3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2020年01月

『他人の城』

河野典生
 作家の高田は、医者の三村から失踪した妹を探してほしいと頼まれる。箱入り娘として育った妹・真理は外泊を重ねた後、帰宅しなくなったというのだ。方々のバーで遊びまわっていたという真理は、ケイという男と懇意にしていたらしい。ケイは真理と何をしようとしていたのか。
 バーに集う自由だが怪しげな若者たちやヤクザ、ケイが所持していた麻薬など、何か大きな陰謀があるかのようににおわせつつ、ごく小さな箱の中の悲劇に集約されていく。作中ではチャンドラーというあだ名の登場人物(そのあだ名になった経緯はチャンドラーのある作品を読んでいないとぴんとこない、サービス的なもの)がいたり、何かと引き合いに出されるし、探偵が殴られて気絶するところも踏襲されている(マーロウはだいたい1作に1回は殴られて気絶するよね)が、作品のモチーフはむしろロス・マクドナルド的。若い人や弱い人への優しさ、とまではいかないが辛辣ではないところもロスマク的か。古い価値観で自分も身近な人も押しつぶしてしまう大人が複数名登場するが、そちらに対しては少々辛辣。さすがに時代を感じさせる部分もあるが、時代風俗を含めディティールの描写がいいハードボイルド。カバー装画(講談社文庫版)が司修でちょっと驚いた。

他人の城
河野 典生
アドレナライズ
2015-07-24


『オリ・マキの人生で最も幸せな日』

 1962年、パン屋の息子でアマチュアボクサーのオリ・マキ(ヤルコ・ラハティ)は、田舎町で静かに暮らしていた。ある日、世界チャンピオン戦で全米チャンピオンと戦わないかという誘いを受ける。試合を控えヘルシンキでマネージャーと他のボクサーと共にトレーニングに励むが、オリは華やかなスポーツ界に馴染めず、恋人ライヤ(オーナ・アイロラ)に会いたくてたまらない。監督はユホ・クオスマネン。2016年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門作品賞受賞作。
 モデルになった実話があるというので驚いた。オリはボクサーとしての才能はあるし、競技への情熱も愛着もある。ただ、マネージャーやスポンサーたち、観客たちが期待するような「スター」としての振る舞いにはなじめないし、スターとしての華やかな世界や待遇にも魅力を感じていない。そこに、彼にとっての幸せはない。彼にとって自然体でいられる、彼の良さが発揮できる環境はどこなのか、彼にとっての幸せは何なのかという物語だ。試合の結果からすると題名は皮肉なようにも見えるのだが、実はそうではなく至って直球だ。客観的には社会的に挫折したように見えるかもしれないが、当人にとってはそうではない。オリは自分の幸せを他人に決めさせなかったのだ。一方、身勝手な俗物に見えたマネージャーも、彼の生活やスポンサーに臆面もなく頭を下げる様を見るとこれはこれで筋の通った、彼なりに誇りある生き方かもなと思った。
 モノクロ映画なのだが映像が非常に瑞々しくきらきらしている。冒頭、結婚式への往復のオリとライヤの姿がとても楽しそうだし、森の中を自転車で行くというシチュエーションがいい。二輪車2人乗りシーンがある映画は打率が高いという自説がまた立証されてしまった。本作は自転車漕ぐ役割の人がちゃんと交代するところもいい。オリが1人、森の中をジョギングしたり凧揚げしたりする姿も解放感溢れる。やっと息が楽にできたという感じだ。あの解放感、わかるなぁとしみじみ。

街のあかり [DVD]
ヤンネ・フーティアイネン
デイライト
2007-12-21


COLD WAR あの歌、2つの心 [DVD]
ヨアンナ・クーリク
Happinet
2020-01-08


『ジョジョ・ラビット』

 第二次大戦中、ナチス政権下のドイツで母ロージー(スカーレット・ヨハンソン)と暮らす10歳の少年ジョジョ(ローマン・グリフィン・デイビス)。ヒトラーユーゲントで立派な兵士になろうと訓練に励むが、弱虫扱いされ「ジョジョ・ラビット」というあだ名をつけられてしまう。ある日ジョジョは、自宅の壁の中で何か音がすることに気付く。そこにいたのはユダヤ人の少女だった。監督はタイカ・ワイティティ。
 ドイツが舞台だけど全編英語のアメリカ映画。英語圏の作家が英語でドイツを舞台に児童文学を書いたという印象の作品だった。ジョジョのイマジナリーフレンドはなんとアドルフ・ヒットラー(タイカ・ワイティティ)なのだ。ファンタジー的要素があり、寓話のような雰囲気だが、背後にはホロコーストの恐怖、ナチスの狂気が見え隠れする。
 とは言え、正直物足りなかった。ちょっと軽すぎないかなという気がした。ナチスをユーモアを交えて扱うことが問題なのではなく、それがかなり表層的に見えてしまうのが勿体ない。ジョジョの「友達」としてのヒトラーはお茶目なスターという感じなのだが、当時の人びとがヒトラーに、ナチスに熱狂していた(ジョジョも熱心なナチスの「ファン」である)こと、それがどういうことなのか、というところまで掘り下げてほしかった。ヒトラーユーゲントの教官クレッツエンドルフ(サム・ロックウェル)の投げやりな鬱屈に、熱狂に乗れない(下手をすると排斥される側になりかねない)人の居場所のなさが垣間見えるが、その程度か。
 ジョジョがナチズムから抜け出していくきっかけは、ユダヤ人少女との出会いだ。彼女に関心を持ち、彼女を知ろうとすることで、今までの価値観に疑問を持っていく。他者の存在が世界を広げるのだ。恋愛感情が契機になるというのは大分ありがちで若干興ざめではあるのだが、恋愛は極めて個人的なもので「世間はこう言うから」という理屈とは真逆だから自然と言えば自然か。母親の愛や知恵では、そういう部分の突破口にはならないのだろう。

帰ってきたヒトラー [DVD]
オリヴァー・マスッチ
ギャガ
2017-12-22


アルトゥロ・ウイの興隆 (AKIRA ICHIKAWA COLLECTION)
ベルトルト ブレヒト
松本工房
2016-11


『アニルの亡霊』

マイケル・オンダーチェ著、小川高義訳
 法医学者のアニルは故郷のスリランカに帰り、遺跡から出土した骨が最近殺された政治テロの被害者のものだと証明しようとする。スリランカの考古学者サラス、サラスの弟で医者のガミニらの力を借りるが、内乱の中で作業はなかなか進まない。
 題名はアニルが死んで亡霊になったのか?と思わせるものだが、そうではない。死者とはアニルが抱える骨「水夫」をはじめ、彼女がかかわることになる死者、あるいは過去の記憶の中の人たちのことだろう。それはアニルだけでなく、サラスもガミニも同様だ。過去のわだかまりも後悔も、亡霊のように何度も人の前に立ち現れ脅かす。過去の様々な時と現在とが交互に語られるという著者定番の構成だが、記憶という主観的なものはどこか足元がおぼつかない。それらすべてが亡霊であるかのように思えてくるのだ。しかし舞台はテロが頻発するスリランカで、新しい死体は次々と生々しく現れる。その生々しさと輪郭のおぼらな亡霊たちとの対比がくっきりと浮かび上がる。
 アニルはスリランカ生まれだが「西側世界」での生活の方が長く、故郷に対してもはやよそ者と言ってもいい。国連の仕事でやってきた彼女は、故国の価値観とはすでに別の立ち位置で生きている。そのギャップが時に居心地の悪さを感じさせる。彼女の正しさ、倫理観は読者にとってはまっとうなものなのだが、サラスやガミニの生きる世界では時に、というか往々にして無力なのだ。彼らにしてみたら、彼女は結局安全圏からものを言っているだけなのではと思ってしまうのでは。

アニルの亡霊
マイケル オンダーチェ
新潮社
2001-10-31


『リチャード・ジュエル』

 1996年、オリンピック開催中のアトランタ。警備員のリチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)は公園で不審なカバンを見つけるが、その中には爆弾が仕込まれていた。一躍英雄になったジュエルだが、FBIは彼を容疑者として捜査を開始。しかもメディアがそれをセンセーショナルに報道してしまい、ジュエルは国中から貶められる。弁護士ブライアント(サム・ロックウェル)とジュエルの母ボビは、ジュエルの名誉回復の為立ち上がる。監督はクリント・イーストウッド。実話を元にしたドラマだそうだ。
 ジュエルはいい人ではあるが、かなり癖のある、問題を抱えた人でもある。彼が無実だということは実際の事件の経緯から映画を見る側にはわかってはいるのだが、いや本当に無実なのか?後ろ暗いところがあるのでは?とうっかり思ってしまうような怪しさもある。その怪しさ、プロファイリングによる犯人像を過信し、FBIはひっこみがつかなくなってしまった。低所得の白人男性で銃愛好家、政治的にはかなりコンサバ(ゲイフォビア的発言がありひやりとする)、英雄願望ありという、いかにもいかにもな人間像だが、物的証拠には乏しい。そもそも早い段階で物理的に無理なのでは?という疑問は出てくるのだが、それでもジュエル容疑者路線で話が進んでしまうという所が怖い。
 ジュエルは「法の元に正義を執行する」ことへの拘りが強く、警察官への道を諦めきれずにいる。警察やFBIの捜査の仕方や法律にも詳しい(だから疑われたという面もある)。警察やFBIと自分とを一体化する傾向があり、その拘りはちょっと病的でもある。自分が容疑者として逮捕され、詐欺まがいの取り調べを受けてもなおFBIに協力的な姿勢を見せてしまうというのは不思議なのだが、大きなもの、力=権力を持つ側に自分を置く(ように思いこむ)ことで自分のプライドを守ろうとしていたのかとも思えた。とは言え、それは思い込みにすぎない。彼がそこから自由になる、本当の意味での自尊を取り戻す瞬間は小気味が良い。
 なお、女性記者が絵にかいたような悪女、ヒールとして描かれており、これはちょっと単純すぎではないかと思った。全くのフィクションならともかく(フィクションであっても今時これはないと思うが)、実在のモデルがいる場合は単純化しない方がいいのでは。本作、当時の実際の映像を随所で使っており、下手にノンフィクション感があるだけに余計にそう思った。メディアが掻き立てたイメージによって人生を損なわれた人を描いているのに、本作でまた同じことをやってしまっているのではないかと。

15時17分、パリ行き [Blu-ray]
アンソニー・サドラー
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2018-12-05


運び屋 [Blu-ray]
クリント・イーストウッド
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2019-11-06



『ラストレター』

 姉・未咲の葬儀を終えた裕里(松たか子)は、未咲宛に高校の同窓会の案内が届いていることを知る。姉の死を知らせに同窓会に出席したものの、未咲と勘違いされて思わず姉の振りをしてしまう。帰り道、初恋の相手で未咲の同窓生・鏡史郎(福山雅治)に声を掛けられる。監督は岩井俊二。
 鏡史郎の初恋相手は未咲で、彼は40代になるまでずっと、その思いを抱き続けている。思いをこじらせて小説家としてスランプになるくらいに。1人の人への思いをそこまで維持し続けるというのは、一途を通り越してちょっと怖い。彼目線のロマンチシズムがいきすぎて、もはや胸焼けしてきて気持ち悪い…。岩井監督の粘着性、変態性が前面に出ているように思う。少女の部屋着としてノースリーブのワンピース着せちゃうあたりも変わらぬ性癖を感じる。新海誠の大先輩って感じだ。とは言え、ストーリーテリング、全体の構造は岩井監督の方がずっと映画の手練れではあるが。
 裕里も鏡史郎も未咲との記憶に縛られ続けている。本作の中心にいるのは彼女だ。しかし、その中心は空洞であるように思った。本作で描かれる未咲は、常に誰かの記憶の中の未咲、誰かの目から見た未咲であって、彼女が実際に何を考えどういう人だったのかということはわからない。誰かが見る幻影としての彼女であって、本質はそこにない。そういう存在にされてしまうのってどうなんだろうなとちょっと物悲しさも感じた。
 裕里が同窓会から帰った後、彼女のスマホを見た夫の態度がひどくて、一気にひいてしまった。勘違いからくる嫉妬による行動なのだが、男女年齢関係なく、嫉妬してすねるのって全然可愛くないし迷惑だなと。「罰する」ってあまりに一方的。どういう意図でああいったエピソードをいれたんだろうか。まさかやきもちやいちゃって可愛いでしょ?とか思ってないよね監督?

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黒木華
ポニーキャニオン
2016-09-02


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中山美穂
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2001-03-07


『イギリス人の患者』

マイケル・オンダーチェ著、土屋政雄訳
 第二次大戦末期、トスカーナの山腹の屋敷で看護師のハナはひどい火傷を負ったイギリス人患者をかくまっていた。ハナの父親の親友で泥棒のカラヴァッジョと、インド人で爆弾処理専門の工兵キップも屋敷にさまよいこむ。
 登場人物それぞれの視点、それぞれの語りが重層的に配置された構成だが、そのことによって描かれる事象、シチュエーションは逆に曖昧になっていく。視点が複数、かつその語りが今起きていることなのか回想なのか、それとも妄想なのか、はっきりとしない部分があるのだ。特にイギリス人患者に関しては、彼が見ている世界は彼が「見たい」世界であって、実際に起きたこととはちょっと違うのではないかという気配があちこちに散見される。それが積み重なり、彼が実は何者だったのか、実は何があったのかというミステリに繋がってくる。そのミステリの真相は、彼の主観の認識とは異なるものなのかもしれないが。
 更に固有名詞を使わず「男」と「女」のみで語られるパートが何度もあるため、いま語られている「男」と「女」はどの男女のことなのか、時に混乱させられる。あえてシームレスな表現にしてあることで、あの男女にもこの男女にも、このような瞬間があったのではと思わせ、普遍的な(ありきたりとも言う、それが悪いというのではなく)恋愛の姿が立ち現れる。

イギリス人の患者 (新潮文庫)
マイケル オンダーチェ
新潮社
1999-03


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レイフ・ファインズ
東芝デジタルフロンティア
2002-09-27


『ティーンスピリット』

 ワイト島の農家で母と暮らすヴァイオレット(エル・ファニング)は歌手を夢見ている。オーディション番組「ティーンスピリット」の予選が地元で開催されると知った彼女は出場を願うが、保護者の同意が必要だという。母親は歌手になることには猛反対。ヴァイオレットはバーに居合わせた元オペラ歌手のヴラッド(ズラッコ・ブリッチ)に保護者の振りを頼む。ヴァイオレットに才能を見出したヴラッドは歌のコーチを申し出る。監督はマックス・ミンゲラ。
 エル・ファニングのエル・ファニングによるエル・ファニングの為のド直球アイドル映画。ともするとダサくなりそうなところ、話を引っ張りすぎないコンパクトさとテンポの良さですっきりと見せている。ファニングのややハスキーな声での歌唱パフォーマンスがなかなか良くて、クライマックスはぶち上げ感がしっかりあった。ヴァイオレットが好んで聞く曲、オーディションでの選曲から、彼女の音楽の趣味の方向性や人柄がなんとなくわかるような所も音楽映画として目配りがきいていると思う(単に今の音楽のモードがこういう感じなんですよということかもしれないけど…)。
 ストーリーは名もなき若者が夢を追い、努力と才能でスター街道を駆け上がるという、非常にオーソドックスなもの。この手のストーリーにありがちなイベントが盛り込まれているが、一つ一つがかなりあっさりとしている。母親との葛藤も、師匠のしごきも、調子に乗ってのやらかしも、将来への不安もさらっと触れる程度で重さはない。それが悪いというのではなく、本作はそういうドラマティックさを見る作品ではないんだろうなと思う。音楽を聴いた瞬間の世界の広がり方や、自分の中で自分の音楽が鳴り出す瞬間のあざやかさ、そういった雰囲気を楽しむものなのだと思う。
 ちょっと突っ込みたくなる部分は多々あるのだが(ワイト島って相当田舎だと思うのだが、そんなにスキルのあるバンドが都合よくいるの?!という点を一番突っ込みたかった)、エル・ファニングのアイドル映画としては大正解では。なお、前回のティーンスピリッツ優勝者が全くイケておらず、それでよくスター扱いされるなと思った。ステージ上の階段を降りる時の足元がぎこちなくて気になってしまう。

アリー/スター誕生 [DVD]
レディー・ガガ
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2019-11-06


『カイジ ファイナルゲーム』

 2020年、東京オリンピック終了後、急速に景気が悪化し階層化が進んだ日本。弱者は踏みつぶされていく世の中で、カイジ(藤原竜也)は「バベルの塔」なるイベントへの参加を持ち掛けられる。主催者は富豪の老人・東郷(伊武雅刀)。彼はカイジにある提案をする。監督は伊藤東弥。脚本で原作者の福本伸行が参加している。
 本作がやろうとしているのはもはや映画ではなく「カイジ」というコンテンツなんだなと実感した。ちゃんと「ざわ…ざわ…」音の入った配給会社ロゴ、怒涛の説明台詞、正直しょぼいセット、荒唐無稽だが力業で理屈が通っているかのように納得させられるゲームの数々、そしてとにかく声を張る藤原竜也。映画としてはあまり褒められたものではない演出多々なのだが、本作の場合はそれでいいのだろう。目指しているところがすごくはっきりしている作品で、いっそ潔い。これはこれで正解なのだと思う。一緒に「キンッキンに冷えてやがる…!」とビールをあおれる応援上映には最適。色々茶々入れつつ誰かと一緒に楽しむ作品だろう。それも映画の一つの形だよな。
 ただ、俳優の役割については、なんぼなんでも藤原竜也に頼りすぎだろうとは思った。テンプレ演技でも場を持たせてしまう藤原がえらいのだが、他の俳優はそこまで場が持たない。この演技2時間見続けるのはだいぶ辛いぞ…という人も。そういう所を見る作品ではないということなんだけど。
 なお、本作は東京オリンピックの経済効果に全く期待していない(笑)!働いて豊かになるという期待がほぼ消えた世界設定で、原作スタートから現在に至るまでに現実世界がこの領域にどんどん近づいてきた気がする。正直笑えない。


『フィッシャーマンズ・ソング』

 イギリス、コーンウォール地方の港町ポート・アイザック。友人とバカンスに来た音楽プロデューサーのダニー(ダニエル・メイズ)は地元の漁師たちのバンド「フィッシャーマンズ・フレンズ」のライブを見かける。上司から彼らと契約を取れと焚きつけられ、町に残って交渉を始めるが、漁師たちはよそ者への不信感でいっぱい。監督はクリス・フォギン。
 実在の漁師バンドの実話をドラマ化した作品。そんなに達者だったりひねりがあったりするストーリーテリングではないのだが、音楽と舞台に魅力がある。また、フィッシャーマンズ・フレンズのメンバーが皆チャーミングだった。漁師たちの歌はメロディは美しいが、男ばかりの職場で楽しみの為に歌うという側面が強いので、歌詞は結構下世話だったり色っぽかったりする。結婚式でそれを歌うの?!というエピソードには文化の差というか価値観の差というか…。実は嫌がらせ?とも思ったけど他意はなさそうなので笑ってしまう。正直、セクハラだよなと思わなくもないが、そういう文化圏の人たちでもある(ぜひ是正していただきたいけど…)。ロンドンのパブでのエピソードは、仲間と一緒に歌う為の音楽ということがよくわかるもので楽しい。あの歌、老若男女がそこそこ知っているものなんだな。
 信用されるには相手の文化圏に入っていくしかないという話でもあった。ダニーの場合、ある事情から相手の信頼を裏切ってしまう、かつ失望させてしまう。彼は漁師たちにとっての仲間の意味も、地域の価値も、約束の重さも自分の価値観で計ってしまう。それで大失敗するのだ。すれ違いにハラハラするが、相手の価値観、ルールを知ろうとするのってコミュニケーションの第一歩なんだろうなと。都会に住む者から見ると人間関係が密すぎて息苦しそうだったり、ジェンダー観が古いままだったりするが、コミュニティの親密さ、豊かさもある。何より彼らの音楽はそのコミュニティから生まれるものなのだ。

歌え!フィッシャーマン (レンタル専用版) [DVD]
クヌート・エリーク・イエンセン
タキコーポレーション
2003-09-26


シェルシーカーズ〈上〉
ロザムンド ピルチャー
朔北社
2014-12




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