3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2014年08月

『この世界の女たち アン・ビーティ短編傑作選』

アン・ビーティ著、岩本正恵訳
今年読む翻訳短編小説集の中ではベストになるかもしれない。夫の義父とそのパートナーをディナーに招く女性の心の揺れを描く表題作を含む10篇を収録。主人公の多くは、経済的には比較的安定した、社会的な地位もそれなりにある人たちだ。しかしその生活にはふと不安がよぎったり、自分がここにいることが場違いに思えたり、過去の出来事に心をさいなまれたりする。ごくごく普通のことを描いていると思うのだが、読んでいると、そのひとつひとつにいちいちはっとする。特に、ごく親しい人なのに深い断絶をふと感じるといった、特に表題作に色濃く描かれているものが胸に迫った。表題作に描かれる夫の義父の、さりげない支配力の誇示には実にイラっとさせられた(笑)。こういう微妙な造形が上手い作品。その一方で、人生、特に老いの容赦なさ(自分が老いるのもだが、親の老いと実感するのってやっぱりきつい)を描きつつも、人生まだ捨てたものじゃないと思えるラストの「ウサギ穴」「堅い木」にもぐっときた。



『冬の生贄(上、下)』

モンス・カッレントフト著、久山葉子訳
スウェーデンの静かな地方都市リンショーピン。ある冬の日、木につるされた男の死体が発見された。遺体はひどく傷つけられており、古代の生贄の儀式を模したのではという説も出るが。刑事モーリン・フォシュは同僚らと共に捜査に奔走するが、一方で思春期の娘に手を焼いてもいた。本国では人気シリーズで、シングルマザーでワーカホリック気味のモーリンに共感する声も多いとか。モーリンは一見強い人だし仕事にのめりこみがちなのだが、10年近く前に離婚した夫に今でも未練があるという踏ん切りの悪い部分もあり、確かに人間くさい。彼女の同僚たちも家庭でそれぞれ事情を抱えており、今後のシリーズ作品ではよりストーリーに絡んでくるのかなという気配も。一方、事件は猟奇的で人間の得体のしれない「悪」の部分を示す。犯人が、というよりも犯人を作り上げたものの悪意が色濃く影を落とす。北欧ミステリって社会制度のクリーンなイメージと相反して、どうも陰惨なのが多いな・・・。死者の声がモノローグとして挿入されたりモーリンがしばしば想像に没頭したりと、幻想的な雰囲気も。

『トランスフォーマー/ロストエイジ』

 メガトロンとオートボットとの、シカゴでの戦いから4年。人間とオートボットらは決別、オプティマス・プライムらはオートボットを捉えて取り締まろうとする政府から身を隠していた。テキサスの田舎に住むケイド・イェーガー(マーク・ウォールバーグ)は古いトラックを手に入れる。そのトラックは車に変形して身を隠していたオプティマス・プライムだった。ケイドと娘のテッサ(ニコラ・ベルツ)はオートボットと政府、そして宇宙からの襲来者との戦いに巻き込まれていく。監督は前3作に引き続きマイケル・ベイ。
 キャラクターを一新し、人間側は全員入れ替えの新設定、オートボット側もオプティマスとバンブルビー以外は新顔だ。人間はともかく、オートボットについてはちょっとキャラクター粗末に使いすぎじゃないですか?という気もしてもったいない。
 相変わらず、やたらと長いし、作中移動距離感がでたらめだし、爆発大好きなベイ監督作品だが、前作『トランスフォーマー ダクーサイド・ムーン』よりはとんとんと話が進むのでほっとした。また、導入部分で、ケイドとテッサの親子関係がどんなものかちゃんとドラマとして見せようとしており、こんな父親でこんな場所に住んでいるティーンエイジャーだったら確かにきっついわ・・・という気持ちにさせられる(奨学金ダメだったか・・・というくだりも見せるあたり結構丁寧)。父親のことを本気で嫌いならまだ楽なんだろうけど、なまじ愛情があるから面倒なんだよなーと。最初のあたりを見ると、ベイ監督はちゃんとドラマを作ろうとしているとわかるんだよな(笑)。なぜかいつも途中でぐだぐだになるんだけど・・・。そもそもあの軍団を出すなら最初から出しておけば・・・。見せたい・撮りたいシーンを優先していった結果、ドラマとしての整合性が瓦解していくタイプなのだろうか。
と もあれ、オートボットたちの見せ場はしっかりとあるし、アクションや変形も前より見やすくなっている。ちゃんと軌道修正してくるあたり、学習はしているんだよな・・・。ただ、今回はオートボットの可動部分が多すぎ、ロボットというよりも金属生命体的なビジュアル。トランスフォーマーというものの設定からするとこれで正解なんだろうが、個人的にはもっとロボっぽくて表情も見せないのがいいのに!何より変形が複雑すぎて玩具化が至難の業!変形後に、元が(彼らにしてみたら車の状態が「変形後」なんだろうけど)何なのかわからない変形にはぐっとこないわー。

『ドライブイン蒲生』

 サキ(黒川芽以)とトシ(染谷将太)の姉弟は、さびれたドライブインを営む蒲生家の子。チンピラ崩れの父親(永瀬正敏)のせいで「バカの一家」とからかわれていた。サキは父親に反発して家を飛び出すが、数年後、夫のDVから逃げて、幼い娘を連れ実家に戻ってくる。原作は伊藤たかみの小説。監督はたむらまさき。
 実家に戻ってきたサキとトシが、過去(といっても数年前なんだろうけど)を回想する、現在と過去が交互に立ち現れる構成。しかし、現在も過去も2人の「ドライブイン」でのだらだら感が殆ど変わっていないのがおかしかった。一見、あまり進歩や変化のない人たちなのだが、現在のやりとりを見ていると、やっぱり変わってきたんだなぁと思えてくる。
 大きく変わってきているのは、サキの蒲生の家に対するスタンス、ひいては父親との関係だろう。父親をうっとおしがる、いかにも女子高校生的な態度から、やがて夫に啖呵を切るようになる変化は、過去と現在の対比の中で描かれ、ちょっとしんみりとした。対して、トシと父親の関係はずっと安定しているという対比が面白い。トシの茫洋とした(ボンクラともいう)スタンスも一因だろうが、父親と息子の関係と、父親と娘の関係はやっぱり違うんだろうなと。また、トシの方が父親だけでなく、他者を許容しやすい性格らしいところが垣間見られて面白い。
 キャスティングがなかなかよかった。黒川がいいヤンキー感を発揮している(美人すぎないところに説得力がある)し、染谷のヌメっとしたボンクラ感もいい。また、父親役の永瀬が、ヤクザ崩れどころかチンピラとしても中途半端な崩れ方には、妙に説得力があった。だらしない、かつなんとなく魅力があるといういい味わいだったと思う。
 ドライブインはどこかへの途中で立ち寄るところだから、快適にして引き止めてはいけない、というのが屁理屈めいた蒲生家の言い分だが、その立ち寄り場所を生業とするということは、自分たちはどこにも行けないということにはならないだろうか。そこがなんとなしにさびしい。

『イーダ』

 1960年代のポーランド。修道院育ちの孤児アンナ(アガタ・チェシュブホフスカ)は、修道女になる誓いを立てる前に、初めて叔母ヴァンダ(アガタ・クレシャ)に会う。ヴァンダは、アンナの本名はイーダ・ベルシュタインでユダヤ人であることを告げる。アンナはヴァンダと共に、かつて両親が暮らしていた土地へ向かう。監督はパベウ・パブコフスキ。
 かっちりと構成された、モノクロの静謐な映像は、(いかにもシネフィル好み風で)気障と言えば気障、ストイックといえばストイックなのだが、簡潔で美しい。物憂げなジャズと相まって、温度が低く、見ていて心地良い映像だった。画面の構成にすごくこだわっているが、ストーリーの流れ上、省略できる部分はどんどん省略してごくコンパクトにまとめており、くどさは感じない。サイズ感がちょうどいい作品だった。
 もっとも、物語は必ずしも「心地良い」というわけではない。ポーランド、そしてポーランドに住んでいたユダヤ人が第二次大戦により辿った運命を垣間見ることになる。このあたりの歴史を詳しくは知らなくても、ヴァンダと農夫とのささくれたやりとりから、何らかの雰囲気は感じられると思う(大戦に絡んだ東欧の歴史について全く知識がないとわからないかなとは思うが)。
 ユダヤ人側にとってはもちろん悲劇的な出来事で、ヴァンダのようにそれが消えない傷となった人は大勢いただろう。しかしまた、その悲劇に加担してしまったポーランド人にとっても、その後ずっと消せない痕跡となったのではないか。作中では、2者は和解するでも理解するでもなく、ただ(望むにしろ望まないにしろ)「知る」のだが、歴史に対する処し方として、この時点ではこれしかなかったのだろう。
 アンナは過去を見つけ、自分のこれからの道を踏み出すが、ヴァンダは過去と再会し、彼女の中でけりをつけてしまう。過去が人間を先に進ませもするし引き止めもする。2人の女性のあり方が対称的だった。ヴァンダは過去に食い尽くされてしまったようにも見え、やりきれない。

『マダム・イン・ニューヨーク』

 夫と2人の子供と暮らすシャシ(シュリデヴィ)は、家族の中で自分だけ英語が苦手で、それをからかわれることが悩み。そんな折、姪の結婚式の手伝いの為、家族よりも一足先にニューヨークへ行くことに。英語が出来ずに災難続きだったシャシは、思い立って英会話教室に入学する。監督・脚本はガウリ・シンデー。
 主婦が自分の生き方を見つめなおす、というと月並みなのだが、別に「主婦」じゃなくても成立する、普遍的な話になっているところがすごく良かった。シャシはお菓子作りが得意で、自宅でお菓子を作ってデリバリーという小商いをしているものの、家族はそれを「仕事」とは認めない。夫も子供たちも彼女を愛してい入るが、どこか「お母さんは世間知らずだから」的な、ちょっと小ばかにしたような接し方だ。そんなシャシが、英語を学び始めることで、自分の世界を広げていく。
 本作の場合、英語によって世界が広がる、自信がつくという側面はもちろんあるのだが、シャシが自分に自信を持ち、自分がどのように扱われたいのか、他人とどのように相対するべきなのか再度見つめなおしていく、という部分が大きい。英会話教室はあくまできっかけなのだ。シャシに思いを寄せるフランス人同級生も登場するが、彼とのロマンス、という方向には行かないところがいい(文化的に不倫はとんでもない!と反感かうからかもしれないけど)。ロマンスは自己実現、自己評価の道具にはならないのだ。シャシが家庭と決別したいというわけではなく、ただ自分をフェアに扱ってほしい、と訴えるところにも、ロマンスを強調しなかったのと同じ主張を感じた。そういう点では筋が通った作品だと思う。シャシが英会話教室でクラスメイトの発言をたしなめる言葉、そしてスピーチの内容がすばらしい。男性だとか女性だとか関係なく、それこそが人と人との関係の基本だよなと納得する。わざわざファンタジーとして言わなくてはならないくらい、浸透していないということなのかもしれないけど・・・
 なんにせよ、フェルメイドな愛すべき作品。“JAZZ”やトレンチコートなど、ちょっとした伏線が楽しいし、何より主演シュリデヴィが年齢を超えた反則的な可愛さだった。そりゃあクラスメイトも惚れるわ!これであと30分短かったら最高なのに。挿入歌とか省略できないんだろうか。


『友よ、さらばと言おう』

 長年警察官として勤め、いい同僚同士だったシモン(ヴァンサン・ランドン)とフランク(ジル・ルルーシュ)。しかしある事件がきっかけでシモンは退職、警備会社に勤めていた。ある日、シモンの幼い息子がマフィアによる殺人現場を目撃してしまう。目撃者を消そうとするマフィアから息子を守る為、シモンはフランクの助けを借りて捨て身の戦いに赴く。監督・脚本はフレッド・カヴァイエ。
 渋いサスペンス映画を撮り続けているカヴァイエだが、本作は更に多くカーチェイスや格闘シーンを盛り込んだ、より派手なエンターテイメント。アクションのつるべ落とし状態で見所は多い。が、ハリウッドのようなエンターテイメントとしては洗練されきっておらず、格闘シーンに暴力衝動の生々しさが残っている感じがして面白い。冒頭、フランクと麻薬売人による車中での肉弾戦がまあすごい気迫なのだが、エンターテイメントの枠からなんとなくはみ出るものがあるような気がした。本当に痛そう、苦しそう、死にそうな感じがするのだ。シモンにしても、敵を倒すという目的からもちょっとはみ出した、暴力そのものへの指向が垣間見える気がして、シモンの元妻がどん引きしてしまうのにも、納得してしまう。
 息子を守りたい一心で無茶な行動に出るシモンを、フランクは職務違反を犯しつつも支える。2人の間には固い友情があるかのように見えるが、ここがもう一つの物語の軸になってくる。やりすぎでダサいなと思った題名も、最後まで見ると痛切さがしみる。ただ、ストーリーとしてこの部分ちょっと不自然だなとは思ったが。
 話の規模は、マフィアの抗争に巻き込まれた子供を守るという、そんなに大きなものではないのだが、内容のディティールが妙に盛られており、ごちゃごちゃした印象を受けた。状況説明セリフみたいなものはほぼない(そもそもセリフ自体が少ない)のだが、やたらとうるさく感じられるという不思議な味わいだった。

『サンシャイン 歌声の響く街』

 スコットランドの町リースに住むロブ(ピーター・ミュラン)とジーン(ジェーン・ホロックス)夫妻、長女リズ(フレイア・メーバー))の元に、戦地アフガニスタンから長男のデイヴィー(ジョージ・マッケイ)とリズのボーイフレンド・アリー(ケビン・ガスリー)が戻ってきた。夫婦の結婚25周年と重なり、幸せいっぱいの一家だったが、ロブに隠し子がいることが発覚。子供たちの恋模様にも暗雲がたちこめ、一家の心はばらばらになりかける。2007年にイギリスで大ヒットしたミュージカルを映画化。スコットランドのバンド「プロクレイマーズ」のアルバム「Sunshine on Leith」(1988)の曲を使っているそうだ。監督はデクスター・フレッチャー。
 本国でもヒットしたそうだし前評判も高かったので楽しみにしていたのだが、私にとっては少々期待外れだった。悪くはないが、楽曲が野暮ったく今一つ乗れなかった。ミュージカル映画としては、ビジュアルも俳優の歌唱もかなり素朴な方だと思うので、そのあたりでも好みが分かれるかもしれない(私はこの部分はわりといいなと思った)。
 ストーリーに対して曲の当てはめ方がちょっとぎくしゃくしているというか、なめらかに楽曲に入っていかない印象を受けた。また、各エピソードの組み立て方がどことなくかくかくしている。全体的にギクシャクしていて、よくも悪くも素朴。これは映画の問題というより、原作のミュージカルの問題なんだろうとは思うが。
 自分の気持ちが乗れなかった一番の要因は、登場人物たちの間で大きな問題が生じた時、それぞれ話し合うということをせず、なんとなくうやむやに丸く収まっていくからだと思う。ロブ夫妻については飲まざるを得ない、という苦々しさがもっと出てもいいと思うし、それ放置しておくと後々めっちゃモメるぞ!とハラハラしてしまった。また、デイヴィーと恋人にしても特に何かが解決したわけではないし、リズとアリーにしても、お互い早合点なんじゃないの?という気も。話の落とし方が物語として下手ということなのだろうか。
 なお、映画本体とは別物で面白いなと思ったところが2点。スコットランドの人がイングランドに引っ越す(あるいはその逆)というのは結構抵抗あるのだろうか。国の成り立ち上、「イングランド人なんて」という軽い敵愾心みたいなものがあるのはわかるが、抵抗感としてどの程度の強さなのかと。もう一つは、軍隊が地元に居場所も仕事もない人の受け皿になっているという所。ここはなかなかシビアで、なるほどなと思った。

『るろうに剣心 京都大火編』

 2012年に公開された『るろうに剣心』の続編。かつて「人斬り抜刀斎」の異名を取った緋村剣心(佐藤健)は、神谷薫(武井咲)が師範代をつとめる神谷道場で平和な暮らしを送っていた。しかし抜刀斎から暗殺者役を引き継いだ志々雄真実(藤原竜也)が、自分を「処分」した明治政府への復讐を企てていると知り、志々雄のいる京都へ向かう。原作は和月伸宏の同名漫画。監督は大友啓史。
 前作公開時の記事で、漫画的な表現ではなく時代劇、アクション映画としての表現として作った、というような話を読んだ記憶があるのだが、本作ではむしろ漫画的な方向(製作サイドが意図しているのかはわからないが)に振ってきた印象を受けた。志々雄と十本刀が登場する時点で、ビジュアル面の都合で漫画的にせざるをえないのだろうが(志々雄の「包帯」も、もう明らかに「包帯」ではない(笑)。衣装担当の苦労がしのばれる)。一応、明治時代が舞台ではあるが、既になんちゃって明治状態だし史実に忠実というわけではない。アクションもいわゆる肉弾戦のアクション映画とは見え方が違って、ワイヤーアクションを使った香港の歴史ファンタジー映画っぽいニュアンスとでも言えばいいのか・・・。いわゆる時代劇のアクションではないなと思った。特に宗次郎戦など予想外に原作のテイストを感じたから、そう思ったのかもしれないが。
 相変わらず佐藤の身体能力が高く、これだけ動ける俳優を使えたら、アクションシーンをより速く、速くとしたくなるのもわかる気がする。佐藤は決して演技が上手いというわけではないと思うのだが、やはり華があるというか、見映えがいい。また、瀬田宗次郎を演じた神木隆之介の動きが意外とよく、ルックスと相まって「うわ宗次郎だ!」という(原作ファンにとっては)軽い感動があった。
 ただ、前作同様、長すぎる。特に後半~終盤にかけては冗長に感じるところがあった。しかも前後編の前編なので、見る側にとってのハードルを(ただでさえシリーズ続編なのに)そんなに上げていいのか?という気も。

『大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院』

 フランス・アルプス山脈にある、グランド・シャルトルーズ修道院。カトリック教会の中でも特に厳格な戒律で知られている修道院だ。ここで日々の勤めに励む修道士たちと彼らの生活を追ったドキュメンタリー。監督はフィリップ・グルーニング。修道院側の撮影許可構想から実に21年かけて完成した。1984年に撮影を申し込んだ当時は許可が出ず、16年後に許可が出たそうだ。ナレーションや字幕による解説は全くなく、所々で聖書の言葉(なのか?)が挿入されるのみ。
 修道院の日常は実に静か。個々の修道士たちは粛々と日々の仕事に励み、祈りをささげる。食事も基本的に自室でとるが、定期的に全員で食事を取る日があって、その日はお喋りや外での遊びも推奨される。大工仕事や畑仕事、掃除洗濯、家畜の世話など、お勤め以外にもやることはたくさんあり、その生活を眺めているだけでも面白い。
 また、フランス・アルプス山脈の風景が厳しくも美しい。修道院の建物は外側も内部も味わいがあって、ビジュアル面でも満足度が高かった。随所で季節の移り変わりが感じられるショットが挿入されているところや、とにかく人の声がしないので、鳥や虫の鳴き声、風の音などがよく聞こえて心地いい。
 ただ、本作が映画として面白いかというと、かなり微妙なところがある(資料としては興味深いかもしれない)。まず長い!上映中、場内であらゆる種類の寝息とお腹が鳴る音が聞こえたよ!そして、監督にとってはこれでも短いのかもしれないけど、この長さに耐えられるだけの構成力に乏しい。本作、製作側が注釈を加えず基本インタビューもない、フレデリック・ワイズマン的な手法で作られているのだが、これを見るとワイズマンは実に実に構成力と演出力あるんだなと痛感。所々で挿入されるイメージ映像的なものとか、いらなかったんじゃないかなー。生の素材にこれだけ力があるのに、逆にもったないない。どのように見せたいのか、という軸がしっかりしていないように思った。終盤で盲目の修道士が語るシーンがあるが、これを入れるなら最初から修道士たちの話も入れておけばいいのに(聞いてみたいし)と思った。


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