3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2018年07月

『曇天記』

堀江敏幸著
 曇りの日には散歩をする。ぼんやりとした空の下、歩く速度で見る世界を綴る。
 随筆とも小説ともつかない短文集。晴天というわけでも悪天候というわけでもなく、曇り空を題名にしているだけあって、明でも暗でもなく、何かを断定するわけでもない、曖昧さに徹する姿勢が一貫している。どこが入り口でどこが出口なのかわからなくなってくるが、散歩とはそもそもそういうものだったか。明言しなさは作中で言及される土地や人物、文学作品などにも及んでいる。素養のある人にはこれがどこなのか、誰なのかわかるのだろう書き方だが残念ながら私にはわからないものが殆ど・・・。しかし曖昧さに貫かれた作風の中に時折、言葉が強くなる部分がある。本作は雑誌『東京人』の連載をまとめたものだが、連載期間中に東日本大震災があった。震災後、怒りを覚えること、それを表明しなければならない状況が増えたのだろう。その部分に著者の倫理観が見える。

曇天記
堀江敏幸
都市出版
2018-03-24


坂を見あげて (単行本)
堀江 敏幸
中央公論新社
2018-02-07



『星の文学館 銀河も彗星も』

和田博文編
星モチーフの小説と言えば外せないであろう稲垣足穂『星を造る人』、宮澤賢治『よだかの星』。天体観測にちなんだ森繁久彌や中村紘子のエッセイ。宇宙を想う谷川俊太郎の詩や埴生雄高の評論など、星にまつわる作品36篇をあつめた文学アンソロジー。
アンソロジーの面白さは、普段なら手に取らない作家の作品や全く知らなかった作家の作品、また、この人こんな作品書いていたのか!という意外性と出会えるところにあるだろう。本作はそんなアンソロジーの楽しみを十二分に味わうことができる。三浦しをんや川上未映子など現代の作家のものから、川端康成や内田百閒など古典作品まで、また小説家だけでなく歌人や歴史学者、批評家などの幅広い作品がそろっている。個々の作品だけでなく編集者の力量を実感できお勧め。個人的には、森繁久彌のエッセイ『ハレー彗星』がユーモラスで楽しかった。文才もある人だったんだなー。また宮本百合子『ようか月の晩』は正に夜と星のイメージに溢れた美しい童話。これも、この人こういうの書いてたんだ!という意外さがあった。


天体嗜好症: 一千一秒物語 (河出文庫)
稲垣 足穂
河出書房新社
2017-04-06






『2重螺旋の恋人』

 原因不明の腹痛に悩むクロエ(マリーヌ・バクト)は精神分析医ポール(ジェレミー・レニエ)のカウンセリングを受けることにした。症状が好転したクロエはポールと恋に落ち、一緒に暮らし始める。ある日クロエはポールとうり二つな男性を見かけた。その男性はポールの双子の兄レイ(ジェレミー・レニエ 二役)で、彼と同じく精神分析医だった。兄の存在を隠すポールを不審に思い、クロエはレイの診察を受け双子の秘密を探ろうとする。原作はジョイス・キャロル・オーツの短編小説。監督はフランソワ・オゾン。
 オゾン監督はあたりとはずれを交互にリリースしている印象があるのだが、本作は残念ながらはずれなのでは・・・。前作『婚約者の友人』が秀作だったからなー。なかなか連続して秀作とはいかないか。本作、エロティックな幻想をちりばめたサスペンスという趣なのだが、美形双子と色々やりたい!なんだったら双子同士でも色々やってほしい!というフェティッシュが前面に出てしまい、クロエの内面の要素と噛み合っていない。実は(多分原作とは異なると思うのだが)最後にタネあかしのようなオチがあるのだが、このオチから逆算すると性的な要素が介入してくるとは考えにくいのだ。それよりは最初に不仲であると提示されている母親の存在がクローズアップしてしかるべきだろう。にもかかわらず母親が登場するのは最終幕のみで、それまでは殆ど言及されない。なので、性的ファンタジーばかりが悪目立ちしている印象になる。下世話なことがやりたいなら妙な小理屈つけずに堂々とやればいいのに・・・
 また、ポールとレイを臨床心理士という設定にしたわりには、臨床心理的なものにオゾンはあんまり関心なさそうなところもひっかかった。そもそも(元)患者と恋人関係になるって臨床心理士としてはダメだろ・・・。支配/被支配関係を強調したかったのかもしれないけど、もうちょっとやりようがあったんじゃないかなと思う。

17歳 [DVD]
マリーヌ・ヴァクト
KADOKAWA / 角川書店
2014-09-05


とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢 (河出文庫)
ジョイス・キャロル オーツ
河出書房新社
2018-01-05


『港の底』

ジョゼフ・ミッチェル著、上野元美訳
 港や河畔、桟橋等、ニューヨークの水辺で生きる人たち、また摩天楼を臨む町中、あるいは郊外に住む労働者たちのスケッチ。ニューヨーカーのスタッフライターで、同誌の最も優れたライターの一人と言われた著者の作品集。
 収録されている作品の初出を見ると、1940年代から50年代。しかし、全く古さを感じさせず、生き生きとしたタッチで描かれており未だ新鮮。恥ずかしながら著者のことは全く知らなかったのだが、こんな素敵な書き手がいたのか!とこれまた新鮮な気持ちになった。面白い出来事があったから書いた、というよりも、面白い人、興味深い人がいたからその人のことを書いた、という趣。登場する人たちの語り口がとても魅力的だ。特別にドラマティックなエピソードで盛り上げるわけではなく、また著者自身の見解や、書いている対象に対する強い思い入れ等も文面には殆ど出さない。しかし大変面白い。こういう面白さは、一見地味なんだけどなかなかやろうとすると難しいのでは。魚市場や牡蠣が養殖されていた海底(牡蠣が養殖されていたと初めて知った!海がきれいだったんだな・・・。ご多分に漏れず排水による汚染で牡蠣は取れなくなったんだとか)、またネズミがはびこるビルなど、大都市ニューヨークの華やかとは言い難い部分を好んで取り上げているが、どこ・誰に対しても著者の視点がフラットで、そこにあるもの、生きる人に等しく価値があるという姿勢が感じられる。

港の底 (ジョゼフ・ミッチェル作品集)
ジョゼフ ミッチェル
柏書房
2017-11-01


『未来のミライ』

 4歳のくんちゃん(上白石萌歌)は、生まれたばかりの妹に両親の関心を奪われ、ご機嫌斜め。ふてくされて小さな木の植わった中庭に出るたび、不思議な世界に迷い込む。そんな彼の前に、10代の少女が現れる。彼女は成長した妹・ミライ(黒木華)だった。原作・脚本・監督は細田守。
 『バケモノの子』があれもこれもやろうとして収集つかなくなっていたのをふまえたのか、今回は一つの家族とその家の子供に焦点を当て、おそらくあえて家庭の外の世界は描かない。くんちゃんは幼稚園に通っているのでおそらく幼稚園での友達はいるはずだし(○○君のおうちで遊ばないの?みたいなセリフは出てくるので)、ご近所さんもいるだろうし、親にとっても保護者同士の繋がりや仕事上の繋がりもあるだろう。そういうものはほぼ排除された、かなりクローズドな世界観だ。児童文学的な(中川李枝子『いやいやえん』を思い出した)雰囲気で、実際、くんちゃんが中庭に出るとすっとファンタジーの世界に移行していく流れには、これが子供視点の世界かもしれないなと思わせるものがあった。唐突と見る人もいるかもしれないが、子供の世界ってこのくらい躊躇なくあちら側とこちら側を行き来するものじゃないかなと。
 とは言え、作品としては今回もいびつさが否めない。くんちゃんと両親、ミライちゃんの関係を横糸に、縦糸として母親の子供時代、そして曾祖父の青年時代という、家族の歴史が織り込まれるのだが、この縦糸があまり機能していないように思う。未来のミライちゃんが登場する意義もあまり感じない。そもそも4歳児に一族の歴史を意識させようというのはなかなか無理があると思う。子供であればあるほど、「今ここ」に意識は集中するだろう。
 また、くんちゃんがある危機に陥った際、自分が「ミライちゃんのお兄ちゃん」であることが「正解」とされる。確かに「正解」は「正解」なのだが、これをもってアイデンティティとされるのはちょっと違うんじゃないかなと違和感を感じた。肉親との関係性だけによって個人が成立するわけではないだろう。4歳児であるくんちゃんの世界は両親と妹で構成される小さなものかもしれないが、電車が好きなくんちゃんや自転車に乗れるようになったくんちゃんという側面も大きいわけだし。
 毎回異なる一定層の地雷をぶちぬいていくことに定評がある細田監督だが、今回も間違いなく一定層の地雷に触れていると思う。相変わらずコンテ、作画のクオリティは素晴らしい(幼児の動きの表現にはフェティッシュさすら感じる)のでアンバランスさが悩ましい。ストーリー、脚本は自分でやらない方がいいんじゃないかな・・・。監督として職人的なスタンスに徹した方がバランスのいい作品に仕上がりそう。当人は作家性を出していきたいんだと思うけど、そんなに作家性の高い作風じゃないと思うんだよな・・・。
 なお、これも相変わらずだが女性の造形はいまひとつだけど男性の趣味はいいよな(笑)。モブ美少年にしろひいおじいちゃんにしろ無駄にクオリティ高い!ひいおじいちゃんなんてキャラクターデザインがイケメンかつ中の人もイケメンでずるすぎだろうが!




『砕かれた少女』

カリン・スローター著、多田桃子訳
 高級住宅地にある邸宅で、少女の遺体が帰宅した母親によって発見された。母親はその場にいた血まみれの少年と鉢合わせし、乱闘の末、彼を刺殺してしまう。捜査担当になったジョージア州捜査局特別捜査官のウィル・トレントは少女の父親・ポールと面識があった。遺体を見たポールはこれは娘のエマではないと断言する。遺体は誰なのか、そしてエマはどこにいるのか。ウィルは地元の警官フェイスと組んで捜査を開始する。
 凄惨、かつタイムリミットが刻一刻と迫るタイプの事件で緊張感は強い。その割には話があっちに行ったりこっちに行ったりする印象があり(犯行を複雑にしすぎな気が・・・)、いよいよ終盤というところでちょっと集中力が途切れてしまった。各登場人物の造形に膨らみ・背景があり、行動原理に不自然さがないのだが、その造形の膨らませ方が仇になっている気もする。ディスクレイシア(読字障害)を抱えているウィルには虐待を受けていた過去もあり、本作の事件の背景にあるような事象は、単なる事件の背景以上の意味合いを持ってくる。彼には婚約者や仕事のパートナーもいるが、彼の背景・過去について分かち合えるわけではなく(当人もそれを望まず)孤独であるように見える。その孤独さが事件の解明につながってくるというのが皮肉だ。

砕かれた少女 (マグノリアブックス)
カリン・スローター
オークラ出版
2017-04-25


罪人のカルマ (ハーパーBOOKS)
カリン スローター
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2018-06-16


『カメラを止めるな!』

 映画の撮影隊が山奥の廃墟でゾンビ映画の撮影をしている。そこに本物のゾンビが襲来。監督の日暮隆之(濱津隆之)は大喜びで撮影を強行するが、スタッフは次々にゾンビ化していく。監督・脚本は上田慎一郎。映画専門学校ENBUゼミナールのワークショップ、「シネマプロジェクト」第7弾として製作された作品。
 いかにも低予算、自主制作風の画質の悪い映像で始まり、これこの先どうなるんだろうなー大丈夫かなーと思っていたら、後半戦がすごかった。ゾンビ映画であってゾンビ映画ではない!ネタバレを避けようと思うと非常に表現しにくいのだが、前半戦/後半戦構成で、前半戦の解説が後半戦で行われると言えばいいのか。あの時のタイミングの不自然さ、意図がわからない演出などには、そういう理由があったのか!と唸り、爆笑した。解説として納得できるということは、脚本が良くできていて伏線に齟齬が少ないということだろう。前半のみだとさほど面白くない(30分以上の長回しという驚異的なことをやっているのだが、映画ファン以外にはあまりフックにならないよな・・・)というのが難点なのだが、これが後半への振りになっているので、ちょっと退屈だなと思っても、なんとか持ちこたえてほしい。パズル的な面白さがあり、内田けんじ監督の『運命じゃない人』あたりが好きな人ならはまるんじゃないだろうか。逆に、こういう「答え合わせ」的演出は野暮だという人には今一つ届かない気がする。
 後半の面白さは「答え合わせ」だけでなく、映画に限らず何かを製作する時の苦しみと喜び、そして父親の悲哀がよく描かれている所にもある。勝手なクライアント、無責任なプロデューサー、無駄にプライドの高い俳優やちゃっかりとしたアイドルなど、少々カリカチュアしすぎなきらいはあるが、「仕事」として監督業をこなす日暮が振り回されていく様はおかしくも哀しい。そんな「速い、安い、ほどほど」で作家性など皆無な日暮だが、いつもの雇われ仕事だったはずだが、ある瞬間からスイッチが入って、その範疇を越えていく様にカタルシスがある。また、彼が仕事を受けた動機は姑息といえば姑息なのだが、父親が成人した娘にいい恰好出来るのってこれくらいかもなぁと苦笑いをしてしまう。だからこそ、彼と娘が同じ方向を見て走り出すことに泣けるのだ。
 自主制作や不出来なアート系作品にありがちな内輪ノリや自己満足的な演出があまりなく、普段映画をあまり見ない人が見ても面白いように作っているのも良い。基本自主制作なので、予算故のビジュアルのチープさは否めないが、チープでも作品としてチープに見えないように工夫されていると思う。自主制作ということを言い訳にしない志の高さ(公開されてからの監督を始めスタッフ一同の営業努力も凄まじいし、ちゃんと黒字にしようという意思が感じられる)。

運命じゃない人 [DVD]
中村靖日
エイベックス・ピクチャーズ
2006-01-27


『BLEACH』

 幽霊を見ることが出来る高校生・黒崎一護(福士蒼汰)は、ある日巨大な悪霊「虚(ホロウ)」に襲われる。死神と名乗る少女・朽木ルキア(杉咲花)に助けられるが、彼女は重傷を負ってしまう。虚を倒す為、ルキアは死神の力を一護に渡す。一護は死神代行として虚との戦いに巻き込まれていく。原作は久保帯人の同名漫画、監督は佐藤信介。
 大人気漫画の実写化であり、原作の性質上キャラクターを立てる、魅力的に見せることが非常に重要なはずなのだが、本作はそこが今一つぱっとしない。主人公である一護を始め、登場人物それぞれがそれぞれの意思をもって動いているという感じがしなくて、ストーリー展開上のタスクをこなすために動かされている感じがした。原作のビジュアルイメージを再現しようとしているのはわかるし、この部分で失敗しているわけではないと思うので、かなり勿体ない。
 一護の行動原理は母親の亡くし方によるもので、それは冒頭に提示されているにも関わらず、今一つ自然な流れに感じられない。俳優の演技が一本調子で(福士は身体は動くが、決して台詞回しが上手いわけではないのでなかなか厳しい)一護が単純すぎるように見えてしまう。また、序盤、死神代行になるまでの展開がやたらと早いのも一因かもしれない。他にも、この展開になるんだったらその前の展開いります?(ラストのルキアの選択とか)という部分が多くてストーリーの組み立てに色々ひっかかった。原作に全く忠実というわけではないので、もっとアレンジしてしまってもよかったと思う。説明と省略の配分がどうもうまくいっていない気がした。多分続編を造りたいんだろうけど、この路線ではちょっと厳しいのでは・・・。
 ただ、アクションはそこそこ見応えがあり、楽しかった。CGとの組み合わせも違和感がない。特に恋次役の早乙女太一の動きはとてもよかった。身体能力の高さが明白で、動きと止めのメリハリがしっかりしている感じ。



『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』

内田洋子著
 ヴェネツィアのある古書店の棚揃えに感心した著者が店主に修行先を訪ねると、代々本の行商人だったという意外な答えが返ってきた。トスカーナ州のモンテレッジォという山村では、村人たちは何世紀にもわたって、本を担いで行商に回り、生計を立ててきたのだという。この話に強く惹かれた著者はモンテレッジォ村に向かい、村と行商人たちの歴史を辿り始める。
 村民の多くが本の行商をしている山村、というと何だか小説の設定のようなのだが、実際にそういう村があり、毎年ブックフェスティバルも開催されているのだと言う。モンテレッジォは非常に過疎化した村なのだが、その時期だけは帰省者で人口が増えるのだとか。村出身者の強い郷土愛と、本の行商人たちの村であるということへの誇りが感じられるエピソードがたくさん。本好きの人が多かったから本の行商が始まったというわけではなく、山村ゆえに売れる農産物などもなく、出稼ぎの当てもなくなった時に苦肉の策で日本で言うところのお札みたいなものを売り始めたのがきっかけなんだとか。苦肉の策の商売が、書店は敷居が高くて入りにくいという庶民のニーズに段々沿うようになっていき、やがて文字=知識を運ぶことへの誇りと使命へとつながっていく。読書家ではないが売れ筋がわかる、質の良さをジャッジできるという商売人としての目が培われていくという所が面白い。また、当時の庶民層が意外と読書意欲が強かった(地域差はかなりあったようだが)というのも意外。専門的な歴史研究書というわけではないが、読み物として面白いし、物体としての本が好きな人にはぐっとくると思う。



『クレアのカメラ』

 映画会社で働くマニ(キム・ミニ)はカンヌ国際映画祭への出張中、上司のナム社長(チョン・ジニョン)から突然解雇を言い渡される。帰国を考えたものの航空券の交換ができず、カンヌを観光するうち、パリから来た女性クレア(イザベル・ユペール)と知り合う。ポラロイドカメラあちこち撮影しているクレアは、偶然ナム社長と、同行していたソ監督(チョン・ジニョン)の姿も捉えていた。監督・脚本はホン・サンス。
 時系列はバラバラに組み立てられており、1つの人生のようでもあるし、平行世界に複数いるマニの人生のようでもある。断片的なシーンがこまかく繋がっていくのでうっかりスルーしそうになったけど、よく見ていると季節がいつのまにか真夏から冬に変わっている。夏に出会ったクレアと冬になっても一緒にいるけど、これは2人が友人付き合いするようになったということなのか、夏の2人と冬の2人は別ものなのか。私は前者だといいなと思ったけど、どうとでもとれる微妙な見せ方だ。ラストもいつ、どこへ向けた作業なのか、明言はされない。余白が大きくて色々と想像を掻き立てられる。マニが「正直ではない」と評されるのも、一見こういう話に見えるけど実はこんな話だったかも、でもどちらでもないかもというあやふやさと呼応しているように思う。
 余白の大きさは、マニとクレアがそれぞれの母国語ではない、英語で会話をしていることからも生まれる。2人は英語を話せるがネイティブ並というわけではなく、わりとぎこちない。使える言語表現が限られ、細かいニュアンスがお互い伝わらない。言葉にされない部分が大きいのだ。
イザベル・ユペールはフランス人だが、本作中では不思議なことにマニよりも異邦人ぽく見える。彼女が演じるクレアという女性は正体不明感があり、非日常を感じさせる。彼女の媒介によって、マニも人生の新たな局面に向かっていくように思えた。
 ホン・サンス作品では混ざりたくない酒の席がしばしば出てくるが、本作ではソン監督が泥酔し、かなりみっともない振る舞いをする。彼が(その時はそれほどお酒は入っていないが)マニにする説教は、年長男性が若年女性にしがちな的外れ説教のテンプレ的なもので、大変イライラする。何を着るとかどんなメイクをするとか、貴様に関係ないわ!ホン・サンス作品に出てくる映画監督は本当に人としてはろくでもないなー。マニが何も言い返さないので見ている側としてはイライラが更に募るのだが、彼女が傷ついて嫌な思いをしているのは明らかにわかる。ホン・サンス、自戒を込めてのシーンなんだろうか・・・。

3人のアンヌ [DVD]
イザベル・ユペール
紀伊國屋書店
2014-02-22


自由が丘で [DVD]
加瀬亮
KADOKAWA / 角川書店
2015-07-24


ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ