3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2018年03月

『ダウンサイズ』

 ノルウェーの科学者によって生物を縮小化する方法が発見され、身長180㎝の人間なら13㎝まで小さくなることが可能になった。環境破壊や食糧問題を解決する方法として注目され、各国で「ダウンサイズ」を選ぶ人々が徐々に増え、ダウンサイズされた人たちが暮らすコロニーも各地に建設されていく。ネブラスカ州オマハに暮らすポール・サフラネック(マット・デイモン)は少ない貯蓄でも豊かに暮らせるというダウンサイズされた世界に魅力を感じ、妻オードリー(クリステン・ウィグ)と共にダウンサイズを決意。しかし土壇場でオードリーは逃げ出してしまう。監督はアレクサンダー・ペイン。
 生物縮小技術によって人口増加による環境破壊を防ごうというのが話の発端なので、SF的な要素を含む話なのかなと思っていたら、予想外の方向に転がっていく。ダウンサイズはあくまで入口であって、そんなに大きい要素ではないと思う。ペイン監督作品の中では最もユーモラスなのでは。
 ポールは目新しい技術を知ったり、有名人に出会ったりすると、てらいなく「すごい!」と感心する単純で直な性格だ。またお人よしで「すごい!」と思った物事や人には影響されやすく流されやすい。ポール自身は平々凡々でこれといった資産もキャリアもなく、医大を退学せざるを得なかったというコンプレックスが少しある。自分は平凡で何者でもないと感じているからこそ、「何者か」である有名人に惹かれるのかもしれない。そこで変にひねくれたりしないところが、ポールのいい所なのだ。相手に流されやすいというのは、相手を肯定しているという側面もあるんだなと彼を見ていると思う。
 また理学療法士をしてたポールはお人よしと揶揄されるくらい、基本的に誰かの役に立ちたい人で、そのために自分のスキルを提供することにためらいがない。それだけで立派だと思うけど、当人としてはそれだけでは「何者かになった」気がしないんだろうなぁ。
 このポールの素直さ、流されやすさが、彼を予想もしなかった境地に連れて行く。彼を引っ張っていくのは東欧から来た商人であるドゥシャン・ミルコヴィッチや、インドネシアの活動家ノク・ラン・トラン(ホン・チャウ)等、アメリカ人ではなく外から来た人たちだ。一旦は文字通りの小さな世界に収まっていたポールが、街を越えコロニーを越え国境を越えていき、どんどん世界が広がるという爽快さ。視野が広くなるというよりも、どう流されても自分は自分であり続けるのだと確認するための旅みたいだ。流されるのも悪くないかもしれない。

ファミリー・ツリー [Blu-ray]
ジョージ・クルーニー
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2013-06-05


縮みゆく男 (扶桑社ミステリー)
リチャード・マシスン
扶桑社
2013-08-31



『ハッピーエンド』

 3世代にわたって建設会社を経営しているロラン一家。家長のジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は高齢の為に引退し長女アンヌ(イザベル・ユペール)が跡を継いだが、ジョルジュは交通事故に遭って車椅子生活に。二男のトマ(マチュー・カソビッツ)の前妻との間に13歳の娘エブ(ファンティーヌ・アルドゥアン)がいる。エブは前妻と暮らしていたがある事件が起きてロラン家に引き取られる。アンヌの一人息子ピエール(フランツ・ロゴフスキ)は会社の専務職を任されたがうまくいかず、トラブル続きだった。監督はミヒャエル・ハネケ。
 PCのチャット画面やスマホで撮影している画面が頻繁に出てきて、ハネケの映画もこういうふうになったのか!と時代の流れを感じた。チャットもスマホ録画も主観的なものなので、誰が見ているのか・誰に見せることを意図している画面なのかということを強く意識させる。ただ、これが何を意味するのかということは、後追いでわかってくるという構成。
 登場人物が他人に秘密にしていること、言いにくいことが後から観客に提示されるという構造の繰り返しになっている。冒頭、バスルームの女性をロングで撮影しているスマホ画面、そしてハムスターの顛末が映される。そして後々のある事件。それらを通して、ああそういうことが起きていたのかとわかってくる。また黒人青年たちに声をかけるジョルジュが年配男性にたしなめられているらしいシーン、ピエールが突然殴られるシーンも、後々出てくる会話から何をやろうとしていたのか推測できる。重要なことが起きているシーンは往々にしてロングショットで、登場人物が何を言っているのかは聞き取れないような撮影の仕方。全部後からわかってくるのだ。もちろん登場人物にとってはわかっているわけだけど、観客側は落ち着かない、座りの悪いような気分が続く。
この落ち着かなさ、座りの悪さは、登場人物たちがもくろむ諸々の事柄の顛末にも及ぶ。彼らは様々なことをもくろむが、それは成功した方がいいのかしない方がいいのかもやもやする案件ばかり。題名は非常に皮肉だ。そうは問屋が卸さない!と言わんばかり。トランティニャンとユペールは『愛、アマチュア』に続く共演だが、本作は『愛、アマチュア』のB面とも言えるかも。なお、ハネケ監督作でしばしば見られる、ブルジョア白人による無自覚な人種差別シチュエーションも盛り込まれておりこれも居心地悪い。失礼なことをやっている側は往々にしてその失礼さに気付かないのだ。

愛、アムール [DVD]
ジャン=ルイ・トランティニャン
KADOKAWA / 角川書店
2014-06-27


隠された記憶 [DVD]
ダニエル・オートゥイユ
タキコーポレーション
2006-10-06



『Infini-T Force ガッチャマン さらば友よ』

 界堂を倒して自分たちの世界を取り戻し、それぞれの世界へと戻ったガッチャマン=健(関智一)、テッカマンン=城二(櫻井孝宏)、ポリマー=武士(鈴村健一)、キャシャーン=鉄也(斉藤壮馬)。しかしある異変により、笑(茅野愛衣)と共に再び時空を超えて一つの世界を訪れる。そこは人類の敵ギャラクターと、それに対抗する科学忍者隊が戦い続け、その末にこの世界の健をはじめとする科学忍者隊は死亡。彼らを創造した南部博士(舩越英一郎)は現れたヒーロー4人に対して、君たちは敵だと告げる。更に健の仲間だった科学忍者隊の一員“コンドルのジョー”(鈴木一真)が現れる。監督は松本淳。
 TVシリーズのダイジェストが序盤20分くらいを占めるのだが、編集の出来があまりよくない。これだったら、映像にナレーションをかぶせて言葉主体で説明してくれた方があらすじとしてわかりやすかったんでは・・・。TVシリーズ自体、ストーリーや設定がわかったようなわからないような話だったからな・・・。今回はガッチャマンがいる世界線が複数存在すると認識しておけばまあまあ大丈夫かと思うが。
 制作側が意識したのかどうかわからないが、TVシリーズに続き本作も、トチ狂った父親(的な存在)と闘う話だ。とは言え、父親の庇護から笑が独立していく物語だったTVシリーズに対し、科学忍者隊を作った南部博士は健やジョーにとって父親的な存在であると同時に共に戦う同志的存在。仲間割れといったほうが近いのか。健は教科書通りの「正しさ」を主張する人でしかもそんなにクレバーではないので、チームメイトとして一緒に戦うのは色々疲れそうではあるなぁ・・・。
 相変わらずゲームのムービー画面的な質感のアニメーションで、正直なところ大画面で見る醍醐味はさほどない(配信でもいいんじゃないかなというくらい)。ただ、モーションキャプチャーを使っているからか、組み合い等のアクションには意外と重さがあって、肉体感が感じられ悪くない。体に厚みがあるキャラクターデザインなので、肉弾戦が映える。
 なお、ゲスト出演の舩越英一郎が上手い!本業声優に交じっても違和感が全くなかった。演技における「キャラ」感をわかっている人なんだろうなー。鈴木一真はちょっとつたないんだけど、ジョーのキャラクターにはあっていると思う。

Infini-T Force Blu-ray1
関智一
ポニーキャニオン
2017-12-20


GATCHAMAN CROWDS DVD-BOX
内田真礼
バップ
2014-01-22


『去年の冬、きみと別れ』

 結婚を間近に控えたライターの耶雲恭介(岩田剛典)は出版社に、有名写真家・木原坂雄大(斎藤工)の密着取材企画を持ち込む。彼のモデルをしていた盲目の女性の焼死事件は木原坂が故意に起こしたものではないかというのだ。編集者の小林(北村一輝)は推測だけで裏が取れない記事は掲載しないと告げる。原作は中村文則の同名小説。監督は瀧本智行。
 原作は未読。結末は予想できない!絶対騙される!という触れ込みだったが、本格ミステリ慣れしている人だったら7割くらいは予想可能なのでは。「第二章」という字幕の出るタイミングで本作の仕掛けはなんとなくわかるだろうし、作る側もこれを前フリにして構成になにか色々ありますよ!と観客の興味を終盤までひっぱっているのだろう。ただ残り3割は予想が難しく、あっそういう方向か!とびっくり、というか唖然というか。何が予想しにくいかというと、ある人物のある側面がいきなり露呈されるのだ。えっあなたそういう人だったの?!確かにちょっと不穏な空気は出しているけれどそれほどかよ!これじゃあもう1人の人とどっちもどっちだわ・・・。
 題名の『去年の冬、きみと別れ』はこのある人が一つの決意をした瞬間を指しているのだが、ある側面が露呈した時点で、既に「きみと別れ」ていたのではないかと思う。「きみ」の思いが消えたわけではないだろうけど、別の側面を見てしまった以上、それまでと同じようにある人を思うことは出来なかったのではないか。
 予想していたのとは全然違う方向でびっくりさせられた。ちょっと昔のB級サスペンスっぽい舞台装置や映像の色調なのだが、作品には合っていたと思う。前半、ストーリー上の粗に見えた部分も、後半でなるほどそういうことねと凡そ納得させられた。精緻なミステリというわけではないのだが、この世界観であれば伏線回収したと理解できる。




『ナチュラル・ウーマン』

 ウェイトレスをしながらクラブの歌手として働いているマリーナ(ダニエラ・ベガ)は、年上のパートナー・オルランド(フランシスコ・レジェス)と暮らしている。しかし突然オルランドが死亡。マリーナは彼の息子からアパートの立ち退きを迫られ、更に元妻や弟から葬儀には絶対に来るなときつく伝えられる。オルランドに最後の別れを告げたいマリーナは一人で抗い続ける。監督はセバスティアン・レリオ。第90回アカデミー賞外国語映画賞受賞作。
 オルランドの家族のマリーナに対する態度があまりにも失礼なので、見ている間中腹が立って腹が立ってしょうがなかった。元妻との会話から察するに、オルランドはマリーナと出会ったことがきっかけで家を出たらしいので、彼女に対して思う所あるというのは分かる。しかし彼女がトランスジェンダーであることをあげつらって存在を化け物扱いするというのは卑怯だ。憎むなら人として対等に憎め!彼らの態度が礼儀を欠いたものなのは、彼女を同じ土俵に立つ人間として見ていないからだろう。せめて外面だけでも礼節保っておけばいいのに、そういう努力すらしないのかとうんざりする。
 また、マリーナに対して個人的な因縁がないはずの刑事や医者もまた失礼だ。彼らの失礼さは個人というよりも組織、社会がマリーナに向けてくる失礼さのように思った。刑事は「この手のことはよくわかっている」という態度で博士号も持つ、いわば専門家を自認している。しかしマリーナとオルランドの関係をお金によるものだと決めつけていたり、一方的に約束を取り付けたりと、マリーナがどういう状況でどういう事情があるのかという個別の部分は理解しようとしない。「この手のこと」も千差万別なはずなのに、こういうものだからとひとくくりにする態度にはこれまたうんざりだ。当人は、無礼だという意識すらないんだろうけど。
 理不尽に向けられる無礼さや悪意に対して、マリーナは抵抗し続ける。彼女の好ましさは、この一人で抗い続ける自立した態度にある。自分が自分であるという姿勢が揺らがない。彼女の落ち着きは、ことあるごとに無礼さや悪意にさらされてきたということでもあるのかもしれないけど・・・。とは言え、常にタフでいられるわけではなく、深く傷つき疲れ切ってしまう時もある。オルランドの姿や、クラブでのミュージカル風シーンは、彼女が心を守り自身を勇気づける為の幻想であるように思える。それが周囲にも提示されるのが彼女にとっての歌うという行為なのではと。彼女が歌うシーンの解放感、浄化される感じが素晴らしい。

グロリアの青春 [DVD]
パウリーナ・ガルシア
オデッサ・エンタテインメント
2014-09-03


ボルベール <帰郷> Blu-ray
ペネロペ・クルス
TCエンタテインメント
2012-09-05


『悪いうさぎ』

若竹七海著
 家出した女子高生ミチルを連れ戻す仕事に成功(しかし負傷)した私は、これがきっかけで失踪したミチルの同級生の捜索依頼も受ける。同級生・美和は無断で外泊するような娘ではないと言うのだ。美和の失踪を調べるうち、彼女の周囲の少女たちが他にも姿を消していることがわかる。
 私=葉村晶は探偵としてはそこそこ優秀なようだがすごく頭が切れるというわけではないし、人脈もそこそこ、体力は人並みだしお金にはそれほど余裕はないようだ。能力的にも人柄的にも、普通かつ至ってまともだからこそ、彼女が相対する人たちの異常さが際立っていく。少女の失踪を主軸として複数のトラブルに葉村は巻き込まれていくのだが、どの事件も自分より弱い相手を虐げたい・相手を支配し自分に力があると実感したいという欲望・悪意が根底にある。女性である葉村にもその悪意は向けられるのだ。葉村は窮地でパニックに陥ったり、理不尽や悪意に怒ることはあるが基本理性的。その理性が読者を引っ張っていき読みやすい。

悪いうさぎ (文春文庫)
若竹 七海
文藝春秋
2004-07-01


依頼人は死んだ (文春文庫)
若竹 七海
文藝春秋
2003-06-01



『少女 犯罪心理捜査官セバスチャン(上、下)』

M・ヨート&H・ローセンフェルト著、ヘレンハルメ美穂訳
 小さな町で一家四人が惨殺死体で発見されるという事件が起きた。凶器の散弾銃から近所の住人が容疑者が浮上するが、決定打に欠ける。地元警察から妖精を受け。トルケル率いる国家刑事警察殺人捜査特別班が捜査にあたることになった。犯罪心理捜査官のセバスチャンも同行するが、ある事件によりトルケルとの仲は険悪、またヴァニヤとの関係も微妙なままだ。そしてビリーはセバスチャンに関わる一つの疑念を強めていた。
 シリーズ4作目。3作目のラストがえらいことになっていたが、その顛末は本作で判明する。あーそうなりましたか・・・。これだけでもえらいことなのだが、本作では更に特別班の人間関係が更に変容していきそうな兆しが見えてくる。ちょっと視聴率が下がり気味のTVドラマのテコ入れみたいな唐突感あるんだけど・・・。あとキャラに後付で色々盛ってくるのやめてほしいんだけど・・・。特に前作同様、こういうラストの作り方は頂けない。小説として面白いだけに、こういう過剰さ・あざとさがノイズになって勿体ないと思う。セバスチャンに関しては、今回は今までとは打って変わって「いい人」としての姿を見せる。しかし、それは純粋に使命感や正義感によるものとは言いにくい。自分では見ないようにしている自身の身勝手さが、非常に痛烈な形で自身に跳ね返ってくるのだ。これに懲りて克服できるのか、自分を変えられるのかが今後のシリーズの肝なんだろう。





『それまでの明日』

原尞著
 渡辺探偵事務所を一人で営業している沢崎の元に、望月皓一と名乗る金融会社の支店長が訪れた。依頼内容は、出資先として予定されている赤坂の料亭の女将の身辺調査。調査を始めると、女将は昨年亡くなっていることがわかった。沢崎は望月に連絡を取ろうとするが、居場所がつかめない。金融会社の支店を訪れた沢崎は強盗事件に巻き込まれる。
 実に14年ぶりの新刊だが、沢崎は相変わらず沢崎だ。とは言えストーブを出しそこねて風邪をひいたり、警察や暴力団員への当たりから若干角が取れた(が、馴れ合いとは程遠い)あたり、年齢を重ねている感じはする。最大の違いは乗っている自動車が変わったこと、そして若者への接し方かもしれない。つっけんどんさが軽減されている。しかし決して父性的というわけではないし、自らは父親的なものになろうとはしないあたり、分を知っている感じ。本作、身辺調査や人探しという、それほど「事件」感のないスタートで、序盤は地味。しかしいきなり強盗事件に遭遇という結構な巻き込まれ方で、これは今までのミステリ的な側面を押さえ劇画的な線で行くのか?!と思っていたら、結構な終盤であーっ!と言わされた。なるほどそうきたか。それはそれとして、本作は原尞版『長いお別れ』なのは間違いないだろう。ある人物のあり方にはテリー・レノックス風味を感じた。そしてラスト、題名の意味が全く変わってしまう、というかそれまで附帯されていた意味が霞んでしまう。沢崎にとっても、他の人たちにとっても、もう「それまでの」明日はこない。何としても続編を完成させて頂かないと・・・。なお、著者の作品は地の文も会話文も折り目正しく清潔感がある。荒っぽい会話やヤクザの凄みも、なぜかきちんとしている印象。青年の話し言葉等、実際にこういう話し方をする若者はいないだろうと思うが、そういうことじゃないのね。著者の作品世界では、これが最適な話し方なのだ。折り目正しい会話文なので読んでいて安心感がある。

それまでの明日
原 りょう
早川書房
2018-02-28



『ドクター・マーフィー』

ジム・トンプスン著、高山真由美訳
 アルコール依存症専門療養所「エル・ヘルソ」の経営者であり主治医のドクター・マーフィーは、患資金難で八方ふさがりだった。患者は双子の映画界の重鎮や脚本家、元女優や元軍人などアクの強い人たちばかりだが、アルコールと縁が切れそうな人はいない。皆何かにつけてアルコールをちょろまかしていく。最近入院した裕福な患者の親族から資金を引き出せなければ、療養所は閉鎖するしかない。
 冒頭でいきなり入水自殺しようとする(が、やめる)ことからもわかるように、マーフィーはかなり追い詰められている。経営者としても医者としてもこの危機を抜け出せるほどには敏腕ではない、かといって経済的理由だからと割り切って施設を閉鎖するには使命感がありすぎる。マーフィーには父親のアルコール依存症で苦しんだ過去があり、それが彼をこの仕事に縛り付けているのだ。マーフィー、看護師たち、患者たちと章ごとに視点は変わる。読んでいると視点がどこへ向かっているのかわからなくなるような酩酊感があり、皆堂々巡りを続けているようで明確な答えや出口は見えず、段々混沌としてくる。そもそも患者たちは治りたいとも療養所から出たいとも思っていないし、マーフィーも本当はこの世界を壊したくないのではとも思えてくる。最後の方は地獄と紙一重のユートピアのように思えてくるのが不思議。

ドクター・マーフィー
ジム・トンプスン
文遊社
2017-11-01


おれの中の殺し屋 (扶桑社ミステリー)
ジム・トンプスン
扶桑社
2005-05-01



『ザ・シークレットマン』

 1972年、FBI副長官のマーク・フェルト(リーアム・ニーソン)は、ワシントンD.Cの民主党本部での登頂侵入事件の進展がないのは、もみ消し工作によるもので、黒幕はホワイトハウスだと確信する。捜査妨害を止めるには世間の注目を集めることが必要と判断したフェルトは、ワシントン・ポストに内部情報を提供し、記事を書くよう指示する。監督・脚本はピーター・ランデズマン。
 ウォーターゲート事件を題材にした作品。この事件のあらましを押さえていないと、事件のどの辺の部分の話で何が起きているのかフェルトは2005年に自分が密告者「ディープ・スロート」だったと告白、2008年に95歳で亡くなっている。監督のランデズマンはジャーナリスト出身だが、晩年のフェルトに取材しており、その時の取材内容と彼の印象を元に本作におけるフェルトを造形している。
 フェルトの行為はFBI内部から見たら密告であり裏切り行為と言えるのだろうが、フェルト自身は密告に対する葛藤はあったろうが、裏切りとはちょっと違うというつもりだったろう。フェルトが何度も口にするのは「FBIは独立した組織です」ということだ。FBIはホワイトハウスに隷属する組織ではなく、相手が大統領であろうが疑わしい所があれば捜査できる組織でなければならない。彼が考えるFBIという組織の機能はそういうもので、もしホワイトハウスの要求を呑んでしまったら、組織の存在意義自体が失われる。それはひいては自国を腐敗させることになる。国の長になんでも従うことと愛国とは違うのだ。フェルトはFBI長官への道を絶たれたことを恨んで内部情報をリークしたという説もあるそうだが、本作ではその要素は希薄。ショックではあるが、もっと重大な問題に直面し、それを何とかしようとするのだ。
 フェルトにとっては非常に危険な行為だったはずだが、本作、流れがなんとなくのったりとしており起伏があまりないので、それほど危機感が感じられない。映像の質感と色合いも冷ややか(映像が美しいのが意外だった)、かつニーソンが基本無表情なので(まあ表情豊かなFBI副長官というのも考えにくいけど・・・)、どうも茫漠とした印象。ただそれがつまらないというのではなく、大きな事件の一部としてのフェルトの姿のとらえ方なのかなと思う。

大統領の陰謀 [DVD]
ダスティン・ホフマン
ワーナー・ホーム・ビデオ
2011-11-02


コンカッション [SPE BEST] [DVD]
ウィル・スミス
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2017-07-05

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