秩父の町に住む高校生のあおい(若山詩音)は、13年前に両親を亡くし、姉のあかね(吉岡里帆)と2人暮らし。あおいは東京でバンドをすることを目指し、受験勉強もせずベースの練習に打ち込む。地元を離れようとするのは、あおいの面倒を見る為に、当時付き合っていた慎之介(吉沢亮)と上京することを断念し、地元で就職したあかねへの負い目もあった。そんな折、町おこしの祭りに来た有名演歌歌手のバックバンドの一員として慎之介が帰郷してくる。それと同時に、高校生当時の慎之介があおいの前に現れるのだった。脚本は岡田磨里、監督は長井龍雪。
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』『心が叫びたがってるんだ』に続く秩父を舞台とした作品。ただ、少年少女たちの物語だった前2作に対し、本作はむしろ、かつて少年少女だった人たち、大人2人の物語という側面が強かったと思う。私が年齢的に大人の立場で見ているからということもあるが、あおいのエピソードはちょっと印象が薄かった。後で謝るとは言え同級生に対する態度がものすごく失礼(相手も相当無遠慮なんだけど、あれだけ言われて怒らないとはなんて心が広いんだ…)というくらいしかインパクトが残らなかったんだよね…。
あおいとあかねは仲のいい姉妹と言えるだろう。しかしあおいは、あかねの人生、10代から30代にいたるまでの彼女の時間を自分が奪ってしまったと罪悪感に駆られており、自分が離れればあかねも「自分の人生」を歩めるだろうと考えるのだ。とは言え、あおいと過ごした時間もあかねの人生であり、彼女が不幸か幸せかはあかねが決めることだ。あかねの幸せはあかねが決めることだと見落としているあたりが、あおいの若さ・視野の狭さなのかなと思った。また、慎之介の「自分あかねを幸せにしないと」という思いもまた、独りよがりなものだろう。あかねにはあかねの空の青さがある。
なので、エンドロールのおまけ的映像はちょっと蛇足というか、本作の趣旨からずれたものになってしまっている気がした。ああいう、当初思い描いていたような未来がなくてもそれぞれ幸せになれるはず、というのが趣旨なのではなかったか。10代の頃の思いと30代になってからの思いはそもそも違うしな…。