3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2017年10月

『贋作』

パトリシア・ハイスミス著、上田公子訳
 妻とパリ郊外の屋敷で優雅な生活を送るトム・リプリーの元に、ロンドンの画廊から連絡が入る。天才画家ダーワットの個展開催を目前にして、収集家が贋作を掴まされたと騒いでいるというのだ。実はダーワットは数年前に亡くなっており、トムとその仲間が贋作を作り続けていたのだ。トムはダーワットに変装して収集家と面会することになる。
 リプリーシリーズ2作目だそうだが、いつの間に結婚を!案外普通の夫婦生活を楽しんでいるっぽい所が面白い。本作でも「なりすまし」癖は治っておらず、変装をして収集家と会うくだりではちょっと笑いそうになった。むしろ不自然だよ!ディッキーの事件の時もそうだったけど、上手いことやったつもりでやらなくていいことをどんどんやっている気がする。余計な手紙書いたり、余計な変装したりするから更に面倒くさいことになるんじゃ・・・。他にも、来客断れよ!とか電話出るなよ!とかいろいろと指摘したくなる(笑)ミステリとしては決して精緻な作品ではないのだ。しかしトムのつい色々やってしまう小物っぽさ、犯罪者としての不完全さが、このシリーズの面白さなのだろう。
 ダーワットの贋作を製作する画家のバーナードは、贋作を作り続けることに限界を感じている。彼はトムとは逆で、本来の自分から逃れることができない。「なりすまし」は苦痛なのだ。トムはバーナードに好意を持っているが、おそらく彼が本来の自分から逃げようとしない=核がある所に敬意のようなものを感じているのではないか。とは言え、そんな彼の苦しみは理解できず、徐々に疎ましく思うようになる(もちろん彼らの商売上も、バーナードは厄介な存在になりうる)。よく「自分をだますことは出来ない」とか言うけれど、トムに限ってはそういうことはなさそう。その時のシチュエーションに都合のいい「自分」が彼にとっての「自分」で、核らしきものは見当たらないのだ。

贋作 (河出文庫)
パトリシア ハイスミス
河出書房新社
2016-05-07


見知らぬ乗客 (河出文庫)
パトリシア・ハイスミス
河出書房新社
2017-10-05

『アトミック・ブロンド』

 冷戦末期、西側に極秘情報を渡そうとしていたMI6の諜報員が殺され、最高機密の行方がわからなくなった。MI6の諜報員ロレーン・ブロートン(シャーリーズ・セロン)は機密リストを奪還し、裏切り者の二重スパイを特定するという任務を命じられた。西ベルリンに赴いたロレーンは、現地エージェントのデヴィッド・パーシヴァル(ジェームズ・マカヴォイ)に接触する。監督はデヴィッド・リーチ。
 最近のいわゆる「アクションがすごい」(例えば本作監督のリーチが製作・共同監督を務めた『ジョン・ウィック』のような)は、アクション自体はすさまじいスピード、破壊力に見えても、そんなに痛そうには見えない場合が多いと思う。いちいち痣や切り傷、擦り傷まで見せたりしないし、そもそもなかなか死なない。しかし本作は、「アクションがすごい」ことに加えて、アクションにより受けるダメージが生々しく、かなり痛そうだ。いちいち痣は出来るし怪我をして血がにじむし、殴られたり高所から落ちたりしたら、すぐには動けない。怪我をしたらなかなか治らない、というのは普通のことなのだが、本作のような映画でそれをきちんと見せられると最早新鮮に見える。このくらいの打撃を加えられたらこくらいのダメージを受ける、という具体性があるのだ。
 また、ロレーンが女性である=同業の男性に比べると筋力が少ないという設定をふまえたアクション設計で、自分よりウェイトがある・腕力のある相手をどう倒すかという所も面白かった。フライパンやら椅子やらで戦い、双方ズタボロになっていく様は見ようによってはコミカルだが、ズタボロさ、ヨレヨレ加減(足元のふらつき方)に妙に生々しさがある。ロレーンは、非常に強いが無敵というわけではないのだ。原作がグラフィックノベルだというから、もっとマンガ的な無敵っぷりなのかと思っていたが、そこまでではない。しかし、そこが魅力になっている。傷と痣が残っていても、露出の高いドレスを堂々と着こなすあたりも素敵だった。彼女はそういう職業であり、そういう人なんだなとよくわかるシーンだったと思う。
 アクション以外の部分が意外と地味なスパイ映画になっているのも意外だった。青を基調に赤をアクセントにしたビジュアルはスタイリッシュ(ちょっと懐かしめの感じだけど)だが、話が案外泥臭い。泥臭いというよりも、あまり建て付けがうまくなく実際以上に込み入って見えてしまうと言った方がいいか。どの登場人物もずば抜けて聡明・計算高いというわけではなく、自分がやっていることが大きい図式の中でどのあたりのパーツになるのか読み切れていない感じ。その読み切れなさが、冷戦当時のスパイものっぽく哀愁漂う。ロレーンについても同様・・・なのだがこのラストだとなぁ・・・。一つ上の階層からの視線が入ってしまう気がする。
 なお、音楽のセレクトは素晴らしい。あの時代っぽさと今っぽさのさじ加減が抜群だと思う。終盤、ある曲が流れると、ああ時代が変わった!って気分になるところも説得力あった。

ジョン・ウィック 期間限定価格版 [Blu-ray]
キアヌ・リーブス
ポニーキャニオン
2017-06-02


寒い国から帰ってきたスパイ
ジョン ル カレ
早川書房
2013-01-25







『女神の見えざる手』

 大手ロビー会社コール=クラヴィッツ&Wのトップロビイスト、エリザベス・スローン(ジェシカ・チャステイン)は、銃擁護派の議員から依頼を受けるが、それを断り銃規制法案成立を目指してロビー活動を行っている小規模な会社からのスカウトに応じる。部下を引き連れ移籍したスローンは数々の奇策や時にグレーな手法を駆使し、情勢を変えていく。しかしコール=クラヴィッツ社は、スローンを引きずりおろそうと彼女の過去を洗い出していた。監督はジョン・マッデン。
 スローンが聴聞会に召喚されている所から始まり、時間をさかのぼってこれまでの経緯が語られる。ストーリー進行の段取が良くスピーディで、職人的な手さばきの良さのある作品。作中の情報量は非常に多いのだが、整理されているのでそんなに混乱することもなかった。面白いが、自分にとっては苦手な世界の話だ。どいつもこいつもギラギラしすぎている・・・主人公が一番ギラギラしているわけだが。
 『Miss Slone』というシンプルな原題が本作にはふさわしい。邦題はドラマティックだが、ちょっと作品のニュアンスと違うと思う。本作は徹頭徹尾、スローンという1人のロビイストの話だ。彼女の運命は女神の采配によるものではなく、当然彼女が女神のごとき存在なわけでもない。時に泥をかぶる事や卑劣な手段を取る事も厭わず、スローンは自分の力でとことん闘う。そこに「見えざる手」などと言っては却って失礼な気がした。
 スローンがどういう人なのかということは、あくまで「仕事」を通して描かれる。作中、スタッフの1人が、過去の体験によって銃規制派になったと思われたくないともらすのだが、スローンにどのような過去があって今の彼女になったのかということは殆ど言及されないし、彼女も過去の体験を引き合いに出すことはない。自分が何者なのか証明するのは自分の能力と行動のみ、家族との逸話や過去の悲劇により色を付ける必要はないというわけだ。とは言え、他人の過去を引き合いに出して同情票を集める画策はするのだが。そういう部分では「主義」は発揮しないんだな。
 スローンは往々にしてイリーガルなやりかたもする。仕事上の目的・課題達成の為だからというのはもちろん、目的が正しいという信念があるからだ。非常に打算的な面と理念のぶれない面とが両立されている、彼女のメンタリティが面白い。彼女はやがて、政界、経済界、そして司法の腐敗と癒着に挑むことになる。自身のキャリアだけでなく個人としてのプライド、プライベート等過大すぎるものを危険にさらすのだが、彼女にとっては目的が正しいのだから、やる。とは言え、彼女はこれまでそういった腐敗や癒着を(スタッフの「過去」と同じく)散々利用してきたんだろうしなぁ・・・。彼女の中の正しさの基準って何なんだろうなとふと思った。



マリーゴールド・ホテルで会いましょう [DVD]
ジュディ・デンチ
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2014-02-05

『太陽がいっぱい』

パトリシア・ハイスミス著、佐宗鈴夫訳
 トム・リプリーは富豪のグリーンリーフ氏から、イタリアに行ったきりもどってこない息子・リディッキーを連れ戻してほしいと頼まれる。イタリアへ赴いたトムはディッキーと会うが、彼は女友達のマージと自由な生活を謳歌しており、アメリカに戻る気などさらさらなかった。トムはディッキーに近づこうと画策する。
 アラン・ドロン主演の映画化作品(後にマット・デイモン主演で『リプリー』として再映画化)が有名すぎて原作である本作を読みそびれていたが、ラストが映画と違うってこういうことか!ひとつ謎が解けました。トムはある犯罪を計画し、彼自身は完全犯罪と自負するが、実際の所あちらこちらにほころびがあり、今にも破綻しそうだ。その破綻の原因は、ほぼリプリー自身の振る舞いにあるところが面白い。余計なことをしなければそんなにヒヤヒヤしないで済むんだよ!と突っ込みたくなる。彼が余計なことをしてしまうのは、彼の願望が金を得ることそのものではなく、元の自分よりも優れた何者か=ディッキーになり認められたいという所にあるからだろう。観客がいなければ成り立たないのだ。やっている行為と動機が矛盾している。トムは元々俳優志望だったと作中で少しだけ言及されているのが示唆的だ。作中でも頻繁に一人芝居をしているが、屈折したナルシズムを感じる。自分自身ではなく自分が演じている役柄に対して過剰な自信があるという。
 また、今読むと明らかに、リプリーのリッキーに対する感情は恋であり、ディッキーがトムを疎んじるのはゲイフォビアと自分の中の同性愛的傾向への戸惑いとの入り混じったものであろうとわかる。結構あからさまに描かれてると思うけど、当時はそういう価値観自体ないことにされてたってことかな。

太陽がいっぱい (河出文庫)
パトリシア ハイスミス
河出書房新社
2016-05-07


リプリー [DVD]
マット・デイモン
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2015-03-04

『静かなふたり』

 地方からパリへ引っ越してきたマヴィ(ロリータ・シャマ)は友人のアパートに居候しているが、彼女の恋人が頻繁に出入りをしている部屋では落ち着けずにいた。ある日、カルチェ・ラタンの古書店で従業員募集の張り紙を見たマヴィは、店主ジョルジュ(ジャン・ソレル)に雇われ、古書店の2階に間借りすることもできた。2人は親子ほどの年齢差があるが、徐々に惹かれあう。しかしジョルジュの過去には秘密があるようで、不審な男が店を訪ねてくる。監督はエリーズ・ジラール。
 若い女性と年配男性とのラブストーリーには、個人的には見ていてあまりいい気がしないことが多い。往々にして男性側の欲望が出過ぎているように感じられるからだ(もちろん必然性があって年齢差設定になっていることもあるが、特に意味なく女性が若いってケースの方が多い)。しかし本作にはそんなに嫌な感じはしなかった。ジョルジュは気難しいがマヴィとは対等に接するし、彼女を脅かすような振る舞いはしない。マヴィもジョルジュにはあまり遠慮しないし結構ずけずけものを言う。
 マヴィとジョルジュの関係は都合が良すぎて(何しろマヴィにとっては仕事も住家も恋人も一気に手に入る)、安直なマンガのようなのだが、本作そもそも、マヴィの想像・妄想が綴られているのではないかなという気もした。だとしたら安直で全然かまわないわけだ。パリの風景があまりに狙い澄ました「パリ」然としたものなのも、それなら納得がいく。
 マヴィは頻繁に「自分の為に」文章を綴る。作中随所でマヴィのモノローグやジョルジュとの会話の音声が流れ、それがナレーションとしてストーリー進行するのだが、この音声のみの部分はマヴィが作った物語なのではないか。マヴィにとって理想的な年上男性としてのジョルジュはこう言うだろう、というような、画面上に姿実際にを現すジョルジュとの齟齬を何となく感じる。映画としては他愛ないといえば他愛ない、ジョルジュの過去の設定等も中途半端なのだが、マヴィがあくまで「自分の為」に語るのであれば、その他愛なさこそが中核になる作品とも見えた。本作で切り取られるのはマヴィにとっての人生の隙間、インターミッションみたいな期間だろうから。

ベルヴィル・トーキョー Blu-ray
ヴァレリー・ドンゼッリ
2015


昼顔 Blu-ray
カトリーヌ・ドヌーヴ
紀伊國屋書店
2011-09-24


『愛を綴る女』

 フランス南部の村に住むガブリエル(マリオン・コティヤール)は、愛を乞うあまりエキセントリックな言動に走り、村では噂になっていた。母親は彼女をスペインから来た労働者・ジョゼ(アレックス・ブレンデミュール)を結婚させる。しかしガブリエルはジョゼに「あなたを愛することはない」と告げる。腎臓結石の治療の為に療養所に入ったガブリエルは、そこで帰還兵アンドレ(ルイ・ガレル)と出会い恋に落ちる。原作はミレーナ・アグスの小説『祖母の手帖』。監督はニコール・ガルシア。
 原作は、孫が祖母=ガブリエルの手記を読んで彼女の過去を紐解くという構成だったのだが、手記=ガブリエルの一人称ゆえに、その内容はあくまで主観によるもの、「信用できない語り手」によるものだ。この足元の不確かさ、あいまいさが作品に奥行きを与えていた。真相らしきものが現れても、どこか胡散臭さが残るところが魅力なのだ。しかし映画化された本作は、その語りのあいまいさが失われてしまった様に思う。そもそも映像での一人称演出は難しいので、見せ方としては本作のやり方で問題ないのだが、最後の「種明かし」的な部分が唐突だし、明瞭すぎるのだ。これだと、「ようやく目が覚め真実の愛に気付きました。めでたしめでたし」って感じだ。でも、本作はそういう作品ではないはずだと思う。
 人は主観でしか生きられず、どのような愛がその人にとって適性なのか、選ぶのは本人でしかない。それが周囲からは狂っているように見られても、そうあるしかないという人は確実にいるのだ。ジョゼは客観的には良き夫であり、ガブリエルに尽くしていることがわかる。だがガブリエルが求めるのはそういうものではない。彼女の生活がジョゼに支えられているとか、ジョゼは彼女のことを愛しているだろうとか、そういうことはわかっていても、どうしようもない。一見、長年連れ添いジョゼとガブリエルの間に愛が生まれたようにも見えるんだけど、多分、ガブリエルにとっては愛とはちょっと違うんだろうな。
 原作読者としてはいまひとつな部分がある映画化だったが、人と人の距離感の見せ方には映像ならではの面白さがあった。特に冒頭、運転中のジョゼが息子(ある事情によりひどく緊張している)に対して見せる振る舞いは、父子の親密さを感じさせるものだ。ガブリエルも同乗しているが、今一つ息子の様子を察していない。夫や息子に対してどこか上の空な感じ。独身時代のガブリエルと両親妹との関係も、食卓のシーンで端的にわかる。



海の上のバルコニー [DVD]
ジャン・デュジャルダン
アメイジングD.C.
2013-08-02




『書架の探偵』

ジーン・ウルフ著、酒井昭伸訳
生前の作家の脳をスキャンし、リクローン(複生体)にした“蔵者”が図書館に収蔵されている世界。蔵者の一人である推理作家E・A・スミス(のリクローン)の元を、コレット・コールドブルックと名乗る女性が訪ねてくる。父親に続いて兄を失くした彼女は、兄にスミスの著作である『火星の殺人』を手渡されていた。この本が兄の不審死の謎を解く鍵になるのではと考え、コレットはスミスを借り出す。しかし2人は何者かに狙われていた。
人間(リクローンとは言え)がいわば生きた本となっている未来の世界。生きる著者(のコピー)に会えるなんて面白いかも・・・とちょっと思ったが冷静に考えると結構ひどいシステムだ。リクローンたちは「純正の人間」と同じような意識を持ち肉体的にも人間と変わらない。しかし図書館からの無断外出は禁じられ、貨幣も持たず、作家としての意識はあるのに著述は禁じられている。これって非人道的だよな・・・(ウルフの作品て、さらっと非人道的なシチュエーションが挿入されるよな)。更に、彼らが生きる世界(純正の人間の世界)のディストピアな様相も垣間見えてくる。人口自体が減り、人類が無気力に傾きつつあるようなのだ。そんな世界を変えるかもしれない火種を掴みつつ、スミスが最終的に着地するのが「探偵」であるところが渋い。彼が意図するのは、「彼女」の物語を完結させることであったとも言える。そういう意味では、リクローンであれ彼は作家なのだ。

書架の探偵 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

ナイト I (ウィザード・ナイト)
ジーン・ウルフ
国書刊行会
2015-11-13


『本屋、はじめました 新刊書店Title開業の記録』

辻山良雄著
 2016年、東京・荻窪に新刊書店「Title」を開業した著者。元はリブロの社員として各地の書店に勤務し、店舗運営、イベント企画などを担ってきたいわゆる名物書店員だった著者が、なぜ書店経営に踏み切り、どのような過程で店が出来上がってきたのかを綴る。
 著者は書店員を経て書店経営を始めたわけだが、書店以外でも、「自分の店」を始める時ってこういう感じなんだなと、大変面白かった。ある仕事のルポとしてはもちろん、今、自営の店をやっている人、これから始めたい人の参考にもなるのではないかと思う。なんと巻末に事業計画書と開店初年度の営業成績表も掲載するという太っ腹。特に事業計画書をあらかじめ作っておいたということで、銀行からの貸付にしろ不動産賃貸契約にしろ、有利になる部分が大きかったそうだ。本文の中でも具体的なお金の話が結構出てくるので、大体こういう感じなんだなというイメージがつかみやすいし参考になる(支払のタイミングのずらし方とか、出版業界ならではなのかもしれないけどなるほどなと。図書カードでの支払いがどういう扱いになっているのか、最近よく見るiPadを使ったレジシステムのコストはどのくらいかなど、色々新鮮)。著者はあくまで自分の経験として綴っているが、文体のごくごく抑えたトーンといい、客観性が高く読みやすい。言うまでもなく書店というジャンルは厳しい状況にある。その中で今、個人で出店するのはなぜか、「良い書店員」とはどんな存在か、本作を通して見えてくるように思う。
 なお、Titleの棚は見応えがある。読書好きならどこかしら訴えかけられるものがあると思うし、明らかに力のある書店員が作っているとわかる。近くにいらした方はぜひ立ち寄ってお買いものしてほしい。



善き書店員
木村俊介
ミシマ社
2013-11-13


『亜人』

 研修医の永井圭(佐藤健)は、交通事故死した直後に生き返る。世界各地で出現が確認された、何度死んでも蘇る新人類「亜人」になってしまったのだ。亜人研究施設に収容され過酷な実験の被験者にされていた圭は、同じく亜人の佐藤(綾野剛)に助けられる。しかし佐藤は「亜人特区」を求めて大量虐殺も厭わないテロリストだった。佐藤からも逃げ出した圭は、亜人と人類との戦いに身を投じていく。原作は桜井画門の同名漫画、監督は本広克行。
 原作は未読、アニメシリーズは2期とも見たが、とても面白くよくできていたと思う。本作は実写化映画だが、原作とは大分改変されている(と思われる)し、相当かいつまんだ話になっている。展開は早く、109分と比較的短い尺。この設定だったらこんな感じだって大体わかるよね!という観客に委ねる部分が大きいと思うし、多分原作未読でも支障ないのではないだろうか。
 映画としてはすごく割り切った作りというか、注力部分とそうでない部分の落差が大きい。いわゆる人間ドラマや個々の登場人物の心理描写等は大分大雑把で、お世辞にも繊細とは言えない。それいちいちセリフで言わせるの?という興ざめな部分も(セリフ説明自体は実際はそんなに多くないのだが、なぜわざわざそれを言わせる・・・)。サスペンスとしての筋立ても大分脇が甘く、極秘のはずなのに研究室の場所何で変えないの?!とか、そもそも社長室にそんなもの置くなよ!とか、突っ込み所だらけでお世辞にもストーリーテリングが巧みとは言えない。本作はとにかくアクション一点張りで、そこに勝負かけている感がある。最近の日本映画ではHiGH&LOWシリーズに並ぶ新鮮さだった。
 CGで作られた「幽霊」を駆使した亜人同士の闘いはもちろん見所なのだが、意外とガンアクションに力が入っている。弾薬を装填して発射して、再装填して、という一連の流れを途切れずに見せており、これは銃器が好きな人が演出しているのかなという印象だった。綾野が拳銃からライフルまで幅広く銃器を扱うのだが、動きが様になっていた。本作、綾野のアクション演技の精度が大変高く、元々かなり動ける人だとは知っていたけど、ここまで来たか!と。このままアクションスターになっちゃうんじゃないかという勢いで、本作のアクションのすごさはほぼ彼が担っていると言ってもいいのでは。体もしっかり鍛えており、二の腕のがっちり感に驚いた。
 なお、メディアを使って「世の中」を見せる演出が大分ダサい。これ10年くらい前のセンスじゃないの?本広監督はそのあたりの感覚に無頓着なのかな・・・『踊る~』の頃からあんまり変わっていない気がする。

亜人(11) (アフタヌーンKC)
桜井 画門
講談社
2017-09-07


亜人 一 (初回生産限定版) [Blu-ray]
宮野真守
キングレコード
2016-03-16

『トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』

篠原辰史著
 1892年にアメリカで誕生したトラクターは、人力によるものだった耕作を機械科、作物の大量生産を可能にした。トラクターはアメリカでは量産により、ソ連・ナチスドイツ・中国では国策により普及していく。しかし農民や宗教界からの拒絶や、化学肥料の大量使用、土壌の圧縮、多額のローン等新たな問題も生まれていった。農業用の機械が世界にどのような変化をもたらしたか、農民、国家、社会を通して解説する。
 サブタイトルの「人類の歴史を変えた」という言葉は決して大げさではないということがわかる。こなせる作業量が変わる→生産量が変わる→産業構造自体が変わるということなのだなと実感できる1冊。食料の生産量が変わるとこうも世界が変わるのかと。トラクターを通して、世界の近代化の過程が見える、正に「トラクターの世界史」なのだ。一口に世界史といっても、切り口は色々なんだなと新鮮だった。「トラクター」の部分に何が入っても、それが世界の一部である以上、ちゃんと世界史になるはずなんだよね。おお世界がつながっていく!というわくわく感を感じた。
 当初、機械での耕作など温かみがない!というアニミズム的精神論による、導入への強い抵抗があったそうなのだが、これはどの分野でも同じなんだなと面白かった。手書きの文字の方が温かみがある、人柄がわかる(からワープロ反対)というのと同じだもんな。


戦争と農業 (インターナショナル新書)
藤原 辰史
集英社インターナショナル
2017-10-06




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