3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2013年11月

『2ガンズ』

 ダイナーでしゃべくるボビー(デンゼル・ワシントン)とマイケル(マーク・ウォールバーグ)は銀行強盗をたくらんでいた。彼らが狙ったのはマフィアの金。実はボビーは麻薬取締官、マイケルは海軍情報部将校で、お互い正体を知らずに潜入捜査していたのだ。マフィアの裏金から組織のしっぽをつかんだと思ったボビーだが、マイケルが現金と共に逃走。しかもその金はマフィアの金ではなかった。監督はバルタサール・コルマウクル。
 気楽に楽しめそうだなーと思って見てみたのだが、予想以上に楽しかった。余計なことをやらない省略の的確さとテンポの良さが魅力。監督のコルマウクル(媒体によってコルマクールだったりコルマキュルだったりするんだけど、どれが正しいの・・・)って『ハード・ラッシュ』の監督だったのかと後から気付いた。どちらもウォールバーグ主演なので相性がいいのだろうか。2作ともコンパクトにまとまった、キレのいい娯楽作で高感度高い。情感が乾いているところ、登場人物がある意味非常なところがあり、余計な涙を見せないところもいい。省略するところはごそっと省略する作風の監督だと思う。終了後に余韻を残さないというのも潔い。
 ボビーとマイケルはとにかくよく喋る。2人のダラダラした、本筋とは関係ないようなダベりは、いわゆるタランティーノ以降、タランティーノ作品の影響下にあると言われるようなものなんだろう。でも個人的には、むしろ「あぶない刑事」を思い出した(笑)。かっこよさの張り合い、意地の張り合いからくるおかしさみたいなものがそう思わせたのかもしれない。
 そして、主演のワシントンとウォールバーグがとてもチャーミング。ワシントンは以前は生真面目な役柄の印象が強かったが、近年はダーティだったりだらしなかったり(体型含む)していて更に面白みとセクシーさが増している。またウォールバーグは本作では「すぐウィンクする」女ったらしで口が減らないという役柄だが、これがかわいい!ウィンクがあんまりしっくりきていないところが更にかわいい(笑)。特にハンサムでもスタイルがいいわけでもない(ワシントンと並ぶと足の長さが・・・)んだけど、ここ最近、妙なかわいげが出てきていると思う。


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『ある愛へと続く旅』

 夫と16歳の息子ピエトロと共に、ローマで暮らすジェンマ(ペネロペ・クルス)。ある日サラエボに住む旧友ゴイコ(アドナン・ハスコビッチ)から電話がかかる。彼女のかつての夫ディエゴ(エミール・ハーシュ)の写真展をやるというのだ。ピエトロを連れてサラエボに向かったジェンマは、サラエボを訪れた学生時代を思い出す。監督はセルジオ・カステリット。
 クルスが1人の女性の学生時代から中年までを熱演しているというのが売りの本作だが、確かに熱演。最初に登場するジェンマは50代くらい。しわや白髪も目立ち、しっかりと加齢感がある。ところが回想パートになるとちゃんと20代の溌剌とした女性に見えるのだ。若返り&老けメイクをしているだろうとは言え、不自然さがなく年齢を行き来している。立ち居振る舞いや表情も、その設定年齢にふさわしいものにがらっと変わり、感心した。過去と現在をいったりきたりする構成なので、よけいに演じる年代の差が際立ったのかもしれない。気持ち、体型までその都度変わっている(ように見える)のがすごい。
 ディエゴはジェンマに一目ぼれし、彼女に「僕と一緒なら毎日がパーティーだ」と言ってくどく。このセリフで、個人的にはディエゴとは気が合わなさそうだなと思ったが(笑)、彼はジェンマのことを深く愛し、それゆえ彼女と離れることになる。ディエゴのジェンマに対する愛がどのようなものだったのか、どういう結果を残したのか、その過程をジェンマが再発見していく物語でもある。それに伴い、ピエトロの出生が、もうひとつのキーになっている。彼の出生のいきさつについて、映画を見る側には最初伏せられている。途中である程度見当はつくものの、その後さらに意外な展開が。ディエゴの「愛」とは、こういうものだったかと(それが正しいか否かはさておき)、その情熱と意思の力に唖然とするのだ。
 邦題はちょっと狙いすぎかなという気もするが、内容には合っている。最後、何もかも飲み込んだようなジェンマの表情がよかった。また、キーとなる女性アスカを、『蜂蜜』や『ソフィアの夜明け』に出演していたサーデット・アクソイが演じていて、得した気分に。力強さがあって印象的な風貌だと思う。


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『盆栽/木々の私生活』

アレハンドロ・サンブラ著、松本健二訳
サンティアゴに住むフリオには、学生時代、エミリアという恋人がいた。しかし彼女は死んでフリオは生きている・・・。表題作「盆栽」は、フリオとエミリアの人生を時代を前後しながら描く。盆栽は、フリオが書こうとしている小説のモチーフだ。もう一篇の「木々の私生活」では、作家のフリアンが妻の帰宅を待ちながら、幼い娘を寝かしつけるため、自作の物語を聞かせる。どちらも小説、愛した者の不在(ないしは失われそうな予感)がモチーフになっており、だからこそ人生の美しい瞬間が焼きつく。「木々の私生活」の最後のパートの美しさよ。ラテン文学というとボリューム感があり猥雑、濃密だという印象があったが、本作のように端正でミニマムな作品もあったのかと新鮮だった。作文の文章例のような几帳面できりつめた、同時にどこかアンバランスな文体が印象に残る。ちなみに作中で、フリオとエミリアはお互い『失われた時を求めて』を読破したと見栄を張ってしまうのだが、こういうシチュエーションだと大体『失われた~』か『ユリシーズ』が使われるような気が(笑)


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『女っ気なし』

 小さな港町の夏。地元に住む独身男シルヴァン(ヴァンサン・マケーニュ)が管理するアパートを、バカンスを過ごしに来た母娘が借りた。若々しく気さくな母親とクールな娘と、シルヴァンは徐々に親しくなっていく。やがてシルヴァンは母親に心惹かれていくが。監督はギョーム・ブラック。
 オープニングとエンドロールの、ブルーグレーの地が美しく、これだけでなんとなくいい映画を観たような気分になってくる。『遭難者』にも登場した冴えない男シルヴァンが主人公の、本作は長編となる。シルヴァンは相変わらず冴えないが、今回は美女2人と交流する。ちょっと嬉しげな展開ではあるのだが、やはりいまいち空気が読めておらず、一人で舞い上がっている感じがまた切ない。母親の方を散歩に誘い、シルヴァン本人はいい雰囲気になっているつもりなのに、母親の方はちょっと迷惑そうなそぶりも見せる。それに全然気付かない(もちろん女性側も、失礼にあたるからそういうそぶりを見せないようにしているわけだが)。とにかくシルヴァンの何につけ不慣れな感じにややいたたまれなくなった。自分の中にそういう部分があるから余計にいたたまれなくなるんだろうけど。『遭難者』と同じく、居心地の悪いシチュエーションの作り方が上手い。
 あっさりとした作品だが、個々の登場人物は意外としっかり「こういう人」であると作りこまれている。シルヴァンの前述したような世慣れ(というか女性慣れ)していない感じ、「ポロシャツが似合う」と言われたらそればっかり着ちゃうとか、自宅で任天堂Wiiをやっているとか、『イージーライダー』と『猿の惑星』のポスターを部屋に貼っているとか、お菓子を買い置きしているとか、彼の人となりが感じられるちょっとしたショットが多い。また、母親の方がはしゃいでいて娘がそれをたしなめるという母娘の関係性もさらりと見せている。娘は全般的に少々不機嫌そうだが、実は冷静によく観察しているのだ。余計なセリフやシチュエーションを入れずに、個々のキャラクターを見せていく切れのよさがあった。
 しょぼしょぼした結末を迎えるのかな、と思いきや、終盤にまさかの展開を見せる。ちょっとー!と思わず声をあげたくなった(笑)。非常に映画的な嘘が本作にあるとしたら、多分ここなんだろうけど、こういうことをしれっとやるのが本作のチャーミングなところでもある。
 なお、本作のポスターは今年度ベストポスター賞をあげたいくらい、私の好みでした。


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『遭難者』

 サイクリング中に自転車がパンクして難儀していたリュックは、自動車で通りかかったシルヴァンに声を掛けられる。手助けしようかと何かと声をかけてくるシルヴァンを少々うっとおしく思うリュックだが。監督はギョーム・ブラック。同監督による長編『女っ気なし』の前日譚となる中篇作品。
不運続きでイライラしているリュックと、いまいち空気を読めないシルヴァンを淡々と追う。
 リュックはちょっとハンサムで、恋人もおり、まあ普通に何でもそつなくこなす人なんだろうなーという雰囲気が漂っている(ので私は虫が好かない・・・)のだが、シルヴァンはそれと対称的。カフェでのうだつのあがらないやり取りや、自宅の侘しさなど、見ていていたたまれない。何よりいたたまれないのは、シルヴァンの人との距離のとり方の微妙な下手さ。好意の示し方とか相手への立ち入り方とかがちょっと一方的で、人付き合いあまり上手くないんだろうな・・・と他人事とは思えない。なまじ悪意がない(むしろ善意でやっていることはわかる)ので余計にイライラしてしまうリュックの気持ちもわかるのだが。ああー、フランスにもリア充と非リア充がいるのか~と、なんともいえないしょっぱい気持ちになった。
 人間関係における居心地の悪いシチュエーション、瞬間の演出の仕方が抜群。基本しょーもない話なのだが何となくちゃんと映画見た、という気分になるところが面白い。シーンの切り替えなどスパスパと思い切りよくて、すっきりしているからかもしれない。


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『キャリー』

 1976年にブライアン・デ・パルマ監督が映画化したスティーブン・キングの小説を、キンバリー・ピアース監督が再度映画化した。時代は現代に置き換えている。狂信的なキリスト教徒の母マーガレット(ジュリアン・ムーア)と2人で暮らす高校生キャリー(クロエ・グレース・モレッツ)。母親の監視下に置かれ、学校でもいじめを受け孤独な毎日を過ごしていた。彼女はある日、ショックを受けたことがきっかけで奇妙な力に目覚める。
 撮り方になんとなくB級ホラー的な雰囲気があるが、これは元作品や原作とは違った感じなのかな?ややライト目にしてあるんだろうなという見当はつくが。方々での感想を見ると、キャリーのキャラクターが元作よりも能動的なようだが、これは時代を考慮したものではないかと思う。わりと積極的に能力を使い(自分で研究もするし)、それが彼女の救いになっていく。だからこそ後半での惨劇が痛ましい。
 異能力に目覚めるのはキャリーなのだが、彼女の怪物性みたいなものはあまり感じられない。特殊な環境で育てられ孤独ではあるが、「普通」さの方が印象に残るし、彼女自身普通でありたいと望んでいる。むしろ、マーガレットの享楽に対する罪悪感や憎悪、偏狭な信仰心の方が怪物的だし、キャリーにとっては正に怪物として襲い掛かってくるものだろう。また、キャリーの同級生でいじめの首謀者の少女が、さしたる理由もなく(何となく気に食わないという程度で)いじめをエスカレートさせていく、しかも自分にとってハイリスクな手段にまで踏み切るという姿の方が、怪物的であり、何かに取り付かれたように見えた。キャリーへのいじめのせいで学内での立場が悪くなったとは言え、その後の報復は自分にとってデメリットしかないと思うのだが。その自制の出来なさが異様だった。
  キャリー本人より、その周囲の人たちの怪物性だったり浅はかさだったりが印象に残る。キャリーがプロムに参加するきっかけを作った学内の女王様的同級生にしても、本人は罪滅ぼしのつもりだったとは言え、浅はかとしか言いようがない。想像力ないんですか・・・。そういう部分を含め、高校生くらいの人が見るとちょうどいい感じに仕上がっていると思う。


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『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ(新編)叛逆の物語』

*TVシリーズの設定に関しては一部ネタバレです
 TVアニメ『魔法少女まどかマギカ』劇場版第3弾である本作。TVシリーズの総集編という側面が強かった前2作と異なり、本作は「その後」を描く完全新作だ。総監督および脚本はTVシリーズの脚本を手がけた虚淵玄。監督は宮本幸裕。
 一旦、環を閉じて完結した、しかもかなり見事に完結した作品をどのように再び開き、発展させるのか興味津々だったのだが、なるほどそうきたか!と手を打つ心持だった。事前に公開されていた、なぜか5人の魔法少女たちがいわゆる「魔法少女」的に活躍する(ものすごく見ていてこそばゆかった・・・)第一パート、そして第二、第三パートと二転三転させていく。これまでの物語を裏返したかのような構造で、相当な苦労があっただろうに(そもそもやる必要がないと言えばないし・・・)まあよくやったなと感心した。
 私は正直なところ、本シリーズを面白いとは思ったけど、そんなに好きというわけではない(劇場版の2作は見てないし)し、キャラクターに対しても愛着はない。が、本作を見て、ほむらのことはちょっと好きになりましたね。私にとって本シリーズの何が気に食わなかったかというと、魔女が邪悪である、倒さねばならない存在だというところだ。それって(アニメの伝統にのっとった構造、お約束を意図的に踏襲するものだったとしても)、少女は成長するな、欲望するなということなんじゃないのと。実際、まどかはTVシリーズ終盤で究極の利他的な存在となって魔法少女たちを救う。でも、そのやり方だと、世界は救われたが私の欲望はどうなるんだ!ってことにならないのかなーと。
 で、本作で中心にあったのは、その「私の欲望はどうなるんだ」ってことだったと思う。だから作品としては、ファンの希望を裏切るようなものなのかもしれないが、ある意味誠実なんじゃないだろうか。たとえ地獄に至る道だとしても、少なくとも「彼女」はそれでいいんじゃないかと思う。


劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編] 始まりの物語【通常版】 [DVD]
劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [後編] 永遠の物語【通常版】 [DVD]

『ゴッサムの神々 (ニューヨーク最初の警官)(上、下)』

リンジー・フェイ著、野口百合子訳
1845年、ニューヨーク。火事で顔にやけどを負い仕事も金も失ったバーテンダー、ティムは、兄により強制的に創設まもないニューヨーク市警官となった。ある夜、彼は血まみれの少女を保護する。そして胴体を十文字に切リ裂かれた少年の死体が発見された。手探りで捜査を始めたティムだが、事件はこれに留まらず町を震撼させることになる。文章がちょっと回りくどいのだが、移民が激増した時代を背景とした時代小説としても、警察小説としても面白い。ティムは新米警官で捜査のイロハも知らない中、持ち前の観察力と頭脳で謎を追及していく。しかし新米なのはティムだけではなく、警察組織全体が生まれたて(それまでは夜警や自警団みたいなものはあったが、「捜査」をする組織はなかったようだ)で、全員が手探り状態だというところが、更に面白い。また、NYの警官はアイルランド系が多かったという話は聞いたことがあったが、この頃からの伝統なのかなと(他にろくな働き口がなかった)。何より興味深いのは、当時のアメリカの信仰はプロテスタントが主流で、アイルランドからの移民の多くが信仰していたカソリックは、異端と見られていたということだ。キリスト教徒ではない身からすると五十歩百歩に見えるのだが、アメリカ人(そもそも当時既にアメリカに住んでいた人達も移民なんだけど・・・)のプロテスタントからすると、カソリックは邪悪だ!悪魔だ!って扱い。これにはびっくりした。こういった価値観が物語の大きな要素になっている。こういう部分をわかっていないと、小説にしろ映画にしろ、読み違えることがあるだろうなー。気をつけよう。なお、女性の造形が(こういう言い方はあんまり好きじゃないんだけど)女性作家ならではかなと思った。こういう女性には極端に選択肢の少ない時代だったんだろうと。また、兄弟萌え小説でもあるのでその筋の方はぜひ。


ゴッサムの神々<上> (ニューヨーク最初の警官) (創元推理文庫)
刑事たちの三日間 上 (創元推理文庫)



『夢のなかの夢』

アントニオ・タブッキ著、和田忠彦訳
神話上の人物であるダイダロスから始まり、オウィディウスやラブレー、ランボーにチェーホフ、そしてフロイト。文学史、美術史上の過去の巨匠が見たかもしれない夢を描いた、20の短編集。各篇のタイトルに付けられた主人公への修飾、そして夢の中身からは当然、著者の対象に対する解釈、理解の仕方が垣間見え、その人の作品に対する批評になっている。特に、その人がやったことではなく出来なかったことに言及するようなものの物悲しさ、そしてせめて夢では成し遂げさせてあげたいという優しさが印象に残る。もちろん、ひとつひとつの「夢」としての魅力にも満ちている。足元のおぼつかない、頼りない感じが。なお、岩波文庫で読んだが、表紙の装丁は原著に似せたものだそうだ。ピエール・ピュヴィス・シャヴァンヌの絵と濃いブルーグレーの地の色が美しい。


夢のなかの夢 (岩波文庫)
いつも手遅れ

『眠れる美女』

 17年間こん睡状態の女性エルアーナの延命措置を、続行する法案が可決されるか否かで沸くイタリア。国会議員のベルファルティ(トニ・セルヴィッロ)は、過去の経験から賛成票を投じるか悩んでいた。延命停止に反対する娘のマリアは父に反撥していた。元女優(イザベル・ユペール)は、こん睡状態の娘の看病の為キャリアを捨てるが、息子は母の自由を願っていた。監督はマルコ・ベロッキオ。
 ベロッキオ監督の作品は2作くらいしか見ていないのだが、題材への自分の関心の有無と関係なく、映画を見た!という圧倒感がある。
尊厳死が題材になっているが、これに対する認識というか感情的なもの、倫理観の形が日本とは大分違うという印象を受けた。やはりキリスト教に根差した価値観が強固なのだろうが、政治も政教分離とはいかない(キリスト教団体の意志を無視できないという言葉が出てくる)らしい。これは日本との大きな違いだと思う。延命の方が神の意志に反している(不自然)な気もするけど、そうではないところが興味深い。
 女優とその息子の関係が印象に残った。自由になりたくない人に対して自由にしてあげたいと思うのは、もはや意味がないのかなと。本作、家族ドラマとしての側面も色濃いが、この一家に関しては修復ないしは今後の発展のしようがもうなさそうで苦しい。息子が母親を思っても、母親の心は娘にだけ向けられている。でも息子は母親を諦めきれないというのが痛々しい(すでに諦めている夫とは対照的だった)。
 2つの家族のエピソードの伴奏のように底辺に流れるのが、医者と自殺未遂患者である女性のエピソード。彼女はやがて目覚めるであろう「眠れる美女」であり、眠りっぱなしの美女とは異なり自らの意思で死のうとしている。たまたま居合わせた医者は、彼女を引きとめようと尽力する。そこに具体的な理由はない。死のうと決意している人に何を言っても無駄かもしれない、が、そうとも限らないのではないかと。女優の息子の母親に対する無力さが、医者と患者のやりとりで少しやわらげられた。
 それにしても、尊厳死に対する問題は国や宗派どころか家族、個人ごとに全然考え方、関わり方が違う。これを法案でどうこうしようということ自体が苦しいような気もしてしまう(実際にはガイドラインがないとさらに苦しいわけだが)。


愛の勝利を ムッソリーニを愛した女 [DVD]
私たちの終わり方―延命治療と尊厳死のはざまで (学研新書)

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