3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2016年06月

『レジェンド 狂気の美学』

 1960年代初頭のロンドン。双子のギャング、レジー・クレイとロン・クレイ(トム・ハーディ二役)はアメリカン・マフィアと手を組み、そのネットワークはセレブや政界にまで及んでいた。レジーは部下の妹・フランシスと恋に落ち、犯罪から足を洗って結婚すると約束する。カジノ経営に注力したレジーは成功するが、昔ながらのギャング稼業を愛するロンは反感を覚え、組織には不協和音が生まれていった。監督はブライアン・へルゲランド。
 スウィンギン・ロンドンの時代ということで音楽も多用されている。楽しいが、ちょっと音が多すぎるなと思った。全体的に余白の部分が少ない。音楽が入りすぎていることに加え、本作は概ねフランシスの視点から、彼女のモノローグによって物語が進行する。このモノローグがちょっと多すぎ、物語に対する視点が煩雑になっているように思った。その程度のことだったら見ればわかるから(つまり、映像としてちゃんと説明が出来ている)いちいちモノローグ入れなくてもなぁと、少々うっとおしかった。クレイ兄弟ともギャング組織とも距離感のある人物を入れて、俯瞰させたかったのかもしれないが、あまり上手く機能していなかった気がする。
 レジーとロンは、外見は体格がちょっと違うくらいで良く似ている(何しろどちらもハーディが演じている)のだが、言動は大分違う。レジーは泥臭いギャング稼業から、徐々にスマートに大金を回収できる「ビジネス」へと志向を移していく。しかしロンは、その泥臭さ、撃ちあいや殴り合いこそを愛している。組織を盤石にし規模を広げていこうとするなら、当然レジーのやり方の方が合理的だし、実施、レジーが舵を取っている間はビジネスは好調なのだ。ビジネスが軌道に乗り、いちいち腕に物を言わせずにすむようになると、精神的に不安定で爆発しがちなロンは、組織にとってもレジーにとってもアキレス腱になりかねない。レジーは実際、ロンの暴挙のせいで刑務所に入る羽目になるのだが、それでもロンを切ろうとはしない。愛憎すら飛び越え、お互いに切るに切れない存在なのだ。この有無を言わせない関係性が、彼らを追い詰めていくものの一つだったのかもしれない。お互い別の人間なのに自分達では離れることも関係性を変えることも出来ないというのは、相手を好きであれ嫌いであれ、厄介なものだろう。
 本作、ハーディが2役を演じたことで話題だが、確かに名演だったと思う。とにかく双子が一緒にいるシーンが多いので、大変だったと思う。とっくみあいの喧嘩シーン等、ボディダブルを使うにしても、どうやって撮ったのか不思議。

『1945年のクリスマス 日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』

ベアテ・シロタ・ゴードン著、平岡麻紀子訳
第二次世界大戦後の日本、日本国憲法GHQ草案の作成に22歳で参加した著者の自伝。著者のことが一般的に知られたのはごく最近だと思うが、草案作成後にスタッフ全員に緘口令が布かれており、近年まで公表することができなかったからだそうだ。著者はオーストリアで生まれ、ピアニストだった父親が日本の音楽学校に招かれたのに伴い、日本で育った。幼い頃から日本で育った為に、日本語は堪能で日本文化への理解も深く、人材不足だった終戦直後に、GHQに採用されたそうだ。当時、どういう風に草稿作りが進められていたのか、どういう人たちが携わっていたのか、時代の空気感(アメリカから見た日本のものではあるが)も伝わり面白い。少なくとも草稿を作ったスタッフたちは、日本一国がどうこうというよりも、理想としての憲法を作ろうとして奔走していたように思う(アメリカによる「宣伝」という側面は当然あるのだが)。日本国憲法はGHQからの押しつけだと考える人もいるだろうが、こと人権に関しては、この人たちが従事していなかったらもっと立ち遅れていたのではないだろうか。特に男女平等に関する事項は、著者のおかげで成立した部分も大きいと思う。著者は草案を練っていた当時から、日本では個人の人権という概念がなかなか理解されない、定着しないのではと危惧し、草案段階で出来るだけ人権に関する条項を盛り込んだそうだが、それ正解だったなと思う。いまだに定着しているのか不安な所もあるもんな・・・。むしろ、GHQがこれだけ強引に押し切っても現状こんなものかというがっかり感すらある。しかも現在、更に後退しようとしていて著者が生きていたら何と言っただろうかと考えてしまう。ただ、著者は当時としては先進的な考え方の持ち主だったが、それでも時代や環境による限界はある。家族に関する価値観には古さが否めないし、本作後半で取り上げられている海外文化のアメリカへの紹介事業等は、本来の文脈と切り離した海外の伝統芸能の紹介は果たしてベストなのか気になった。

『教授のおかしな妄想殺人』

 哲学教授のエイブ(ホアキン・フェニックス)はアメリカ東部の大学に赴任してきたが、慢性的に無気力で全てに悲観的になっており、酒が手放せない。彼の講義を受講しているジル(エマ・ストーン)はエイブに好意を持ち接近していくが、エイブが一線を越えることはなかった。ある日、エイブは偶然悪徳判事の判決により苦しめられている女性の会話を聞く。その判事を殺して人知れず善行を成すという思いつきに夢中になったエイブは、心身ともに好調になり、ジルとも恋人関係へと踏み切ってしまう。監督はウディ・アレン。
 アレン監督は、気合が入った作品と抜けた作品とを交互(でもないな・・・近年は抜けてる方が多いかも・・・)に撮っているイメージがあるが、本作は大分抜けた方だと思う。それでもそれなりに楽しいのは、さすがベテランということか。音楽が洒落ているのと、からっとしたブラックユーモアで、後に残るものはないが見ている間はそんなに飽きない。登場人物が相変わらず、全員自分本位で好き勝手やっているが、そこが却って見ていて気楽だ。
 ホアキン・フェニックスは、最近飲んだくれている役柄ばかりこなしているような気がするが、本作ではエイブが好調になるにつれ、顔つきだけでなく体つきまで心なしか締まって見えるようになるのはさすが。また、エマ・ストーンがキュート。ジルの言動は時に結構えげつない(家族とのディナーでの会話の内容は決して品がいいとは言えない)のだが、ストーンが演じると嫌みにならない。また、気立てはいいが基本的に自分本位というキャラクターも面白い。エイブに熱を上げて積極的にアプローチするが、前々から付き合っている両親公認のボーイフレンドもおり、1人に決められないのも許されるキャラクター。自分本位なのはエイブも同じなのだが、エイブはまだ保身の為の計算高さがはっきりとしている。ジルはそのへん無意識に全部こなしている感じ。こういう役をやっても「嫌な女」にはあまり見えないところが、ストーンの強みだと思う。
 ところでアレン監督作品の登場人物は、すごいセレブとかファッション関係の人出ない限り、ワードローブが限定されていて、着まわしという概念が作品内にあるところが面白いなと毎回思う。特にヒロインの衣装が微妙にやぼったく、手持ちの枚数も限られているっぽい(本作のジルも、そこそこ豊かな家のお嬢さんぽいが、5,6着を着まわしている感じ)ところ、監督の趣味なのかしら・・・。それとも単に制作予算の関係か。

『好きにならずにいられない』

 アイスランドのとある町。巨漢のフーシ(グンナル・ヨハンソン)は43歳独身、人づきあいは苦手で恋人なし、母親と同居している。空港の荷物係として働き、趣味はジオラマを使った第二次大戦ゲーム。そんな彼に母親の恋人がダンス教室のチケットをプレゼントした。渋々向かったフーシは、吹雪の為に帰宅できず困っていた女性シェブン(リムル・クリスチャンスドウテイル)に頼まれ家まで送り、恋してしまう。監督・脚本はダーグル・カウリ。
 フーシは空港の地上業務をしているのだが、重い荷物を運ぶことが多いので現場は男性ばかりだし、結構マッチョな雰囲気。こういう環境だと、いわゆる「マッチョ男としてのジョーク」みたいなものを投げてくる人がちょくちょくいるものだが、アイスランドでも同じなのか・・・。そして、恰幅はいい(一見マッチョ)が気性はマッチョに馴染まない男性が、そういう職場で働くのって相当きついんだよなとしみじみ感じた。いわゆる男らしさが過剰に要求されている感じなのだ。酒を飲んで卑猥な冗談を言い合って、というのがスタンダードで、フーシのように内気で他人と騒ぐのが苦手、女性に対しても奥手で童貞なんて人は、とうてい馴染めなさそう。いわゆる「男らしくあれ」という圧力は、男性集団内での方が強いのかもしれない。フーシの同僚たちのからかい方や、女性絡みの余計なおせっかい(当人たちにとっては親切心なのかもしれないが、フーシにしてみたらはた迷惑だろう)も、さもありなんな感じでげっそりした。こういうのって、万国共通なのか・・・嫌なグローバル感だな・・・。
 いわゆる非モテのファンタジー(見た目が冴えない自分でも、内面を理解して愛してくれる人が現れるはずという)でもあるのだが、本作最大のファンタジーは、シェブリンが現れるということよりも、フーシが彼女に尽くし続けるというところにあると思う。フーシも当初は、彼女と付き合いたい、愛し合いたいと願うが、シェブリンにある問題が生じると、ひたすら尽くす。彼の尽くし方が受け入れられる(思いやり故とは言え、やっていることは結構まずいと思う)という点も含めてのファンタジー。この境地に辿りつくのは、普通に煩悩ある人だとなかなか難しいんじゃないかな・・・。

 

『トリプル9 裏切りのコード』

 元軍人と現役の警官とで構成された強盗グループが、ある銀行へ押し入り貸金庫の中身を奪って逃走した。グループのリーダーであるマイケル(キウェテル・イジョフォー)は、この仕事を最後に依頼人のロシアン・マフィアとは手を切るつもりだった。しかしマフィアのボスでありマイケルの元妻の姉であるイリーナ(ケイト・ウィンスレット)はそれを許さず、マイケルの幼い息子を人質にとる。マイケルは、国土安全保障の施設を襲撃するという無茶な依頼を受けざるをなくなり、警察の緊急コード「トリプル9」を発動させてその隙に押し入るという計画を立てる。トリプル9とは、警官が狙撃されたことを意味するコードだった。その犠牲者として選ばれたのは、実直な刑事のクリス(ケイシー・アフレック)だった。監督はジョン・ヒルコート。
 マイケルの仲間にアンソニー・マッキーやノーマン・リーダス、クリスの叔父で上司であるジェフリーにウディ・ハレルソンというなかなか豪華な出演者。しかし華やかというよりも渋く面白い作品だった。キーマンとなるクリスが登場するまで、そしてキーワードとなるトリプル9という言葉が出てくるまでに結構時間が掛かるのだが、誰がどういう形でトリプル9を発動させ、誰が犠牲になるのかというサスペンスをぎりぎりまで引っ張っていく。
 本作に登場する人たちの多くは、冒頭から既に泥沼にはまっており、自由に身動きが出来ない。最初の銀行強盗の首尾自体がかなり危なっかしく、このチームでの仕事は色々難ありなんじゃないかと思わせる。しかし、息子がいるためにイリーナに逆らえないマイケルは、このチームで次の仕事をやらざるを得ない。破綻の予感が冒頭から続くのだ。また、警官でありながら強盗団に加わっているマーカス(アンソニー・マッキー)は、警官の仕事ではクリスとコンビを組んでいる。最初は反目していたものの、ある事件がきっかけで通じ合うものが生まれ、強盗団と警官としての絆との間で引き裂かれていく。一方、警官としては有能で部下の信頼も厚いジェフリーは、私生活ではアルコール依存症。仕事も家庭も成立しているのはクリスだけなのだ。ケイシー・アフレックは、精神不安定だったりちょっと破綻したような人の役を若い頃から多くこなしているので、まともな社会人役だと未だにちょっとびっくりする。
 マーカスと強盗団仲間のフランコ(クリフトン・コリンズJr.)は所謂悪徳警官になるのだが、悪徳であっても警官は警官で、そこに矛盾を感じていなさそうな所が面白かった。アメリカの刑事小説や犯罪小説を読んでいると時々見かけるパターンでもあるなと思った。犯罪者であることと、警官であることが両立しており、犯罪を犯す一方で、警官同士の絆も成立している。
 なお、ノーマン・リーダスが第二のショーン・ビーン化していくのではないかと心配になった(ビーンは素晴らしい役者ですが、あの人がこなす役柄は・・・ほら一定の傾向があるから・・・)。顔つきも何となく似てるしさ・・・。

『アトムとピース ~瑠衣子 長崎の祈り~』

 祖母が長崎で被爆した被爆3世の瑠衣子は、福島原発事故を経て福島原発再稼働に傾く日本に疑問を感じ、福島・青森の原子力平和利用の現場を旅する。監督は新田義貴。
 瑠衣子が道案内役となるロードムービーであり、ドキュメンタリーなのだが、うーんドキュメンタリーって難しい(フィクションももちろん難しいけど)な・・・とつくづく思った。本作は人生の中で原爆、原子力に関わった人達(原発事故で避難を余儀なくされた人たちを含め)へのインタビュー、瑠衣子とのやりとりで構成されているが、インタビュー対象の中には人前で話し慣れている人もいるし、全くそうでない人もいる。話慣れている人は、おそらく何度も同じテーマで話しているのだろう、話がルーティン化されているように思った。また、話し慣れていない人の話を編集すると、本当に通り一遍のことになっていまい、これもまたつまらない。ルーティン的な言葉、表層的な言葉からはみ出してくるものをキャッチする、引き出すのが聞き手の仕事だと思うのだが、本作にはその聞き手としての力が弱いように思う。
 こういうことを聞こう、こういうことを話してくれるであろう、という部分を予想しすぎているのではないか。結論ありき、な作り方、話の聞き方に思えた。これは映画のテーマに共感するしないとは全く別問題で、ドキュメンタリー映画としての地力が弱いのだ。設計図ありきのドキュメンタリーでも、それはそれで面白い時もあるが、「うまいことまとめました」感が強くて飽きることの方が多い。せっかくドキュメンタリーなのだから、ゴールが定まっていない方が面白い気がするのだが(すごく編集力が必要だろうけど・・・)。
 もう一つの大きな問題は、観客にとっての案内人となる瑠衣子の言葉が、あまりにつたないことだ。彼女はごくごく普通の人で、映画出演の経験等もないようなので、上手く話せないのは当然ではある。が、インタビューで聞いた話に対する感想など、言葉が足りなすぎるように思った。彼女の中から出てきた言葉ではなく、どこかで聞いた言葉を借りてきたみたいで、聞いていてむずむずしてしまった。最後の原子力研究に携わった人との対話も、双方自分が言いたいことを言うだけで全くかみ合っていない。もうちょっと自分の言葉で話してよと思ってしまった。

『クリーピー 偽りの隣人』

 とある事情で刑事から、大学で教鞭をとる犯罪心理学者に転身した高倉(西島秀俊)は、妻・康子(竹内結子)と一軒家に引っ越してくる。隣人の西野(香川照之)はどこか奇妙で捉えどころのない男だった。ある日高倉は、警察時代の後輩・野上(東出昌大)から6年前の一家失踪事件の分析を頼まれる。監督は黒沢清。原作は前川裕の同名小説。
 原作にどのくらい忠実なのかはわからないが、いやー怖かった!黒沢清作品を見続けてきたコアなファンにとっては、本作のラストは一般に配慮しすぎなものなのかもしれないが、この程度にしておいてくれないと正直きつい・・・(私は黒沢作品好きだが、本気のホラーは苦手なので)。また、出演者からしてもこのくらいで正解なんじゃないかなと思った。そもそも、公開版のラストでも十分怖い。ああいった事柄があったにもかかわらず、この先が依然として続く、という恐怖があるのだ。
 近年、実際に起きた事件をモデルにしているのだと思うが、(原作はどうだかわからないが)本作は事件をリアルに描く犯罪映画ではない。西野が「何かした」のはわかるが、具体的に何をどうしたのかははっきりしない、ただ、彼が人の心を支配していくということはありありとわかる。経路がはっきりしないからまた怖いのだ。この怖さは、西野を演じる香川や、西野に蝕まれていく竹内らの演技によるところも大きい。香川照之って、やっぱり上手いんだな・・・。奇矯な役柄ばかりが印象に残るのだが、西野の会話のテンポのずらし方や動きの唐突さから生じる不自然さは、演じる香川の身体コントロールがすごく的確だから成立しているのだと思う。また竹内は、溌剌としたイメージの役柄が多いし実際本作でも溌剌としているのだが、ある地点からの目の力のなさ、気力が抜ける感じにはぞわっとした。あ、この人もうだめだという感じになるのだ。
 西島演じる高倉は、一家失踪事件の関係者への行き過ぎた取材の際に、関係者から人の心がないんですかとなじられる。高倉は犯罪心理のエキスパートで警察内でも手腕には定評があるが、いわゆる心の機微にはむしろ疎いように見える。犯罪者の心理は見ぬくが、身近な人間の心には鈍感だ。心の動きが、自分(とその周囲)のこととしては捉えられていないような感じだった。そういう面では、西野の方が圧倒的に相手を観察しており機微に敏い(しかし自分の中には機微がない)のだ。もっともそういう人だからこそ、サイコパスと相対することができたのかもしれないが。

『エクスマキナ』

 世界最大の検索エンジンを運営するブルーブック社の社員ケイレブ(ドーナル・グリーンソン)は社内の抽選に当選、社長であるネイサン(オスカー・アイザック)の私邸に招かれる。ネイサンは滅多に人前に出ず、私邸は高原の広大な敷地の中にあった。私邸でケイレブは、人工知能を搭載した女性型ロボット・エヴァ(アリシア・ヴィキャンデル)を見せられる。ネイサンはケイレブに、エヴァに対してある実験をしてほしいと言う。監督はアレックス・ガーランド。第88回アカデミー視覚効果賞受賞作。
 SFの設定としてはそんなに珍しくはない。むしろ、よくあるパターン、オーソドックスなものなのではないか。人間のように振舞い、相手の言動に反応するエヴァに相対するうち、ケイレブの人間としてのアイデンティティが揺らいでいくというのもさもありなん。ただ、AIと人間の見分けのつかなさよりもむしろ、AIの入れ物がなぜ若く美しい女性なのか、という所の方がフォーカスされるべきなんだろう。ただ、この部分は、無頓着な人は気付かないと思う。同時に、普段からそういう部分を意識している、特にSF小説等を通じてそういうリテラシーを持っている人は、今更な話というか、未だにこの程度ですか・・・と拍子抜けするのではと思った。現代ならもっと、「その先」の物語を作れるんじゃないかと思うのだが。
 エヴァはケイレブに一方的に質問されることを拒み、自分からも次々と質問をする。AIである彼女は、相手が嘘をつくとすぐにわかってしまい、それを指摘する。ケイレブは予想外のエヴァの言動に戸惑い、ネイサンは予測通りに動かないAIに苛立つ。しかし、他人と相対するというのは、大概そういうものだろう。彼らは人間と同等のAIの開発を目指しているのだが、AIが本当に同等に振舞ったら、おそらく気に食わないのではないだろうか。彼らの思うAIとは、人間を越えるパフォーマンスを生むが自分には逆らわない、というもののように思う。
 エヴァの顔は人間の女性そのもので表情も人間と変わりないが、躯体は「皮膚」で覆われておらず、金属や樹脂をイメージしたデザイン(この見せ方はさすがアカデミー視覚効果賞受賞作)という所が面白い。「実験」をしているからというストーリー設定上の理由もある(ネイサンはやろうと思えば人工皮膚のようなものでエヴァをコーティングできるだろう)のだが、人間のようだがそうではないと明らかにわかることで、エヴァがより魅力的に見えるという側面もある。この、「ちょっと違う」故の魅力って何なんだろうな。

『三の隣は五号室』

長嶋有著
とある2階建てアパートの1室。この部屋には、1人暮らしの学生も、老夫婦も、幼い子供を持つ夫婦も、単身赴任の会社員も、傷心の女性も、怪しげな男も暮らしていた。1960年代から2000年代に渡る歴代の入居者たちの日常を、アパートの一室を舞台にコラージュしていく。本作、表紙をめくって本編を読み始めてから、あれ?と思った。題字と目次ページがない。読み進んで行くと、こうきたか!と思わず笑ってしまった。変に凝った造本になってしまっているが、納得した。最近の著者の作品を読むと、日常のささいな行動の描写がより具体的、丹念になっており、大きな出来事は、一見全然起きない。が、心にずっとひっかかっているようなことは、案外どうでもいいようなことだったりする。また、大きなことが起きた時には気付かず、後になってからあれがそうだったかと思い当たる(ないしはそれすら思い出さない)ということは多々あると思う。こういう、その時はわからない、流してしまようなことを一つ一つ拾っていく方向が強まっている。そういうものの積み重ねで、人の人生は出来上がっていくのだろう。歴代入居者同士が行き会うことはないが、彼らの人生はここを出ても続いていくし、アパートがなくなっても続く(だろう)ということが、何となく頼もしい。

『裸足の季節』

 両親を亡くし、祖母と叔父と暮らす5人姉妹。自由に遊びまわっていたが、ある日、古い慣習を理由に一切の外出を禁じられる。そして次々と結婚させられていく。13歳の末っ子ラーレは、何とか自由を手に入れようともがく。監督はデニズ・ガムゼ・エルギュヴェン。
 トルコ出身の若手監督による作品だそうだが、トルコでは本作はどのように受け止められるのだろうか。もちろん都市部だったり田舎だったり個人其々で多少違うのだろうが、日本にいる私が見るのとは、また違った感慨(あるいは違和感)をもって見るのだろうか。私が見たら5人姉妹が置かれる境遇は児童虐待だし人権侵害だと思うが、姉妹が住んでいるような田舎では、これが当然で特にひどいとは思われないのかもしれない。祖母や叔父にとってはこれが普通なのだ。しかし姉妹たちは学校やメディアやインターネットで、「ここ以外」を既に知っている。その上でこういう境遇に置かれるのは、やはり納得いかないだろう。これが普通だと思っている人たちを、それは違うと説得するのは至難の業だ。しかも姉妹たちは子供で、大人に対して出来ることは僅かだ。だから、本来なら大人がちゃんと保護者をやらないと、ということなんだろうけど。
 しかし、祖母も叔父も、旧弊であるということはさておき、子供にとってちゃんとした保護者とは言い難い所がある。祖母は孫に対する愛情はあるものの、彼女らを理解しようとはせず、おろおろするばかり。叔父は旧弊な価値観で姉妹を管理しようとするが、それと矛盾するようなこともやっている。厳しく保守的であっても保護者として機能しているならまだいいが、それすら怪しい。姉妹の周囲には、子供を子供として適切に守ろうとする大人がいない。家事を手伝っているおばさんがかろうじて、彼女らを思いやるくらいだ。子供として扱われていたのが、いきなり(結婚可能な)大人の女性として扱われる(ただし大人としての主体性は無視される)というのは、色々と禍根が残りそう。
 姉妹たちは集団でいると、「群れ」という感じでどれがどれだか(年齢差でしか)見分けがつかないのだが、結婚に対する態度でそれぞれの個性が見えてきて面白い。長女はさっさと恋人を見つけて円満に結婚するし、二女はこういうものかと諦めて結婚する。三女は一見従順だが、徐々に行動がおかしくなっていく。特に三女、四女の境遇は痛ましい。一番若いラーレは家を抜け出し、トラック運転手の若者に頼み込んで運転を覚え、なんとか脱出しようとする。見ていて辛いシチュエーションも多いのだが、ラーレのへこたれなさと快活さが救いになっている。邦題『裸足の季節』とは、子供時代を含むある時期も意図しているのだと思うが、ラーレはその季節を勝手に終わらせない為に走るのだろう。
 また、色鮮やかな映像がとても美しい。姉妹の部屋の色のバランスなど、かなりきっちりデザインされているように思った。とは言え、やっぱり屋外の方が眩しさも暗がりも美しいと思うが・・・。

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