3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2013年09月

『刑事たちの3日間(上、下)』

アレックス・グレシアン著、谷泰子訳
1889年のロンドン。切り裂きジャックの恐怖により市民からの信頼が地に落ちた警察の威信を回復しようと、ロンドン警視庁に殺人捜査課が創設された。しかし部員はわずか12人。しかも刑事の1人が奇怪な死体となって発見される。捜査担当になったのは新米刑事のディだった。舞台はヴィクトリア朝ロンドンで、この時代の生活様式や風俗が丹念に描かれ面白い。が、作者はアメリカ人なのね(笑)。上下巻とボリュームがあるが、終盤に向かうにつれ一章が短く感じられ、視点切り替えのペースも小刻みになり、話を追いこんでいく構成のうまさがある。複数の刑事その他の警察関係者、そして犯人の視点から描かれる。どのキャラクターもキャラが立っていて、キャラクター小説としても結構楽しめた。まだ科学的な捜査方法はもちろん、殺人事件の捜査方法自体が確立されていない中、刑事たちが奔走する。人員の足りない中、形はそれぞれだが様々なものとのせめぎ合いの中、頑張る刑事達の使命感にぐっときた。何より刑事たちの人柄が(短所も含め)いい!人の可愛げのある部分の作り方が上手いのだ。訳もこなれていてとても読みやすいが、会話文が現代的すぎるかなという気もする(原文がそうなのかもしれないが)。時代小説現代語訳版とでも思えばいいのか。なお、ディの妻は料理が下手で、キュウリのサンドイッチすらまずいというのだが、キュウリのサンドイッチをまずく作るのって逆にすごいスキルだと思う・・・。


刑事たちの三日間 上 (創元推理文庫)
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『わたしはロランス』

 モントリオールで恋人フレッド(スザンヌ・クレマン)と暮らす国語教師ロランス(メルヴィル・プポー)。彼はある日、フレッドに「女になりたい」と打ち明ける。ショックを受けたフレッドは彼を非難するが、理解者として彼を支え続けようと決意する。監督はグザヴィエ・ドラン。
 3 時間近い長編だが、妙にひきこまれ飽きることがなかった。ビジュアルのカラフルさ、ポップさやいかにも90年代っぽい(舞台は主に90年代)音楽の楽しさにも惹かれたが、何より、ロランスとフレッドの、愛のあり方をめぐる10年近くに渡る格闘が鮮烈だった。ロランスは「スペシャル」な存在だと言う。誰かのスペシャルであることは素晴らしい。が、自分が相手に望むスペシャルさと、相手が自分に望むスペシャルさは一致するとは限らない。両思いなのに片思い、みたいな状況になることもある。ロランスとフレッドがお互いに見出したスペシャルさは、必ずしも重なり合わない。ロランスは自分をありのまま(女性になりたい男性で、女性を愛している)愛して欲しいと願うが、フレッドが最初に好きになったロランスは「男性」としてのロランスだ。フレッドにとってはロランスの愛は荷が重いかもしれない。しかし2人は、お互いにスペシャルでいようと模索し続ける。負け戦の予感が濃厚であっても、その意思が何か美しいものに見えた。
 ロランスとフレッドの関係だけでなく、2人それぞれの家族(2人ともそこそこいいお家の出らしいところが面白い)との関係も印象に残った。ロランスの母親が、夫との関係に引導を渡した後、急にきれいになっている姿など、人間向き不向きってあるよなーと思ってしまう(ロランスにも、母さんはずっと「女」だったと言われたりもしている)。また、フレッドと妹の、一見さほど親密ではなさそうなのにいざとなると発揮される絆にもほろりとさせられる。


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『タイピスト!』

 1950年代フランス。田舎町の雑貨屋の娘ローズ(デボラ・フランソワ)は、秘書になろうと面接を受けるが落とされそうになる。慌てた彼女が披露したのはタイピング。その才能に目をつけた上司のルイ(ロマン・デュリス)はタイプライター早打ち選手権で優勝することを採用条件にする。ローズはルイの特訓の下めきめき腕を上げ、とうとう世界選手権への切符を手にするが。監督・脚本はレジス・ロワンサル。
 スポ根映画と称されていたが、確かにこれはスポ根。しかもコーチを好きになっちゃう系スポ根だった。いまどきこんなベタな少女漫画スポ根をまさかフランス映画で見ることになるとは・・・。ヒロインは美人というより可愛い系でちゃんとドジだし、コーチは二枚目だが若干口が悪く自信家なのに肝心なところで不器用(というか器用貧乏なんだろうな)という、このフォーマットは万国共通か!と唸るような代物。
 ただ、楽しいし可愛いことは可愛いが、それは映画全体としての可愛さではなく、当時のドレスとかインテリアとかの、ディティールの可愛らしさだと思う。映画としては、大分もったりとしていて、野暮ったい。昔のコメディを意識したのかもしれないが、現代の作品である以上もうちょっとなんとか・・・。フランスのコメディにはやたらとダサいものが時々あるけど、コメディセンスは案外ベタベタなお国柄なんだろうか。面接の時、ローズが一心不乱にタイプするとワンピースのストラップが落ちて髪がほどけて・・・という件で、うわダサい!勘弁して!と思った。万事がこの調子なんだよな~。特にちょっとセクシーさを強調するシーンが下品になりがちで、スマートさに欠ける。単に私がスポ根にラブはいらん!という見解だからかもしれないが。
 女性が活躍していく物語だが、当時女性が社会の中で活躍できる職種が限られていたということも透けて見える。だからタイピストが女性にとってのスターになりえたんだろう(それでも「秘書はデートして結婚する相手」とか言われてたりするし・・・)。そういう意味ではいろいろと窮屈さも感じた。また、「アメリカ人はビジネスを、フランス人は恋を」というキャッチーなセリフがあるが、これ双方をバカにしていない?とひっかかった。こういう、ちょっと無神経かなと思えてしまう、大味な部分が気になった。細部まで目が行き届いていない感じ。


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『オン・ザ・ロード』

 1950年代初頭。作家志望の青年サル・パラダイス(サム・ライリー)は、型破りで魅力的なディーン・モリアーティ(ギャレット・ヘドランド)と出会い、彼の若い妻メリールウ(クリステン・スチュワート)にも惹かれる。3人は車でアメリカ中、やがてはメキシコへ旅をする。サルは旅の中で自分が書くべきものを模索していく。原作は1950年代のビート・ジェネレーションを代表する作家である、ジャック・ケルアックの小説。監督はウォルター・サレス。製作にフランシス・フォード・コッポラ。
 サレス監督はやはりロードムービー、そして青春映画と相性がいいみたいだ。若者がきらきらしている様、しかしそれは遠からず失われるだろうという寂寥感がないまぜになって波のように襲ってくる。アメリカの風景の、広大だが広大すぎて心もとない感じも感情を盛り上げてくる。豊富に使われる音楽もまた楽しかった。登場人物たちはよく踊るのだが、その賑やかさと寂しさが表裏一体な感じもよかった。
 サルとディーンの関係は、ちょっと『グレート・ギャツビー』を彷彿とさせる。ディーンはギャツビーとは違ってお金はないし上流階級とは無縁だが、人を魅了する才能がずば抜けているという共通点がある。女性も男性もディーンに惑わされる。サルがディーンを訪ねると彼が裸で出てくるというシーンが何度もあるのだが、毎回奥で女性(毎回違う)が待っているというのがおかしかった。ディーンを演じるヘドラントは、『トロン・レガシー』では無味乾燥で全然魅力を感じなかったのだが、本作では確かにこの人モテそうという雰囲気が出ていてびっくりした。
 サルもディーンに魅了されるが、彼にとってディーンは観察対象でもある。サルは執筆に行き詰まり、ディーンに誘われて旅に出る。旅をしている間はメモを取りまくっているが、帰宅しタイプライターに向かっても一向に書けない。で、また旅に出てしまう。ディーンはサルにとって小説執筆の触媒のような存在でもあったように思える。ディーンの「魔法」が解けた姿を見たからこそ、一気に彼、そしてその周囲の人たちを小説に書けたのではないか。残酷なようでもあるが、そこには特に哀れみや同情はない。サルは観察して書きとめるという立ち居地だったのだ。
 なんとなく、ビートジェネレーションって60年代くらいだろうというイメージを持っていたのだが、実際には50年代初頭。最近の映画だとポール・トーマス・アンダーソン監督『ザ・マスター』が同じくらいの時期を舞台にしているのかな?だとすると、ビートジェネレーションって時代をえらい先取り、というかあの時代から外れていたんだなと実感。


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『メキシカン・スーツケース <ロバート・キャパ>とスペイン内戦の真実』

 ロバート・キャパ、ゲルダ・タロー、デビッド・シーモアらがスペイン内戦時に現地で撮影した写真のネガが、メキシコに住む一般人の家で発見された。ネガがどういった経緯でメキシコに渡ったのか、また残されたネガから浮かび上がるスペイン内戦の実情を追うドキュメンタリー。監督はトリーシャ・ジフ。
 キャパらのネガが納められたケースを「メキシカン・スーツケース」と読んだことに本作の題名は由来する。スーツケースというか、実際は手作りのボール紙の箱。ネガは実に4500枚に及ぶそうだ。作中でも一部が登場するが、キャパらが正に戦地、しかも最前線で撮影していたことがわかる。作中でも元カメラマンが言及するが、こういう状況で撮られた写真に、構図がどうこう照明がどうこうと批評するのはナンセンスだろう。多分、具体的にそういうことを考える余裕はなかったのだと思う。そういう中でいくつかの写真が「作品」として生き残ったと言った方がいいのかもしれない。
 失われたネガの軌跡を追うという主旨と同時に、そのネガに映されたものが、私達にとっては「歴史」だが、被写体になった人々、その土地にいた人々とその子孫にとっては、祖父母や曾祖父母ら家族の思い出であるという、大文字の歴史を個人の手に取り戻すという作業が平行する。終盤、メキシコのスペイン移民(当時、メキシコはスペインからの亡命者を受け入れていた)の子孫たちが、あなたがたにとっては過去の歴史だろうが、私達にとっては家族の思い出だと話すシーンが印象に残った。メキシカンスーツケースが今まで(2007年にIPCに戻った)見つからなかったのは、NY、パリ、ロンドンなど大都市にあるはずという思い込みがあったからだという(イヤミ込みの)指摘や、大国がまた文化遺産を奪っていくというメキシコ人学者の嘆きと合わせて、印象に残る(ネガに関しては、発見された当時、キャパの遺族が生きていたから、正しく返還されたと言えるとは思うが)。
 本作の題名で、<ロバート・キャパ>とカッコ付きになっていて、そんなに強調する?と思ったのだが、内容を見て納得。スーツケースの中にはタローやシーモアの手によるものもあったし、現像しネガをメキシコへ送ったはキャパのアシスタントだった。彼ら全員の代表がキャパだということだろう。



キャパの十字架

キャパ その戦い (文春文庫)

『黒いスーツを着た男』

 自動車販売会社に勤めるアラン(ラファエル・ペルソナ)は社長令嬢との結婚を控え、順風満帆だった。しかしある日の深夜、車を運転していて男性をひき、そのまま逃げてしまう。それを目撃していたジュリエット(クロチルド・エム)は被害者の容態を心配したのが縁で、被害者の妻・ヴェラ(アルタ・ドブロシ)と親しくなる。被害者が入院している病院でアランを見かけたジュリエットは彼を追うが。監督はカトリーヌ・コルシニ。
 アランはひき逃げをしてしまったが、決して悪人というわけではない。人並みの道徳心や善意は持ち合わせており、自分がしたことに苦悩する。一方で、あとちょっとでつかめる幸せや地位を手放したくないという保身欲もある。とにかく、普通なのだ。この普通さが、彼をどんどん泥沼にひきずりこんでいくことになる。善悪両方の側から引っ張られて身動きできなくなるのだ。こんなことなら最初から自首しておけばよかったのに・・・!と思わずにいられない。
 また、事件の目撃者であるジュリエットは善意の人だ。だから被害者の容態を心配して病院まで通い、ヴェラを助けるようになる。しかし、彼女の行為もまたどっちつかずという感じが否めない。善意の人ではあるが、強い意志をもって善意をはたらくのではなく、なんとなくその場の雰囲気で流されているようにも見える。ヴェラへの手助けも先のことを考えない、安請け合いの面が否めない。中途半端な気持ちのまま踏み込んだせいで、彼女もまた泥沼にはまっていく。中途半端な善意は時に悪意と同じくらいやっかいなことがあるよなと苦い気持ちにさせられる。
 泥沼ということで言えば、被害者遺族であるヴェラの状況も泥沼だ。夫を亡くしたということはもちろんだが、彼女は不法移民であり、夫は不正雇用されていたので保険も使えない。当然警察にも届けられないし訴訟も起こせない。入院費はかさむばかりだ。彼女を泥沼から引き上げられるのは端的にお金だというところが、ヴェラ自身は、最初は夫の命はお金にかえられないと考えていただけにきつかった。ある時点で、倫理的な問題からすっとお金の問題にスライドしていくのだ。アランの側はお金の問題から倫理の問題へ移行しているように見え、対称的とも言えると思う。
 3者それぞれの心情がダイレクトに響いてくるものの、カメラは一貫して冷ややかで、客観的。ヒートアップしそうな部分を押さえることで、却って泥沼状態のにっちもさっちもいかなさが強調されていたと思う。



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黒いドレスの女 (角川文庫)

『ジンジャーの朝』

 1960年代のイギリス。幼馴染のジンジャー(エル・ファニング)とローザ(アリス・イングラート)は何をするのも一緒だった。ジンジャーは反核運動に共感し、ローザを誘って集会に出るようになる。一方ローザはジンジャーの父・ローランド(アレッサンドロ・ニヴォラ)に恋をしており、徐々に2人の間には亀裂が広がっていく。監督はサリー・ポッター。
 冷戦下であり、核実験が行われ、キューバ危機間近という時代の空気が色濃い。当時を知っている人が見たら、また味わい深いものがあるのかもしれない。美術面(衣装・インテリア等)も当時の雰囲気をよく伝えていると思う。ジンジャーとローザが一緒に湯船に入っているシーンがあるのだが、何をしているのかと思ったら、ジーンズを濡らして縮ませ、ぴたぴたにする為だった。髪の毛にアイロンかけてストレートにしたりと、当時の女の子、という感じが良く出ていると思う。
 ジンジャーは世界が核の力でめちゃめちゃになるのではと強く恐れている。友人も大人たちも、核による危機を社会問題として認識はしているが、彼女ほど身近な問題としては捉えることはしていない。また、ジンジャーは友人・家族という自分の周囲の世界でも危機を迎える。彼女にとって、大きな世界の危機と自分の周囲の小さな世界の危機は呼応しており、同等なのだ。ただ、身近な問題はなまじ身近なだけに、感じ取っていても周囲に訴えることができない。その危機感に耐え切れず感情が放出されるクライマックスは、ジンジャーがまだ10代の少女だと痛感させるものだ。
 ジンジャーはキュートで賢そうだし、ローザは肉感的で雰囲気がある。その2人を、いわゆる「少女の時間は一瞬・・・」みたいな美化・神話化しないところが良かった。これは女性監督だからできる目配りなのだろうか。単に「10代の女性」というそっけなさで、視野の狭さや傲慢さ、みっともなさもそのまま見せる。だからこそ、ジンジャーが母親を思いやれるようになったり、未来を生きたいと願ったりする姿が生きてくる。彼女が独立した1人の人間で、この先も人生は続き、その存在はある時期でくくられるものではないと感じられるのだ。



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『クロワッサンで朝食を』

 エストニアに暮らすアンヌ(ライネ・マギ)は長い介護の末、母親を看取り、一人暮らしになった。彼女の元に友人から、ある仕事の話が持ち込まれる。仕事の内容はパリに住む裕福な老婦人の世話をすること。しかしその老婦人フリーダ(ジャンヌ・モロー)は気難しく、会うなりアンヌを追い返そうとする。監督・脚本はイルマル・ラーグ。
 冒頭、アンヌがバスに乗っているシーンでまずいいなと思った。その後も、バスや電車、そして徒歩による移動の見せ方が気持ちいい。私が単に乗り物&散歩好きだからかもしれないが、移動している時間が、アンヌにとってプライベートな、何か考えをめぐらせる、自分を落ち着かせる時間だと感じられる。フリーダとの関係に煮詰まる時、彼女との関係が変化する時、前後に頻繁に歩くシーンがある。
また、導入部のさくさくとした進み方など、省略するところと残すところのバランスが取れている。こういう作品は見ていて気持ちがいい。
 ジャンヌ・モローの女優としての強力さを実感した。ちょっと飛び道具レベルの強さなんじゃないだろうか(笑)。座っているだけで画面が「映画」っぽくなる。本作で演じているフリーダは絵に描いたようなわがままなマダムだが、それが単なる絵ではなく、血肉の通った人として存在している(「キャラ」ではない)感じがするのだ。カフェでステファン(パトリック・ピノー)がアンヌに顔を寄せたところを目ざとく(笑)目撃し、さっと冷ややかな空気をまとうシーンが怖い。モローの演技を受けるアンヌ役のライネ・マギは、一見穏やかだが時に気性の激しそうな表情を見せるところがとても良かった。さすがにここはカっとするな!というポイントがちゃんとある。
 フリーダもアンヌも、方向性や度合いは違うが、今の自分にわだかまりがあり、不自由でいる。2人がお互いにぶつかったり折り合いをつけたりする中で、ちょっとづつわだかまりがほどけていく様が清清しかった。それでも変わってみよう!という強さが感じられて、ちょっと勇気が出る。



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『日本の悲劇』

 ガンで余命3ヶ月と宣告された不二男(仲代達矢)は強引に退院してしまう。不二男の息子・義男(北村一輝)は失業し、妻子にも去られ、実家に戻って不二男の年金を頼りに生活していた。戸惑う義男をよそに、不二男は妻の遺骨と共に部屋に閉じこもり、二度とここから出ないと宣言する。監督は小林政広。
 仲代と北村のほぼ2人芝居のような、ミニマムな作品だった。カメラは固定のみで長回しを頻繁に使っており、舞台作品のような作り。ただ、仲代の芝居も舞台っぽく、やや誇張しすぎで、映画のフォーマットとマッチしていないように思った。あまりに「老人」というキャラ化されてしまっていて、その他の俳優の演技とあわさると、違和感を感じた。仲代の顔をアップで撮っているシーンも、表情の変化が演技というよりも顔芸の域に入っている感じなんだよなあ・・・。映画としての構えが仰々しすぎて、やぼったいなーという思いがぬぐえなかった。すごく真面目に一生懸命作っているのはわかるんだけど・・・。また、時々妙にセリフが説明的になるところ、セリフ内の言葉の選び方が古臭いところも気になった。言葉の古臭さは、不二男がいわゆる古い男だからという設定なのか、脚本家のセンスなのかいまひとつわからないが。
 仰々しさの一因は、仲代の演技の重っ苦しさにもあったと思う。映画のサイズと俳優のサイズのミスマッチとでも言うか。むしろ、北村の方が好演だったと思う。彼については濃い二枚目という印象しかなかったのだが、こういう演技もできるんだなとちょっと感心した。体のゆるみ方も妙にリアルだった。
 仰々しいといえば題名も仰々しい。しかし、やはり「日本の悲劇」ではあると思う。作中に出てくる「悲劇」はごくごく普通の、ありふれたものだ。介護問題も失業も病気も、そのへんに溢れている。しかしだからこそ、そのきつさが身に染みる。「悲劇」であることが皮膚感覚でわかるのだ。こういう問題がありふれているということこそが悲劇と言えるのかもしれない。



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『悪魔と警視庁』

E.C.R.ロラック著、藤村裕美訳
帰庁途中のマクドナルド主席警部は、深夜にひったくりから女性を助け、車は警視庁に置いたまま帰宅した。翌朝、車の後部座席に悪魔の衣装をまとった男の死体を発見する。捜査を始めると、警部の車の近くに駐車していた老オペラ歌手の車に、ナイフと「ファウストの劫罰」の楽譜が残されていたことがわかる。1938年の作品。著者はクリスティとならぶ人気を誇っていたそうだ。クリスティよりもクールで端正だなという印象。オーソドックスな本格ミステリで心が洗われる(笑)。謎解きもひとつづつ謎を処理していき、きっちり手順をふんでいて安心。当時の社交界って世界狭すぎないか?という気はしたが・・・。端正さを感じさせる一因は、探偵役のマクドナルド警部の、折り目正しい知的な紳士っぷりにもある。人情はあるが冷静で、自制心が強い主人公なので心穏やかに読むことができた。品のいい作品だと思う。



悪魔と警視庁 (創元推理文庫)

死のチェックメイト (海外ミステリGem Collection)

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