3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2019年08月

『パリ警視庁迷宮捜査班』

ソフィー・エナフ著、山本知子・川口明百美訳
 6か月の停職から復帰したアンヌ・カペスタン警視正は、親切された特別捜査班のリーダーに任命される。しかし集められたメンバーは売れっ子小説家との兼業警部、組んだ相手が次々と事故に合う悪運の持ち主、大酒呑み、生真面目な堅物、ギャンブル依存症ら、パリ警視庁の厄介者ばかりだった。カペスタンは彼らと共に、20男前と8年前に起きた2つの未解決殺人事件の捜査を始める。
 フランスの『特捜部Q』と評されているそうだが、確かに似ている。ただ、本作の方が軽快でコミカル。特捜班のリーダーであるカペスタンのへこたれなさや、何をやるにも自分流を貫きあっけらかんとしたロジエール、気難しく厳格だが実直なルブルトン、そして他人に不幸を運ぶと自認している故に気が優しいトレズ。キャラクターが立っていて楽しい。皆問題児扱いされるだけあって、色々と難がある人たちではある。しかし上手くはまれば高いパフォーマンスを発揮するし、難点こそが面白みにもなっている。それぞれの個性を活かしチームを機能させていくことは、カペスタンにとってはリーダーとしての腕の見せ所と言える。彼女の、基本的にチームのメンバーを信じる姿勢が、彼らの信頼を得ていくのだ。どのメンバーも魅力があるが、一見全く共通項がなさそうなオジエールとルブルトンのコンビネーションが、意外と上手くかみ合っていく様がよかった。仕事をするってこういう側面があるよなと。また、男女の間もあくまで同僚、仕事仲間であって色恋が絡まないところもいい。
 殺人事件自体はちょっと行き当たりばったりっぽくあまり精緻ではないのだが、捜査陣や事件を取り巻く人々の人間味に魅力がある。捜査本部の内装まで自分達でやる(というかほぼロジエールの趣味で・・・)という所もおかしい。改装していいのか!という驚きも。フランスでは普通なの?!

『ロケットマン』

イギリス郊外の町に生まれた少年レジナルド・ドワイトは、音楽の才能に恵まれ音楽院でピアノを学び始める。やがてロックに傾倒するようになりミュージシャンを目指すことを決意、「エルトン・ジョン」(タロン・エジャトン)という芸名で音楽活動を始める。そして生涯の友となる作詞家のバーニー・トーピン(ジェイミー・ベル)と出会い、成功への道をひた走っていく。監督はデクスター・フレッチャー。
世界的ミュージシャン、エルトン・ジョンの生涯を映画化した作品で、本人も製作総指揮に参加している。とはいえ、史実や実際の時系列に忠実であることよりも、ミュージカルとしての楽しさやビジュアルのインパクト、収まりの良さを重視しているのかなという印象。エルトンのことを良く知らなくても(私も良く知らないし)面白かった。本作、エルトンがリハビリ施設で語りだすシーンから始まる。あくまで一人称の、彼にとっての、彼が見せたいストーリーなんだよというアピールだと思う。
子供時代のエルトンは、父親に褒められたくて色々と関心をひこうとする。しかし父親は彼に冷淡で家にもいつかない。母親は父親ほどではないし気まぐれに彼を可愛がるが、やはりあまり関心はなさそう。彼に保護者としての愛情を注ぐのは祖母のみだ。やがて青年になったエルトンはバーニーと運命的な出会いを果たす。2人は意気投合し強い絆で結ばれる。名曲『Your Song』が生まれるエピソードは、本作のクライマックスの一つだ。とても美しいのだが、2人の関係のピークがもうきてしまったかという切なさもある。エルトンとバーニーの間には愛がある。が、ゲイであるエルトンの愛と、ヘテロであるバーニーの愛は意味合いが違う。更にエルトンはマネージャーのジョン・リード(リチャード・マッデン)と恋におちるが、リードはビジネス第一だった。
 エルトンを愛する人たちはいるが、彼と同じような意味合いの愛、同じような熱量の愛は手に入らない。バーニーはエルトンの音楽の最大の理解者であり、彼都の友愛があったからこそ名曲の数々が生まれたわけだが、彼はエルトンの元に留まってはくれない。要所要所で立ち去るシーンが挿入される。エルトンは悲しんだり怒ったりするが、最終的にはそれを受け入れる。本作、音楽はとても楽しいのだが、この孤独の解消されなさ、愛を得られない様はなかなか辛い。孤独である自分を受け入れ、それでも生き延び音楽を続けるという話なのだ。題名にもなった『ロケットマン』の歌詞がこれまた辛い。実際のエルトンがパートナーを得て元気に生きている(エンドロール前に紹介される)からなんとなく安心するけど、そうでなかったらかなり救いのない話なのでは。
 エルトンと父親の関係に問題があるのは非常にわかりやすい(再婚相手との子供に対する態度の違いがこれまた辛い)。とはいえ、母親も大分問題がある。エルトンが自分はゲイだと告白した後の言葉には、そりゃあ心が折れるよなと。それを言っちゃあお終いよという言葉が世の中にはあるが、さらっと言ってしまうのだ。
 一方、バーニーは一貫してエルトンへの友愛を持ち続けるいい人として描かれているが、折々のしんどい局面で流れる、しかもそのシチュエーションにものすごくハマる曲の歌詞、これ全部バーニーがエルトンが歌うこと前提で書いた(当然エルトンの自分に対する思いもわかったうえで)わけだ。エルトンもそれを要求したわけで、お互いそこまで要求できるというのはなかなか怖い関係性だと思う。ずっと喧嘩はしなかったというけど、本当かな・・・。

『鉄道運転士の花束』

 鉄道運転士のイリヤ(ラザル・リストフスキー)は列車の運行中、線路を歩いていた少年をひき殺しかける。その少年は自殺したいから構わないのだと言う。そして10数年後、イリヤの養子となったその少年シーマ(ペータル・コラッチ)は自分も定年間近のイリヤの跡を継ぎ鉄道運転士になりたいと考える。しかしイリヤは猛反対。事故で人を殺してしまうことは避けられない、その重みをシーマに負わせたくないのだ。反対を押し切りシーマは鉄道運転士になるが。監督・脚本はミロシュ・ラドビッチ。
 イリヤは鉄道事故で累積28人を殺しており、その中には最愛の女性も含まれていた。自分のような苦しみを子供には味わせたくないというと良い話みたいだけど、「人をひいたら一人前」「一人ひいたら気が楽になる」等イリヤも運転士仲間もぽんぽん言うので信用できない。無事故無違反ありきではなく、事故も違反もあることが前提なのだ。日本だったら不謹慎!と怒られそうなセリフだ。
 早く人をひいて楽になりたい!と訴えるシーマ(その訴えもどうなんだと思うが)に対するイリヤの行動は、予想は出来るが結構極端。子供への愛情の示し方がちょっといびつだし、良くも悪くも融通がきかない。イリヤはシーマが自分を愛しすぎないように、自分もシーマを愛しすぎないようにずっと気をつけているように見えた。その試みは結局のところ失敗していることがわかってくるが、イリヤの愛は屈折しているのだ。その屈折を補うのが、同僚夫婦。ストレートな愛情をシーマに示す姿は心温まるし、とてもいい「近所のおじさんとおばさん」という感じ。おばさんが作るズッキーニの肉詰め、イリヤ達には不人気なのだが食べてみたくなった。
 一見牧歌的でハートウォーミングな印象だが、かなりブラックユーモアが強い。題名の「花束」の意味だって、えっそっち?!という方向でまずは見せてくる。運転士たちが引き殺した人数を出し合うのといい、この人をひくのはまずいけどあいつならOKという差別化も、あっけらかんと黒い。
 イリヤの自宅が列車車庫の中にあったり、同僚夫婦やカウンセラーの自宅は車輛を改装したものだったりと、舞台がとても楽しい。特にカウンセラー女性の自宅は、一面が本棚になっていてアンティークっぽい内装で素敵だった。車輛に住むというシチュエーション、子供の頃に大分憧れたので、映画の中で見られて嬉しいしうらやましくなってしまった。

黒猫・白猫 [DVD]
バイラム・セヴェルジャン
キングレコード

『なにかが首のまわりに』

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著、くぼたのぞみ訳
 ラゴスからアメリカに移民した若い女性は、毎晩何かが首のまわりに絡みつくような息苦しさを感じていた。ある日彼女は大学に通う白人青年と親しくなる。表題作を始め、兄がカルトのメンバーと間違えられ投獄された経緯を静かに綴る『セル・ワン』、夫に連れられナイジェリアからアメリカへ移り住んだ女性の夫への疑念を描く『イミテーション』等、文化、ジェンダー、家族の中にある溝とすれ違いを描いた短篇集。
「異文化」に対する理解のなさ、あるいは理解している風に見せかけることの無神経さが、「異文化」側から描かれる。異文化は、アフリカであったりアメリカであったりする。周囲が彼/彼女らの母国文化に対して無関心だったり理解がないのはまだましで、厄介なのは理解しているというパフォーマンスをするが、実際の所何もわかっていないという相手の時だろう。それは異国に対してだけではなく、男女の間であったり、家族のあり方に対してだったりする。自分の頭の中にある異国であったり異性であったりに対するイメージで括られ、そのイメージや役割を押し付けられることは不愉快であり、また苦しいことだ。『ジャンピング・モンキー・ヒル』はアフリカ出身作家の為のワークショップが舞台だが、アフリカ人ではない講師の言う「アフリカらしさ」とは何なのか(よしんば講師がアフリカ人だったとしても)お前が言うなよ!って話だろう。主人公が書こうとしていることは彼女にとって重要なことで「アフリカらしさ」はさしあたり前面に出る要素ではない。このギャップをユーモラスかつ辛辣に描いており面白かったし、主人公がある場面で怒れなかった、笑って流してしまったことを後で嫌悪するというくだりが身に染みる。ああここでもか・・・とげんなりする。こういう場面ではもう、怒っていいんだよね。彼女もそれに気づくのだ。
なにかが首のまわりに (河出文庫)
チママンダ・ンゴズィ アディーチェ
河出書房新社
2019-07-08





明日は遠すぎて
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ
河出書房新社
2012-03-13







『マンソン・ファミリー 悪魔に捧げた私の22カ月』

 ダイアン・レイク、デボラ・ハーマン著、山北めぐみ訳
ヒッピー文化に染まった両親に連れられ、あちこちを転々としてきた14歳のダイアンは、チャールズという男と彼の仲間の女性達と知り合う。家庭に居場所がなかったダイアンはチャールズらが本当の“ファミリー”だと感じて彼らの仲間に加わる。しかし、ファミリーはカルト集団に変貌していき、やがて無差別殺人を犯すのだった。“マンソン・ファミリー”の一員だった著者に手記。
 マンソンファミリーといえばシャロン・テート殺人事件。とはいえ著者は殺人事件に直接的には関わっておらず、事件についての言及も多くはない。本作はあくまで著者の体験談で、14歳の少女だった著者にチャールズがどのようにつけこみ、自分のコントロール下においていくのかという過程がありありと記録されている。自分の体験を客観化し読み解いており、チャールズの人心掌握術の分析も的確なことから、ダイアンが本来聡明(作中、勉強は好きで成績もよかったし学校には通いたかったと何度か言及されている)なことが窺える。また、母親の手伝いをしている描写からは器用で要領もいい様子が見て取れる。そういう人がどうしてマンソン・ファミリーに魅力を感じ抜け出せなくなったのか。カルトやDVパートナーに付け込まれやすいのはどういう人なのか、取り込まれていくとその人の認知がどのように歪んでいくのかという典型的な事例だと思うし、それ故にとても怖い。
 ダイアンの場合は両親が保護者であることを引き受け切らず、十分に「子供」として保護されなかったことが大きな要因だろう。父親は家庭への責任を忌避し(このあたりの描写はかなり冷静に観察されており辛辣)、母親は子供への愛情はあるが父親の言いなり。2人は娘を一人前扱いするが、それは自分達にとって都合のいい一人前扱い、つまり子供へのケアを放棄して構わないということでしかない。そんな家庭の中にはダイアンが安心できる、必要とされる場所がないから外部に居場所を求め、最悪の選択をしてしまうのだ。チャールズの元に集まってきた人たちは多かれ少なかれそのような一面があったことも垣間見える。その行きつく先が無差別殺人というのはやりきれないよな・・・。

『ロビンソン・クルーソー』

ダニエル・デフォー著、鈴木恵訳
 1632年、イングランド育ちの船乗りロビンソンは、航海中に難破し、1人きりで無人島に漂着する。船に残された積み荷を利用し、住処や道具をこしらえ、亀や鳥を捕まえ、野生のヤギを飼いならして乳を取り、麦や米の栽培を試みる。28年に渡る無人島生活が始まった。新潮文庫の名作新訳コレクションより。
 子供の頃に簡略化された本著を読んだきりだったのだが、当時の記憶と大分内容が違う!ロビンソン・クルーソーといえば無人島でヤギとオウムと黒人奴隷と暮らしていたというイメージなのだが、ヤギとオウムはともかく奴隷が登場するのは大分後半だし多分黒人ではなくてアメリカ先住民だよな・・・。しかもイングランドからの航海ではなくブラジル(イングランドからブラジルへ移住し、ブラジルの自分の農園から旅立つ)からの航海だったのでびっくり。更に意外だったのが、ロビンソンが冒頭から相当愚痴るしぼやくこと。当人の手記という体の作品なので、絶海の孤島に30年近くひとりきりだったらそりゃあぼやくし後悔しまくるだろうなとは思うが、強靭なサバイブ能力とはうらはらだ。また、無人島での生活を成り立たせる上で、イングランド式の生活を再現しようという意欲が結構強い。一人きりの孤島での生活で椅子やテーブルの用意は最優先事項ではないと思うが、ないと落ち着かないのでさっそく作る。そしてとにかく勤勉で几帳面。ピューリタニズムってこういうことだろうか・・・。計画的に働かないと生き延びることができないという事情はあるものの、働き者すぎる!自分が育った習慣、ルールに基づき生活を再現しようという方向に努力するところが面白い。
 創意工夫は旺盛だが、価値観はあまり変わらずあまり融通がきかない。この価値観の変わらなさは、当時のキリスト教文化圏の作品故だろう。本作、住まいを作ったり狩りや採集をしたりという生活の部分の描写は時代を越えた面白さがあるのだが、宗教を背景とした価値観や、先住民に関する記述の部分は今読むと相当傲慢で、なかなかきついものがある。

ロビンソン・クルーソー (新潮文庫)
ダニエル デフォー
新潮社
2019-07-26





ロビンソン・クルーソー (岩波少年文庫)
ダニエル・デフォー
岩波書店
2004-03-16

『ザ・ボーダー(上、下)』

ドン・ウィンズロウ著、田口俊樹訳
 メキシコの麻薬王アダン・バレーラの死は、新たな麻薬戦争の始まりだった。カルテルの後継者争い、領土争いは血で血を洗う抗争へと発展していく。一方アメリカではアダンとの死闘を繰り広げたアート・ケラーがDEA局長に就任。ニューヨーク市警麻薬捜査課と極秘作戦に着手する。
『犬の力』、『ザ・カルテル』に続く三部作完結編。シリーズとして著者の代表作と言っていいだろうし(もうライフワーク規模になっちゃったよな・・・)本作単品としても大変な力作。麻薬戦争、カルテルとの戦争だけでなくカルテル内の戦争、そして警察内、政府内での戦争が描かれている。今回はとうとう戦いの場がアメリカに移行し、ケラーが歩む道もいよいよ戻れないものになる。カルテルと戦うならまだしも、本来自分の陣営のはずのアメリカ政府、警察組織とも戦わなくてはならないという、誰も信用できない状況にげっそりとしていく。汚さ悪どさで言ったらカルテルといい勝負だ。おりしも大統領選が背景にあり、トランプっぽい人も登場する(「壁」作りたがるしツイッター大好きだし・・・)し、その親族があれこれやらかしたりしている。そんな中でケラーがどう立ちまわっていくかということになるのだが、ケラーはもはや立ちまわる、うまいことやるという意欲を失くしていくようにも見えた。彼の大きな決断は、全部ぶん投げるというか、自分のこの先のことを考えていないものとも言えるだろう。自分の未来を考えるには、彼の戦いの犠牲者は、彼に捨て石にされた人たちの数は多すぎる。
組織や警察の熾烈な争いの最末端にいる人たちの姿も描かれる。人生を踏み外し転落していく薬物依存症の女性。犯罪組織から距離を置く為アメリカに密入国したものの、貧しさからギャングへの道を歩み始める少年。カルテル(そして間接的であれ彼らの活動に加担した政府)が生み出し食い物にするのはこういう人たちなのだ。2人の進むこの先の道がとても気になる。

ザ・ボーダー 上 (ハーパーBOOKS)
ドン ウィンズロウ
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2019-07-17





ザ・ボーダー 下 (ハーパーBOOKS)
ドン ウィンズロウ
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2019-07-17

『アルキメデスの大戦』



 日本と欧米の対立が強まりつつある昭和8年。日本帝国海軍上層部は巨大戦艦・大和の建造計画に乗り気だったが、海軍少尉・山本五十六(舘ひろし)はこれから必要なのは空母艦だと主張。しかし上層部は世界に誇示する巨大戦艦計画を支持する。山本は計画を阻止する為、天才数学者・櫂直(菅田将暉)を起用し、大和建造の見積もりに不正があると証明しようとする。原作は三田紀房の同名漫画、監督は山崎貴。
 山崎監督が脚本も手がけているのだが、何でもセリフで説明しがち、感動盛りすぎになりがちというこれまでの作品の難点が比較的出ておらず、普通に面白い。その一言、一アクションを入れるからダサくなるんだよ・・・というシーンもそこそこあるのだが、げんなりするほどではなかった。
 櫂は「数字は嘘をつかない」という信念、というか確信を持ち、言動は非常に合理的で、どう見ても軍の体質とはそりが合わなそうだし、実際に軍人は嫌いだと明言している。そんな彼が軍という組織の中で妨害にあいつつミッションを遂行していくという、「大作戦」的な面白さがある。杓子定規で典型的な軍人タイプの部下・田中(柄本佑)との掛け合いと、2人が相棒として機能していく過程も見所の一つだろう。田中の造形がちょっと誇張されすぎ、「キャラ」感が強すぎな感はあるが(こういうのが山崎監督作品のダサさの一因ではないかと思うんだけど・・・)、2人のコントラストがきいていた。俳優には正直あまり期待をしていなかったのが、若手もベテランも案外よかった。海軍のおじさんたちの会議の、段々論理も議題の趣旨も関係なくなり人間性こきおろし合戦になっていくむなしさは、あー日本の会議!日本の組織!という感じだった。
 この「日本の組織」というものの厄介さ、不条理さが全面に出ている話でもある。櫂がいくら奮闘して見積もりの不正が判明したとしても、史実から明らかなように当初の海軍上層部の計画通りにことは進む。上の人がそれでいいといえば、黒も白になるし、あったこともなかったことになる。全く理にかなっていないので、敗戦の原因はここにもあるんだろうなと空しさが募る。
 櫂が奮闘するが、史実として大和は建造され、沈没することが最初からわかっている。実際、映画冒頭はこの沈没シーンで非常に力が入っており、スペクタクル要素としては最大の見せ場だと言ってもいい。櫂の奮闘からのこの「結末」までどうやってストーリーを展開させていくのかというのが本作シナリオの勝負所だったと思うのだが、なかなかうまくクリアしていたように思う。終盤にある人物が櫂に提案する道は苦渋の決断だろう。ただ、本当にそれだけか?とも思った。櫂は研究者であり技術者気質だ。そこにより完璧なものを作れる方法があるのなら、それがどんな結果を招こうと作りたくなる、やってみたくなるのが技術者の性ではないだろうか。そして同じように、軍人はやはり戦争をやりたい人種であるようにも思える。アメリカとの開戦を案じていた山本も、結局真珠湾攻撃に乗り気を見せる。ある人物の提案の真意は、当人の自覚有無に関わらず、ひとつの建前であるような気がしてならなかった。その建前としての意図すら機能しなかったということが、映画を見ている側には史実としてわかっているというのがまた空しい。

『田園の守り人たち』


 1915年、第一次世界大戦中のフランスの田園。未亡人オルタンス(ナタリー・バイ)は、長女で夫が出征中のソランジュ(ローラ・スメット)と農園を取り仕切っていた。人手不足の中、身寄りのない若い娘フランシーヌ(イリス・ブリー)を雇うが、彼女は働き者で家族同然になっていく。ある日、前線から二男ジョルジュが一時休暇で帰ってくる。ジョルジュとフランシーヌは惹かれあっていくが。監督はグザヴィエ・ボーヴォワ。  音楽が何だかいいなと思っていたらミシェル・ルグランだった。最晩年の仕事ということになるのか。全般的には控えめな音楽の使い方なのだが、エピソードの節目節目で印象に残る。また、四季を通して描かれるフランスの田舎の風景が美しい。ジョルジュが農場の周りの森に拘るのもわかる。  女性ばかりの農園が舞台ということで、大地母神神話的に母性賛歌みたいな方向だとちょっと困るなと思っていたら、あまりそういう側面は感じられずほっとした。農園のあり方はむしろ、経営、経済活動という側面が目についた。男性は出征していて働いているのは女性と老人ばかりなのだが、耕運機など農耕器具が改良され(作中描かれているのは3,4年程度なのだが、その中でも結構進化している)、生産量が上がっていると言及されるシーンがある。技術が発展すると労働力としての男性のアドバンテージはそれほど高くなくなっていくのだ。ソランジュが帰郷した夫に得意げな顔で農耕器具を見せるシーンが印象に残った(夫が君すごいな!的リアクションなのもいい)。農場主であるオルタンスの個性は、母性よりもむしろ経営者、事業者としての有能さに象徴されている。  とはいえ、オルタンスは経営者であると同時に娘、息子たちの母親であることは間違いない。彼女の「母」としての側面が強く出るのは、特に息子に対してだ。それまで冷静でフェアだった人が、息子の為には急にひとりよがりで卑怯なことをしてしまう。母親の業みたいなものなのかもしれないが、息子に対する執着が見え隠れしてちょっと怖かった。  女性たちの強さ、有能さが印象に残るが、女性故に我慢しなくてはならない側面は依然としてある。「女」として扱われる不愉快さが、主にアメリカ兵相手に漂う。あるシーンで、ジョルジュはフランシーヌが立場上そうせざるを得ないということが多分わからないのだろう。その時彼もフランシーヌが感じる不愉快さに加担していることになるのだが、その自覚もないのだろう。オルタンスはそれがわかっていて、やはり加担してしまうというのが辛い。



神々と男たち [DVD]
ランベール・ウィルソン
紀伊國屋書店
2011-10-29



『血の収穫【新訳版】』

ダシール・ハメット著、田口俊樹訳
 ポイズンヴィルと呼ばれる町にやってきた、コンティネンタル探偵社の調査員である「私」。依頼者は地元の新聞社の編集長だが、到着するなり依頼人が殺されてしまう。ポイズンヴィルは鉱山会社の社長である依頼者の父親によって牛耳られていたが、社長が労働組合対策として呼び入れたギャングたちによって支配され、汚職まみれの町になってしまったという。社長から改めて町の浄化を依頼された「私」はギャングの抗争に足を踏み入れていく。
 旧訳で読んだときには、正直どういう話なのかぴんとこない所があったのだが、新訳は展開がよりスピーディに感じられた。スピーディであると同時に、「私」もギャングたちも妙に行動的に感じられる。そのくだり本当に必要?という部分もあるので、決してバランスのいい長編というわけではないのではないか。とは言え、プロット(全体的なプロットというよりも局地的な伏線の仕込み方がいいというか)も登場人物の造形もなかなか楽しかった。いわゆる「いい人」が「私」含めほぼ出てこない。悪人ではないけどちょっと嫌な奴とか性格に難ありな人ばかり。特に「私」も翻弄される女性の、とにかくお金が好きなの!姑息な取引やるけど文句ある!?的な堂々とした振る舞いがいい。

血の収穫【新訳版】 (創元推理文庫)
ダシール・ハメット
東京創元社
2019-05-31


血の収穫 (創元推理文庫 130-1)
ダシール・ハメット
東京創元社
1959-06-20


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