3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2018年10月

『きみの鳥はうたえる』

佐藤泰志著
 郊外の書店で働く「僕」は友人・澄夫と同居している。同僚の佐知子と「僕」が付き合うようになり、澄夫を交えて3人で夜通し遊び、飲み歩く日々はいつまでも続くように思えた。
 書き出しがすごくいい。ある時期の夏の感覚にぴったりとはまる。映画化作品(三宅唱監督)を見てから読んだが、映画はラストを大きく改変していたことがわかった。私は映画のラストの方が好きなのだが、原作小説(本作)の方が若者たちの切羽詰った感じや真摯さ故にぎりぎりのところまで行ってしまう余裕のなさは強く、より不器用な人たちの姿として描かれているように思う。時代背景の不自由さみたいなものを感じた。現代の方が自由というよりも、現代の方が
 「僕」と佐和子、澄夫の関係はいわゆる三角関係ということになるのだろうが、あまりそういう感じはしない。一つの「仲間」(というほど熱気はないしベタベタしていないが)としての配慮でお互いバランスを取っており、そこはかとない愛はあるが恋情はあまり感じないのだ。彼らはふらふらしているように見えるが、すごく真面目。真面目故にこのラストに辿りついてしまったようにも思う。

きみの鳥はうたえる (河出文庫)
佐藤 泰志
河出書房新社
2011-05-07


移動動物園 (小学館文庫)
佐藤 泰志
小学館
2011-04-06




『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』

ケン・リュウ編、中原尚哉他訳
 巨大都市・北京は貧富の差により三層に分割されている。24時間ごとに世界が回転・交替し、建物は空間に折りたたまれるのだ。各層間の行き来は厳しく規制されているが、第三スペースに暮らす労働者・老刀(ラオ・ダオ)は第二スペースから第一スペースへ密かに届け物をするという仕事を請け負う。郝景芳による表題作を含む、7人の作家による13作品を収録したアンソロジー。ケン・リュウが選出・英訳した。
 中国SF、幅広いし奥深いな!俄然興味がわいてきました。収録されている作家のうち6人が1980年代生まれという若さなのだが、巻末に収録されたエッセイを読むと、「中国の」という独自性に囚われない若いSF読者・作家層が育ってきたことで一気にSFの土壌が豊かになった様子。収録作はハードSFから幻想譚寄りのものまで、バラエティに富んでいる。収録作は社会階層が固定化されたディストピアものとしての息苦しさを感じさせつつ、「折りたたみ都市」という奇想が鮮やか。同じディストピアものでも、オーウェル『1984』へのオマージュである馬伯庸『沈黙都市』はもっと救いがない。異界ファンタジー風で美しいが寂寥感漂う夏笳『百鬼夜行街』、一見王道SFかと見せかけ途中からバカミスならぬバカSFか?と思い始めた所、ある人物の血みどろの戦いでもあり、そういう面では中国戦国ドラマ感ある劉慈欣『円』も面白かった。


『イコライザー2』

 日中はタクシー運転手として働いているロバート・マッコール(デンゼル・ワシントン)は元CIAのエージェント。悪人を19秒で抹殺していく「イコライザー」としての裏の顔を持つ。ある日、CIA時代の元上官で親友のスーザン・プラマー(メリッサ・レオ)が何者かに殺される。マッコールは独自に捜査を始め、スーザンが追っていた任務の真相に迫るが、自身も何者かに襲われる。監督はアントワン・フークア。
 前作との直接的なつながりはないので、いきなり本作を見ても問題ないと思う。コンパクトにまとまっていた前作よりもマッコールが関わる事件のエリアは広がり、彼の行動範囲も広がる。前作でのクライマックスはクローズドな空間だったが、今回はオープンな空間で「外気」の存在感も強烈。彼の過去に関わる人物が複数登場し、マッコールと他者の関わりが増えることで、マッコール個人の世界も外に向かって開かれているように思う。その為、前作のような匿名性の高いヒーローとしての側面は薄れる。
 マッコールは自分に悪人を罰すること、正しいことをすることを課しているのだが、その正しさは彼の主観によるものだ。そういう意味では自分たちの都合で他人を殺す敵と同じ、というと言い過ぎだが何が違うのかという気もしてくる。マッコールは常に弱い者、不運なものの味方であり、無敵の仕置き人で、他の登場人物よりも上位で世界を俯瞰できる神のような存在(何しろ万能すぎる)なので、匿名性が高いキャラクターである方が納得がいく(彼の行動の倫理的根拠にもやもやしない)と思う。本作では一人の人間としてのマッコールという方向にキャラクターの見せ方の舵を切っているので、そこに違和感を感じる人もいるかもしれないが、これはこれで悪くはない。マッコールの正義は自分の中で完結しすぎている為に少々クレイジーに見えるのだが、彼の頑なさや正しいことをしなければならないという強迫観念めいて見えるものの根っこにあるものが垣間見える。
 マッコールの妻に関する記憶が語られるが、彼女についてだけではなく、死者を思い返すシーンがどれも良い(洋服にまつわるエピソードが2回あるがどちらもぐっときた)。マッコールの人生において彼女らがどのような存在だったのかよくわかる。また、マッコールが運転するタクシーの乗客たちの描写がどれも印象に残った。彼/彼女らのその後の人生はどんなだろうと気になる。特に「乗車した場所に戻って」と告げる男性のその後が知りたくなった。

イコライザー [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
デンゼル・ワシントン
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2015-12-25


必殺仕事人2018 DVD
東山紀之
PONY CANNYON Inc(JDS) = DVD =
2018-06-20


『ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪』

 ニューヨークの富豪、グッゲンハイム家に生まれたペギー・グッゲンハイムは、伝統を重んじる社交界から逃れるため、20代でパリに単身渡、シュルレアリスムや抽象絵画と出会う。自由な芸術の世界で羽を伸ばしたペギーは、芸術家たちを支援し、画商としてギャラリーを開設。世界的な現代美術のコレクターとして、著名なパトロネスとして成長していく。彼女の肉声を含む、様々なインタビューから構成されたドキュメンタリー。
 新たに発見された本人へのインタビューと関係各所へのインタビュー、当時の映像等からペギーの人生を辿っていくという、オーソドックスな作りのドキュメンタリー。ペギーが支援していた芸術家たちがビッグネーム揃いで圧巻だ。ピカソ、ダリ、ブランクーシ、ポロック、ジャコメッティ、そして彼女と結婚もしたエルンスト。芸術家たちの映像も多数使われており、この人もこの人もこの人もか!と唸る。なぜかロバート・デ・ニーロも出演しているので注目だ。
 ペギーはグッゲンハイム一族としてはさほど裕福ではなかったそうだが、それでも世間一般からしたら富豪だ。そして、その富の使い方を間違わなかった。ペギーがパリに渡った当時、シュルレアリスムはまだ価値を認められていなかった。そこにいち早く着目し、その後も美術史の最先端で芸術界をリードし続けた。彼女の眼力と作品を扱う商才はずば抜けていたのだろう。そこに経済力がプラスされて、歴史に残るコレクターとなり、その集大成がベネチアのグッゲンハイム美術館なわけだ。芸術、特に新しい芸術には良きパトロンが必須だと痛感させてくれる作品だった。
 ちょっと驚いたのは、ペギーは元々美術に興味があったわけではないということだ。パリの芸術家たちの自由な世界と肌が合い、その中に親しむうちに素養が蓄積されていったということらしい。ペギーは10代の頃から当時の女性としては大分風変りだったそうだ。当時の上流階級の女性にとって身を立てる道と言ったら、社交界の花になり他の名家の子息と結婚するくらいしかなかっただろう。そんな習わしに対する反発から書店で働いていたというから、当時としては相当型破りだ(グッゲンハイム家レベルの名家の娘が町で働いていたら恥さらし呼ばわりされるだろう)。
 いわゆる美人ではないが非常に魅力のある人だったそうで、芸術家たちとのスキャンダルが絶えなかったし、本人も特にそれを隠そうとはしていなかった。後に自伝で寝た相手をほぼ全員実名公開してしまったそうで、大変バッシングを受けたが、本人あまり気にしていなかったというのも面白かった。他人がどう見るかより自分がどうしたいのかだ、と行動する一方、コレクターとしての自分に対する評価には敏感だった。承認欲求が強く、パトロネス、コレクターとしての活動はそれを埋める為のものだったのではと話す関係者もいた。もし彼女が現代に生きていたら、美術分野にはいかなかったのではないかとも思う。商才のある人だったそうなので、ビジネスの世界でぶいぶい言わせていたかもしれない。当時は女性、特に上流階級の女性がビジネスの場で活躍する機会はあまりなかっただろう。そう思うと、彼女のコレクションは後世にとっては大きな遺産だが、ちょっと複雑な気分にもなる。
 諸々について気にする所と気にしない所のちぐはぐさが面白い人だったのではないか。自宅で振舞われるランチがとにかく不味いというのには笑ってしまった。ケチだと言う人もいたが、食に対する興味が極端に低かったらしい(あれだけのコレクションを作ってケチということは有り得ないだろう)。

ペギー―現代美術に恋した“気まぐれ令嬢”
ジャクリーン・ボグラド ウェルド
文藝春秋
1991-01




『パーフェクトワールド 君といる奇跡』

 インテリアデザイン会社に就職した川奈つぐみ(杉咲花)は、取引先との飲み会で高校時代の先輩で初恋相手の鮎川樹(岩田剛典)と再会する。建築士として働く樹は、交通事故で脊髄損傷し、車椅子で生活するようになっていた。つぐみは樹と仕事をするうちに再び彼への想いが強まり、側で支えたいと思う様になる。樹もまっすぐなつぐみに惹かれていくが、自分は彼女の重荷にしかならないのではと悩む。監督は芝山健次。
 杉咲も岩田も悪くはないのだが、杉咲のルックスがかなり幼い(正直、オフィスカジュアルよりも高校の制服の方が様になっていた)ので、2ショットがどうかすると犯罪っぽく見えてしまう・・・。誰のせいでもないが、見ていてちょっときまり悪くて困った。子供っぽかった女の子が段々とタフさを見せていくという意外性みたいなものがでていればいいのだが、つぐみの成長は描いているものの、そこまでには至らなかったように思う。
 基本的にいい人、まともな人しか出てこないので、不快感はない。2人の障害となる人物としてつぐみの両親(特に父親)が挙げられるだろうが、父親は自分が理不尽なことを言っているという自覚はあるし、その上で娘には少しでもハードルの低い人生を送ってほしいという切実さは伝わるので、不快ということはなかったし、悪者にもしていない。樹の母親が「誰かに迷惑をかけても子供には幸せになってほしい」と吐露する言葉と対になって、親の視点として提示されているのは良かった。
 状況、心情の殆どをつぐみのセリフとモノローグで説明してくれる親切設計で、それ言わないとだめ?と思う所は多々ある。決して流暢な作りの映画というわけではないのだが、真面目に作っており、車椅子で生活することについてきちんとリサーチをしているのはよくわかる。
 車椅子で生活する人の動作、具体的にどういう困難さがあるのかという部分、また周囲からどんなことを言われがちなのか、それについて当人はどう感じるのか、ちゃんと見せようとしていると思う。また、当人の親や恋人等親しい人たちの心情や、障害によって関係がどのように変わりうるのかという所も言及しており、見せ方が一方通行にならないような配慮が見られた。母親に「実家に帰ってきた方がいいんじゃない?」「仕事は地元でもできるでしょ」と言われるのは、親心故とわかっていても結構きついんじゃないかなと思わされた。
 つぐみが最後に口にする「夢の中の先輩は~」というセリフ、樹が前に口にした自分の夢の話と対になっているが、2人が「そういうもの」として自分たちのあり方を受け入れたことがわかり、ちょっといいと思う。


AIKI [DVD]
加藤晴彦
バップ
2003-06-25


『コーヒーが冷めないうちに』

 喫茶店フニクリフニクラには、不思議な噂があった。ある席に座ると望んだ時間に戻れるというのだ。その不思議な現象は、店員の時田数(有村架純)がいれたコーヒーにより起こる。しかしいくつかのルールがあり、それを守らないと元の時間に戻れないのだ。店には様々な事情を抱えた人たちが訪れる。原作は川口俊和の同名小説。監督は塚原あや子。
 116分の作品だが、構成は映画よりも連続ドラマ向き。連作短編集的な構造で、30分×4回くらいの気軽に見られるTVドラマだとちょうどいい感じの話だった。個々の客の事情を順番にフォーカスしつつ、数が長年抱えるわだかまりにフォーカスしていくという構成なのだが、映画としては長すぎでメリハリに欠ける。ビジュアルもTVドラマっぽく平坦な印象で映画としては安っぽい(特に店内セットがテーマパーク内の飲食店みたい)。また結構いい役者が出ているのになぜか全員普段より下手に見え、よっぽど製作期間が短かったのかと思ってしまう。TVドラマとして見たら、多分そんなに悪い印象にならないので、メディアを間違ったなぁとしか・・・。
 特に気になったのは、導入部分の不恰好さだ。タイムスリップの「ルール」については本編中でも説明されるので、冒頭でわざわざ字幕にする必要はなかったのでは。また1つ目のエピソードが、それ過去に戻らないと言えないこと?って感じ(作中でも突っ込まれるくらいだし)でちょっと嫌になってしまった。タイムスリップする客を演じた波瑠が丸損した感じなっちゃっている。ただ、ドラマは徐々に持ち直す。特に松重豊と薬師丸ひろ子が演じるエピソードは時間が積み重なることの豊かさと残酷さ両方を見せており悪くない。



『検察側の罪人』

 金貸しをしていた夫婦が殺され、東京地検刑事部の検事・最上(木村拓哉)と新人検事の沖野(二宮和也)が事件を手掛けることになった。既に時効となった少女殺人事件の容疑者だった松倉(酒向芳)に疑いがかかるが決め手がない。沖のは徐々に、最上が松倉を真犯人に仕立てようとしているのではと疑い始める。原作は雫井脩介の同名小説。監督は原田眞人。
 映画のビジュアルや演出も、役者の演技も妙にくどい。二宮はしばしば見せる句点の置き方が不思議なせりふ回しが強化されており、木村はやたらと演技がかっている。最上に協力する闇ブローカー諏訪部(松重豊)は立ち居振る舞いが漫画みたいなデフォルメ度だし、容疑者・松倉は色々と奇矯すぎる。前景にいる登場人物はくっきりすぎるほど濃く、くどく、背景の登場人物は色が薄くナチュラルという描き分けがされているように思った。あえてのくどさなのだろうが、少々上滑りしているように思った。最上の新人研修教官としての立ち居振る舞いや、友人と同じ誕生日の有名人の名前を挙げていくシーンは、やり過ぎ感極まって、見ていて笑いそうになる。まあそのくどさも本作の持ち味だろう。
 本作、前半は割と普通のミステリ映画だと思うのだが、後半、最上が独自に動き始めるにつれて、どんどん奇妙なねじれを見せていく。後半の最上の行動は穴だらけでミステリ要素はどんどん薄まる。更に、最上の祖父は太平洋戦争中のインパール作戦の生き残りで、諏訪部はその手記に興味を持っている設定なのだが、このインパール作戦の記憶が他の部分とそぐわず浮いている。おそらく原作にはなかった要素だと思う。最上の親友・丹野(平岳大)が巻き込まれたスキャンダルの背後にあるもの、そして最上自身もその最中にいる組織、システムの病巣と根を同じくするものとして取り入れられているのだろうが、無理矢理感が強い。監督の熱意はわかるが、この作品でそれをやる必要があったのかは疑問。そしてラストショットがダサすぎて震えた。叫ぶやつ、もうやめませんか・・・。

検察側の罪人 上 (文春文庫)
雫井 脩介
文藝春秋
2017-02-10


検察側の証人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2004-05-14


『ジョイランド』

スティーブン・キング著、土屋晃訳
 1973年の夏休み。大学生の「ぼく」はガールフレンドとの距離を縮められないことに悩みながらも、遊園地「ジョイランド」でアルバイトを始めた。頼れる先輩や友人もでき、多忙ながらも楽しく充実した毎日だったが、下宿の女将から聞いた過去の殺人事件の話が気にかかっていた。4年前、遊園地内の幽霊屋敷で喉を裂かれて殺された女の子がいたという。友人に頼んで調べた所、似たような事件がいくつも起きていたことがわかる。
 キング作品には苦手意識があったのだが、本作は面白かった!ホラー要素が薄く(幽霊は出てくるが人を怖がらせる為ではない)どちらかというとミステリ小説としての側面の方が強い。犯人特定への道筋も一応理論的なもの(とは言えミステリとしては大味で、なぜそれまでだれも気付かなかった?!って気はするのだが・・・)。何よりジョイランドの情景や仕事内容の描写が生き生きとしており、青春物語としての瑞々しさがある。遊園地の支配人や占い師、下宿の女将など、サブキャラクターの造形がしっかりとしているのも魅力だった。ただ、「ぼく」が初恋相手のガールフレンドとの関係をずっと引きずっているのには辟易とした。「ぼく」は彼女とセックスできないことに焦れ、彼女の心が離れていくことに深く傷つく。でも彼女の方からしたら、「ぼく」は大分鬱陶しいのでは・・・。そして得られなかったセックスに対する埋め合わせみたいな展開が後半にあるが、それもちょっとなー。ちょっと夢見させすぎではないですかと・・・。

ジョイランド (文春文庫)
スティーヴン キング
文藝春秋
2016-07-08


女と男の観覧車 [Blu-ray]
ケイト・ウィンスレット
バップ
2018-12-19


『劇場版 夏目友人帳 うつせみに結ぶ』

幼い頃から、他の人の目には見えない妖を見ることができた夏目貴志(神谷浩史)は、亡き祖母レイコが妖怪たちから名前を集めた「友人帳」を受け継ぎ、名前を返してほしいとやってくる妖怪にはその名を返していた。強い妖力の持ち主だったレイコは、妖怪と勝負をして負かした相手に契約書を書かせていたのだ。ある日夏目は10代の頃の祖母を知る津村容莉枝(島本須美)とその息子・椋雄(高良健吾)と知り合う。2人が住む町で妖怪の気配を感じた夏目は、自称用心棒の妖怪・ニャンコ先生(井上和彦)と調べに向かう。緑川ゆきの同名漫画をアニメ化したTVシリーズ作品の、オリジナル劇場版。総監督はTVシリーズ監督を務めた大森貴弘、監督は伊藤秀樹。
104分の劇場用作品だが、中身はいたって通常営業。妙な気負いや派手なイベントはなく、このシリーズらしい地味ながら丁寧なストーリーテリングと美術を見せている。シリーズのファンの期待はまず裏切らないのではと思う。下手に特別なことをやろうとせずに、きちんとウェルメイドに仕上げている。
本シリーズ、季節感の演出に毎回味わいがあってとても良い。舞台は田園風景広がる結構な田舎(モデルは熊本らしい)だが、本作では盛夏~秋の気配が感じられる頃までを描く。緑の濃さの変化や日差しの強さが、だんだん秋らしくなる様が気持ち良かった。随所で挿入される虫や鳥のショットもアクセントになっていて良い。
さすらい続け人の記憶に留まれない妖怪の寂しさが、人間の世界では異端視され一か所に留まれなかったレイコが感じていたかもしれない寂しさと呼応する。それは、かつての夏目が感じており、めぐりあわせによっては今も感じ続けることになったかもしれないものだ。本シリーズ、心温まるエピソードであってもいつもどこか寂しい。人間と妖怪は交流することはあっても、本質的に別の時間、別の理論で生きているのだと折に触れて感じさせるからだ。とは言え、常に何も残らないというわけではない。ささやかながら、異質なものと、あるいは異質なものとして生きることの希望が込められているように思う。


夏目友人帳 Blu-ray Disc BOX
神谷浩史
アニプレックス
2011-06-22


『パパはわるものチャンピオン』

 10年前は人気レスラーとして絶頂期にあった大村孝志(棚橋弘至)は、怪我の影響で第一線に戻れず、現在は悪役覆面レスラー・ゴキブリマスクとしてリングに上がっていた。息子の祥太(寺田心)は父親の仕事を知らず、「大きくなったら教える」と両親から伝えられていた。しかしひょんなことから、ゴキブリマスクが孝志だと知ってしまう。祥太は恥ずかしさから、クラスメイトに父親は人気レスラーだと嘘をつくが。原作は板橋雅弘・吉田尚令の絵本。監督は藤村亨平。
 私はプロレス門外漢なのだが、奇をてらわず実直に作られた作品で、ベタはベタなのだが思いのほか楽しめた。作中のプロレスラーは本職のレスラーの人たちが演じているので、プロレス場面は(素人目には)説得力がある。棚橋アイドル映画とも言えるのだが、孝志の妻・詩織役の木村佳乃を始めとする脇役の手堅さ、寺田心の子役としての鉄板演技も作品を支えている。棚橋も意外と好演。演技が上手いというわけではないが、やはり見られる職業の人、スターとして第一線で活躍してきた人はカメラの前でのハマり方が違うのだろう。様になっている。また、ゴキブリマスクの相方であるギンバエマスクこと寄田を演じた田口隆祐は、俳優業でもいけるのでは?という存在感があった。
 本作の良い所は、孝志の「わるもの」=ヒールという職業を否定しないところだろう。ヒールがいてこそのプロレスで、ヒールにはヒールの矜持がある。だからこそ、マスクを取った弘志に対して寄田は怒る。寄田は根っからのヒールで自分の仕事にプライドを持っているのだ。孝志がヒーローに転向して復活すればめでたしめでたし、というわけではないと断言している所がよかった。
 

お父さんのバックドロップ [DVD]
宇梶剛士
アミューズソフトエンタテインメント
2005-04-22



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