3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2014年01月

『パウリーナの思い出に』

アドルフォ・ビオイ=カサーレス著、野村竜仁・高岡麻衣訳
パウリーナと僕とはずっと愛し合い魂は共にあるはずだった、あの日までは。表題作をはじめ、喜劇と悲劇がいりまじる「愛のからくり」、SF風味が漂う「大空の陰謀」、世界の終わりを思わせる「大熾天使」など10編を収録した中短編集。著者の代表作『モレルの発明』では、ミステリアスな雰囲気の中、見る側と見られる側、語る側と語られる側の立ち居地の逆転が仕組まれていたが、本作でもその傾向は見られる。特に表題作は『モレルの発明』の変奏曲という雰囲気もあった。「見る」という行為に対して非常に意識的な作家だと思う(なお、本著の表紙の挿画も、その方向性をふまえたものが選ばれていて、出版社の目配りの良さが感じられた)。終盤で説明的なオチをつける傾向があり、それがミステリ的な謎解きとしての味わいを加えていることもあるのだが、無理やり理詰めにしたな!と不自然に感じられたものも。ミステリぽい作品としては、「墓穴掘り」が過不足ない感じでよかった。ただ、著者の作品の中ではむしろ例外的なものなのかもしれない。


パウリーナの思い出に (短篇小説の快楽)
モレルの発明 (フィクションの楽しみ)

『ドラッグ・ウォー 毒戦』

 麻薬ルートの大規模な捜査をしている、ジャン警部(スン・ホンレイ)率いるチームは、運び屋たちを摘発して病院に収容した。その病院で、車でビルに突っ込み運び込まれた男、テンミン(ルイス・クー)を見かける。ジャン警部はテンミンは麻薬組織の関係者だと見抜き、減刑を条件に捜査極力を要請した。海運業者を装い、麻薬シンジケートの人間との面談にこぎつけるが。監督はジョニー・トー。
 息もつかせぬ面白さ!次々と出来事が起き、それがどんどん転がっていく疾走感に満ちている。特に伏線もひねりもない、シンプルな話なのに全く飽きない。こんなに無駄がなくて手際のいい監督だったっけ(ダラダラする作品のときは本当にダラダラするし・・・)・・・。熱量はすごくあるのだが、クールだ。登場人物が全員、激高していてるようでいて、頭のどこかはいつも冷えている、常に次の一手を考えているような人たちだからかもしれない。
 トー作品というと、男のロマン!ノワールの美学!というイメージがあったが、昨年公開された『奪命金』にしろ本作にしろ、ロマンチシズムとは程遠い。欲!金!執念!というドロドロして世知辛いものに満ち満ちている。美学もへったくれもなく、なんとしも目的を遂げようという人たちの姿がギラギラしている。ジャン警部はワーカホリックといっていいようなものだし(寝ない!休憩しない!)、テンミンは命がかかっているからもちろん必死だ。どちらも必死なのだが、ジャン警部は無表情、テンミンは時に感情が溢れ、対称的。演じたホンレイとクーがとてもよかった。追うものと追われるものが、最後の最後まで、ここまでやれば清清しいわ!という境地を見せてくれる。基本シリアスではあるのだが、妙におかしみのあるシーンがちょいちょいあるのもよかった。工場員がまさかの・・・!という展開ではおーそうでなくっちゃ!と気分が上がる。
 近距離銃撃戦とカーアクションが評判になっていたようだが、確かに、最近の映画ではなかなか見ないタイプの銃撃戦だった。地味といえば地味なのだが、泥にまみれている感があっていい。


奪命金 ≪特別版≫【Blu-ray】(2枚組:BD+DVD)
ザ・ミッション 非情の掟 [DVD]

『にぎやかな眠り』

シャーロット・マクラウド著、高田恵子訳
大学町であるバラクラヴァでは、クリスマスになると住宅を華やかなイルミネーションで飾り観光客を呼ぶ習慣があった。大学教授のシャンディはこの習慣に眉をひそめていたが、今年はうるさ方への嫌がらせとして、派手派手しいイルミネーションを飾り自分は一人旅行に出るが、船が難破し引き返す羽目に。自宅に戻ったシャンディが発見したのは、近所に住む女性の死体だった。クリスマスの時期に読めばよかったな(笑)。よく出来たユーモアミステリ。シャンディをはじめ、キャラクターの個性が豊かで、決してご近所さんになりたい人達ばかりではないのに生き生きとしていてその言動が楽しい。何より、心配性でちょっと気難しいシャンディが、最初は学長から押し付けられたとは言え事件の真相究明に一生懸命になっていく、同時に自分の人生を楽しむことにも積極的になっていく様子が微笑ましい。雰囲気ミステリではなくしっかりミステリしているところも良かった。


にぎやかな眠り (創元推理文庫)
ヴァイキング、ヴァイキング (創元推理文庫)

『味と映画の歳時記』

池波正太郎著
時代小説作家であると同時に料理通としても知られた著者が、12ヵ月の季節それぞれにふさわしい料理や食材、またその季節に関わりの深い映画を語る随筆集。著者の手による挿絵が多数掲載されているが、絵も上手い人だったんですね。素朴だが品のあるタッチのいい絵だ。今となっては流石に時代を感じる(1986年発行の文庫版で読んだ)ところもあるが、食べ物の記述はやっぱりおいしそうだし、実感がある。その食べ物の魅力を抽出するだけではなく、そこから蘇ってくる著者の思い出の語りの魅力がある。食べ物は、いつ、誰と食べたという要素によっても印象の良し悪しが大きく左右されるものだなと改めて思った。


味と映画の歳時記 (1982年)
散歩のとき何か食べたくなって (新潮文庫)

『ソフィー』

ガイ・バート著、黒原敏行訳
病弱なマシューは、姉のソフィーと共に、秘密の隠れ家を作ったり、採掘所で化石を探したりと、幸せな幼年時代を送っていた。父親は殆ど家におらず、母親は子供達に無関心で、マシューの面倒は全てソフィーが見ていたのだ。ソフィーは高い知能を持つことを大人たちには隠し、マシューとの生活を守ろうとしていた。冒頭、青年が女性を殴ったらしい、その女性は青年に監禁されているらしいということがわかる。「私」の一人称と、少年時代のマシューの一人称のパートが交互に配置されているが、過去を回想することで、男女がマシューとソフィーに何が起きたのか、ソフィーの真意がどこにあったのかを探っていく。ミステリとしてのサプライズはそんなに強くないのだが、子供時代の記述が詩情に溢れており、幻想的な美しさがある。その美しさが、ミスリードを誘う装置の一つにもなっている。しかし、子供時代が美しかったからこその真相の痛ましさ、こういう形でしか愛を保持できなかったという悲しさが胸を打つ。グロテスクと見る人もいるだろうが、そう言いたくはない。解説にいつになく熱が入っており、訳者の本作に対する思いいれも垣間見られた。たしかに、人によってはそっと大切にしたくなるタイプの作品だと思う。


ソフィー (創元推理文庫)

ずっとお城で暮らしてる (創元推理文庫)

『MUD』

 「未体験ゾーンの映画たち2014」にて鑑賞。アーカンソー川岸に暮らす14歳のエリス(タイ・シェリダン)は、友人のネックボーン(ジェイコブ・ロフランド)と遊びに行った川の中州で、マッド(マシュー・マコノヒー)と名乗る男と出会う。何者からか身を隠しているらしいマッドに興味を持ったエリスは、徐々に彼と仲良くなっていく。かつての恋人ジュニパー(リース・ウィザースプーン)と再会に一緒に逃げたいと願うマッドに、エリスは手を貸そうとするが。監督はジェフ・ニコルズ。
 なんとも不穏な怪作『テイク・シェルター』のジェフ・ニコルズ監督作品なので、やはり不穏な雰囲気漂う作品かと思っていたら、予想外に素直な作りで間口が広い。ちょっとロバート・マキャモンの少年小説を思わせるような雰囲気があった。アクのなさに拍子抜けしたものの、これはこれで悪くない。
 エリスの成長物語ではあるものの、どちらかというと登場する大人の男性達の、「父親」として上手くやれていない姿が印象に残る。ちゃんと「父親」をやるのは実に難しい。エリスの父親は魚を売って生計を立てているらしいが、うだつは上がらず、妻にも愛想をつかされそうだ。エリスは冒頭「父さんには人は殺せないよ」と言うが、これがマイナスの意味で発せられているというのがなんとも言えない。エリスはまだ「強い」父親が欲しいのだろうし、彼のイメージする強さは、肉体的・物理的な強さだ。また、ネックボーンには両親がおらず、叔父と暮らしている。叔父はネックボーンを可愛がってはいるが、どちらかというと「兄」のような存在だ。また、エリスの家の川向こうにはトム(サム・シェパード)という初老の男が住んでいる。彼はかつてマッドを助け、面倒を見ていた、父親的な存在だ。しかしマッドが暴走し故郷を飛び出すことを止められなかった。彼らは皆、父的な存在として振舞うことに、いまひとつ成功できずにいる。
 父親に「強さ」を求めるエリスは、謎めいた、過去に愛する女性の為に男を殺したことがあるというマッドに惹かれていく。マッドの中に、愛する者を守る強い男のイメージを見たのかもしれない。しかし、マッドもまた、強い人間ではないことが徐々に明らかになっていく。彼は未だ大人にとして現実に対応できない、「息子」側の人間なのだ。だから父性を投影されても、それに応じることは出来ないのだ。
 エリスが大人の男女の白黒で割り切れない側面を垣間見、マッドが初めて「大人」として自分から行動するクライマックスは、2人が大人としてそれぞれ成長していく様のように思えた。


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少年時代〈上〉 (ヴィレッジブックス)

『旅人は夢を奏でる』

 ピアニストのティモ(サムリ・エデルマン)の元を、3歳の時に別れて以来、一度も会っていない父親のレオ(ベサ=マッティ・ロイリ)が訪ねて来る。家族や友人に会いに来たというレオは、ティモを無理やり連れ出して旅を始める。監督はミカ・カウリスマキ。
 ふらっと出現する「父親」レオは、ちょいちょい違法行為をするし、自分勝手だしだらしないのだが、どこか憎めない。可愛げがあるのだ。しかしその可愛げ故に、余計にイラつく人もいるのではないかと思う。最終的には許されると思ってるだろ!と突っ込みたくなるのだ。レオは人たらしなところがあるが、こういう素養って生まれながらの資質によるところが大きいので、あまり人と接するのが得意でない人は太刀打ちできない。急に出てきた人に美味しい所を持っていかれた、みたいな気分になることもあるだろう。レオの昔の仲間もそう思ったのではないだろうか。
 ティモはレオの自由さにイラつくのだが、徐々にそのあり方を許容していく。この許容できるかどうかという所は、個人差が大きくて、レオみたいな人が相手だとダメな人は(許容したいと思っていても)ずっとダメだろう。私もレオは嫌いではないが、ちょっと許せないかもしれないなと思った。レオが仕事のことばかり気にしているティモの携帯電話を湖に捨ててしまうシーンがあるのだが、あれは映画のシーンとしては面白いけど無神経だよなと思った。携帯電話は、おそらくフリーで仕事をしているであろうティモにとっては、今まで築いてきた信頼の象徴ではないかと思う。確かにティモもピリピリしすぎで融通も利かないのだが、人が大事にしているものをそういう扱いすることはないだろうと。
 ともあれ、レオの出現は、頑なだったティモの心をほぐし、肩の力を抜かせていく。レオが闖入者として間に入ってくれたおかげで、別居していた妻子とやり直しの糸口が見えたともいえる。ただ、この闖入者としての役割だったら、父親じゃなくても(それこそ「寅さん」みたいな人でも)よかったんじゃないかという気がするが。父親である、ということの有無を言わせなさを感じる。
 父息子が関係を再構築するロードムービーというと、何か湿っぽくなりそうだが、湿度は低い。脱力したユーモアで、涙を流させない匙加減の良さがあるし、そこが上品だと思う。涙を搾り取ろうとするのは下品(というより安易か)ではないだろうか。
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『機龍警察 未亡旅団』

月村了衛著
特捜部の由起谷警部補は、チンピラにからまれていた異国の少女を助ける。同じ頃、チェチェン紛争で家族を失った女性たちによるテロ組織「黒い未亡人」が日本に潜入したとの情報が入る。未成年者による自爆テロを厭わない彼女らに警察組織は翻弄される。一方、特捜部の城木理事官は議員である兄の行動にある不審を抱く。シリーズ4作目だが、毎回毎回読んでいると胸が熱くなるな!今回は営利目的の犯罪組織ではなく思想的なテロリズムと対決する。あなたの痛みは私にはわからない、という絶望的な共通言語のなさの中、なんとか道を切り開こうとする由起谷の奮闘が見ものだ。心の傷も脛の傷も、癒えたと思っていてもことあるごとに蘇る、そして他人の傷と共鳴していくのだろうか。本作の場合、その傷は愛と一緒くたになっているのだが。特捜部にとっては右も左も敵だらけ、しかも内部に内通者までいる様子と困難な状況は続き、次作への引きも強い。最後、そこに愛を持ち出すことこそ傲慢とひっくり返しつつも、ある人物の「わたしはあの人やあなたのように強くなりたい」という言葉が一筋の光のように感じられた。


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『アウトロー』

 特集上映「未体験ゾーンの映画たち2014」にて鑑賞。1999年、アイスランド。学生のステビ(ソー・クリスチャンソン)はとある事情から、久々に再会した幼馴染トティの「仕事」に加わることになった。トティは麻薬ビジネスをしており、麻薬業界の古株、ファラオと反目していた。更に麻薬ビジネスの独占をもくろむ冷徹な男、ブルーノも噛んでくる。監督はオスカー・ソー・アクセルソン。製作は『ドライブ』の監督であるニコラス・ウェンディング・レフン。
 日本ではレフンの新作という売り込みをしたいみたいだが、『ドライブ』みたいな雰囲気を期待すると、ちょっと違うなと思うかもしれない。レフンの手癖みたいなものはそんなに強くなく、むしろオーソドックスな犯罪&青春映画を90年代の雰囲気で仕上げた(映画のセンスが古臭いというのではなく、90年代を舞台とした作品だから当時流行った映画の作風に近づけようとしたのかなと思う)という感じ。アイスランドという土地柄からくるのか、ひやっとした触感が似ているといえば似ているか。レフン監督はセンスですっ飛ばすようなところがあったが、アクセルソンはもっと 堅実な作り方なんじゃないかなという印象を受けた。話の組立や見せ方が意外と王道なのだ。
ごく普通、むしろぱっとしない青年が、ギャング稼業の中で変化していくという、ある意味ビルドゥクスロマン的でもある。ただ、成長したのかというとちょっと微妙だけど・・・。ステビは良くも悪くも普通で、すごく頭がいいというわけではないし、商売のセンスに長けているわけでもなく、冷酷になれるわけでもない。どちらかというと、彼の周囲で物事が急スピードで変わっていき、そのまま自壊していくように見えた。ある組織の繁栄と終焉、といった感じで、2000年へのカウントダウンが始まった1999年という舞台背景には合っていた(というより、だからこそこの時期を舞台に選んだんだろうけど)。
 ステビの中身にはそんなに成長を感じなかったが、外見は髪型と服装を変えるだけで結構雰囲気が変わる。有体に言うとモテそうに見えてくる(笑)。長髪に黒プリントTシャツという組み合わせはどこの国でもダサいカテゴリーに入るのだろうか。身だしなみって大事だよと説教された気がした・・・。

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『愛・アマチュア』

 特集上映「Hal is Back!」にて鑑賞。ハル・ハートリー監督、1994年の作品。ニューヨークの路上に倒れた男を見て、ソフィア(エリナ・レーベンソン)は逃げ出した。その男性トーマス(マーティン・ドノバン)は記憶を無くしてカフェに迷い込み、売れないポルノ小説家で元尼僧のイザベル」(イザベル・ユペール)に助けられる。一方、ソフィアはトーマスを殺したと思い込んでいた。トーマスが犯罪組織に関わっていたことで、ソフィアも命を狙われてしまう。
 『シンプルメン』と比べると明らかに予算が増えているし脚本もきっちり詰めているし、ペース配分もかなり配慮している(中だるみがない)なという印象を受けた。本作は日本公開された当時に劇場で見たのだが、細部は全然覚えていなかったので改めて見ると新鮮だった。イザベル・ユペールが主演だったんだと今更のように知ったのも新鮮。ユペールの、若いのに妙に枯れている風であり、ピリっとした表情も見せる様が魅力的だった。野暮ったいワンピースもボンテージ風衣装も、それなりに味がある。
 これこそ、ハートリー作品に共通している、目の前にいるあなたを愛する、という態度が貫かれた作品だと思う。「よく知っているわ」という台詞がこれほど重みを持つ映画はなかなかないと思う。トーマスは記憶をなくしており、それ以前の彼がどういう人だったのかは分からない。どうも危険なことに関わっていた様子がある。しかしイザベルとの交流の中では、そんな気配は感じられないのだ。イザベルは、自分が見たトーマスの姿を信じることにしたのだろう。
 そもそも、相手の全部を知ることなど不可能だ、コミュニケーションが成立する(したかのように見える)のはお互いのごく一部同士だ、という思想がハートリー作品の根底にはあるように思う。だからといって、シニカルだったりペシミズムに溺れていたりするのではない。むしろ、そうであっても人と人は愛し合う、というオプティミズムに着地する。本作のラストは痛切かもしれないが、決して悲観的なものではないと思う。


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