3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2019年02月

『移動都市 モータル・エンジン』

 試写で鑑賞。60分戦争と呼ばれる最終戦争から数百年たち、荒廃した世界。わずかに残された人類は移動型の都市で生活するようになっていた。巨大移動都市ロンドンは、都市同士が捕食しあう弱肉強食の世界で支配を拡大させていた。ロンドンの指導者的立場にある史学ギルド長ヴァレンタイン(ヒューゴ・ウィービング)への復讐心を募らせる少女ヘスター(ヘラ・ヒルマー)は密かにロンドンに潜入するが、なりゆきでギルド見習いのトム(ロバート・シーハン)と行動を共にすることに。原作はフィリップ・リーヴの小説『移動都市』。監督はクリスチャン・リバース。『ロード・オブ・ザ・リング』『ホビット』のピーター・ジャクソンが製作・脚本に参加。
 ストーリー展開はかなり駆け足でダイジェスト版ぽいのは否めないが、原作を読んだ時のイメージにはかなり近いと思う。リバース監督はピーター・ジャクソン監督作に前々から視覚効果やストーリーアーティスト等で参加し、『キング・コング』ではアカデミー視覚効果賞を受賞した人だそうだ。この作品において何をまず見せるのか、どこに注力すべきなのかという判断が的確なのだと思う。本作では大型都市のロンドンにしろ、ごく小規模な都市(というか集落みたいなもの)にしろ、移動都市内のディティールが細かく具現化されていて、そうそうこういう所が(ストーリー上では必要なくとも)見たかった!というフェティッシュをくすぐる。スチームパンク好きにはツボな部分が多いのでは。
 また、冒頭のロンドンの「狩り」の様が手に汗握らせるものでここが最大の見せ場と言ってもいい(その後、それ以上の盛り上がりに乏しいということでもあるのでちょっとどうなのかなとは思うけど・・・)。かつ、本作で描かれている世界がどのようなものなのか、どういうルールや価値観で動いているのか、イメージを掴みやすい。移動都市以外でも飛行艇の描写が結構細かく爽快感があったり、空中都市がなるほど!という造形かつ美しさだったりと、まずはビジュアルの魅力がある作品だと思う。ただ「古代の神」や某菓子(日本では馴染が薄いけど)については、サービスなんだろうけど見当違いでは。映画を見ている側がいる現代とのつながりを感じさせる要素は、本作の場合ミスマッチのように思う。未来というより異世界っぽい。テクノロジーの発展の仕方が、今現在の現実とはあまり地続きっぽくないんだよな・・・。トースターやCD、モーター部品等現実に存在するもの(の成れの果て)が登場するのに異世界ぽいというのがちょっと不思議でもある。
 ストーリーやキャラクター設定は原作を少々アレンジしてあるものの、意外と改変は少ないと思う。終盤の展開が違うが、現代の気分には映画版の方が沿っているのかな。ちょっと難民問題ぽくもある。現在の英国の迷走を思いつつこのラストを見ると、なんというか味わい深いが。

移動都市 (創元SF文庫)
フィリップ・リーヴ
東京創元社
2006-09-30


ホビット 竜に奪われた王国 [Blu-ray]
イアン・マッケラン
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2014-12-03


『移動都市』

フィリップ・リーヴ著、安野玲訳
 60分戦争と呼ばれる化学兵器の応酬により文明が荒廃した世界。生き延びた都市は移動機能を備えるようになり、都市と都市が狩り合い食い合う、都市間自然淘汰主義が蔓延する。一方、犯移動都市同盟はテロ行為でそれに反発していた。移動都市ロンドンに住むギルド見習いのトムは、史学ギルド長で高名な探検家・歴史家であるヴァレンタインが、正体不明の少女ヘスターに襲われる所に出くわす。なりゆきでヘスターを助け、行動を共にすることになるが。
 都市が移動するというイメージがとにかく魅力的。しかし、都市と都市が食い合う弱肉強食の世界に、都市に住む人は誰も疑問を持たない、自分の都市が他の都市を捕獲すると拍手喝采という穏やかならぬ世界でもある。登場人物たちの価値観や方向性がわりとはっきりしており、その間でトムが揺れ動く。自力では資源を供給しきれずに小さい都市を食らって生き延びていくロンドンは帝国主義時代のそれを思わせる。今となっては過去の栄光(罪深くもあるが・・・)もいい所という感じだが。移動都市のおこぼれにあずかろうという怪しげな集団や、都市間を軽やかに行き来する飛空艇乗りたちなど、脇役に至るまで登場人物に活気がある。
 ロンドンはギルドによって運営されており、特に工学ギルドが力を持っている。史学ギルドは都市文明の礎となっているが、都市の強大化に力がそそがれるようになってからは蔑ろにされている。このあたり、実学が重視され本来の学問のあり方がおろそかになっている近年の日本(だけじゃないのかな?)とも重なって見えた。史学を捨てたロンドンはある方向に暴走し始める。とは言え、著者はどうも理系学問に対するヘイトが強いんじゃないかなと言う気がしなくもない(根っからの文学畑の人らしいので、自分のフィールドに対してあてこすりでもされた嫌な思い出があるんだろうか)。そんなに悪者扱いしなくてもなぁ。両方あってこその分明よ。

移動都市 (創元SF文庫)
フィリップ・リーヴ
東京創元社
2006-09-30


掠奪都市の黄金 (創元SF文庫)
フィリップ リーヴ
東京創元社
2007-12-12


『読書で離婚を考えた』

円城塔・田辺青蛙著
 芥川賞受賞者であるSF作家の夫と、フィールドワークを得意とするホラー作家の妻が、お互いに本を勧めあい感想文を書く、そしてまた相手へのお勧め本を提示するというリレー形式のエッセイ。
 本著、感想文、書評としてはあまり機能していないように思う。小説以外での円城の文章を読んだことがあまりなかったので、こういう軽い文も書くんだなと(すいません先入観が・・・)新鮮ではあったが、取り上げられている本を読みたくなるかというとそうでもない。本著の面白さは、感想文リレーをする夫婦の噛み合わなさ、方向性の違いがどんどん露呈していく様にある。本の好みはもちろんだが(円城はやはり論理と思念の世界の人で、田辺は実存・体験の人)、料理の作り方にしろ、観光の仕方にしろ、全くタイプが違う。本を勧め合うことによって歩み寄ろうという企画だったはずなのに、むしろどんどん乖離していくし理解が深まったというわけでもない。この2人なぜ結婚したの?!と突っ込みたくなるのだが、夫婦って往々にしてこういうものなのかもしれない。生活の上で協力し合える、一緒に暮らせることと、性格や好みの方向性は必ずしも一致しないのだろう。少なくともここだけ合っていればOK、みたいなポイントが組み合わせごとにあるんだろうな。いやー人間て本当に不思議・・・。なお私は円城が勧めている本の方が好み(既に読んでいるものもあったし)です。

読書で離婚を考えた。
円城 塔
幻冬舎
2017-06-22


『あひる』

今村夏子著
 私の家で、両親があひるを飼い始めた。あひるの「のりたま」がきてから近所の子供たちがよく遊びにくるようになり、両親は喜ぶ。段々子供たちの溜まり場のようになっていく我が家だが、のりたまが病気になり病院に連れて行かれる。帰ってきたのりたまは、以前よりも小さくなったように見えた。
 あひるをめぐるほのぼのとした日常かと思いきや、そこかしこに不穏さが顔を出す。あからさまではなく、ちらちらと奇妙さ、足元が崩れるような感じが現れる様に痺れた。あひるが入れ替わっても誰も気にしない。また、遊びに来る子供たちが入れ替わっても、両親は気にしない。そこにあひる/子供がいれば特に問題ない、入れ替え可能であり取り換えのきかない「個」の存在などそこにはないのだと言わんばかりだ。また、「私」がどうやら引きこもり気味のニートらしく、誰からも顧みられない存在らしいとわかってくる。そして両親も「私」も何かから目をそむけ続けているのではないか、家族はもはや家族として機能していないのではないかと思えてくるのだ。
 併録されている「おばあちゃん」「森の兄妹」は対になった作品。孔雀の現れ方、見え方が、それぞれの作品の立つ位置を現わしており、繋がり方が鮮やかだった。子供の目線を通した世界の不思議やそれに対する不安は、良質の児童文学を思わせる。

あひる (角川文庫)
今村 夏子
KADOKAWA
2019-01-24





星の子

今村夏子
朝日新聞出版
2017-06-07

『歌仙はすごい 言葉がひらく「座」の世界』

辻原登・永田和宏・長谷川櫂著
 五・七・五の長句と七・七の短句を互い違いに組み合わせて順番に詠み、三十六句の連句で一巻を作る歌仙。作家、歌人、俳人の3人が競演し、出来上がった歌仙を講評する。
 恥ずかしながら歌仙というものを具体的には知らず、本著を読んで初めて接した。本著は8巻の歌仙とその歌仙がどのように出来ていくのかを実況中継的に収録している。前の句を受けて次の句を作るわけなので、対談のようでもある。実際、句についてもそれ以外のことについても3人が色々とおしゃべりしており、厳しくも楽しい、和やかだが鬼気迫るというその場の雰囲気が伝わってくる。遅刻している人やぎっくり腰で動けなくなった人が、メールや電話で句を伝え連句していくという珍妙な展開も。それも含めて、即興で句を繋いでいく行為の面白さを実感できた。意外性があるところがいい。なお著者3人ともおじさんだからか恋の歌はちょっと時代錯誤というか、セクハラまがいで気持ち悪い部分が・・・(やたらと教え子との恋愛というパターンが出てくるんですけど・・・)。せっかく連句なんだからそれを受けてのカウンター作品を繋げてくれればよかったのになー。

歌仙はすごい-言葉がひらく「座」の世界 (中公新書)
辻原 登
中央公論新社
2019-01-18







とくとく歌仙
丸谷 才一
文藝春秋
1991-11-01

『ゆえに、警官は見護る』

日明恩著
 港区芝浦のマンション前で、重ねられた自動車タイヤの中に立たされた焼死体が発見された。更に西新宿、幡ヶ谷でも同様の死体が発見され、猟奇的な手口は世間の注目を集める。警視庁刑事総務課刑事企画第一係の潮崎警視はお目付け役の宇佐美、田上と共に捜査に参加する。一方、新宿署の留置所勤務になった武本は、深夜の歌舞伎町で酔って喧嘩になり拘留された男・柏木のことがひっかかっていた。
 シリーズ4作目だが、もしかすると今までの潮崎・武本シリーズの中で一番刑事ドラマっぽいかもしれない。今回主に捜査を行う(といっても周囲の目を盗んでグレーすれすれのものだが)のは潮崎。本人の風変りなパーソナリティと派手な背景ばかりが注目されるが、実は地道な捜査に耐える堅実さや目配りの確かさ(これが育ちのいいということなんだろうなと・・・)が十二分に発揮されている。今回は正に潮崎ターンと言ってもいいだろう。また、彼のお目付け役、しかし意外と潮崎以上に暴走しそうな傾向も見せる宇佐美がとてもいいキャラクターだった。彼の独自の合理性や正直さは、警察という保守的な組織とは明らかに相性が悪い。有能なので排除はされないが煙たがられる、それを恐れないハートの強さと我の強さ。潮崎とは別の方向性で手ごわいのだが、妙な所で素直で可愛くなってしまう。まだ警察という組織に染まりきっていない正木の「普通」さが2人のアクを中和しており、とてもいいトリオだった。
 事件の背後にあるものが誰かの悪意や欲望というわけではない(そういったものがないわけではないが、大元は違う)、運不運としか言いようがないものだ。そういうものによって個人の人生が取り返しのつかないものになってしまうということがやりきれない。世界の理不尽さに対する犯人の慟哭に対し同情しつつも、警官として真っすぐ対峙する潮崎らの姿が眩しい。

 
ゆえに、警官は見護る
日明 恩
双葉社
2018-11-21




やがて、警官は微睡る (双葉文庫)

日明 恩
双葉社
2016-02-10

『私に付け足されるもの』

長嶋有著
 女性たちを主人公にした、12編の短編集。どの作品でも、あまり小説の中では取り上げられなさそうな、言語化のしにくい部分を掬い取っている。主人公の年齢は10代から40代まで幅広いのだが、どの年齢であってもそんなに思考回路というか、「大人」度合いが変わらない感じがするところが面白い。もちろん成長するにつて色々智恵は付き、身の処し方も慣れたものになっていく。とは言え、いくつになっても自分がどの程度のものであるのか、自分のリアクションというものは上手く測れない。その予測できなかった部分が出現した瞬間を本作は描いているように思う。この瞬間、よくぞ捉えた!と拍手したくなった。感情が先にあるというというだけでなく、言語化されることで、そこにその感情があるということが確定されるという面もあるのかなと思う。言語化された瞬間、登場人物の内面でぱっと何かが飛躍する、ちょっと自由になる感じがして、鮮やか。


三の隣は五号室
長嶋 有
中央公論新社
2016-06-08


『ともしび』

 ベルギーのある町で、夫と慎ましく暮らしているアンナ(シャーロット・ランプリング)。しかしある日夫(アンドレ・ウィルム)は刑務所に入り、彼女の生活は少しずつ狂っていく。監督・脚本はアンドレア・パラオロ。
 邦題は「ともしび」だが、むしろともしびが消えるような話だった。原題は「Hannah」で、これには納得。あくまでアンナという1人の女性の有り様を見せる話だ。アンナの夫が何をやったのか、夫婦がどういう状況にあるのか、具体的な情報は殆ど提示されない。特に序盤は、やたらとひっそり暮らしているなという印象を受ける程度なのだが、何かよからぬことが起こっているという気配はひしひしと感じる。徐々に周囲の反応や夫の言葉から、何があったのか察することは出来るのだが、決定的な答えは観客には提示されないままだ。
 しかしそれ以上にわからないのは、アンナと夫がどのような夫婦だったのか、アンナは夫のことをどのように思っていた(思っている)のかという部分だ。2人の関係性がびっくりするくらい見えてこない。要するにそういう夫婦だったということなのかもしれないが、だからこそ、アンナが直面する諸々の問題が降ってわいたようなもの、彼女があずかり知らぬうちに降ってわいたようなものに見える。彼女にとって自分の周囲で起こることは理不尽であり不条理なものなのだ。
 ただ、アンナが夫がやったあることを全く知らなかったのか、それとも何となく気付いて見て見ぬふりをしていたのか、何とも言えないようにも思う。アンナが何かに耐えている、自分の中に押さえこんでいるものがあるということはわかるが、彼女の葛藤の正体は明かされないままだ。終盤の階段を下りるショットが妙に不吉で、目が離せなかった。どう転んでもおかしくない危うさがある。
 サントラとしての音楽は使われず、町や室内で流れている音楽のみというストイックな演出。これも本作の不穏な雰囲気を強めていた。

まぼろし<初回限定パッケージ仕様> [DVD]
シャーロット・ランプリング
東芝デジタルフロンティア
2003-03-28


さざなみ [DVD]
シャーロット・ランプリング
TCエンタテインメント
2016-10-05


『メリー・ポピンズ リターンズ』

 バンクス家の長男マイケル(ベン・ウィショー)は家族を持つ父親に、長女ジェーン(エミリー・モーティマー)は貧しい労働者を援助する市民活動家になっていた。しかしマイケルは妻を亡くし、融資の返済期限切れで抵当に入れていた家まで失いそうになる。そんな彼らの前に、完璧な子守だったメリー・ポピンズ(エミリー・ブラント)が戻ってくる。監督はロブ・マーシャル。
 1964年のディズニー映画の20年後を描く、(ディズニー的には)正式な続編。リメイクや「別物」扱いではなく続編としたことは、結構勇気がいったのではないかと思う。ジュリー・アンドリュース主演の前作(ロバート・スティーブンソン監督)はミュージカルとしても、実写とアニメーションを合成したファンタジー作品としても高い評価を得ており根強いファンがいる作品。これの「続編」とうたってしまうと、全作のイメージを壊さず、しかし現代の作品としてアップデートし、かつ旧来のファンの期待を裏切らないように作らなくてはならない(加えて、私のように原作ガチ勢で1964年版も映画単体としては楽しいけど『メアリー・ポピンズ』シリーズの映画化作品と思っちゃうとちょっと・・・という人もいる)。しかし本作、このへんの問題はそこそこクリアしていたように思う。
 衣装や美術セットのデザイン、色合いがとてもかわいらしいのだが、まるっきり「今」の映画として作られていたらこういう色味は選ばれないのでは、というニュアンスがある。昔の映画の、ちょっと人工的でカラフルな色味だ。お風呂から出発する海の冒険のシーンなど、それこそ昔のミュージカル映画のレビューシーンのバージョンアップ版ぽい。技術も演出も現代の映画なのにどこかレトロさもある。このレトロ感と現代感の兼ね合いが上手くっていたように思う。またセル(風)アニメーションとの組み合わせも前作を引き継いでの演出だろうが、こんな面倒くさいことをよくもまあ(今アニメーションと合成するならもっと楽な方法があるのではと思う)!という絶妙な懐かしさ演出。
 音楽に関しても、前作の言葉遊びノリを引き継いだものでとても楽しい。ブラントもウィショーもこんなに歌って踊れる人だったのか!と新鮮だった。ただダンスに関しては、ブラントはリズム感の強いものはちょっと苦手なのかな?という気もしたが。ミュージックホールでの彼女はちょっと動きが重い感じがした。ダンスシーンで一番楽しかったのは点灯夫たちが歌い踊るシーン。前作の煙突掃除夫たちのダンスを踏まえてのものだろうが、自転車を使った動きは現代的。ショットの切り替えが頻繁なのは少々勿体なかった。舞台を見る様に引きで全体を見ていたい振り付けだったと思うんだけど。ドラマ映画としての見せ方とミュージカルとしての見せ方がどっちつかずになっていた気がする。
 メリー・ポピンズは子守、家庭教師であり、彼女が直接的に世話をするのは子供たちだ。しかし彼女が来たのは父親であるマイケルの為と言っていいだろう。子供たちは死んだ母親を恋しがってはいるが、死を受け入れられないわけではない。このあたり、マイケルが父親としてちゃんとしているんだろうなと窺える。マイケルは少々頼りないし時に子供の前でも取り乱すのだが、すぐにフォローを入れる。彼が子供に安心感を与えることが出来ていればおそらくこの一家は大丈夫なので、マイケルを助ける為にメリー・ポピンズが来るのだ。とは言え、抵当を巡るクライマックスの展開には、それが出来るなら最初からやればいいのに!と突っ込みたくなる。メリー・ポピンズが何に魔法を使うことを良しとし何には使わないという主義なのか、線引きがご都合主義だと思う。


メリーポピンズ スペシャル・エディション [DVD]
ジュリー・アンドリュース
ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
2005-01-21






『ブルーバード、ブルーバード』

アッティカ・ロック著、高山真由美訳
 テキサス州の田舎町。沼地で黒人男性弁護士の死体が発見された。次いでカフェの裏手で地元の白人女性の死体が発見される。停職処分中の黒人テキサス・レンジャー、ダレンはFBIの友人に頼まれ、探りを入れる為に現地へ向かうが。
 テキサスという土地の風土、文化が色濃く表れている。人種差別のきつい(KKK的な組織が現役で活躍中)地域であることが事件の見え方にも大きく影響しているのだ。一時代前の話かと思ったらばっちり現代の話でショックというかげんなりするというか・・・。都会育ちの被害者の妻が、現地の微妙な空気感や一触即発な状況にぴんときていないというのも無理はない。こういう土地で黒人として生まれ育つというのがどういうことなのか、外側からは黒人同士でも実感できない部分があるのだ。そういう意味では、本作はある土地に生まれつき、そこから離れられない人たちの業のようなもので出来ているようにも思った。ダレンと妻の間の溝、また被害者であるマイケルとその妻ランディの間の溝は、この故郷に対する思い入れへのギャップからも生まれている。
 男女の惹かれあう様、すれ違う様が、(解説でも言及されているように)何度も反復・呼応していく構成の妙があった。最初はストーリーの進め方がちょっとかったるく、ダレンの行動を見る限りではあまりレンジャー向きな人ではないのでは?と思ったのだが、だんだんそのかったるさというか、事件の芯が見えているようでなかなか近付けない所が本作の肝なのだとわかってくる。起こったこと自体は単純なのだが、主に風土に根差すフィルターでややこしく見えてしまうのだ。ダレンがレンジャー向きとは思えないのにレンジャーとして生きていくというのも、風土の中で培われた価値観に動かされた面が少なからずあると思う。それだけに、最後の1章はあまりに皮肉だ。


黒き水のうねり (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アッティカ・ロック
早川書房
2011-02-28



 
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