3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2020年07月

『回復する人間』

ハン・ガン著、斎藤真理子訳
 あなたの脚には穴がある。火傷が細菌感染を起こして深い傷になったのだ。その発端は姉の葬儀で脚をくじいたことだった。あなたと姉はずっと疎遠だった(「回復する人間」)。画家である私は事故によって手が不自由になり、作品製作ができなくなる。日常生活もおぼつかなくなり気力を失った私に、やさしかった夫はいら立ちを隠せなくなっていく。ある日、学生時代の友人が遊びにこないかと電話をかけてきた(「火とかげ」)。傷を抱えてままならない人生を生きる人たちを描く作品集。
 本著の題名にもなっている「回復する人間」という言葉は、著者の作品全体を象徴するようでもある。何らかの傷や、現在あるいは過去の痛みを抱えた人間の姿が描かれていることが多いように思う。「回復する」というのは少々うらはらというか、そのままポジティブな方向性というわけではなく、当人にその気がないのに「回復してしまう」人間の特性を表しているようにも思う。表題作の「あなた」は肉体的には脚の傷が順調に回復していくが、必ずしも精神的に回復しているというわけではない。姉の死は彼女に消えない傷を残すだろう。姉との関係が何だったのか、2人がなぜ疎遠になり姉が彼女を愛さなかったのか、今となってはもう知る手段がないということがまた、その傷を消えないものにしていく。職場の先輩だった女性を描く「明るくなる前に」は、表題作の変奏曲にも思えた。こちらは相手との間に深く通うものがある(それが間に合わなかったとしても)話だが、誰かの人生と自分の人生との関わりがはっと見える時があるのだ。「そんなふうに生きないで」という言葉が実際は発せられなかったとしても、そう思えるくらいに相手に近付いたことに心を打たれる。

回復する人間 (エクス・リブリス)
ハン・ガン
白水社
2019-05-28


そっと 静かに (新しい韓国の文学)
ガン, ハン
クオン
2018-06-25


『はちどり』

 1994年、ソウルの団地で暮らす14歳のウニ(パク・ジフ)は学校には馴染めず、同じ塾に通う親友と悪さをしたり、ボーイフレンドや後輩の女子とデートをしたり、代わり映えのない日々を過ごしていた。両親はしばしば大ゲンカをし、受験生の兄はウニに暴力をふるい、姉は塾をさぼって留守がちだった。ある日、ウニが通う塾に新任教師ヨンジ(キム・セビョク)がやってくる。これまで会った大人とは雰囲気が違うヨンジにウニは心を開いていく。監督はキム・ボラ。
 ウニの家庭は父親が専制君主的に妻や子供たちを縛っており、家族は父の顔色を窺っている。とは言え真に強い父親というわけでもなく、家父長制というシステムに乗っかっているから威張れるという感じの頼りなさが漂う。母親は一応父親に従うがどこか上の空で子供たちの機微にも無頓着。兄は実際の能力以上の成績を親に求められて強いプレッシャーを感じており、そのストレスを妹たちにぶつける。ウニは家族に何も相談できず、明らかに家庭内に問題があると言える。
 しかしウニが抱えているような家庭の問題は、外部からは見えにくいし、相談しても「よくあること」「普通の家の子」として扱われがちだ。当人もこれが普通で、仕方のないことだと思ってしまいがちだろう。そこが非常に辛い。家族で囲む食卓がやたらと緊張感をはらんで不穏なので、これが毎日続くのかと思うと、そりゃあ生きているのが辛くもなるよなと納得してしまう。子供はいられる場所が限られているから、自宅の居心地が悪いというのは死活問題だろう。
 子供にとって、周囲にどんな大人がいるのか、どういう大人と知り合うかというのは本当に大きな要素だ。しかしこれは運任せだというのがまた辛い。兄の暴力に耐えるウニに、殴られたら反抗しなさいとヨンジ先生は話す。自分がないがしろにされているのを我慢する必要はない、嫌なことを訴えるのは正しいと教えてくる人がそれまでいなかったというのは、かなり深刻なことだと思う。ウニがヨンジを慕うのは、彼女がウニを独立した個人として尊重したからだろう。でも本来、誰でもそうするべきなんだけど。

ヤンヤン 夏の想い出 [DVD]
ケリー・リー
ポニーキャニオン
2004-03-03


冬の小鳥 [DVD]
コ・アソン
紀伊國屋書店
2011-06-25


『カセットテープ・ダイアリーズ』

 1980年代イギリスの田舎町ルートン。パキスタン系移民の高校生ジャベド(ビベイク・カルラ)は作家を夢見ていたが、閉塞的な土地柄や保守的な父親の元、鬱屈した日々を送っていた。ある日、同級生からブルース・スプリングスティーンのカセットテープを借りたジャベドは、生活の苦しみや怒り、夢を歌うスプリングスティーンの曲に心を打たれ、自分の人生を変えようとし始める。監督はグリンダ・チャーダ。
 ブルース・スプリングスティーンの音楽を駆使した音楽映画で、曲の歌詞もビジュアルとして画面に取り入れている。ジャベドがスプリングスティーンの曲に没頭すると、曲の歌詞が彼の周囲に漂ったり壁や塀に映し出されたりする。ジャドベが自分の生活と曲とを重ね合わせ、その中で生きているのだ。気分が高揚するとミュージカル風の展開にまでなる。若干素人っぽいが楽しく、音楽が誰かの人生に深く影響を与える、音楽と一緒に生きている感じがとてもよく出ている。どちらかというと野暮ったい、洗練されたとは言い難い作品ではあるのだが、王道の野暮ったさ故の良さみたいなものがあった。結構ご都合主義でもあるのだが(とんとん拍子にジャベドの文章が評価されるあたり)、それもまた楽しい。サッチャー政権下で失業にあえぎ、その反動で移民排斥運動が激化するイギリスの世相が背景にあり、そこはほろ苦いのだが。
 ジャベドはスプリングスティーンに心酔し、何をやるにもスプリングスティーンの曲がサントラ、自分の気持ちやシチュエーションを曲に乗せる。自分が抱えていたけど言語化されていなかったものが、曲の歌詞によってこれだ!と具体化されるのだ。それはそれで歌の力を感じされていいのだが、より感動的なのは、彼がスプリングスティーンの歌詞を手放し、自分自身の言葉で語りだす瞬間だ。「自分の物語を書く」とはそういうことだろう。ジャベドの学校の教師は、彼に何度も自分のことを書け、自分の言葉を書けと言い続けるのだが、それがクライマックスにつながってくる。
 自分の物語を書くのはジャベドだけではない。文字通りに「書く」わけではないが、彼の妹にも、親友にも、そして反目していた父親にも、それぞれの物語があり、それはないがしろにされるべきものではないと、ジャベドは理解していく。特に妹の「変身」は鮮やか。クラブのデイタイム営業っていいなー!パキスタンのクラブミュージックも楽しいし、クラブに同行したジャベドが途中でヘッドフォンを外し、妹が好む音楽の世界で一緒に楽しむのもよかった。人の音楽の好みは尊重すべきだとジャベドが気付くのも良い所。ジャベドの親友は流行のニューウェイブに夢中なのだが、それをバカにするのは違うよなと。80年代、既にスプリングスティーンが「古い」とされているのはちょっと意外だった。今聞いても古びていない、というか時代を感じさせにくい音楽なので。

闇に吠える街(REMASTER)
ブルース・スプリングスティーン
SMJ
2015-07-22


ベッカムに恋して
カーティス・メイフィールド
ワーナーミュージック・ジャパン
2003-03-26


『アングスト/不安』

 刑務所から出所したばかりの殺人犯K.(アーウィン・レダー)は、新たな犠牲者を求めてさまよっていた。大きな庭に囲まれ、周囲に民家のない屋敷に狙いを定めたK.は、その屋敷に暮らす一家が帰宅するのを待ち構えて犯行に及ぶ。1980年にオーストリアで実際に起きた、殺人鬼ベルナー・クニーセクによる一家惨殺事件を元にした作品。監督はジェラルド・カーグル。
 1983年に制作されて以来オーストリアでは長年放映禁止になっていたそうだが、この度なぜか日本で劇場初公開された。相当猟奇的らしいしショッキングな描写が多いから心臓の弱い人は注意!という事前のお知らせもあったし、普段こういった作品はあまり見ないので、見るかどうか迷った。しかし撮影を短編『タンゴ』(偏執的かつ珍妙で素晴らしい)のズビグニェフ・リプチンスキが担当したというので、どうしても気になって見に行ってみた。
 で、実際に見てみると、危惧していたほどえぐくはなかった。確かに残酷なシーンはあるのだが、むしろ非常に冷徹で残酷さに酔うようなナルシズムは薄い。主人公であるK.のモノローグにより、あくまでシリアルキラー目線で進行する。彼の行動原理や殺人の動機に安易な理由付けをせず、「共感させない」「わからせない」という姿勢に徹した演出だ。それが対象との距離感を保つ冷静さを生んでおり、かつわからなさによる怖さが強調される。
 K.の犯行にはある程度の計画性と狡猾さがあるが、どう考えてもそれは理屈に合わないな?!とか、自分の首を絞めているよな?!と言いたくなるわきの甘さや衝動性も強い。自分をコントロールできる部分と出来ない部分の落差が激しいのだ。K.は殺人により快楽を得るシリアルキラーだが、得られる快楽に対する殺人と言う行為のコストパフォーマンスはものすごく悪そうに見える。殺人は重労働かつ高リスクでロマンとは程遠い。それをわざわざやってしまう心境の不可解さ、怖さが際立っていた。
 ユニークなショットが多く、撮影の面白さが味わえる作品だった。移動するK.を間近から追うショットは、カメラが並走しているというよりも、俳優自体にカメラを取り付けて一緒に移動しているみたいに見えるなと思っていたら、本当に俳優にカメラを取り付けた器具を背負わせていたそうだ。

屋根裏の殺人鬼 フリッツ・ホンカ(字幕版)
グレタ・ゾフィー・シュミット
2020-06-17


『翡翠城市』

フォンダ・リー著、大谷真弓訳
 翡翠のエネルギーにより怪力、敏捷、感知などに超人的な能力を発揮できるグリーンボーンたちの国、ケコン島。島の中心地であるジャンルーンを仕切るのは、コール家を中心とする「無峰会」。若き「柱」ランとその弟で武闘派の「角」ヒロ。ライバル組織「山岳会」との抗争を繰り広げていたが、事態は大きく動く。
 特殊能力者の世界の中のピラミッド構造と縄張り争いを描く、SFファンタジーヤクザ小説みたいな作品。組織の中でも鍔迫り合いや疑心暗鬼、裏切りが繰り広げられる。ランとヒロらが生きるのはそうした世界だが、彼らの妹シェイは海外の大学に通い、異文化の中で生活した経験がある。自分が一族に保護されていることへの屈託もあり、自立心と一族への愛情とが相反している。
 世界ではおそらくケコンの外の方がスタンダードで、ケコンはある種の異界として見なされている。ケコンの強みである翡翠の力も、個人の力を増強するものではあるが、それが強みになるのはあくまでグリーンボーン同士の個人戦、つまり決闘というシステムが有効な文化圏の中、あるいは組織に属さないアウトローとして生きる時だ。翡翠の力を民族の誇りとるす無峰会にしろ、海外との交渉材料にしようとする山岳会にしろ、資本主義と外交という世界の多数派のルールにのってしまった時点で、強みは失われていくように思う。彼らがいるのは旧世界で、この先独自性を保っていくのは厳しいのではないか。そもそも個人の力を増強しても、量産された武器・兵器に対抗できるほどではないだろう。翡翠の力の希少性は、おそらくそれほど高いものではなくなっていく。
 シェイはそういったギャップを知っているはずなのに、自分の一族の仕組みの中に自ら参入していかざるを得ない。コール家もケコンの文化そのものもいずれ廃れていくのではないかという予兆をはらんでおり、どこか寂寥感をはらんでいる。

翡翠城市 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
フォンダ リー
早川書房
2019-10-17


サイバラバード・デイズ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
イアン マクドナルド
早川書房
2012-04-01


『名探偵の密室』

クリス・マクジョージ著、不二俶子訳
 かつて少年探偵として名をはせ、今はバラエティ番組の「名探偵」MCとしてタレント活動をしているモーガン・シェパードは、気付くとホテルのベッドに手錠で繋がれていた。その部屋には見知らぬ男女5人が閉じ込められていた。外に出る手段が見つからない中、バスルームで男性の死体が発見される。そして備え付けのTVに男が映し出され、3時間以内に殺人犯を見つけなければホテルを爆破すると告げる。
 密室、死体、そして探偵という直球の本格ミステリではあるのだが、「誰が」あるいは「誰なのか」という部分で何重かの仕掛けがされている。アルコールとドラッグに依存気味なシェパードの語りの信用できなさも含め、登場人物全員の話があやしく信用できない。殺人犯は誰なのか、彼らは何者なのか、犯人の狙いは何なのか。ばらばらに見えた要素が一つの目的に集約されていく。ケレンの強い、謎解きというよりもジェットコースタードラマ的なミステリ。明かされる仕掛けが大仰すぎてちょっと「本格」感が薄れてしまった。め、めんどくさいことやってるな犯人!終盤、ある人物の語り口調が急に不自然なものに変わるのだが、原文のニュアンスってどういう感じなのかな?不自然、人工的な口調になったということ?

名探偵の密室 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
マクジョージ,クリス
早川書房
2019-08-06




『コリーニ事件』

 新米弁護士のカスパー・ライネン(エリアス・ムバレク)は、大物実業家ハンス・マイヤー(マンフレート・ザパトカ)が67歳のイタリア人ファブリツィオ・コリーニ(フランコ・ネロ)に殺された事件で、コリーニの国選弁護士を担当することになった。マイヤーは少年時代のライネンの恩人だった。全く接点のなさそうなマイヤーとコリーニの間に何があったのか。原作はフェルディナンド・シーラッハのベストセラー小説。監督はマルコ・クロイツパイントナー。
 ライネンはマイヤーとコリーニの繋がりを解き明かすために、過去の公文書を紐解いていく。調査する過程に結構分量を割いているのだが、公文書類がちゃんと保管されており公開されているって本当に大切なんだなと実感できる。記録は取れ!そして残して閲覧できるようにしろ!とどこかの国にも言いたくなる。
 「当時は事情が違った」「当時の価値観では普通だった」「組織に命令されただけだ」というのは、よく言われることだ。しかしそれは免罪符になるのか。でも今なら正せるじゃないか、あなたにはそれができるはずだと突き付けてくる作品だ。法律上時効があったとしても、過去の延長上にいる存在として、過去を検証し認識を正していく責任はあるのではないかと。ライネンは個人的な情や絆と倫理観との間で葛藤する。こういう部分と向き合い続けられるかどうかで、その文化圏の倫理性、文化の強靭さが分かれていくような気がする。
 ライネンがトルコ系移民だというのは本作の一つのポイントだろう。ドイツは彼の祖国ではあるのだが、そこでの彼はアウトサイダーだ。少年時代に同世代の子供からトルコ野郎!と罵倒されるシーンがあるのだが、そんなお気軽に罵倒されるものなのかとぎょっとする。その子供はライネンの幼馴染かつ親友となっていくのだが、彼、そして彼の家族の中にはそういう差別意識がずっとあったのではないか。何かの拍子でぽろっと差別意識が出てきそう(というか出る)のが怖い。

コリーニ事件 (創元推理文庫)
フェルディナント・フォン・シーラッハ
東京創元社
2017-12-11


手紙は憶えている(字幕版)
ブルーノ・ガンツ
2017-05-03


『凱里ブルース』

 凱里市の小さな診療所で、老齢の医者を手伝いひっそりと暮らすチェン(チェン・ヨンジン)。彼は服役していた時期があり、出所した時には妻はこの世にいなかった。また故郷の弟とも折り合いが悪く、可愛がっていた甥は弟の意向で他所にやられていた。甥を連れ戻し、医者のかつての恋人に思い出の品を渡すためにチェンは旅に出る。たどり着いたのはダンマイという小さな町だった。監督・脚本はビー・ガン。
 『ロング・デイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』が鮮烈だったビー・ガンの長編監督デビュー作。しかし本作品の構造は『ロング~』をほぼ同じで、本作が『ロング~』の原型である、ないしはビー・ガン監督にとっての物語の一つの原型がこういうものだということがわかる。自分の記憶の中のある人、もしかしたら自分のイメージの中にしか存在しない人を探して旅をする。その中で自分が自分の、あるいは誰かの記憶・イメージの中に突入していくような、入れ子構造が開始するような瞬間がある。『ロング~』では幻想的な長尺長回しシーンのインパクトが鮮烈だったが、本作でもそこそこの長回しが使われている。本作の方が地に足がついている(とうか手作り感の強い)が、町の地形を利用した視界の変わり方が新鮮で楽しかった。低予算故の面白さ(ここは所要時間を何度も確認したんだろうなーと感慨深くなるような)みたいなものを感じた。
 チェンの旅路に明確な答えは出ない。弟や甥との関係も、医者の恋人の思い出も「落ち」はつかずに漂い続ける。どこか夢の中の出来事のようでもあり、なんだかおぼつかない。チェンは誰かに会うために移動し続けるのだが、移動の目的よりも、この移動という動きそのものの方が「今ここにある」といった手応えを感じられる。景色が変わっていくのが気持ちよく、特に終盤の列車に乗っているシーンには、ああこの感じ!(自分にとって列車に乗って長距離移動する機会がとんとなくなっているのも一因かと思うが)と強烈ななつかしさを感じた。


薄氷の殺人
グイ・ルンメイ


『一度も撃ってません』

 売れないハードボイルド作家・市川進(石橋蓮司)、74歳。近年は原稿を持ち込んでも編集者に断られてばかりだった。そんな彼には伝説のヒットマン噂があり、過去に警察にマークされたこともあった。しかしその噂にも実はからくりが。監督は阪本順治。
 何とも懐かしい気持ちになる1作。そういえば昔(80年代くらいか?)こういう愉快でちょっと洒落た(本作はそんなに洒落てないんだけど、「あの頃の洒落てる」空気を再現しようとしているように思う)B級邦画ってあったなという気がしていくる。出演者はベテランばかりで豪華だが、気負った所が全然なくて、よい意味で全編おまけ、余暇みたいな作品だと思う。ストーリー上、あのエピソードのオチはないの?とかあの設定は何か意味あったの?とか細部のつじつまを合わせずに緩くまとめているところもおまけっぽい。それでもゆるすぎたり内輪ウケ的になっていないのは、俳優、スタッフの力量によるものだろう。ゆるくても「映画」というのはこういうものだ、という基本的な所が踏まえられているのではないかと思う。
 あの頃のお洒落さ、ハードボイルド的なかっこよさを盛り込んだ作品だが、ノスタルジーの甘美さにひたりきらず、ユーモラスな方向へと舵を切っている。今となっては市川のやっている「かっこいいハードボイルドしぐさ」はなかなかお寒いものだ。酒とたばこと夜遊びが「洒落」ている世相ではなく、若手編集者にも容赦なく突っ込まれる。それでも自分のかっこよさをやり抜く市川は、やっぱりかっこいいのかもしれない。彼の振る舞いは滑稽に演出されているが、バカにしてはいない。
 市川、石田(岸部一徳)、ひかる(桃井かおり)は長年の付き合い。ただ、過去に色恋沙汰もあれこれあった男女という感じではなく、ボーイフレンド・ガールフレンド的なじゃれあいをずっと続けてきた人たちなんだろうなという雰囲気が出てきた。市川の妻・弥生(大楠道代)としては部外者扱いされたみたいで面白くはないだろうけど…。弥生の扱いは全般的にちょっと軽すぎというか、重く見ていない感じがして、そこはひっかかった。また岸部一徳がセクハラオヤジを演じているが、昔はモテたとかちょいワルおやじとかではなく、ちゃんと「これはセクハラでこいつはクソですよ」という見せ方。娘とのエピソードにも全くフォローがない(そりゃそうだなと納得させる)ところも潔い。

大鹿村騒動記
松たか子
2013-11-26


真夜中まで [DVD]
真田 広之.ミッシェル・リー.岸部 一徳
video maker(VC/DAS)(D)
2007-12-21






『ワイルド・ローズ』

 スコットランド、グラスゴーに暮らすシングルマザーのローズ(ジェシー・バックリー)は、カントリー歌手として本場アメリカ、ナッシュビルに行くことを諦められずにいる。彼女の強い思いは、時に母親や幼い2人の子供を傷つけてしまう。大きなチャンスを目の前にしたローズは思い悩む。監督はトム・ハーパー。
 ローズが刑務所から出所するところから始まるので、えっそういう話なの?!と少々びっくりするけど、その後披露される彼女の喧嘩っ早さや歌うことに対する衝動の強さ、動物的とも言える行動原理は、確かにトラブルを招きやすいだろうなとわかってくる。一方で、久々にクラブのステージに立ったローズのパフォーマンスからは、歌声にもキャラクターにも人を引き付ける個性があることがわかる(バックリーの歌唱がすごくいい!ちょっと野太い感じにぐっときた)。
 ローズにとって歌うことは生きることにも等しいが、それゆえに歌うことと生活の両立しなさが苦しい。経済的にはもちろんだが、子供たちを最優先に出来ない苦しさがきつい。自分の母親に任せっきりだったとは言え、ローズは子供たちを愛しており、やろうと思えば「ちゃんとした母親」をやれる力もある(一念発起してからの部屋の整い方は、家事全般基本的にできる人のものだよな…)。しかし、それをやり続けると彼女が本来生きたい道は閉ざされていく。ただ、母親が「責任を持ってほしかったけど希望を奪うつもりはなかった」と言うように、両方あっていいのだ。
 本作、困難な状況にあるヒロインがハードルを越えて夢を掴もうとするという古典的なストーリーだが、ちょっと新しい、「今」の作品だなと思う点がいくつかあった。この責任と希望と両方正しいという点もその一つ。あれかこれか、ではなく、何とかして両方それなりに成立させていくことが是とされる。また、夢を追うというと故郷・家族を捨てるというイメージがあるが、そこも別に捨てなくていいのでは?と提示される。ローズはちょっとレトロなところがあって、カントリーをやるならナッシュビルに行かないとならない(まあグラスゴーでカントリーというのはかなり変わっているんだろうけど…)、有名になるにはラジオ局に手紙を出し続けなければならない、と思い込んでいる節があるが、それこそ「メールを出す」ことだって出来る。夢のかなえ方、生き方が一様ではなくなっているし、あれかこれかの二択の世界ではなくなっているんだ、色々やれるんだという話にも思えた。
 なお、シンデレラガール的なお話だと、ヒロインを引っ張り上げる男性が往々にして登場するが、本作でローズを助ける、あるいは反発するのはほとんど女性。ボーイフレンドらしき男性は出てくるが、ほぼセックスのみだし、あこがれのDJもアドバイスをくれた程度。具体的な助けになるのは母親であったり、ご近所の女性であったり、仕事先の女性であったりする。これもまた現代的かなと思った。

歌え!ロレッタ 愛のために [Blu-ray]
フィリス・ボーエンズ
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
2018-08-08


リトル・ボイス [DVD]
マイケル・ケイン
パイオニアLDC
2002-02-22


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