3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2019年12月

『2019年ベスト映画』

 今年は(多分)めっきり鑑賞本数が減った。現実が襲ってきて辛い…。そんな中勇気づけてくれた映画ベスト10。

愛から始まり仁義に終わる男と女。現代中国の世相の移り変わりを背景としたメロドラマ。

子供と青年が喪失の悲しみとどのように向き合い受容していくのか。珠玉の1作。

家族の物語であり、現代の労働の姿を描いた作品でもある。そもそも2つは地続きなのだ。

これもまた労働の話でもある。ささやかな幸せとその儚さ。

それは堂々と「怒っていい」ことだった!と気付く瞬間が鮮やか。夫との関係の描写もとてもよかった。

日本のマスコミ関係者の皆様はぜひご覧になって…。

悪い奴ほどよく眠る。

エルトン・ジョンのファンというわけではないが音楽映画として素晴らしかった。

デザインが素晴らしいアニメーション。寒さは人類の敵…

フランスの看護学校を舞台に、看護師の卵たちを追うドキュメンタリー。

『パラサイト 半地下の家族』

 全員失業中のキム一家。ある日、長男ギウ(チェ・ウシク)がIT企業CEOのパク氏(イ・ソンギョン)宅で長女の家庭教師として働くことになる。更にギウの妹ギジョン(パク・ソダム)は幼い長男の美術教師としてパク家に出入りすることに。監督はポン・ジュノ。2019年第72回カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作。
 先行上映で見たのだが大変面白かった!早く見てよかった!しかし先行上映場所がきらびやかな日比谷のTOHOシネマだったというのは、本作の内容を見た後では悪い冗談みたいだし、カンヌというセレブのリゾート地で開催される映画祭で最高賞を受賞するというのも皮肉。つまり、カンヌに来る人とか日比谷ミッドタウンに来て本作を見て高く評価するような層(イメージ)が踏みつけにしている層があるんだけどそんなこと気付かないんですよね、ということを描いているという皮肉があるのだ。
 パク一家はギウやギジョンに対してあからさまに下に見るような態度は慎んでいるし、対応は丁寧。しかしふとしたところで差別意識が垣間見える。ラインを相手が踏み越えそうになると、思い違いをするなよと牽制してくる。自分たちとお前たちは別の世界の人間なんだぞと。特にきつかったのが「臭い」への言及。リアルさというよりも、自分たちではあまり意識しない、変えようがない要素が染みついていて「この階層」であることの印のようにされるというのが非常に辛い。決定的な言葉を言われた瞬間の、ギテク(ソン・ガンホ)の表情の微妙な変化に凄みがあった(ソン・ガンホはやはり上手い!)。すーっと何かが抜けていく感じがするのだ。差別的な言葉を向けられるというのはそういうことで、決定的に人を損なうこともあるのだと。キム一家は無能というわけではなく、それぞれそれなりの技術があり知恵がある。しかし個々の力では這い登れない格差があり、一度貧困側に落ちてしまうと挽回するのはかなり難しい様子が垣間見える。空前の就職難という現代韓国の世相だけではなく、世界的な傾向が反映されている。作中、坂道の行き来シーンが度々挿入されるが、坂の上=富裕層から坂の下=貧困層への移動が映像イメージとして焼き付く。
 ただ、キム一家が被差別側でのみあるのかというとそうではなく、差別する対象があれば、自分たちより更に弱い存在を差別してしまう。無間地獄のようなのだ。これを絶ちきるものは何も見えない(断ち切ろうと思ったら社会の枠組みの外に出るしかない)というのが本作の最もきついところだろう。パルムドール受賞を決めた人たちが、この救いのなさをどの程度実感しているのか、ちょっと気になった。

グエムル-漢江の怪物- コレクターズ・エディション [DVD]
ソン・ガンホ
ハピネット・ピクチャーズ
2007-01-26





『ラスト・クリスマス』

 ロンドンのクリスマスショップで働くケイト(エミリア・クラーク)は歌手志望だがオーディションには落ちてばかり。ある日、風変わりな青年トム(ヘンリー・ゴールディング)と出会い惹かれていくが、彼の行動には謎が多かった。脚本はエマ・トンプソン、監督はポール・フェイグ。
 ケイトとトムのロマンティックなクリスマスラブロマンスという大枠はあるのだが、様々な要素が盛り込まれすぎており、なんだか不思議なことになっている。女優のエマ・トンプソンが脚本を手掛けているそうだが、こういう作風の人なのか…。ケイトがユーゴスラヴィアからの移民、トムがはっきりとアジア系だとわかるルックスというのもハリウッドのラブコメとしては珍しいなという印象だが、2人以外にも、ケイトの家族はもちろん、勤務先の上司サンタ(なんとミシェル・ヨー!)は華僑だし、そのボーイフレンドは東欧だかロシアだか(サンタが鼻濁音ばかりで発音できない!と言う)系らしいし、主要登場人物の多くが生粋のイングランド人というわけではない。折しもブリグジットに揺れる英国が舞台で、TVニュースを見たケイトの母がイングランドを追い出されるのではと怯えるシーンもある(と同時に「外国人が多すぎる!」と言っちゃうんだけど)。バスの中で外国人カップルが「英国では英語を話せ!」と暴言を吐かれるシーンも。異質なものに対する不寛容さが強まる世相と、そこにあらがう人たちの姿をかなり意識的に描いている。
 さらに異文化だけではなく、階層間の無関心についても言及される。ホームレスのシェルターでケイトがなりゆきでボランティアをするというエピソードがあるが、彼女の無意識の態度は「上から目線」とこっそり揶揄される。「中産階級の善意(寄付)はしょぼい」みたいなフレーズは、英国ならではの階層ギャグなのか?
 更に、ケイトが家族、特に母親とあまりうまくいっていない(明らかに2人ともカウンセリングが必要だと思うんだけど…)、母親のケイトへの拘りには祖国での戦争体験も影響していること、そしてケイトの姉にも家族に隠していることがある等、家族ドラマ要素も盛りだくさん。祖国では弁護士だった父が、英国ではタクシードライバーをしている(お金がなくて英国での弁護士資格取得のための勉強ができないまま)という設定など切ない。家族ドラマだけで映画1本作れそうだ。
 更に更に、ケイトとトムのロマンスにもどんでん返し的な展開がある。これによって映画のジャンルががらっと変わるのだ。しかし相手への思いやりという面ではより切なく、真摯なものに感じられる。本作、ラブロマンスではあるのだが、恋愛が成就すること、あるいはケイトの歌手になるという夢がかなうことよりも、依存しないで立つこと、自分に肯定感を持つこと、そして寛容であることの方が幸せへの確実な道だと説いているようだった。盛りだくさんすぎてとっちらかってはいるが、そこがとてもいい。なお題名の通り、ラスト・クリスマスをはじめジョージ・マイケルの楽曲を多用している。それも2019年の映画としてはかなり珍しいのでは。

ラスト・クリスマス
ワム!
Sony Music Direct
2004-11-17


ホリデイ [Blu-ray]
キャメロン・ディアス
ジェネオン・ユニバーサル
2012-04-13



『テッド・バンディ』

 1969年、シアトル。バーで知り合ったテッド・バンディ(ザック・エフロン)とエリザベス・クレプファー(リリー・コリンズ)は恋に落ち、エリザベスの娘モリーと3人で暮らし始める。しかしある日、テッドは誘拐未遂事件の容疑で逮捕される。更に前年にも女性誘拐事件が起きており、その時に目撃された容疑者の似顔絵はテッドそっくりだった。監督はジョー・バリンジャー。
 30人以上の女性を惨殺した、実在の殺人鬼の話をドラマ化した作品。109分というコンパクトな尺だがみっしりと中身が詰まっており、大変面白かった。テッドがわりと臆面もなく感じが良くて「(性的に)魅力的な男性」として描かれている。映画を見る側は史実としてテッドに有罪判決が下りたことはわかっているわけだが、彼に疑いを持ちつつ愛を捨てられないエリザベスの目を通して彼を見ているので、本当に有罪なのか、実際はどうなんだと揺り動かされるのだ。あえて情報を断片的にして、見通しを悪くしている。それがエリザベスをはじめ、当時の人たちの視界だったのでは。
 裁判に対するテッドの妙な自信、自分が特権的な人物であるかのような振る舞いは不気味だ。彼は確かに弁が立つし証拠は状況証拠が主。とは言え、客観的に見たらどう考えても不利なのに、なぜ自信満々な振る舞いができるのか。また、エリザベスの愛と信頼をずっと求め続けるのも不気味だ。なぜ彼女は殺さず、永続的な関係を望むのかが謎。殺人という暴力とは違った形の暴力、精神的な影響力で彼女を縛り続けている。ではエリザベスと他の女性とは何が違ったのか。そのわからなさが不気味なのだ。
 テッドへの不信を持ちつつ彼の愛を諦められないエリザベスの心境もまた謎なのだが、初めて会った時のテッドのふるまいが、シングルマザーのエリザベスにとって完璧すぎるので、これは好きになっちゃうし離れられないわ…という納得はある。相手が尊重されていると実感できるふるまいをするのだ。そのふるまいもすべて演技かと思うとぞっとするのだが。


テッド・バンディの帰還 (創元推理文庫)
マイケル・R・ペリー
東京創元社
2002-02-22


『冬時間のパリ』

 編集者のアラン(ギョーム・カネ)は電子書籍事業で時流に乗ろうと奮闘中。友人で作家のレオナール(バンサン・マケーニュ)から打診があった新刊の出版を断るが、アランの妻で女優のセレナ(ジュリエット・ビノシュ)は新作を好評する。レオナールの妻で政治家秘書のヴァレリー(ノラ・ハムザウィ)はアランの意見を支持。一方アランは部下のロール(クリスタ・テレ)と浮気をしていた。監督・脚本はオリビエ・アサイヤス。
 すったもんだしても不倫しあっていても夫婦は夫婦という、他人にはちょっとわかりにくい男女の絆を描く。お互いに思想・主義に全面的に同意していなくても愛している(そして意外と夫婦としてうまくいっている)というヴァレリーのスタンスが本作に登場する人たちを象徴しているように思った。著作をけなされたから慰めてほしいというレオナールへの返しも痛快。彼を愛してはいるが、出来の悪い作品はどう頑張っても出来が悪いし、自分は「慰め要員」ではないというわけ。
 皆、不倫・浮気に対して結構けろっとしている。とは言え夫婦生活と愛人との生活をすっぱり切り分けられるというわけでもない。アランとセレナはヴァレリーよりも湿度が高い感じで、2人の間のわだかまりも深い。ただ、浮気しているという罪悪感や嫉妬というより、パートナーとしての生き方がすれ違いがちという感じだった。
 2組の夫婦のあれやこれやの話であると同時に、実は出版業界の話でもあることは意外だった。実在の書籍のタイトルも色々出てくるのでちょっとうれしい。かなり単純化された描き方にはなっているが、ここ数年のフランスでの電子書籍の動きがちょと垣間見える。書籍の電子化の可能性の大きさを信じているロール、ビジネスとしては電子化に前向きだが紙の本の出版に愛着を持つアラン、電子化には懐疑的なレオナールと、それぞれ立場は違うが出版という斜陽業界(これはフランスでも避けようがないみたいで辛い…)に身を置く人たちの悲喜こもごもがじんわりときた。自作の評判に一喜一憂するレオナールはちょっとうざいのだが、まあ気になっちゃうよなー。

パーソナル・ショッパー [DVD]
クリステン・スチュワート
TCエンタテインメント
2018-03-07


夏時間の庭 [DVD]
ジュリエット・ビノシュ
紀伊國屋書店
2009-11-28


『パリの恋人たち』

 ジャーナリストのアベル(ルイ・ガレル)は、3年間同棲したマリアンヌ(レティシア・カスタ)から妊娠を告げられた。父親はアベルの親友ポールだという。アベルとマリアンヌは別れ、彼女はポールと結婚。3年後、ポールの告別式で2人は再会する。更にポールの妹イヴ(リリー=ローズ・デップ)がポールへの恋心を告白してくる。監督は主演も兼ねているルイ・ガレル。
 フィリップ・ガレルの息子のルイ・ガレル監督作だが、父親よりも作風は身軽でユーモラス。男女のすったもんだを描いても悲壮感がない。もはやそれは自虐ギャグなのか?という感じで男性が右往左往する様が描かれる。ナルシズムが薄いところがいい。
 アベルはマリアンヌの言うこともイヴの言うことも基本的に真に受け、よく言えば素直、悪く言えば騙されやすい。笑っちゃうくらいの人の好さなのだが、優しいと言えば優しい。結構翻弄されているのだが、マリアンヌに対してもイヴに対してもあまり怒らない。逆に彼女に対する自分の愛を再確認しちゃったりするから、基本的に善人なんだろうな…。本作、女性たちは癖が強いが悪意ある人間は基本的にいない。ちょっとやりすぎちゃったりひねくれていたりする、困った人たちだがどこか可愛げがあった。マリアンヌの行動が許せないという人はいそうだけど、個人的にはあまり責める気になれない。自分本位だか他人任せなのかわからない行動だけど、自分でもどうにもできないことってあるんじゃないかなと。
 恋のしょうもなさ、フェアではなさとユーモラスに描くが、本作の真の主人公はマリアンヌの息子ではないかと思う。こまっしゃくれた美少年で母親の恋人であるアベルに敵意を見せるが、同時に親の愛情を切実に欲している。マリアンヌはしっかりとした母親だが、万事において子供が最優先かというとそうでもない(それを普通のこととして描いている、マリアンヌを責めない描き方はとても良いと思う)所もある。少年が自分にとっての家族の形、大人との関係を掴みなおすという側面もあったのかなと、ラストシーンを見て思った。

愛の誕生[VHS]
ルー・カステル
2000-08-24


グッバイ・ゴダール! [DVD]
ルイ・ガレル
ギャガ
2020-01-08


『ある女優の不在』

 イランの人気女優ベーナーズ・ジャファリ(ベーナーズ・ジャファリ)に、見知らぬ少女からメールが届く。メールに添付された動画は、女優を目指し芸術大学に合格したものの家族の裏切りによってその道を絶たれた少女が、自殺をほのめかすものだった。ショックを受けたジャファリは映画監督のジャファル・パナヒ(ジャファル・パナヒ)と共にその少女マルズィエ(マルズィエ・レザイ)が暮らす村を訪れる。監督・脚本はジャファル・パナヒ。
 少女の自殺らしき映像から始まる不穏さ。不穏さは村に行ってからも変わらないのだが、どんどん不条理コメディのような様相になってくる。ジャファリもパナヒも都会のいわゆる「知識人」だが、村は完全にローカルルールで支配されている。古くからの因習や迷信がはびこっており、2人の常識が通用しない。傍から見たら笑ってしまうのだが、当事者は大真面目なので下手にいじると大炎上する。俳優・女優を「芸人」としてさげすむのに、ジャファリが来ると大喜びで色々と頼み込むという村人の態度は矛盾しているが、彼らの中ではそれが普通のことで矛盾などとは思わない。結構自分勝手でローカルルールを超越する価値観がないのだ。車中泊しようとするパナヒのところで村の老人たちがやってくるシーンは、具体的に彼らが何かしようとしているようには描かれていないが結構怖い。またマルズィエの弟の、彼女が失踪したことで恥をかかされたという激昂の激しさは周囲が身の危険を感じるレベルだ。女性が進学を望む、家から出ることを望むということへの強烈なマイナス感情には、根深い問題がありそうだが。
 村へ続く細い道に関する「ルール」がころころ変わる、しかし誰もそれを是正しようとしない(マルズィエが道を広げようとすると女の仕事ではないと阻止され道は放置されたまま)。慣習が全てのような世界で、なかなかきつい。その集団の中で慣習から外れたことをする人がいると、共同体から疎外されていく。この村社会感は万国共通なのか。そのような共同体から逸脱していく存在として3人の「女優」が登場する。既に安全圏にいるといえるジャファリは自分をまきこんだマルズィエに苛立ちはするが、見て見ぬふりはしないと腹をくくる。そして彼女よりも先に同じ決断をした女性もいるのだ。この「見て見ぬふりをしない」ことにより、ラストは少し世界が開けて見える。パナヒはそれを見送るのみだが、「そういうのは女性の方が得意だから」とか言っている場合ではないんだよな。


これは映画ではない [DVD]
ジャファル・パナヒ
紀伊國屋書店
2015-05-30


『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

 2016年に公開された『この世界の片隅に』に新たなシーンを追加した長尺版。昭和19年に広島県の呉に嫁いだ19歳のすず(のん)は夫・周作(細谷佳正)、その両親、周作の姉・径子(尾身美詞)とその娘・晴美と暮らし始める。原作はこうの史代の漫画、監督・脚本は片淵須直。
 3時間弱はさすがに長すぎる!しかし、『この世界の片隅に』の単なるエピソード追加版ではなく、エピソードが追加されたことで違った様相が見えるような作りになっていた。『この世界の片隅に』は主人公のすずは観客にとって作品に対する入り口のような存在で、すずの視線で、彼女に共感しやすい構成だったと思う。対して本作は、すずという女性の一個人としての感情や思考へのフォーカスの度合いが強まり、こういう女性があの時代、こういう環境で生きていたという具体性が増しているように思った。映画の面白さの種類がちょっと変わった感じ。
 すずという女性の印影がより深くなったのは、遊郭で働く女性・リン(岩井七世)の存在によるところが大きいだろう。同年代の女性同士として淡い交流をするすずとリンだが、2人を繋ぐものがあり、それがすずの心を大きく揺さぶる。すずの元を海軍に入った水原が訪ねてくるというエピソードは、『この世界の片隅に』だとすずの周作に対する憤りがちょっと唐突に見えたのだが、あれこれやがあってのあの展開だとわかる本作だとすずの心境の流れがより自然に見えた。セクシャルな要素がはっきり加わっていることにより映画の雰囲気がちょっと変わっているように思う。当時の「嫁に行く」ということがどういうことなのか、女性にとって人生の選択肢がどの程度限られていたのかも、より浮彫になっていたと思う。
 ただ、一部の台詞やモノローグがちょっと理屈っぽい、全体のリズムを損ねているなという印象は変わらなかった。玉音放送を聞いた後のすずの激しいモノローグは、すずの言動ではなく作り手の言葉が前に出てきてしまって少々言い訳がましいんだよな。あれを入れたかったらもっと早い段階で率直に入れた方がよかったのでは。

この世界の片隅に [DVD]
のん
バンダイビジュアル
2017-09-15


『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』

 ルーク・スカイウォーカー(マーク・ハミル)の意志を受け継ぎ、フォースを覚醒させ修行に励むレイ(デイジー・リドリー)。一方、祖父ダース・ベイダーに傾倒し銀河の支配者に登り詰めようとするカイロ・レン(アダム・ドライバー)。レイはレジスタンスのポー(オスカー・アイザック)やフィン(ジョン・ボイエガ)らと共に戦いに挑む。監督はJ.J.エイブラムス。
 1977年からの全9エピソード、ついに完結。関係者の皆様お疲れ様でした!解散!と言いたくなる。エピソード7,8,9は一方では現代性を考慮しつつ、一方ではオールドファン達を配慮しつつという四苦八苦が垣間見える作品だった。私はスターウォーズシリーズに思い入れがないし、エピソード4,5,6のリアルタイム世代ではないので正直そんなに面白いとも思っていなかった(スターウォーズ以降、フォロワー的作品が大量に出た後の世代なので、最早新鮮さを感じられない)。しかし、7,8,9については結構面白く見ることができた。やはり同時代性というのは馬鹿にできないのだと思う。
 スカイウォーカーの夜明けというサブタイトルだが、スカイウォーカー一族という血からの解放でもあり、帰属でもある、ただしどちらも自分で選ぶことができるのだという落としどころは苦し紛れというよりも、今スターウォーズを描くならこうなるだろう、という所では。レジスタンスらの自分たちは一人ではない、どこかに必ず後に続く者がいるという信念も、超王道ではあるが世界の分断が深まる現代にはより響くものがある。
 ただ、難点も結構ある。相変わらずレジスタンス側の作戦がぶっつけ本番的で勝てそうに思えない所や、帝国側も組織が現在どうなっているのか最後までよくわからない(組織の規模とか構成とかがよくわからない…カイロ・レンが妙に高い位置にいることで組織のスケール感が消えてるんだよな…)所など、設定にしろストーリー展開にしろ見せ方の大雑把さが目立つ。また、これは本作に限ったことではなくシリーズ全般的にその傾向があると思うのだが、地上戦の際の位置関係や移動距離等、空間設定がよくわからない。空中戦はかっこいいのに、地上の白兵戦はとりあえず大群動かしました的な大雑把さを感じる。
 レイ、ポー、フィンの関係がロマンスではなく、友情をベースにしたものであるというのはよかった。フィンはレイに対して何か言いたいことがあったみたいだけど(笑)、フィン本人が今回意外とモテていてレイへの感情がうやむやになっている。その一方で、レイとカイロ・レンに関しては、そうじゃないんだよなぁ…という不満が否めない。もう一人の自分みたいなもので、ロマンスとはちょっと違うと思う。


『カツベン!』

 サイレント映画全盛期。活動弁士を夢見る青年・俊太郎(成田凌)は、泥棒の片棒を担がされ、小さな町の映画館・靑木館に流れ着く。靑木館は隣町の映画館に人気も人材も取られて閑古鳥が鳴いていた。雑用係として働き始めた俊太郎は、ふとしたことで弁士を任され、その語り口は評判になっていく。しかしかつての泥棒仲間が彼の正体に気付く。監督は周防正行。
 面白くないわけではないが、どうにも野暮ったさが否めなかった。こんなにもたついた映画を撮る監督だったかな?序盤の子供時代パートでの子役の演技がちょっとわざとらしいて「ザ・子役」な感じで興が削がれたというのもある。一度気が削がれるとなかなか映画に乗っていけないものだな…。俳優の演技が全体的にオーバー目なように思った。また、ドタバタ感が強すぎ、動きを使ったギャグなどもおおむね滑っている。かつての「活劇」を意識したのかもれいないが、現代の映画に慣れた目には少々煩い。過去の世界を描き、過去の名作らにオマージュを捧げるとしても、現代に公開される映画なら「今」の見せ方にしないと違和感が強い。せっかくいい俳優をそろえているのに、キャラクターばかり増えすぎてストーリー上あまり機能していないのも辛かった。
 活動弁士が俳優なみのスターとしてもてはやされた時代を舞台にしているが、私はそもそもこの活弁というシステムがあまり好きではないのかなと思った。もちろん、実際に体験したことがないからしっくりこないというのもあるだろうが、弁士の語りによって映画の面白さの度合いや方向性が大きく異なってしまうというのにひっかかる。あそこまでわかりやすさを前面に出してしまっていいのだろうかと。作中で永瀬正敏演じる往年の名弁士は、かつての朗々とした語りは放棄している。フィルムを見ろ、フィルムを見れば十分にわかるというのだ。それでこその映画だろう。語りによってフィルムに映ったもの以上の意味合いを載せてしまっていいのだろうかという疑問がぬぐえない。


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