3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2019年10月

『ジョン・ウィック:パラベラム』

 殺し屋たちの聖域、コンチネンタルホテルでの不殺の掟を破った殺し屋ジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)。裏社会を束ねる組織は彼の抹殺命令と1400ドルの懸賞金を告げる。町中の殺し屋たちから追われるジョンは、モロッコへと渡り、かつて“血の誓印”を交わしたソフィア(ハル・ベリー)に協力を仰ぐ。監督はチャド・スタエルスキ。
 アクションシーンの一つ一つ、特に前半のシティから脱出するまでの一連のアクションシークエンス(図書館とか!)がユニークかつ見やすい。目新しさがありつつ、何がどうなっているのか目で追いやすいというアクション設計がとても楽しかった。速さや華やかさだけではなく、見ていて「わかる」ようにアクションを組み立てるってやっぱり大事なんだなと実感した。見ていて満足感が高い。キアヌのアクションは素晴らしいが、必ずしも「速い」わけではなく、もったりとしたところもあるのだが、それが彼の持ち味だし本作には合っている。ジョン・ウィックって意外とボロボロになるし2作目でヘロヘロになった状態のまま、今回はあまり回復していない(笑)。無敵の殺し屋みたいに周囲からは見られているが、そうでもなさそうなのだ。
 ジョンが殺し屋界のアイドルらしい事情が作中垣間見えておかしい。「ニンジャ」たちが超クールでめちゃめちゃ強いのだが、ボスがまさかそんなキャラだったとは!ソファーのくだりには笑ってしまった。そりゃあ推しと急接近するまたとないチャンス、夢のイベントではあるけど…。烈火勢に絡まれるジョンがちょっと(どころではなく)迷惑そうなのも笑ってしまう。
 なお「組織」の支配力が明らかになるのだが、殺し屋の世界がかなり窮屈そうな絶対君主制的なもので、ちょっと冷めてしまった。フリーランスがしのぎを削る、その中でホテルだけが中立地帯で、何かに統制されているわけじゃないから面白い世界なんじゃなかったのか…。



『タロウのバカ』

 戸籍を持たず、一度も学校に通ったことがない少年タロウ(YOSHI)。いつもつるんでいる高校生のエージ(菅田将暉)とスギオ(伊賀太賀)と、半グレの吉岡(奥野瑛太)を襲い、一丁の拳銃を手に入れた。はしゃぐ3人だが、吉岡らが報復にやってくる。脚本・監督は大森立嗣。
 タロウは明らかにネグレクトされた子供だし、エージは学校から見放され(体育教師の対応がひどい。えらいパワハラである)ている。スギオは2人に比べるとまだ「普通」の家庭らしく、父親も登場するが、彼を守るほど強くはない。スギオはタロウとエージの無軌道さにおびえるものの、最終的にはふらふらと吸い寄せられてしまう。
 3人の少年たちの行動には、今よりも先のことを考えている様子が見受けられない。そこが見ていて落ち着かない、不安にさせられる一因でもあるだろう。彼らには「今」しかないのだ。彼らの言動の考えのなさ、即物性にはちょっとインパクトがあった。吉岡を襲うのはともかく、その先何をしたいのかがわからないし隠蔽する度胸も知恵もなく、結局自分たちの首を絞めるようなことになってしまう。暴力的だが、暴力がどのようなものなのか、何が暴力なのかという想像力がない(殴る、殺す、レイプみたいな発想だ)。銃一丁で無敵みたいな気分になって盛り上がるのもあからさまに子供っぽい。衝動ばかりが空回りするのだ。経済的な貧しさも苦しいが、想像力の貧しさ・知の貧しさもなかなか見ていてしんどいものだなと思った。
 タロウがピザ配達のバイクにエンジンをかけるシーンが妙に心にひっかかった。エンジンをかけてはいるが、自分がバイクに乗って走るという段階になかなかならない。ようやくバイクに乗ってエンジンをかけると、今度はかからない。結局走り出す契機を逃してしまうのだ。






ケンタとジュンとカヨちゃんの国 [DVD]
松田翔太
ポニーキャニオン
2011-01-19


『上京する文学 春樹から漱石まで』

岡崎武志著
 進学や就職・転勤、生活環境を変える為など、様々な理由で人は上京する。作家たちも同様だ。村上春樹、向田邦子、川端康成、宮沢賢治、太宰治らの上京の経緯、そしてその体験がどのように作品に昇華されたのか。「上京者」というキーワードから読み解く文学案内。
 「上京」がキーワードなので東京生まれ東京育ちの作家は含まれない(向田邦子など、子供時代に各地を転々としているが、生まれは東京だから本著に含めるのはちょっと違う気もする)のだが、東京以外の土地の育った人にとっての東京、上京という行為の意味・思い入れというのはこういうものなのか。東京は圧倒的に情報が多い場所、文化が豊かな場所だったのだ。また、東京生まれの人よりも東京らしい東京を描写していたりする。(どの土地でもそうだろうけど)その中にいるとちょっとぴんとこないところもある。しかし、それらの思い入れがどのように作品に投影されているのかという読み解きは、作家の作品紹介でもあり人生を垣間見る行為でもあり、さらっと読みやすい構成なのだが味わい深い。ちょっとノスタルジックな気分にさせられるのも、故郷と東京との距離への思いが多くの作品に見え隠れするからか。なお、特別収録の野呂邦暢の章は古本屋に造詣の深い著者ならではの内容なのだろうが、泣ける。人と人の出会いの不思議さを思った。そして解説代わりに特別寄稿された重松清による自身の章は、正直ダサい。80年代若者文化のダサさが前面ににじみ出た(あえてだろうが)文章だった。

上京する文學 (ちくま文庫)
岡崎 武志
筑摩書房
2019-09-10


昔日の客
関口 良雄
夏葉社
2010-10-01


『戦場のコックたち』

深緑野分著
 合衆国陸軍に特技兵、コックとして配属された19歳のティム。ノルマンディー降下作戦で初陣を果たすが、戦闘に参加しながら炊事をこなす任務はハードなものだった。冷静なリードー格のエド、陽気なディエゴらコック仲間と、戦地で遭遇したちょっとした謎の解明を気晴らしにするが。
 ティムは特に愛国心が強いわけでも軍人という職業に興味があったわけでもない。時代の空気に流されなんとなく志願した、ごく平凡な、どちらかというとぼーっとした青年だ。優しくお人よし、少々気弱で、到底兵隊向きとは思えないのだが、当時軍に志願した多くの青年はこういう、どちらかというと軍には場違いな人だったのかもしれないと思った。時代の空気って怖いよな…。戦争という非日常の中での「日常の謎」というわけだが、そのささやかな「日常」も徐々に戦争に飲み込まれていく。ティムと個性豊かな仲間たちとのやりとりは心温まるものだが、時に当時の社会背景が深く影を落としひやりとさせられる。ティム自身がその影を自覚していないこともあるのだが、エドが気付きを促すことも。ティムが世間知らずすぎな気もしたが、当時のアメリカの田舎から出てきた青年はこんなものだったのだろうか。ティムの地元の土地柄故に彼の心にひっかかる謎もある。この話はちょっとやりきれないものがあった。また、のんきな青年たちが戦場で過ごすうちに変化していく様も辛い。まだPTSDという概念がない時代が舞台だが、戦場での体験は確実に彼らを蝕んでいく。その中で非情になりきれないティムの性格は、甘さというよりも救いになっていくのだ。
 ある謎により、連作短編がはっきりと長編小説として立ち上がってくる。その謎は第二次世界大戦という状況下だからこそ生じたものだ。青春小説、日常の謎ミステリではあるが、やはり根底は戦争小説なのではないかと思う。戦争は人間に非人間的な行為を強いるということがそっと描かれているのだ。

戦場のコックたち (創元推理文庫)
深緑 野分
東京創元社
2019-08-09





世界の果てのこどもたち
中脇 初枝
講談社
2015-06-18


『メインテーマは殺人』

アンソニー・ホロヴィッツ著、山田蘭訳
 資産家の老婦人が、自身の葬儀の打ち合わせをした直後に自宅で殺害された。彼女は死を予感していたのか?“わたし”こと作家のホロヴィッツは、ドラマの脚本執筆に協力してもらったことがある元刑事ホーソーンから、自分がこの事件を捜査するから取材して本にしないかと話を持ち掛けられる。傲慢なホーソーンとはうまが合わないものの、事件の不可解さに惹かれて執筆を引き受けるが。
 『カササギ殺人事件』で小説家としても高評価された著者だが、元は(今も)脚本家。本作には、ホロヴィッツがワトソン役で登場するというと同時に、ホロヴィッツが手掛けたドラマの題名や出演俳優の名前も次々と出てくる。また、ドラマ・映画界の住民がワトソン役なので、映像作品の制作にまつわる小ネタがふんだんにあるのも楽しい。あのビッグネーム映画監督2名が実名で登場するのには笑ってしまった(作中でこの2人が取り組んでいる作品は日本では興行大コケでしたが…)。そしてミステリーとしては、クリスティへのオマージュ、パロディがベースにあった『カササギ~』よりもよりスタンダードな本格。著者(と同名の人物)が語り手で実在の人物の名前が出てくるという変化球はあっても、複線の敷き方や犯人特定の道筋は、まさに犯人当ての王道。1冊で完結しているというのも好感度高い。
 探偵役のホーソーンは人としては少々不愉快、謎が多くしかし捜査官としては有能という癖のあるキャラクター。やはり探偵は癖があるキャラなのが王道か。ワトソンがほどよく抜けているのも王道。

 
メインテーマは殺人 (創元推理文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
東京創元社
2019-09-28


シャーロック・ホームズ 絹の家 (角川文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ
KADOKAWA/角川書店
2015-10-24


 

『ジョーカー』

 コメディアンを目指し、道化師として働くアーサー(ホアキン・フェニックス)。しかしクビにされ、貧困と持病に苦しむ中、市の経費削減で福祉ケアも打ち切られる。不遇に追い詰められていく彼に、さらに追い打ちをかける事実が明らかになり、アーサーは変容していく。監督はトッド・フィリップス。
 (ストーリー内容に触れています)これまで映画に登場してきたジョーカーというキャラクターは、内面やその行動への共感を拒む、ただただ悪でありそこに理由はないという造形だったと思う。しかし本作では、1人の人間としての名前があり、家族があり、他人に対する共感も優しさも持ち合わせている、不当に扱われたりバカにされたりしたら傷つく存在であることが明白だ。そういう「変わり者」と揶揄されることはあるもののごく普通の人が、どういう経緯で狂気に走っていくのか、思いやりや倫理をなくてして全ての人間に破壊衝動を向けるようになるのか、ねっちりと見せていく。彼の行動にうっかり共感させてしまうところが性質が悪い。誰でもジョーカーになりえるのだと。
 アーサーが人間性を捨てていく過程には、いくつも分岐点がある。ここで何か助けがあれば、裏切られなければ、別の選択肢があれば、という歯がゆいシチュエーションで、逆に彼の背中を押していくものが何なのか浮彫になっていく。個人として尊重されないことは人の心を着実にむしばんでいく。福祉はそれに歯止めをかける最後の砦でもあると、なんだかケン・ローチやダルデンヌ兄弟の映画を見ているような気分にもなった。そういう話をアメコミ原作映画で、ことにジョーカーという超有名キャラクターを使ってやる必要があるのか?という批判もありそうだが、そういうものすら料理できる許容範囲の広さ・深さがアメコミというジャンル、ひいてはヴィランという存在の強さではないだろうか。
 アーサーが社会から取り残され、自分を片隅に追いやった社会、そしてその社会を牛耳り彼を見捨てた(と彼が思っている)存在への憎しみを爆発させる過程は、最近頻発しているいわゆる一人テロに近い。ただ、アーサーの爆発は現実の一人テロとはちょっと違うところがあるように思った。彼には異性にモテないことによる恨み、ミソジニー的なものはさほど強くないように見える。ある女性への執着は確かにあるのだが、異性との性愛というより、自分が愛され尊重されること全般についての得られなさといった方がいいのだろう。ただ一つの存在として大事にされたいという思い(本来なら母親から得られるはずのものだったのに)が、彼に「父親」との絆(そして「父親」を奪った者への憎しみ)という夢を見させてしまい、その夢の破綻が狂気の背中を押す。人として基本的な尊厳と性愛、セックスを得られるかどうかは別物だぞという監督の念押しか。
 本作の上手いところは、すべてがアーサーの夢であるようにも解釈できるというところだろう。実際にはアーサーはずっとあの白い部屋にいたのでは、コメディアンにもヴィランにもなれなかったのではと。そして本作に登場する町は、音頭を取るジョーカーが存在しなくても近いうちに暴動が起きそうに見える。ジョーカーは町で生活苦にあえぐ人たちの共同幻想が生み出したものかもしれない。だとすると、ウェイン一族はどちらにせよ町の救世主にはなりえないだろう。富裕層と低所得層との分断という今現在起きている現象が映しこまれているが、ウェイン家はそれに加担してしまった立場だ。ヒーロー全否定なので、アメコミファンにとっては許しがたいのかもしれないが、非常に「今」の作品だなと思った。
 
ダークナイト(2枚組) [Blu-ray]
クリスチャン・ベール
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2016-02-24


ジョーカー[新装版] (ShoPro Books)
ブライアン・アザレロ
小学館集英社プロダクション
2018-12-06


『ホテル・ムンバイ』

 2008年11月、インド、ムンバイで同時多発テロが起きた。インドを代表する5つ星ホテルのタージマハル・パレス・ホテルは、テロリストに選挙され500人以上の宿泊客と従業員が閉じ込められ、人質にとれらた。従業員たちは宿泊客を逃すために奔走する。一方、特殊部隊の投薬まで数日かかるという中、地元警察官たちがホテルに突入する。監督はアンソニ・マラス。
 実際に起きた事件を元にドラマ化された作品。中心となる人物はホテルマンのアルジュン(デブ・パテル)をはじめ何人かいるものの、群像劇としての側面が強い。123分とそこそこ長さはあるが、テンポが良く、むしろコンパクトに感じられた。個々の登場人物の見せ方、エピソード展開の手際がいい。ストーリー内の状況が状況なので、緊張感が途切れようがないという事情もあるのだが。
 ホテル従業員たちのプロ意識、職業倫理の高さが称揚されそうだが、彼らが元々特に素晴らしい人たちなのかというと、ちょっと違うと思う。本作に登場する人たちは、ホテル従業員にしろ、宿泊客にしろ、あくまで普通の人たちだ。テロリストですら、何かすごく特別な能力があるわけではない。武器で武装してはいるが、パニックになるとごく普通の、それほど頭がいいわけでも意志が強いわけでもない若者たちであることが露呈していく。従業員も宿泊客も、あくまで一般人の知恵と勇気の範疇で生き残るために戦っていく。普通の人たちが極限状態で勇気や利他性を発揮する姿には胸が熱くなるが、運不運としか言えない展開もあって、テロの不条理さがつらい。テロを起こす側の若者たちは、いいように使い捨てられる駒のようなもので、その上にいる人物は無傷。貧しい環境出身と思われる彼らが富裕層に憎しみを燃やし、不平等への不満・怒り故に利用されていく様がやりきれない。

パラダイス・ナウ [DVD]
カイス・ネシフ.アリ・スリマン.ルブナ・アザバル.アメル・レヘル.ヒアム・アッバス.アシュラフ・バルフム
アップリンク
2007-12-07


タワーリング・インフェルノ [DVD]
スティーブ・マックィーン
ワーナー・ホーム・ビデオ
2010-04-21



『クロール 狂暴領域』

 試写会で鑑賞。大学競泳選手のヘイリー(カヤ・スコデラリオ)は、実家のあるフロリダに巨大ハリケーンが近づいており、父親と連絡が取れなくなっていると知る。売り出し中のかつての実家に訪れると、地下室で重傷を負い気絶している父を見つける。助けようとするが、彼女も何者かによって地下室の奥に引きずり込まれて足に重傷を負ってしまう。監督はアレクサンドル・アジャ。
 製作サム・ライミという安心感…。私はホラーやパニック映画の類はあまり好きではないのだが、本作は楽しく見られた(懐が痛まなかったというのもありますが…)。空き家の地下室に閉じ込められ、ハリケーンが近づいてくるので周囲に人はいなくなるし、洪水が起きて浸水してくるのは必須、さらにワニまで襲ってくる!というなかなかの盛りの良さなのだが、むしろストイックに見える。観客をハラハラドキドキさせびくっとさせるためのイベントの組み立て、舞台設定、仕掛けの入れ方が機能的で、システマティックな印象を受けた。とても機能的な映画だと思う。こうすれば行動範囲が狭まる、この方向に行かざるを得ない、等の条件の付け方が的確。
 ワニたちは大活躍するのだが、意外とスプラッタ要素は少なかった。ワニは怖いが、それよりも怖いのがハリケーンとそれに伴う洪水。ワニは何とか避けられても風と水は避けられない!正直、ワニに食い散らかされるよりも溺れ死ぬ、ないしは漂流物に激突する恐怖の方が生々しくて怖いんだよね…。
 ワニ&洪水と戦う一方で、疎遠だった娘と父親が関係を築きなおすというサイドストーリーがきいている。王道、ベタだがそれがいい。子供時代の体験、父親の言葉がここぞというところでリフレインされる。父娘の生き延びるためのガッツと崩れないファイティングポーズが熱く、爽快。

ピラニア Blu-ray
エリザベス・シュー
ポニーキャニオン
2016-02-17


ワニの町へ来たスパイ (創元推理文庫)
ジャナ・デリオン
東京創元社
2017-12-11


 

『帰れない二人』

 山西省大同の裏社会で生きるビン(リャオ・ファン)と恋人のチャオ(チャオ・タオ)。対抗組織に襲われたビンを助ける為、チャオは銃を発砲する。5年後、景気を終えて出所したチャオはビンと連絡を取ろうとするが、彼からの返信はない。チャオはビンが働いているという長江を訪れるが。監督はジャ・ジャンクー。
 2001年から2008年まで、一組の男女の行方を追う。とは言えメインはチャオだ。チャオを演じるチャオ・タオが本当に素晴らしく、ずっと目を離せない。冒頭、若い衆に声を掛けられ振り向いた瞬間のギラっとした表情、ヤクザの「姐さん」としての立ち振る舞いの軽やかさや凄み。そして経年してやつれ感は漂い、何もなくしてもなお立ち向かうしたたかさと危うさ。10年間のチャオの変化の演じ分けが見事だった。
 本作はジャ・ジャンクー流の仁侠映画、女仁侠ものだろう。チャオは自分たちは渡世人だと度々口にする。一方、チャオは2人の関係に何か大きな岐路が訪れる、何か決断を下さねばならない瞬間がくると、自分からは切り出さずチャオが切り出すように仕向ける。ちょっとずるいのだ。ヤクザの親分としての度量はあるが、後半にはぼろぼろと弱さを見せていく。チャオはビンの一番ぶいぶい言わせていたいい時代を共にしたパートナーだ。そんな彼女に落ちぶれた自分の姿を見せるのは辛いだろう。しかしチャオ側にしてみたら、そういう時こそ支えあいかっこ悪さもさらけ出すのがパートナーというものではないかと言いたくなるだろう。
 チャオは一貫してブレがない。一度気にかけた相手は、たとえ情がなくなっても最後まで面倒を見るのが彼女の仁義だ。渡世人とはそういうものだと彼女は考えているのだろう。損得重視の世の中では損な性格、「かしこい」やり方ではないという人もいるだろう。しかしそんな彼女のりりしさが素敵だった。

山河ノスタルジア [DVD]
チャオ・タオ
バンダイビジュアル
2017-01-06


罪の手ざわり [DVD]
チャオ・タオ
バンダイビジュアル
2015-02-06




『ウィークエンド』

 金曜日の夜、友人たちと別れたラッセル(トム・カレン)は一晩付き合う相手を探しにクラブに立ち寄る。なんとなく惹かれたグレン(クリス・ニュー)を連れて帰宅し、セックスし、週末を共に過ごす。お互いに距離が縮まっていくが、土曜日の夕方、グレンはあることを告げる。監督はアンドリュー・ヘイ。
 かなり地味かつ地に足の着いた作品。3日足らずの出来事なのだが、もっと長い期間の話に感じられた。2人の間に流れる時間の速度が速いのか、密度が高いのか。関係が濃密というのではなく、むしろ付き合い始めの、好きなのかどうかまだ定かではないくらいの淡さではあるのだが(まあセックスはしてるけど)、お互いの出方を探る感じ、関係が固まっていない危うさから目が離せなかった。ラブストーリーではあるのだろうが、そう言い切っていいのかどうか迷ってしまう。
 ラッセルは自分がゲイであることを周囲の人間にはオープンにしている。友人たちもそれを受け入れており、一見フラットな付き合いだ。しかしそれでも「家にいる時は自分がゲイであることを意識することはない、でも外に出ると意識せざるをえない」というようなことを言う。本当にフラットな世の中だったらセクシャリティをいちいち意識する、他人の目を気にすることはないんだろうけど(実際、異性愛者の人は日常生活の中で自分のセクシャリティを強く意識する、どう見られているか気にすることはあまりないだろう)。現状、世の中は異性愛前提で作られているしその中にいる人たちも異性愛前提で考えてしまうよなとはっとした。そしてごく親しい人との間であっても、その部分のギャップは理解しあえないし話せない領域がある。グレンがセックスした相手の「語り」を収集し続けているのは、他の人たちはどうなんだろう、周囲との折り合いはつくものなんだろうかという思いがあるからかもしれない。
 ラッセルとグレンは付き合い方に対するスタンスは異なるし、愛、恋愛についてのスタンスも異なる。自分の中のどこまで立ち入らせるかという一線の引き方はひとそれぞれで、その部分でせめぎあいが生じる。ラストシーンに胸を打たれたのだが、そのせめぎあいと受け入れがありありと見られるのだ。

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2019-09-03


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2011-04-08


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