3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2017年05月

『野生の樹木園』

マーリオ・リゴーニ・ステルン著、志村啓子訳
カラマツ、モミ、マツやクルミ、リンゴ等、身近な樹木について綴られる随筆集。一篇一篇が集まって、1冊の本が樹木園のようになっている。樹木の植物としての特質、その樹木が人間にどのように利用されてきたのか、神話や文学作品の中でどのように言及されてきたのか、そして著者自身の樹木との関わりの思い出。文章はくどくなく控えめなのだが、樹木に対する親密さが感じられる。自分にとって親しい存在を紹介するという、実体験に即した文章なのだ。私は植物にはそんなに詳しくはないが、樹木の傍にいると落ちつく感じはよくわかる。眺めているだけでも、なんとなくほっとするもんね。どこの国でもこの感覚は変わらないのだろうか。イタリアは日本と植栽がわりと似ている(ただ、馴染みのない樹木も登場するが)からかな。

『ニック・メイソンの第二の人生』

スティーヴ・ハミルトン著、越前敏弥訳
警官殺しの罪で懲役25年を言い渡されていたニック・メイソンは、同じ刑務所に収監されていた暗黒街の大物、ダライアス・コールとの取引により5年目で出所する。取引内容は、携帯電話が鳴ったら必ず出てどんな指示にも従うこと。何の為なのか、自分がこの先どうなるのか見当もつかないまま、メイソンは指示に従わざるを得なかった。
著者の『解錠師』は面白かったが主人公の脇が甘すぎる(主人公がとても若いからってのも一因だが)のが気になった。本作の主人公であるメイソンはもっと年長だし世の中のことをよりわかってはいるが、やはりどこか脇が甘い。その状況で家族に会いに行くなんて、弱点をさらしているのと同じだぞ!と突っ込みたくなる。メイソンは妻と娘に会いたい一心で取引に応じるが、妻子にとっては彼はトラブルの元凶であり、関係回復なんて望むべくもないんだよね・・・。理性ではわかっていても一抹の希望にすがってしまうメイソンの姿がどうにももどかしかった。先の展開が気になり読み飛ばしてしまったが、時制の前後の仕方があまりスムーズでなく、意図的なものなのか単に雑なのかちょっとよくわからなかった。また、コールの計画は、その目的を知ってしまうとメイソンを引き込む必要ってあんまりなかったんじゃないかな・・・。何かもっとてっとりばやい方法ありそう・・・。

『服従』

ミシェル・ウェルベック著、大塚桃訳
2022年の大統領選を控え、投票所テロが起こり報道管制がしかれたフランス。極右国民戦線のマリー・ルペンを破って当選したのは穏健イスラーム政権だった。ユイスマンスの研究者である大学教授の「ぼく」は学長が変わったことで退職をよぎなくされる。
イスラーム政権がフランスで誕生するというなかなか思い切った設定だが、イスラーム政権による政治そのものというよりも、政権が、政治が大きく変化していくのに、国民であるはずの自分が当事者のような気がせず、妙だと思ってもなんとなく変化を見過ごしてしまう、そして受け入れてしまうという無気力感に強い現代性を感じた。今現在のフランス大統領選が引き合いに出され再注目されている作品だが、むしろ今の日本の空気感に通ずるものがある。「ぼく」は自他共に認めるインテリではあるが、自分の知力(と言ってもこの人あまり頭良くない感じなんだけど・・・)でこの世界に太刀打ちできるという手ごたえは全く感じていないようだし、詭弁のような説得にもなんとなく流されてしまう。自分で考えることにもう疲れてしまっているようでもある。国内情勢の変化が彼の年齢上の変化、いわゆる中年の危機と重なっているのも一因か。ゆらぎながら手探りを続けるよりも「服従」してしまった方が楽なのだ。ただ、彼が流されっぱなしなのは、彼が男性だからというのも大きな要因だろう。新しい政府の方針の上では、男性である彼は改宗さえすれば、ぱっと見大きな不利益を被ることがない。「ぼく」がずっと気にしているのは自分の下半身事情だもんな・・・。自分が損をすることがなければ(他の立場の人が不当に扱われたり不利益を被ったりしても)それまでの主義主張は結構簡単に手放してしまうものだというところに、いやーな気持ちになる。そしてウェルベックは相変わらずいけすかないインテリ男の造形が上手いなー。ちょいちょいぶん殴りたくなるタイプである。

『バーニング・オーシャン』

 メキシコ湾沖約80㎞に位置する石油掘削施設「ディープウォーター・ホライゾン」。2010年4月20日、技師のマイク・ウィリアムズ(マーク・ウォルバーグ)は勤務シフトに入り、同僚らとヘリコプターで施設に到着した。しかし海底油田から天然ガスが逆流、引火して大火災が起きる。マイクら作業員たちは被害を食い止めようと奔走しつつ、なんとか脱出しようとする。監督はピーター・バーグ。
 実際に起きた事件が元になっているが、ヒューマンドラマ方向にはもっていかず、ディザスタームービーに徹している。主役は人ではなく炎。何しろ海上のある種の孤島で大火災、しかも石油掘削所だから燃料がなかなか尽きないという、人間にはなすすべがない状況だ。視点が人間に近づきすぎないことで、炎の圧倒的な力がより際立っていた。こういう施設で火災が起きるとどうなるか、という災害の進み方みたいなものにひきこまれた。当然なんだけど、爆発が起きれば物が飛んでくるわけだよね・・・。
 この災害が天災ではなく、ほぼ人災であるというのがやりきれない。ストーリーの端々で、ここで別の選択をしていれば事故は起きなかった、あるいは起きたとしても規模をもっと小さくできたのではないかという運命の分かれ道が示唆されるのだ。運不運はどうしようもないが、コスト削減の為にテストを軽視したり、メンテナンスを怠ったりしたことの積み重ねで取り返しのつかないことになってくる様には、あー・・・とへたりこみたくなる。技師たちはそれなりに頑張っているのに、親会社の方針で全部ひっくり返されちゃなぁ・・・。でもこういうのって下請あるあるだよなぁとどんよりとした。マイクが言うように、コスト面の余裕のなさはいざと言う時のリカバリー能力を奪っていく。人員にも物資にもある程度余裕があることが、安全確保に繋がっていくというのは、どの現場でも同じだろう。
マイクは絶望的な状況の中でも、自分の知識と技術をフル活用し、同僚も自分も助かろうと全力を尽くす。彼の行為は、客観的には勇敢で英雄的なものに見えるだろうし、よくある「実話もの」だったら、彼をヒーローとした感動ものとして描くだろう。しかし、事態を乗り切った後の彼の振る舞いにはっとした。同僚の家族を見て動揺しまくりまともな対応はできず、一人になると泣き崩れる。ああ全然平気じゃなかったんだよなぁと、彼が受けたダメージ目の当たりにした気がした。

『イップ・マン 継承』

 1959年、香港。詠春拳の師父として地位を築き、周囲からも尊敬されるイップ・マン(ドニー・イェン)は妻ウィンシン(リン・ホン)と息子と暮らしていた。しかし、息子の通う小学校を立ち退きさせようと、英国人フランク(マイク・タイソン)の手下が執拗な嫌がらせをしてきた。学校を守ろうとするイップ・マンだが、息子が巻き込まれてしまう。そして彼の妻もある問題を抱えていた。監督はウィルソン・イップ。
 『イップ・マン 序章』『イップ・マン 葉問』に続くシリーズ三作目。
本シリーズはどれも美術が素晴らしいのだが、本作もセットも衣装も素晴らしい!第二次大戦後、好景気で沸く香港の街並みは、建物に繊細さとどこかヨーロッパ風でもある異国情緒(イギリスの影響だろうから複雑ではあるけど)があって美しい。また、イップ・マンの自宅のインテリアの作りが細やか!ほどよくお金があり、かつきちんと手を入れて暮らしている雰囲気が出ている。ウィンシンの衣装も、どれも華美ではないがおしゃれで楽しい。 こういう所に予算を割いて映画を作れるって、やっぱりいいものだなとしみじみとした。
前2作では自分の拳を確立しようと模索していたイップ・マンだが、本作では「詠春拳の師父」としての地位は盤石で、がつがつしていない。弟子に稽古をつけるシーンも作中にはない。いわば「あがり」の状態だ。だからこそ、息子の学校が安全であるよう手を尽くすといった、地域活動みたいなものに専念できるわけだろう。ただ、これから同じ道でのし上がってやろうという野心に燃える人にとっては、イップ・マンの余裕は癇に障るものでもあるだろう。息子の同級生の父親で、同じく詠春拳の使い手であるチョン・ティンチ(マックス・チャン)がイップ・マン宅を訪問した時の表情には、屈託が滲んでいる。そりゃあ、同じ流派で腕も劣らないと自信があるのに、何で自分だけって思っちゃうよなぁ。とは言え、チョンは野心家だが拳に対しては彼なりのまっすぐさがあり、イップ・マンとお互いのまっすぐさをぶつけ合うクライマックスは爽快だ。マックス・チャンがやたらと色気を垂れ流す(ドニーについては言うまでもなく)ので、ちょっとくらくらしてくるが。
 カンフーアクションはもちろん見応えがありとても愉快。拳法で戦うという部分は毎回同じではあるのだが、今回はこういう風にしてみよう、みたいな新鮮味を出す為の工夫が感じられる。エレベーターからの階段経由の一連のアクションは、階段で「踏みとどまる」足の描写をいちいち入れるあたりが面白かった。
 本作、カンフー映画ではあるが、同じくらいの注力度で夫婦の愛と絆が堂々と描かれており、なんだかぐっときた。イップ・マンのある局面での選択は、王道アクション映画だったらやらないんじゃないかというものなのだが、彼にとっては、もう一方の方がもっと大事なのだ。また、ウィンシンも、イップ・マンにとって拳がどういうものなのか、よく理解している。詠春拳をふるうのはイップ・マンだが、その道はイップ・マンとウィンシンが一緒に戦い、守ってきたものだと明言するような作品だった。2人が並んで歩いていく後姿に、つい感動してしまった。ここまで真向から夫の妻への愛を描くカンフー映画って、なかったんじゃないかなー。

『人生タクシー』

 政府から映画監督としての活動を禁じられたジャファル・パナヒは、テヘランの町でタクシー運転手をしていた。ダッシュボードに設置されたカメラには、教師や海賊版ソフト業者、交通事故に遭った夫婦、そして監督の姪ら、様々な人たちを映し出す。監督・脚本はジャファル・パナヒ。
 『これは映画ではない』の延長線上にあるような、フェイクドキュメンタリー風の作品だが、今回は舞台が移動しつつ話が進むので『これは~』のような閉塞感はない。人の出入りが頻繁で案外風通しがいいのだ。タクシーの乗客たちは皆好き勝手によく喋るのだが、パナヒ監督の境遇を知っている乗客は「あっこれも映画にするんでしょ?!」とあれこれ聞いてきたりもする。
 また、学校の課題でドキュメンタリー映画を撮っているのだという姪が、イラン国内で上映できない映画の条件を読み上げると、パナヒが「読まなくていいよ」と朗読をやめさせる。確かに、もう耳にタコができるくらい言われただろうしな・・・。姪は、なぜそういう条件が定められているのかは考えていないようで、「上映できないシーンは入れなければいい」「上映出来ない部分があるなら、変えればいい」と言う。それが映画=フィクションということなのだと言わんばかりだ。彼女は、自分が撮影していたゴミ拾いの少年が、映画として少々都合の悪いことをすると、彼にやり直しをさせる。その時点で「ドキュメンタリー」って何だ?という疑問が沸いてくるが、映画の演出と言えばそうも言えるし、何より彼女らの国で上映できる映画にする為には、そのシーンを「訂正」しなければならないのだ。しかし、「訂正」したら零れ落ちてしまうものもある。
 映画ってどんなものなんだろう、とふと考えてしまうシチュエーションがいくつも重ねられており、やはりこれは映画についての映画でもあるんだろう。「映画」と「記録」の線引きは出来るものなのか、トライし続けているように見える。パナヒが今現在映画制作を禁止されていることを忘れそうになるが、彼が急にそわそわし出し、車を出て行った理由がわかると、さっと体温が下がる。そういう世界があって、そういう世界で映画を作り続けるというのは、こういうことなんだと。

『〆切本』

左右社編集部編
作家に〆切はつきものだが、その〆切に苦しめられる話ばかり94篇を集めたアンソロジー。日本の作家に限定し、テーマの性質上随筆が中心だが、これ他国のものも集めると面白いだろうなぁ・・・。わざわざ〆切について書くくらいだから〆切が迫って苦しむ作家が殆ど。期日が迫っているのに頭に何も浮かばない、時間に余裕があるうちはさっぱりやる気にならず期日が迫ってようやく着手など、作家ならずとも「あるある!」と握手をしに行きたくなるようなエピソードが目白押しだ。ただ、現代の作家の〆切話はそれほど過激ではない。皆わりとちゃんとしている。いわゆる「文豪」の方々のエピソードの方がスケールが大きいというか、(お金と時間に)おおらかで文士がある意味甘やかされている時代があったんだな・・・と世知辛い気持ちにも。特にすごいなと思ったのは内田百閒。そ、その本末転倒な資金繰りは何だよ!その時間で原稿書けよ!まあ百閒の場合、このエピソードに限らず、よくこの人生活できてたよなーという話がいっぱいあるけど・・・。

『インヴィジブル・シティ』

ジュリア・ダール著、真崎義博訳
ブルックリンのスクラップ置き場で、全裸で髪をそり上げた女性の死体が見つかった。記者のレベッカは遺体が警察ではなく黒衣の男たちに引き渡され、検死もされていないらしいことに驚く。被害者は正統派ユダヤ教徒のコミュニティに所属するユダヤ教徒だった。レベッカは真相を探ろうとするが、閉鎖的なコミュニティの壁にぶつかる。
ユダヤ教徒のコミュニティの特異さや、その中で生きる女性たちの複雑な心情が描かれるものの、こういったコミュニティを全否定しているわけではない。外部からはわかりにくい安心感や支え合いの姿勢があることにも言及されている。とはいえ、女性にとっては生き方の選択肢が極端に少ない世界ではあるよな・・・。レベッカは記者としての気概で事件を追っているのはもちろんなのだが、実はもっとプライベートな理由がある。レベッカ自身がユダヤ系であり、ユダヤ教徒だった母親は彼女が幼い頃に家出をして以来音信不通なのだ。彼女の中では、死んだユダヤ人女性の背景を調べることが、自分の母親の背景を知ることに重ねられている。母親への愛憎をひきずりながら事件を追うレベッカの姿はどこか危うい。そんな彼女のルームメイトであるアイリスの、ほどよい距離感を保った寄り添い方が印象に残った。

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