3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2018年08月

『インクレディブル・ファミリー』

 特殊能力を持ち、密かにスーパーヒーローとして悪と戦うバー一家。しかしある出来事をきっかけにヘレン(ホリー・ハンター/黒木瞳)がイラスティガールとして1人でヒーロー活動をすることになった。家事・育児を任されたボブ(クレイグ・T・ネルソン/三浦友和)は悪戦苦闘・疲労困憊。そんな中、謎の敵スクリーンスレイヴァーが現れる。監督はブラッド・バード。
 Mr.インクレディブルことボブは、本当にヒーロー活動が好きなんだなーと良くも悪くもしみじみ思った。今回、ヒーローとしての活躍はイラスティガールがメイン、しかもイラスティガールの方がスマートな振舞で頭も切れる様を見せているので、彼女の活躍をTVで見るだけのボブはいてもたってもいられない。嫉妬する様には心が狭い!器が小さい!となじりたくなるが、生きがいを棚上げされているって辛いよな・・・。ただ、そのあたりの葛藤はわりとさらっと流されている。その葛藤、ヘレンがずっと感じてきたことかもしれないよ?ということにはボブは気付いていないのかもしれない。
 ヘレンも本当はヒーロー稼業を愛しており、存分に活躍したいのだということは、エヴリンとのやりとりでも明らかだし、だからこそ夫・兄そっちのけの彼女との協力体制で満たされるのだろう。今回、ヘレンがすごく生き生きとしているのだ。
 本作、美術、音楽が素晴らしい。60年代あたりをイメージしたデザインなのだろうが、ミッドセンチュリー風のインテリアがしゃれている。豪邸の「あの頃イメージした未来的住宅」といった趣もちょっと笑っちゃうくらい楽しかった。またサウンドトラックの「あの頃」感のブレなさに唸った。あの当時のスパイ映画、サスペンス映画、アクション映画のサントラってこんな感じじゃなかった?!というもの。特にエンドロールで流れる各ヒーローのテーマ曲が楽しい。フロンゾのテーマなんて、あのキャラクターであの時代感だったら、そりゃあこうくるよな!という感じ。


『八月の光』

ウィリアム・フォークナー著、黒原敏行訳
 お腹の子供の父親を追って旅するリーナ、当所もなくさまようクリスマス、支離滅裂な言動により辞職を求められた牧師ハイタワー、リーナに一目惚れし彼女を気に掛けるバイロン。アメリカ南部の町ジェファーソンに辿りついた人々の運命は、ある事件へと集約されていく。
 難解だと定評のあるフォークナーだが、この度新訳がリリースされたので思い切って読んでみた。こまめに付けられた注釈が、読み進める為の補助線になっている。本作、時間の流れ、時制の切り替えが曖昧でかなりわかりにくいので、そこを指摘してもらえるだけでも大分楽。これから読む人には迷わず光文社古典新訳文庫をお勧めする。
 黒人の血が流れていると噂されるクリスマスは、その噂を否定することなくむしろ自ら噂を広めるかのような振舞をする。当時のアメリカ南部でそれをやることは、自らの死に繋がりかねない。クリスマスが噂を否定しないのは、自分の出生に誇りをもっているというわけではなく、緩慢な自殺のように見える。一方で、黒人の血が流れていることを一つのスティグマのように捉え、武器として使っているようにも思える。クリスマスという名はキリストとの関連を示唆するが、彼は何かを救う為に犠牲になるわけではない。スケープゴード的な立ち位置ではあるが、それにより何かがなされるわけではないのだ。彼のアイデンティティは大分屈折しており、特に女性に対してその屈折が如実に現れる。
 女性との関係で言うと、ハイタワーは妻に実質逃げられているし、バイロンは童貞。女性への憎悪や軽蔑、偏見(本作が書かれた当時はそれが「普通」ってことだったんだろうけど)がちょっとしたところに滲んでいるのでなかなか鬱陶しい。クリスマスやハイタワーの造形と比べると、リーナの造形はテンプレの「母」「女」的で陰影がない。
 クリスマスとハイタワー、屈折した2人の生い立ちを序盤と終盤に配置すること、そしてリーナの旅が冒頭と終盤に配置されたことで、円環構造のような趣を見せる。シチュエーションとしては旅立ちだが、果たして旅立てているのだろうかと不安になる。また本作、南北戦争の禍根がハイタワーの生い立ちとそこから生まれる妄想等に見え隠れしているのだが、終盤に登場する若者たちには現代に通じるものを感じぞわぞわした。物事をあまりに単純に見ており、独善的。いつの時代もこういう人たちがいたのか。


八月の光 (光文社古典新訳文庫)
ウィリアム フォークナー
光文社
2018-05-09


『叫びとささやき』

 ベルイマン生誕100年映画祭にて。19世紀末のスウェーデン。大邸宅で生まれ育った三姉妹のうち、病身の二女アグネス(ハリエット・アンデルセン)は召使のアンナ(カリ・シルヴォン)と屋敷に留まっていた。結婚した長女カーリン(イングリッド・チューリン)と三女マリア(リヴ・ウルマン)はそれぞれ自分の家庭を持っているが、折に触れて実家に帰省する。カーリンと夫の仲は冷め切っており、マリアはアグネスの主治医と愛人関係にあった。そしてアグネスの死期は近づきつつある。監督はイングマール・ベルイマン。1973年の作品。
 登場人物の顔のアップを挟んでエピソードが切り替わる。これは誰のパートであるか大変わかりやすいのだが、人の顔のアップをじっと見るのって結構ストレかかるんだな・・・。パート切り替え部分以外でも顔のアップが多く、特に不穏な雰囲気が漂ってくる緊迫したシーンで多用されるので、見ているとかなり疲れた。赤を基調とした美術は美しく華やかなのだが、あまりに赤の主張が強くてこれもまた緊張感を強いられる。見ている側を安心させない設計になっているのだ。
 病気を患うアグネスの苦しみは具体的な「叫び」として表れる。しかしカーリンとマリアもまた、それぞれの「叫び」を抱えている。2人とも違った形で愛、生きがいを求めているが満たされない。特に、カーリンの内圧の強さは痛々しいくらい。官能的な描写も多く、特にマリアは官能のおばけのような造形なのだが、それと苦しみが抱き合わせになっている。
 冷徹に振舞うカーリンにマリアは「仲良くなりたい」と訴え、その願いはかなったかのように見える。が、その後の展開が非常に残酷だった。カーリンにとっての「仲良くする」とマリアのそれとは深度が異なる。生真面目なカーリンと「空気読む」タイプのマリアの違いが如実に出ておりまあ切ないの何のって・・・。カーリンが今までいかに孤独だったかがむき出しになるシーンでもあり、痛切だ。3姉妹もその夫も、一見円満だがお互いを理解しているわけでも深く愛しているわけでもない。お互いに他人であることがどんどんむき出しになっていく。精神的に深いつながりを持っているのはアグネスと召使のアンナだけなのだ。


ワーニャ伯父さん/三人姉妹 (光文社古典新訳文庫)
アントン・パーヴロヴィチ チェーホフ
光文社
2009-07-09


『あなたを愛してから』

デニス・ルヘイン著、加賀山卓朗訳
 実父を知らず、父親に関する質問を一切受け付けない辛辣な母親に育てられたレイチェル。母の死後、父親を探し始めるが、手がかりを追ってたどり着いたのは残酷な事実だった。ジャーナリストとして活躍するようになったレイチェルは、ある現場での体験により深く傷つき、結婚生活も仕事も失う。そんな中で真実の愛に巡り合ったと確信するが。
 レイチェルが夫を撃ち殺すという衝撃のプロローグから始まり、彼女の人生と愛の変遷が描かれる。彼女の人生にまとわりつくのは「あなたは誰なのか」という問いであり、「私は誰なのか」という問いでもある。「あなた」はまず父親であり、彼女の前に現れる人たちである。その人たちとの関係が偽りであるなら、その関係の上に成立していた「私」とは一体何者なのか。自分が確信していた愛とは本当に愛と呼べるものだったのか。疑念に突き動かされ止まることができないレイチェルのスピードに読者側も乗っていくようで、一気に読み終えた。ノンストップサスペンスなのに作中時間がかなり長い(レイチェルの人生全般に及んでいるのでそれこそ30年近い)という所も面白い。ルヘインてこういう作品も書くのか!と新鮮だった。題名はヒット曲「Since I Fell for You」からつけられた「Since We Fell」だが、なぜ「We」なのかつかめてくるとより味わい深い。


『ミッション:インポッシブル フォールアウト』

 盗まれた3つのプルトニウムを回収するミッションを命じられたイーサン・ハント(トム・クルーズ)だが、何者かに回収目前で横取りされてしまう。秘密組織シンジケートの関連組織、アポストルが関係しているらしい。手がかりとなるジョン・ラークなる人物を確保しようとするイーサンとIMFだが、CIAはイーサンの目付け役としてエージェントのオーガスト・ウォーカー(ヘンリー・カヴィル)を送り込んできた。監督はクリストファー・マッカリー。
 MIシリーズって、見ているうちに「あれ?これそもそも何が目的のミッションなんだっけ?」と思う瞬間があるのだが、本作はほぼ全編にわたってその思いが頭を離れなかった・・・。前評判の通り、アクションはまあバカみたいにすごくて、トム・クルーズは撮影中に死にたいのかなーと不安になるくらいなのだが、それ以外の部分の印象がおしなべてぼんやりしている。あれ、どういう話だったっけ・・・と思う頻度はシリーズ中一番高かった。アクションシーンとアクションシーンを繋ぐ為に無理矢理ストーリーのパーツをはめ込んでいるような印象。前作『ローグネイション』が大変面白かったので、大分がっかりしてしまった。登場人物の造形や立て方も、前作には及ばなかったように思う。また、ストーリーに行き当たりばったり感が強いので、登場人物が上手く機能していない。新規投入されたオーガストも再登場のイルサも、もっと活かし方があったんじゃないかなという中途半端さだ。イーサンのキャラクターがシリーズ重ねるごとに変化してきているのだが、その変化にストーリー構築が追い付いていない感じもした。行動が唐突過ぎるように思える。
 とは言え、アクションは確かに前評判通りの迫力。予告編でも使われていたヘリコプターのアクションは無茶すぎて笑ってしまうくらい。個人的にはパリでのカーチェイスがとても楽しかった。バイクと乗用車とを使ったカーチェイスだが、車体間隔が非常に狭かったり、音の響かせ方にひねりがあったりとわくわくする。古い町並みが背景というのも味わい深くいい。




『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』

 キューバの老ミュージシャン達のセッションを記録したヴィム・ベンダース監督のドキュメンタリー映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』から19年。現メンバーによる最後のツアーを追った新作ドキュメンタリー。ヴェンダースは製作総指揮に回り、監督はルーシー・ウェーカーが務めた。
 映画の制作・公開は1999年、日本での公開は2000年だから、前作見たのは18年前か・・・。時間が経つのが速すぎて茫然とする。映画は見たし、サウンドトラックも買ったし、この映画がきっかけでライ・クーダーの音楽を知った。彼らの音楽を聴くと懐かしい気分になるが、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ自体はずっと現役で活動を続けているわけで、懐かしいとかそういうものじゃないよな。
 前作に比べると幾分センチメンタルな雰囲気だ。監督が変わったからというのも一因なのかもしれないが、19年間のうちに主要メンバーの多くが亡くなっているというのが大きい。前作の時点で皆さんそこそこ高齢だったので、しょうがないといえばしょうがないのだが、やはり切ない。しかしその一方で、現メンバーの孫が新規加入していたりと、新しい動きもある。世代交代しつつ音楽は受け継がれていくのだ。
 前作ではあまり触れられなかった、個々のメンバーの人生やその時代背景にもスポットが当たる。これまでの彼らの歴史を振り返ると共に、キューバという国の変遷を垣間見た感もある。なにしろ、前作から本作までの間にアメリカとの国交回復してるんだもんなー(オバマ前大統領も登場する)!前作のツアーではアメリカでの公演もあったけど、あれは本当に大変だったんだな・・・。
 ボーカリストであるイブライム・ウェレールの人生が実に心に残った。バックコーラスとしてキャリアを積んだが運に恵まれず無名のままで、ブエナ~から声がかかった当時は靴磨きをして生活費を稼いでいたそうだ。それが70代でまさかの大ブレイク。彼がステージ上にいると場のまとまりがよくなるような、人柄の良さがにじみ出ていた。また同じくボーカリストであるオマーラ・ポルトゥオンドが前作のワールドツアーの際、盛り上がる観客に対し、この曲で踊れるなんて、私の母の苦労等知らないのに・・・と漏らす言葉が印象に残った。聞く側にとって外国語の曲って、歌詞の内容とちぐはぐな盛り上がり方をしてしまいがちかもなぁと。

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ
オマーラ・ポルトゥオンド
ライス・レコード
2008-06-01


『ハンティング(上、下)』

カリン・スローター著、鈴木美朋訳
 郊外の車道で車にはねられたという、意識不明の女性がERに運び込まれた。彼女は裸で体には拘束・拷問された跡があり、肋骨が一本抜き取られていた。ジョージア州捜査局特別捜査官ウィル・トレントは現場に急行し、森の中で地下に掘られた拷問部屋を発見する。部屋の形跡からは、女性はもう1人いたのではないかと思われた。
 ウィル・トレントシリーズ3作目(日本での出版は2作目。実際の順番とちぐはぐでわかりにくいな・・・)。シリーズ前作『砕かれた少女』で初登場した人物が再登場し、えっあの後そんなことになっていなのか!とびっくりしたり心配になったりするところも。事件は相変わらず血なまぐさいのだが、地元警察に足を引っ張られることで話が長くなっている(捜査が進まない)ように思える。特別捜査官てそんなに嫌われるの?アメリカの捜査機関の縄張り意識のニュアンス、いまいちわからないんだよなー。犯人の特定が少々唐突で都合良すぎる気もするが、その唐突な登場は犯人の周到さ、粘着さを表すものでもある。
 なお、ウィルと周囲の女性たちとの関係が相変わらずもたついている。ウィルは自分の生い立ちや識字障害を頑なに隠そうとし、その気持ちはわかるのだが、その部分を整理しないとアンジーとの関係はこう着状態だし他の女性(に限らず他人)との関係が深まることもないんだろうな。

ハンティング 上 (ハーパーBOOKS)
カリン・スローター
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2017-01-25


ハンティング 下 (ハーパーBOOKS)
カリン・スローター
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2017-01-25


『悲しみに、こんにちは』

 母ネウスを病気で亡くしたフリダは、バルセロナからカタルーニャの田舎の家に引っ越し、叔父一家と暮らし始める。叔父夫婦も幼い従妹アナも彼女をやさしく迎えるが、お互いすぐにはなじめずにいた。監督・脚本はカルラ・シモン。
 子供の視点、子供の世界を実によく再現しており、さらに子供の姿を通して彼女の家族に何があったのか、彼女に何が起きたのかをさりげなく提示していく周到さに唸った。フリダがごっこ遊びで「母親」の役をやる時の振る舞いは胸を刺す。これは、フリダも辛いけどネウスも相当辛いよなと。公園で遊んでいた子供の母親の態度はショッキングだが、そういう時代だったのだ(今もとっさに同じような行動をしてしまうかもしれない)。
 子供は大人の世界で何が起きているのか具体的にわかるわけではないが、異変は察知する。大人たちがフリダの処遇を話し合う場に彼女もいるのだが、自分のことが話し合われているのに当の自分には話の内容が説明されない。フリダの所在なさと、大人に対する何をやっているんだこの人たちはみたいなまなざしが際立っていた。また、フリダは母親の死について大人に尋ねないし、自分の気持ちを話すわけでもない。自分の中に疑問や不安が渦巻いていても、それを表現する言葉を彼女はまだ持っていないように見える。彼女は時に大人から見たら不可解な行動をとるが、なぜそういう行動をとったのか説明することはできない。だから大人との関係はもどかしく、時に双方イラついてしまう。
 アナにいじわるをしてしまうのも、祖母のプレゼントに対して駄々をこねるのも、自分の中にあるもやもやを吐き出すためなのかもしれないが、大人にはそれはわからないし、わかったとしても具体的になにか出来るわけではないだろう。フリダが自分でそのもやもやを外に出す回路と方法を見つけていくしかない。彼女は終盤、その回路と方法に辿りつくが、このシーンは特にドラマティックに演出されているわけでもないがはっとさせられる素晴らしいものだった。彼女の中での時間が、ようやく追いついたと実感できるのだ。
 そんなフリダの側に居続ける叔父夫婦も素晴らしい。まだ若く、自分の子供はフリダよりも幼いから育児の経験値豊富というわけでもない。大人は大人で手さぐりをし続けているし必死なのだ。2人の子供に対する(そしておそらく死んだネウスに対する)誠実さと責任感がわかる。べったりとではなく、側に居続けることがフリダにとっての安心感につながり、彼女から感情表現を引き出すのだ。

ポネット [DVD]
ヴィクトワール・ティヴィソル
ワーナー・ホーム・ビデオ
2012-11-07


ミツバチのささやき HDマスター [DVD]
アナ・トレント、イザベル・テリェリア、フェルナンド・フェルナン・ゴメス
IVC,Ltd.(VC)(D)
2015-06-19


『ウインド・リバー』

 ワイオミング州のネイティブ・アメリカンの保留地ウィンド・リバーで、ネイティブアメリカンの少女の死体が見つかった。第一発見者になった野生生物局のハンター、コリー・ランバート(ジェレミー・レナー)は、雪原の中、喀血して死んでいる少女が娘の友人ナタリー(ケルシー・アスビル)だと気付く。現場から5キロ圏内には民家は一つもなく、夜間の気温は約マイナス30度にもなるのにナタリーは薄着でしかも裸足だった。コリーは部族警察長ベン(グラハム・グリーン)と共にFBIを待つが、やってきたのは新米捜査官のジェーン・バナー(エリザベス・オルセン)一人だけだった。コリーは土地に関する知識とハンターとしての能力を活かしてジェーンの捜査に協力する。監督はテイラー・シェリダン。
 荒涼とした土地とどこまでも広がる雪原そして雪山、殺伐かつ閉塞した人間関係、不可解な死体、そしてジェレミー・レナーという私の好きなものがぱんぱんに詰まっている、この夏一番楽しみにしていた作品。期待を裏切らない自分好みさと面白さだった。地味な作品ではあるが、お勧めしたい。早川書房あたりから原作小説が出版されていそうな雰囲気だが、映画オリジナル作品。ハンターとしてのスキルを活かすコリーと、まだ不慣れながら職責を全うしようとすジェーンのバディ感もよかった。
 コリーが「(自分の)感情と闘う」という言葉を口にするが、全編がこの言葉に貫かれているように感じた。コリーにしろその元妻にしろ、一見ごく落ち着いた振る舞い、ごく普通のやりとりをしている。しかし彼らの背景には取り返しのつかない出来事があり、怒りと悲しみ、また自責の念といった感情が彼らをずっと苛み続けていると徐々にわかってくる。その感情が人生を侵食し尽くさないよう、コリーは静かに戦ってきたし、これからも戦い続けるのだろう。殺人事件の捜査はその一環でもあるのだ。終盤、ある写真を見た瞬間のコリーの表情、またナタリーの父親とのやりとりが胸を刺す。ナタリーの父親もまた、自分の感情と戦い続けることになるのだろう。戦う人同士の共感のようなものが、コリーとジェーン、そしてナタリーの間にもあるように思った。
 物語のもう一つの主人公は舞台となる土地そのものとも言える。風土の力のようなものが強烈だった。自然環境が厳しいという意味でも強烈なのだが、人が住むには荒涼としすぎており、そこに対する国からのケアというものが感じられない。土地は広大なのに警察官はわずかで手が行き届かないし、FBIも(吹雪に邪魔されたとはいえ)なかなか来ない。外から来た白人たちは、この土地がそもそもどういう土地だったかなど気にもしない。忘れられた土地、忘れられた人々の世界とも言える。そういう土地だから起きた事件であるという事件の真相は、あまりにやりきれない。


ウィンターズ・ボーン スペシャル・プライス [Blu-ray]
ジェニファー・ローレンス
Happinet(SB)(D)
2014-04-02


『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』

 大島志乃(南沙良)は吃音があり、高校入学早々、周囲と馴染めず苦しんでいた。ある日、同級生の岡崎加代(蒔田彩珠)と校舎裏で出会ったことをきっかけに、親しくなっていく。音楽好きの加代は志乃にバンドを組もうと持ちかける。夏休み中、「特訓」に明け暮れる2人だったが。原作は押見修造の同名漫画。監督は湯浅弘章。
 脚本が『百円の恋』の足立紳だというし、なんだか評判がとてもいいので、自分の守備範囲外の作品かなーと思ったが見てみた。結果、見て本当に良かったが痛々しくひりひりする。私は自分が学校嫌いだったこともあって、学校が舞台の映画を見るといつも苦しくなる。本作の冒頭、志乃が鏡に向かって自己紹介をするくだり、そして新しい学級での自己紹介で吃音が出てしまうくだりはしみじみ辛かった。ああ今回もまたダメだった・・・という無力感にやられそう。自分の居場所がここにはないということを思い知らされるのだ。特に悪意もなく彼女の吃音をネタにする同級生の菊地(萩原利久)には殺意が沸きそうになる。
 志乃は喋るのは苦手だが歌だとすんなりと声が出る。対して加代は音楽好きでギターの練習をしているが、実は音痴。2人が補い合うように音楽を楽しみ、歌う姿はキラキラとして眩しい。本作、舞台はおそらく90年代で(にもかかわらず作中、書店にオンラインゲームを題材にした本が展示してあってちょっとがっかり・・・)、加代がウォークマンを愛用しているのも、部屋にあるCDやポスターも、2人が歌う歌も、懐かしかった。自分が高校時代に聞いていた、カラオケで歌った曲を2人が歌っているというのが何とも言えずぐっとくる。まさかFlamingLipsの名前がこの映画に出てくる(音楽は使われていないが)とは思わなかったが。
 しかしこのキラキラは儚く脆い。加代との世界を大事にする志乃には、菊地が関わってくることが耐えられないのだ。菊地もまた志乃たちとはちょっと違う浮き方をしていて、居場所を見つけようと必死ではあるのだが。3人ともそれぞれ苦しさを抱えているものの、志乃の苦しみは友人である加代にも深くは共有できないものだろうし、母親ですらよくわかっていない。自分から逃げられない、どうあっても自分でしかない、それは友人が出来たり歌ったりしても本質的には変わらないのだというどうしようもなさが、学園祭での志乃の「なんで!」という叫びに込められているように思った。この先一生、このどうしようもなさと付き合っていかなくてはならないというしんどさ。この部分、ちょっとモノローグで処理しすぎなきらいはあったが、「なんで自分なんだ」というやりきれなさはひしひしと伝わる。


cult grass stars
ミッシェル・ガン・エレファント
日本コロムビア
2009-03-18



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