛はないものとされているのだ。ジェミンが生きてきた世界では、同性愛者であることは社会からドロップアウトすることで、セクシャリティをオープンにすることと引き換えに社会的な地位や家業に由来する富は(少なくともジェミンの場合は)奪われる。現代ではもう少しオープンになってはいるのだろうが、両親の反応などはあまり変わっていなさそうな気がする(変わっていてほしいけど)。
 ただ、スミンとジェミンの間を阻むのは世間の目というよりも、社会的な格差の部分が大きいように思った。スミンには両親がおらず施設出身で、バックアップしてくれる環境がない。その困難さは、生まれながらにして経済力や一族の後ろ盾を「持っている」ジェミンにはぴんとこないのだ。自分のリストラ回避の為に他の社員を解雇したジェミンの行動にスミンが激怒するのは、札束で顔をひっぱたくような行為だからだろう。スミンがジェミンに惹かれつつ頑なに拒むのは、2人の関係には最初から金が介在しており、対等ではない、パートナーにはなれないからだ。2人の距離が近づいても何かの折に「金」が顔を出すのが辛い。なお、終盤の展開はさすがに盛りすぎな気がしたが、ここまでやらないと(お互い何もかもなくさないと)一個人同士として向き合えないということか。

後悔なんてしない(字幕版)
キム・ジョンファ
2020-08-12


怒り
妻夫木聡
2017-04-05



『その裁きは死』

アンソニー・ホロヴィッツ著、山田蘭訳
 「わたし」こと脚本家で作家のアンソニー・ホロヴィッツの前に、再び元刑事の探偵ホーソーンが現れる。実直さに定評のある弁護士が自宅で殺害され、ホーソンが調査することになったのだ。被害者弁護士は、自身が扱った離婚訴訟について疑惑を抱いていたらしい。
 『メインテーマは殺人』に続くシリーズ第2弾。「わたし」が脚本を手掛けた『刑事フォイル』の撮影現場に立ち会うシーンが冒頭にあり、作家ホロヴィッツの仕事に関する言及も多い。前作は映画の世界のネタに満ちていたが、今回は出版、文芸の世界のネタが多い。容疑者の一人である詩人について、詩の出版だけでそんなに儲かるはずがない!という指摘があるのはイギリスでも同じなのか…作中の詩人はかなり有名な売れっ子なんだけど、たかが知れているというわけだ。
 相変わらずホーソーンを筆頭に登場人物全員がいけすかないし、「わたし」は自分の頭脳を過剰評価気味で事件の推理も空回りしがち。もちろん著者は意図的にこういう造形にしているのだろうが、戯画的すぎて少々鼻についた。私はホーソーンのキャラクターがあまり好きではないので(他人を過剰にコントロールしたがる所が苦手…)余計にイライラしてしまうのかもしれないが。ラスト、落ち込む「わたし」にホーソーンが「ぴったりの言葉を見つけては、そういったものに生命を吹き込むんだ。おれにはとうていできることじゃない」と作家としての「わたし」を励ますのだが、だとしたら作中のホロヴィッツは著者よりも小説家としての適性が高いのでは…。本作、犯人当てとしてはしっかりフェアプレイであっと言わせる。その点は見事なのだが、小説としての味わい深さや奥行には乏しいように思う。犯人が知りたいからぐいぐい読まされるが、逆に言うとその他の部分にはあまり魅力がないから読み飛ばせてしまうとも言える。「面白い話」と「面白い小説」はちょっと違うんだよな…。やはり脚本家の方が向いているのではないか。

その裁きは死 ホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズ (創元推理文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
東京創元社
2020-09-10


シャーロック・ホームズ 絹の家 (角川文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
KADOKAWA
2015-10-23








『mid90's ミッドナインティーズ』

 1990年代、ロサンゼルスに暮らす13歳のスティーヴィー(サミー・スリッチ)は母ダブニー(キャサリン・ウォーターストン)と年の離れた兄イアン(ルーカス・ヘッジズ)と暮らしている。スケートボードに魅せられたスティーヴィーは、町のスケートボードショップに通いつめ、常連の少年たちと親しくなっていく。監督・脚本はジョナ・ヒル。
 冒頭、スティーヴィーがイアンにボコボコに殴られるシーンがある。カメラはやや引いた位置なのだが、殴られる音は間近に聞こえる。むしろ自分が殴られているような、頭の中に響くような音の設計だ。スティーヴィーがスケートボードに出会ってから感じる高揚感や、ボードで滑走し宙に舞う少年たちの姿はきらきらしていて軽やかなのだが、本作の底辺に流れるのはこの暴力の音であったように思う。
 スティーヴィーはイアンに日常的に暴力を振るわれているが、兄が所属する「大人」(イアンもまだ子供だが、スティーヴィーから見たら大人だ)の世界に憧れ、彼が愛好する音楽やゲームに興味津々だ。スティーヴィーはイアンと世界を共有したいのだろうが、イアンは取り合わない。そんなスティーヴィーを仲間として受け入れてくれる年長者たちが、スケートボード店にたむろうレイ(サケル・スミス)たちだ。ただ、レイたちがスティーヴィーのことを対等に扱っているかというとそうでもない。傍から見ると、レイたちとの関係は安定性があるものにも安心できるものにも見えないのだが、スティーヴィーはそこにはまっていってしまう。自分をバカにする人にニコニコついて行ってしまうメンタリティというのは何なんだろう。
 イアンもレイたちもいわゆる不良ということになるのだろうが、子供がワルぶっている年長者に惹かれていくのは何故なんだろうと不思議だった。素行の悪さや粗暴さがかっこいいという価値観はいつ頃から定着したのだろうか。本作でスティーヴィーが感じる「かっこよさ」は、「男らしさ」の負の側面の要素がかなり強い。強くあらねば、という価値観が暴力や粗暴さの方向にシフトしてしまっているようで、結構きつかった。また、性的な体験の共有、異性への嘲りで仲間意識を強める(これは性別問わず)というのもホモソーシャルの悪しき慣習という感じ。最後にはそういった世界の脆弱さが露わになるが、なぜそういう方向を選んでしまうのかという不可解さがずっと付きまとった。

ロード・オブ・ドッグタウン (字幕版)
ジョニー・ノックスビル
2013-11-26


スケート・キッチン(字幕版)
ジェイデン・スミス
2020-04-01


『湖の男』

アーナルデュル・インドリダソン著、柳沢由美子訳
 アイスランドのクレイヴァルヴァトゥン湖で、白骨が発見された。頭蓋骨には穴が空いており、ソ連製の盗聴器が体に結びつけられていたことから、他殺と判断された。レイキャヴィク警察犯罪捜査官のエーレンデュルは、部下のエリンボルク、シグルデュル=オーリと共に捜査を開始する。聞き込みの結果、農業機械のセールスマンが恋人を残し消息を絶った事件が浮上した。
 失踪した恋人を待ち続ける女性に、エーレンデュルはあなたは彼について何を知っているんだと問う。しかし何をもって知っていると言えるのだろうか。本作では様々な形で、あの人は何者だったのか・あの人を知っていたと言えるのかというモチーフが繰り返される。冷戦下の東ドイツにおけるエピソードでは正に、その人が見せようとしている面しか知りようがないという状況が続く。知らなかったことが悲劇を深めるのだ。
 とは言え、恋人を待ち続ける女性に、あなたは彼のことを知らなかったのだとは言えないのがエーレンデュルの慎み深い所だろう。エーレンデュル自身、疎遠だった息子、娘の知らなかった一面を知ることになる。知っている気になっていたのは彼の怠慢、というと手厳しすぎるかもしれないが、無関心だったからだ。あの女性とは違い、彼は知ろうとすることすら放棄していたのだから。
 エーレンデュルが弟に対して抱き続ける自責の念は以前解けていないし、子供たちとの不和も継続している。父親としてやり直すなどそうそうできないのだ。また今回はシグルデュル=オーリに父親との確執がある様子、またある事故の遺族からの電話に悩まされ続けている様が描かれる。人間の造形の奥行、白でも黒でもない様が渋い。シグルデュル=オーリと家族の関係については今後のシリーズ作品でも言及ありそうな予感。

湖の男 エーレンデュル捜査官シリーズ (創元推理文庫)
アーナルデュル・インドリダソン
東京創元社
2020-03-19


厳寒の町 エーレンデュル捜査官シリーズ
アーナルデュル・インドリダソン
東京創元社
2019-08-22




『ミドルマーチ3』

ジョージ・エリオット著、廣野由美子訳
 カソーボンの妻ドロシアと、カソーボンの伯母の孫であるウィル・ラディスローは惹かれあっているが、お互いに気持ちを確認することはできず、カソーボンの死と彼の遺言がきっかけで仲を引き裂かれる。ウィルはミドルマーチを去ることにするが、銀行家バルストロードから意外な事実を知らされる。一方、ヴィンシー家の長男フレッドは地所管理人ケイレブ・ガースの元で働き始め、ガース家の長女メアリとの結婚を望む。またリドゲイト医師と妻ロザモンドの間には借金問題が立ちはだかる。
 イギリスの地方都市に暮らす人々を描く群像劇だが、徐々にドロシア&ウィル、フレッド&メアリ、リドゲイド&ロザモンドという3組のカップルが軸となってきた。そしてそれぞれの人間性がよりくっきりしてくる。初登場時と比べると大分変化もしてきた。ドロシアの思い込みの激しさや視野の狭さは薄れ、より精神性の高い、献身的な人物になっていく。お金にだらしなく頼りなかったフレッドはようやく手に職をつけようとするが、父親の望む社会的地位からは降りることになってしまう。リドゲイドとロザモンドは育ちの良さから来るやりくりへの無頓着さが表面化していく。この作品、一貫してお金の問題が扱われているな…。お金がないのは辛い、「世間並」にこだわるのならなおさら、というわけだ。リドゲイドもロザモンドもお金に困ったことがない人で、自分の収入と支出のバランスをわかっていない、わかっていても快適さを優先させちゃうんだよね…。
 人間のみっともない部分や姑息な部分を克明に描くので、なかなか辛い。滑稽さもあるのだが、人間て本当に意志の弱い生き物だなと実感させられるのだ。弱さのあり方が時代を越えている。

ミドルマーチ 3 (光文社古典新訳文庫)
ジョージ・エリオット
光文社
2020-07-08


ミドルマーチ2 (光文社古典新訳文庫)
エリオット,ジョージ
光文社
2019-11-08



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