3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2018年02月

『グレイテスト・ショーマン』

貧しい仕立て屋の息子として生まれたP・T・バーナムは、名家の令嬢チャリティ(ミシェル・ウィリアムズ)と駆け落ち同然の結婚をし、2人の娘に恵まれる。しかし仕事先は倒産、「珍しいもの」を集めた博物館を開設するも客は来ず、窮地に追い込まれる。そんな中バーナムは、「特徴」を持った人たちを集めショーを開くことを思いつく。ショーは大成功しバーナムは一躍金持ちになるが。監督はマイケル・グレイシー。
 オープニングどころか20世紀FOXのロゴの時点でいきなりかましてくるな!というフックの強さ。メインテーマでぐっと引き込み、更に子供時代、青年時代、結婚して子供が出来てショーを思いつく、というあたりまで一気に見せる。序盤にかなりのスピード感があり、突っ込む余地を与えない。本作、手放しで絶賛できない要素が結構あるのだが、音楽の良さと華やかさ、展開のスピード感、そしてヒュー・ジャックマンの魅力で無理矢理押し切られた感じがする。映画体験としてはすごく楽しいのだが、見ている間常にもやもやも感じる、しかし音楽とショーに魅せられ、もやもやは一旦脇においておいて・・・となる。良くできた音楽とダンスの有無を言わせない引力って、やっぱりすごいんだなと痛感した。他のことを保留にさせてしまう力はちょっと怖いようにも思う。
 本作のもやもやは、ショーの団員たちがどう見られるか、という所に生じる。バーナムが集める団員は「特徴のある人物」、要するに当時はフリークス扱いされたり、肌の色が違ったりということで偏見の目にさらされていた人たちだ。バーナムは「君たちを見てお客は喜ぶ」「きっと皆君たちを好きになる」と言うが、その喜びや好意は奇異なものに対するもの(バーナム自身「人は奇異なものが好き」と言うし)で、彼らを一個の人間として見るものではない。いくらもてはやされても、同等の人間扱いというわけではない。彼らの「仲間」であるバーナムですらそうなのだ。そういう見られ方に対して「This is me」と言い続けられるだろうかと悩んでしまった。人間を見世物として扱うことに(おそらく意図的にそうしているんだろうけど)ノリが軽すぎない?バーナムが基本クズだという描写はあるにせよ少年漫画的にいい話風にしすぎじゃない?ということがずっとひっかかる。しかし映画としてはすごく気分が上がって楽しいしメインテーマでは泣きそうになる。実に悩ましい。

バーナム博物館 (白水uブックス―海外小説の誘惑)
スティーヴン ミルハウザー
白水社
2002-08-01


富を築く技術 (フェニックスシリーズ)
P.T.バーナム
パンローリング
2013-12-14




『The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ』

 南北戦争中のアメリカ南部。女子寄宿学校で暮らす7人の女性たちの元に、怪我をした北軍の兵士・マクバニー伍長(コリン・ファレル)が転がりこむ。女性たちは彼を敵軍の兵士だと警戒すると同時に、徐々に興味を覚えていく。原作はトーマス・カリナンの小説『The Beguiled』。監督はソフィア・コッポラ。なお原作小説は1971年に『白い肌の異常な夜』(ドン・シーゲル監督)として映画化されている。
 ソフィア・コッポラ監督の映画は、女性を(男性も)美しく撮るが、そこにセクシャルな臭いをあまり感じない。本作も、シチュエーション的にこれはエロいだろう!というシーンは結構あるのだが、どれもエロティックな形があるだけで、中身を伴わない。かなりあからさまにセックスしているよというシーンですら、さほど色っぽくはない。セクシーとされるものの形をなぞっているだけという印象だ。そこが見ていて気楽な所でもある。脅かされている感じがしないのだ。
 音楽といい映像といい、冒頭から不穏な雰囲気をかきたててくるのに不安にならないのも、そのせいだろう。物語上はマクバニーが屋敷に入り込み、エドウィナ(キルステン・ダンスト)を、ミス・マクバニー(ニコール・キッドマン)を、またアリシア(エル・ファニング)を性的な対象として見るわけだが、絵としてはあんまりそういう風に見えない。私がコリン・ファレルにあまりセクシーさを感じないというのもあるのかもしれないけど。
 本作で描かれる女性たちの共同体は、男性という異分子に揺さぶられるが、意外とほどけない。彼女が、あるいは彼女が同性たちを裏切るかのように見えるが、また引き戻される。彼女たちだけで完結した世界なのだ。時代背景は設定されているのに物語上は反映されない所も、箱庭的な雰囲気を強める。この時代のアメリカ南部だったら黒人の使用人がいる方が自然だと思うが、そういったものは現れない。他の兵士もちらりと姿を見せるだけで、遠くで大砲の音が響くにとどまる。世界から取り残されていくようにも見えた。この外側のなさがソフィア・コッポラの作家性なのかなと思う。

ビガイルド 欲望のめざめ
トーマス・カリナン
作品社
2017-12-26


白い肌の異常な夜 [DVD]
クリント・イーストウッド
キングレコード
2017-08-02



『ゆれる人魚』

 ポーランド、ワルシャワの岸辺に、人魚の姉妹シルバー(マルタ・マズレク)とゴールデン(ミハリーナ・オルシャンスカ)が現れる。歌手のクリシア(キンガ・プレイス)らにより地上に引き上げられた2人は、ナイトクラブでデュエットを披露するようになり人気者に。シルバーはベーシストのミーテク(ヤーコブ・ジェルシャル)と恋に落ちるが、ゴールデンは彼女に批判的だった。人魚にとって人間は食料なのだ。監督はアグニェシュカ・スモチンスカ。
 ポーランドから一風変わった映画がやってきた。レトロでちょっとキッチュな美術といいテクノポップ満載の音楽といい、1980年代ぽいなーと思っていたら本当に80年代が舞台だった。この時代を舞台にする必然性は全然ないと思われる(ポーランドの歴史文化を熟知していれば必然性がわかるのかもしれないが)のだが・・・。監督も脚本家も70年代生まれなので、彼女らにとってのノスタルジー、レトロなのだろうか。ともあれ、チープでちょっと悪趣味なかわいらしさで統一されており、見ているうちにクセになってくる。
 また、音楽を多用しているとは聞いていたけどミュージカル仕立てになっているとは知らなかった。人魚姉妹を引き上げて保護するクリシアは歌手だしバックバンドもついており、ステージ上で披露される音楽と、人魚姉妹の「語り」としての音楽が混在している。歌に合わせたダンス、群舞シーンもあるが、ミュージカルを見ているという感じはあまりしない。撮影の仕方がちょっともったいないのだ。群舞を俯瞰で見られるショットが案外少なく、変な所で見切れていて全体がどういう動きになっているのか十分に楽しめないは残念。ミュージカルは体の動きの要素も大きいのでもったいない。少人数でのシーンはそれなりに見られるので、大勢がいるシーンに慣れていないのかな?
 アンデルセンの人魚姫を下敷きにしているが、血と魚臭さが生々しく漂う。人魚たちの尾の大きさ、ぬめっとした質感は、分かりやすい可愛らしさ・セクシーさやブランド的な「少女」性を拒否しているようにも見える。「王子」との顛末も、あなたは許しても私は許さないよ!というある種のフェアさ、自己犠牲や純粋さの否定があってむしろ爽快。だって「王子」のやることは大分最低だからね・・・。

リザとキツネと恋する死者たち DVD
モーニカ・バルシャイ
オデッサ・エンタテインメント
2016-06-02



人魚姫 アンデルセン童話集 (2)
アンデルセン
新書館
1993-12-20


『オンブレ』

エルモア・レナード著、村上春樹訳
 御者のメンデスとその雇われ人である「私」アレン、17歳の娘マクラレン、インディアン管理官のフェイヴァー夫妻、無頼漢のブライデン、そしてアパッチに育てられたと言う噂の「オンブレ(男)」ことジョン・ラッセル。彼らは駅馬車に乗り、次の街までアリゾナの荒野を走っていた。しかし賊に襲われ、ファイヴァー夫人が人質にとられてしまう。
 レナード作品を村上春樹が翻訳って、相性どうなの?(とは言え村上春樹は翻訳者としてはそんなにクセを出さないし腕はいいんだと思うけど)と思っていたが、意外と違和感ない。本作はレナードがいわゆる「レナード・タッチ」を獲得する前の初期作品、しかも西部小説でミステリや犯罪小説と雰囲気がちょっと違うという面が大きいからだろう。乾いた低温度のタッチで、ごつごつしていると言ってもいいくらい。ラッセルの行動とこの文体とがマッチしており、とても良い。
 ラッセルは白人社会とアパッチの両方に足を置く(どちらにも完全には所属出来ないということでもある)一匹狼的な人物で、一見非情な振舞い方に見える。しかし窮地に陥った時、割に合わなくても人としてやるべきことをやらざるを得ないという姿が鮮烈。そりゃあ「私」も語り継ぎたくなるな!併録の『3時10分発ユマ行き』にも同じような倫理で動く人物が登場する。一見頭が固くてつまらない生き方に見えるかもしれないが、人間かくありたいものです。なお『3時10分~』は2度映画化されているが、2007年公開『3時10分、決断のとき』(ジェームズ・マンゴールド監督)は私にとってのかっこよさが詰まっており大好き。

オンブレ (新潮文庫)
エルモア レナード
新潮社
2018-01-27


3時10分、決断のとき [Blu-ray]
ラッセル・クロウ
ジェネオン・ユニバーサル
2013-12-20


『セリーナ 炎の女』

 特集上映「未体験ゾーンの映画たち2018」にて鑑賞。1929年、ジョージ・ペンバートン・ブラッドリー・クーパー)はノースカロライナのグレート・スモーキー山脈の麓で製材所を経営していた。彼はある日、火事で家族を失い天涯孤独の身になったセリーナ(ジェニファー・ローレンス)と出会い恋に落ち、結婚した。元々製材所の娘として育ったセリーナはビジネスにも才覚を現していくが、ある事件が起きる。監督はスサンネ・ビア。
 ジョージの行動の悪気のない思慮の浅さ、無自覚な惨酷さや薄情さを、クーパーが上手に表している。こういう役柄にハマる(演技がしっかりしているし、多分顔つきの雰囲気もむいている。顔つきについては本人不本意かもしれないけど・・・)俳優だと思う。ハンサムで人懐っこさがあるけどちょっと無神経ぽい雰囲気が出ている。ジョージとしては悪気はないが、彼の行動のせいで周囲のパワーバランスが激変してしまう。彼の行動イコール悪というわけではないので、周囲も積極的に彼を責めることが出来ない(ある女性は存分に責めてしかるところだと思うが)のがまた辛いのだ。
 セリーナもジョージに翻弄されたように見えるが、彼女自身は翻弄されたという意識はないだろうし、翻弄されるようなタイプでもないように思える。彼女はタフで商売の才覚やリーダーシップを持ち合わせ、ジョージに対して仕事の上でもパートナーになっていく。実際彼女の言動は頼もしく作業員たちの信頼も得ていくのだが、ある事件により、彼女の精神はガタガタになっていく。正直、このガタガタになっていく原因が彼女が「女」であるという面に頼りすぎていないかという気がした。そんなステレオタイプな!とちょっと不満だった。
 とは言え彼女にとってジョージ(と彼と培うはずのもの)の存在はそれだけ大きく、彼女の傷と向き合いきれなかったジョージが事態を悪化させたと言える。この局面でのジョージの振る舞いは、本人なりに一生懸命なんだろうけどほんとにがっかりさせられる。捨てたはずのものに今更未練を見せて、今共に生きている人を見ないのだ。過去の幻想を追ったことで、ジョージ自身もまた足元を見誤ってしまったように思えた。

真夜中のゆりかご [DVD]
ニコライ・コスター=ワルドー
KADOKAWA / 角川書店
2015-12-04


オーバー・ザ・ブルースカイ [DVD]
ヨハン・ヘルデンベルグ
KADOKAWA / 角川書店
2015-03-06

『苦い銭』

 雲南省からバスと列車を乗り継ぎ、淅江省湖州へと向かう少年少女。湖州には多くの縫製工場があり、出稼ぎ労働者が80%を占めると言われる。この街にやってきて働く様々な人たちを見つめるドキュメンタリー。監督はワン・ビン。
 ヴェネチア国際映画祭でまさかの脚本賞を受賞した作品だが、なるほど出来すぎなくらい構成にドラマ感がある。ドキュメンタリーにも脚本(いわゆるドラマの脚本というよりも組み立て図みたいなものだろうが)はあるのだろうが、こういうエピソードを引き寄せる、またエピソードが出てくるまで粘れるのが監督の力なのかな。撮影期間は1~2年間だそうだが、出稼ぎに来た当時はいかにも田舎から出てきた風の不安げ15歳の少女だったシャオミンが、徐々に「こなれて」くる感じや、一緒に出てきた少年が過重労働に耐えられず故郷に帰っていく様は、それだけで一つのドラマのよう。
 また、DV気味の夫と妻の関係が、最初は一触即発みたいな感じだったのだが、後に再登場した時には何となく改善された雰囲気になっている所がとても面白かった。映し出されていない間に何があったんだ!自営の店を辞めて衣料品の搬出の仕事を夫婦でするようになったみたいなのだが、一緒に働くという状態が良かったのかなぁ。妻にケチだケチだと言われていた夫が、後々(不満を言いつつ)親戚に仕送りしているらしいのには笑ってしまった。
 画面に映し出されるどの人にも、それぞれの仕事があって生活があるんだという濃厚な空気が漂っている。とは言え、文字通り「起きて仕事して食事して寝る」生活なので、働くことがあまり好きでない私は見ていて辛くなってしまった。彼らは安い労働力として扱われており低賃金なので、仕事の量をこなさないと生活できない。自分は量をこなせないから・・・と自虐気味の男性の姿にはいたたまれなかった。安価な商品てこういう労働に支えられているんだよなと目の当たりにした気分になる。とは言え、ここでの仕事がだめだったら他へ移るまで、というひょうひょうとした雰囲気も漂っており、予想ほどの閉塞感はない。これもまた一つの人生、という諦念が感じられるからか。

三姉妹 ~雲南の子 [DVD]
紀伊國屋書店
2014-03-22


収容病棟 [DVD]
紀伊國屋書店
2015-02-28


『ぼくの名前はズッキーニ』

 母親が死亡し、施設に入ることになった9歳のズッキーニ(カスパール・シュラター)。施設にはリーダー格でちょっと意地悪なシモン(ポーラン・ジャワー)を始め、それぞれ異なる事情を持つ子どもたちが集まっていた。ズッキーニは新たに入居してきた少女カミーユ(シクスティーヌ・ミュラ)に一目惚れする。監督はクロード・バラス。
 丁寧に作られたストップモーションアニメで、単なる可愛らしさからちょっとはみ出すキャラクターのデザインが、決して甘くない物語とマッチしている。冒頭、ズッキーニの母親の死に方がいきなりヘビーなのだ。ズッキーニが背負っているものがあまりに重い。しかしそこを取り立ててクローズアップするわけではない。ズッキーニ以外の子どもたちも、親に健康上の問題があったり、子供に性的暴力を振るったり、犯罪者であったり、不法入国者として強制送還されたり(これは正に現代の話だなと実感した)とそれぞれに問題を抱えている。親の難点がかなりシビアでぼかさず言語化されるが、彼らに対しても、そこを深堀するわけではない。一貫して退いた目線がある。この施設に入所している、という点では子どもたちは皆同じなのだ。
 子どもたちの保護者には色々と問題があり、彼らを守る存在になり得ていない。しかし一方で、子どもたちを大人として支えようとする人たちもいる。ズッキーニを施設に連れてきた警官は、その後も度々、彼との面談に訪れ、遊びに連れ出したりもする。警官にも息子がいるが、家を出て断絶状態だ。彼とズッキーニは家族に見捨てられた者同士とも言える。また、施設の職員たちも子どもたちの為に尽力していることがよくわかる。ステレオタイプ的な「施設のいじわるな大人」ではない。ベタベタした優しさではないし、実の親の代わりにはなれない、それでもプロとしての愛と責任感を持って子どもたちと接しているのだ。雪山のロッジでの「クラブ」の光景にはちょっとぐっときてしまった。子どもたちを教える、育てるだけでなく、ちゃんと生活を楽しませようとしているんだなと。
 施設はやがて出ていく場所だが、いつ、どのような形で出ていけるのかはわからない。望んでいた形では出られない、あるいは大人になるまで出られない子もいるかもしれない。楽観視はさせないながらも、それでも人生には可能性があり、あなたは一人ではないと思わせるラストのさじ加減に誠実さを感じた。

冬の小鳥 [DVD]
キム・セロン
紀伊國屋書店
2011-06-25


小鳥はいつ歌をうたう (Modern & Classic)
ドミニク・メナール
河出書房新社
2006-01-11



『星群艦隊』

アン・レッキー著、赤尾秀子訳
 ブレク率いる艦隊が滞在していたアソエク星系にも、ラドチの絶対的支配者である皇帝アナーンダが引き起こした戦火が及ぶ。無人のはずの隣接星系に謎の艦が現れ、更に強力な異星種族プレスジャーがコンタクトしてくる。数々の問題にブレクは捨て身で立ち向かっていく。
 『叛逆航路』3部作の完結編。このシリーズ、面白いが非常に読みづらかった。世界観がわかりにくいというよりも、対立している集団同士の関係性と、現在何が進行しているのか、世界のスケール感がどの程度のものなのかが把握しにくいのだ。ストーリーの説明が難しい!アナーンダの権力の及ぶ範囲が、今まで聞いていたのと本作で描写されているのと何か違わない?と微妙な気分になった。ただ、艦隊に附属する“属躰”(身体を持つAIのようなもの)であったブレクが、一個人としての意識を持つようになる、更に彼女に感化され、他のAIたちも“個”に目覚めていく、加えてAIたちにとっての“個”は、人間のそれとは少々違うという様が面白い。ここにきて大きく設定が動いたな!という感じ。また新しい種族が誕生していく予感がするのだ。

星群艦隊 (創元SF文庫)
アン・レッキー
東京創元社
2016-10-29


エコープラクシア 反響動作〈上〉 (創元SF文庫)
ピーター・ワッツ
東京創元社
2017-01-28

『コンフィデンシャル 共助』

 北朝鮮の偽札工場から印刷用の原版が盗まれた。警官のイム・チョルリョン(ヒョンビン)は、事件の首謀者だった上司により仲間と妻を殺され、復讐に燃える。原版を秘密裡に取り戻すべくソウルに派遣されたチョルリョンは、殺人事件の共同捜査だと信じる刑事カン・ジンテ(ユ・ヘジン)と組まされる。ジンテも上司から、チョルリョンの動向を探れと命じられていた。監督はキム・ソンフン。
 オーソドックスなバディものの体で、背景も性格も正反対の2人が反目しつつも徐々に心を開いていくという展開もお約束通り。しかし王道を勢いよくやっており、活気がある。クールでスマートなチョルリョンと、おしゃべりでずんぐりとしたジンテの凸凹コンビはテンプレ的造形ではあるのだが(あとジンテの妻や娘など女性キャラクターが概ね書き割り的なのだが)、お約束はお約束として楽しく、生き生きとしている。
 撮影方法にしろ、ストーリー展開にしろ、下手に捻らずしっかりとしたストレートをちゃんと投げてくる感じ。アクションは銃撃戦、肉弾戦、カーアクションと幅広いが、やはりオーソドックスなことをちゃんとやっているという印象だった。現実の南北を巡る状況には解決の糸口も見えないわけだが、本作の雰囲気は至って明るく、ラストに至るまで軽快。深刻な現実もフィクションの素材として使っていく韓国映画の強さを見た感がある。
 アバン直後、チンピラをジンテが追っているシーンの映像といい音楽といい、昭和の(韓国映画に対して昭和っていうのも変だけど、ふた昔前くらいの感じ)刑事ドラマのようなのだが、これは狙っているんだろうなぁ。特に音楽がこのシーンだけ汗臭いのには笑ってしまった。ジンテのキャラクターを端的に表すシーンでもある。ちょっと野暮ったくコミカルなのだ。北朝鮮の警官であるチョルリョンの方がルックスといい立ち居振る舞いといいスマートで、かっこいいアクションはほぼ彼が担う。いくらなんでも無双すぎ!というシーンもあるのだが、それを含めて見応えがあった。

レッド・ファミリー [DVD]
キム・ユミ
ギャガ
2016-04-28


ハナ 奇跡の46日間 [DVD]
ハ・ジウォン
オデッサ・エンタテインメント
2014-05-02


『亡霊星域』

アン・レッキー著、大野万紀訳
 かつては宇宙戦艦のAIだったが、いまはただひとりの生物兵器“属躰”となったブレクは、属躰であることを隠し長い年月を生き延びてきた。宿敵である星間国家ラドチの支配者アナーンダから艦隊司令官に任じられたブレクは、正体を隠したまま新たな艦で出航する。目的地の星系には、彼女がかつて大切にしていた人の妹が住んでいた。
 『叛逆航路』の続編となるシリーズ2作目。言語上性差がない(全て「彼女」「母」「娘」で表す)文化圏、戦艦には“属躰”と呼ばれる分身のようなものが多数あり、支配者アナーンダは自身の属躰同士で分裂し抗争中という、世界設定がややこしいので、前作の記憶がはっきりしているうちに読むべきだったな・・・。前作は世捨て人のようだったブレクが再起し旅に出るという、動きの大きな物語だった。対して本作は舞台が一つの星系内での政治的ないざこざにブレクたちが巻き込まれていくという話なので、少々こぢんまりとした感じはする。
 とは言え、植民地における支配層と被支配層の関係や、異民族に対する意識等、作品世界の描写は面白い。植民地化した方は文明化だと思っていても、された側にとっては蹂躙であり支配であるということ、支配者層の被支配層への無頓着さが前作以上に際立つ。人間ではないブレクの感覚の方がまともで、この文化の中で生きていた人間たちの感覚の方が偏っているように見えるのだ。

亡霊星域 (創元SF文庫)
アン・レッキー
東京創元社
2016-04-21



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