3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2014年01月

『シンプルメン』

 特集上映「HAL is back!」で鑑賞。コンピューター泥棒で一儲けしようと企んだものの、恋人に裏切られ逃亡する羽目になったビル(ロバート・バーク)。弟のデニス(ウィリアム・セイジ)はかつて野球の名選手だったがテロリストとして逮捕され刑務所に入っている父親に会いに行く。しかし父親は既に脱獄していた。父親を探しに出たビルとデニスは、食堂を経営しているケイト(カレン・サイラス)と彼女の元に居候しているエリナ(エリナ・レーベンソン)に出会う。1992年、ハル・ハートリー監督作品。
 ハートリー作品にはしばしば犯罪者や元受刑者が登場するが、本作も同様。ビルを演じるロバート・バークは『アンビリーバブル・トゥルース』でも元受刑者役だったので、また君か!という気分になる(笑)。キャストだけではなく、テーマも『アンビリーバブル~』から引き継がれていると思う。過去に傷を持つ人との関係を描くことで、相手を許すというのはどういうことか、はたして可能なのか、というテーマを追っていると思う。やりたいことが(少なくとも本作あたりまでは)変わっていない人なんだろうと思う。
 器用に振舞えない、気が利いたことができない人々のぎこちなさが、たまにイラっとさせられつつも愛おしく感じられた。デニスは見るからに不器用そうだし、一見スマートでモテそうなビルも、本気で惹かれたケイトに対してはぎこちない。また、ケイトの「本当に思ったことしか言わない」という生き方は実に生き難そうだ。ビルが、彼女の生き方は行きづらい、でも嘘を言わせるのはもっと酷だということをわかっているんだろうな、と思わせる部分がよかった。人と人との向き合い方の一つの形として。それを踏まえてのラストがすごくいい。正直中だるみしてるなぁと思った所も多々あるのだが、ラストがいいと全部許したくなる(笑)
 ハル・ハートリーといえばこれ、という有名なダンスシーンがある作品。やっぱり強烈だった。かっこいいとか悪いとかを超越している。Sonic Youthの曲でこの動きか・・・という斬新さ(笑)は今でも色あせていないと思う。Sonic Youthだけでなく、挿入曲のラインナップが非常に豪華。


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MAY I SING WITH ME

『アンビリーバブル・トゥルース』

 自動車整備士のジョシュ(ロバート・バーク)は刑務所から出所し、ニューヨーク郊外の住宅地リンデンハーストに戻ってきた。自動車整備工場に雇われたが、工場経営者の娘オードリー(エイドリアン・シェリー)と惹かれあうようになる。特集上映「HAL is back!」にて鑑賞。ハル・ハートリー監督、1989年の作品。これが長編デビュー作になる。日本では1991年に「ニューヨーク・ラブ・ストーリー」の題名でビデオ発売されているが、劇場公開されるのはこれが初めて。
 1989年の作品なので、今見ると流石に時代を感じる部分もある。ファッションはもちろんだが、音楽のペラペラした感じとか、もって回ったような「オサレ」感ただようセリフ回しとか。どこか80年代末から90年代初頭のニューウェイブ少女漫画っぽくもある。ただ、見ているうちに段々、時代を飛び越えて胸を打つものが前面に出てくるように感じられた。
 私はハートリー作品をそう見ているわけではないのだが、後の作品に出てくる要素が、既に本作に全部出ている。「私を信じて」というセリフ(字幕ではちゃんとTlast meにルビ振ってました)も出てくる。特に、相手の全てを知っているわけではないが愛する、自分が知っている範囲のその人であればいい、という登場人物がたどり着く境地が一貫していると思った。
 冒頭、ジョシュがヒッチハイクをしている。毎回神父に間違われ、正直に「刑務所にいた」と言うと車を降ろされてしまう。一方、オードリーは前科者だと知ってもジョシュを愛するし、彼女の両親も最終的にはジョシュの過去ではなく、自分達が見ているジョシュのことを信じる。かといって、彼らのコミュニケーションが必ずしもかみ合っているわけではないというところが面白い。理解というより、許容なのだ。
 契約関係や資本主義経済の話がなぜか頻繁に出てくる。全ては契約があるから成立する、契約関係、お互いの抑止力となる力関係がないと世の中は混乱に陥る、あるいはお金こそが力だと。しかし、最終的にはそれが全部ひっくり返されてしまう。全然シニカルではない、むしろ素直だしロマンティストだというところがハートリーの持ち味のように思った。


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『捕虜収容所の死』

マイケル・ギルバート著、石田喜彦訳
第二次大戦下のイタリア。イギリス陸軍兵士が収容された第127捕虜収容所では、トンネルを掘っての脱走計画が密かに進行していた。しかしそのトンネルの中で、スパイ疑惑があった嫌われ者の兵士の遺体が発見される。一体犯人は誰なのか?そして脱走は成功するのか?殺人事件の犯人探し、スパイ探し、そして脱走計画の3つが平行して進行する。それぞれがそれぞれの目くらましであり、同時に伏線になっているという構造の上手さ。一方では連合国軍がイタリア上陸するかしないか、イタリア軍は捕虜をドイツに引き渡すつもりではないか、という局面を迎えており、歴史劇としてもスリリングだ。ラストは時代のうねりの中でそうするしか活路がなかったという人の物悲しさも漂い、スパッと終わるのに余韻が残る。各賞総なめにしたのも頷ける面白さだった。時間的な制限、面積的な制限が緊張感を強めている。スリリングな一方で、収容所内でカジノを開いていたり演劇を上演していたりと、妙にのどかなシーンもあるのがユーモラス。


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『フォンターナ広場 イタリアの陰謀』

 1969年12月12日。ミタノのフォンターナ広場近くの銀行が爆破され、死者17人、負傷者88人を出す大惨事となった。ルイージ・カラブレージ軽視(バレリオ・マスタンドレア)率いる捜査当局は、無政府主義者の犯行と断定。鉄道員ジュゼッペ・ピネッリ(ピエルフランチェスコ・ファビーノ)を容疑者として取り調べるが、取調べ中にピネッリは死亡。その場にいなかったカラブレージは不審に思うが、事態は急展開していく。監督はマルコ・トゥリオ・ジョルダーナ。実際に起きた未解決事件を、関係者全員を実名でドラマ化した。
 作中で登場人物の1人が「イタリアの民主主義はまだ未熟だ」と言う。ここで大混乱がおきればその子供の民主主義は潰れてしまう、だから何としても守らねばと。その為に取った手段が事件の隠蔽と犯人のでっち上げという、全く民主主義的ではないやり方だというのが皮肉だ。隠蔽する側にしても、隠蔽したい理由は様々で一枚岩ではなく、かつ予想外の方向に事態が動き、当初予定していたような方向に進まなかった、という面も窺える。見れば見るほど、誰がどこと繋がっていて何をしようとしていたのか、多面的な姿を見せて混沌としてくる(なにしろチケット購入時に登場人物一覧表をくれたくらい。これを事前に読んでおかないともっと混乱したかも)。自分が見ているものが一体何なのか、という気分になってきた。
 カラブレージは刑事でありながらピネッリ犯人説を疑問視し、周囲に反対されつつも捜査していく。彼と同じように考える人たちもいる。しかし皆、これ以上捜査が進むことを望まない政治家や捜査当局の前に沈黙していかざるをえない。権力が動く時、個々人の存在は簡単に無視され、翻弄されてしまう。また、一度体制がそういった方向に進むと、力の行使が止まらなくなっていく(ちょっと人死にすぎ!と思った)怖さを感じた。エンドロール前の字幕によれば、本作で扱われた事件は、結局今でも真相は藪の中だそうだ。


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『ソウル・ガールズ』

 1960年代末のオーストラリア。アボリジニ居住区で生活するゲイル(デボラ・メイルマン)、シンシア(ミランダ・タプセル)、ジュリー(ジェシカ・マーボイ)の3姉妹はスター歌手になることを夢見ていた。しかしアボリジニに対する差別は厳しく、オーディションに出ても相手にされない。彼女達の歌唱力に目をつけた自称「マネージャー」のデイヴ(クリス・オダウド)は、3姉妹の従姉妹のケイ(シャリ・セベンズ)を加えてソウルミュージックを歌う女性グループに仕立て、ベトナムへの慰問に売り込もうとする。監督はウェイン・ブレア。実在したアボリジニの女性コーラスグループ、“サファイアズ”を題材にしている。
 清清しい快作だった。そんなに捻った話ではなく直球もいいところなのだが、勢いがある。”サファイアズ”が歌う姿に勇気が出てくるのは、彼女達にとって歌が名声やお金の為というだけではなく、差別など社会の理不尽さから、多少なりとも解き放たれる為の手段でもあるからではないかと思った。
 ベトナム戦争中で、アメリカでは民権運動が盛り上がっている(作中でキング牧師が殺害されたニュースが流れる)時期を背景にしているが、人種差別がかなりきつい(アボリジニが動植物と同じカテゴリの扱いになっているというのはショックだ・・・)。戦地から逃げ出すヘリコプターの中、重傷を負い瀕死の白人兵が「汚い黒い手で触るな!」(衛生兵が黒人。側にいたケイに言ったのかと思ったが、彼女は見た目は白人に近いので)みたいなことを言うのには、えっこの状況で!?と唖然とした。地域差はあるんだろうけど、こういう差別意識の方が主流派だったのかなと。また、オーストラリアでは、色の白いアボリジニの子供を家族から離して白人の子供として育てるという政策がとられていたというのも、悪い冗談のようだ。アボリジニ人口を減らす為だったようだが、現代から見たら馬鹿みたいなことを、当時は大真面目にやっていたのかと思うと、ちょっとぞっとする。ケイはこの政策により白人として育ったが、その為デボラとの間にはわだかまりが残っている。アイデンティティを混乱させるような政策って罪深いよなと思ったが、施行する側はそんなこと考えなかったんだろうことが怖い。
 そんな中で、デイヴのゲイルたちに対する態度は稀有なものだったのではないか。彼は酒びたりだしいい加減な男なのだが、当時の白人男性としてはおそらく異例なくらい、人種差別の意識が薄い。オーディションでデボラたちが落とされるのはおかしいと主張し、彼女らを本気で売り出そうとする(あぶなっかしいやり方ではあるが・・・)。また、彼は女性としてのデボラたちに対しても、偏見や差別意識は薄いように見えた。デボラと対等にやりあい(それが普通だと思っている)、腹を立てるにしろ好意を寄せるにしろ、一人の人間として相対している感じが好ましかった。
 言うまでもなくソウルミュージック満載なので、音楽好きの人ならまず楽しめると思う。ラストのステージで男の子達も歌っているのには、彼女らの変化が彼らにも及んだかな?とちょっと嬉しくなった。


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『おじいちゃんの里帰り』

 1960年代にトルコからドイツに労働者として出稼ぎにきて、後に一家で移住したフセイン(ベダット・エリンチン)。4人の子供も独立し、今や2人の孫がいるおじいちゃん。ある日、トルコに土地と家を買ったので、家族全員で家の補修を手伝ってくれとフセインが言い出す。妻も子供達も不満たらたらだが、フセインの決意は固く、全員でトルコに向かう。監督はヤセミン・サムデレリ。監督自身がドイツ系トルコ人で、妹と共に実体験を元に脚本を書いたそうだ。
 一口に「移民」と言っても、故郷との関係、移住先の国との関係はそれぞれ違う。フセインおじいちゃんの4人の子供達もそれぞれスタンスが異なる。トルコでの生活の記憶がある長男・次男に比べ、当時幼かった長女やドイツに移住してから生まれた三男は、トルコという土地に対する感慨はあまりないみたいだ。三男に至ってはトルコ料理は「辛すぎる」ので苦手、路面店での食事にも(不潔そうだから)抵抗があり、実際お腹を壊してしまったりする。ドイツ人の妻の方がトルコ料理には馴染んでいるみたいだった(笑)。
 トルコで生まれ育ったおばあちゃんにしても、子供や孫の側にいるのが一番でもう一度トルコで生活する気はさらさらないし、おじいちゃんにしても、本気でトルコに住もうというわけでもない。心の故郷ではあるのだろうが、住む場所はもうドイツなのだ。若い頃に帰省した時も、便利な生活に慣れた身にはトルコの田舎の生活は不快なだけだったというオチには笑ってしまったが、そういうものだろうなと思った。
 かといって、彼らはドイツ人だという意識でいるわけでもない(ドイツに最も同化していると見られる三男と孫娘も、意識としてはドイツ在住のトルコ人という感じみたい)。このへんの線引きは結構柔軟かつ曖昧で、折れるところは折れ、保持できるところは保持し、という移民の人たちがどの部分で移住先と折り合いを付けていくのかという部分が面白かった。


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移民国としてのドイツ―社会統合と平行社会のゆくえ

『鑑定士と顔のない依頼人』

 鑑定士のバージル・オドマン(ジェフリー・ラッシュ)は優れた審美眼に定評があり、世界中のオークションを飛び交い多忙な日々を過ごしていた。資産家の両親が残した家具や美術品を査定してほしいという依頼を受け、ある屋敷と訪ねたものの、依頼人である娘のクレアは姿を現さない。他人の視線に耐えられない病気で、屋敷からも出られないというのだ。最初は不審に思っていたバージルだが、覗き見た彼女の美しさに魅せられ、彼女の信頼を得ようと努力するようになる。監督・脚本はジュゼッペ・トルナトーレ。
 宣伝では衝撃のラストと物々しく謳っているが、バージルが没入していく事態は最初から胡散臭いので、そりゃあそうですよね、そうなりますよねという感慨しか残らなかった。本作そのものがかなり人工的(映画ってそういうものだとは思うけど)で、出来すぎなくらい滑らかに進行していくので、最後のサプライズが効いてこない。何かへの目配せ、暗喩が多すぎて少々うんざりしてしまった。思わせぶりすぎるのだ。
 バージルがどういう人間か、職業・性格・生活が冒頭10分足らずでわかるところは流石に手際がいい。で、バージルの言動を見れば一目瞭然なのだが、彼は非常に美意識が高い(その為なら多少ダーティなこともやる)人間だ。そんな彼が1人の女性に惹かれる。しかし彼女に対する彼のアプローチは、彼が彼女の中に「あるべき美しい女性」を見ているのであって、彼女本人がどういう女性なのか、という視点は抜け落ちているように見えた。バージルは肖像画、特に美しい女性の肖像画のコレクターであり、コレクションに囲まれて過ごすのが至福のひと時だ。彼のクレアに対する振る舞いは、コレクションを鑑賞するような「見方」のように思った。自分が見たいものを見ているのではと。彼がクレアにドレスをプレゼントするエピソードは、こういうことに不慣れなおじいちゃんが頑張っている!と一見微笑ましいのだが、自分が女性に「かくあれ」という姿を(無自覚に)強要しているとも言える。ドレスを試着したクレアの不慣れな動きを見ると、一層「着せられている」感が強まるのだ。
 クレアにしろ誰にしろ、バージルは相手をちゃんと見ていなかったのではないかと思う。仕事のパートナーで売れない画家のビリー(ドナルド・サザーランド)に対してもそうだ。彼の話も作品も、真摯に見て(聞いて)いれば、また違った結末があったのではないだろうか。


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『ブリングリング』

 通っていた学校を退学し、「三流」高校へ転校してきたマーク(イズラエル・ブルサール)は、レベッカ(ケイティ・チャン)、ニッキー(エマ・ワトソン)、サム(タイッサ・ファーミガ)、クロエ(クレア・ジュリアン)と出会い仲良くなる。ある晩、レベッカはパリス・ヒルトンの自宅に忍び込もうとマークを誘う。豪華な室内にはしゃぐ2人は、ニッキーたちにもその体験を話した。彼女らもパリスの家に行きたいと言い出し、やがてセレブ宅の留守を狙った連続集団窃盗事件へと発展していく。実際に起きた事件を元に、ソフィア・コッポラ監督が映画化した。
 ソフィア・コッポラ監督作は何となく毎回見ているのだが、本作が一番テンポが良く、これまでの作品では毎回一度はあった流れが停滞する時間帯が感じられなかった。映画の長さそのものも今までより短めで見易い。何より、登場人物に対する監督の目線が今までよりも距離感がある、思いいれが少ないものであるように思った。監督の体臭みたいなものが薄いので、作品としての間口は逆に広がっている。
 マークたちは窃盗を繰り返すが、特に罪悪感は感じていないように見える。また、留守宅に侵入する時、出て行く時にはさすがに見つからないように気をつけているが、長期的に犯行がバレないように気をつけているかというと、かなり無頓着だ。そもそも盗品を持った姿の写真をフェイスブックにあげているのだから、そりゃあバレるよな、という程度なのだ。自分達がやっていることが犯罪だという意識も、バレたらその後の人生が面倒になるという意識も希薄だ。リーダー格のレベッカだけは早々に逃げ出すがすぐに捕まるし、逮捕後も一番気にしていたことは、憧れのセレブが自分のことを何か言っていたかということだ。彼らの当事者意識の薄さ、事件に対する周囲の認識とのギャップが不思議だ。
 おそらくソフィア・コッポラ監督も、彼らの行為を不思議に思ったのだろう。その不思議に思う気持ちや不可解さを、下手な共感や解釈は排除し、不思議だ、というまま映画化したところは、原作(というか実在の彼ら)に対する誠実さ(監督が誠実であれと意識しているかどうかはわからないが)なのではないだろうか。変にわかったような仲間意識を持たず、「いやそれ分からないわ」と言うほうが、ちゃんとした大人なんじゃないかと思う。ソフィア・コッポラはむしろ彼らに泥棒に入られる側の人間だが、セレブだから彼ら(ニセセレブになりたがる人達)のことがわからないのではなく、ちゃんとした大人だからわからないのだと思う。
 なお、日本語字幕でのニュアンスが、ちゃんと「今現在」っぽくなっている(実際の10代が見たら違うのかもしれないけど・・・)。「マジか」というセリフがあるのだが、「マジで」にしないところでニュアンスがしっかり出ていると思う。


ブリングリング: こうして僕たちはハリウッドセレブから300万ドルを盗んだ (ハヤカワ文庫 NF 393)
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『女王陛下の魔術師 ロンドン警視庁特殊犯罪課

ベン・アーロノヴィッチ著、金子司訳
ロンドン勤務の新米巡査ピーターは、特殊犯罪課に配属された。しかしその課は上司の主任警部ナイティンゲールと2人だけ、しかも扱うのは悪霊、精霊、妖精、吸血鬼など人外の存在による「特殊犯罪」だった。おりしも市内では奇妙な暴行殺人事件が勃発していた。「魔法使いの弟子」となったピーターが犯罪捜査に奔走するシリーズ1作目。魔法のあり方がなんでもありなのではなく、法則や範囲があり、国の管轄下に(一応)置かれている、「女王陛下の魔術師」としての立場は定められているというところが、ファンタジーというよりも刑事小説としての味わいの方が強い一因か。ピーターのメンタリティも魔法使いというより、警官としてのものだ。殺人事件の聞きこみの際、相手の体が透けていると気付いた時の反応が「自分の頭がおかしくなったからといって、警官らしくふるまうのをやめるべきではない、とぼくは考えた」(で、実際聞きこみを続ける)というのが妙にツボにはまって笑ってしまった。おっちょこちょいさと冷静さが混在している、いいキャラクター。見た目は40代、中身は・・・なナイティンゲールの素敵な英国紳士っぽさもいい。なお、ロンドンの歴史、地理に関する豆知識が満載なので、ご当地小説としても楽しい。


女王陛下の魔術師 (ハヤカワ文庫FT ロンドン警視庁特殊犯罪課 1)
クラーケン(上) (ハヤカワ文庫SF)

『麦子さんと』

 アニメショップでバイトをしている麦子(堀北真希)は父親を亡くして兄(松田龍平)と2人暮らし。ある日、麦子たちが幼いころに家を出たきりだった母・彩子(余貴美子)が訪ねてくる。しぶしぶ同居を始めた麦子だが、彩子の言動にはいら立つばかり。しかし彩子は重い病気に侵されており、ほどなく他界する。麦子は納骨の為彩子の田舎へ訪れるが、若いころの彩子は麦子そっくりだった。監督は吉田恵輔。
 母親の過去を娘が知っていく、母親はアイドル志望だったという設定が昨年の大ヒットドラマ「あまちゃん」と被っちゃったのは気の毒としか言いようがないのだが、手堅く作られた作品。類型的な話と言えばそれまでなのだが、ディティールの作り方が丁寧で、普通のことを奇をてらわずにきちんとやろうとしているなという印象を受けた。間口の広い娯楽作を作るって、そういうことなんだろうな。私が見に行った時は比較的年配の客層だったが、老若男女に安心してお勧めできると思う。
 母親に対する、何をいまさらという気持ち、今までなぜ会いに来てくれなかったんだという気持ち、会いたかった気持ちを認めたくない意地など、「子供」の気持ちが詰まっている。タクシー運転手に指摘されるように、麦子の主張は子供のもので、それを周囲に当たり散らしている面は否めない。でもそれでいいのではないかと思った。彼女はずっと母親の「子供」だから、そういう思いを持ちつつ、いずれ母も自分の気持ちも許容できるようになればいいのだ。ただ、子供は去られたとしても親に会いたいもの、という前提にはちょっと疑問があったが。言い切ってしまうのは乱暴なんじゃないかなーと。麦子限定、というふうであれば気にならなかったのだが。
 脇の人たちが皆いいキャラクターだった。タクシー運転手を筆頭に、旅館の夫婦やその息子など、うっとおしくもどこかかわいらしい。特に、墓地の事務員で彩子の地元の友人女性が、そこそこの年齢で独身(離婚して帰郷)で田舎で一人暮らし、という雰囲気がすごく出ていて、いい造形だった。お友達になりたくなるレベル(笑)。
 吉田監督はディティールは上手いけど全体の構成がだらっとなりがち、長くなりがちというイメージがあったのだが、本作は比較的コンパクトにまとまっている。頭をぶつけるシーンにしろ目覚まし時計にしろ、結構伏線をきちんと回収しようとしているのも意外。


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