ある病棟の精神科病棟から、1人の医師が姿を消した。患者である青年マイケル(グザヴィエ・ドラン)は手がかりを知っているらしい。院長のグリーン(ブルース・グリーンウッド)はマイケルから事情を聴きだそうとするが、マイケルは言葉巧みにはぐらかす。看護師長でグリーンの元妻であるピーターソン(キャサリン・キーナー)は2人を気遣う。監督はシャルル・ビナメ。
舞台用の戯曲を映画化したものだが、マイケルの振る舞いは確かに舞台映えしそうだ。グリーンの心を操るようにあっちこっちへと引っ張り回し翻弄していく。いわゆるコン・ゲーム的な側面のある作品なのかなと思っていたのだが、グリーンが予想外にボンクラっぽいので拍子抜け。彼は精神科の医師(院長なので現在は診療はしていない)なのだが、精神科医師としてその振る舞いは色々と問題あるんじゃないかなという気がして、そこにひっかかって気が散ってしまった。「君に嘘はつかないけれど、それは君に話すことではないわ」と言い切るピーターソンの態度の方が、医療従事者としても大人としても適切なんじゃないかなと思った。やはり、立ち入らせてはいけない領域があるのではないかと。精神科医には向いていないという自覚があるとは言え、グリーンはそのあたり大分脇が甘い。見ていてハラハラしてしまう。
また、マイケルの目的が終盤で提示されたものだとすると、大分回りくどく、もっと手っ取り早い方法があるのにという点もひっかかった。グリーンとマイケルとの会話劇・2人の関係の緊張感を描いたものとしてはマイケル側にアドバンテージがありすぎて面白みがないのだ。
マイケルとグリーンのやりとりやマイケルの背景よりも、むしろグリーンとピーターソンとのやりとりの方が印象に残った。やりとりの中から徐々に、2人の過去に何があったのか垣間見えてくる。グリーンはその過去との折り合いが、おそらくつかないままだった。それが原因でおそらくピーターソンとも別れたのだろう。しかしラストシーンでは、2人の間の空気は柔らかいものになっている。過去に起きたことは取り返しがつかないが、マイケルと関わることで、何か気が済んだというか、ふっきれたようにも見えた。
本作では俳優に徹しているドランだが、俳優としてはちょっとやりすぎというか、1つの演技に対して手数を出しすぎな印象だった。『トム・アット・ザ・ファーム』ではそこまでではなかったから、マイケルという役柄に寄せての演技プランなんだろうが、若干目にうるさい。好演だったのはキーナー。抑制された強さのある女性という雰囲気が出ていた。
舞台用の戯曲を映画化したものだが、マイケルの振る舞いは確かに舞台映えしそうだ。グリーンの心を操るようにあっちこっちへと引っ張り回し翻弄していく。いわゆるコン・ゲーム的な側面のある作品なのかなと思っていたのだが、グリーンが予想外にボンクラっぽいので拍子抜け。彼は精神科の医師(院長なので現在は診療はしていない)なのだが、精神科医師としてその振る舞いは色々と問題あるんじゃないかなという気がして、そこにひっかかって気が散ってしまった。「君に嘘はつかないけれど、それは君に話すことではないわ」と言い切るピーターソンの態度の方が、医療従事者としても大人としても適切なんじゃないかなと思った。やはり、立ち入らせてはいけない領域があるのではないかと。精神科医には向いていないという自覚があるとは言え、グリーンはそのあたり大分脇が甘い。見ていてハラハラしてしまう。
また、マイケルの目的が終盤で提示されたものだとすると、大分回りくどく、もっと手っ取り早い方法があるのにという点もひっかかった。グリーンとマイケルとの会話劇・2人の関係の緊張感を描いたものとしてはマイケル側にアドバンテージがありすぎて面白みがないのだ。
マイケルとグリーンのやりとりやマイケルの背景よりも、むしろグリーンとピーターソンとのやりとりの方が印象に残った。やりとりの中から徐々に、2人の過去に何があったのか垣間見えてくる。グリーンはその過去との折り合いが、おそらくつかないままだった。それが原因でおそらくピーターソンとも別れたのだろう。しかしラストシーンでは、2人の間の空気は柔らかいものになっている。過去に起きたことは取り返しがつかないが、マイケルと関わることで、何か気が済んだというか、ふっきれたようにも見えた。
本作では俳優に徹しているドランだが、俳優としてはちょっとやりすぎというか、1つの演技に対して手数を出しすぎな印象だった。『トム・アット・ザ・ファーム』ではそこまでではなかったから、マイケルという役柄に寄せての演技プランなんだろうが、若干目にうるさい。好演だったのはキーナー。抑制された強さのある女性という雰囲気が出ていた。