3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2017年06月

『ジーサンズ はじめての強盗』

 ジョー(マイケル・ケイン)、ウィリー(モーガン・フリーマン)、アルバート(アラン・アーキー)は長年の親友同士。ある時、40年以上勤めた会社の合併が決まり、仕事場の工場は閉鎖、年金も打ち切られてしまう。更にジョーは住宅ローンを延滞しており、家を失いそうになる。たまたま銀行強盗の現場に出くわしたジョーは、自分も銀行強盗をしようと思い立ち、ウィリーとアルバートを誘う。監督はザック・ブラフ。マーティン・ブレスト監督『お達者コメディ シルバーギャング』(1979)のリメイク作品。
 他愛ないと言えば他愛ないのだが、気負わず気楽に見られる作品で、空いた時間にぷらっと楽しむには最適だと思う。正直それほど期待していなかったので、得した気分になった。なぜこの名優3人を?!という疑問はあるのだが(彼らが演じる必然性はそれほど感じないので)さすがの安定感で全く危なげがない。マイケル・ケインがブルーカラーを演じるというのは結構珍しい気がするが、孫娘と「親友」な素敵おじいちゃん感がいい。フリーマン演じるウィリーのマイナス思考とぼやき、アーキー演じるアルバートのぱっと見口は悪いが結構常識人で慎重な所もチャーミングだった。この3人はもちろん、彼らの家族や銀行強盗の「先生」となるペットショップオーナー、またいきつけのダイナーのウェイトレスやスーパーの店長に至るまで、脇役が全員いい感じだった。「こういう人」感がちゃんと出ており、愛嬌がある。「イヤな奴」ポジションの銀行員もどこか憎めない。
 3人が銀行強盗を決意する経緯には、アメリカの労働者は本当に銀行が嫌いなんだろうなと妙なインパクトがあった。本作だけでなく、銀行に抗議に行くけど鼻であしらわれてどうにもならない、というシチュエーションはアメリカ映画には頻繁に出てくる。私はこういうシチュエーションが苦手で見ていて辛くなってしまうので、そんな時に銀行強盗がやってきたらやったー!って思っちゃうけど・・・。また、企業年金がなくなるというのもインパクトあり、そりゃあ銀行強盗でもかますしかないよな!と見ているこっちも俄然やる気になってきた。
 3人の「特訓」とか「アリバイ工作」とかかなり詰めが(特に時間的に)甘いところもあるのだが、パタパタとパーツが組み合わさっていく様は愉快だった。最後の「彼女」と「彼女」の視線のやりとりも、出来すぎなんだけどそれが嫌みにならない。
 なお、デザート代を節約しようとした3人にウェイトレスが「パイがないなんてダメよ!」とサービスしてくれたり、3人からの老人クラブへの差し入れがパイだったりと、なぜかパイ推しが目立つ。パイを食べることが、ちょっとした心のゆとり、財布のゆとりの象徴みたいだった。

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2015-12-25

三匹のおっさん (文春文庫)
有川 浩
文藝春秋
2012-03-09

『TAP THE LAST SHOW』

 天才タップダンサーとして一世を風靡したものの、ステージ上で事故に遭い引退した渡新二郎(水谷豊)。引退から10数年経ち酒に溺れる毎日を送っていた渡の元を、旧友の劇場支配人・毛利(岸辺一徳)が訪ねてくる。劇場を閉めることになったので、最後のショーを渡に演出してほしいというのだ。最初乗り気でなかった渡だが、オーディションに集まった若いダンサーたちを見るうち、本気になっていく。監督は主演もしている水谷豊。
 水谷豊初監督作品、かつ主演作だが、予想していたほど本人は全面に出てこない(演技がちょっとくどいのは気になったけど・・・)。なにはともあれダンサー達をしっかりと見せよう、タップダンスの魅力を伝えようという意思が一貫して感じられる。正直な所お話は少々古臭いし、若い俳優たちの演技も若干厳しい(プロのダンサーたちが演じているので、映画の芝居は本職ではない)。登場人物の造形も、設定は盛っているのに浅くてアンバランスだ。オーディションシーンでのコメディ色が大すべりしているのも痛い。
 しかし、ひとたびダンスが始まるとそういう疵が吹っ飛ぶ。そのくらいダンスシーンが楽しい。終盤の20数分間、ほぼぶっ通しでダンスショーを見せるという思い切った構成だが、これこそ見せたいところなんだよ!という熱気があった。ショーの途中でドラマの都合上観客の表情も映し出されるのだが、客席ショットでショーが中断されるのが勿体ない。確かに観客の反応がないとドラマっぽさは薄れるかもしれないけど、もっとダンスが見たい!という気持ちにさせられる。そう思わせた時点で本作は成功しているのだと思う。
 渡によるダンサーへのしごきは、デイミアン・チャゼル監督『セッション』を彷彿とさせるが、本作の方が私にとって好感度は高い。渡が、自分は去りゆく者だと自覚しており、去る前に若者たちに何か残してやりたいと必死になっていくからだろう。次の世代へ橋渡しするという部分が、ラストで明かされるとある設定でも明らかだが、そこを強調しすぎないのは良かった。とは言え設定を積みすぎな気はするのだが。
 なお、全力投球しているようには見えないのに、そこにいると画面が締まる岸辺一徳はもちろん、毛利の片腕・吉野役の六平直政がチャーミングだった。彼の衣装が一番良かった気がする。三つ揃いが固くなりすぎずに、かわいい(笑)着こなしだった。


 
フラッシュダンス [DVD]
ジェニファー・ビールス
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2013-08-23


『プリズン・ガール』

LS・ホーカー著、村井智之訳
 21歳のペティは18年間、父親と2人暮らしだった。父親は彼女を学校には通わせず、夜は部屋に閉じ込め、銃器やナイフの扱いと対人戦術を叩き込むという、常軌を逸した教育をしていた。そんな父親が突然死亡。遺言内容は、遺言執行人と結婚しないと全ての財産を取り上げられるというとんでもないものだった。このままでは自由になるチャンスが奪われ、囚人のように一生を送ることになる。ペティは父の遺品を奪い、逃亡を図る。
 一気読みに最適な面白さ!父親に護身術を叩き込まれており滅法強いものの、家の外の世界を全く知らないペティの行動は危なっかしい。何しろテレビすらろくに見たことがなく、車の運転もできない(アメリカの田舎住まいで車の運転ができないというのは、いかに致命的かよくわかる小説でもある)し、父親以外の人間と接したことがないから一般的な人づきあい、適度なコミュニケーションの取り方もわからない。冒頭、警察が父親の遺体の確認にやってきたときの彼女の言動の「不自然」さの造形が上手い。ここでぐっと引きこまれた。父親はなぜ彼女をそのように育てたのか、父親はいったい何者だったのか、その痕跡を辿ることで彼女が自分の人生を切り開いていく。庇護を拒否し、初めて自分の生活を獲得しようとするペティを応援したくなる。初めて「世界」に触れる彼女の視線と通して、世界が新鮮に見えてくるシーンも。同時に、彼女に同行することになった青年の成長物語でもある。気はいいが意志が弱く流されがちだった彼が、本気でペティの力になろうとしていく。ペティの父親の遺言は、彼が忌避したものと同じものになってしまうのでは、何でこんな遺言になるんだという疑問点は残るのだが、勢いがあり息をつかせない。なおこういう設定の場合、日本だったら主人公を10代の少女にしがちなところ、ちゃんと成人なのでほっとしました(笑)

プリズン・ガール (ハーパーBOOKS)
LS ホーカー
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2017-05-17

音もなく少女は (文春文庫)
ボストン テラン
文藝春秋
2010-08-04

『ハクソー・リッジ』

 敬虔なキリスト教徒で、人を殺してはならないという信念を持ち、宗教上の理由で銃を手にすることも忌避している青年デズモンド・ドス(アンドリュー・ガーフィールド)は、衛生兵として軍に志願するものの、武器を持たない彼は仲間からは疎んじられ上官からは理解されない。彼の所属部隊が派遣されたのは沖縄。ハクソー・リッジと呼ばれる断崖絶壁がアメリカ軍を拒んでおり、そこは激戦地となっていた。監督はメル・ギブソン。
 第二次世界大戦中、沖縄戦で武器を使わず75人の命を救った米軍衛生兵、デズモンド・ドスの実話を映画化した作品。第89回アカデミー賞で編集賞と録音賞を受賞している。録音賞受賞は納得。音の距離感や奥行がはっきりと感じられる。銃を撃つ際の、引き金を引く作動音、火薬の爆発音、薬莢が落ちる金属音まで音の粒が立っていると言えばいいのか、音のひとつひとつがクリアでインパクトがある印象だ。音の設計や画面上の構成が3D映画ぽい(本作は2D上映のみ)気がした。
 メル・ギブソンてこんなにテンポのいい映画を撮る人だったっけと驚いた。映画の段取が良く、必要な情報を順次開示していくという感じの、よく整理されている話の運び方だと思う。少年時代のエピソードでドスの信念の根っこの部分を提示し、更に父親との関係が銃を忌避する伏線として後からきいてくる。子供の頃の遊びから、岩山を走り回る体力と敏捷さが身についたんだなという情報も得られる。父親(ヒューゴ・ウィービング)の造形もいい。彼は第一次世界大戦で従軍したが、その時の体験により人が変わってしまった。今ならPTSDと名前がつくのだろうが、当時はそういう概念はなかっただろう。戦中を舞台にした物語だが、父親のあり方は戦争の後に生じること、戦争の後には彼のような人たちが大勢現れるであろうことも提示しているのだ。
 新兵の訓練では、当然銃を扱う課題がある。課題をすべてクリアしないと一人前の兵士としては認められないのだが、ドスは宗教上の主義としてこれを拒む。上司や同僚からすると戦場で武器を持たないというのは理解しがたい。ドス本人が危機にさらされるだけでなく、無力な隊員を守らなくてはならないという「手間」は隊全体にとってリスクとなるからだ。ドスは上官に逆らったことで軍法会議にかけられるのだが、ある手紙によって窮地を救われる。この手紙の内容が、なるほどアメリカは腐っても立憲主義国ということなんだなと納得させられるものだ。憲法は信仰の自由を守る、軍は憲法を守る為に存在するというスタンスなのだ。ダンを疎んじていた上官や同僚も(表面上とは言え)この指摘に納得するし、映画を観ている観客も納得するはずと思われているのだろう。ダンの行動は理にかなっているとは言い難いだろうし、上官も同僚も理解はしていないと思う。とは言え、彼には信仰を持ち続ける権利も、信仰を持ちつつ兵士になる権利もある。理解は出来ないがその権利は認める、ということなのだろう。

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『昼顔』

 お互いパートナーがいながら不倫関係にあった木下紗和(上戸彩)と北野裕一郎(斎藤工)は、北野の妻・乃里子(伊藤歩)によって引き離され、二度と会わないし連絡も取らないという念書を交わしていた。離婚して海辺の町で一人暮らしをしていた紗和は、大学の非常勤講師として北野が講演に訪れていることに気付く。再会した2人は何度も逢瀬を重ねるようになるが。テレビドラマ『昼顔 平日午後3時の恋人たち』の劇場版。監督は西谷弘。
 私はテレビドラマは何となく話の流れを知っているという程度なのだが、映画版を見るのに特に支障は感じなかった。本作、予想外の展開がほぼないのだ。主役2人が不倫をするドラマだったらまあこういう展開があるだろうな、というテンプレのみでほぼ出来上がっている。テンプレを使うことに対する照れとか躊躇みたいなものが全くなく、やるからには堂々とど真ん中をやるぜ!といった面持で、一回廻ってむしろ挑戦的なんじゃないかという気までしてきた。
 とはいえ、テンプレの連打だから退屈かというとそんなことはない。テンプレ=型であり、型をちゃんとふまえたものは間口が広く、普遍性があるのだ。TVシリーズを見ていなくてもそれなりに楽しめるというのは、そういうことだろう。所々、何でこの曲を使うの?ここは笑うところなの?というような違和感を感じたが、TVシリーズを踏まえての演出だったのかな?とは思った。
 前半は紗和と北野が再会し、何度もデートを重ねていくが、2人のいちゃいちゃ感がいちゃいちゃのお手本的で、幸せ感だだ漏れな感じに若干退屈してくる。ドラマとして盛り上げてくるのは、しっぺ返しが待っている後半だろう。正にメロドラマという展開でまあそうくるよなーとは思うのだが、伊藤歩の熱演もあって結構面白い。気持ちを切り替えたつもりだったのに、実はそうでもなかったと自分で気づいてしまう乃里子の姿に説得力がある。紗和と対面した時の態度は、決して演技ではないのだろう。土壇場で自分でもコントロールできない気持ちがあふれてしまう。このコントロールできなさは、紗和と北野が陥った関係と同じなのだ。感情に翻弄されていく人たちの話と言える(恋愛ドラマは不倫だろうがそうでなかろうが大体そんなものか)。
 古典的なメロドラマなのだが、不倫した人は世間に対しても後ろめたく、申し訳なさそうにしていないとならない、不幸にならないと納得されないというのは、何だかつまらないなとも思う。お互いの関係者に対してならわかるけど、職場の同僚とかには関係ないよなぁ・・・。紗和の過去を知った同僚たちは彼女に冷たくあたるが、それが不思議だった。仕事を一緒にする上では、仕事が出来る人かどうか、最低限コミュニケーションを取れるかどうかの方が圧倒的に大事だと思うけど・・・。

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上戸彩
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『ケモノの城』

誉田哲也著
 17歳の少女が、警察に自ら保護を求めてきた。彼女の体には多くの傷跡があり尋常ではない様子が窺えた。少女が監禁されていたというマンションには1人の女性がおり、浴室からは複数名の血痕が発見された。ここで一体何が起きたのか。2人の事情聴取が始まり、主犯と思しき1人の男性の存在が明らかになるが、2人の話は徐々に食い違っていく。
 実際にあった事件に想を得て書かれた作品だそうだが、最近だと黒沢清監督の映画『クリーピー 偽りの隣人』(原作は前川裕の小説『クリーピー』。私は原作小説未読なのでここでは映画の方を挙げる。)も同じネタだった。人間の不可解さ、薄気味悪さと恐ろしさが詰まった題材なので、ネタにしたくなるのはわかる。客観的に見ていると、なぜここで逃げられなかったのか、退けなかったのか、なぜどんどん取り込まれてしまうのか不思議なのだが、当事者になってみるとおそらくどうしようもないという、悪意の磁場みたいなものがある。一番怖いのは、その磁場に他人を引き込むことを何とも思わない、特に感情なく自然な行為としてそういうことをやる人間が存在するということだ。捜査を進める警察側と、ある青年側と、2方向から構成された小説だが、途中であっと驚かされる。構成の妙に唸るが、サプライズがなまじ上手くいっているので、事件の不可解さ、気味の悪さのインパクトが少々後退してしまったようにも思った。怖い、よりも上手い、の方が前面に出てくるように思った。

ケモノの城 (双葉文庫)
誉田 哲也
双葉社
2017-05-11


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2016-11-02


『パトリオット・デイ』

 2013年4月15日。愛国者の日(パトリオット・デイ)に開催されるボストンマラソンの警備の為、ボストン警察殺人課に所属する刑事トミー・サンダース(マーク・ウォールバーグ)は現場に駆り出されていた。会場には50万人の観衆が集まっており、マラソン参加者が次々にゴールしていく中、2度にわたって爆発が起きる。ボストン警察の警官たちは状況を把握できないまま必死に救護活動を行う。現場に到着したFBI捜査官リック・デローリエ(ケビン・ベーコン)は事件をテロと判断。多数の街中の監視カメラが撮影した、膨大な画像を解析する中で、「黒い帽子の男」と「白い帽子の男」が容疑者として浮上する。監督はピーダー・バーグ。
 2013年に起きたボストンマラソン爆弾テロ事件を題材にしたドラマで、実際に事件に関わった捜査関係者や市民たちが本人名(もちろん俳優が演じているが、関係者本人の名前が役名)で登場人物になっている。主人公格のサンダースは完全にフィクションだそうだが、彼がいることで物語としての動線整理がされている。とは言え、あまり出しゃばる主人公ではなく、基本的には群像劇だ。
 パニック映画としても、警察ドラマとしても、アクション映画としても面白い。事件直後の現場の混乱ぶりと視界の悪さは臨場感たっぷりだし、警察側も状況を把握しきれておらず指揮系統も乱れているあたりが生々しい。FBIが到着してからの捜査本部の作り方とか捜査の進め方など、どの程度事実に基づいているのかはともかく、なるほどなぁという説得力がある。監視カメラに残った断片的な映像から、容疑者の動きを推測し遡っていく流れは、「町の刑事」であるサンダースの能力がFBIの捜査力と噛み合った見せ場でありわくわくする(このエピソードが一番フィクショナリーではあるのだが)。また、中盤の銃撃戦は(これまたどの程度事実に基づいているのかはわからないが)車両と住宅地内というロケーションを活かしたユニークさがあった。民家のすぐ脇で銃撃戦プラス爆弾というとんでもないシチュエーションではあるのだが。
 とても面白かったのだが、同時にもやもやするものが残る。本作、FBIと警察、そして市民の総力戦で迅速なテロリスト逮捕に至るという物語だが、捜査の大きな手がかりとなるのは、町中に取り付けられた監視カメラなのだ。前述の、サンダースがカメ映像から犯人の行動経緯を推測していくシーンだが、犯人の動きが数分(本当に1,2分)ごとに記録できるくらいの台数のカメラがあるということに他ならない。これらの映像をFBIが一挙に収集することができ、かつ市民が積極的に撮影した映像を提供する。アメリカはここまで監視社会になっているのかと驚いたが、この監視状態がすんなりと受け入れられている所に、違和感を感じた。慣れていないからと言えばそれまでなのだが、本当にいいのか?という疑問は付きまとう。また、容疑者の画像を公開して市民の協力を仰ぐと言えば聞こえはいいが、(作中でデローリエが懸念するように)密告大会、リンチ大会になりかねない危うさもある。本作、ボストン市民が真の主役であり英雄であるというスタンスの地元愛映画でもあるのだが、「我が町」「我が国」に対する愛は、それ以外の排斥と繋がりかねない。色々と紙一重な感じだと思うのだが、それに対する自覚を(意図的なのか無意識なのか)見せないのだ。そういう意図の作品じゃないからしょうがないといえばしょうがないのかもしれないが、やはり気になる。犯人たちの英語以外の会話には字幕(英・日ともに)がつかない演出も、彼らを「他所の人」として分別しているように思った。彼らもボストン市民ではあるのだろうが(中国系男性が話す中国語には字幕がついていたので余計に)。

ローン・サバイバー Blu-ray
マーク・ウォールバーグ
ポニーキャニオン
2016-02-17



『セールスマン』

 小さな劇団に所属する俳優夫婦、エマッド(シャハブ・ホセイニ)とラナ(タラネ・アリシュスティ)は、アーサー・ミラーの戯曲『セールスマンの死』に出演中だった。ある日、引っ越したばかりのアパートで、エマッドの留守中にラナが何者かに襲われる。ラナは警察へ届けることを拒み、エマッドは独自に犯人を捜し始める。監督・脚本はアスガー・ファルハディ。
 ファルハディ監督の作品は、『別離』にしろ『ある過去の行方』にしろ、カップル間のすれ違い、溝の開いていく過程のとらえ方が鋭く、毎回ひやりとする。本作も、エマッドとラナが事件が起こったことによって段々すれ違っていく様や、ふとした言葉で決定的な亀裂が入ってしまう様が生々しい。事件によってラナがどういう立場に立たされ、どういう傷を負っているのかということが、エマッドには今一つぴんときていない。あっそれ絶対言っちゃダメなやつー!という言葉が出た瞬間にはぴりついた。例えば、これがひき逃げ等交通事故のようなものだったら、ここまで溝は広がらなかっただろう。性犯罪の被害者は、被害者側にも落ち度があったと往々にして責められがちだが、ラナもそれを恐れて警察に届けない。警察の聴取に耐えられるかどうかも定かではないし、とても話せる状態ではないだろう。世間体が悪くて通報したくないのではなく、世間がどのように自分を見るか予想できるから通報したくないのだ。エマッドはその部分に思いが至らないので妻の態度に困惑し、自分での犯人探しに踏み切る。しかしラナがエマッドに求めているのはそういうことではないんだろうなぁ・・・。
 面白い、良くできた作品なのだが、監督の過去作『彼女の消えた浜辺』や『別離』に比べるときちんとしすぎているきらいがあって、スリリングさはさほどでもない。所定のものが、所定の場所に収まっていくという感じで、物語の枠からはみ出してくる強烈な違和感みたいなものがないのだ。犯人の背景の設定や、いわゆる「悪人」が登場するわけではなくタイミングの食い違いや心の隙等、諸々の連鎖によって悲劇が起きる、しかし誰を責めればいいというわけでもないという構造等、あえてわりきれない話にしていく、意図的な「収まらなさ」はある。しかし、それすら設計通り感が強く、ちょっとお行儀が良すぎるというか、整理されすぎな気がした。
 私が『セールスマンの死』をちゃんと見た(読んだ)ことがないのも、物足りなさの一因かもしれない。おそらく、『セールスマンの死』とリンクしてくる部分があるはずで、そこがわかるとより味わい深く見られるのでは。

別離 [DVD]
レイラ・ハタミ
Happinet(SB)(D)
2012-12-04


『悪魔のソナタ』

オスカル・デ・ミュリエル著、日暮雅道訳
 1888年、スコットランド・ヤードの若き敏腕警部イアン・フレイは、不本意ながら密命を受けエジンバラへ赴任する。切り裂きジャックを彷彿とさせる事件が起きたので内密に捜査しろと言うのだ。現地で彼と組むことになったのは、剛腕だがオカルトマニアのマグレイ警部だった。2人は反発しながら捜査を開始するが、あるバイオリンとの関係が浮かび上がってきた。
 フレイの一人称による語りだが、やたらと饒舌。饒舌な語りは聡明だが気取り屋で落ち着きがない彼のキャラクターを表現してはいるのだが、少々うるさい。国内外問わず、あまり上手くない小説は饒舌な一人称によるものが多いような気がするんだが、気のせいか。とは言え、本作がつまらないというわけではなく、フレイのスコットランドdisとマグレイのイングランドdisの応酬、つんけんしながら共闘していく様等、キャラクター小説としてはそこそこ楽しめる。マグレイがフレイを小娘扱い(フレイは身だしなみにうるさくやや神経質で、マグレイは無頓着なので)するあたりや、マグレイの身ぎれいにすればそれなりにイケメン設定等、何か狙っているんですか・・・という気がしなくもない。どちらかというとラノベ的なノリなのだろうか。オカルトめいた雰囲気は悪くないのだが、色々持ちだしてきた割にはあまり機能していない気がする。真犯人解明の際、急に現れたな感が出てしまった(伏線がもうちょっとあればなーと)感も残念。ミステリとしてはちょっと反則的じゃないかなと思う。犯人当てを読者にさせようという意図がない作品だと思うので、反則的もいいと言えばいいんだろうけど。

悪魔のソナタ (角川文庫)
オスカル・デ・ミュリエル
KADOKAWA/角川書店
2016-03-25

刑事たちの三日間 上 (創元推理文庫)
アレックス・グレシアン
東京創元社
2013-07-27






『ダブルミンツ』

ごく普通の会社員、壱河光夫(淵上泰史)に1本の電話がかかってきた。発信元は高校の同級生で今はチンピラまがいの生活をしている市川光央(田中俊介)。光夫は高校時代、光央の「犬」として下僕扱いをされていた。光央は「女を殺した、なんとかしろ」と言う。数年ぶりで光央と再会した光夫は彼の共犯者になり、2人の関係は徐々に変化していく。原作は中村明日美子の同名漫画。監督・脚本は内田英治。
 根強いファンがいる漫画なり小説なりが原作の場合、あくまで原作に沿うのか映像作品として新たな解釈をするのか、さじ加減が難しい所だと思う。特に漫画原作の場合はビジュアルのイメージが既に固まっているから、どこまで原作のイメージに寄せるかという部分は活字原作よりもやりにくいだろう。ビジュアルイメージがかけ離れ過ぎたら原作ファンの反感をかう、かといって原作そっくりにすれば映画が面白くなるのかというとそうでもない。本作は、このあたりのどこを寄せてどこを寄せないか、という取捨選択が上手くいっていたように思う。漫画はあくまで原作、実写映画には実写映画としての見せ方があるという、当然と言えば当然のことがきちんとできているなという印象だった。脚本も内田監督が手がけているが、原作の咀嚼・再構成が上手くいっていると思う。
 光夫と光央の関係は、倒錯した主従関係でありつつ、時に主と従が逆転しそうな兆しも見せる。光央は傲慢で光夫を翻弄するが、どこか不安定で脆さも見える。ヤクザにもなりきれず、かといって気質に戻る気骨もない。彼の不遜さはその不遜さをぶつける光夫がいればこそだ。一方光夫は光央に翻弄されているようでありつつ、何でも従うことで逆に光央をじわじわ縛り付けているようにも見える。この反転し続ける共依存的な主従関係はBLの定番ではある(んですよ・・・)が、あえて関係性に名前をつけられないような演出にしているところにわかっている感がある。お互いに執着はあるが恋愛とも言い切れず、おそらく彼ら自身(特に光央は)も自分の行動が何を意味するのかよくわかっていない。あいまいで多面的な関係であるからこそ面白い。
 主演俳優2人が好演していた。わかりやすいルックスの良さではなく、ちょっとアクのある風貌の俳優を起用したのは正解だったのでは。特に光夫役の淵上は、冒頭のオフィスのシーンが大根役者っぽかったので大丈夫かな?と思ったのだが、後半でどんどん追い上げてきた感じ。また要所でベテラン俳優を起用して安定感を保っているので、割と安心して見られた。

ダブルミンツ (EDGE COMIX)
中村 明日美子
茜新社
2009-07-24




下衆の愛DVD
渋川清彦
SDP
2016-11-25


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