有能な外科医トンマーゾ(マルコ・ジャリーニ)は、仕事は出来るが毒舌で傲慢。妻カルラ(ラウラ・モランテ)との仲は倦怠気味、娘はトンマーゾにとっては期待外れの男と結婚していたが、医大生の長男が後を継ぐのを楽しみにしていた。しかし息子は突然神父になると宣言する。とっさにものわかりのいい父親を演じてしまったトンマーゾだが、納得いかず、息子は話術たくみなピエトロ神父(アレッサンドロ・ガスマン)に洗脳されたと思い込む。ピエトロが前科持ちだと知り、トンマーゾは失業者を装って近づき、尻尾を掴もうとする。監督はエドアルド・ファルコーネ。
楽しいことは楽しく、それなりにホロリとさせられるコメディなのだが、ちょっと平坦だなぁという印象を受けた。本作を配給するGAGAは、大ヒットしたフランスのコメディ映画『最強のふたり』に連なる路線として売るつもりみたいだけど、『最強のふたり』の方が色々細部まで目が行き届いており、技があったと思う。
トンマーゾにしろカルラにしろ、登場人物の造形が概ね紋切型にカリカチュアされているのが辛かった。トンマーゾは有能故に傲慢で他人の心の機微に疎い。息子がなぜ信仰の道に惹かれたのか考えてみようともせず、ピエトロのせいだと決めつけてしまう。カルラは経済的には不自由ない「奥様」だが心は満たされずボランティアやチャリティーで気を紛らわし、キッチンドランカー状態。長女は「オツムの軽い(そこそこ)美人」でその夫はボンクラ。あーこういうのどこかで見たなぁという気分が拭えない。よくある設定が悪いというのではなく、紋切型から「その人」として登場人物が立ち上がってくる為の、もう一味が足りないという感じ。カルラが息子に空疎な生活だと指摘され大変身するあたりや、終盤で娘がぶちまけるシーンなど、ちょっと「絵に描いたような」感が強すぎた。間にもう一クッションくらいエピソードが欲しくなっちゃう。細部の雑さで気が削がれるのがもったいない。
ともすると戯画的なトンマーゾ一家に対し、ピエトロはごくごく普通の人として地に足がついた感じがし、自然体に見えた。彼がどういう人なのかは、あまり言及されない。本作はあくまでトンマーゾと家族の話なのだろう。ピエトロは媒介みたいなものだ。
ピエトロは神父なので、当然信仰に関する話題も出てくるのだが、そこを強調はしていない。トンマーゾは無神論者だが、ピエトロは彼にカソリックの信仰を強いようとはしない(多分トンマーゾもいきなり信仰に目覚めたりはしないだろう)。彼が話すのは、もっと素朴な、この世界の細部の美しさみたいなものだ。それはトンマーゾが見失っていたものなのだろう。
楽しいことは楽しく、それなりにホロリとさせられるコメディなのだが、ちょっと平坦だなぁという印象を受けた。本作を配給するGAGAは、大ヒットしたフランスのコメディ映画『最強のふたり』に連なる路線として売るつもりみたいだけど、『最強のふたり』の方が色々細部まで目が行き届いており、技があったと思う。
トンマーゾにしろカルラにしろ、登場人物の造形が概ね紋切型にカリカチュアされているのが辛かった。トンマーゾは有能故に傲慢で他人の心の機微に疎い。息子がなぜ信仰の道に惹かれたのか考えてみようともせず、ピエトロのせいだと決めつけてしまう。カルラは経済的には不自由ない「奥様」だが心は満たされずボランティアやチャリティーで気を紛らわし、キッチンドランカー状態。長女は「オツムの軽い(そこそこ)美人」でその夫はボンクラ。あーこういうのどこかで見たなぁという気分が拭えない。よくある設定が悪いというのではなく、紋切型から「その人」として登場人物が立ち上がってくる為の、もう一味が足りないという感じ。カルラが息子に空疎な生活だと指摘され大変身するあたりや、終盤で娘がぶちまけるシーンなど、ちょっと「絵に描いたような」感が強すぎた。間にもう一クッションくらいエピソードが欲しくなっちゃう。細部の雑さで気が削がれるのがもったいない。
ともすると戯画的なトンマーゾ一家に対し、ピエトロはごくごく普通の人として地に足がついた感じがし、自然体に見えた。彼がどういう人なのかは、あまり言及されない。本作はあくまでトンマーゾと家族の話なのだろう。ピエトロは媒介みたいなものだ。
ピエトロは神父なので、当然信仰に関する話題も出てくるのだが、そこを強調はしていない。トンマーゾは無神論者だが、ピエトロは彼にカソリックの信仰を強いようとはしない(多分トンマーゾもいきなり信仰に目覚めたりはしないだろう)。彼が話すのは、もっと素朴な、この世界の細部の美しさみたいなものだ。それはトンマーゾが見失っていたものなのだろう。