3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2019年01月

『嘘の木』

フランシス・ハーディング著、児玉敦子訳
 高名な博物学者で牧師のサンダリー師は、ある大発見を発表し評判になる。しかしその発見がねつ造だという噂が流れ、新聞報道にもなった。好奇の目にさらされることを恐れたサンダリー一家は、発掘現場での誘いがあったヴェイン島へ移住。しかしそこでも既に噂は流れており、肩身の狭い生活が始まった。しかしサンダリー師が不審な死を遂げる。島の人々は自殺と見て教会での埋葬を拒むが、娘のフェイスは父が自殺するはずないと疑問を持つ。サンダリー師は生前、「嘘の木」と呼ばれる植物を密かに栽培していた。嘘を養分とし、その実を食べたものに得難い知識を授けるというのだ。フェイスは嘘の木を使って父の死の原因を探ろうとする。
 ダーウィンの進化論によってキリスト教的な世界観が大きく揺さぶられていた時代を背景にしている。この時代背景と登場人物の行動原理が直結しており、使い方が上手い。当時の自然科学の考え方や社会的な価値観が、フェイスが抱える問題と深く関わっている。彼女は自然科学に興味を持つ聡明な少女だが、当時の社会では女性には理論的に物事を考える能力はないと考えられていた。フェイスがどんなに勉強し知識を披露しても周囲から評価されることはなく、むしろ女性としてはふさわしくない存在として扱われる。フェイスは科学者である父から認められたくてたまらないが、彼女が女性である以上、それは叶わないのだ。このフェイスの満たされなさ、父親の愛への渇望が痛いほど伝わってきて辛い。彼女の渇望が、彼女が撒く「嘘」を加速されていくが、途中からよしもっとやれ!とエールを送りたくなるくらい。
 彼女には天分の才能があるが、それはないものとされる。しかしこれは彼女に限ったことではない。女性達については「女性」というひとくくりの概念しかなく、個々がどのような能力、特性を持ち何が出来るのかという部分は男性の目にはとまらない。そこにいるがいない、不可視の存在としての一面を持つ。これが本作のミステリ部分の鍵になっているが、こんな不可視ありがたくもなんともないよな・・・。彼女ら個々の顔がはっきり見えてくる終盤は、フェイスにとっての救いでもあるか。

嘘の木
フランシス・ハーディング
東京創元社
2017-10-21


カッコーの歌
フランシス・ハーディング
東京創元社
2019-01-21


『地下鉄道』

コルソン・ホワイトヘッド著、谷崎由依訳
 19世紀初頭のアメリカ南部。ランンドル農園の奴隷コーラは仲間たちから孤立し、主人の暴力に耐えていた。ある日、新入りの奴隷に誘われ、逃亡を決意する。黒人奴隷たちを南部から北部に逃がす「地下鉄道」があると言うのだ。北へ向かって逃げ続けるコーラだが、悪名高い奴隷狩り人・リッジウェイが彼女の後を追っていた。
 ピュリッツァー賞、全米図書賞、アーサー・C・クラーク賞、カーネギー・メダル・フォー・フィクション受賞という華々しさだが、確かに面白いしすごくよくできてる。そして今この作品がこういった賞を取るということが、アメリカの今の空気、問題意識を反映しているのだろう。そういう意味でも面白かった。「地下鉄道」とは黒人奴隷の逃亡を助けた、実在した組織の呼び名のことだそうだ。その「地下鉄道」が文字通りの意味で存在したら、という設定。
 自由の地へと向かって地下を失踪する鉄道のイメージは力強く爽快だが、そのイメージに反し、コーラの旅路は困難で苦いものだ。確かに自由の地と思われる場所に到着しても、すぐにはわかりにくい形での差別、また黒人同士での見解の相違等により、平穏は崩れていく。特に「避妊」「診療」を隠れ蓑にした一見マイルドかつエレガントな形での、強烈な差別意識が恐い。差別している当事者にはこれが差別であり不当であるという意識はないという所が、差別の本質と克服し難さに繋がっているように思う。差別に対する違和感を上手く言いくるめられてしまいそうで恐いのだ。
 黒人奴隷、ことに黒人女性の奴隷としての生活がどのようなものか、その生活の中でどのような意識が形成されていくのかという部分が丁寧に描かれており、丁寧ゆえにしんどい。コーラはかなり意志の強い、独立した精神の持ち主だが、彼女の美点は白人たちからはないものとされ(というかあってもなくてもどうでもいいものとされ)、黒人からも厄介なものとして扱われる。彼女が逃げ切れるのかどうか、ずっと胃が痛くなりそうだった。


地下鉄道
コルソン ホワイトヘッド
早川書房
2017-12-06


私はあなたの二グロではない [DVD]
語り:サミュエル・L・ジャクソン
オデッサ・エンタテインメント
2018-11-02





『クリード 炎の宿敵』

 チャンピオンになったアドニス・クリード(マイケル・B・ジョーダン)の次の対戦相手は、ヴィクター・ドラゴ。彼はドニスの父アポロを死に追いやった、ドラゴ(ドルフ・ラングレン)の息子だった。因縁の対決に挑むアドニスだが、ロッキー(シルベスター・スタローン)は対戦に反対していた。監督はスティーブン・ケイブル・Jr。
 スタローン本人が脚本に参加しているそうだが、ちょっとした会話、やりとりの作り方が結構上手くて、本当に多才な人なんだなと実感。特にビアンカの妊娠がわかった時の、アドニスとビアンカ(テッサ・トンプソン)の振る舞いは、実際はこういう感じだよな、いきなり喜んだりはしないよなというリアリティがあった。自身の人生も軌道に乗ってきたばかりという2人が、果たして自分たちは親としてやっていけるのか、この先どうなるのかという不安感の方が先に立っており、等身大の若者という感じがあった。また、生まれた子供がある検査を受ける顛末も、その結果の出し方、それに対するロッキーの言葉は、ロッキーの人としてのまともさ、ひいてはスタローンのまともさが投影されたものではないかと思う。スタローン、ちゃんとした人だったんだな・・・。
 ロッキーとアドニスは疑似的な親子だが、今回は2人が別の方向を向いてしまう。2人がまた同じ方向を向いて戦い始めるのと合わせて、アドニスが自身も父親としてスタートを切るのだ。またロッキーはロッキーで、実の息子との関係がずっと棚上げになっている。本来はこの実の父子関係をどうにかしないとならないわけだ。ロッキーもまた、父親として問題と向き合うタイミングに来ている。彼にとっても「そして、父になる」話しなのだ。
一方、負の父性を背負っているのがドラゴだ。彼は息子を復讐の道具として育て上げている。そこに、息子であるヴィクターが何を求めているのかという要素はない。セリフ量は少ないが、ヴィクターは父親にしろ母親にしろ、「親」とのつながり、子供として親に愛される、必要とされることを望んでいるのだが、それは得られない。だから会食の場で深く傷つくのだ。ラングレンの風貌の作り込みも相まって、ドラゴ親子が辛酸なめてきた感が強く滲むだけに、求めるものを得られないヴィクターの姿が痛々しい。父子関係が何重にも反復される。
 とは言え、全体的なトーンはスポ根少年漫画的で熱い。特に「特訓」シーンが前作以上に「特訓」感があるのにはちょっと笑ってしまった。それ本当に効果あるの?って気もしちゃう。この部分だけ漫画度が高くなっている気がした。それはそれで楽しいのだが。

クリード チャンプを継ぐ男 [Blu-ray]
マイケル・B・ジョーダン,テッサ・トンプソン シルベスター・スタローン
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2016-10-19






ロッキー4 [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2018-03-16

『愛と銃弾』

 南イタリアの港町ナポリ。地元のマフィアのボス・ヴェンチェンツォ(カルロ・ブチロッソ)の葬儀が執り行われていた。しかしこの葬儀にはある秘密があった。数日前、看護師のファティマ(セレーナ・ロッシ)はある事件の目撃者になってしまう。マフィア配下の殺し屋チーロ(ジャンパオロ・モレッリ)は事件の目撃者暗殺を命じられるが、ファティマは彼の幼馴染で元恋人だった。チーロはファティマを守る為に殺し屋コンビの相棒ロザリオ(ライツ)を裏切り、彼女を連れて逃げる。しかし組織は2人を追い続ける。監督はアントニオ・マネッティ&マルコ・マネッティ。
 近年歌って踊る映画といえばインド映画だが、私はイタリア発の本作の方が断然好きだ。序盤、棺の中の死体が歌い始める時点で、えっそういう方向性なの?!とショックを受けたのだが、妙に楽しい。以降要所要所で歌と踊りが展開されるが、全てがプロのクオリティというわけではなく、どこか素人くさい。この素人くささはあえてのものなのだろうが、微妙な野暮ったさと選曲の歌謡曲感が見事にマッチし味わい深すぎる。キッチュと言えばキッチュなのだが、映画のクオリティが低いというのではなく、むしろ完成度は高い。よくこの形態でやろうと思ったな・・・。魅力を伝えるのが難しいのだが、ミュージカル、ノワール、ロマンス、ガンアクションという諸々のジャンル要素が盛り合わされており、かつそれぞれの要素はベタ中のベタな部分を使っているのだが、全体としてのトーンは統一されている。謎の化学変化だ。
 ヴィンチェンツォの妻マリア(クラウディア・ジェリーニ)が映画好きという設定で、映画ネタが結構多いところも楽しい。ストーリーの肝になるある作戦自体、映画からアイディアをとったものだし、最初に出てくる観光名所は「『ゴモラ』の撮影場所だよ!」と紹介される。『ゴモラ』をわざわざ引き合いに出してくるという映画愛。
 マリアは損得勘定がはっきりしており、そこそこえげつない性格ではあるのだが、若いメイドをいびるベテランメイドは許さない(自分がメイド出身だから)という主義で、金目当ての結婚と揶揄される夫のこともそれなりに愛している。部下に無茶ぶりはするが何だか憎めない。アストンマーチンとデロリアンとどっちがいい?と聞いてくる人のことをあまり嫌いにはなれないな・・・。他の登場人物についても同様だ。チーロとの絶対的信頼関係があると思いきや途中で切ない片思い状態になってしまうロザリオも、彼なりに筋は通っているし、自分はリーダーポジションじゃないんだよね・・・と切々と歌うヴィンチェンツォの右腕的部下も憎めない。本作の魅力は、この憎めなさと言うか、可愛げにあるように思った。

恋するシャンソン [DVD]
ザビーヌ・アゼマ
パイオニアLDC
2000-07-26





ゴモラ [DVD]
チロ・ペトローネ
紀伊國屋書店
2012-05-26

『メアリーの総て』

 19世紀のロンドン。思想家の両親の元に生まれ、父が経営する書店を手伝いながら自らも執筆を夢見ているメアリー(エル・ファニング)。スコットランドの知人宅に滞在した際、新進気鋭の詩人パーシー・シェリー(ダグラス・ブース)と出会う。しかりパーシーには妻子があった。情熱に駆りたてられた2人は駆け落ちし夫婦生活を始めるが、パーシーの経済的な問題、幼い娘の死と相次いで悲劇に見舞われる。詩人バイロン卿(トム・スターリッジ)の別荘に滞在したメアリーは、「皆で1つずつ怪談を書こう」と誘われ、あるアイディアに着手する。監督はハイファ・アル=マンスール。
 作家メアリー・シェリーが後世に読み継がれる怪奇小説『フランケンシュタイン』を執筆するまでをドラマ化した作品。エル・ファニングがまあはまり役で、今こういう役を演じたら敵うものなしという感じなのだが、こういう役ばかりでもなぁ・・・とちょっと複雑な気分にもなる。少女性を加味されすぎな気がするので。それはさておき、キャストが全員ハマっていてなかなか良かった。特にパーシー・シェリーのまず顔ありきな感じにはちょっと笑ってしまった。顔と才能が傑出していなければただのクズというところが潔い。
 メアリーは先進的な家庭に生まれたけど、時代の壁は厚い。自由恋愛とは言っても、パーシーにとっては自分に都合のいい「自由」で、メアリーを個人として尊重しているとは言えない。パーシー自身にはメアリーを尊重していないという自覚はないのだろうが、この「自覚すらない」というのが非常にやっかい。彼が自由恋愛を主張するロジック、現代でも使う人がいると思われるけど、元々2者が立っている地平が同等ではないということが念頭にないのだろう。
 パーシーはメアリーの文才は認めているものの、彼女にとって自分の作品がどのような意味を持つのかという所までは考えが及ばない。(作品のクオリティが高ければ)作者名はどうでもいいというのは、既に名がある、自分の著作物だと主張することが許されている(女性作家名の作品は出版できない等とは言われない)から言えることだろう。また、モンスターではなく天使のような創造物を描けばいいのにという意見も、なぜモンスターなのかということを全く考えていない(心当たりがない)から言えることだ。そこから言われてもね、という苛立ちは否めない。メアリーは出版社への持ち込みや出版の条件からして、パーシーら男性作家に付与されているものを持っていないのだ。著作権問題といえば、ドラキュラを執筆した(と主張する)医者も気の毒だ。バイロン本人が自分の著作ではないと言ってもダメなのか・・・。当時の女性の辛さがてんこ盛りでなかなかどんよりとしてくるのだが、現代でもこういうことってあるなと思えてしまう所がさらに辛い。
 メアリーが『フランケンシュタイン』を執筆し始め、書きすすめる過程は史実とは違うのだろうが、それまで彼女が読んだ本や体験、全部盛り込まれ集約されていくことが分かる見せ方になっていたと思う。前半で出てくるスコットランドの情景がとてもよかった。広くて静かで寂しく、寒々しい。メアリーは「夜が静かすぎて眠れない」と言うのだが、そうだろうなぁ。この風景もメアリーの著作の下地になっているということが実感できる。こういう環境でしばらく暮らしてみたくなった。

フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)
メアリー シェリー
光文社
2010-10-13






ワアド・ムハンマド
アルバトロス
2014-07-02

『未来を乗り換えた男』

 ファシズムの嵐から逃れ、祖国ドイツからフランスへやってきたゲオルグ(フランツ・ロゴフスキー)。しかしパリもドイツ軍に占領されつつあり、南部の港町マルセイユへ向かった。パリのホテルで自殺していた作家ヴァイデルのパスポートをたまたま手に入れた彼は、ヴァイデルに成りすましてメキシコへ渡ろうとする。しかしたまたま知り合ったヴァイデルの妻マリー(パウラ・ベーア)に心奪われてしまう。原作はアンナ・ゼーガースの小説『トランジット』。監督・脚本はクリスティン・ペッツォルト。
 第二次大戦下のヨーロッパのような社会情勢で描かれているが、舞台となっているのは明らかに現代(スマホも出てくる)。しかし登場人物の服装はどこかレトロで時代の特定はしにくい。どこでもありどこでもない、いつでもありいつでもないという不思議な雰囲気がある。この特定できなさ、逆に言うとどこでも・いつでもありうる普遍性を醸し出す美術面の匙加減が上手いと思った。マルセイユという町の風景も効果的。
 ゲオルグの行動はマリーに魅せられてのものではあるのだろうが、それ以上に彼の人となりから来るもののように思えた。汽車で同乗した相手にしろ難民の子供にしろ、困っている・傷ついている人がいたらとりあえず助けようとはするのだ。見込みが甘かったり自分の都合が優先させられたりはするが、基本的に善意がある。人間には善意があるはず、窮地の中でも人として正しいことをする瞬間があるはずという、オプティミズムのようなものを感じる。同監督の『東ベルリンから来た女』でも、自分の処遇はともかく「正しいことをした、これが私にとっては勝利だ」という話だった。人間は利他的になれるという希望を常に持っているように思える。本作は三角関係を含んだロマンス映画でもあるが、ロマンス以上に人間のこういった部分の方が強く印象に残った。善意は中途半端な形で発揮されるかもしれない。ゲオルグの手助けは概ね中途半端なものだ。でも、やるんだよ!というのが本作の方向性では。
 
 一方で、ゲオルグを引き留めているのは土地そのものでもあるように思えた。この土地に辿りついた人は土地の呪縛に絡み取られ、ずっとこの地でさまよい続けるのではないかと。マリーが夫を探し続けるのも、彼を愛し続けているからというよりも、この地を出られないような呪いをかけられたように見える。彼女の気持ちがふわふわしているように見えるのも、そのせいではないだろうか。

東ベルリンから来た女 [DVD]
ニーナ・ホス
アルバトロス
2013-07-03





『喜望峰の風に乗せて』

 1968年のイギリス。ヨットによる単独無寄港を競う、ゴールデン・グローブ・レースが開催されることになった。航海計器メーカーを経営するドナルド・クロウハースト(コリン・ファース)は、名立たるセーラー達が集う中、名乗りを上げる。アマチュアが優勝すれば大きな宣伝になると触れ込みスポンサーも確保し、周囲の期待に押されながら出航するが。監督はジェームズ・マーシュ。
 予告編は見たことがなく、ポスターも題名も何となく爽やかなので感動海洋冒険ものかと思ったら、とんでもなかった。いい方向(と言っていいものか・・・)に裏切られた作品。本作、中盤以降ほぼホラーな怖さだった。ドナルドは家族とヨット遊び等はしているものの、長距離航海をしたことはなく(「沖から出たことないだろう」と言われる)、ほぼ素人。そんな素人が単独無寄港レースに参加するというだけで無謀だし、妻クレア(レイチェル・ワイズ)が心配して止めるのも当然だろう。しかし子供たちは無邪気に喜ぶし、スポンサーや世論は「勇気ある挑戦者」として彼を持ち上げ、地元の町ぐるみで時の人として応援されるようになる。ドナルドがやっぱり無理なのではと危機感を感じた時には、引っ込みがつかなくなっている。ボートが不完全な状態で航海に出るなんて狂気の沙汰だが、出ざるを得ない「空気」が彼の周囲で形成されているのだ。そしてドナルドはその空気に負けてしまう。更に、リタイアすらできなくなっていく。現実的に考えれば、いくら叩かれるだろうとは言え、リタイアする方がまともと思えるのだが、そういう選択肢を持てなくなっていく所が、本作最大の恐怖だ。原題が「 The Mercy 」というのも容赦ない。
 ドナルドが不備を分かりつつも航海に出てしまったのは、周囲の期待に応えなくてはというプレッシャーと同時に、臆病者だと思われたくないというプレッシャーが非常に強かったからではないか。彼は展示会で聞いた、セーラーの「男らしい」冒険者としての言葉に魅了され、レース参加を思い立つ。レースに要求されるような勇気や強さを自分も持っていると証明したくなってしまったのだろう。彼は割と柔和で気の優しい人であり、いわゆるマッチョな男性ではないことが、言動の端々から感じられる。妻からも子供たちからも愛される良き夫・良き父であるはずなのだが、それだけでは満足できない、何かを証明したことにはならないのかと不思議な気もした(そもそも何かを証明する必要があるのかと思う)。そして、彼の自分の存在証明みたいなものが、レースのような無謀な形を取ることがまた不思議だ。父親/男性はこうであれ、勇気があるとはこういうことである、という理想のようなものにドナルドが食い殺されていくようでもあった。


『それだけが、僕の世界』

 かつてはボクサーとしてアジアチャンピオンになったものの、今は落ちぶれその日暮らしをしているジョハ(イ・ビョンホン)。ある日偶然、17年ぶりに母親と再会し、サバン症候群の弟ジンテ(パク・ジョンミン)がいることを知る。なりゆきで実家で暮らし始めたジョハは、母親から弟がピアノコンクールに出られるよう面倒を見てやってほしいと頼まれる。ジンテは一度聞いた演奏は完璧に再現できる、天才的なピアノの腕を持っていたのだ。監督・脚本はチェ・ソンヒョン。
 邦題は内容と合っているようないないような(多分主題歌から取っている題名なので、原題通りなのかもしれない)。それだけが彼の世界「ではない」ことが描かれた作品だと思う。ジョハはある事情でボクサーとしての人生を絶たれ、孤独に生き、家族との縁もないと思っていた。しかし、ジンテとの出会いでそうではないとわかってくる。またジンテも母とピアノだけの世界に生きているが、ジョハが現れたことで新しい家族が出来、更にピアノで世界とつながることを覚える。事故に遭って隠居生活をしていたピアニストも、新たに自分の音楽の世界を掴もうとする。今自分の世界だと思っているものだけが全てではないのだ。ファミリードラマ、兄と弟の絆の物語としての側面が強いが、ある道を絶たれた人たちが、自分以外の才能を体を張って世に出そうとする、そのことによって自分もまた生き直すという側面も強い。ジンテのピアノを初めて聞いたジョハの表情は「目が開かれた」ように見える。弟の姿が一新されるのだ。
 親子関係について安易なハッピーエンドにしない所に誠実さがある。母とジョハとの失われた過去は、もう取り戻せないのだ。今から再構築しても何もなかったことには出来ないというほろ苦さがある。ジョハはおそらく、母を心から許すことは出来ないだろう。仕方なかったと受け入れていくしかないのだ。弟の部屋の写真を見る姿や、迷子騒動の顛末が何ともやるせない。自分に与えられなかったものが何で弟には与えられているんだという割り切れなさは、何歳になっても、それこそ40歳越えても消えるものではないのだ。
 ジョハと母との間にはわだかまりがある。それだけに一層、家族写真でおどけ、母とのダンスに興じる姿に、ジョハが本来持っている優しさが窺える。どちらもとても良いシーンだった。

エターナル 通常版 Blu-ray
イ・ビョンホン
ポニーキャニオン
2018-07-04




『特捜部Q カルテ番号64』

 壁に塗りこまれた隠し部屋から、ミイラ化した3体の死体が発見された。過去の未解決事件専門の、コペンハーゲン警察の部署「特捜部Q」に所属するカール警部(ニコライ・リー・コス)とアサド(ファレス・ファレス)は捜査を開始する。過去に存在したある女性収容施設が関係していると睨むが。原作はユッシ・エーズラ・オールセンの同名小説。監督はクリストファー・ボー。
 過去と現在が交互に入り混じる構成だが、見ていて混乱することはない。エピソードと時間軸の交通整理がきちんとされており、結構なボリュームの原作をコンパクトにまとめている。あの原作を2時間以内に収める手腕は見事。映画単体としてはいいアレンジだったと思う。出来栄えが突出してよかった映画1作目と同等の緊張感を感じた。
 本作で表出するある人たちの思想は、ちょっと表現を変えるとあっさり受け入れられそうな所が怖い。自分たちが優れている、勝ち抜いた側だという思想って中毒性のある気持ち良さなんだろうな・・・。アサドが捜査陣の一員である意味がこれまでの作品の中で最も強い。
 過去と現在を行き来する構成によって、ある人の怒り、そしてたどり着いた境地がより深く余韻を残す。犯行の「どうやって」という部分にはあまり言及されないが(殺人としてはちょっと出来すぎだ)、「なぜ」の部分はひしひしと伝わってくる。自分の人間としての尊厳が侵されることへの怒りがそこにあるのだ。それを受けてのカールの行動もちょっと頷ける。
 最後、カールとアサドの関係が更に一歩前身しており、おおようやく!と微笑ましくなる。カールは相変わらず偏屈なのだが、アサドもローサもそんな彼のことを一貫して(時に腹を立てつつ)心配しており、こちらも微笑ましい。カールは偏屈だけど、アサドやローサの仕事能力に対してはフェアなのだ。

特捜部Q―カルテ番号64―(上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ユッシ エーズラ・オールスン
早川書房
2014-12-05


特捜部Q ~キジ殺し~ [DVD]
ニコライ・リー・コス
アメイジングD.C.
2016-08-03





『赤い衝動』

サンドラ・ブラウン著、林啓江訳
 25年前に起きたビル爆破事件。惨状の中救出に奔走し一躍英雄となったものの、3年前に隠遁生活に入っていた“少佐”への取材に成功したTV局リポーターのケーラ。インタビューは評判になったものの、お礼をしに訪問した少佐の自宅で何者かに襲われる。何とか脱出したものの、少佐は重傷で意識不明。少佐の息子ジョンはケーラを拉致するようにして保護する。ケーラにもジョンにも、狙われかねないある事情があった。
 本作、いわゆるロマンティック・サスペンスなのだが「スーパーチャージド・セクシャル・サスペンス」と銘打った出版社側のやってやるぜ感がすごい。ただ本作、どちらかというとサスペンス部分の方がスピーディーでどんどん転がしていく展開なので、ロマンスが取って付けたように感じられた。いちゃついている暇があったら早く真相を究明してよ!という気分になってしまう。私がケーラにもジョンにも全く魅力を感じなかったのもロマンスを楽しめなかった一因だろう。特にジョンのかっとしやすさや独りよがりな行動(多少強引なのがステキという向きもあろうが)にはイライラしっぱなし。彼のある人物に対する接し方は、長年この調子だったんじゃ大分相手は殺意が溜まっているだろうなというものなのだが、本人全く自覚がなさそう・・・。
 ロマンス部分よりもむしろジョンと父親とのわだかまりやすれ違いに、人間ドラマとしての読み所がある。こういう拗れ方をしている父息子っているよなぁと思わせるものなのだ。愛はあるのだが、お互いにその発揮の仕方がミスマッチでしんどそう。

赤い衝動 (集英社文庫)
サンドラ・ブラウン
集英社
2018-12-18


さまよう記憶 (集英社文庫)
サンドラ ブラウン
集英社
2015-12-17


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