3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2014年08月

『シャウト』

精神病院で開かれたクリケット大会で、1人の男が自分は叫び声で人を殺せたが、魂を4つに割られたと話し始める。時間はさかのぼり、海辺の田舎町。若い夫婦の前に奇妙な男が現れ、生活に浸食していく。その男は太古の魔術の力を持つというのだ。原作はR・グレイヴス。監督はイエジー・スコリモフスキ。1978年の作品。
珍妙かつ強烈な味わいで、サスペンスともホラーともつかない。若い男(ジョン・ハート)が理由もよくわからないままに闖入者に妻を奪われ、生活を脅かされていく過程は不条理ホラーのようで恐ろしいのだが、どこか珍妙。インテリサブカル男(職業が現代音楽家ってところがまた・・・)が自然児に翻弄されているようでもあり、ちょっと笑いそうになってしまうところも。ジョン・ハートの線の細さがまたかわいそう、でも笑っちゃう感を煽っている気もする。
ロケ地はヨークシャー地方らしいが、草原と砂地の海辺と両方あって、魅力的な風景だった。精神病院は緑豊かな郊外にある風だったが、背景でウミネコのような鳥?の鳴き声がずっとしている。土地の力に助けられている部分も大きいのではないかと思う。

『ソニはご機嫌ななめ』

 映画の研究をしている女子大生のソニ(チョン・ユミ)は留学の為の推薦状をもらおうと、チェ教授と面談した。大学に行くと、元彼のムンス、先輩で映画監督のジェハクと再会する。それぞれソニと飲んだり話したりした3人は、ソニへの好意を再確認してしまう。監督はホン・サンス。
 ホン・サンスの映画はエリック・ロメールのようだとよく言われるが、本作は特にロメールっぽい。4人の男女がつかずはなれずで、ふらふらとあっちへ行ったりこっちへ行ったり。恋愛のしょーもなさやぐだぐだ加減、でも皆どこかキュートで憎めない感じ、そしてそれをさらっとユーモア交えて(時に辛辣だが)描くところ、そして何よりある種の映画に対する図太さがそう思わせるのだろうか。
 チェ教授もムンスもジェハクもソニのことを好きになってしまい、そもそもソニがどの人に対してもまんざらでなさそうな態度を取るので、どんどんその気になってしまう。3人は元々子弟だったり先輩後輩だったりするので、相手がソニのことを好きとは知らずに「好きな人が出来たんだ・・・」みたいな話をするところなど、コントかよ!と突っ込みたくなる。ひと悶着あってもおかしくないところ、なりそうでならない、ふわっと逃げてしまう軽やかさがいよいよエロメールっぽくなってきたなぁと思った。男3人が公園でソニを探すものの、なんだか普通の観光客に見えてくるラストショットなど気持ちがいい。
 『ヘウォンの恋愛日記』に登場する「教授」と比べると、本作の男性3人はより愛らしいというか、純情だし、なんだかんだで優しい。ただ、ソニの良さを語る彼らの言葉は大体同じようなものだ。お互いに影響されているというよりも、他人を見る目なんてそんなものじゃないかなと思った。「自分があの人のことを一番わかっている」「あの人の良さをわかるのは自分だけ」というのは幻想ではないだろうか(笑)

『ヘウォンの恋愛日記』

 大学生のヘウォン(チョン・ウンチェ)は教授で妻子のあるソンギュン(イ・ソンギュン)と恋人同志だった。関係を終わらせるつもりだったヘウォンだが、母親がカナダに移住することになり、寂しくてソンギュンに連絡をとってしまう。監督、脚本はホン・サンス。オープニングとエンドロールの背景の色の美しさには、ギョーム・ブラック監督『女っ気なし』を思い出した。別に意識し合っているわけじゃないだろうけど、乾いた肌触りがちょっと似ている気がする。ヘウォンの現実と眠っている間の夢が入り混じり、全部がヘウォンの夢で、彼女はまだ目覚めていないのではと思わせるラストシーンが美しい。
 ホン・サンスは恋愛のしょうもなさとか、恋する人のかっこ悪さを好んで描く。辛辣というほどではないのだが、そこずいぶんストレートにくるな!オブラートにくるんで!って気分になるところも。恋の方針が定まらずふらふらしているヘウォンにもハラハラするのだが、ソンギョンはそんなものの比ではないしょうもなさ。彼がヘウォンと男子学生の交際を知って逆ギレするところでは爆笑しそうになった。「あんな子供となんて」って、その子供と同年代の女性と交際しているお前は何なんだ!って話である。自分のお気に入りの音楽をいちいち雰囲気づくりの為にかける(何かカセットウォークマンぽい機械だったんだけど、今時あんなの使う人いるのか?そもそもなぜイヤホンしないの?)のもナルシストっぽくて笑ってしまう。
 ヘウォンはキュートではあるのだが、なんとなく同級生に嫌われそうな雰囲気がして、そこが生々しかった。他の人とはちょっと違うものを見ているんじゃないかという感じがするのだ。彼女が嫌な奴、というわけではないのだが、その「ちょっと違う」ところがうっとおしがられるんじゃないかなと。正直かつ脇が甘い(笑)ところも、周囲との(一方的な)軋轢を生みそう。飲み会でも浮いてたもんなぁ。

『ヴィクとフロ、熊に会う』

 三大映画祭週間2014にて鑑賞。刑務所から出所したヴィク(ピエレット・ロビテーユ)は刑務所仲間だったフロ(ロマーヌ・ボーランジェ)と、人生を立て直す為に田舎の山小屋で暮らし始める。田舎の暮らしはフロには物足りないものだが、ヴィクは穏やかな日々に満足していた。しかし村人の白い目やフロの過去がつきまとい、やがて衝撃的な結末を迎える。監督はドゥニ・コテ。
 シンプルかつミニマムな構成で抑制がきいているだけに、ラストは確かに衝撃的だった。フロが過去になにをしたのかはわからないが、当たった相手が悪かった、それこそ「熊に会った」みたいなもので、運が悪いとしか言いようがない。村人たちのうっすらとした悪意も怖いのだが、それ以上に、天災のように降りかかる悪意の怖さにぞっとする。不条理劇のようだった。
 更に、ヴィクが「放棄」してしまったのが、自ら選んでのことだったのかもというところがやりきれない。彼女らが穏やかにいられる道はそれしかなかったのかと。一度はみ出してしまうと主流に戻るのは難しいと突きつけられるようで、シンプルながら、なかなか見るものの気持ちをえぐってくる作品だった。
 森の雰囲気や山小屋での暮らしは穏やかで心地よさそうに見えるだけに、そこに差し込む不安の影が色濃く見える。音楽の使い方もよかった。また、主演2人の存在感がいい。こういう人がそこにいる、という手ごたえがある。2人でカートに乗っているシーンなど、生き生きとしていて映画だ!って感じがした。


『バトルフロント』

 潜入捜査官のフィル・ブローカー(ジェイソン・ステイサム)は麻薬組織のボスを逮捕した大仕事を最後に、引退して娘と田舎で暮らすことにした。ある日、娘がいやがらせをしてきた同級生をとっちめ、同級生の母親キャシー(ケイト・ボスワース)の恨みをかってしまう。キャシーは麻薬売人である兄ゲイター(ジェームズ・フランコ)にブローカー親子に仕返しをしてほしいと頼み込む。ゲイターはフィルが元真潜入捜査官だと気づき、彼を陥れようと画策する。監督はゲイリー・フレダー。
 シルベスター・スタローンが製作・脚本を手掛けていると宣伝されているが、主演をスタローンにしなかったのは正解だろう。ステイサムはもうスターという位置づけでいいと思うのだが、本作のような小気味のいいB級映画といった雰囲気の作品が妙に似合う。スタローンは結構自分のキャラクターの客観視が出来ている人なのかな(笑)。
 事件の発端が潜入捜査よりむしろ、娘の同級生のモンスターペアレンツだという話のこじんまり感がいい。基本、スケールの小さい話なのだ。フィルを襲ってくるチンピラたちより、田舎町の社会の狭さと排他的な雰囲気、そして薬物依存症で理屈が通じないキャシーの方が始末が悪いというところがなんともはや。田舎は田舎でも、北部や西部とはちょっと雰囲気が違って独自の粘着っぽさみたいなものがある。「南部の田舎こわい」というのはアメリカ全土で共通認識、ないしはネタ(日本における「大阪人は日常会話がボケとツッコミ」みたいな)となっているのだろうか。アメリカ文学では南部小説、といういい方がよく使われるが、本作は南部映画とでも言えばいいのか。この風土あっての話、という気がする。
 出演者が妙に豪華で驚いた。ヤク中母親役のボスワースの汚れ美人感がよかった。やっかいな人だが根っからの悪人というわけではないので、ラリっていない時は比較的まともな判断をするというところも、さじ加減がいい。麻薬売人のゲイターも、いわゆる巨悪というわけではなく、商売人の小悪党といった感じで、その親近感あふれる(笑)スケール感がよかった。ゲイターは家族に振り回されるわ部下は使えないわで、見ていて気の毒になってくるレベル。

『大いなる眠り』

レイモンド・チャンドラー著、村上春樹訳
探偵フィリップ・マーロウは、スターンウッド将軍から依頼を受けた。二女のカーメンが賭場での借金をネタに、ガイガーなる男から金をゆすられていたのだ。マーロウはガイガーが経営する書店を調べ始めるが、いかがわしい商売をしているらしい。彼を尾行したマーロウは、ガイガーが自宅で射殺されている現場に居合わせてしまう。チャンドラーの小説は、ある会話や描写、部分部分は記憶に残るのだが、一長編通してのプロットが印象に残らず、読んでいる途中でどんな話だったっけ?と筋を見失うことが多々ある。本作は初期作品だからか、その傾向が特に強かった。訳者解説によれば、チャンドラーは自作の短編のプロットをそのまま長編に組み入れてしまうからだとか。本作でも、短いエピソードだが妙に印象深い部分があった。特に小柄な詐欺師が見せる矜持と、それに対するマーロウの敬意にはぐっときた。マーロウが警官でなくて私立探偵なのは、こういう部分の為なんだ思う。

『虫とけものと家族たち』

ジェラルド・ダレル著、池澤夏樹訳
個性派揃いのダレル一家は、日の光を求めてイギリスからギリシアのコルフ島へ引っ越した。動植物をこよなく愛する末っ子のジェリー少年は、イギリスでは見慣れない虫や動物たちに夢中になる。著者はイギリスのナチュラリストで作家。本著はベストセラーとして長年愛されているそうだ。すごくいい夏休み小説!厳密にはバカンスでコルフ島に来ているわけではないのだが、ちょっと非日常な時間と場所を家族と過ごすところが、夏休みっぽい。ジェリーの虫や動物、鳥に対する時に行きすぎた愛と情熱、そして観察力で、世界が生き生きと描かれる。彼と彼が集めてきた生き物たち、そして何より素っ頓狂な家族が巻き起こす事件も愉快なのだが、何よりジェリーが世界に注ぐまなざしの真摯さ、風景・情景のディティール描写の豊かさが大きな魅力だ。師匠的存在かつ親友であるセオドアの、ジェリーに対する接し方がよかった。ジェリーは子供だが、同じ「研究者」として、一貫して対等に接するのだ。なお、ジェリーの兄ラリーは、後の小説家ロレンス・ダレルなのだが、誇張されているだろうとは言えこんな困った人だったのかー!屁理屈我儘ばかりで周囲を振り回すわ、目立ちたがりだわでとんだトラブルメーカー。しかし他の兄弟も似たり寄ったりか・・・。

『祖母の手帳』

ミレーナ・アグス著、中嶋浩郎訳
忙しい両親に代わり、“わたし”の傍にいた祖母。祖母が遺した手帳には、結婚後の1950年、保養地で出会った「帰還兵」との愛が綴られていた。“わたし”の記憶と祖母の綴った内容とが交互に現れる。祖母は自分は愛を(夫や子供との関係の中では)手に入れられなかったと思っていたが、読んでいると、愛はそこにあるように思える。愛がどんなものかは人によって違って、当事者には「ある」ということが見えないのかもしれない。祖母がたびたび「後悔した」というのも、後々には物事が違って見えるようになったからではないか。と思っていたら、最後にあっそういうことか!と。祖母が少女の頃から文才があったというのは、文章を書くことが得意である以上に、書かずにはいられなかったのだ。これは物語を持たずにはいられない人の話だったのかとはっとした。祖母にとっての世界との和解の仕方は、これだったのだろう。

『たとえ傾いた世界でも』

トム・フランクリン&ベス・アン・フェンリイ著、伏見威蕃訳
1927年、ミシシッピ川が増水し、周囲の町には洪水が迫っていた。夫ジェシと共に密造酒を作っているディキシー・クレイは、赤ん坊を亡くした悲しみから立ち直れずにいた。一方、潜入捜査の為、相棒ハムと共に町へ向かっていた密造酒取締官インガソルは、銃撃戦から免れた赤ん坊を拾ってしまう。ディキシー・クレイが赤ん坊を亡くしたことを聞き、彼女に赤ん坊を託す。お互いの素性を知らない2人は、徐々に惹かれあっていくが。『ねじれた文字、ねじれた路』の著者フランクリンと、詩人としても活躍するフェンリイとの共作。このお2人、夫婦だそうだ。『ねじれた~』は男性2人が「もう一度やり直す」話だったが、本作は悲しみを抱えた男女が「もう一度やり直す」ことを試みる。ディキシー・クレイの強さ故の悲しみと、インガソルの寄る辺ない生き方をしてきたが故の悲しみのコントラストに陰影がある。激しい女と茫洋とした男(インガルスがブルーズを愛するのは、自分に欠けた濃い感情を補おうとしているようにも見える)、一見対照的なのだが、2人とも、ここが自分の居場所である、という確信を持てずに生きてきた(ディキシー・クレイの場合は確信を持てないというより、途中で見失ってしまったと言った方がいいが)人たちであり、だからこそ惹かれあう。1927年の大洪水は実際にあったことで、この時の災害対策でフーヴァーが株をあげたのだとか。禁酒法下であることも含め、時代背景の色濃さも面白い。

『こっぱみじん』

 美容師になりたての楓(我妻三輪子)は仕事にもボーイフレンドとの関係にも行き詰っていた。ある日、幼馴染の拓也(中村無阿有)が6年ぶりに地元に帰ってくる。初恋の人である拓也との再会にはしゃぐ楓。拓也と親友同士だった楓の兄・隆太(小林竜樹)とその恋人・有希(今村美乃)と4人で楽しく過ごしていたが。監督は田尻裕司。
 特にひねったストーリーではないが、奇をてらわず、若々しい感情をきちんと描こうとしている作品で好感が持てた。特に目標もやる気もない楓が、同僚に一歩先を行かれて焦ったり自信喪失したりする姿は、身近に感じられるものだったと思う。彼女が美容師(の卵)なのに髪型も服装もあまりぱっとしていない、更に服のレパートリーが少ない(予算的なことかもしれないけど)ところも、あー地方の美容室ってこういう子いそうだなー、でもこういう子がそれなりにモテたりするんだよなー、という感じがして良かった。
 世の中には「しょうがない」と処理するしかない思いがあるということを、しみじみかみしめる作品だった。当たり前といえば当たり前なのだが、当事者になるとなんか納得できなかったりするんだよなと。自分の思いが成就しないのも、他人が思い通りにならないのも、人の心が変わっていくのも、しょうがないことだ。そのしょうがなさと、登場人物たちは向き合い、なんとか飲み込もうとする。
 自分が思いを寄せる人から、自分に対して同じような思いを返されなくても、それでもよし、「なんとなく幸せ」とする着地点が、ある種の少女漫画ぽいなと思った。性愛の成立以外の関係性を維持しようとする、それも愛だとするところが。
 色々とつたないところもある(「告白」に対する後日の隆太の返しとか)作品だが、登場人物の人となり、心情など、きちんと見せようとしているなという意欲は感じる。いわゆる悪者になりそうなポジションの人を、安易にそういう扱いにはしないところもよかった。

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