3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2019年03月

『運び屋』

 長年ユリの栽培をしてきた90歳のアール・ストーン(クリント・イーストウッド)だが農園経営に失敗し、自宅も差し押さえられた。そんな折、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられる。実はその仕事は、メキシコの麻薬カルテルの運び屋だった。監督はクリント・イーストウッド。87歳の老人が
 自作での主演は10年ぶりだというイーストウッド。非常にざっくりとした直線的な映画で、特にテクニカルなことをしているようには見えないのにちゃんと面白い。これが老練の技か・・・。王道エンターテイメントして面白かった。おじいちゃんが運転するだけなのにちゃんとハラハラドキドキするところがすごい。とは言え、ちょっとアールに都合の良すぎる人的配置だなという感じは否めない。夫婦関係、親子関係の不調和って、一度の「善行」でどうにかなるものじゃなくて、少しずつたゆまず積み重ねるしかないものだからね・・・。登場する女性たちがアールに対して何かと甘すぎる。おじいちゃんの「こうだったらいいのにな」ドリーム映画っぽい側面は否めない。若い女性を部屋に呼んじゃうし、女性たちから嫌な顔されないしな・・・。アールには自分がよき父・夫にはなれなかった、所詮ろくでなしであるという自覚はある。でもそれが自分だから受け入れてほしいと言う所が甘い。まあ家族から終始そっぽを向かれる話より、この方が世間受けは良さそうだからしょうがないのかな。
 アールの言動には結構な頻度で人種差別的なものが含まれる。パンクした車を見るエピソードも、「一番おいしいポークサンド屋」のエピソードも、結構ぎりぎりな感じでちょっと笑えない。本人は自覚しておらず、そこが厄介なのだが、差別とはそういうものだろう。アールはその言動まずいですよと指摘されるとあっさり直す。何で注意されたのかわかってるのかどうか微妙なのだが、自分は既に時代にそぐわない、今を動かしているのはもっと若い人たち、別の人たちの物の見方だという自覚はある所が面白かった。頑固な部分と柔軟な部分とが混在している。ギャングに「(人生に)失敗したからここにいるんだろ」と正論をかまされるのがおかしいやら哀しいやら・・・。結構コメディぽい要素が多いのだが、すごく乾いたタッチだからか(また前述の通り人種差別ネタがさらっと出てくるからか)、あまり笑いにつながっていない気がした。あっさりしているのだ。


ザ・カルテル (上) (角川文庫)
ドン・ウィンズロウ
KADOKAWA/角川書店
2016-04-23


『女王陛下のお気に入り』

 18世紀初頭、ルイ14世統治下のフランスと戦争中のイングランド。アン女王(オリヴィア・コールマン)は政治については才能がなく幼馴染の側近サラ・チャーチル(レイチェル・ワイズ)に頼り切りで、政権を握り王宮を牛耳っているのは事実上レディ・サラだった。ある日、サラを頼ってきた従妹の没落貴族アビゲイル・ヒル(エマ・ストーン)が召使として宮廷で働き始める。サラに気に入られ侍女に昇格したアビゲイルは、徐々に野心を膨らませていく。監督はヨルゴス・ランティモス。第75回ベネチア国際映画祭コンペティション部門審査員グランプリおよび女優賞(オリヴィア・コールマン)受賞、第91回アカデミー賞主演女優賞(オリヴィア・コールマン)受賞作。
 ランティモス監督作品は、『籠の中の乙女』は面白く『ロブスター』はそこそこ、『聖なる鹿殺し』は枠組み、図式へのフェティッシュが前面に出過ぎていて映画としては痩せているなと個人的にはがっかりした。しかし本作は面白かった。脚本が他の人(デボラ・デイビス、トニー・マクナマラ)な所が良かったのかもしれない。間口は広く、奥行きは深くなった印象。広角レンズを使ったような映像が多く、箱庭感は相変わらず強いのだが、映画としてのダイナミズムみたいなものがようやく感じられた。やはりフレーム内の動きがないと面白くないんだよね・・・。本作は単純に「運動」としての面白さの要素が増しているように思う。森の中の追いかけっこや乗馬、射的のようなわかりやすい「運動」だけでなく、アン女王の車椅子移動とか、王宮の廊下での歩きながらの駆け引きなど、単調にならないように配慮されていると思う。
 アン女王とサラ、アビゲイルの三角関係に一見見える。若いアビゲイルが女王の寵愛を奪っていくかのように見える。が、実際には後にサラが言うように、サラが戦っているゲームとアビゲイルが戦っているゲームは同じように見えて別のものだ。サラが戦うのは国の行く末を賭けた政治の舞台であり、かつそれはアン女王との長年培った絆に基づくものだ。アビゲイルは自分がより安全な、暮らしやすいポジションにいく為に闘っているのであって、サラとは見えているものが違う。最後に彼女が見せるどこか困惑したような表情は、思いもよらぬ地点にまで来てしまったことへの戸惑いと恐れであるように見えた。
 美術、特に衣装が素晴らしくて見応えあった。凝った生地を多用しているように見えたのだが、このあたりは歴史考証は度外視しているのかな。当時の衣服のフォーマットを使いつつも現代的なアレンジがされているように見える。特にサラのパンツスタイルが美しい。また、女性よりも男性たちの方が往々にして白塗り厚化粧な所も面白かった。かつらやおしろいは史実として使われていたのだろうが、薄化粧なアン女王やサラとの対比はかなり意識しているように思えた。




『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』

 0歳でスコットランド女王になり、16歳でイングランドへ嫁ぎ、18歳で未亡人となったメアリー・スチアート(シアーシャ・ローナン)はスコットランドに帰国し王位継承権を主張。イングランド女王エリザベス1世(マーゴット・ロビー)は従妹であるが自分とは全く異なるメアリーに複雑な思いを抱く。カソリックである彼女の王位継承権を認めればイングランド内で猛反発が起きるのは目に見えていた。一方メアリーはイングランドに対して妥協を許さず交渉する。監督はジョージー・ルーク。
 原題が「Mary Queen of Scots」なのでふたりの女王というよりも、メアリー主体の話だった。しかしエリザベス役のロビーの演技がより印象に残り、むしろエリザベスのエピソードをもっと見たくなってしまった。まあエリザベスの生涯を描いた作品は過去にも色々あるからしょうがないか・・・。
 メアリーの周囲にはいつも侍女たちが控えており、会話も主従関係でありながら同年代の友人のような親密なものだ。しかしエリザベスの周囲には、親密な同性が一切いない。侍女はいるがあくまで侍女で心を打ち明けることなど出来ないし、支えてくれる忠臣はいるが皆男性かつあくまで仕事上の忠実さだ。メアリーが歌や踊り等肉体で感じる遊びを頻繁にしているのに対し、エリザベスの周囲にはそういった娯楽、心地よさそうな要素が希薄なのも印象に残った。これはエリザベスの周囲は清教徒だという事情もあるのかもしれないが。
 王族女性に対して結婚し「世継ぎ」を産むことが責務と考えられていた時代、結婚せず子供も産まず、「女王」に徹したエリザベスの孤独の覚悟は想像を絶するものがある。女性にとっての幸せ云々という話ではなく、自分を同じ立場で共感し理解してくれる人がいない、誰にも心を許せないという孤独だ。私は男だ、という言葉があまりに辛い。男性社会の中でトップを保つには男性化しなくてはならないというのは現代にも通じる部分がある(未だに通じるというのが嫌になるが)。
 メアリーもエリザベスも、男性だったらしなくていい苦労や屈辱を味わってきたと言えるしそこでの共感もあるだろう。しかし生き残るのが妻、母という立場を経験したメアリーでなく「男」と自認して生きるエリザベスであるというのもまた辛い。エリザベスの苦境、責務を唯一理解し得る人物がメアリーだったというのは、何とも皮肉だ。
 野外ロケにしろ衣装にしろ、重厚感があって豪華。お金のかかった時代劇はやはり良いものだなと実感した。しかしこの当時のお城ってものすごく底冷えしそう!メアリーもエリザベスも室内着としてウールの編み物をまとっているのだが、その程度でしのげるだろうかと心配になるくらい。

メアリー・スチュアート
アレクサンドル・デュマ
作品社
2008-08-21



『立ち上がる女』

 アイスランドの田舎町に住む合唱団講師のハットラ(ハルドラ・ゲイルハルズドッティル)にはもう一つの顔があった。環境活動家として、地元のアルミニウム工場に停電攻撃を仕掛けていたのだ。ある日、彼女の元に4年前に申請していた養子縁組が受け入れられたという知らせが届く。監督はベネディクト・エルリングリン。
 協力者の議員や双子の妹に反対されても我が道を突き進むハットラの姿は力強い。活動家としての手腕は結構なもので、冒頭のボーガンの使い方を見ているだけでも彼女のことをちょっと好きになってしまった。彼女の活動に対して、環境問題は大事だけど周りの人に迷惑がかかるようなやり方ってちょっと・・・と思う人は大勢いるだろう。ヨガのインストラクターであるハットラの妹も、姉の主義は尊重しているが暴力的な方法には賛成できないと彼女を諌める。しかし、ハットラの世間への迎合しなささ、自分を曲げない様を見ていると、(それが今の風潮に即さないものだとしても)いっそ清々しくて、誰かの迷惑なんて考えてられるかよ!正しいと思ったことをやりたいんだよ!って気分になってくる。彼女の中での優先順位がすごくはっきりしているのだ。
 とは言え、ハットラにも迷いはある。活動家である自分が幼い子供の保護者として責任を保ち続けられるのかということだ。これが、自分に母性があるのか女性としてこの生き方でいいのか等ではなく、保護者として適切だろうか(何しろそこそこ危険なことをしているので突然いなくなる=保護者としての責任を果たせなくなる可能があるのだ)という迷い方な所がとてもよかった。あくまで彼女個人(と引き取る子供)の問題であり、世の中のくくりやカテゴリを想定したものではないのだ。自分にとって、自分の家族となる存在にとってベストな道、生き方になるのかを考えている。彼女の妹が、姉のそういう生き方に賛同はしないが理解し尊重しているというのもいい。登場人物に対して個人としての尊重が保たれている映画は、やはり見ていて安心できる。
 音楽の使い方がとてもユニーク。ブラスバンドとウクライナ(ハットラが養子にしようとしている少女がウクライナ人)の合唱団によるものなのだが、背景に楽団が登場してそのまま演奏するのだ。背景に徹するのかと思ったら登場人物と目を合わせたりとちょっとしたコミュニケーションを取ったりもするので、これは何事?!と笑ってしまう。しかしとぼけたユーモアがあり、またハットラに寄り添い勇気づける存在にも見え、気分が和む。音楽自体もかっこいい。

馬々と人間たち [DVD]
イングヴァル・E・シグルズソン
オデッサ・エンタテインメント
2015-06-02


ルイーサ [DVD]
レオノール・マンソ
TOブックス
2011-12-23


『いま、息をしている言葉で。「光文社古典新訳文庫」誕生秘話』

駒井稔著
 東西、ジャンルを問わず数々の古典文学を新訳版文庫としてリリースしてきた、「光文社古典新訳文庫」の創刊編集長だった著者による回想録。出版の世界にまだ「無頼」の空気があった入社当初から、古典の新訳の必要性を確信し、文庫創刊にこぎつけるまで。
 なんとなく、著者はずっと文芸畑の人だと思っていたので、結構下世話な記事も多い週刊宝石の編集者だったというのは意外。とは言え、この時代に学んだことは多々あるそうだ。先輩方が古典文学、哲学書をちゃんと読み通しているかというとそうでもないぞ(もちろん非常に文学哲学の素養のある人ばかりなんだけど)と気づいたことも、後の古典新訳企画に繋がっている。古典に対して読みにくいというイメージが強い(実際読みにくい)のは、中身の難解さもあるだろうが、そもそも翻訳文が日本語として読みにくい、咀嚼しきれていないのではないか。今の日本で古典の作者たちが書いたとしたらどのように書くのかをイメージする、というのがこの叢書の翻訳コンセプトになっていく。実際、古典新訳文庫はかなり読みやすい。これなら哲学書もいけるかも、という気にさせる(この「させる」という部分が大事なのだと思う)。そして、平易な文にすることと簡易化することは違うのだ。古典文学が現代に繋がっている、翻訳の歴史はイコール日本の近代史だという著者の確信が力強い。
 創刊、そして叢書を維持する為に編集者、翻訳者を始め出版社の営業や販売担当、そして書店や外部の編集者ら様々な人たちの尽力が見えて、翻訳書好きとしては胸が熱くなる。にもかかわらず、翻訳書だと「(元があるから)楽しやがって」みたいなことを言われるというのにはびっくりした。それとこれとは違うよね!
 古典新訳文庫は古典を読み切れなかった中高年を読者層に設定していたそうだが、実際には若い読者がたくさんついた。これは、文庫というフォーマット、豊富な解説文によるところが大きいのではないかと思う。書籍においてもフォーマット、価格帯は非常に大事だなと実感した。


翻訳と日本の近代 (岩波新書)
丸山 眞男
岩波書店
1998-10-20


『消えた子供 トールオークスの秘密』

クリス・ウィタカー著、峯村利哉訳
 トールオークスは、深刻な犯罪とは無縁の小さな町だった。しかし3歳のハリー・モンローが自宅から突然疾走したことで、全米の注目を集める事件の現場となってしまう。住民総出の捜索と警察署長のジム・ヤングを筆頭とする警察の捜査が行われたものの、手がかりすら出てこないままだった。ハリーの母親ジェシカは諦めずに手がかりを探し続けるが、精神は擦り切れ徐々に崩れていく。ジムは高校の同級生だったジェシカの憔悴を気に掛けていたが。
 一見何のへんてつもなく穏やかに見える町だが、そこに暮らす人たちにはそれぞれ人には言えない秘密や苦しみがある。ハリーの失踪が触媒になり、隠れていた部分が段々表面化していく。トールオークスはおそらく地方の町なのだが、田舎というよりもこぎれいな郊外の町といった雰囲気に描かれている。いわゆるサバービア小説の一種とも言える。個人的には、エンターテイメント度を高くした『ワインズバーグ・オハイオ』というイメージ。人はそれぞれ奇妙で独特で他人とは分かち合えないものがある、でもそれが普通なのだ。住民の一人一人の姿がどんどん立ち上がり変容していく。特に高校生の少年マニーが印象深い。イタリアマフィアぶった振る舞いはとんちんかんで「何か」になりたくてたまらずあがく姿はどこかピントがずれている。しかしジェシカに対するある態度に率直な思いやりと共感が垣間見えた。他の人たちがやらなかった(できなかった)ことをすっとやる姿が印象深い。
 ミステリとしてもしっかりオチがあり、英国推理作家協会賞新人賞に当たるCWAジョン・クリーシー・ニュー・ブラッド・ダガーを受賞したというのも納得。


子供たちは森に消えた (ハヤカワ文庫NF)
ロバート・カレン
早川書房
2009-01-06


『アリータ バトルエンジェル』

 数百年後、一部の特権階級が空中都市で暮らし、地上に残された人々は空中都市に送る資源を生産するために厳しい暮らしを強いられている未来。スクラップの山の中からサイボーグの少女が発見された。彼女の体の大半は失われていたが、脳だけは無傷の状態だった。医師イド博士(クリストフ・ワルツ)は彼女に新しい体を与え、アリータ(ローサ・サラザール)と名付ける。彼女は記憶を無くしており、自分にとって初めて目にする世界に興味津々だった。やがてアリータは、自分がロストテクノロジーによってつくられた兵器だったと知る。そして彼女を破壊するため、強力なサイボーグたちが送り込まれてきた。原作は木城ゆきとの漫画『銃夢(ガンム)』、製作・脚本はジェームズ・キャメロン、監督はロバート・ロドリゲス。
 宣伝等で前面に出されているのは日本でも知名度が高いキャメロンだが、実際に見てみるとむしろロドリゲス風味が濃厚。要するに人体破損、人体切断が妙に多い。いわゆる「輪切り」シーンとか、必然性はないのにわざわざ入れてるもんな・・・。結構な切株映画である。サイボーグだから出血はしないしPG指定も受けていないが、結構なバイオレンス風味だ。起こっていることはバイオレンスなのに、その描き方、映画のタッチ自体は軽く明朗でポップという奇妙な味わいだった。アクションの見せ方はスピード感とメリハリが強く、ほぼアニメ。生身では出来ないアクションを駆使しており、動きの間合いもアニメを見ている感覚に近い。
 序盤が非常にスピーディーで、余計な説明が殆どない。展開がやたらと早いのだが、この世界のことを知らないアリータの視線と観客の視線が重なり、世界のフレッシュさがより引き立つ。この序盤の作り方、見ている側の引き込み方が上手い。後半に進むにつれ、話の展開が雑になってくるのが難点なのだが、まずこの世界ありき、ビジュアルありきという作品ではあるので、そんなに大きな疵にはなっていないと思う。とは言え、ノヴァが最終的に何をどうしたいのかとか、あんまりぴんとこないままなのだが。
 アリータの、世界の全てが物珍しくて色々気になってたまらない!何もかも新鮮!という感じが全編通して保たれていた所がいい。世界を知る事、自分自身を知る事が(その真実はどうあれ)どちらもポジティブな捉え方をされており、どこか青春映画ぽかった。アリータとヒューゴ(キーアン・ジョンソン)の恋愛エピソードが意外と少女漫画っぽく妙に甘酸っぱい所も、若々しくて悪くない。
 アリータの造形が、ビジュアル的にも性格的にもなかなか良かったと思う。目の大きさには違和感があるのだが、この違和感こそ人であり人でない彼女の存在を象徴している。女性として造形されているが、セクシャルな表現があまりない所もよかった。


プラネット・テラー [Blu-ray]
ローズ・マッゴーワン
ジェネオン・ユニバーサル
2013-12-20


『拳銃使いの娘』

ジョーダン・ハーパー著、鈴木恵訳
 11歳の少女ポリーは母親と継父と暮らしていた。ある日学校から帰ろうとすると、刑務所帰りの実父ネイトが現れ車に乗せられた。ネイトは獄中で凶悪なギャング組織を敵に回し、彼だけでなくポリーと母にも処刑命令が出ていたのだ。母親は既に殺されており、ネイトとポリーは逃亡の旅に出る。
 ポリーはネイトと暮らしたことが殆どなく、ネイトも処刑命令が出るまではポリーと会うつもりもなかった。ほぼゼロ状態から始まる親子関係だが、共に危機を乗り越えることにより徐々に絆が育ち始める。とは言えその絆は、生き延びる為とは言え銃と暴力を下地にしたものではあるのだが。ネイトがポリーに護身術を教え鍛えるエピソードは微笑ましいといえば微笑ましいのだが、その中でポリー自身の中にある暴力への指向が開花する瞬間がある。ネイトがポリーを暴力から遠ざけようとしても、ポリーは自ら暴力に近づいていってしまう。ネイトへの愛情や仲間意識によるものだけではないその行動が危うい。 バイオレンスな旅路がリズミカルで軽快、時にユーモラスな文体で描かれる。湿っぽくなりそうな所をあくまで乾いたタッチに留めている所がいい。ネイトがどういう方法で娘を守ろうとするのか、最後まで目が離せなかった。

拳銃使いの娘 (ハヤカワ・ミステリ1939)
ジョーダン・ハーパー
早川書房
2019-01-10


逃亡のガルヴェストン (ハヤカワ・ミステリ)
ニック・ピゾラット
早川書房
2011-05-09


『スパイダーマン スパイダーバース』

 ブルックリンの名門私立高に編入したマイルス・モラレス(シャメイク・ムーア)はエリートばかりの校風に馴染めずにいた。本当はグラフィックアートの道に進みたいが、警官の父親は認めてくれない。ある日クモにかまれたことがきっかけで超人的な力を身に着けるが、コントロールすることができずにいた。そんな中、キングスピン(リーブ・シュレイバー)によって時空が歪められ、阻止しようとしたスパイダーマンが殺されてしまい、マイルスは現場を目撃する。更に時空のゆがみから異なる次元で活躍する様々なスパイダーマンたちがマイルスの世界にやってきた。マイルスはその中の一人、スパイダーマンことピーター・B・パーカー(ジェイク・ジョンソン)の助けを借りようとするが。監督はボブ・ペルシケッティ&ピーター・ラムジー&ロドニー・ロスマン。
 3DIMAX、字幕版で鑑賞。これは3DIMAXを推奨したい!とにかく映像が素晴らしく、3Dとの相性も非常にいい。今年を代表するアニメーション作品になると思う。画面の奥行、広がりを最大限活かした視界の広さと、その隅々まで構築されたビジュアルに圧倒された。色合いもビビッドで楽しい。本作、「漫画である」ことを強く意識した作りになっている。擬音のフォントが大文字で入るし、「スパイダーセンス」はちゃんとうねうね線(わかる人だけわかって・・・)で表現される。周囲の声が箱型の吹き出しで表現されたりもする。更に、全体的に印刷物風ないしはスクリーントーン的な細かいドットが入っていること、人物の影の部分は斜線が入っていることがクロースショットになるとわかるのだ。すごく手の込んだことをさらっと見せている。
 アニメーション表現の最先端でありながらアナログな表現法を踏まえているというハイブリッド感がとても面白い。登場人物の台詞にあるように「カトゥーンで何が悪い!」というわけだ。カトゥーンだからこそ、多次元世界から複数のスパイダーマンがやってくるという設定が生きている。別の次元だからキャラクタービジュアルの表現のされ方も違う。ピーターBとグウェンはマイルスの世界とほぼ同じだが、スパイダー・ノワールは紙のざらつきまで伝わってきそうな白黒漫画の人だし、ペニー・パーカーはより二次元的だし、スパイダー・ハムはまさに古典的カトゥーン。それらが同じ画面内で違和感なく共存しているというビジュアルのバランス感覚が素晴らしい。
 ストーリーは王道の少年の成長物語。彼に関わる大人、特に父親的存在がピーターBを始め、複数名おり、大人の多面的な姿が描かれているのもいい。ピーターBはだらしないが腐ってもスパイダーマンでやる時はやる。父親はマイルスをとても愛しているが、息子の成長と彼の愛情のあり方とがまだ摺りあわされておらず、関係がぎこちない。双方、気持ちはわかるけどそれはちょっと・・・的なやりとりに等身大の親子感があった。そして自由人に見えるクールな叔父はマイルスの憧れの存在だが、自由とクールは代償を伴う。
 学校で馴染めない、親ともちょっとぎこちないし自分がやりたいことを打ち明けられないマイルスの孤独感は、スパイダーマン(たち)の孤独に通じる。マイルスは一人で成長するのではなく、彼ら、そして他の世界のスパイダーマンたちの後押しがあって一歩進むことができる。
 一人で進むのではないという意味では、ピーターBも同様だろう。ヒーローをドロップアウトしやさぐれていた彼は、教え導かなくてはならないマイルスという存在に引っ張られ、スパイダーマンとして再び歩みだす。少年が成長するだけでなく、大人もまた少年に感化されて成長するのだ。

スパイダーメンII (ShoPro Books)
ブライアン・マイケル・ベンディス
小学館集英社プロダクション
2019-01-24


スパイダーグウェン (ShoPro Books)
ジェイソン・ラトゥーア
小学館集英社プロダクション
2017-03-15


『THE GUILTY ギルティ』

 緊急通報指令室のオペレーター、アスガー・ホルム(ヤコブ・セーダーグレン)は今まさに誘拐されているという女性イーベン(イェシカ・ディナウエ)から通報を受ける。車の発信音や物音、イーベンの声等から、彼女が置かれている状況に少しずつ近付きなんとか救出しようとするアスガーだが。監督はグスタフ・モーラー。第34回サンダンス映画祭で観客賞を受賞した作品。
 ここ数年でワンシチェーションスリラーのバラエティが増えたなという印象があったが、本作はその中でも頭一つ抜けて出来がよく、ストイックに「ワンシチュエーション」に徹していると思う。電話からの声と音だけで構成され、アスガーはオペレーター室から出ることがない。この縛りの中でよくここまでサスペンスを盛り上げたな!と唸った。90分足らず(88分)という短い作品ではあるが、全く飽きず最後まで観客を引っ張る。
 このシチュエーションの中で盛り上げる為のストーリー構成がよく考えられている。(ネタバレになるので妙な言い方になるが)まず彼女に何があったのか?という1周目の盛り上がりがあり、更にベクトルの向きが変わった2周目の盛り上がりがあるのだ。2周目の存在は何となく予想できるのだが、そこでクールダウンさせないのはアスガーと電話相手との会話の組み立て、タイミング設置が的確だからだろう。アスガーとイーベン、アスガーと所轄(という呼び方はデンマークではしないとは思うけど・・・)、アスガーと元相棒刑事という組み合わせでの言葉のやりとりが、何が起きているのかを徐々にあぶりだしていく。
 更に、事件の経緯と平行して、アスガーがなぜ緊急通報指令室に配属されたのか、彼が迎える「明日」とは何なのか、過去に何があったのかが徐々にわかってくる。アスガーの行動、相棒に対する態度等がちょっと独善的に思えたのだが、おそらくはそういう資質が招いたことへとつながってくる。これらの謎が明らかになった後、題名の意味が重く響いてくる。キレのいいサスペンスだが、ある事実が判明した後の雰囲気や後味は北欧ミステリっぽさがある。アメリカのミステリとは一味違った闇の濃さだ。

セルラー [DVD]
キム・ベイシンガー
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2005-08-26


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