3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2018年04月

『修道士は沈黙する』

 空港に降り立ったイタリア人修道士ロベルト・サルス(トニ・セルヴィロ)は、迎えの車に乗る。到着したのは海辺の高級ホテル。このホテルで開かれるG8の財務相会議に、ロックスター、絵本作家と共にゲストとして招かれたのだ。しかしロベルトを招待した張本人であるIMF・国際通貨基金のダニエル・ロジェ専務理事(ダニエル・オートゥイユ)がビニール袋を被った死体となって発見される。ロジェに告解を依頼され、死の直前まで彼と対話していたロベルトは取り調べを受けるが、戒律に従い沈黙し続ける。監督はロベルト・アンドー。
 ロジェの死はまず自殺だろうと警察は判断するが、彼は翌日の会議で重大な発表をする予定で、その発表により発展途上国は大きな打撃を受けると予想されていた。そんな彼がロベルトに何を告解するというのか、ロジェの秘密が世界の経済状況に大きな影響を及ぼすのではとG8の面々は騒然とする。世界経済の揶揄する社会批判的な意図も込められた作品だと思うのだが、これがあまり上手く機能していないように思った。財務相会議で何が話し合われるのか、何が発表されるのかという部分が漠然としていて、彼らが何を懸念しなぜ騒いでいるのかがぴんとこないのだ。なので、なぜロジェから聞いた内容を話せとロベルトに対して執拗に強制するのか、不自然に感じてしまう。
 会議の前日の集まりなども妙に牧歌的だし、ロックスターと絵本作家が招かれた理由もわからない(絵本作家とカナダ代表は女性だが、セクシャルな存在としてだけ登場するようで、これだったらいなくてもいいんじゃないかなと)。具体的なディティールがふわっとしていて、抽象的になりすぎている気がした。ロベルトの存在自体が抽象的で、彼に伴う鳥や犬の使い方もファンタジー寄り。作品のリアリティラインがどう設定されているのか曖昧だ。
 ロベルトは当然宗教家として振舞うのだが、G8のアナリストたちの振る舞いも、別の宗教に属するもののように見えてくる。自分たちにとってはこちらが正しく、お互いすり合わせる余地がない。ロベルトが発言しないのはそういう戒律だからそこに交渉の余地はないのだが、アナリストたちにはそれが通じない。事態を収めるには黙って立ち去る他ないのだろう。ラストシーンが妙に可愛いのだが、やはりロベルトはアナリストたちとは別の世界の人のように見える。

ローマに消えた男 [DVD]
トニ・セルヴィッロ
中央映画貿易
2016-12-02



人間の値打ち [DVD]
ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ
ポニーキャニオン
2017-06-21


『ニューヨーク1954』

デイヴィッド・C・テイラー著、鈴木恵訳
 赤狩りの嵐が吹き荒れる1954年のアメリカ。ニューヨーク市警の刑事キャシディは、ブロードウェイの無名ダンサー、イングラムが自宅で拷問された上殺されている事件に遭遇する。自宅の安アパートにあった高級家具や上質な衣服は、彼が本職とは別の金づるを握っていた可能性を示唆していた。捜査担当になったキャシディだが、FBIから横やりが入る。反発したキャシディは強引に捜査を続けるが。
 キャシディの父親が演劇プロデューサーという設定なので、当時の演劇界の雰囲気も垣間見える。マッカーシズムの真っ只中で、思想の自由は奪われ、政府に協力しないとどうなるかわからないという不安感がじわじわと広がっている。しかしその一方で、メキシコ共産党に加入していた経緯があるディエゴ・リベラが、セレブの間でもてはやされていたりするのが面白い。リベラ以外にもマッカーシーの右腕ロイ・コーン(先日ナショナルシアターライブで見た『エンジェルス・イン・アメリカ』には晩年のコーンが登場するが死ぬまでくそったれ野郎)やこの時代の本丸とでも言うべき人物も登場し、時代感が楽しめる作品。逆にこの時代の有名人を多少知っていると、イングラムの金づるがどういうものか見当つきやすいだろう。
 中盤以降、話の盛りがやたらといいというか、登場人物やエピソード等、要素を増やしすぎたきらいがある。キャシディの父親は演劇人であると同時にロシア移民でもあるので、彼にしろキャシディにしろ立場はかなり危ういのだが、ちょっと軽率に行動しすぎな気がする。またキャシディの相棒がストーリー上あまり機能していないのももったいない。てっきりバディものかと思ったのにー。

ニューヨーク1954 (ハヤカワ文庫NV)
デイヴィッド・C・テイラー
早川書房
2017-12-19


J・エドガー [DVD]
レオナルド・ディカプリオ
ワーナー・ホーム・ビデオ
2013-02-06

『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』

 第2次世界大戦下、ドイツは進撃を続けフランスは陥落寸前、連合軍は北フランスの港町ダンケルクの浜辺まで追い詰められた。就任したばかりの英国首相ウィンストン・チャーチル(ゲイリー・オールドマン)は、ヒトラーとの和平交渉か徹底抗戦か、選択を迫られる。外相ハリファックスはイタリアを仲介役とした和平路線を推すが、チャーチルは徹底抗戦に傾いていた。監督はジョー・ライト。オールドマンは本作で第90回アカデミー賞主演男優賞を受賞した。
 オールドマンが全編特殊メイクで熱演、その特殊メイクを手掛けた辻一弘がアカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞したことでも話題になった(特殊メイクは言われないとわからない、言われてもわからないレベル)本作だが、オーソドックスな歴史劇として面白かった。チャーチルが首相就任してからイギリスが全面的に開戦を選ぶまでの短い期間を描いているのだが、日付が毎日、あるいは数日刻みで表示され、緊迫感を強める。イギリスにとっては本当に「時間の問題」な状況なんだと感じられるのだ。ガレー陥落への顛末等、当時のイギリスはここまで追い詰められていたのかと改めて実感する。その中でダンケルクからの救出を成功させたのは、奇跡みたいなものだったんだなと。
 サブタイトルに「ヒトラーから世界を救った男」とあるが、これは結果論にすぎない。事態の最中にいるチャーチルには当然、自分の選択がどういう結果になるかはわからない。他の政治家たちも同様で、更に戦況が苛烈になるチャーチルの強硬路線には諸手を挙げて賛成しにくいし、和平路線を選んでも英国側の要望が通るとは考えにくく実質降伏みたいなものだろうからこれも賛成しにくい。全員が右の地獄か左の地獄かという究極の選択を強いられているわけで、こういう状況で政治家たちがどのように考え動くのかという面でも面白かった。本作に登場する政治家は主に保守党の(まあ家柄のいい)人たちだが、結構ことなかれ主義に見える。(実際はどうだったのか知らないしドラマとしてちょっと作りすぎかなという気はするが)庶民の方が戦争もやむなしみたいな姿勢に描かれていた。庶民、労働者の方が「自分たちの国だから好き勝手させない」という意識が強烈な所が英国のお国柄なのかな。ハリファクスたちはヒトラーの真意について見込みが甘かったという面もあるだろうけど・・・。もしドイツのトップがヒトラーでなければ、チャーチルも和平交渉に傾いたのではないかなという気もする。

ダンケルク ブルーレイ&DVDセット(3枚組) [Blu-ray]
フィオン・ホワイトヘッド
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2017-12-20






『レッド・スパロー』

 ボリショイバレエのダンサーだったが事故でダンサーとしての道を絶たれたドミニカ・エゴロワ(ジェニファー・ローレンス)は、ロシア政府の諜報機関に加わり、セクシャルな誘惑や心理操作を駆使するスパイ「スパロー」になる訓練を受ける。彼女はやがて才覚を認められ、CIA捜査官ネイト・ナッシュ(ジョエル・エドガートン)に近づき彼がロシア内に持っている情報源を特定するという任務を命じられる。監督はフランシス・ローレンス。
 ドミニカもナッシュも、意外と手の内をお互いに見せていくのだが、どこが工作でどこが本気なのか、二転三転していく。スパイ映画というよりも、政治的な、また個人同士のパワーバランスの転がり様を見ていくような作品だった。本作、面白いことは面白いのだが今一つ気分が乗り切らなかったのは、パワーバランス、力を巡る話だったからかもしれない。ドミニカは母親を人質に取られるような形で、スパイになる以外の選択肢を奪われる。叔父は彼女に対して支配力があると言える。スパイ養成所で叩き込まれるのは、相手をコントロールする方法で、それも相手に対する力の行使のやり方だ。ドミニカが「実演」するように、相手の欲望を見抜くことが弱点を掴むことにもなる。そしてもちろん、ドミニカにしろナッシュにしろ、組織、国家という力に支配されており、そこから逃げのびることは難しい。ナッシュは(ロシアと違い)アメリカは人を使い捨てにしないというが、それは嘘だよなぁ・・・。相手を支配することによる力の奪い合いって、見ているうちにだんだん辛くなってきてしまい楽しめない。コンゲームにおける裏のかきあいとは、私の中ではちょっとニュアンスが違うんだろうな。
 しかしその一方で、ドミニカがいかに自分を保っていくかというドラマでもある。この部分は序盤から徹底しており、少々意外なくらいだった。彼女は様々な名前、姿、身分を使い分けるが、常に自分であり続け行動の意図がブレない。彼女のありかは国でも組織でも特定の個人でもなく、自分だけなのだ。ある意味スパイ映画の対極にある映画な気もしてきた。ジェニファー・ローレンスのキャラクター性が強すぎて、そっちに役柄が引っ張られているような気もしたが。

レッド・スパロー (上) (ハヤカワ文庫 NV)
ジェイソン・マシューズ
早川書房
2013-09-20



アトミック・ブロンド [Blu-ray]
デヴィッド・リーチ
Happinet
2018-04-03


『リメンバー・ミー』

 靴職人の一族に生まれたミゲル(アンソニー・ゴンザレス)は音楽が大好きで、伝説的ミュージシャン、デラクルスに憧れている。「死者の日」の祭りで開催される音楽コンテストに出場したいミゲルは、デラクスルの霊廟に収められていたギターを手にする。ギターを奏でると同時に、彼は死者の国に迷い込んでしまう。死者の国で亡き親族に会ったミゲルは、夜明けまでに生者の世界に戻らないと本当に死者になってしまうと告げられる。監督はリー・アンクリッチ。
 ピクサー・アニメーションの新作長編作品だが、アニメーションのクオリティは相変わらず凄まじい。特に質感へのこだわりには唸る。人や衣服の肌合いがどんどん進化しているのがわかる。また、水の透明感と光の反射・透過感の再現度の高さがまた上がっているように思う。キャラクターの動きの面では、ミゲルがギターを弾くシーンが度々あるのだが、指の動きの演技がすばらしい。ちゃんとこの音ならこういう動きだろうな、と想像できるのだ。ギターを弾く人ならよりニュアンスがわかるのでは。
 ビジュアルはとても充実していてカラフルで楽しいが、今一つ気持ちが乗りきれなかった。ミゲルの祖母エレナの振る舞いにどうしても抵抗があって、家族は大事にしなくちゃ!という気持ちになれない。ミゲルの一族ではある事情から「音楽は一族を不幸にする」と考えられていて、代々音楽を聴くことも演奏することも禁じている。しかしその掟は曾曾祖母個人の体験に基づくものだ。他の家族にも当てはまるとは限らない。そういう個人的なことを家族と言えど他人に強制する姿勢が嫌なのだ。何が大切なのかは人それぞれ、家族より大切なものがある人もいるだろう。なので、家族は愛し合い支え合える、何よりも大切な存在であるという前提で話を進めないでほしいのだ。そりゃあ、上手くいっている間は家族は良いものだろうが、毒にしかならない家族というのも多々いると思うんだよね・・・。少なくともストーリー前半でのミゲルの家族は、彼を個人として尊重していないように見える。
 また、生者に忘れ去られると死者の国の死者は存在できなくなる=二度死ぬというルール、感覚としてはわかるが、生きている親戚縁者のいない死者たちがスラム街に住んでいるというのは、ちょっとひどいと思う。親戚縁者の多さ・ないしは著名人であったことと個人の生の価値とは一致するものではないだろう。そもそも生の価値は他人が決めるものではないと思うんだけど・・・。





『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』

 リチャード・ニクソン大統領政権下の1971年アメリカ。ベトナム戦争は泥沼化し、アメリカ国民の間でも反戦の気運が高まっていた。そんな中、ベトナム戦争を分析・記録した国防省の最高機密文書、通称ペンタゴン・ペーパーズの内容をニューヨーク・タイムズがスクープする。ライバル紙のワシントン・ポスト紙は、編集主幹のベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)を筆頭に文書の入手に奔走する。ようやくネタを手にしたものの、ニクソン政権はニューヨーク・タイムズに記事の差し止めを要求。記事を掲載すればワシントン・ポストも同じ目に遭いかねない。株式上場を果たしたばかりの社主キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)は経営陣と記者の板挟みになり苦悩する。監督はスティーブン・スピルバーグ。
 スピーディーな展開でスリリング。これが映画の醍醐味!って感じに満ち満ちており、スピルバーグ会心の一撃という感がある。アメリカの現状への怒りが込められているのだろうが、むしろ今の日本で見ると心に刺さる要素がいっぱいだし、正に今見るべき作品だろう。ブラッドリーの「報道の自由を守る方法は一つ、報道し続けることだ」という言葉が響く。そして報道の自由は誰の為にあるのか、更に憲法は誰の為にあるのかということも。ペンタゴン・ペーパーズをリークした調査員も、それを掲載したタイムズも、そしてもちろんポストの記者たちも社主であるグラハム、さらにその他の新聞社も、報道は何の為・誰の為にあるのか、何を持って正義とするのかを真剣に考え、ぎりぎりの所で判断する。裁判所が最後に提示されるような判決を下す所が、アメリカの強さ・健全さなのだと思う。
 本作は報道の自由を守ろうと文字通り命を賭けた人たちを描いているが、それと並行して、当時、女性経営者(に限らず女性全般)がどのように見られていたのかということも描いている。ポスト社は元々グラハムの父親が経営していたが、有能だったグラハムの夫が跡を継ぎ、夫の死により彼女が社主となった。彼女はながらく新聞社のお嬢様、社交界の花的存在として振舞ってきた。とは言え社主となったからには資料を読み込み研究を積み、社主にふさわしい振舞いをしようとする。が、周囲の役人や銀行家たちにとっては「魅力的な女性だけど(経営者としては能力不足)」という扱いで、スタートラインにも立てない。ずっと「あなたには無理だから」という接し方をされていると、いざ発言できる場になっても萎縮してしまうよなと、会議でのグラハムの姿を見てつくづく思った。
 そんな彼女がリベンジを果たし、正にマスコミ全体が一番となって戦うクライマックスにはやはり震える。そして、ブラッドリーたちは正義感にあふれ有能であってもあくまで記者で、社主であるグラハムの覚悟には思いが及ばなかったんだなとも。それを指摘するのはブラッドリーの妻だが、「彼女(グラハム)は勇敢よ」という言葉に思いやりがある。グラハムは会社全体と一族の歴史、これまで社交界で培った人脈の全て、つまり彼女の世界全てを賭けている(妻が指摘するように、ブラッドリーたちは転職可能だしむしろ箔がつくんだよね・・・)。ブラッドリーは正しいのだが、正しさの追求は時に残酷でもある。相手を目の当たりにしてその残酷さにようやく気付くということもあるのだ。記者の目と経営者の目、双方での闘いが本作をよりスリリングにしている。

大統領の陰謀 [Blu-ray]
ロバート・レッドフォード
ワーナー・ホーム・ビデオ
2011-04-21


グッドナイト&グッドラック 通常版 [DVD]
ジョージ・クルーニー
東北新社
2006-11-22


『ペインスケール ロングビーチ市警殺人課』

タイラー・ディルツ著、安達眞弓訳
 ロングビーチの高級住宅街で、下級議員の息子ベントン三世の妻と幼い子供2人が殺害された。妻の遺体は拘束された上切り裂かれており、強盗から政治がらみの怨恨まで様々な動機が考えられるものの、決め手に欠ける。重傷による休職から復帰したばかりのダニーと、相棒のジェンは捜査に奔走する。
 シリーズ2作目。事件自体は独立しているのだが、ダニーの状態が前作の出来事から引き継がれているので1作目を読んでから本作を読むことをお勧めする。1作目は地味な刑事小説という感じで若干フックに欠けたが、本作は展開がよりスピーディ。特に序盤の動かし方が上手くなっており引きが強い。ダニーは過去の記憶に由来する心の痛みだけではなく、肉体的な痛みにも苦しめられる。その痛みを図るのが「ペインスケール」なのだ。
 残忍な事件だが、事件の背景には被害者はそういう扱いをしてもいい存在だと思っている人がいるという現実があり、それがやりきれない。前作の被害者にも、彼女が男性だったら受けないような仕打を受けた過去があったが、本作にもその要素はある。そもそもそんなことでこの惨劇か!という真相なのだが、「そんなこと」と思えないほど価値観がずれてしまった人がいるということだし、事件の発端から全ての歯車がずれていたとも言えるのだ。その為すっきりしない後味なのだが、警察の仕事を描いているという意味ではこれもありか。






『坂道のアポロン』

 1960年代、東京から佐世保の高校に転校してきた西見薫(知念侑李)は、校内はおろか他校の生徒からも恐れられる不良の川渕千太郎(中川大志)と出会う。ジャズ好きでドラムを叩く千太郎と、幼い頃からピアノをひいていた薫、そして千太郎の幼馴染で、転校生である薫のことを何かと気に掛ける迎律子(小松菜奈)は、距離を縮め仲良くなっていく。やがて薫は律子に恋心を抱くようになるが、律子はずっと千太郎のことを想っていることにも気づく。原作は小玉ユキの同名漫画。監督は三木孝浩。
 普段あまり見ないタイプの(いわゆる少女漫画原作のキラキラしているっぽい)映画だし、アニメ版が傑作レベルなので実写の本作にはさほど期待していなかったんだけど、予想外に良かった。キラキラで目が潰れそうになったけどそれも含めて良かった。たまにこういうシンプルな映画みるのっていいな。
 千太郎と薫を繋ぐものは音楽なので、ジャズ演奏のシーンは当然とても重要。演奏を俳優本人にさせる(音はプロ演奏家の音を乗せている)ってハードル高すぎで不自然に見えるんじゃないかなと心配だったが、俳優陣が皆健闘している。特に千太郎役の中川のドラムは、動きが本当にドラマーっぽいグルーヴ感のあるものだった。冒頭のケンカシーンの体の動きの方が、絶対拳当たってないな!という不自然さ。映画やTVドラマにおける楽器演奏シーンって、動きと音がぴったりと合っていることよりも、演奏している「ぽさ」、演奏者が音に乗っているように見える「ぽさ」が大事だと思っているのだが、本作にはそれがあった。薫役の知念はどうも左利きのようなので(ペンは左手で持って書いていたので)、ピアノ演奏演技は結構大変だったんじゃないかと思うが、よく頑張っていると思う。あまりピアニストっぽい手ではないんだけど(笑)。音楽は人を自由にする、人と人の魂を結びつけるという、高揚感あふれるライブシーンになっていた。
 千太郎と薫は居場所のない者同士で、そこに連帯感と友情が生まれる。律子が千太郎への、あるいは薫への思いを口にしようとすると、それは毎回中断される。はっきりと意識的に、「言わせない」ことを意図した演出だと思う。本作は3人の友情を少し超えた感情、その支え合いを主軸にしており、そのバランスを崩さない為の意図なのだろう。ちょっと意図が前に出過ぎてしまっている気がするが。ラストで律子が声を出す(正確には声を出す直前で終わるのだが)シチュエーションは、これが3人のハーモニーを描き、そこに帰結していく物語なのだとはっきり示している。




『BPM ビート・パー・ミニット』

 1990年代初頭のパリ。エイズ活動家団体ACT UP Parisのメンバーは、エイズ患者やHIV感染者への無知・差別に対して様々な抗議活動を行っていた。メンバーのショーン(ナウエル・ペレーズ・ビスカ)は新メンバーのナタン(アーノード・バロワ)と恋に落ちる。しかしHIV陽性のショーンの症状は次第に進行していく。監督はロバン・カンピヨ。2017年第70回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作。
 まだHIVに対して多くの人たちが無知で偏見が強かった時代が背景にある。当時エイズに対する有効な治療方法はなく、発症すれば遅かれ早かれ死に至る。しかしHIVウイルスがどのようなもので、どのような経緯で感染して、対処法としてはどういったものがあるのかはろくに周知されていない。同性愛者の病気だから自分たち異性愛者には関係ないだろう、くらいの認識だ。フランスでの感染者の増加が激しいと作中で触れられるのだが、これは病気についての広報を怠った政府の責任でもあったんじゃないかなと(感染症を防ぐ為の情報通知って民間レベルでは限界があって、自治体や国レベルじゃないと広く通知させるのは難しいと思う)思わせるし、実際作中でもそういう言及がある。
 ACT UPの活動は特に過激だが、これは今生きている感染者の残り時間が刻一刻と迫ってくるからという切迫感に加え、問題自体が世の中に認識されていない、ないものにされているからという面もあるだろう。元々世間の視野に入っていない存在で、共通言語がなく、何かを訴えても他人事として耳を傾けられないのなら、暴れるくらいしか自分たちがここにいる、こういう問題があると知らせる方法がないということでもある。暴れるのにはそれなりの理由があるのだ。彼らの活動はエイズ患者に対する支援や患者に対する差別撤廃を訴えるものだが、同時にエイズによって、またセクシャリティその他の属性によって自分たちを分断するなという訴えでもある。
 とは言え、ACTUP内でも分断は生じる。病気の進行度合いやどういう経路で感染したのか(薬害エイズ患者と薬物依存症で注射針によって感染した患者とではやはり見られ方が違う)によって、日常の生活の逼迫感や残り時間への焦り、世間からどう見られるかという部分は少しずつ異なり、そこに意識の差が生じてくる。ショーンが徐々にACTUPへの苛立ちを強めるのは、彼の持ち時間の終わりが見えてきてしまったからだ。
 困難な側面を描く作品だが、人と人の関わり方、「今、この時」を全力で生きようとする人たちのきらめきは眩しく、ちょっと涙が出てきそうになる。相手のことを好きでも嫌いでも、恋人でも友人でも親子でも、相手と関わっていきそれを途絶えさせないという意思がある。本作、セックスシーンがそこそこあるが、双方の意思の疎通が感じられるとても丁寧な描き方で、最近見た映画内セックスシーンの中ではベストかもしれない。

パリ20区、僕たちのクラス [DVD]
フランソワ・ベゴドー
紀伊國屋書店
2011-04-28


体の贈り物 (新潮文庫)
レベッカ ブラウン
新潮社
2004-09-29

『生姜 センガン』

千雲寧(チョン・ウニョン)著、橋本智保訳
 拷問の技術に絶対の自信を持つ男、安。組織の中核で「アカ」を取り締まる彼は、拷問の痕跡を残すことなく、多くの市民に肉体的、精神的苦痛を与えてきた。しかしそれまでの独裁政権が打倒されると同時に、それまでの罪を問われ指名手配犯として追われることに。安は妻が経営する美容院の屋根裏に身をひそめる。一方、安の娘ソニは父親の罪を全く知らず、大学に進学していた。
 1980年代、全斗煥による軍事政権下では民主化運動は暴力によって統制されていた。反政府活動弾圧機構の中枢に実在し、長らく潜伏した後1999年に自首した李根安という男が本作の安のモデルだそうだ。しかし他の部分は殆どがフィクションで時代背景や場所も明言されることはない。ある組織に忠実に仕え、自分にとっての精神的「父」を守り続ける男と、父親の実像を知り人生を狂わされていくその娘の物語。
 父親は自分がやったことは組織を守るため、正義の為であると信じ、自分を取り囲む状況や組織が自分を切り捨てたことを認めようとしない。彼はどんどん自分の妄想の世界に入っていく。対して娘は父親の真実を知ろうとし、彼を拒む。お互い反対のベクトルに進んでいく2人の姿が、安のパートとソニのパートと交互に語られていく。父親が自分が思っていたような立派な人ではなかった、残酷で恥ずべき行いをした犯罪者だったと知り、苦しみつつも父親の呪縛から逃れようとし続けるソニの姿は、時に弱く愚かだが、徐々に力強さを増していく。彼女は父親の行為、その行為の被害者と向き合ってく勇気があったが、肝心の安にはそれはなかった。そして案の妻にもそれはなかったのかもしれない。夫婦で同じ夢を見ていたのか、その夢が2人を繋いでいたのか。ごく短い最終章にはソニならずとも勘弁してと思うだろう。
生姜(センガン)
千 雲寧
新幹社
2016-05



ペパーミント・キャンディー [DVD]
キム・ヨジン
アップリンク
2001-03-23

ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ