3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2020年07月

『悪人伝』

 ヤクザの組長チャン・ドンス(マ・ドンソク)はある晩何者かにめった刺しにされる。一命を取り留めたドンスは対抗組織の犯行と見て、犯人捜しを始める。一方、連続殺人犯を追っていたチョン刑事(キム・ムヨル)は犯行時の状況から、ドンスを襲ったのも同一犯と見て情報を得る為ドンスに近づく。なりゆきで情報交換し共闘することになる2人だが。監督はイ・ウォンテ。
 ヤクザと刑事が組んでシリアルキラーを追い詰めていくというバディもの…を意識したのだろうが、あまりバディ感はない。2人が一緒に行動する機会が意外と少ない(そりゃあ立場上一緒にいてばかりじゃまずいのだが)し、信頼感もいまひとつ。相手のことを知ろう、理解しようという意志はあまりないのだ。利用しあうという関係にとどまっており、そこがライトで見やすい所でもあるし物足りない所もでもある。本作、面白いことは面白いのだが、ストーリー上起こるべきことが順次起きていくという感じで、いまひとつ奥行きがない。ドンスにしろチョンにしろ、ヤクザという役割、刑事という役割という表層的な所にキャラクターが留まっており、1人の人間として立ち上がってくる感じには乏しい。特にドンスはマ・ドンソクが演じる必然性があまり感じられないのが勿体なかった。
 ドンスとチョン刑事は、殺人犯を捕まえるという、一見共通の目的を持っている。しかし犯人をどう扱うか、何をもって罰するかという点は相容れない。ドンスは私的制裁を加える(要するにリンチの上殺す)ためであり、チョンは法律で裁くためである。ヤクザと警官という2人の立場の差がここにはっきりと出ているのだ。ラストは2人の方向性の折衷案みたいなのでこれはこれでかなり怖い、同時に笑っちゃうんだけど…。
 なお「悪人伝」というほどドンスもチョンも悪人ではない。ヤクザとしての悪知恵、刑事としてのこ狡さはあるし、ドンスは犯罪者ということになるが、純粋な「悪人」とはちょっと違うだろう。犯人こそが悪なわけだが、彼は「Devil」と表され「人間」ではないのだ。

犯罪都市(字幕版)
チェ・グィファ
2018-09-04


『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ』

川上和人著
 時に過酷なフィールドワークにいそしみ、時に地味な採集作業に打ち込む鳥類学者。縦横無尽に語られる鳥類の生態と研究者の生態。
 軽妙なトークで人気の鳥類研究者によるエッセイ集。翼をもつ鳥の姿は、太古から人間の憧れで素敵なイメージを重ねがちだが、実際はシビアな生存競争の中で生きており、必要がなければそもそも飛ばない。鳥にとって最大の特徴は翼によって飛ぶ(飛ばない鳥もいるが)ことだが、よく見ていると飛んでいない時間の方が圧倒的に長いし、実は長距離はそんなに飛ばない。飛ぶことはコストパフォーマンスが悪いのだ。鳥の身体造形は飛ぶために機能性を突き詰めたようなものなのに、飛ぶこと自体はそんなに合理的ではないのか?鳥の世界、鳥の生態の面白さが軽妙な語りにのって伝わってくる。映画やゲーム、アニメや漫画からのネタが何の前触れもなくぽんぽん投げ込まれてくるのも楽しい。川上先生、かなり漫画読んでいません…?
 そして生態が描かれるのは鳥だけではない。鳥類研究者の生態もまた面白いのだ。南硫黄島でのフィールドワークのエピソードには、えっこんなにハードコアなの?!体を鍛える所から始まる(上陸するために崖をよじ登らなければならないし島上は徒歩移動なのであながち冗談ではない)の?!とびっくり。一応国内なのに!学問の世界の奥深さ、研究者の生態も垣間見えてとても面白かった。外来種との闘いや生態バランスを保ち続ける難しさ等、人間が立ち入ったからこそ生じる問題もあり考えさせられる。


『空のあらゆる鳥を』

チャーリー・ジェーン・アンダーズ著、市田泉訳
 魔法使いの少女パトリシアと、天才科学少年ローレンスは幼い日に出会い、お互いを唯一の理解者として成長していく。しかしある未来を予知した暗殺者のたくらみにより、2人は別々の道を歩むことになる。そして人類滅亡の危機が迫る中、成長した2人は魔術師と科学者という対立する組織の一員として再会する。
 パトリシアもローレンスもユニークな個性や突出した性能があるが、家族や学校には理解されない。ここではないどこかに行ければと願う孤独な子供だった。子供にとって親の無理解は致命的だが、特にパトリシアの両親と姉のふるまいはかなり極端(これ虐待じゃないの?というくらい)で、彼女と断絶している。ちょっと戯画的すぎて作中の他の部分とのトーンの違いが気になってしまった。こういう部分だけでなく、作中の科学技術の水準とか魔術とされるものの定義や、魔術師の組織あるいは科学者の組織の構成やその目的など、つじつまが合うんだか合わないんだか微妙だったり、パトリシアやローレンスがどういう経緯で組織の中で働くようになったのかなど所々あっさり割愛されていたりで、全体的に描いている部分と描いていない部分の落差が大きいように思った。つじつま合わせや伏線回収にはあまり熱心ではない(子供時代のパトリシアに対する「樹」からの問いの回答など、なんだそりゃという感じだし)。そもそもどの時点で人類滅亡の危機の持ち出し方は唐突だし、科学と魔術、人類と自然という対比もわりと安直だ。
 ただ、そこは作中それほど重要な部分ではないのだろう。強く印象に残るのは少年少女の孤独さであり、世界からはみ出てしまった心もとなさだ。心もとなさ故に2人は惹かれあうが、やがてそれぞれが所属するはずの世界においても、お互いの存在故にはみ出していってしまう。その如何ともしがたい関係性、引力が本作を構成している。そして全く異なる個性同士の共通項と融合という所に、破滅から逃れる希望がほのかに見える。

空のあらゆる鳥を (創元海外SF叢書)
チャーリー・ジェーン・アンダーズ
東京創元社
2020-05-09


『庭とエスキース』

奥山淳志著
 カメラマンである著者は、北海道の通さな小屋で自給自足の生活を長年営んできた弁造さんと知り合い、彼と彼の「庭」を撮影するために頻繁に訪問するようになる。弁造さんの家にはいつもイーゼルが立てかけてあり、描きかけの絵がかけられていた。弁造さんは室内過ごす時間のほとんどをこのイーゼルを眺めて過ごしていた。弁造さんとの日々と彼と著者との交流を記した一冊。
 弁造さんの小屋はごくごく小さく、室内にあるのはトイレとお風呂、ベッド、クローゼットと薪ストーブくらい。その真ん中にあるのがイーゼルで、弁造さんの生活の中心に絵を描くことがあるということがよくわかる。ただ、弁造さんがイーゼルの絵を完成させることは稀だった。著者が訪問するたびに違う絵がたてかけており、弁造さんは度々これはまだエスキース(下絵)だと言うのだった。弁造さんの話はいかにも「お話」的で面白すぎ、どこまで本当なのか眉唾なところもある。著者はその「お話」込みで弁造さんという人間に興味を持ち関わっていく。
 自分とは全く違う他者と関わってみたい、他者の人生を垣間見たいという著者の動機は不遜とも言えるのだが、弁造さんはそういう著者の動機を時にはぐらかし時に受け入れていくようでもあるが、人柄の真の部分は見せてくれても人生の全体像や真意は見せない。弁造さんの人生がどういうものだったのかは、結局断片的にしかわからないのだ。しかしそのわからなさ・断片的であることこそが他者と関わるということだろう。他者の人生を全部理解しようとするのではなく、わからないものはわからないものとして、その奥深さの気配を察するに留めるのも、他者との関わり方の一つだ。

庭とエスキース
奥山 淳志
みすず書房
2019-04-17


とうほく旅街道―歴史の薫りに触れる
奥山淳志
河北新報出版センター
2012-04-01


『P分署捜査班 集結』

マウリツィオ・ジョバンニ著、直良和美訳
 独自の捜査方針を貫く切れ者と評判、しかし倦厭されがちなロヤコーノ警部は、ピッツォファルコーネ署への異動を命じられる。ナポリで最も治安が悪い地区の所轄で、捜査班の多くが汚職で逮捕されたために至急の人員補充が必要だったのだ。しかし集められたのは何らかの問題があり、他の分署が持て余した人材ばかりだった。
 著者が真っ先に謝辞を送っているのがエド・マクベインというあたりでわかるように、オーソドックスな警察群像劇。当座しのぎのチームが複数の事件にあたっていく中で、メンバーそれぞれの個性・人生が垣間見えていく。裕福なスノードームコレクターの殺害事件、アパートの一室に女性が閉じ込められているのではという疑惑、どちらも決して派手な事件ではないし、真相にあっと驚くような意外性はない。しかし個々の刑事たちが地道に聞き込みをし、真実にたどり着こうとする様は正に警察小説の王道。刑事たちの造形が多面的で、職場での顔と家庭での顔があり、それぞれいかんともしがたい問題を抱えている様子も印象に残る。特にカラブレーゼの、夫と息子に対する思い。誰もが子供をひたむきに愛せるわけではないんだよな…。シリーズ作品だそうなので、この問題は次作に引っ張られる、またシリーズ通して解決していくのでは?という事件の断片も見え隠れしている。本作単品というより、この先のシリーズとしての展開が楽しみな作品。

集結 P分署捜査班 (創元推理文庫)
マウリツィオ・デ・ジョバンニ
東京創元社
2020-05-29



警官嫌い (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 13‐1))
エド・マクベイン
早川書房
1976-04-20


『パブリック 図書館の奇跡』

 記録的大寒波に襲われた真冬のシンシナティ。70人のホームレスが公共図書館に立てこもった。緊急シェルターがどこも満員で、このままでは路上で凍死するというのだ。図書館員のスチュアート(エミリオ・エステベス)は彼らの苦境を見かね、共に図書館に立てこもることになる。監督・脚本は主演もしているエミリオ・エステベス。
 監督としてのエステベスの仕事は『星の旅人たち』しか知らなかったのだが、パブリック=公共とはどういうものかと真っ向から向き合った熱意溢れる作品だった。何より、「図書館は民主主義の最後の砦」であると明言されている、社会における図書館の存在意義がわかる作品。フレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を思い出した。アメリカにおける公共図書館の位置づけがよくわかるのだ。図書館は誰もが知識にアクセスできる場であり、知識を得る=生活を助けること、生きる権利を保護することなのだ。冒頭、「臭い」にまつわるトラブル(日本でも頻発していそうで、図書館ユーザーとしては各方面の言い分がわかるだけになかなか辛い…)で図書館側が苦境に立たされるが、図書館の利用が誰にでも保障されているという前提、つまり生きる権利が保障されているという前提が世の中に浸透しているからこその訴えなわけだ。このあたりは日本との民度の違いを感じて、正直羨ましくもあった。
 スチュアートがホームレスらと共闘するのも、仲間や友人だからではなく、それが彼らの権利であり、自分はその権利を守ることが仕事だという信念があるからだろう。ホームレスたちの要求は寒さから身を守りたいというのが第一なのだが、内部の映像を見た人が言うように「デモみたい」なものでもある。こういう苦しみを抱えている者がここにいる、自分たちはここにいるという存在の主張なのだ。警察官たちはそこが見えていないのだが、スチュアートには見えた。
 良い作品なのだが、ちょっと古いなと思った所もある。アパート管理人がスチュアートに積極的に関わるようになる経緯としてセックスが織り込まれている所とか、女性キャスターの能力も知識も共感力もいまいちだが野心は満々な所とか、映画の中の女性の造形がひと昔前っぽい。同僚女性の造形も類型的な図書館ガールとでもいうような感じで、センスいまいちだと思う。

星の旅人たち (字幕版)
エミリオ・エステヴェス
2013-11-26







『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』

 リヨンに住む銀行家アレクサンドル(メルヴィル・プポー)は、幼い時分に性的虐待をしたプレナ神父がいまだに子供相手の教室をもっていると知る。過去の出来事を告発すると決意したアレクサンドルは粘り強く教会にはたらきかけていく。監督・脚本はフランソワ・オゾン。
 オゾン監督はこういうタイプの映画も撮るのか!と新鮮な気持ちになった。実際に起こった事件、しかも裁判は続行中という背景があるので、ひねった演出にはせず、直球・率直な見せ方にしてきたのかもしれない。構成はかなりタイトかつ話の運びがスピーディーで、説明口調ぎりぎりの「わかりやすさ」。主人公が途中でいつの間にか交代していくことで、アレクサンドルが始めた活動がどんどん広がっていく過程が体感できる。被害者会が立ち上げられ、参加したメンバーが自分は一人ではなかった、仲間ができたと涙するシーンもある。ただそれは、声を上げられなかった被害者たちがこんなにもいたのかということでもあり、ぞっとするのだが。
 性犯罪被害は被害者が声を上げにくい、声を上げることによって更にダメージを負いがちだが、子供であればなおさらだ。自分が何をされたのか上手く言語化できないままで、ようやく言葉にできたら「昔のことを騒ぐなんて」とか「もう大人だから大丈夫でしょ」とか言われてしまう。これが法的にも大きなハードルになっているという点が残酷だ。言えないうちに時効を迎えてしまうのだ。作中でも、時効になっていない被害者を探すために被害者会も警察も奔走する。告発する、謝罪させるだけでなく「法的に裁く」ことが重要なのだが、社会正義の為であると同時に、カソリック教会の隠蔽体質は治らず自浄能力がないと見限ったからでもあるだろう。実際、枢機卿はアレクサンドルの話は聞くものののらりくらりとかわしっぱなしだ。
 カソリック文化の中では、そもそも性に関することを口にすること自体がタブーで言い辛い。また神父に対する信頼が非常に厚く、告発しても信じてもらえない、下手したら教区内で村八分という事情がある。神父もそれをわかったうえで子供に手を出すから悪質すぎる。現にアレクサンドルの両親は彼の訴えをまともに取り合わず、それが原因で親子の関係は冷え切っている。親のサポートが受けられた被害者も周囲から非難されたり、親の配慮が被害を受けた子供に集中し他の子供が「親を取られた」と恨みに思ったりという姿も描かれる。被害は被害者一人にとどまらず、そして深い。聖職者による犯罪は、信徒である子供の宗教的なバックボーンや大人に対する信頼を奪ってしまうのだ。
 なおアレクサンドルが自分の妻だけでなく子供たちに対して、自分が性犯罪被害にあったこと、それを訴えるということを説明するのが新鮮だった。子供たちもそれを理解して協力する。日本だとちょっと考えにくいな…。アレクサンドルの家庭が特に開かれているということで国民性とは関係ないかもしれないけど。


2重螺旋の恋人(字幕版)
ドミニク・レイモン
2019-02-06



『ミドルマーチ2』

ジョージ・エリオット著、廣野由美子訳
 ミドルマーチ市長の息子フレッド・ヴィンシーは、金策に失敗し借金返済の目論見も外れ、思いを寄せるメアリがいるガース家に迷惑をかけてしまう。そのメアリは資産家の叔父フェザストーン老人の遺言を巡る騒動に巻き込まれてしまう。一方、エドワードとドロシアのカソーボン夫妻の夫婦生活にも危機が訪れる。
 エドワードとドロシアは、双方が相手の中に見たいものを見て勢いで結婚したという向きが強かったので、まあそうなるよね…という展開なのだが、2人の食い違いや、お互いへの期待が時に的外れであるという部分の描写がなかなかエグい。また、フレッドの金銭面のだらしなさや生活の計画性のなさ、見込みの甘さなど、結構容赦のない造形だ。人間の至らなさやかっこ悪さにフォーカスした群像劇とも言える。時にコミカルですらあるのだ。人間の営み、感情のあり方は100年200年くらいでは(本作の冒頭は1829年が舞台)変わらないものだとつくづく思うし、それを克明に写し取り構成したエリオットの眼と筆力はさすが。なお、メアリが仕事に出なくてすむことなり本人も家族もほっとするというくだりがあり、女性が働くというのはあまりいいイメージではない(働く=生活に困って致し方なく)んだなとはっとしたし、そういう時代とは言え悲しくなった。働く女性はいたものの、女性の自立までまだまだ道のりが遠い時代だったのだ。

ミドルマーチ2 (光文社古典新訳文庫)
エリオット,ジョージ
光文社
2019-11-08


ミドルマーチ1 (光文社古典新訳文庫)
エリオット,ジョージ
光文社
2019-01-08


『秘めた情事が終わるとき』

コリーン・フーヴァー著、相山夏奏訳
 作家としては無名なローウェンの元に、ベストセラー作家ヴェリテの共著者として人気シリーズの執筆をしないかというオファーが舞い込む。ヴェリテは事故に遭い、執筆できる状態にないというのだ。魅力的なオファーだがなぜ自分に?といぶかしむローウェン。更にヴェリテの夫ジェレミーは、トラブルに遭ったローウェンをたまたま助けてくれた人だった。ヴェリテ夫妻の自宅で資料を見ることにしたローウェンだが、ヴェリテの自伝らしき原稿を見つける。
 名のある女性の後釜として屋敷に赴きその夫に惹かれる、しかし彼女の影が付きまとうという展開は『レベッカ』的だが、段々様子が異なってくる。ヴェリテの残した原稿にはジェレミーとの出会いから結婚、出産を経ていく様が綴られていくが、そこには驚くような出来事が記されていた。ローウェンは原稿に引き込まれつつも、そこに書かれた出来事に恐れおののく。普通ミステリだったら、その原稿に書かれていることは事実なのかフィクションなのか?何か仕掛けがあるのでは?と読者としては疑いつつ読むところだが、不思議なことにローウェンはそれが事実だと疑わない。そして意外と額面通りにストーリー展開するのだ。えっそれそのまんまなの?と拍子抜け…していたら最後の最後でそうきたか!しかしそれも額面通りといえば額面通りなのだが。ぐいぐい読ませるがミステリの仕掛けとしてはどうなんだろうな…。
 ただ、ヴェリテが作家、しかも才能ある作家という点が大きな装置になっているところは面白い。ローウェンが原稿を読まずにいられなかったのは好奇心だけではなくその原稿が不愉快な内容であっても上手い、読ませるものだったからだろう。それ故、どこまで「読ませる」ためのものだったのか?どこまで意図しているのか?とざわつかせるのだ。いわゆるロマンチックサスペンスジャンルの作品だしロマンスはあるのだが、ロマンチックが吹き飛んでいる。

秘めた情事が終わるとき (ザ・ミステリ・コレクション)
フーヴァー,コリーン
二見書房
2019-12-19



レベッカ (上) (新潮文庫)
ダフネ・デュ・モーリア
新潮社
2008-02-28


『流れは、いつか海へと』

ウォルター・モズリイ著、田村義進訳
 身に覚えのない罪を着せられ刑務所に収監され、ニューヨーク市警を追われた元刑事のジョー・オリヴァー。10数年後、私立探偵となった彼の元に依頼が舞い込む。警察官を射殺した罪で死刑を宣告された黒人ジャーナリストの無実を証明してほしいというのだ。一方、彼自身の冤罪について、彼を「はめた」と告白する手紙が届く。オリヴァーは2つの事件の捜査を開始するが、予想以上に大きな闇に足を踏み入れていく。
 何とも古風なハードボイルド。タブレットが出てこなかったら70年代、80年代くらいの話だと言われてもわからないかも。オリヴァーは無実の罪を着せられ、獄中で心身ともに深く傷つく。妻との関係もこれがダメ押しになり破局。とは言え彼がハメられた罠は、えっ今時そんなトラップに引っかかるの?!というもので、彼自身のわきの甘さに付け込まれたとしか言いようがないんだよな…。オリヴァーには好みの女性がいると手を出さずにはいられないという悪癖があったのだ。妻との関係が破綻するのも時間の問題だったろうし、だからこそ自分を見放したことについて妻をあまり強くは責められないという自覚もある。シャバに戻ってからの振る舞いにも、ちょっとセックス依存症的な側面もあるように思えた。本作にいまひとつ乗れなかったのは、彼の女性との関係性、女性に求めるものには色々と問題あるのではと思えたのに、そこはスルーされていたからかもしれない。娘も出来が良すぎて、だ大分オリヴァーに都合のいい設定。なお、オリヴァーをサポートする元凶悪犯メルが、クレイジーだが仁義を守る良い(便利すぎるが)キャラクター。そして何だそのファッショニスタぶりは…。

流れは、いつか海へと (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
モズリイ,ウォルター
早川書房
2019-12-04


ブルー・ドレスの女 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ウォルター モズリイ
早川書房
1995-12T





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