第19回東京フィルメックスで鑑賞。本年度のヴェネチア映画祭ワールドプレミアを飾った作品。12人の人々の顔が、それぞれが生きてきた時間を現していく。監督はツァイ・ミンリャン。坂本龍一が音楽を手掛けた。
人の顔を長回しで取り続けるのは、撮る側も撮られる側も見る側も結構な気力がいると思う。ツァイ・ミンリャン監督は『郊遊 ピクニック』でもえらい長回しで主演俳優リー・カンションの顔を撮影していたが、被写体はもちろん、見ている観客の側ももう間が持たないというか、段々居心地の悪さを感じてくる。それを見越したうえでの長回しではあるのだろうが、この執念はどこから生まれてい来るのかと不思議だ。
本作では(おそらく)市井の人たち、中高年の男女12人の顔をアップで撮影し続けている。被写体の全身像が全く出てこない。カメラを向け続けられて1人目の女性は思わず笑ってしまうのだが、何も話さないままの人も、居眠りしそうな人もいる。はたまた、舌の運動を始める人もいて、リアクションが結構人それぞれだ。ずっとカメラを向けているというのは、ある種の暴力的な行為でもある。撮る側、撮られる側、お互いにある程度の信頼関係がないと(映画を見る側としても)耐えられないのではないか。本作ではその信頼関係があるんだろうなと思う。作品そのものと言うよりも、これを撮影できる関係・環境にどのように持っていったのかなという過程に興味が出てきた。
カメラを向けられた人たちは、自分の人生について時に流暢に、時にとつとつと語る。いかにもエネルギッシュな女性が2人(別々に)登場するのだが、2人ともいかに若い頃から寝る間も惜しんで働いたかという話をしており、世の中の人はこんなに働くのか・・・とちょっと辛い気持ちに。男性たちが意外と仕事の話をしていない(そういう話が出てもカットしたのかもしれないけど)のと対称的だった。
なお、ラストの長回しはある空間のみを延々と撮る。場所の記憶を刻み込むようで、監督の『楽日』をちょっと思い出した。