3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2014年02月

『マチェーテ・キルズ』

 麻薬捜査官のマチェーテ(ダニー・トレホ)は軍の麻薬密売現場を押さえようとしたところ、相棒のサルタナ捜査官(ジェシカ・アルバ)を殺されてしまう。失意の彼は、アメリカ大統領(カルロス・エステベス)からマッドマン(デミアン・ビチル)と呼ばれるメキシコの麻薬王を捕らえて欲しいと依頼を受ける。工作員ミス・サンアントニオ(アンバー・ハード)の協力もあり敵のアジトにたどり着くものの、マッドマンは自分の心臓が止まると同時にワシントンD.C.へミサイルが飛ぶ装置を仕込んでいた。それを解除できるのは武器商人ルーサー・ウォズ(メル・ビグソン)だけだというのだが。
 ニセ予告編から派生して本当に本編を作ってしまった『マチェーテ』(2010年)の続編。登場人物や初期設定は「お約束」として特に説明されないので、前作を見ていない人、シリーズのノリがわかっていない人には大分敷居が高い作品だと思う。私は試写会で見たのだが、終了後には会場から苦笑が漏れていた。つまり一般の方にとってはそういう感じなのね・・・。私は前作見ていないが、グラインドハウスを意識した『プラネット・テラー』は見ていたので、多分そういうノリなんだろうなぁと(ニセ予告編があるし、フィルムの傷な画面風加工してあるし、最後の方でわざわざ音声のズレっぽいこともしているので)思ったが、そういう「風味」を知らずに見た人には何のことかわからないんじゃないだろうか。また、キャラクターの立ち居振る舞いなども、ロドリゲスワールドを知っている人こそが楽しめるという「お約束」感の強いもの。そもそも『マチェーテ』の続編だからしょうがないんだけど・・・。
 それにしても、『プラネット~』を見た時も思ったのだが、ロドリゲス監督は映画をすごく愛しているのだろうけど、映画を作る人としてのセンスは、自分のファン以外の人を巻き込めるほどには強力ではないんだろうなぁ・・・。『プラネット~』もタランティーノ監督が撮った『デス・プルーフ』と合わせて見てしまうとなんとも野暮ったかった。私はタランティーノのファンというわけでもないし、『デス・プルーフ』も所々ものすごく退屈したんだけど、それでも映画的としか言いようのない瞬間があってはっとした。ロドリゲス監督作にはそういう有無を言わせなさみたいなものはないんだなぁと、本作で再確認してしまった。


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『ウルフ・オブ・ウォールストリート』

 22歳でウォール街の投資銀行に就職したジョーダン・ベルフォート(レオナルド・ディカプリオ)だが会社はあえなく倒産。「ペニー株」を扱う小さな会社に再就職し、発想の転換と巧みな話術で瞬く間に稼ぎ頭に。26歳で自分の証券会社を設立し、年収は4900ドルに上るようになったジョーダンは、荒稼ぎの様から「ウォール街の狼」と呼ばれるようになっていく。しかし彼の違法スレスレ、時に違法な稼ぎ方にFBIも目を付け始めた。監督はマーティン・スコセッシ。実在の株式ブローカー、ジョーアン・ベルフォートの自伝が原作。
配給会社自らディカプリオの「ドヤ顔」を売りにしていたが、その部分に関しては広告に偽りなしで、冒頭からドヤ顔と顔芸の乱れうち。ディカプリオが顔も体も非常に良くコントロールしていることが如実に分かる。賞レースでは不遇が続いている彼だが、そろそろ何か賞をあげたくなる(逆に、本作で無理ならもう無理だろうという気もする)。
 近年のスコセッシ監督作品の中ではずば抜けてテンポが良く、約3時間の上映時間を一気に畳み掛けてくる。私はスコセッシ作品には苦手意識があったのだが、本作は初めて面白いと思った。使われている音楽の選曲や使うタイミングがばっちりで、グルーヴ感がある(映画全体がイケイケな感じ)。ただ、それでも3時間という長さはちょっときつかったが・・・。編集はとても上手い作品なので、逆にもうちょっと何とか短くならないかと思ってしまった。
 ジョーダンとその仲間たちが放蕩の限りを尽くす様がジェットコースターのごとく描かれていくが、あまりのばかばかしさで却って清清しいくらいだ。今まで見た映画の中でもトップクラスで放送禁止擁護が多発しており、おそらくナンバーワンのドラッグ摂取場面の多さ(作中で消費している量も多分一番だと思う)。あまりにドラッグとセックスばかりやっているので、他にやることないのか!と突っ込みたくなる。せっかく金持ちなのに・・・。馬鹿騒ぎが延々と続いている、ハイな状態が終わらないような生活だ。躁状態が延々と続くので、当事者は楽しいのだろうが、傍から見ていると、これ楽しいのかな・・・むしろ退屈そうだなという気もしてくる。ハイな状態が続きっぱなしだと一回転して単調なんじゃないかと。
 ジョーダンは誰かを食い物にして金を稼ぐこと、その金を散財することに全くといっていいほどてらいや躊躇がなく、恵まれたことに対する韜晦やアンニュイさとも無縁。富裕層故の倦怠、みたいなものは全くない。これは元々持っているか、のし上がってきたかの差なんだろうか。あるいはこの時代(金融バブルの時期)故の特性だったんだろうか。おそらく全く反省していないであろうところも清清しい。自分の商売と生活以外のことを一切考えていないような振る舞いで、こういう人が金の流れを牛耳っていたのかと思うと空恐ろしくもなる。
 ディカプリオは『グレート・ギャツビー』に引き続き、薄っぺらな二枚目を熱演している。こういう役が似合うというのは、本人どう思っているんだろうと気になってしまうが、「中身がない」という演技がこんなに出来る人になるとはなぁと(今までは中身がありすぎて大変な人の役が多かったから)感慨深い。また、露出時間は短いが、ジョーダンの人生を大きく左右し観客にも強烈な印象を与える、マシュー・マコノヒーの破壊力がすごい。何なんだその歌・・・。


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『スノーピアサー』

 氷河期となった地球。僅かに生き残った人間たちは、「スノーピアサー」と呼ばれる列車の中で生活していた。前方車両には一握りの上級階級が豪奢な生活をし、後方車両には貧しい人々が生活しており、厳格な階級社会が構成されていた。後部車両でカーティス(クリス・エバンス)は反乱をおこし、車両の施錠システムを開発したミンス(ソン・ガンホ)に各車両の扉を開かせ、前方を目指す。監督はポン・ジュノ。原作はフランスのバンドデシネ「Le Transperceneige」。
 撮る映画撮る映画、大体クオリティ高くちょっと(いや大分)変なポン・ジュノだが、本作は意外と普通。ハリウッドスターに気兼ねしたというよりも、マンガ的な素材の表現があまり上手くないんじゃないかと思う。舞台はノアの箱舟状態で走り続ける列車で、最後尾からカースト社会になっているという、かなり戯画的な設定。それを割と真面目に実写化しようとしているので、設定とビジュアルのリアルさの噛み合わせがうまくいっていないように思った。列車の疾走感みたいなものもあまり感じられない。むしろ密室劇としての側面が強いが、だったら窓の外なんて一切見せなくてもよかったんじゃないかとも思う。律義に「列車」であろうとすることが、あまり物語のパーツとして機能していない。思い切って、もっとマンガ的な方向に振ってしまってもよかったという気もする。伏線をかなり律義に回収しようとしているのも、意外だった。ポン・ジュノって、案外真面目というか、几帳面な作り方するのかな・・・。
 前作「母なる証明」は題名の通り母性の物語だったが、今作は父性の映画だったと思う。カーティスもミンスも、最終的には「父」的な存在であることを全うしようとし、子供たちの未来(それがどういうものであれ)を切り開く親であろうとする。カーティスと対峙する男とその協力者が、支配する父的な存在であること対称的だ。
 やたらと豪華なキャストだったが、ティルダ・スウィントンは美女もモンスターも両方出来る(どちらであってもおかしくない)ところが面白い俳優だと思う。また、ジェイミー・ベルがカーティスを慕う青年役で出演しているのだが、この人といいスウィントンといい、本当にバンドデシネに出てきそうな顔しているなー。スウィントンは役作りでそう見えるのだろうが、ベルは地顔がそういう感じ。『闇の王国』あたりにこんな顔のモブの人いなかったっけ?って気分になった。


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『ザ・イースト』

 元FBI捜査官で、今は民間の調査会社に勤務するサラ(ブリット・マーリング)は、環境破壊を行う企業に過激な報復行為ことで知られる環境テロ組織「イースト」に潜入する。組織の一員として行動するうち、サラは彼らに親近感を抱くようになり、リーダーのベンジー(アレクサンダー・スカルスガルド)に惹かれていく。監督 はザル・バトマングリ。主演のマーリングは脚本・製作もかねている。
 スパイとして潜入するうちにその組織に感化されていく、というのはよくあるパターンだが、サラは組織の主張というよりも、個々のメンバーの生い立ちや抱える傷に対しても共感していく。そこに本作の優しさ、ナイーブさがあると思う。組織のメンバーが連帯感を強める為に行う「儀式」は、ちょっと宗教めいていて反感を覚えるが、それも彼らが自分たちの弱さを補完し、疑似家族としての絆を深めようとしているとすれば、理解できなくもない。サラもそういった行為に反感を抱くが、徐々にメンバーからも受け入れられていく。
 ただ、組織のメンバーも企業も、実は元々は同じ側にいる。メンバーの多くは富裕層の子息で、経済的には恵まれた環境で育った。それこそ資本主義の恩恵を受けてきたわけだ。しかし、そのルールの中で幸せになれない、ルールに同意できないと気付いてしまった。彼らが企業に対して報復行為を行うのは、信義や正義の為というよりも、自分たちの出自に対する復讐のように見えた。テロというよりも、パーソナルな行動のように思えた。組織が身体的な接触、コミュニケーションを重視するのも、実の家族の中で失敗してしまったことを、もう一度疑似家族の中でやり直しているようにも見える。サラの心情の変遷もまた、ある種の「親」から独立していく過程のようでもある。
 政治的な行為というよりもパーソナルな行為としてイーストの行動をとらえた部分は、テロリズムを見せるやりかたとして新鮮味があった。しかし同時に、自然保護運動としては、一番苦しんでいる人たち(環境汚染被害の当事者)に何か救いはあったんだろうかというむなしさが残った。途中、9.11が引き合いに出されていたが、テロリズムの非生産的な側面については作り手側は自覚的なのではと思う。
 面白い作品だが、ちょっとロマンチシズムが過ぎるというか、メロドラマっぽすぎるかなぁと思った。ラストも、そこまで説明、アフターフォローしなくてもいいよという気もした。サラの「やり方」がファンタジーすぎると思えたからかもしれない。一人でそこまでできるか?そんなに上手くいくか?と見る側に思わせてしまうのでは。


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ミッション・ソング (光文社文庫)

『高学歴女子の貧困 女子は学歴で「幸せ」になれるか?』

大理奈穂子・栗田隆子・大野左紀子・水月昭道監修
努力しても自分の力とは関係ないところで働き方の選択肢が狭まれてしまう、これ以上上は無理、というラインが出来てしまうとしたら。有名大学、大学院を出た特に文系「高学歴」女性の就業状況をふまえ、女性の就業について考える。著者らの体験、調査対象が大学の教職、研究職につく、ないしはそこを志望する女性にほぼ限られているという範囲の狭さはあるものの、大学というちょっと特殊な場で女性職員が置かれている状況は、他の団体、ひいては日本の社会全体が抱える問題だろう。男性にとっても大学での研究職ポストは希少なのは著者らも百も承知だろう。しかし、それ以上に女性にとっては険しい道(というか半ばないものとされている)という面がある。巷ではリケジョが急にもてはやされているが、あれは本当にごく一部の例外みたい・・・。私は高学歴ではないが、周囲で似たような事例がいくつもあるので、読んでいて鬱々としてきた。大学院を出たもののワーキングプア状態で、母親に「本当ならもっといい生活ができたのに・・・」と嘆かれ逆上、結婚が免罪符になるというあたりもう泣けてくる。高学歴な人は大体努力家、だから昇進できないのを自分に全部原因があると考え自責が強くなるというのは、いたたまれない。、大学の研究職、教職の形態って外部からはわかりにくいところがあるので、大学での雇用に関する資料としても面白いかも。企業勤務の人から見ると、やはりかなり特殊なのではないだろうか。


高学歴女子の貧困 女子は学歴で「幸せ」になれるか? (光文社新書)
高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

『午前零時のフーガ』

レジナルド・ヒル著、松下祥子訳
周囲の反対を押し切って、療養生活から現場復帰したダルジール警視。しかし勘は戻らず部下達もよそよそしい。そんな折、古い知りあいの警視長パーディーから、7年前に失踪した部下のウルフについて調べてほしいと頼まれる。パーディーはウルフの妻と再婚するつもりだったが、彼女の元に夫らしき写真が届いたのだ。ダルジールは内密に捜査を始めるが、協力を仰いだ部下が襲われ、ある政治家の影がちらつきはじめる。久しぶりに読んだダルジール警視シリーズだが、警視もさすがにお年なのか、パワーダウン気味で、パスコーやウィールドがいつになく強気。ただ、パスコーはダルジールに立腹しつつも、彼のことを心配している。いつものことではあるのだが、ウィールドが2人の疑似父息子関係を考察するくだりなど、シリーズの蓄積を感じてにやにやしてしまった。全編が1日の出来事であるという構成の密度の高さに加え、最後のどんでん返しには唸った。やっぱりヒルは本格ミステリ作家としての腕がいいんだよなー。シリーズものとしても、単品としても楽しめる。


午前零時のフーガ (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
ダルジールの死 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

『HHhH プラハ、1942年』

ローラン・ビネ著、高橋啓訳
ナチスのユダヤ人大量虐殺の中心人物であったラインハルト・ハイドリヒ。ヒムラーの右腕であった彼は「第三帝国で最も危険な男」と評判だった。彼を暗殺する為に、ロンドンに亡命したチェコ政府は、2人のパラシュート兵をハイドリヒが滞在しているプラハに送り込んだ。2人の兵士はプラハのレジスタンスと協力し暗殺計画を進める。作家の「僕」はこの歴史上の事件を本に纏めようと取材を進め、当時の状況に思いをはせる。登場する人々は皆実在の人物で、「僕」は事実に忠実に記述しようとする。が、個々の人物の内面に思いを馳せればそれはフィクションに接近する。自分が体験していない(いやしていてもか)事柄を「記述」した時点で、それは自分の手を通したフィクションになりうる。その狭間に迫った「小説」でもある。歴史をどこまで自分にひきつけて書くか、小説をどこまで自分のこととして書いていくかという試みが形になったクライマックスは圧巻。


HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)
神は死んだ (エクス・リブリス)

『メイジーの瞳』

 バンドのボーカリストである母スザンナ(ジュリアン・ムーア)と、美術商の父ビール(スティーブ・クーガン)を持つ少女メイジー(オナタ・アプリール)。喧嘩が絶えなかった両親は離婚し、メイジーは10日ごとにそれぞれの家を行き来することになった。しかし両親共に忙しく、彼女と接するのは元々メイジーのベビーシッターでビールと再婚することになったマーゴ(ジョアンナ・バンダーハム)と、スザンナの恋人でバーテンダーのリンカーン(アレクサンダー・スカルスガルド)だった。原作はヘンリー・ジェイムズの小説。監督はスコット・マクギー&デビッド・シーゲル。
 原作がヘンリー・ジェイムズだということを知って驚いた。物語の内容は今日的だと思ったのだが、19世紀にも、別居している親の間で翻弄される子供、という子供像があったのか。もちろん映画は現代に合わせた内容になっているんだろうけど。映画邦題は『メイジーの瞳』で「メイジーの」という部分が強調されているが、原題は「メイジーが知ったこと」とでもいうようなもの。メイジーよりむしろ、彼女が見たこと、知ったことの方にスポットがあたっている。メイジー自身の言葉、彼女が何を思っているのかということはさほど明言されない。彼女の姿を通して4人の大人の姿が描かれ、また大人たちを通してメイジーが描かれるという、双方が反射しあうみたいな描き方だった。それぞれが呼応しており、特定の誰かを悪者にしているわけではないところがいい。
 スザンナもビールも、それぞれそれなりにメイジーを愛している。しかし、彼/彼女らの生活やパーソナリティは、「親」という仕事とは折り合いが付け難いのだ。また、スザンナもビールも、メイジーに対して自分の付属品のような感覚があるという面は否めないと思う。特にスザンナは、メイジーのことが大切であることはわかるのだが、彼女がリンカーンに懐くとリンカーンをなじったり、ビールの悪口を彼女が聞いている場で言ったりと、自分の一部として扱っており、彼女には彼女の世界や感じ方があるということに考えが至っていないようにも見える。対してマーゴとリンカーンはそもそもが他人なので、メイジーを独立した1人の子供として扱う。
 最後、スザンナとメイジーとのやりとりは、メイジーにはメイジーの生活があり、自分には自分の生活があるのだと悟ったように見えた。愛の有無とそれとはあんまり関係ないのだと思う。


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『ニシノユキヒコの恋と冒険』

 中学生のみなみ(中村ゆりか)の前に、男性の幽霊が現れた。彼女はその男性、ニシノユキヒコ(竹野内豊)と子供の頃に会っていた。ユキヒコの葬式で彼とよく話をしたというササキユリ(阿川佐和子)に出会う。女性の気持ちの察しがよくて優しく、ルックスもいいユキヒコはとにかく女性にもてた。しかし彼女たちはいつも自分から去っていく。原作は川上弘美の同名小説。監督は井口奈己。
 井口監督、待望の新作。新作撮れててほんとよかった・・・。ほっとしました。私は監督の前作『人のセックスを笑うな』にはいまひとつ乗れなかったのだが、本作はいいなと思った。原作小説のタイプの違いもあるが、大分ファンタジー寄りになっている。しかしふわっとして口当りが良さそう中にふいに苦味が広がったり、男女の寄る辺なさが感じられたりする。登場するひとたちの関係性は、総じてどこか頼りなく、ふとしたことでほどけてしまいそうだ。破綻、というほどには劇的でなく、なんとなく溶けてしまうような淡さだ。
 しかしその淡さの中、中学生であるみなみの存在が、風穴のようになっていた。最後、みなみの母・夏美(麻生久美子)がふとした拍子に彼女に告げる言葉、これを彼女に聞かせるためにこそ、ユキヒコは現れたのではないかとも思えるのだ(なんといっても、「女の子の望みがわかっちゃう」んだし)。
 竹野内主演映画だが、彼が主役、という感じはあまりしない。むしろ、ユキヒコと関わっていく女性たちの方が存在感がある。特に、彼の同僚であるマナミ(尾野真千子)の言動は、急に触れられた時の表情とか隙を見て身だしなみを整える感じとか、いちいち生々しい。また、阿川佐和子の可愛らしさには参った。えーかわいいな!という新鮮さが。
 もっとも、竹野内の存在感がない、というわけではない。ぎりぎり生々しくならない「もてそうな男」感を体現していて、予想外によかった。一歩間違うとただの女癖のだらしない男になってしまいそうなところ、なぜか「いい人」感が出ているのは竹野内の人徳なのではなかろうか。正直、発音が不明瞭でセリフが聞き取りにくいところも多いのだが、ユキヒコが何を言ったか、ということはこの話ではあまり重要ではないのだと思う。彼に反応した女性がどうするか、と言うことの方が物語を動かしている。
 あからさまに重要そうには扱っていないのだが、犬、猫、インコや蜘蛛にいたるまで、動物の使い方が上手くて感心した。プロっぽくない(笑)動物の動きでただそこにいる、という感じが出ていたし、過度な可愛さがない。特にインコの使い方は良かった。彼(彼女?)の動きで一気に幽霊話っぽい不穏さが出たと思う。


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『劇場版 TIGER & BUNNY The Rising』

ネクストと呼ばれる特殊能力者たちが、企業をスポンサーに「ヒーロー」として活躍する都市シュテルンビルド。ワイルドタイガーこと鏑木・T・虎徹(平田広明)とバーナビー・ブルックス・Jr(森田成一)は2部リーグに降格したもののヒーローとして活動を続けていた。そんな折、2人が所属するアポロンメディアに新オーナー・シュナイダーが就任。彼は自分がスカウトしてきたゴールデンライアンことライアン・ゴールドスミス(中村悠一)とバーナビーを組ませて一部リーグに復帰させる。一方、シュテルンビルドではビルのガラスがいちどきに割れる、車と衝突したと思われた女性が姿を消す等の奇妙な事件が起きていた。2011年に放送されたTVアニメ『TIGER & BUNNY』の劇場版第2作。前作は総集編プラス新作部分だったが、本作は完全新作でTVシリーズの続編となる。監督は米たにヨシモト。
冒頭にキャラクター紹介のオマケ短編が放映されたり、TVシリーズのダイジェスト(2クールを5分でまとめる荒業・・・)があったりと、一見さんにも対応している親切な上映形態。もっとも、メインターゲットは当然、シリーズ追ってきたファンだろう。キャラクターそれぞれの、今まであまり見られなかった部分や、ネクスト能力が減退し、ヒーローとしての立場も危うくなった虎徹の人生の岐路など、ファンには感慨深いものがあると思う。ヒーローの私服デザインのアレンジや、フォーマル姿など、ファンサービスもいっぱい。
ただ、ファンアイテム的でありつつ、映画としてのバランスはいい。ファンだけが楽しいという作りではなく、間口は結構広くなっていると思う。劇場晩1作目(Bigining)に比べるとカメラの動きがかなりアクション映画っぽく、華やかなものになっていた。コンテが劇場サイズっぽいというか、こなれている感じ。
また、一見痛快な「ヒーロー」ものっぽいが、実際はあんまり痛快な話がなかったという、本シリーズらしい作品になっていると思う。今回はむしろ中年、もう若くないなとふと思うような層の方が共感できる話なのではないかと思う。自分の可能性が着々と目減りしていく感じは身につまされるし、分相応とか身の丈とか考えなくちゃ、人並みでいなくちゃという雑念はつきない。だからこそ、それでもやるんだよ!と迷いを振り切る虎徹やネイサンの姿にエールを送りたくなるのだ。
 なお、新キャラクターのライアンの登場には、何このチャラ男!すわ三角関係!?とざわざわした方も多いだろうが、意外とちゃんとヒーローやっている上に引っ掻き回すどころかとんだキューピッドだというね・・・。


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