3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2019年02月

『天才作家の妻 40年目の真実』

 現代文学の巨匠と称されるジョゼフ・キャッスルマン(ジョナサン・プライス)がノーベル文学賞を受賞することになった。妻ジョーン(グレン・クローズ)は共に喜び、息子のデビッド(マックス・アイアンズ)を伴い授賞式が行われるストックホルムへ赴く。しかしライターのナサニエル(クリスチャン・スレイター)がジョゼフの作品はジョーンの手によるものではないかと疑問をぶつけてくる。監督はビョルン・ルンゲ。
 クローズは本作で第91回アカデミー賞主演女優賞にノミネートされているが、それも納得。微笑だけでいくつもの感情、シチュエーションを感じ取らせる名演技だったと思う。人懐こいがちょいちょいクソ野郎感を醸し出すプライスの演技も的確。ストーリーやビジュアルはそんなに凝ったものではないので、俳優の演技を見る映画としてのウェイトが高いのは否めない。とは言え、やはりクローズの力で面白く仕上がっている。スレーターを映画で見るのも久しぶりなので嬉しかった。本作のナサニエルような、饒舌さが鼻につくがどこかチャーミングな役が似合う。
 冒頭、ベッドでのくだりで、ジョゼフはちょっと(いや大分、だろうか)無神経なのでは?と気になった。隣で寝ている人がいるのにわざわざベッドで夜食食べる?その後ジョーンとセックスする流れも、冗談交じりとは言え自分の欲求優先で(ジョーンの睡眠欲はどうなる)いい気がしない。、見ていくうちにその気になり度合いがどんどん高まっていく。彼は基本的に好人物でジョーンのことを愛しているのはわかる。ただ、ジョーン(に限らず家族や他の人が)何を考えているのか、自分の言動が何を意味することになるのかに無頓着で、それが無神経さに感じられるのだ。言葉を扱う職業なのに、相手にかける言葉の選び方は軽率だ。特に息子に対してはもうちょっと言いようがあると思うのに・・・。
 対してジョーンは常にそつなく感じが良い。正に「内助の功」的妻として振舞う。が、それが彼女の本意というわけではないこともそこかしこで感じられる。女性は結婚すると〇〇の妻、〇〇の母という呼ばれ方になってしまう。黙っているからと言ってそれらに納得しているというわけではないのだ。ジョゼフの言動はジョーンのその納得していなさを全く理解していないものだと思う。ジョーンが重要な話をしようとするたびに何かしらの出来事が起き話の腰を折られるのだが、この夫婦はずっと、こういう感じでやり過ごしてきたんじゃないかと思った。
 ジョーンとジョセフが何をやったのかはあっさりと明かされてしまうので、ドラマとしては少々物足りない。しかし、最期にジョーンが見せる微笑みは、最大のイベントはこれから、本作で語られたことの後に起こるんだろうなと思わせるものだ。

天才作家の妻 40年目の真実 (ハーパーBOOKS)
メグ ウォリッツァー
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2019-01-25



セールスマン [Blu-ray]
シャハブ・ホセイニ
バップ
2018-01-10


『すべての、白いものたちの』

ハン・ガン著、斎藤真理子訳
 チョゴリ、白菜、産着、餅、骨などの白いものたちのイメージを繋ぎ、どこかにいる彼女、あなた、わたしの物語が紡がれる。
 白い色は清らかなもの、まだ何にも染まっていないものというイメージを引き起こすが、同時に、死のイメージとも結びつく。死に装束の白、焼いた骨の白でもあるのだ。本著はこれから生まれる無垢なものというより、他の色を得る前にこの世を去ってしまったもの、あるいは自身の色を持っていたものの漂白されきってこの世を去っていくものたちの為の鎮魂の文学という印象を受けた。ある死産のイメージが反復されるが、「しなないで しなないでおねがい」と繰り返される母親の言葉がずっと響き続けているのだ。静かで重い。
 なお本著、非常に凝った造本なのでぜひ紙の本で手に取ってみてほしい。「白」のイメージのバリエーションを味わうことが出来る。

すべての、白いものたちの
ハン・ガン
河出書房新社
2018-12-26


『プロジェクト・シャーロック 年間日本SF傑作選』

大森望・日下三蔵編
 2017年の日本SF短編を選りすぐったアンソロジー。第9回創元SF短編賞受賞作である八島游舷「天駆せよ法勝寺」とその選評も収録された。
「天駆せよ法勝寺」の評判は各所で目にしていたが、確かにユニーク。仏教という要素をSFに持ち込んだらどうなるか、というアイディアがアイディア倒れに終わっておらず、SF的展開とがっちり組みあっている。これは果たして真顔で読むものなのか?という気もするが、ある場面で市川春子の漫画『宝石の国』に出てくる月人を連想した。ビジュアルを見て見たくなる作品。
 表題作は別のアンソロジーで読んだことがあったが、SF要素と本格ミステリ要素のバランスが取れている良作。個人的に気に入ったのは、彩瀬まる「山の同窓会」、酉島伝法「彗星狩り」、山尾悠子「親水性について」。「山の同窓会」は、ある生態系のシステムをそこからはみ出す存在も含めて、どこか寂しい情感で描く。私はこういう生態系の中では生きたくないけど、別ルールの世界を見せるSFならではの面白さがある。水気が多そうで有機的な「山の~」に対して硬質な別生態系を描く「彗星狩り」もイメージ豊かでユニーク。この生き物が生活するならこういう感じになるだろう、という世界の構築の仕方がやはり強い。そして「親水性について」はイメージが積み重なる夢の中のような世界。岡上淑子のコラージュ作品を思わせる危うい美しさ。世界の終りの気配がする。


『ミドルマーチ1』

ジョージ・エリオット著、廣野由美子訳
  イングランド中部の商業都市ミドルマーチ。知的で美しい、二十歳そこそこのドロシア・ブルックは、信仰心厚く、自分の人生を大きな目的に捧げようという情熱に燃えていた。ハンサムで資産のあるチェッタム卿の求婚を退け、彼女は27歳も年上のカソーボン牧師との結婚を選ぶ。研究者であるカソーボンへの尊敬を覚え、彼への献身を決意したのだ。周囲の人々はこの結婚に賛成しきれずにいた。
 イギリス小説の最高峰と評される『ミドルマーチ』の第一巻。光文社古典新訳文庫から出たのを機に読み始めたのだが、中流階級の人々の生活が生き生きと描かれており、大変面白い。人の行動にしろ内面にしろ、また世情やお金の話にしろ、諸々がすごく具体的だ。群像劇でもあるが、個人の内面が手に取ってわかるような描き方。ドロシアの情熱が段々裏切られていく様、カソーボンとの擦れ違いはさもありなんなのだが、彼女が生きていたのがこの時代(ヴィクトリア朝)でなければもっと違った生き方があったのにと惜しくなってしまう。ドロシアは知性豊かだし勉強意欲もあるのだが、当時の女性にとって勉強して良しとされる分野はごく限られていた。限られた世界の中の知識で判断しやりくりするしかないというのは歯がゆい。現代の視点から読んでいるから歯がゆく感じられるのだが、当時の女性の中にも、鬱憤が溜まっている人はいたのではないかなと思う。
 また群像劇としては、街の重要人物たちのパワーゲームが少々脂っこく滑稽。ザ・村社会!どんな文化圏でも人が集まれば政治が生まれるというわけか。嫉妬や駆け引きはあるが、どこか長閑でもある。さほど規模が大きくない都市、地方都市的なスケールの話だというのも一因か。

ミドルマーチ1 (光文社古典翻訳文庫)
ジョージ エリオット
光文社
2019-01-08


ミドルマーチ〈1〉 (講談社文芸文庫)
ジョージ エリオット
講談社
1998-08


『ヴィクトリア女王、最期の秘密』

 1887年、ヴィクトリア女王(ジュディ・デンチ)の在位50周年記念式典が執り行われた。英領インドからの記念硬貨贈呈役に選ばれ、はるばる渡英したアブドゥル(アリ・ファザル)は、女王に対しても臆することなく好奇心を発揮する。彼に関心を持ったヴィクトリア女王は側近に取り立て、彼との対話を楽しむ。しかしその交流を、周囲の人々は快く思わなかった。監督はスティーブン・フリアーズ。
 ヴィクトリア女王がアブドゥルに注目するきっかけが「ハンサム」だからという即物さに笑ってしまったが、周囲からは年老いた女が若い男にトチ狂って・・みたいな目で見られるし、アブドゥルにしても見た目の良さで老女に取り入りのし上がろうとしていると思われる。とは言え周囲の中傷だけではなく、ヴィクトリア女王にしろアブドゥルにしろ、2人の交流にはそういった要素が含まれている。ヴィクトリア女王がアヴドゥルが結婚していると知って強くショックを受けるのはそういうことだろう。そしてやはり、ヴィクトリア女王は首領国の長であり、アブドゥルは植民地のムスリム系インド人である。2人の友情には身分や人種を越えたものがある。とは言え、自らの立ち位置を離れたものの見方は難しいのだ。
 ヴィクトリア女王はインドの歴史を理解してはいないし、アブドゥルが語るインドの歴史も文化も、ムスリムの立場からのものだ。ヴィクトリア女王(というか当時の英国人)のインドについての知識は、そこに気付かないレベルのものだということだろう。冒頭から、王宮の人たちがアブドゥルのことをヒンドゥー、ヒンドゥーというのでずっと違和感があった(冒頭でムスリムということがわかっているので)のだが、インドといえばヒンドゥーだろうというわけだ。また、ヴィクトリア女王はインド文化を愛好するようになるが、それはエキゾチズムでしかなく、インドの歴史や文化を理解しているとは思えない。
 2人の交流を、王宮の人たちとは違った、退いた目線で見ているのが、アブドゥルと共にインドからやってきたモハメド(アディール・アクタル)。彼は自分の祖国を支配する英国に対して批判的だし、自分たちが差別されていると認識している。女王に重用されたといっても英国人が自分たちを受け入れたわけではないとアブドゥルに忠告もする。彼が本作を「いい話」にしない視線を持ち込んでいるのだ。このへんのバランス感覚が、フリアーズ監督作品の良さだと思う。

あなたを抱きしめる日まで [DVD]
ジュディ・デンチ
Happinet(SB)(D)
2014-10-02


ヴィクトリア女王 世紀の愛 [DVD]
エミリー・ブラント
Happinet(SB)(D)
2010-07-09


『バーニング劇場版』

 小説家志望の青年イ・ジョンス(ユ・アイン)は同郷の幼馴染シン・ヘミ(チョン・ジョンソ)と再会し、彼女がアフリカへ行く間、猫の世話を頼まれる。帰国したヘミは、現地で知り合った裕福な男性ベン(スティーブン・ユァン)にジョンスを紹介する。ある日、ヘミと共にジョンスの家を訪れたベンは、時々ビニールハウスを燃やしていると秘密を明かす。原作は村上春樹の短編『納屋を焼く』、監督はイ・チャンドン。
 TV版を放送した後に、それより約1時間ほど長尺の劇場版が上映されるという特殊な形状の作品。両方見てみたが、途中までは同じなのに、劇場版である本作を最後まで見ると全く別の作品になっていた。原作小説に近いはTV版の方だが、劇場版はそこから更に飛躍している。少なくとも村上春樹はこういうラストは書かないんじゃないだろうか。私はそこが良いと思った。
 結構な長さの作品なのだが、時間の流れはゆるゆるとしている。ヘミの身に何かよからぬことが起きたのは状況証拠からはほぼ間違いないだろう、しかし決定打も「犯人」への正攻法での追及も叶わない。疑惑と不安だけがずっと漂っている。それが煮詰まって爆発するのがラストだが、それによってヘミが救われるというわけではない。
 ヘミがベンとその仲間、昔でいうところの高等遊民的な人たちから、何となく軽い扱われ方をしているのを見ると、辛くなってくる。ヘミにとっての大切なものが、彼らにはどうということのない、ちょっとした時間つぶしのように扱われているのだ。そしてそういう扱われ方をしたのはヘミだけでなく、彼女の前にも後にもいるだろうことがまた辛い。若くて特に何も持たない(と彼らが見なす)女性は消費されて飽きられたら終わり、というわけだ。ヘミの元同僚が唐突に「女が住める国はない」と口にするけど、つまりそういう話でもあるように思った。ベンは明らかにヘミを暇つぶしに使っているが、彼女を「愛している」というジョンスも、結局彼女の記憶を創作のネタとして消費しているのではないかと思う。
 ジョンスはベンをギャツビーに例え、自身の家庭をフォークナーの小説に例える。フォークナーを読むと自分の家族を思い出すって結構強烈な家庭環境ではないかと思うが・・・。確かにジョンスの両親は厄介な人たちで(ここはTV版ではよくわからない)、彼の中に蓄積されている鬱憤は相当のものだろうと想像できる。この家に生まれなければこの田舎から出て行けたのに、振り回されずに済んだのにという気持ちがずっと尾をひいているのではないかと思う。一方、ギャツビーであるベンがジョンスのことを小馬鹿にしているかというと、意外とそうとも言い切れない。少なくとも、ヘミを扱うような軽さでは彼に接していないように思う。ベンの捉えどころのなさや意味ありげな物言い、ふと秘密を明かしてジョンスの興味をひくような態度は、むしろメフィストフェレス的な、ジョンスを自分側の世界に引き入れようとしているようにも見えた。2人の結末も、ベンはジョンスの中に自分の共犯者的要素を見ていたのではないかと思う。方向は違えどヘミを消費するという点では、共犯者と言えるのかもしれない。


ポエトリー アグネスの詩 [DVD]
ユン・ジョンヒ
紀伊國屋書店
2013-01-26


『BACK STREET GIRLS ゴクドルズ』

 犬金組に所属する若きヤクザ、山本健太郎(白洲迅)、立花リョウ(花沢将人)杉原和彦(柾木玲弥)の3人は、組の為に働くことを心に誓い、組長の為に敵対組織に討ち入りをかけるが失敗。その落とし前をつける為、組長(岩城滉一)の思いつきで性転換&全身整形をほどこされ、女子アイドルユニット「ゴクドルズ」のアイリ(岡本夏美)、マリ(松田るか)、チカ(坂ノ上茜)としてデビューすることになってしまう。原作はジャスミン・ギュの人気漫画『Back Street Girls』でアニメ化もされている。監督は原桂之介。
 冒頭の「東映」マークがすごくいい感じに「東映」。正に往年のヤクザ映画のようなオープニングなのだが、一気に明後日の方向へ転がっていく。アニメ版はショートコントの連打みたいなテンポの良い笑いだったが、実写版である本作はもうちょっと尺長めの笑いの設定。フォーマット、映像化方法が違うことでそれぞれ別の面白さが出ていてどちらも息抜きに丁度良い長さと楽しさ。漫画の実写化としての一つの正解だと「思う。
 不思議なことに、実写化作品である本作の方が「ヤクザを性転換して女子アイドル化」という設定の無茶さがそんなに無茶じゃないように見えてくる。男性ヤクザ時の3人がそんなにゴツくなくそこそこイケメンなので、これはひょっとしてひょっとするアリなのでは・・・という気にならなくもない。アニメで一回見ているから設定に慣れたというのもあるんだろうけど。ゴクドルズの3人の「元ヤクザの男」としての動きがかなり様になっていたというのも大きい。歩き方や座り方の雑さがいい!この3人は間違いなくベストアクトだろう。ただ、生身の人間が演じていると、組長がすごく特殊な性癖の人に見えちゃったり、3人の弟分のパンツの件が生々しくて笑えなかったりという微妙さも出てくるのだが。また、ヤクザなのかアイドルなのか、男性なのか女性なのかという葛藤がギャグではなくシリアスに寄せられるのも、生身の人間が演じる実写だからこそだろう。マリと医者のエピソードとか、色々と複雑かつ微妙な問題孕んでるもんね・・・。
 アクションが予想外に派手で、あっ東映ぽいな!という感じがした。冒頭の「出陣」と後半の「出陣」がリンクしているあたりがにくい。チープではあるが決める所はしっかり決めてくる。クライマックスですごくかっこよく収まりそうなところ、一気にアホな方向に落とすのはコメディとしての矜持か。なお私はマリ推しなので、彼女に高価なプレゼントが増えることを切に願います。皆、ブランドコスメとか差し入れてやりなよ・・・。


『〈山〉モンテ』

 中世のイタリア。山麓の村のはずれで暮らすアゴスティーノ(アンドレ・サルトレッティ)とニーナ(クラウディア・ポテンツァ)夫婦は幼い娘を亡くし、悲しみにくれていた。過酷な環境に耐え兼ね、仲間たちは山を去っていくが、アゴスティーノは留まり続ける。しかし町に行商に出ると、山の民に対する厳しい差別が待っていた。追い詰められていくアゴスティーノは、1人岩山をハンマーで叩き始める。監督・脚本はアミール・ナデリ。
 何かに取りつかれた人、異様な情熱に突き動かされていく人を描くという点ではナデリ監督が西島秀俊主演で撮った『CUT』と同様と言えるが、本作では更にクレイジーさを極めている。そして更にパワフル。山が動くって、そういう方向か!と唖然とする。ナデリ監督は(結果の出る出ないは別問題として)人間の意思の力に対して信頼感がある、あるいはこうでなければならないという信念を持ち続けているように思える。アゴスティアーノは情念に取りつかれて動いているという一面はあるが、同時にその動きは、自分を縛り付けるもの(の象徴)を打ち砕く為のもの、自由を手にする為のものでもある。おかしいのは世界の方だ!だからそれを変える!という強い怒りと意志がある。
 ナデリ監督作はどれも音の使い方がとてもいいのだが、本作も同様。山の底の方から響いてくるような、低い不協和音に満ちている。また、山の中にいるとよく聞こえる、虫や動物の声っぽいが正体がよくわからない音。これが聞こえると、すごく山っぽい。ほぼほぼ何の音かわかるのだが、たまにえっ何?!という音が混じってくるのだ。
 アグスティーノは、町ではいわゆる被差別民として扱われ、不吉な存在として忌み嫌われている。しかし、町の人たちのそういった態度が、彼を本当に「邪眼持ち」、理解しがたい存在にしてしまうのではないかとも思えた。祭壇前のロウソクを逆さにして火をもみ消すシークエンスには凄みがあった。ああこちら側とのつながりを全部捨てちゃったんだなと。

CUT [DVD]
西島秀俊
Happinet(SB)(D)
2012-07-03


駆ける少年 [DVD]
マジッド・ニルマンド
紀伊國屋書店
2013-09-28


『アクアマン』

 海底に広がるアトランティス帝国の女王を母に、燈台守である人間を父に持ち、地上で育ったアクアマンことアーサー・カリー(ジェイソン・モモア)。彼の前に海底人の王女メラ(アンバー・ハード)が現れる。アトランティスが地上に攻め入ろうとしており、その阻止の為、王位継承者としてアーサーを呼び戻したいというのだ。一度は断ったアーサーだが、アトランティスの脅威を目撃し、戦いに身を投じていく。監督はジェームズ・ワン。
 『ジャスティス・リーグ』で登場したアクアマンだが、日本では全くなじみがないし個性や能力もいまひとつよくわからないし、これキャラは立つの?大丈夫?と思っていた。でも本作、見事にキャラは立っているしとりあえず派手で勢いよく楽しい。ヒーロー映画ってこのくらいあっけらかんと、大雑把でよかったんだよなーと逆に新鮮だった。やたらとイベントが連発し起きていることは盛りだくさんなのに途中で眠くなっちゃうところとか、意味なく風光明媚な土地を転々と移動するところとか、音楽セレクトの大雑把さとか、ノリがワイルドスピードシリーズとほぼ同じ。逆に言うと、ワン監督はこれ以外の演出方法を持っていないということなんだろうか。構成上のメリハリの付け方がいつもワンパターンな気がする。とは言え、世界的にヒットするにはやはりこのノリ、ヤンキー的センス(何せビジュアルはまんまラッセンだもんな。蛍光色必須。)が必要なのか・・・。確かにザック・スナイダーにはない要素だ・・・。気楽に見られる楽しい作品ではある。長さも気楽に見られるレベルにしてくれればなお良かった。やはり2時間越えは厳しい。理屈こねない系アメコミ映画として、マーベルとの差別化には成功していると思う。
 ストーリーはものすごく大雑把。大らかに見られるのだが、妙な所で色々と突っ込みたくなった。伝説の鉾の見つけ方には、あれだけ高い技術力を誇る帝国だったのにそこは普通に瓶なのかよ!(コルク栓抜いてたし・・・)と気になってしまった。聡明そうなメラの行動が、意外にもアーサーとどっこいどっこいの雑さなのが魅力。この2人がヒーロー、ヒロインという感じではなく、チームメンバー的な所も現代的でいい。ロマンスに関しては何と言ってもアーサーの両親に敵うものはないしね。

ジャスティス・リーグ ブルーレイ&DVDセット(2枚組) [Blu-ray]
ベン・アフレック
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2018-03-21



『劇場版シティハンター 新宿プライベート・アイズ』

 新宿に事務所を構え“シティハンター”としてトラブル解決やボディガードに奔走する冴羽リョウ(神谷明)と相棒の槇村香(伊倉一恵)。2人の元に、何者かに部屋を荒らされ狙われているというモデルの進藤亜衣(飯豊まりえ)が依頼に訪れる。亜衣がキャンペーンモデルを務める企業の社長・御国真司(山寺宏一)は香の幼馴染だった。一方、海坊主(玄田哲章)と美樹(小山茉美)は傭兵たちが新宿に集まっているという情報を入手する。その傭兵たちはなぜか亜衣を狙っていた。原作は北条司の漫画、総監督はこだま兼嗣。
 1980~90年代にテレビ放送された大ヒット作品(原作は1985~1991年連載)の、20年ぶりの新作。舞台は現代、2019年の新宿で、TOHOシネマズのゴジラも登場するしマイシティはルミネエストに変わっている。しかし、漂う空気は90年代のもの。リョウたちが年を取った様子もない。あの頃のシティハンターがそのまま帰ってきたと言っていいだろう。GetWildがちゃんと流れるらしいぞ!と公開前から沸いていたが、それどころではなく、本編始まるなりあの曲やこの曲が随所で使われるという、ファンは泣くしかない仕様。シティハンターシリーズはOP、EDが本当に名曲揃いだったので、これは大変嬉しかった。
 とは言え、やはり時代は感じる。作中でメタ突っ込みはされるものの、リョウの「もっこり」関連のギャグは今では全く笑えない(当時もそんな面白いものでもなくて、ほぼルーティンでしかなかった気がするけど)。エッチだけどかっこいい、という設定は最早通用しないだろう。それをわざわざやることもなかったんじゃないかなと思う。もしこれを面白いと思ってやっているのなら、制作側の意識・価値観が当時のまま変わっていないということだ。クリエイターとしてそれはどうなのと思わざるを得ない。時代と共に変わっていく部分と変わらない部分をもっと考えないとならなかったのでは。リョウのスケベ要素がなくても、ちゃんと面白いしリョウのキャラクター性は保たれていたと思う。そこがシリーズの強さだったはずなんだけど。
 なお、ファンサービスとしてはキャッツアイの3人姉妹も登場。これは本当にゲスト出演といった感じで必然性はないんだけど、お祭り映画と思えばこれでいいのだろう。正直、ストーリーは大雑把なのだが、イベント的な楽しさはある。そして本作の神髄はエンドロール!これは本当に唸った。TVシリーズを踏まえた上での演出が素晴らしい。


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