3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2019年05月

『ザ・プロフェッサー』

ロバート・ベイリー著、吉野弘人訳
 トム・マクマートリーは、元フットボールの全米王者で、弁護士として活躍した後、母校アラバマ大学で法学教授に就任していた。しかし学生との暴力沙汰、恋愛沙汰の汚名を着せられ退任を余儀なくされる。妻は既に亡くなり、更に自身も癌に冒されていることが発覚。生きる気力を無くしていたところ、昔の恋人から相談を受ける。娘一家をトレーラーとの交通事故で亡くしたが事故の真相が知りたいというのだ。元教え子の若手弁護士リックに橋渡しをするが、事故の裏には企業の陰謀が潜んでいた。
 利益ばかりを追及する企業にすりつぶされた人たちの無念を晴らす為、まだ若くて先走り気味なリックが奔走する様は、危なっかしいが清々しい。トムとリックの間にはある因縁があるのだが、わだかまりが溶けるの早すぎない?という気が・・・。真実と正義を求めて若者と老人が奔走する様は清々しいし、悪者は潔く悪者だし、追い詰められて腹をくくり逆襲する人たちの行動にカタルシスはあるのだが、なんとなくもやもやが残る。このもやもや、主にトムの序盤での振る舞いによるものだ。自分の講義で学生たちの姿勢を試すのだが、そのやり方がちょっとモラハラっぽい。不真面目な学生に注意するのは当然のことだろうが、相手の人格を貶めるようなやり方に思えた。また教え子の女性に対する対応も、教員として大分脇が甘いのでは。スキャンダルをでっち上げられるのは気の毒だけど、距離を詰めすぎな面はあったと思うんだよね・・・。師事したコーチに対するトムの尊敬や忠実さも、トムに対するかつての教え子たちの死簿や団結心も、ちらっと見える程度なのだが、マッチョ感漂い若干気持ち悪い。アメリカ南部のノリってこういう感じなんだろうか・・・。何より、法廷での闘いは正義や人権の為である以上に、トムにとってはゲームとしての側面が強いのではないかと思わずにいられなかった。敵とやりあうのが本当に好きな人なんだなと。


ザ・プロフェッサー (小学館文庫)
ロバート ベイリー
小学館
2019-03-06





もう年はとれない (創元推理文庫)

ダニエル・フリードマン
東京創元社
2014-08-21

『緊急工作員』

ダニエル・ジャドスン著、真崎義博訳
 元海軍工兵偵察隊員のトム・セクストンは、今は田舎町の工場に勤めながら、恋人ステラと平穏に暮らしていた。しかしかつての上官キャリントンから緊急メッセージが入る。かつてトムの命を救って大けがをした戦友カヒルが、激しい銃撃戦の後姿を消した、襲撃犯もいまだ不明だというのだ。トムはカヒルを捜索しろという指令を受けるが、その裏には陰謀が隠されており、トムはステラと共に事件に巻き込まれていく。
 トムは上司であるキャリントンにも、命の恩人であるカヒルにも恩義があり、同じ戦いに身を置いた者同士の絆から、彼らを信じ助けたいという気持ちがある。しかしキャリントンの行動には不審な点が多く、カヒルの行動の理由も不明なまま。またキャリントンを通じてトムに接触してきたNSAも腹に一物ありそう。トムは誰を信じていいのかわからないまま、結構なスピードで二転三転する状況に対応していかなければならない。かつての絆を信じたい気持と疑う気持ちにトムが苛まれる様に、終盤までハラハラさせられる。トムは冷静なプロとしての振る舞いを身につけているが、やはり平気ではいられないのだ。
 そんな彼を支えるのがクレアなのだが、彼女が予想外に活躍する。トムより年上で、不動産業で培った知識と生来の賢さ、人脈と度胸で難局を切り抜けトムを助ける。トムの弱点には違いないが、唯一、ストーリーの最初から信頼できる存在と言えるだろう。そんなクールでスマートな彼女でも、サブプライムローン破綻の余波からは逃げられず資産をほぼ失い、今はウィトレスをして生計を立てているというのが一番怖かったですね・・・。

緊急工作員 (ハヤカワ文庫NV)
ダニエル・ジャドスン
早川書房
2019-01-10





図説 銃器用語事典
小林 宏明
早川書房
2008-04-10

『ピクニック・アット・ハンギングロック』

ジョーン・リンジー著、井上里訳
 寄宿学校・アップルヤード学院の生徒たちは、ハンギングロックへピクニックへ出かけた。しかし巨礫を見に出かけた4人の少女と、彼女らとは別行動していた教師1人が行方不明になってしまう。必死の捜索が行われたものの手掛かりは得られず、事件は迷宮入りに。事件の噂は広まり、以来、学院では歯車が狂い始める。
 舞台は1900年のオーストラリア。いかにも良家の子女が通っている風の箱庭的なアップルヤード学院の世界と、だだっ広く人間を拒むような土地・風土の独特さが強いコントラストを生んでおり、不思議な雰囲気。これがたとえばヨーロッパを舞台にしていたら、全然違う雰囲気だったろう。人がいきなりいなくなっても不思議ではない、人間の入る隙がない感じなのだ。
 少女たちだけの世界は閉鎖的、箱庭的な親密さがあり、そこが魅力だと感じる人もいるだろう。箱庭は徐々に崩壊し、学院の人たちは外の世界にさらされていく。生徒からも教師からも今一つうとまれている学院長が、頻繁に亡き夫のことを思い出すのがなんだか切なかった。彼女にとっては夫といた時間こそ箱庭的な安心しているられる場所だったのではないかと。
 中心的な、美しく聡明な少女たちがいなくなったことで美しい小さな世界は終わりを迎える。崩壊のイメージもまた美しいかもしれないが、姿が美しい少女は心も美しく聡明で、見た目がぱっとしない少女は中身もぱっとせず人柄にも愛すべき部分が少ないという描写は、見た目偏重すぎて少々辟易した。なお百合の文脈で語られがちな作品だと思うが、貴族の青年マイケルと、彼の叔父の御者であるアルバートとの関係は微妙にBL感が・・・。この2人も少女たちの失踪に影響を受けるが、「崩壊」には至らず、むしろそれまでの身分や立場から自由になっていくという所が面白い。



『こうして誰もいなくなった』


有栖川有栖著
 小さな孤島に招待された7人の男女。島のホテルで出迎えたのは使用人の夫婦のみで、主は姿を見せない。残されたボイスメッセージは、悪人たちを裁くためにこの島に集めたと告げる。そして第一の殺人が起きた。アガサ・クリスティの代表作へのオマージュかつ王道の本格ミステリである表題作の他、ファンタジーにホラー、日常の謎系ミステリにショートショート等、幅広いノンシリーズ短編集。
 見本市的なバリエーションがあって、気軽に楽しめた。こういうのも書く人なんだ、という意外さも。とは言え、やはり表題作が一番すわりがいい。著者の文章のお作法は、本格ミステリを書くことに最適化されているのではないかと思う。状況説明するのに適した文体なんだろうなー。とは言え、自分でも意外だったのだが、一番ツボにはまったのはパロディファンタジー「線路の国のアリス」。題名の通り、鉄道の国に迷い込んだアリスの物語だが、スイッチバックがちゃんとスイッチバック文になってるー!とかループがちゃんとループ文になってるー!(何のことだかわからないだろうが、本文を見ると一目瞭然なのです)という喜びがあった。著者の鉄道ファンとしての面が色濃く、どころではなくあからさまに出ていて微笑ましい。線路の国での不思議な現象と鉄道ネタがちゃんと一体になっている。


『そして、バトンは渡された』

瀬尾まいこ著
 17歳の優子は7回家族が変わっている。父親が3人、母親が2人。今の父親「森宮さん」は3人目の父親だ。高校3年生になって進学のことも考え始めるが。歴代の「親」達と優子の17年を描く。
 血縁による親子だけが親子の形ではない、という題材を扱う小説や映画、ドラマなどが近年増えているように思うが、本作もまさにその題材。ただ本作の場合、実の両親もちゃんとした人たちで優子を愛し親としての責任を全うしようとする。愛と責任のない実の親<愛と責任のある他人、という図式ではなく、並列されているのだ。そのことで、子供にとって必要なのは適切な保護者であって、そこに血のつながりはあまり関係ない、適切さを保っていれば血縁者でもそれ以外でもいいという側面が強まっている。歴代の親の優子に対する責任の負い方、愛情の在り方はそれぞれ方向性が違う。ある人から見たらとんでもないという親もいるかもしれない。しかし彼らは皆、他人の人生・未来を背負う覚悟をしており、そこにベストを尽くそうとしている点で、ちゃんと「親」だったと思う。基本良い人ばかり登場する悪者のいない優しい小説だが、さらっと読めすぎなきらいも。優子の同級生女子たちのつるみ方や悪意の発露の仕方が少々類型的な所も気になった。2番目の母親・梨花が優子に「女の子はにこにこしていないと」と教える処世術も、梨花がそういう人だ(そして本人はにこにこしているだけではない)という設定なのはわかるが今これ言う?という気がした。そういうのはもう時代錯誤だと思うんだけど・・・。

『償いの雪が降る』

アレン・エスケンス著、務台夏子訳
 大学生のジョーは、課題として身近な年長者の伝記を書くことになる。介護施設で紹介されたカールは、30数年前に少女暴行殺人事件で有罪となり、末期がんで余命わずかな為に仮釈放されたと言う。カールはインタビューに応じるが、ジョーは彼に下された有罪判決に疑問を持ち始める。
 カールは本当に犯人なのか、彼の過去に何があったのか、そして彼がなぜ裁判の後口を閉ざし、今話す気になったのか。更にジョーはなぜ課題の一環という枠を越えて事件を追い続けてしまうのか。ジョーやカールだけでなく、登場する人々それぞれの過去が現在を追いかけ続けているような構造。過去からの逃げられなさが切ない。ジョーは自分が過去に犯したと感じているある罪の償いの為に、掻き立てられ続けているように見える。その焦りが時に軽はずみな行動をとらせ、危なっかしい。頭は悪くないし意外と腕っ節も強い(バーの用心棒経験があり見た目より動ける)のに、肝心な所で思考がフリーズしているみたいだ。彼は家庭環境にも問題があって、大学進学したものの家族が足かせになり続ける。愛情故に家族を断ちきれない所がまた切ないし痛ましい。それはあなたのせいではないんだよ、とジョーにも彼の隣人ライラにも言ってあげたくなる。なお邦題は原題とはだいぶ違うのだが、翻訳がいい仕事していると思う。

償いの雪が降る (創元推理文庫)
アレン・エスケンス
東京創元社
2018-12-20





さよなら、シリアルキラー (創元推理文庫)
バリー・ライガ
東京創元社
2015-05-10

『くるりのこと』

くるり、宇野継雅著
 1996年京都で結成され、メンバーを入れ替えつつも現在に至るまで走り続けるバンド、くるり。メンバーの岸田繁、佐藤征史に音楽ライターの宇野が聞き取り、くるりの山あり谷ありの旅路を追う。
 くるりがメジャーデビューしたのは1998年。京都の大学(岸田、佐藤、初代ドラマーの森は立命館大学の音楽サークル出身)からユニークなバンドが出てきたと音楽ファンの間でちょっと話題になり、実際に聴いてこれは面白いなと思った記憶がある。私はアルバムがリリースされれば聴き、ライブにも通ったのでファンと言えばファンなのだが、実はくるりというバンドがどういう成り立ちなのか、インタビューにどのように答えてきたのかということはよく知らなかった。つまり音楽そのもの以外はさほど知らなかったということになる。今回初めて、この人たちはこういうことを考えてきたのか、音楽に対する姿勢は(音楽で表現される部分以外は)こういうものだったのかと、20年越えにしてまさかの新鮮さを感じた。
 くるりといえば岸田、佐藤以外のメンバーの出入りがやたらと激しいという印象だったが、出入りそれぞれの事情と経緯にはなるほどなと納得。あの時期のドラムがいいとか、あのライブの時の体制がすごくよかったとか、個人的にそういう思い出はあるが、過去は過去。やはり今のくるりが一番面白いと思わせてほしい。彼らがデビューしたのは日本の音楽業界にかろうじてまだお金があった次期で、その後は右肩下がりな一方。業界が変化していく様とバンドがどのように「営業」していくかという様がリンクしており、ここ20年くらいの音楽業界の変容という視点からも面白かった。激動だったよな・・・。それにしても、岸田さんは結構頻繁にプライベートをこじらせそれが毎回仕事のモチベーションに響いているんですね・・・創作とはそういうものかもしれないがご自愛ください・・・。
 なお私が好きなくるりの曲は「HOW TO GO」、「ブレーメン」、「ハローグッバイ」、「Liberty&Gravity」です。

くるりのこと (新潮文庫)
くるり
新潮社
2019-04-26





ソングライン <初回限定盤A:CD+Blu-ray>
くるり
ビクターエンタテインメント
2018-09-19

『アイル・ビー・ゴーン』

エイドリアン・マッキンティ著、武藤陽生訳
 ある事件によって警察を追われたショーンに保安部(MI5)が接触してくる。彼らはIRAの大物テロリスト・ダーモットの捜索を依頼する。ダーモットはダフィの旧友だったのだ。復職を条件に仕事を引受けたショーンは、ダーモットの元妻の母に取引を迫られる。4年前の娘の死因を解明すれば、彼の居場所を教えるというのだ。娘は一家が経営するパブで事故死したとみなされていた。事件が起きた夜、パブは完全な密室だったのだ。
 ダフィシリーズ、めでたく3作目!そして1,2作とはまた違った面白さがあった。構成バランスや読みやすさでは3作中一番かもしれない。1,2作目は人物像系や時代背景、風土の表現が魅力的だったが、勢い任せな面が否めず1つの小説としてはバランスがちょっといびつだった。今回はそのあたりがだいぶ改善された気がする。正義感ゆえに不遇をかこつダフィは冒頭ではだいぶやさぐれているのだが、MI5へのわだかまりをもちつつ任務に没頭するうち、徐々に精神を持ち直していく。基本的に倫理観がしっかりしているし人情のある人なことが透けて見える。常に頭脳明晰というわけではないし勘がいまいち悪いところもあるのだが、憎めない。詩や音楽の造形深く、実は場違いともいえるインテリ。そんな彼の最後の行動は、決意のほどを感じさせる。そこは決して居やすい場所というわけではないが、それでもやるべきことがある(と彼には思われる)のだ。


『パパは奮闘中!』

妻のローラと2人の子供と暮らしているオリヴィエ(ロマン・デュリス)。しかし突然ローラが家を出ていってしまう。慣れない子育てで右往左往するオリヴィエ。一方、勤務先の大型倉庫でも従業員が突然解雇され、しかし労働組合運動は盛り上がらない等と悩みが尽きなかった。監督・脚本はギヨーム・セネズ。
題名は親子もの、シングルファーザーを中心とした『クレイマー・クレイマー』的な話を連想させるし、実際そういう要素が大きい。しかし家族の話だけではなく、オリヴィエが働く環境の雇用の不安定さや、その中で労働組合運動を続けることの難しさや無力感など、労働の話が占める割合も大きい。そして仕事と家庭は地続きで、切り離して考えられることではないのだと。生活全体の中で生じうる諸々の問題が含まれているのだ。
冒頭からオリヴィエの仕事仲間が解雇通告された後の展開がやりきれない。更に、不当な仕打ちだと会社を訴えようとしても、解雇を恐れて皆労働組合と関わりたがらず、連帯もままならないという描写が辛い。どこの国でも、大企業(オリヴィエの職場はアマゾンの倉庫っぽい所)によって働く者同士が分断されているのだろうかと陰鬱な気持ちになる。現場のリーダーであるオリヴィエは管理サイドと現場との板挟みに悩む。「権限を持ちたくない」というのは現代の職場ならではかもしれない。権限を持つということは、同僚たちを切り捨てなければならないかもしれないということだ。彼の躊躇を甘えとは言えない。自分の良心、倫理に反せず働き続けるのがなんでこんなに難しくなったのか。
しかし、仕事に打ち込み労働組合活動に打ち込みしていれば、家族にかける時間も気遣いも減っていく。オリヴィエは決してダメ夫・ダメ父というわけではないのだが、仕事にかまけてローラの変調を見逃してしまうし、いざローラがいなくなると子供たちに何を食べさせればいいのか、何を着せればいいのかもわからない。子供のケアは妻にまかせっきりだったことが露呈するのだ。家事や育児の重要さはわかっていても、外での「仕事」と比べて軽く見ている向きがあったのだろう。妹に対する心ない言葉からも、自分の働き方と異なる「仕事」を侮っている面が見え隠れする。家事も育児も演劇も、オリヴィエがやっていることとは違うが「仕事」に変わりはないのに。ローラも多分、オリヴィエのこういう無意識の態度に傷ついたのだろう。オリヴィエ本人も、徐々にそのことに気付いていく。
仕事にしろ家庭にしろ、生活のありようは常に変わり続け、仕事へのスタンスも家族との関係もその都度調整していくものだということが、描かれているように思った。オリヴィエは完璧ではないのだが、子供たちとローラのことを話し合い、最初は拒んでいた親子カウンセリングも受けるようになる。外側に開かれていく感じが面白かった。変なプライドに拘らない方が自分も家族も楽になるのではないだろうか。

『12か月の未来図』

 名門高校の国語教師フランソワ(ドゥニ・ポダリデス)はパリ郊外の教育困難中学に送り込まれる。エリート校の生徒ばかりを相手にしてきたフランソワにとって、様々なルーツを持ち学力もまちまちな生徒たちを相手にするのは一苦労。特にトラブルメーカーである少年セドゥには手を焼く。しかし教師としての意欲を取り戻し、生徒たちと格闘していく。監督はオリヴィエ・アヤシュ=ヴィダル。
 フランソワが教育困難中学へ派遣されたきっかけは、彼のちょっとうぬぼれた性格、意外と女好きな脇の甘さが招いたものだ。この脇の甘さと自惚れがこの後もちらほら見受けられるので、こいつ懲りてないなと思ってしまう。ちょっといいかっこしいなのだ。ただ、最初は成り行きで始めた中学校赴任だが、エリート校で教えるのとはまた違ったやりがいにフランソワは目覚めていく。冒頭、エリート校の生徒たちにフランソワが答案用紙を返却するが、点数とコメントを大分辛辣に公表しながらなので、下手すると(下手しなくても)モラハラだ。点数と生徒の人格を結びつけた発言をしてしまっているのだ。最初から勉強することが身についている、学習意欲が水準以上にある進学校の生徒相手ならこれも有効なのかもしれないが、学習困難校の生徒におなじことをやったら相手を傷つけやる気を削ぐだけだろう(そもそもどういう生徒が相手でもああいった言い方をしてはいけないと思うが)。フランソワはより基本的、根源的な「学ぶ」ことと向き合わざるを得なくなる。学ぶとはどういうことか、学ぶことの面白さはどんなものか生徒に伝えていかなければならないのだ。またセドゥのように学校で学ぶこと自体が辛い生徒がいるということにも初めて気づいていく。アーティストである妹からの示唆により気づくのだが、妹もまたフランソワやその父親のように学校の勉強がごく自然にこなせる人の間で居心地が悪かったんだろうことが垣間見える。出来る人には出来ない人の気持ちってわからないんだよなと。
 フランソワは一定水準以上の勉強を教えることには長けているのだろうが、中学校で要求されるのはそれとはまたちょっと違うことだ。何を持って「いい教師」と言うのかは、生徒の層や学校の性質によって変わってくる。教師の大変さが端々で垣間見られた。フランソワはセドゥの退学を阻止しようとするが、それはまだ中学校のやり方に慣れていないからで、僕たちが悪者で君が英雄かと揶揄したくなる数学教師の言い分もわかる。学校全体のことを考えると彼のようなやり方にせざるを得ないのかもなということも。とはいえ、場所が変わって要求されることが変わっても、それに適応しつつ教師の本分を全うしようとするフランソワは、やはり「いい教師」と言えるのでは。好かれる教師といい教師とはちょっと違うんだよな。生徒の顔と名前と名前の正確な発音(何しろ多民族多文化なので)を必死で覚えようとするあたり、基本的に真面目だ。

パリ20区、僕たちのクラス [DVD]
フランソワ・ベゴドー
紀伊國屋書店
2011-04-28






Etre et avoir ぼくの好きな先生 [DVD]
ジョルジュ・ロペス
バップ
2004-04-07
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