子供の頃に腎臓の病気・腎ネフローゼを患った村山聖(松山ケンイチ)は、入院中に将棋に夢中になる。大阪でプロ棋士・森信雄(リリー・フランキー)の弟子になり、上京して同世代の天才・羽生善治(東出昌大)との対戦を目指すが、難病は村山の体を蝕んでいく。29歳で亡くなった棋士・村山聖の生涯を追った大崎善生の同名ノンフィクションが原作。監督は森義隆。
序盤、説明的な台詞が続き、また日本映画の悪い癖が・・・とげんなりしそうになったが、どんどん削ぎ落され作品のスピード感が増していった。省略するところは大幅に省略し、羽生とのライバル関係に焦点を絞った構成にしている。実在の人物が主人公、しかも羽生を筆頭に現在存命どころか第一線で活躍している人が登場するわけで、脚本演出は(かなりフィクションとして脚色しているのではと思うが)色々とやりにくいところもあっただろう。しかし、脚本も役者も健闘しており、さほど期待していなかっただけに満足度が高かった。普遍的な青春物語、一種の「競技」ものとして楽しめるように作られていると思う。私も将棋の知識には乏しいが、とても面白かった。特に序盤、村山が上京してマンションの下見をして回ったり、東京でも徐々に仲間が増えて将棋会館で話し込んだりという小さなエピソードの端々に、青春ぽさを感じる。また将棋の対局シーンは当然多いが、将棋を知らなくても、役者の演技やショットの積み重ねで今どんな感じなのか雰囲気が伝わってきて、見ていて飽きない。作品の間口を広げようという配慮がほどよくされていたと思う。
全編通して、村山の生き方の一途さと同時に、どろどろとしたもの、人間としての弱さも描いている。(本作で描かれる)村山は愛すべき所が多々ある人だが、友人として、ライバルとして付き合うのが相当厄介そうな人でもある。不器用だがかまってほしがりな感じは、愛されもし、鬱陶しがられたりもしたんじゃないだろうかと思わせるものだ。将棋に関しては妥協がなく率直すぎる。染谷将太演じる後輩の江川との感情のぶつけあいが印象に残った。(お互いに別の意味で)持っている人には持っていない人のことはわからないのだ。また、将棋に全てを注ぎ込んで命を削る彼の生き方も、将棋に対する真摯さ・率直さも、鬼気迫ると言えばそうなのだが、親しい人(特に家族)にとっては大分残酷なものだったのではないかと思う。病気の苦しさは本人にしかわからないとは言え、将棋に打ち込める体を保持するために不摂生をなんとかして!と言いたくもなる。そこに注意を払う手間すら、将棋にうちこむエネルギーに代えたかったのかもしれないが。
羽生は村山にとってライバルであり憧れであるのだが、2人の間には将棋以外の共通の話題がない。差しで飲む(このエピソードは創作らしいが)時のお互いの趣味の合わなさは、村山の片思い感も相まってユーモラスでもある。しかし、むしろ将棋しかない、棋士同士としてなら深い所まで分かり合える(し、他にはおそらく必要ではない)というところには、少年漫画の宿命のライバル感あってぐっときた(この対話はフィクションらしいので、多分宿命感は意識して作ったんだろうな)。村山は少女漫画好きだから不本意かもしれないけど・・・。
序盤、説明的な台詞が続き、また日本映画の悪い癖が・・・とげんなりしそうになったが、どんどん削ぎ落され作品のスピード感が増していった。省略するところは大幅に省略し、羽生とのライバル関係に焦点を絞った構成にしている。実在の人物が主人公、しかも羽生を筆頭に現在存命どころか第一線で活躍している人が登場するわけで、脚本演出は(かなりフィクションとして脚色しているのではと思うが)色々とやりにくいところもあっただろう。しかし、脚本も役者も健闘しており、さほど期待していなかっただけに満足度が高かった。普遍的な青春物語、一種の「競技」ものとして楽しめるように作られていると思う。私も将棋の知識には乏しいが、とても面白かった。特に序盤、村山が上京してマンションの下見をして回ったり、東京でも徐々に仲間が増えて将棋会館で話し込んだりという小さなエピソードの端々に、青春ぽさを感じる。また将棋の対局シーンは当然多いが、将棋を知らなくても、役者の演技やショットの積み重ねで今どんな感じなのか雰囲気が伝わってきて、見ていて飽きない。作品の間口を広げようという配慮がほどよくされていたと思う。
全編通して、村山の生き方の一途さと同時に、どろどろとしたもの、人間としての弱さも描いている。(本作で描かれる)村山は愛すべき所が多々ある人だが、友人として、ライバルとして付き合うのが相当厄介そうな人でもある。不器用だがかまってほしがりな感じは、愛されもし、鬱陶しがられたりもしたんじゃないだろうかと思わせるものだ。将棋に関しては妥協がなく率直すぎる。染谷将太演じる後輩の江川との感情のぶつけあいが印象に残った。(お互いに別の意味で)持っている人には持っていない人のことはわからないのだ。また、将棋に全てを注ぎ込んで命を削る彼の生き方も、将棋に対する真摯さ・率直さも、鬼気迫ると言えばそうなのだが、親しい人(特に家族)にとっては大分残酷なものだったのではないかと思う。病気の苦しさは本人にしかわからないとは言え、将棋に打ち込める体を保持するために不摂生をなんとかして!と言いたくもなる。そこに注意を払う手間すら、将棋にうちこむエネルギーに代えたかったのかもしれないが。
羽生は村山にとってライバルであり憧れであるのだが、2人の間には将棋以外の共通の話題がない。差しで飲む(このエピソードは創作らしいが)時のお互いの趣味の合わなさは、村山の片思い感も相まってユーモラスでもある。しかし、むしろ将棋しかない、棋士同士としてなら深い所まで分かり合える(し、他にはおそらく必要ではない)というところには、少年漫画の宿命のライバル感あってぐっときた(この対話はフィクションらしいので、多分宿命感は意識して作ったんだろうな)。村山は少女漫画好きだから不本意かもしれないけど・・・。