3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2018年07月

『ジュラシック・ワールド 炎の王国』

 崩壊したテーマパーク「ジュラシック・ワールド」のあるイスラ・ヌブラル島では、火山活動が活発化していた。テーマパークの運営者だったクレア・ディアリング(ブライス・ダラス・ハワード)と動物行動学者のオーウェン・グレイディ(クリス・プラット)は生き残った恐竜たちを救出しに向かうが、火山の大噴火が起きる。監督はJ・A・バヨナ。
 ちょっとネタバレっぽくて恐縮だが、邦題サブタイトルの「炎の王国」はなんと前半のみ!しかしバヨナ監督がジュラシックシリーズという素材をいかに自分のフィールドに引きずり込んでいくかという試みにも思えて、なかなか面白かった。前半は今までのジュラシックシリーズを継承した、フィールド上での移動を中心とした恐竜たちとのアクション。そして後半はまさかのゴシックホラー的舞台へと移動する。予告編は後半要素をかなり控えめにしたものなので、いいミスリード。冒頭、海中シーンから始まるというのも意外性があると共にかなり怖くて(何しろ暗いので)わくわくした。
 バヨナ監督といえば『永遠のこどもたち』を撮ったホラー畑出身の人で、特に暗がりの使い方、室内の演出は上手いなという印象がある。何かがそこにいる、という匂わせ方、気配の作り方は本作でもばっちり。かなりわかりやすく怖がらせてくれる。ホラー演出としてはわりとベタというか王道中の王道で、いわゆる「後ろ後ろー!」シチュエーションが最近珍しいくらい多用されている。
後半の舞台装置や展開には、これジュラシックシリーズでやらなくてもよかったのでは?という声もありそうだが、美術のクオリティの高さもあり、恐竜と場所の組み合わせの意外さが個人的には楽しかった。後半は舞台の性質上、中~小型恐竜中心に活躍するのだが、これも楽しい。ブルーのファンは必見だろう。
 これまたホラーの定番らしく子供が登場するのだが、単に怖がり・叫び要員かと思っていたら、結構なキーパーソンだった。なるほどこの世界設定であれば・・・という、シリーズの設定を象徴するような存在なのだが、それ故に基本設定が含む気持ち悪さみたいなものが滲む。恐竜よりも火山噴火の方が恐ろしく、恐竜よりも人間の執着の方が気持ち悪い。

ジュラシック・ワールド[AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
2018-03-27


永遠のこどもたち [DVD]
べレン・ルエダ
ジェネオン・ユニバーサル
2012-05-09


『憂鬱な10か月』

イアン・マキューアン著、村松潔訳
 “わたし”は逆さまになって母親のおなかのなかにいる。美しい母親と詩人の父親は別居中だ。そして母親は父親の弟と浮気をしており、2人で父親を殺そうとしているらしい。
 巻末の解説でも言及されているように、胎児版ハムレットという一風変わった作品。ストーリーの主軸はハムレットのパロディだが、他のシェイクスピア作品からの引用も多々ある。語り手の“わたし”は胎児で外の世界を自分の目で見ているわけではないが、母親と父親や義弟との会話や周囲の物音、体を通して伝わってくる母親の感情から、外の世界のことをある程度知ってはいるし、冷静に周囲を観察している。語りが全く子供っぽくなく、思慮深さと成熟を感じさせる、どうかすると両親や叔父よりも全然大人な考え方をしているところがおかしい。とは言え音や皮膚感覚のみで世界を感知するには限界があり、本人大真面目なのに時々妙な誤解の仕方をしているあたりはユーモラスだ。彼の周囲で起きている事柄はありふれた安いメロドラマでありサスペンスなのだが、胎児の目と、彼のしごく真面目でもったいぶった語り口を通すことで、新鮮かつ陰惨だが滑稽な味わいになっている。

憂鬱な10か月 (新潮クレスト・ブックス)
イアン マキューアン
新潮社
2018-05-31


ハムレット (岩波文庫)
シェイクスピア
岩波書店
2002-01-16


『オールドレンズの神のもとで』

堀江敏幸著
 私の一族の頭には小さな正方形の穴が空いている。一生に一度、激しい頭痛と共に無名の記憶がなだれ込んでくるのだ。祖父の言葉を手がかりに、私は「色」呼ばれる現象に思いを馳せる。18編の小説を収録した短編集。
 これまでの著者の短編小説集とはちょっと色合いが異なる。抑制された語り口はいつも通りだが、幻想的な色合いが濃い。そしてどの短編も、どこか死の匂いがする。特に表題作はその傾向が顕著だ。一度終わった世界、更に縮小し終わりつつある世界を描いているように思えるし、言及されている内容からすると明らかに震災以降の世界と呼応している。失われたものの記憶の受けてが“私”の一族なのかもしれないが、彼らには自分たちが受け取ったものが何を意味するのか正確にはわからない。読者にはその記憶はあの時代のあの場所、あの出来事だと察しが付くのだが、その歴史は儚く失われていく。世界の黄昏を感じさせる、陰影深い作品集。

オールドレンズの神のもとで
堀江 敏幸
文藝春秋
2018-06-11


堀江 敏幸
新潮社
2018-07-28




『正しい日、間違えた日』

映画祭に招かれたものの、予定より1日早く到着してしまった映画監督のハム・チュンス(チョン・ジェヨン)は、観光名所で魅力的な女性ユン・ヒジョン(キム・ミニ)と出会う。チュンスは彼女をお茶に誘い、更にお酒も入っていい雰囲気になるのだが。監督はホン・サンス。
原題の直訳だと「今は正しくあの時は間違い」という意味になるそうなので、邦題とはちょっとニュアンスが異なる。ただ作品を見ると、どちらの題名もちょっとそぐわないかなという気がしてきた。男女の出会いを2通りの展開で描いた作品で、前半でパターンA、後半でパターンBというような2部構成になっている(A、Bという章タイトルは付けられておらず、私が便宜上そう呼んでるだけ)。
 酔った男女のかけひきって、見ていてこんなにいたたまれないものだったっけ?と見ながらむずむずが止まらない。チョンスは明らかにヒジョンに好意があるが、いい年齢の大人の言動とは言い難い。「かわいい」の連呼なんて泥酔した大学生じゃあるまいし・・・。世間の噂によれば、彼はモテて女癖の悪い人らしいので、成功体験からくる言動なんだろうけど、よくこれで口説き成功してきたな!とは言えヒジョンもやぶさかではない感じだし、成功していると言えばしている。
 とはいえこのいい雰囲気は長くは続かない。AパターンでもBパターンでも何かしらに腰を折られ、険悪か険悪でないかという違いはあれど、2人の人生はすれ違っていく。AとBのどちらが正しくてどちらが間違いかなど、結局わからないのだ。どちらも間違いとも言えるし、交わらない運命だとするならどちらも正しい。曖昧さ、どうともならない儚さと滑稽さが余韻を残す。
 それにしても、ホン・サンス監督作に登場する映画監督は、大概クズ味がひどいな・・・。映画監督として評価はされているが、特に女性関係での脇の甘さや失礼さ(でもそこそこモテるところがイラっとする)は自虐ギャグなんだろうか。

ヘウォンの恋愛日記 [DVD]
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紀伊國屋書店
2015-06-27


ターンレフト・ターンライト 特別版 [DVD]
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ワーナー・ホーム・ビデオ
2005-03-04


『バトル・オブ・セクシーズ』

 1973年、女子テニス世界チャンピオンのビリー・ジーン・キング(エマ・ストーン)は女子の優勝賞金が男子の8分の1である等、テニス界の男女格差に異議を唱え、仲間と共にテニス協会を脱会、女子テニス協会を立ち上げる。元男子世界チャンピオンのボビー・リッグス(スティーブ・カレル)は男性優位主義を主張。彼女に挑戦状をたたきつける。監督はバレリ・ファリス&ジョナサン・デイトン。
 ショットのつなぎ方による、ビリー・ジーンとボビーとの対比の強調が印象に残った。2人とも動作としては同じことを(例えばベッドに座る等)しているのだが、置かれている状況・背景は全然違う。お互い試合に挑むわけだが、ビリー・ジーンが背負っているものは自分の人生だけではない。女子テニス界の命運、そしてテニス界のみならず世界中の女性の未来が彼女の肩に乗っているのだ。それを理解してしまった彼女のプレッシャーは大変なものだったろう。ヘルドマン(サラ・シルヴァーマン)が「運命よ」と言うのだが、歴史が動く瞬間の当事者になってしまったのだ。だからこそ、「一人で行くわ」と戦いに挑む彼女の姿には凄みがあるし、試合後、ロッカールームでの彼女の振る舞いが胸に刺さりまくる。
 一方、ボビーにとってこの試合はスポンサー収入の為、ギャンブルの為、そして離れていった妻の心をつなぎとめる為の手段だった。しかし、ビリー・ジーンの本気にあてられるようにボビーの表情が試合中、徐々に変わっていく。プロとして真摯さには真摯さをもって応じなければならず、そこに性別は関係ない。対人関係の基本であるが、これがいかにないがしろにされてきたことか。
 ビリー・ジーンが戦う性差別や偏見は、ボビーのようなあからさまな形ではなく、テニス協会のジャック・クレイマー(ビル・プルマン)のような、一見紳士的な形で現れる。これは未だにそうだろう。冒頭、クラブにビリー・ジーンとヘルドマンが押しかけるシーンでのやりとりが象徴的だ。彼らは社会的な強者で、ボビーのように自ら矢面に立つ必要がない。旧来の社会が彼らを守っているのだ。ビリー・ジーンはそこに切り込み、エンドロール前の字幕でわかるようにその後も切り込み戦い続ける。その勇気と覚悟が現在に繋がっているということに、やはり胸が熱くなる。
 ビリー・ジーンとマリリン(アンドレア・ライズボロー)の恋の高揚感や、それに対して罪悪感を覚えるビリー・ジーンとマリリンとの自由さを巡る会話もいいのだが、ビリー・ジーンの夫ラリー(オースティン・ストウェル)の振る舞いは更に印象深い。彼女にとっての一番は僕でも君でもなくテニスだという言葉には、彼女への深い理解と尊重が込められている。こういう愛はなかなか得難い。

スタンドアップ [DVD]
シャーリーズ・セロン
ワーナー・ホーム・ビデオ
2011-12-21


ウィンブルドン (創元推理文庫)
ラッセル・ブラッドン
東京創元社
2014-10-31


『IQ』

ジョー・イデ著、熊谷千寿訳
 ロサンゼルスに住む青年アイゼイア、通称“IQ”は、持ち込まれる様々なトラブルを解決する探偵。腕は抜群だが報酬は金銭とは限らず、羽振りがいいとは言えない。ある事情で大金が必要になった彼は、腐れ縁のドラッグディーラー・ドットソンの紹介で、大物ラッパーからの依頼を受ける。その内容は、自分の命を狙う殺し屋を突き止めろというものだった。
 語り口が非常に生き生きとしており、かつクール。黒人版シャーロック・ホームズとでも言いたくなるIQの現在の仕事と、なぜ彼がこの仕事をするようになったのかという過去のいきさつが交互に語られるが、そのいきさつがIQの人柄と直結している。彼の倫理観や責任のあり方がいじらしくも凛々しい。目茶目茶努力家で真面目なのだ。その真面目さには彼の兄の影響が大きい。IQにとっての兄がどのような存在だったのかが過去パート全編を使って描かれていると言ってもいいくらい。また、いけすかないジャイアンキャラとして登場するドットソンの意外な側面が見えてくる所も(彼の作る料理は本当においしそう!)面白い。とことん噛み合わないしお互い好感を持っていない(笑)ホームズとワトソン的なノリだ。アメリカでは既に続編が出ているそうだが、ぜひとも日本でも翻訳してほしい!なお表紙のデザインが作品の雰囲気とばっちり合っている。

IQ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジョー イデ
早川書房
2018-06-19


沈黙のセールスマン (ハヤカワ・ミステリ文庫)
マイクル・Z. リューイン
早川書房
1994-05





『誰がスティーヴィ・クライを造ったのか?』

マイクル・ビショップ著、小野田和子訳
アメリカ南部の街に住むスティーヴィ・クライは数年前に夫を亡くし、2人の子供をかかえながらライターとして生計を立てている。ある日タイプライターが故障したので修理に出したところ、戻ってきたタイプライターは勝手に文章を打ち始めた。その内容はスティーヴィの不安や悪夢、そして夫の死の背景を匂わせるものだった。スティーヴィは徐々に現実と虚構の区別がつかなくなっていく。
現実と虚構の区別がつかなくなっていくのはスティーヴィだけではなく、本作の読者もだ。これはスティーヴィの実生活なのか、彼女が書いた文章なのか、はたまたタイプライターが勝手に書いた文章なのか、タイプライターが書いたとスティーヴィが思い込んでいるだけなのか。各レイヤーの区別はあえてつきにくいようになっており、語りの信憑性は揺らぎ続ける。自分の意識を信じられなくなっていく怖さがじわじわ這い上がってくるメタホラー。そしてサル。なんでサル?と思っていたけどタイプライターとサルってそういうことね!


虚構の男 (ドーキー・アーカイヴ)
L.P. デイヴィス
国書刊行会
2016-05-25


『パンク侍、斬られて候』

 超人的剣客の流れ者・掛十之進(綾野剛)は、新興宗教はら振り党の脅威が迫っており、自分はそれを止められると大見得を切り士官を企むが、黒和藩の筆頭家老・内藤(豊川悦司)にそのハッタリを見抜かれる。しかし内藤は掛を起用し、はら振り党の脅威を逆手に取ろうとしていた。原作は町田康の小説、監督は石井岳龍。脚本は宮藤官九郎。
 ぱっと見、派手でキッチュな変格時代劇といった雰囲気だが、何しろ原作が町田康だから一筋縄ではいかない。爽快は爽快かもしれないが何もかも投げ捨てた後の爽快さとでも言えばいいのか。しかし、所々面白いシーンはあるものの、これ原作小説は面白いんだろうなぁ・・・という感想に留まってしまう勿体なさが拭えなかった。
 勿体なさの大半は、本作のテンポの悪さからくるものだと思う。宮藤官九郎は、長編の構成はあまり得意ではないのではないか。約45分×12回前後というフォーマットの、連続ドラマのテンポでの方がポテンシャル発揮していると思う。ナレーションを駆使したメタ演出も裏目に出ているように思った。おそらく原作の文体や、メタ構造を用いた表現をなんとか再現しようとしているのだと思うが、映像作品としてこれが正解なのかというと微妙。ひとつひとつのシークエンスがとにかくダレがちなので、実際の尺よりも体感時間が長く、全編見るのがかなり辛かった。全体を2倍速くらいで見るとちょうどいい気がする。
 綾野の身体能力はやはり素晴らしいのだが、本作のような面白方向に振り切った「超」アクションだと、逆にそのすごさがわかりにくい。この点も勿体なかった。そもそもアクションが出来る俳優を起用しなくても、本作の場合問題ないんだよな・・・。役者としての面白さが発揮されていたのは豊川。えっこの人こんなに面白かったっけ?!と新鮮だった。ぬめっとした色気とどこか気持ち悪いオモシロ感がとても生き生きとしている。本作、概ねテンポが悪いのだが綾野と豊川の掛け合いのシーンだけはやたらとキレが良かった。


生きてるものはいないのか [DVD]
染谷将太
アミューズソフトエンタテインメント
2012-09-21


『女と男の観覧車』

 1950年代のコニーアイランド。遊園地内のレストランで働くジニー(ケイト・ウィンスレット)は回転木馬操縦係の夫ハンプティ(ジュム・ベルーシ)に隠れ、海水浴場の監視員ミッキー(ジャスティン・ティンバーレイク)と浮気をしていた。そんな折、マフィアと駆け落ちし音信不通だった、ハンプティと前妻の間の娘キャロライナ(ジュノー・テンプル)が現れる。キャロライナは組織の情報を警察に漏らした為、マフィアに命を狙われていた。監督はウディ・アレン。
 観覧車に乗るシーンはないが、ジニーとハンプティの住家からは観覧車が良く見える。この住家、元々は遊園地内の施設だった部屋をハンプティが改装したもので、遊園地が良く見渡せるし、夕方はネオンサインが差し込み、室内の雰囲気がその都度変わっていく。この部屋の美術と室内での撮影が非常に良く、おり、室内に差し込む光の変化が登場人物の変化とリンクしていく。外の光が変わることで、一気に場がしらける、魔法が解けてしまう瞬間が残酷だった。
 こてこてのメロドラマかつ男と女のすったもんだで滑稽ではあるのだが、同時に残酷。夢を諦められずに人生の軌道修正が出来ない人ばかり出てくる。ジニーは元女優で芽が出なかったものの、未だに芝居の道を諦められない。ミッキーと一緒にどこか別の場所に行くことを熱望しているが、ミッキーにはそんな気はない。彼もまた劇作家を目指しているがどうやら言葉ばかりでフラフラと行き先定まらない。ハンプティはジニーとの夫婦関係も、キャロライナとの親子関係も上手くいくと夢見ている。キャロライナを夜学に通わせ彼女が教師になれば万事丸く収まると思い込んでいる。彼らの夢は遊園地の安い華やかさと同じで、どうにもはかなくうすっぺらい。一番ふわふわしているように見えたキャロライナが、何だかんだで地に足がついているように見えてくる。そんな大人たちの横でまともにケアされない、ジニーの連れ子の処遇がいたたまれなかった。

カフェ・ソサエティ [Blu-ray]
ジェシー・アイゼンバーグ
KADOKAWA / 角川書店
2017-11-10


『ノーラ・ウェブスター』

コルム・トビーン著、栩木 伸明
 教師をしていた夫を病気で亡くした46歳のノーラ・ウェブスター。学生である長女と次女は家を離れているが、ローティーンの息子2人はまだ目を離せない。生活の為21年ぶりに会社に復職し、かつての同僚からの嫌がらせを受けつつも仕事に慣れていく。労働組合活動に共感し、音楽への愛着を思い出し、自分なりの生活を築いていく彼女の3年間を描く。
 ノーラは自分が気難しいとか強いとかとはあまり思っていない。夫を亡くして途方に暮れており、子どもたちとも親密とは言い難いと感じている。しかし周囲からは、彼女は結構頑固で、時にとっつきにくいとも思われているようだ。三人称語りながらノーラ視点のみで描かれるので、あくまでそういう様子が見え隠れするということなのだが、実の姉妹からも時に距離を置かれる、親族の中でどうも彼女はちょっと異質らしいぞという様子が窺えることが面白い。更に、ノーラは子供を愛しているがお互いに適切に理解しているかというとそういうわけでもないし(お互い様である)、時にすごく面倒くさかったり疎ましくも思う。自分が思う自分と、(家族であっても)他人が思う自分は違うし、母、妻という役割には嵌まりきらないのだ。ノーラは他人にどう思われるかということを、だんだん気にしなくなっていく。すごく逞しい、生活力があるというわけではないが、自分に出来ることをちゃんとやろうとする様、そして出来ることをやっていくうちに、「未亡人」ではなく「ノーラ・ウェブスター」としての立ち位置を発見していく様が清々しい。普通に生きることの悲喜こもごもと面白さがある。
 個人的なことではあるが、ノーラの姿が自分の母親と重なり、ちょっと平静でいられないところがあった。ノーラと同じく専業主婦だった母も、父が亡くなった後こんな気持ちだったのだろうかと。私と弟は父が亡くなった時に丁度ノーラの長男次男と同じくらいの年齢で、彼らに輪をかけて面倒くさい子供だったので、ノーラの不安と苛立ちを目にするたび何か申し訳ない気分になった。


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