3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2020年04月

『エラリイ・クイーン 推理の芸術』

フランシス・M・ネヴィンズ著、飯城勇三訳
 フレデリック・ダネイとマンフレッド・リーという従弟同士の作家ユニット、エラリイ・クイーン。1929年に『ローマ帽子の謎』を出版して以来、題名に国名を冠した探偵小説シリーズをヒットさせ、更にラジオ、映画、TVへ進出。またミステリ専門誌「EQMM」の創刊、アンソロジー編纂と活躍の場を広げた。クイーンのデビューから晩年までの変遷を追う評伝。
 ロジックに重きを置くダネイと、人物造形や光景のリアリティに重きを置くリー。決して常に仲がいいわけではない、むしろ激しい衝突が絶えなかった2人だが、ぶつかり合う部分があったからこそ成立した名作の数々。その過程が垣間見られる。国名シリーズばかりが有名だが、実は非常に多作、かつ凡作駄作も意外と多いことも再確認できた。短編を中編へ転用、みたいなリサイクル活動が目立つのも多作すぎたからか。クイーン名義で後に活躍する(あるいは一発屋)作家たちが執筆している(シオドア・スタージョンが『盤面の敵』を書いたのは知っていたが、こういうゴーストライター的な仕事も特に伏せられていない時代だったのかな。その辺の感覚も面白い)のをはじめ、アンソロジーの執筆陣にあの人やこの人がおりミステリファンには嬉しい。
 といっても、本作において2人の声を直接的に拾っている部分は案外少ない。本著のすごさはクイーンの仕事をほぼ全部、小説だけでなくアンソロジーや雑誌、特にラジオとテレビの仕事を網羅しているところだろう。音源や脚本が残っていないものも広範囲にカバーしており、かつ当時のキャスト情報や当時の視聴者の反応まで言及がある。エラリー役の俳優はなぜか私生活までエラリーなりきり傾向が出てしまうエピソードなどちょっとおかしい。映像化作品の評価は正直あまり高くないそうだが、見て見たかったな…。なお巻末には人名・事項索引と作品名索引、クイーン書誌も完備されており資料としての価値は高い。一応時系列順の構成なのだが話題があっちに行ったりこっちに行ったりして、少々散漫な印象はあった。でも密度は高くボリューム満点で正に圧巻。

エラリー・クイーン 推理の芸術
ネヴィンズ,フランシス・M.
国書刊行会
2016-11-28


九尾の猫〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
エラリイ・クイーン
早川書房
2015-08-21


『弁護士ダニエル・ローリンズ』

ヴィクター・メソス著、関麻衣子訳
 ソルトレイク・シティの刑事弁護士ダニエル・ローリンズは、麻薬密売容疑をかけられた黒人少年テディの弁護を依頼される。未成年かつテディには知的障害があり、麻薬取引などできそうもないので不起訴処分に持ち込めるかに思えたが、なぜか検察も裁判所も実刑判決にする意志が固い。少年は誰かに利用されたとしか思えないダニエルは、彼を守り法を守る為に奔走する。
 連日二日酔いでよれよれだが、正義感が強くお人よしなダニエル。話し言葉の語尾を「~だな」「~だよ」と性別分けがニュートラルにしている翻訳文が彼女のキャラクターにはまっており好感度高い。ダニエルは無茶な仕事のやり方もするが、基本的に法の正しさ、公正さを信じている。テディの処遇に憤慨した彼女が暴れまわることで、検事、裁判官、証人など関係者たちの偏見や不公正さが浮き彫りになっていく。厄介なのは、彼ら自身はそれを不公正だとか偏見だとかは思っていないという所だ。彼らにとってはそれが正しさだから説得も出来ない。様々な側面からこういった不公正さが垣間見えるような構造の話だ。テディに対する世間の態度だけではない。ちょっとした部分なのだが、ダニエルの元夫ステファンが、LAで男として育つ辛さを語り、この街(ソルトレイク・シティ)はいい所だ、息子を育てるならこの街がいいという。ただその「いい街」と思えるのは、彼がそこそこ裕福な白人男性だからではないか。ダニエルが相対する事件の背景にあるのはそういうものなのだ。
 なおダニエルはこの元夫ステファンに未練たらたらなのだが、それがちょっと不思議だった。ステファンに魅力がないというわけではなく、ダニエルは過去に執着するタイプに思えないからだ。かといって彼女に思いを寄せているウィルを選べばいいのにとも思えなかった。ウィルはやはり「親友」かつ仕事の理解者でいてほしい。ダニエルは「どん底にいる時が一番輝く」とある人から評されるのだが、そういう人は幸せかつ安定したパートナーシップにはそもそも向いていないのでは…。




『高原好日 20世紀の思い出から』

加藤周一著
 浅間山麓の追分村で夏を過ごしてきた著者が、避暑地で出会いしたしく交友するようになった文人、文化人たちとの交流を振り返る回想録。
 登場する人たちが大変豪華。軽井沢で文人と言えばこの人という堀辰雄・多恵子にはじまり、中野重治、野上弥生子、磯崎新、武満徹、辻邦生・佐保子らとそうそうたる面子。また実際に会ってはいないものの追分にゆかりの深い立原道造や島崎藤村、一茶にまつわる随筆なども。ご当地随筆(信濃毎日新聞に連載されていた)的な軽い読み物ではあるのだが、著者の交友範囲の広さと、言うまでもなく教養、知の豊かさが窺え、読んでいて気持ちがいい。知性と品性のある文章はやはり良いものだ…。そして、軽井沢、追分に土地勘がある読者には更に楽しいだろう。夏(だけではないのだが)の避暑地の雰囲気、空気感が伝わってくる。老舗の旅館であった油屋の思い出も記されている。避暑地の交友録というとどうせセレブでしょ?みたいな先入観を持たれそうだが、そういう華やかな雰囲気はない。知性による交友というある意味厳しさをはらんだ関係性だからか。


私にとっての20世紀
加藤 周一
岩波書店
2000-11-28


『嘘と魔法(上、下)』

エルサ・モランテ著、北代美和子訳
 両親を早くに亡くし、養母に育てられたエリーザ。養母も亡くなり一人きりになった今、彼女は一族の秘密、祖父母、そして両親の秘められたロマンスを語り始める。
 大人になったエリーザが語る一族のストーリーは、熱烈な恋、実らぬ愛、不実と嫉妬等、強烈な感情の嵐が吹き荒れている。登場人物の誰しも方向性は違うが利己的・自分本位だ。彼らの声の大きさが強烈。熱烈な恋が描かれたラブロマンス大河ドラマではあるものの、その思いは往々にして一方通行だ。彼らが見ている相手の姿は思い込みにより脚色されており、自分の頭の中にいる相手に対してずっと呼びかけ続けているようなものだ。相手がどういう人物で何を考えどう行動しているのかということは、あまり想像していないように思える。だから思いの交歓、ハーモニーがあるのではなく、それぞれの声が大音量でばらばらに響いているという感じなのだ。成就する恋愛がない恋愛小説と言える。熱烈に恋愛をしているように見えるアンナとエドアルドであっても、その思いと立場は対等ではなく、お互いへの思いやりがあるとは言い難い。またアンナとフランチェスコのように、何かしら成就したような気配があっても時既に遅し。
 本作、エリーザの語りという構造になっており、語られるのはあくまで「エリーザによる一族の歴史」で、いわゆる信用できない語り手と言える。そしてエリーザが語る歴史の元になっているものが更に、ある作為をもって書かれたものなのだ。語りに二重のフィクション性があり、それが更に小説というフィクションの形をとっているという入れ子構造。登場人物たちの恋と同じく、エリーザが語るのは彼女の頭の中にだけある作りものなのかもしれないのだ。だからこそ読者にとっては面白く次は、次はどうなるのとページをめくり続ける。まさに嘘と魔法。

嘘と魔法 上 (須賀敦子の本棚)
モランテ,エルサ
河出書房新社
2018-12-18


嘘と魔法 下 (須賀敦子の本棚)
モランテ,エルサ
河出書房新社
2018-12-18



 

『危険なヴィジョン(完全版)3』

ハーラン・エリスン著、浅倉久志他訳
 ハーラン・エリスン編纂アンソロジーシリーズ第三弾にして完結編、完全版での邦訳。シオドア・スタージョン『男がみんな兄弟なら、そのひとりに妹を嫁がせるか?』、R・A・ラファティ『巨馬の国』、J・G・バラード『認識』など、ビッグネームの作品が並ぶ。
 相変わらずエリスン本人による序文がもってもわった癖の強さで、どうかすると本編よりも面白かったりする。作家によって序文のボリュームがまちまちすぎるのも、エリスンとの関係性が垣間見えて面白い(短いから疎遠というわけではなく、書きやすい人と言葉にしにくい関係の人がいたのだと思う)。更に、人と人との関係の在り方の方が、小説そのものよりも古びにくい(人間関係のあれこれ自体は数十年レベルではさして変わらない)からだろう。SF小説は、書かれた時代には時代の最先端だったが後の時代にそのとんがりが持続しうるのか、という問題をはらんでいると思うが、古さを感じる/感じないという分かれ目はどこにあるのかということを、このアンソロジーを読んでいてずっと考えていた。後の社会で変化が大きかった分野に深く関わった作品は、当然古びるだろう。特にセクシャリティ、マイノリティについての認識が大きく変わってきたことが今読むとわかる。ヘンリイ・スレッサー『代用品』は今だったら(内容をふまえると)題名の時点でアウトだ。時代を超えて魅力を感じられる小説って貴重なんだな…。

危険なヴィジョン〔完全版〕3 (ハヤカワ文庫SF)
ハーラン エリスン
早川書房
2019-08-06





愛なんてセックスの書き間違い (未来の文学)
ハーラン・エリスン
国書刊行会
2019-05-25


『わたしを空腹にしないほうがいい 改訂版』

くどうれいん
 2016年6月から2017年6月まで、日々の料理や思い出の料理等、食が頻出する日記。ちんまりとした造本も魅力。
 著者は歌人・俳人・文筆家だそうだが、私はこの随筆集で初めてその名前を知った。日記のタイトルが俳句になっているので、随筆部分とのコントラストもまた楽しい。文章は率直でユーモアがあるが、正直故に辛辣な時も。時に意固地さや傲慢さ、気弱さを見せたりと、表情がくるくる変わる。一つ一つの素材は特に珍しいものではないかもしれないが、その変り方を一歩引いた所から観察し記す視線があるから、読ませるのだ。まだ自分のトーンが定まり切っていない、勢いと危うさのようなものをはらんでいて瑞々しい。そして著者が食べることが好き、料理が好きであることがよくわかる。食べ物そのものの描写や食べたときの感触だけでなく、それを作る時の動き、手さばきの表現に料理し慣れている人のそれを感じた。


口福無限 (講談社文芸文庫)
草野心平
講談社
2014-03-28




『ガラスの虎たち』

トニ・ヒル著、村岡直子訳
 1970年代末、バルセロナ郊外の貧困地区で育ったビクトルとフアンペ。聡明な両親の元で育ち学校でも人気があってビクトルに対し、いじめられっ子のフアンペと母親は常に父親の暴力にさらされていた。対称的な2人だがなぜかうまが合い、常に一緒に行動するほど仲良くなっていく。しかしある事件が起き2人は離れた。そして37年後、ビクトルはホテル経営者として成功し、フアンペは罪をかぶり日陰者の人生を送っていた。2人が再会したことで、過去が甦り始める。
 ビクトルとフアンペだけではなく様々な人物の立場から描かれる群像劇的な側面が強いことに加え、過去と現在の記憶がフラットに入り混じっていく構造で、これはいつ・誰のことを指しているのか曖昧な部分がある。なかなかするっと読ませてくれないのだが、文章(というか訳文がということになるのだろうが)に詩情がある。文脈があえて混乱する、あっちにいったりこっちに行ったりする方が、曖昧なものである「記憶」を巡る作品の文体としては合っているのかもしれない。
 子供時代のビクトルとフアンペはある事件に関わってしまうのだが、そこには当時の子供たちの社会の構図が関わっている。いじめっ子に対抗する手段がなく、親や教師に訴えることは恥であり「密告」だという意識(そもそも当時は大人側にいじめや差別、障害に対する認識が薄かった)が事態を悪化させてしまうのだ。直接事件に関わったのはビクトルとフアンペだが、そこに至るまでの見て見ぬふりをしていた子供たち、そして大人たちは果たして責任がないと言えるのか。この構図は現代のパートでも、ある高校生たちの間で反復される。いじめのターゲットになった者はそれを誰にも言えず、具体的にどう助けを求めていいのかわからず一人で追い詰められてしまう。読んでいるとそこまで一人で抱える必要はないのでは、こうすればいいのに等と思う所もあるだろうが、それは大人だから思えることだ。聡明であってもそれはあくまで子供の視野・知識量での聡明さで、その枠外で対処するのは難しい。そこをフォローするために大人がいるのだ。ただ、そのフォローが間に合うとは限らない。そこに悲劇がある。過去の事件と現在の事件の大きな違いは、現在は見て見ぬふりを「しない」人がいるということだろう。そこにささやかな救いがある。
 本作は大部分がある人物の語りのよるもので、その人物が過去に何をしたのかもわかってくる。過去にしたことに関しては個人的には責められないと思う。が、現代でしていることについてはうっすらとした邪悪さを感じた。それをなぜあなたがやるのか、何の為にやるのかという点でひっかかるのだ。記されたものはあくまでその人物にとっての物語であり、登場する人たちにとってのものではない。自分の物語に(関わった当事者とは言え)他人を巻き込んでいいのかと。しかも本当に重要なことは、おそらくその人物の語りの外で起きていたのだ。

ガラスの虎たち (小学館文庫)
ヒル,トニ
小学館
2020-04-07



『街と山のあいだ』

若菜晃子著
 山岳専門誌『山と渓谷』の編集者である著者が、編集者として駆け出しの時代の回想や、お気に入りの山、自分なりの山の楽しみ方などを綴った随筆集。挿画も著者によるもの。
 まず装丁がいい!こぢんまりとした大きさに、控え目で品のいい、かつどこか朴訥としたデザインと佇まい。見た目でこれはいい本なのでは、と感じさせるよい作りだと思う。著者の文章は気取りがなく、何かを劇的に綴るわけではない。とつとつとした語り口調で器用な文という印象ではないのだが、描写しようとする対象に対する誠実さが感じられる。ちゃんと見て、ちゃんと考えている文なのだ。特に編集仲間、先輩らについての文章には相手に対する敬意が感じられる。と同時に、彼らに対する若いころの鬱屈や、気持ちのひっかかりの残滓みたいなものも見つめている文だと思う。決して人間関係に器用とは言えない人柄が文章からも垣間見えるのだが、だからこそ人に対してひっかかった部分をずっと覚えていられるのかなとも思った。そして何より、山や野山の描写がとても楽しい。私は本格的な登山はやらないが、低い山を歩く時の気持ちの良さや解放感が読んでいると甦ってくる。

街と山のあいだ
若菜晃子
アノニマ・スタジオ
2017-09-22


旅の断片
若菜晃子
アノニマ・スタジオ
2019-12-20


『赤い館の秘密』

A・A・ミルン著、山田順子訳
 とある田舎の屋敷で殺人事件が起きた。被害者は15年ぶりに館の主マークを訪ねてきた兄ロバート。第一発見者はマークの従弟で彼の仕事の手伝いをしているマシュー・ケイリーと、館に滞在中のウィリアム・ベヴァリーを訪ねてきたアントニー・ギリンガム。現場の状況からマークに容疑がかかるが、彼は姿をくらましたままだ。ギリンガムはベヴァリーを助手に事件を調べ始める。
 江戸川乱歩が探偵小説黄金時代のベスト10に入れている本作だが、読んでみて納得。正直舐めていましたすいません。予想以上にしっかり本格ミステリだった。その行動はそういうことか!というつじつまの合わせ方がちゃんとしている。難点は屋敷の間取りや建物の位置関係など、物理的な距離の表現がわかりにくいという所だろうか。どう頑張っても文章に即した間取りが書けなさそうなのだが…。
 田舎の屋敷での殺人、行方不明の容疑者、そしてスマートな名探偵と人のいいワトソン役。古典ミステリの王道みたいな布陣だ。ミルンは探偵と助手の造形はシャーロック・ホームズシリーズを意識したそうだが、ギリンガムとベヴァリーの方がわかりやすく仲が良い。お互いのいい所をちゃんとほめあうというツンのないデレのみの関係。ベヴァリーはギリンガムのことをちょっと持ち上げすぎな気もするけど、ギリンガムがベヴァリーのことを気にかけており彼の人間性をかっているということがはっきりしているのだ。2人のやりとりがほほえましい。そして関係性が気になる2人は実はもう一組いるのでその道の方は要注目だ。
 なお、巻末に著者による「『赤い館の秘密』によせて」という文章が収録されているが、最後の一文が胸を打つ。

赤い館の秘密【新訳版】 (創元推理文庫)
A・A・ミルン
東京創元社
2019-03-20


クマのプーさん全集―おはなしと詩
A.A.ミルン
岩波書店
1997-11-17


『若草物語』

ルイーザ・メイ・オルコット著、麻生九美訳
 メグ、ジョー、ベス、エイミーの四姉妹は、優しい母親と共に家を守り、南北戦争に従軍している父親の無事を祈っていた。隣家のローレンス氏やその孫のローリーらと親しくなり、成長していく姉妹の1年間。
 光文社古典新訳文庫版で読んだ。150年の間少女たち(だけではないが)に愛読されてきただけのことはあって、やはり面白い。四姉妹の姿が生き生きと立ち上がってくる。読書を愛し文筆家を目指す、率直で自立心が高いジョーが読者には一番人気があるのだろう(私も好きだ)が、新訳で改めて読むと、他の3人もそれぞれ個性がはっきりしており魅力がある。メグのいかにも「お姉さん」的な振る舞いとちょっと虚栄心に負けそうになるところや、ベスが人と接することを前よりも怖がらなくなっていく様、エイミーの気取り屋さんぶりの微笑ましさ等、書き分けがはっきりしており、彼女らの欠点も愛らしく見えてくる。何より、四姉妹にしろローリーにしろ、ちゃんと「子供」として描かれているということがよくわかった。家族の一員としての責任は求められるが、まだよく遊び良く学ぶ途上にある存在として位置づけられている。キリスト教的な教条や愛国心は現代の目からするとさすがに古いし、キリスト教下の家父長制はジョーの独立心とは矛盾する。それでもこの四姉妹のような女の子は今もいると思える、躍動感が感じられた。新訳でのジョーやローリーの話し言葉のニュアンスも、ほどよい砕け加減と性別のニュートラルさがあって良い。

若草物語 (光文社古典新訳文庫)
オルコット,ルイーザ・メイ
光文社
2017-10-11


若草物語 コレクターズ・エディション [DVD]
キルスティン・ダンスト
ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
2009-09-02


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