3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2014年02月

『黒執事』

 巨大企業ファントムの会長・幻蜂清玄(剛力彩芽)は、とある事情で女性であることを隠している男装の令嬢。彼女は女王の命により秘密裏に難事件を解決する、「女王の犬」である貴族ファントムハイヴ家の跡取りでもあった。超人的な力を持つ執事のセバスチャン(水嶋ヒロ)を従え任務にあたっていたが、外交官がミイラ化する連続怪死事件に遭遇する。原作はアニメ化もされた枢やなの同名漫画。監督は大谷健太郎・さとうけいいち。
 アニメ・漫画の実写化としては成功と言っていいんじゃないかと思う。漫画ともアニメとも別物の、パラレルワールドな世界・キャラクター設定だが、そこが却って良かった。無理に原作に忠実にするよりも、原作ファンにも楽しめる作品になったのではないかと思う。漫画やアニメの実写化は、原作を忠実に再現することよりも、原作のエッセンスのどこを抽出し、どう再構築するかという解釈の部分によって左右されるのだと思う。本作は、原作の肝の部分をわかった置き換え方をしていたんじゃないだろうか。また、話を広げすぎない(世界を救おうとかいうわけではない)、世界設定を思い切って「東西に分断され、西は女王が統治し、東にスパイを派遣している」とざっくり改変してしまったのも、詳しい背景を説明する余裕がない劇場作品としては良かったんじゃないだろうか。この部分はニュアンスだけ伝わればOKだな、という作り手の見切りが的確だった。チープなところ(お屋敷外観とか・・・)はチープなままでいい、という割り切りもされていると思う。
 キャスティングが意外に良かった。剛力の男装姿が人形ぽくて可愛い。当初、女性という設定(原作だと主は少年)にされたことに反感もあったようだが、全然アリだと思う。女性が少年の格好をしているある種の嘘くささが、本作の雰囲気には合っている。セバスチャン役の水嶋は本作が俳優復帰作になるそうだが、ぬめっとした二枚目の風貌が「悪魔」には似合っている。この人、普通の二枚目役だとぱっとしない、というか違和感がすごくあるが、突き抜けたヒーローや人外だと妙にハマるなと感心した。俳優としての幅は広がらないのかもしれないが、飛び道具的な面白さがあると思う。目(殆どまばたきしてない)とか手足の動きの奇妙さなど、「それっぽい」感じ。今回は格闘シーンも多いのだが、(スタントマン、CGも多用しているのだろうが)サマになっていた。予告編で使われていたシーンがアクションシーンとしてはクライマックスなのかと思ったら、実際はもっとキレのいいシーンも。戦うメイド・リン役の山本美月も、銃の構え方などなかなか決まっている。


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『オンリー・ゴッド』

 バンコクでボクシングジムを経営し、裏では麻薬売買で稼いでいるジュリアン(ライアン・ゴズリング)とその兄ビリー。ある日、ビリーは少女を殺した報復により惨殺される。母親クリステル(クリスティン・スコット・トーマス)はジュリアンに復讐を命じる。彼は警官達を牛耳る謎の男チャン(ビタヤ・パンスリンガム)と対決するが。監督はニコラス・ウィンディング・レフン。舞台はタイなのでテロップもタイ語という徹底ぶり。主演はゴズリングだがタイ人キャストの存在感が強く、国籍不明な作品になっている。
 ストーリー上の、登場人物の属性や背景等の説明をほとんどしないので、一見わかりにくいが、話は至ってシンプルな復讐物語だ。物語の筋としては、骨組みのみでほぼ肉がない状態とも言える。物語というよりも、神話に近い雰囲気だ。復讐の連鎖(兄はそもそも少女殺しの復讐で殺された)や母親との近親相姦的な関係、チャンの無慈悲かつ超越者的な振る舞いなども、いわゆる物語というよりは、神話の世界での振舞いのようだ。
 極めてシンプルな話を、凝った映像でデコレートしている。左右対称の構図を多様した、妙にかちっとした絵作りだが、ネオンカラーの色使いとスローモーションの多用によってやたらとドラッギーだ。下品といえば下品なのだが監督がやろうとしていることにブレがなく、一つの世界観として強度が高い。
 本作を見て、レフン監督がやりたかったのは、前作『ドライブ』よりもむしろ『ヴァルハラ・ライジング』なんだなと腑に落ちた(私はこの2作しか見ていないので、他の作品がどんな感じなのかはわからないが)。『ドライブ』はいわゆるドラマ、人間ドラマだが、『ヴァルハラ~』はそういう側面は弱く、神話の世界のような、人間以上の力が支配する世界観だったように思う。また、『ヴァルハラ~』では下手くそだった構成・編集が、格段に上手くなっており、ぬるっとした動きの推移が苦痛にならない。『ドライブ』は相当原作の存在を考慮していたことがわかる。原作などの枷がないと、本来こういう方向に行く作風だったんじゃないだろうか。
 ライアン・ゴズリングは『ドライブ』ではちょっと神がかった活躍、強さを見せていたが、本作では普通の「人間」代表としてむしろ弱さが前面に出ている。周りが化け物級ばかりという役だが、彼が主演していることでバランスが取れていると思う。チャン役のビタヤ・パンスリンガムが素晴らしい。佇まいといい動きのキレ(意外と格闘アクション映画でもある)といい、どこから見つけてきたんだこの人!と唸った。


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『虫の生活』

ヴィクトル・ペレーヴィン著、吉原深和子訳
ロシアのホテルでアメリカからやってくるビジネスマンを待つ2人の男。アメリカから来た男はロシアの2人をガイドに、さっそくマーケティングを開始するが・・・え・・・?・・・蚊・・・?人の営みは虫のようであるという比喩からの題名かと思ったら、本当に虫かよ!というわけでロシアにおける虫たちの生活が綴られる。蠅にフンコロガシに蟻にと、身近な虫がぞろぞろ登場する。しかし虫は人のようであり、更に他の虫にいつのまにか変化し、変容を繰り返す。人間であれ虫であれ、生きることは不可思議であり、明日は定かではない。虫達の生活はそれぞれ真摯でもあり、頼りなげでもある。中でも雌アリが主人公の「若き母親の三つの想い」は蟻の生態をなぞりつつも、女性の人生の一側面を描いており痛切。


虫の生活 (群像社ライブラリー)
カル・チャペック戯曲集〈1〉ロボット/虫の生活より

『2666』

ロベルト・ポラーニョ著、野谷文昭・内田兆史・久野量一訳
正体不明のドイツ人作家ベンノ・フォン・アルチンボルディの研究者である4人の男女は意気投合し、やがてアルチンボルディが最後目撃されたメキシコへ向かう。チリ人の哲学教授アマルフィターノは奔放な妻を亡くし、メキシコのサンタテレサに娘を連れて引っ越してきた。アフリカ系アメリカ人記者フェイトは、ボクシング試合の取材でサンタテレサを訪れるが、女性連続殺人事件が起きていることを知り、興味を持つ。そのサンタテレサの連続殺人事件では、数え切れない犠牲者が出ていた。ドイツ人のハンス・ライターは田舎町で育ち、第二次大戦が始まると従軍して様々な地を訪れる。5章から成る大長編。上下段組本編855ページというボリュームで、果たしてこれを読み切れるのか不安になったが、なんとかかんとか読了。修行のようであった・・・。著者は当初、5冊分冊にするつもりだったらしいが、確かに各章独立した小説として読めなくもない。特にアルチンボルディ研究者たちが友情と三角関係を繰り広げる「批評家たちの部」は、単体でもそれぞれのキャラクターと人間模様が面白い。しかし圧巻というか妙な圧力に息苦しくなった異色の章は、第4章「犯罪の部」。サンタテレサで起きた女性連続殺人事件の様相が、淡々と「記録」されていく。段々、個々の被害者の差異がわからなくなっていくような量なのだ。しかも、容疑者が捕まっても殺人は終わらない。真犯人が起こした事件に誘発されるかのように、暴力がどんどん広がり収束は見えない。そしてその大量の暴力は、第5章「アルチンボルディの部」で描かれる第二次大戦下の様相だ。史実をモデルにしているのだろうが、ドイツ人レオ・ザマーがライターに語る内容は凄まじい。ここでも死者は量で計られ、個々の区別は最早つかない。本作全体を覆う不吉さは、この「群」としての死者によって醸し出されているように思った。れっきとした個人として振る舞う登場人物たちにも、どこか死の気配がまとわりつくのだ。情報量は凄まじく、様々な仕掛けがしてある様子が垣間見えるのだが、私の知識と読解力ではその半分もわかっていないであろうことが残念。


2666
野生の探偵たち〈上〉 (エクス・リブリス)

『跡形なく沈む』

D・M・ディヴァイン著、中村有希訳
ルース・ケラウェイは憎んでいた母親を亡くした。父親を知らない彼女は、母の遺品から手がかりを得て小さな町シルブリッジへ引っ越し、父親を探そうとする。しかし、父親の手がかりだけではなく過去の選挙の不正についても探り出し、周囲に波紋が広がっていく。区役所に勤めるケンもルースが起こす騒動に巻き込まれていく。本格ミステリとしてはちょっとアバウトなところもあるのだが(あるトリック、今ではピンとこない人も多いだろうなとも)、登場人物の造形、心理描写がやはり上手い。頑固だがそこつで、あまり上昇志向がないケンと、彼の元婚約者でケンより仕事ができるジュディの、面倒くさい関係(笑)は現代のラブコメとそう変わらない。特に(本作に限らず)女性の造形は通り一遍でない、加えてバラエティに富んでいるところがいい。1978年の作品だが、ジュディが感じるいら立ちは現代的なものだと思う。


跡形なく沈む (創元推理文庫)
小鬼の市 (創元推理文庫)

『鉄くず拾いの物語』

 ロマ民族のナジフ(ナジフ・ムジチ)とセナダ(セナダ・マリアノビッチ)夫婦は、2人の幼い娘と暮らしている。ある日、セナダが激しい腹痛を訴えた。病院に行ったところ、早急に手術しないと命に関わると告げられる。しかし2人は手術費用を払えず、支払いが出来ないのなら手術も出来ないと病院に断られるのだった。監督はダニス・タノビッチ。ボスニア・ヘルツェゴビナに住むロマの女性の体験を下に、当事者が本人役で主演し、9日間で撮影したそうだ。第63回ベルリン国際映画祭でナジフ・ムジチが主演男優賞を受賞している。
 実話、しかもご本人主演という、あざといもいいところだと思うのだが、ぎりぎりの線で下品にはなっていない。話を無理に広げず、ささやかなものに留めていること、「いいはなし」ぶらない態度がいい。実際、そんなに「いいはなし」じゃないのだ。当座は切り抜けても次はどうするんだろうという不安はぬぐえない。お金がなくて四苦八苦し、しかし家族の為になんとかせねばならない、という、ありふれた苦労であり、ありふれた家族愛だ。実際、彼らが直面する困難には、他所の国の誰かのことというよりも、自分の隣の人のことのような、いずれは自分自身のことになるのではというような距離の近さを感じた。一家の暮らしぶりの見せ方が極めて具体的で、そこに生活している人がいる、という実感が強いのも一因かなと思った。セナダが、パンを焼いて洗濯して掃除をして、という流れは物語上なくてもかまわないのだが、一連のシークエンスによって彼女らの生活の手ごたえが感じられるのだ。
 本作の映画としての強さは、出演者たちの存在感によるところも大きい。ナジフもセダナも、この2人が当事者でなかったら、そもそも当事者を起用しようという気にはならなかったんじゃないかなと思わせる佇まいだ。特にナジフの顔つきや表情には、主演男優賞受賞も納得。いわゆるプロの俳優ではないからこその表情なので、この1回きりの良さなんだろうけど。子供たちの、親の都合を考えない賑やかさも自然体の良さがあった。全員、カメラにあまり視線を送っていないのだが、どういう工夫をしたんだろう。素人だとついカメラの方を見ちゃいそうな気がするけど。


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