3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2019年06月

『迷彩の森』

河野典生著
 ある夜、小説家の藤田はジャズ仲間だった三村恭子と酒場で再会する。泥酔した恭子を自宅まで車で送った藤田だが、その直後、彼女のマンションで爆発事件が起きたことを知る。留守番電話には恭子からの不審なメッセージが残されていたが、彼女は自宅にも実家にも戻っておらず行方不明のままだった。藤田は友人のルポライター井口の力を借り、彼女の行方を追い始める。
 1982年の作品なので流石に古さは感じるが、ストイックで古典的な魅力のあるハードボイルド。文章と会話のきれは今読んでも良い(レトロさを楽しむという側面が強くなってしまうのはやむを得ないが・・・)し、人情や男女の関係がべたべたしていないあっさり目なところもいい。女性登場人物の振る舞いに意外と媚がなくて、彼女らそれぞれの流儀にのっとり振る舞っているという感じがした。情感のあっさり度に対し、ミステリ要素にインド独立運動家のチャンドラ・ボースの死の謎を絡めてくるなど、こちらは妙に壮大。いや、正確にはボースの死謎の「利用」なわけだから壮大ってわけでもないか・・・。正統派ハードボイルドにインドの近代史を絡めてくるというところがユニーク、かつ著者の趣味色が色濃い。インド関係の著作もある作家だったんですね。
 馴染みのある場所が次々と出てきて、作中地図を頭に浮かべて読むことが出来たのは楽しかった。30年近く前の話だが、それほど雰囲気は変わっていないと思う。その土地に対するイメージが私の中で固まったままというだけかもしれないが。

『パピヨン』

 金庫破りのパピヨン(チャーリー・ハナム)は殺人の濡れ衣を着せられ、終身刑を言い渡される。投獄先は南米ギアナの孤島にある刑務所で、過酷な強制労働が待ち受けていた。脱獄を決意したパピヨンは、紙幣の偽造で投獄され金を持っていると噂のルイ・ドガ(ラミ・マレック)を仲間に引き入れる。刑務所内でドガを守る代りに逃走資金を提供してもらおうというのだ。やがて2人の間には奇妙な友情が生まれていく。原作はアンリ・シャリエールの手記。監督はマイケル・ノアー。1973年に制作された脱獄映画の名作のリメイク。
 先日原作本を読んだのだが、映画は原作を大幅にアレンジしていたんだなと再認識した(リメイク元作品は見たことあるけど、記憶が大分薄れている)。ドガは原作で登場するパピヨンの囚人仲間を総合したような造形だ。映画の最後にパピヨン=リシャールと同じように投獄された男たちへの献辞が出てくるが、ドガはその男たちの代表とも言える。パピヨンとドガ、一対一の関係を長期的に描いている所が、映画の改変。これは成功しているように思う。2人の間には囚人であること以外共通項がない。最初は打算ありきの取引関係だったのが、段々本物の友情になっていく。独房への差し入れについてパピヨンが口を割らずに耐えきる、また一人で逃げることもできるのにドガを連れに戻ってしまう(同じく囚人仲間のマチュレットのことはスルーするのに)。ドガに対する振る舞いが損得抜きになっていく所に、パピヨンにとっての人間の尊厳がある。ドガとの絆を守ることは、パピヨンにとっては極めて個人的なことであり、非人間的な刑務所というシステムに対する反抗でもあるのだ。
 原作との大きな違いは、看守や署長らが一貫して非人間的で、「システム」の象徴だという所だろう。原作だと囚人に対して非人道的な振る舞いをする看守がいる一方、一定の敬意を払う所長や看守もいる。囚人同士の関係も同様だ。それが本映画だと、囚人から徹底して個人の尊厳をはく奪していく。所長たちもまた、個人としての顔の見えない存在として描かれる。パピヨンが何度も脱獄を試みるのは、殺人罪が濡れ衣であること以上に、非人間性、個人の尊厳を奪うものへの怒り故なのだとより浮き彫りになる。独房のパートが妙に長いのも、刑務所の非人道さを強調する為だろう。

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『X-MEN:ダーク・フェニックス』

 X-MENの中でも強い能力を持つジーン・グレイ(ソフィー・ターナー)は、宇宙でのミッションがきっかけで更に強い力を身につけ、制御不能になっていく。周囲を傷つけることを恐れるジーンだが力は暴走し始め、X-MENの仲間たちとの関係にもひびが入っていく。更に彼女の力に目をつけた謎の女(ジェシカ・チャステイン)が接触してくる。監督はサイモン・キンバーグ。
 ファーストジェネレーションからの、若き日のプロフェッサーXことチャールズ・エグゼビア(ジェームズ・マカボイ)とマグニートーことエリック・レーンシャー(マイケル・ファスベンダー)を中心としたシリーズ。しかし、毎回公開前にはすごく楽しみにしているのにいざ本編を見るといまひとつ乗れないということが個人的には続いている。残念ながら今回も同様。このシリーズ、初期のウルヴァリンを中心としたX-MENとは基本的に別物ということなんだろうけど、完全なリブートというわけでもないし、見ているうちにこのキャラクターってこんなのだっけ?この先なんでああなるの?と色々もやもやしてしまう。別物として見られるほどには制作スパンが開いていないんだよな。また、前作で色々時間軸をいじっているので、そのあとでこういう話をやられても、あれは何だったの?って思ってしまう。どういうスタンスで見ればいいのか微妙な作品だった。
 チャールズのミュータントを「代表」しようとする振る舞いや学園での指導方針は、異端と見られている彼らを世に認めさせる為にはもっともなやり方に見えるし実際成功している。X-MENはヒーローとして人気者になっていく。しかしそれは、常に一般人の役に立つミュータントであれと強いることでもある。無害で役につ存在でなければ人間の仲間として認められないというのは、本当に平等とは言えないだろう。レイヴン(ジェニファー・ローレンス)のように普通に静かに生きたいと願うものや、ミュータントであるが特に秀でた能力・役に立つ能力を持っているわけではないというものはどうすればいいのか。そもそも能力を使うのも使わないのも当人の自由だろう。同じマーベルコミックのヒーローであるスパイダーマンには「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉があるが、あれはヒーローを人間から差別化することでもあるんだよな・・・。本作のラストも、能力が過ぎるともう人ではいられない、この世にはいられないという結論になってしまうものなので、X-MENというシリーズのスタンスとしてこれでよかったのか?ともやもやした。
 このシリーズ、チャールズの「持っている」人間故の独善性が垣間見られるシリーズでもあったが、今回ははっきりと、彼のその行為は独善である、独りよがりであると指摘している。もう「お前そういうとこだぞ!」と突っ込めないかと思うと少々さびしくもあるが。

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『きみと、波にのれたら』

 子供の頃からサーフィンが好きで、海洋大学への進学を機に海辺の町に引っ越してきたひな子(川栄李奈)。火事騒動がきっかけで消防士の港(片寄涼太)と知り合い恋に落ちる。お互いかけがえのない存在になっていくが、ある日海でおぼれた人を助けようとし、港は亡くなった。ショックが大きくサーフィンはおろか、海を見ることもできなくなったひな子。しかしある日、2人の思い出の曲を口ずさむと、水の中に港が現れる監督は湯浅政明、脚本は吉田玲子。
 堂々と真面目に恋人同士がいちゃいちゃする、真正面からじゃれあうアニメーションて日本では意外となかった気がする。本作、前半は2人のいちゃいちゃ、好きで好きでしょうがない!愛おしい!という感情の昂揚・交換をど直球で描いていて、ひねりのなさが逆に新鮮だった。こういうことを近年の日本アニメが避けてきたということなのだろう。四季を通して2人の距離感が変化していく様を瑞々しく描く。このパートをしっかりやっているから、港を失ったひな子の辛さ、取り乱し方に説得力が出るのだ。
 ひな子は水の中で港と再会でき、また一緒にいられるととても喜ぶ。落ち込んでいた所から一気に浮上するのだが、彼女の姿はとても危うく見える。他の人たちに港の姿は見えない。ひな子が悲しみのあまり自分の世界に閉じこもり、港の幻想を追い続けているとも言える。どんどん死の側に引き寄せられていくのだ。映画のトーンはポップでファンタジックだが、実はホラー的な要素がかなり強いと思う。全くジャンルは違うが黒沢清監督『岸辺の旅』を思い出した。港との繋がりが非常に強かったひな子には、生の側に引きとめてくれる存在がいない。彼女のことを心配する友人や港の後輩、妹の声も、彼女に届かないのだ。彼女が生の側に留まるには、自分自身で道を見つけ「波にのる」しかない。
 彼女が再び「波にのる」までを描く、ひな子の喪の仕事とも言えるのだが、ある地点で、もう彼女は大丈夫だなと思えるシーンがある。それまで水の中の港を見続けていたひな子が、ある時点で彼を見なくなる、波の方向、前方を見つめるのだ。こういう登場人物の心の軌道をさりげなくちゃんと描写しているところが、本作の良さだと思う。これは脚本の力なのか、絵コンテの力なのか。
 乗り物に乗って移動するシーンがどれも良かった。移動している主体の視点で動いていく風景が鮮やか。自動車にしろ自転車にしろサーフボードにしろ、それぞれ(その乗り物自体の造形も込で)魅力があった。なお、最も少女漫画感を感じたのはひな子の住む部屋のデザイン。広い!おしゃれ!大学生にこんないい部屋住めないんじゃないか・・・。しかし他の部分はロケハンばっちりでリアルなのに、ひな子の部屋のみ雰囲気優先で作っている所に拘りを感じた。そうかこういう方向の作品なんだなとここで納得した感がある。

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『誰もがそれを知っている』

 ラウラ(ペネロペ・クルス)は妹アナの結婚式の為、家族と共に暮らすアルゼンチンから2人の子供を連れスペインの実家に里帰りする。ワイン農場を営む幼馴染のパコ(ハビエル・バルデム)とも再会し、結婚式も披露宴のパーティーも大いに盛り上がる。しかしパーティーのさ中、ラウラの娘イレーネが姿を消す。身代金を要求するメールが届き、誘拐されたことが判明するが、それぞれが解決の為に奔走する中、家族の秘密があらわになっていく。監督はアスガー・ファルハディ。
 この邦題はちょっと意地悪。当人は自分達だけの秘密だと思っているのに、周囲はなんとなく事情を察しているという・・・この田舎社会感が辛い!誘拐事件をきっかけに、お互いに隠していた「ということになっている」こと、取り繕っていたことがどんどんほつけて露呈していく。なかなかいたたまれない話なのだ。舞台が都会だったら、ここまで人間関係煮詰まらないような気がする。村の外に出にくい、社会の中での関係性が限定されているという所が事態をこじらせているように思った。そもそも事件のきっかけも、ここから出ていきたいという願望からだろうし。
 ファルハディ監督の作品は、人間の心理の不可思議、矛盾を精緻な脚本で描くという印象がある。本作も人の心のミステリを描いてはいるが、これまでの作品の模倣というか、ちょっと手くせで作ってしまったような印象を受けた。よくある話、凡庸な線でまとまってしまい、いまいちキレが鈍い。クルスとバルデムというスター俳優を使ってもスター映画っぽくはなっていないあたりは面白かった。俳優優先ではなく、作品のパーツとしての俳優なんだなと。
 男女の人間関係、家族間の人間関係のこじれやすれ違いはもちろん厄介なのだが、ラウラの一族が地元の人間に対しうっすらと優越感を抱いていることが、お金の問題が発生するに伴いポロポロ表面化していくるところにぞわっとした。差別発言、相手をさげすむ言葉がナチュラルに出てくるが、発する当人はその差別意識に無頓着なのだ。ラウラの父親の振る舞いは醜悪と言ってもいいのだが(そもそもお前のせいで没落したんだろ!と突っ込みたくなるし)、多分本人はそういう意識はないんだろうなぁ・・・。男女の因果よりもこっちの方が厄介に思えた。この一家、実は地元では好かれていないのでは・・・。


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『カムパネルラ』

山田正紀著
宮沢賢治の研究者だった母の遺骨を散骨するため、花巻を訪れた16歳の僕は、気がつくと昭和8年にいた。賢治が亡くなる2日前だということに気づき宮沢家を訪ねた僕は、早逝したはずの賢治の妹・トシとその娘だというさそりに出会う。そして自分がジョバンニと間違えられており、カムパネルラが殺されたという話まで聞く。
史実に基づく宮沢賢治が生きた世界、それが改ざんされた世界、そして宮沢賢治の作品の世界が入り混じる。ファンタジーでもあり、同時にメディア教育によるディストピア社会を背景としたSFにもなっていく、更に花巻の地理を取り入れた本格ミステリ要素もあるという、重層的な構造。最初読んでいるうちに感じた違和感が、そういうことかと腑に落ちて行った。実際の賢治作品の取り込み方が上手い。宮沢賢治の作品は熱烈なファンを生む一方で、強烈な自己犠牲性などどこか危うい部分もあるが、物語の一部としてその要素を取り込むことで、賢治作品に対する批評にもなっているのだ。こういう取り入れ方を許容する所が宮沢賢治作品の奥行き、豊穣さだと思う。特に『銀河鉄道の夜』は未完成なことで多様な解釈を許すのだろうことが、作中でも指摘されている。その特質を物語の設定上に取り入れているところ、しかし原典の本質は損なわれていない所に著者の敬意が窺える。『銀河鉄道~』は先人の研究も多々ある作品だが、すごく読みこんでいると思う。

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山田 正紀
東京創元社
2019-02-28






カムパネルラ版 銀河鉄道の夜
長野まゆみ
河出書房新社
2018-12-14



『増補 普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』

クリストファー・R・ブラウニング著、谷喬夫訳
 一般市民を中心に編成された第101警察予備大隊。狂信的な反ユダヤ主義者というわけでもなく、ナチスによる教育を受けてきたわけでもない彼らは、ポーランドで約38,000人のユダヤ人を殺害、45,000人以上を強制移送した。ごく普通の人たちになぜそんなことが可能だったのか。限られた資料や証言から当時の実態を描き出し、大量殺戮のメカニズムを考察する。初版出版から25年後に加筆された増補分(研究対象を同じくするゴールドハーゲンの著作への反論)を加えた決定版。
 ホロコーストの加害者側の証言を収集し当時のドイツ軍内部の様子、いわゆるエリート軍人以外の軍従事者はどのような精神状態だったのか垣間見え興味深い。残された資料や証言、増補分ではポーランドで撮影された写真をひも解き、地道に情報をすくい上げていく。
 101予備大隊は元々軍人ではない、職人や商人などごく一般的な市井の人々から構成された隊で、世代的に(ナチス台頭の前に生まれた世代なので)ナチスによる教育を受けておらず、必ずしも熱烈な愛国心は反ユダヤ主義に駆られていたわけでもないという指摘がされている。ユダヤ人、特に女性や子供、老人を殺すことに強い抵抗を感じた人も少なくなかった。そういった抵抗を感じつつも大量のユダヤ人を収容所に送り、殺すことが出来てしまったという点が、非常に恐ろしい。ユダヤ人狩り、殺害方法がだんだんシステマティックになり、人間対人間という意識が薄れていく(自分がトリガーを引かずに済む、殺害現場を目撃しなくて済むとこの傾向はどんどん強まる)と殺害に抵抗を感じなくなっていき、習慣化していく。人間の慣れも、見たくないものは見ないようになる傾向も、実に恐ろしい。何でも日常に回収していく性質は人間の強さでもあるが、本件の場合は最悪の形で発揮されてしまったわけだ。
 また、大隊は男性のみで構成されていたようだが、「殺しに怯える弱い男」とみなされることを恐れ、周囲との同化の為に殺す、同化が強まると更に殺害に対して抵抗がなくなっていくという「空気を読む」ことによる罪悪感や抵抗感の希薄化も指摘される。101大隊の派遣先が海外で、隊からはずれると言葉も通じず行く場所もないというロケーションも、この傾向を強めたようだ。男らしさの呪縛はほんとろくなことにならないな・・・。
 ともあれ、101大隊の置かれた条件をひとつずつ見ていくと、どこの国、どの社会、どの層においてもこういうことは起こりうるだろうと思える。人間、自分の倫理観、善良さを過信してはいけないのだな・・・。こういうことが私たちは出来てしまう、その性質を利用しようとする者もいるということを、肝に銘じておかなくては・・・。内容が内容なのでなかなか読むのが辛かった。人間の負の可能性を目の当たりにし、暗欝とした気分になる。

『神と共に 第一章:罪と罰』

 死を迎えた消防士ジャホン(チャ・テヒョン)の前に3人の冥界からの使者が現れる。その3人、カンニム(ハ・ジョンウ)、ヘウォンメク(チュ・ジフン)、ドクチュン(キム・ヒャンギ)は地獄の裁判の弁護と護送役。死んだ人間は7つの地獄で裁判を受け、全て無罪判決を受けた者は転生できる。そして大勢を転生させると使者たちもまた転生を許されるのだという。善行を認められた「貴人」扱いだったジャホンは転生確定だと思われたが。監督はキム・ヨンファ。
 ウェブコミックの実写映画化だそうで、地獄めぐりの旅の様子や3人の使者のキャラクター造形など確かに漫画っぽい。韓国版ブリーチか?という感じ(イケメンがロングコートはためかせてるし・・・)。全体の構成も連載漫画のダイジェストっぽかった。 少年漫画っぽいのだが、人情話の側面がかなり強い、かつてらいがない所が韓国映画ならではか。親子、兄弟の情の描写はベタかつ濃厚。各地獄の大王さまたちも人情に弱過ぎて、そんなんで無罪有罪決まっちゃうの?!とびっくりする。これだったら結構な人数が無罪になって転生しているに違いない。
 とはいえこの人情部分も悪くなかった。絵にかいたような「いい人」であるジャホンが抱える罪悪感や、その弟の屈折、母の愛など、ベタはベタなのだが意外とくどくはない。本作、あの時実際に何があったのか、この人は実のところ何をしたのかというミステリが、ジャホンと母弟、弟の先輩後輩、そして本作ではまだ明かされない使者たちの生前の出来事という形で重層的に配置されているのだ。人情話はこのミステリ要素を成立させるための道具立てという印象だったので、そんなにくどく感じられなかったのかもしれない。
 本作の最大の魅力は3人の使者のキャラクターだろう。私にとっては彼らのやりとりを楽しむ作品という側面の方が強かったので、そりゃあ人情話はサブ扱いになっちゃうな・・・。リーダーであるカンニムが基本冷静なのについ情に流されてしまう様や、それがちょっと気に食わない、しかしリーダー大好き!感がにじみ出るヘウォンメク。ヘウォンメク、死者の前だと空気を読まないサイコパス感があるのに、カンニムに対してはちゃんと空気読むあたりが可愛い。そして少女の姿だがそれが単純に「年少の女性」のことで、性的なニュアンス、日本映画にありがちな少女幻想的なものをはらまないドクチュンの造形がよかった。こういう「少女」なら安心して見ていられる。第二部では彼らがなぜ死んで使者になったのかという部分が明かされるようなので楽しみ。私は基本的にサービスの盛りのいい映画はうるさくて苦手なのだが、本作はある程度記号化されているせいか、あまり鼻につかなかった。

『アマンダと僕』

 パリでアパート管理の手伝いや公園の草木の剪定をしている24歳のダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)は、ピアノ教師レナと恋に落ちる。しかしある事件によりダヴィッドの姉は死に、レナも怪我を負いトラウマに苦しむ。更に姉の7歳になる娘アマンダ(イゾール・ミュルトリエ)はシングルマザーだった母を亡くしひとりぼっちになってしまう。監督・脚本はミカエル・アース。
 試写会で鑑賞。アマンダ役のミュルトリエが本当に素晴らしい。自然体の子供として、作られ過ぎない可愛さがある。母親の死によるショックにずっと耐えている彼女が、ある場面で泣く。このタイミングをストーリー中のどこにもってくるかという演出が、わかってる!と思うと同時にちょっとあざといなとも思うのだが、アマンダの泣き顔の説得力に納得させられる。自分の中で色々な思いの収まりがついた時に、ようやく真に泣ける、感情を表に出せるのだろう。
 本作で泣くのは子供だけではない。唯一親密な親族だった姉を亡くし、自分の将来もおぼつかないまま子供の人生を背負うことになったダヴィッドは、友人の前で泣きだしてしまう。姉が死んだ出来事が事故や病気とはだいぶ様相が違い、それだけでもショックなのに、アマンダに対しての責任までのしかかってくる。更に事件で傷ついた恋人に十分に寄り添うこともできない。彼は彼で、この先が不安でしかたないのだ。このシーン、泣くことをとがめられない、男なら泣くな、大人なんだからしっかりしろ的なことを言われない所がいい。
 「~らしく」「~なんだからこうでないと」みたいな概念が全般的に薄かったように思う。ダヴィッドはアマンダと生活し面倒をみるが、彼女の父親として振る舞おうとしているわけではなく、「保護者である大人」になっていくのだ。アマンダの母親もあまり「母親らしい」振る舞いではなく、デートで浮かれたり仕事でひと悶着あったりする。母親として以外の顔もちゃんと見せるのだ。母親がいる、のではなく、こういう個人がいる、という視点で描かれていたと思う。ダヴィッドたちの実母も、いわゆる世間が言うところの母親らしい人ではなかった。それでも「そういう人」として描いており善し悪しのジャッジはされていなかった。子供の描写に気をひかれがちだが、大人たちの描写もとてもよかったと思う。


悲しみに、こんにちは[Blu-ray]
ライラ・アルティガス
ポニーキャニオン
2019-05-15





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キアラ・カゼッリ
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2011-04-28

『COLD WAR あの歌、2つの心』

 冷戦下、ソ連占領地帯のポーランド。歌手を目指し歌劇団に入団したズーラ(ヨアンナ・クーリク)とピアニストのヴィクトル(トマシュ・コット)は激しい恋に落ちる、しかしヴィクトルは政府に目をつけられるようになり、パリへの亡命を決意。ズーラに同行を願うが、待ち合わせ場所に彼女は現れなかった。やがて歌劇団の公演先で再会した2人は、お互いの気持ちに変わりがないことを確認するが。監督・脚本はパヴェラ・パヴリコフスキ。
 試写で鑑賞。モノクロの映像がクールで美しい。また、ズーラが歌手なだけあって音楽映画としてもいいのだが(監督がジャズ好きらしく、ジャズの選曲がいい)、彼女が歌うポーランドの歌曲「2つの心」が何度も違うアレンジで繰り返される。アレンジの違いが、ズーラとヴィクトルの関係の変化と重なっていくようでもあった。一番最初のシンプル、素朴なバージョンにはもう戻れないというような寂しさがまとわりつく。
 ズーラはヴィクトルの亡命についていかなかった理由を、「(自分が)まだ未熟で全てあなた(ヴィクトル)に劣っているから」だと言う。ヴィクトルにはこの理由はぴんとこなかったみたいだが、彼女の人となりをよく表わした言葉だと思う。相手に自分の全てをゆだねるのが嫌というか、イニシアチブを一方的には取られたくないのだろう。同じ熱量で向き合う関係、2人で同じ方向を見ることを強く求めているのだと思う。対等でありたいのだ。だからヴィクトルが音楽プロデューサー目線で君にはこの曲がいい、この歌詞がいいと指導するとカチンとくる。彼女が彼に求めているのはそういうことではないのだが、よかれと思ってやっているヴィクトルにはそこがわからないので、2人はすれ違い続ける。すれ違いつつ強く深く愛し合うという奇妙な関係を10数年間にわたって描くという、なかなかしんどいロマンス映画だ。しかし思いが深すぎてまともな関係(と世間的にみなされるような関係)に落とし込めない2人の在り方は胸に響く。
 作中時間は10数年にわたる大河ドラマなのだが、映画自体は90分程度と短い。経過する年数の省略の仕方が思い切っており、省略された部分が多々あることで2人が経た時間、そして彼らの背後に流れる歴史としての時間の経過がより際立っていたように思う。コンパクトな編集が良かった。

イーダ Blu-ray
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2015-05-01








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