3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2012年09月

『放課後ミッドナイターズ』

 聖クレア小学校の理科室に長年暮らしている人体模型キュンストレーキ(山寺宏一)と骨格標本ゴス(田口浩正)は、理科室の取り壊しを控え、自分達も捨てられるのではと心配していた。そんな折、、学校見学会にやってきた幼稚園児のマコ(戸松遥)、ミーコ(雨蘭咲木子)、ムツコ(寿美奈子)が理科室に忍び込み、キュンストレーキに落書きをして室内を荒らす。キュンストレーキは3人を利用して願を叶えるという伝説のメダイを集め、理科室の取り壊しを阻止しようと思いつくが。監督は竹清仁。
 ショートアニメーションのシリーズだった作品だが、この度長編アニメーション化された。短編では声優も使っておらず、ショートコント的なキャラクターの演技と字幕の組み合わせが楽しかったのだが、音声がついても(何しろベテラン勢が幅を利かせた芸達者な面子なので)悪くない。CGアニメーションで、キュンストレーキとゴスの動きは生身の役者の演技からトレースするモーションキャプチャー・アニメだが、これがかなりいい。短編の時も思ったのだが、キャラクターの顔がアップになってもちゃんと画面が耐える。動きの部分は元となる役者の演技が上手いのだろうが、アニメーションへの細部の落とし込み方が(顔の表情は全部アニメーターが作っているんだろうから)上手いのだと思う。他のキャラクターはいわゆる「アニメ」の演技で、全てをリアルにしようとしているわけではないところも、力の入り抜きのメリハリがついていていいのではないかと思う。
 多分労力的な問題もあるのだろうが、煙や水など、普通ならCGでリアルなエフェクトをかけるであろうところを、あえてマンガっぽい平面的な作画にしているところも、下手にリアルを目指すよりもこっちの方がきれいに見えるだろうという判断では。実際、ムリに細密にするよりも絵本ぽいキュートさが出ていてよかったんじゃないかと思う。手をかけるところとかけないところの判断の割り切りが見えて面白かった。
 ストーリーは正直大味子供向けで、ゲームで1ステージをクリアして次のステージへ、というようなぶつ切り感が否めない。ただ、局地的にSF的設定を投入し、しかもそこそこちゃんと伏線回収しているので、バランスが不思議なことになっている。




『最強のふたり』

 失業中の黒人青年ドリス(オマール・シー)は失業保険に必要な不採用通知目当てで、首から下が麻痺した大富豪の介護者募集の面接に出向く。しかしその富豪フィリップ(フランソワ・クリュゼ)はなぜかドリスを採用。そもそも介護経験などないドリスは気ままな態度だが、フィリップや彼の屋敷の使用人たちと徐々に打ち解けていく。監督はエリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカシュ。
 富と持っているものと持っていないもの、健康な身体を持っているものと持っていないものという、対称的な2人が繰り広げるコメディ。どちらかが全部持っていてもう一方が全然持っていない、というのではなく、バランスとっているところがポイントか。2人を繋ぐのはユーモアと同情のなさ、つまり人として対等であることだ。
 ドリスとフィリップは、使用人と雇用主という関係にあるが、精神的にはフェア(というかドリスは一方的に最初からフェアだけど)だ。フィリップは重度の身障者で、介護なしでは生活はおろか、そもそも生き延びることができない。しかし、一方的に「される」側であること、同情されることは、多分、精神的に非常に疲れることだろう。ドリスにはフィリップに対する同情はないし、介護に対して仕事として以外の感情が(少なくとも当初は)ない。その、ある種のデリカシーのなさは、フィリップにとっては却って楽だったのだろう。一方、ドリスはドリスで家族にまつわる困難さを抱えている。しかし、彼はフィリップに助けを求めたりはしない。自分の内面の問題、あるいは家庭の問題までは口出ししないという節度が、本作の風通しを良くしていると思った。
 誰とどこで友達になるかは、ほんと分からないよなと思った。フィリップとドリスは生まれも育ちも境遇も全く違い、普通だったら知り合う機会などないはずだが、知り合ってウマが合った。もちろん本作はフィクション(実話が元ではあるが)だが、ちょっと人間関係に希望が沸いてくる。
 楽しくよく出来た作品ではあるが、少々野暮ったいように思った。繋ぎ方のキレが悪いのか、実際の長さよりも長めに感じた。見た人には絶賛気味の冒頭の音楽の使い方も、私はあんまり・・・。むしろダサくないですか・・・。また、最後に本作のモデルとなった2人の映像が入るのは野暮の極みだと思うのでやめてほしかった。実話であることを感動の担保にしてほしくない。




『トガニ 幼き瞳の告発』

 聴覚障害者学校の美術教師としてソウルから地方へ赴任してきたイノ(コン・ユ)は、放課後に妙な叫び声が聞こえたり、教師の体罰がやたらと厳しかったり、更に学校への多額の寄付金を要求されたりと、学校独自のやりかたに戸惑っていた。ある日、寮長のいきすぎた体罰から女子生徒をかばうが、その生徒から、彼女を含め複数の生徒が性的虐待を受けていると伝えられる。人権団体と共に学校と戦うと決めたイノだが、学校側の妨害は執拗だった。監督はファン・ドンヒョク。
 内容上、見たら絶対腹が立つ(ストーリー上の出来事に対して)のはわかってたので躊躇していたのだが、評判いいのでやっぱり見てきた。そしてやっぱり腹が立った。児童虐待とかセクハラとかパワハラとか、相手の弱みにつけこんで強い立場から力を行使するというシチュエーションはほんと腹立つし嫌いです!が、本作は実話が元。本当にこんなことが行われていたのかと思うと、人間に対する希望が失われるよね・・・。そのくらい過酷な話だ。あと韓国映画に出てくる警察はいつも汚職をしているイメージなのだが(大概、あからさまに捜査がずさんか小金を稼いでいる気がする)、韓国での警察のイメージって実際に良くないのだろうか。
 前半は児童虐待描写がかなりエグく、役者に変なイメージがついちゃったらどうしよう、子役にトラウマが残ったらどうしようと勝手に心配してしまうレベル。後半は法廷ミステリっぽくなるが、局地的に本格ミステリ的におおっと盛り上がる部分があって感心した。きれいに伏線が回収されており満足感ある。イノがなぜよりによってこの学校に赴任してきたのか、という部分もさりげなく提示しており、これも上手い。蛇足とも見えるが、「弱みを握る」という校長らに関する設定が徹底されているということだろう。
 しかし、論理的な正しさも、倫理的な正しさも、社会的な(経済的な)強さに屈するというところが非常に苦い。正しさよりも、慣習や損得が力を持ってしまうことは往々にしてある。イノも人権団体も、あまりに無力なのだ。更に、加害者たちはともかく、彼らに有利な証言をした人たちは、悪人というわけでもないし普段はおそらく真面目に仕事や生活をしているのだろう。しかし、ある方向から力を加えられることで、不正に加担してしまう。終盤、「私たちが戦うのは世界を変えるためではなく、世界が私達を変えない為」という言葉が出てくるが、厳しい言葉だ。本作が公開されたことで、事件の知名度が上がり、事件の再調査や法の整備も進んできているというのがせめてもの救いか。





『解錠師』

スティ-ブ・ハミルトン著、越前敏弥訳
8歳の時に遭遇したある事件により家族と言葉を失ったマイク。彼には絵を描くことと、どんな鍵でも開けられるという才能があった。しかし鍵を開ける才能は、マイクの人生を危険な道へ導いてしまう。20代となったマイクが、10代だった1999年と2000年を回想して、刑務所の中である人に向かって過去を綴るという形式をとっている。マイクはなぜ刑務所に入っているのか、誰に向かって綴っているのか(これは割と早い時点でわかるのだが)、徐々に経緯が見えてくる。クライムサスペンスであると同時に、青春物語である。むしろ、10代のあさはかさ、抑制の効かなさを感じさせホロ苦い。マイクの場合はホロ苦いどころか取り返しが付かない羽目になるのだが・・・。そこそこの大人だったら「これはヤバいよな~」と自制するところを、ぼんやりとしていたり虚栄心や欲望によりついやらかしてしまう。また、あったはずの逃げ道に気付かなかったりする。マイクが犯罪に関わりつつ妙に世間知らずというか無邪気なところがあるので、よけいにもどかしくなるのだった。アメリカではヤングアダルト小説としても推薦されているそうだが、反面教師的な意図?




『月世界旅行』

 1902年、ジョルジュ・メリエス脚本・監督のサイレンス映画。ジュール・ヴェルヌの小説『月世界旅行』を簡略化、アレンジした月旅行物語だ。モノクロ版のほか、彩色版があり、今回見たのは1993年にカタルーニャで発見された、現存する唯一の彩色版を復元したもの。
 月にロケットが突き刺さるシーンなど有名なショットは知っていたが、全部見たのは初めて。月に行って月世界人と会ってモメごとを起こし逃げ出す、という極めて単純なストーリーなのだが、細部まで細かく作りこんであり楽しい。SF映画の原点と言われるのもわかる。ドキュメンタリーと合わせて見ると更に、メリエスのアイディアがふんだんに盛り込まれているのがわかった。これ、セット作るのも撮影するのも楽しかっただろうなぁ。セット自体はほぼ書割なのだが、出演者数はそこそこ多く、結構な大作映画だ。メインの出演者だけでなく、モブの人々もちゃんとエキストラ使っていてにぎやか。また、女性たち(レビュー的におそろいの衣装でずらっと出てくるシーンがいくつかある)の衣装にはそこはかとないフェティシズムを感じた。ぴったりとして体のラインが浮き出る軍服風の衣装や、足を思い切りよく出しているショートパンツ衣装など、当時はかなりセクシーだったのではないだろうか。フランス人はやっぱり胸より尻・足なのか(笑)
 彩色版の破損している部分は、従来のモノクロ版と照らし合わせて補完し、色は彩色しなおしたそうだ。フィルムを全てデータ化できるようになったからこそ出来た修復だろう。よくここまで再現したなと驚いた。映像の輪郭はくっきりとしているし、色彩もほどほどに鮮やか。あくまで復元なので、遠慮した感じの彩色になっているのだが、公開当時の色彩はもっときつめで、結構どぎつい感じの画面だったんじゃないかなと思った(当時、書割の輪郭がクリアに映るようにかなり強調して描いていたそうなので)。
 なお、当然サイレント映画なのだが、今回公開されたバージョンではAIRが音楽をつけている。製作された時代を無視した(笑)キッチュでサイケな音なのだが、映像と相まって酩酊感を生んでおり、これはこれで面白い。




『メリエスの素晴らしき映画魔術』

 リュミエール兄弟が発明したシネマトグラフを最初に見た観客の一人であり、世界初の職業映画監督と言われるジョルジュ・メリエスの人生と作品、そして彼の代表作である『月世界旅行』彩色版の復元作業を追ったドキュメンタリー・監督はセルジュ・ブロンベルグ&エリック・ランジュ。
 メリエスの作品についても人生についてもあまり詳しくはなかったのだが、多分、すごくエネルギッシュで新しいもの好きな人だったんだろうなと思った。どの分野でも、技術が一気に花開いてその分野がぐわーっと伸びる時期があると思うのだが、メリエスは正に映画にとってのその時代を生き、彼自身が映画撮影技術を大きく進歩させた人だったのだろう。どんどんできることが増える、こんなやり方もできる!と気付いていく過程は本当に楽しかったろうと思う。今見ても、彼の作品は才気ばしっているというか、新しいことやりたくてうずうずしている感じがする。監督も脚本も主演もこなしていたそうだが、色々やりたすぎて人に任せられなかったんじゃないだろうか(自分でやった方が安上がりだという事情もあったのかもしれないが)。
 メリエスの人生をドラマ化したらしき作品の映像も使われているが、セットは大掛かりで出演者もそこそこ多く、現場の目まぐるしさが窺われる。当時はほぼ自然光のみでの撮影だったから、大急ぎだったしなかなか長編を撮るのは大変だったろう。
 後半は、近年発見されたメリエスの代表作『月世界旅行』彩色版の、復元作業を追う。彩色版があることも初めて知ったのだが、今の技術ならここまで復元できるのかと驚いた。かなりクリアに、鮮やかに見える。フィルムをデータ化して加工していくのだろうが、すごいなーと感心すると同時に、破損部分をどこまで復元して許されるのかという疑問も。元の状態がよくわからない(色とか不鮮明だし)部分は修復者がリサーチ&想像で補うんだろうが、残存している部分とのすり合わせはどのくらいまでやればいいのだろうかと。やりすぎてもだめなんだろうしなー。




『ハーフ・デイズ』

 7月4日のアメリカ独立記念日に、1組のカップル、ボビー(ジョセフ・ゴードン・レヴィット)とケイト(リン・コリンズ)が辿る2筋の運命を描く。「黄色」パートでは、タクシーの中で拾った携帯電話を持ち主に返そうとしたところ、なぜか追われる羽目に。「緑色」パートでは、ケイトの実家でホームパーティが開かれるが、徐々に家族の中での問題が浮かび上がってくる。監督hあスコット・マクギー&デイヴィッド・シーゲル。
 アイディアは面白いかもしれないが、2筋のストーリーがどこから分岐するわけでもなく(冒頭で一応分岐するが話の枕みたいなものでなくてもいい)、ストーリー同士がお互い伏線になっているわけでもなく、リンクするわけでもない。普通に平行して話が進むので、わざわざ一本の映画にする意図がわからなかった。そんなにゴードン・レヴィットを撮りたいか!と突っ込みたくなるくらいか。個々のストーリーもさほど出来がいいとも思わなかった。
 特に黄色パートの方は、ボビーの頭があまりよろしくないので見ていてイライラしてしまう。ケイトに散々「(拾った)携帯はタクシー会社に預けなさいよ!」となじられるのだがそれも無理ない。ボビーは善意で拾った携帯の通話履歴(電話帳?)に拾った旨を伝えるのだが、誰にかけてるのかわからないのに有難迷惑だろう。普通にタクシー会社に預けてくれた方が落とした側も回収しやすいのに(笑)。その後の展開もサスペンスとしてはどの陣営ももたもたしていてひざかっくんされた気分に。
 対して緑色パートは、特に新鮮味はないが手堅い演出。恋人の実家を訪問した時の、どんなに和やかな場であってもどこか気まずい感じがにじみ出ている。ちょっとしたやりとりの中から、ケイト一家の過去、姉妹の関係、ケイトと母の関係、そしてボビーの身の上がわかってくるが、その小出しの仕方がいい。特に、ケイトの母がボビーに満足していない、娘はもっと条件のいい男を狙えると思っている風な所がイヤーな感じ、かつリアルで苦笑した。
 なお、緑色パートは犬が名演!私はどちらかというと犬が苦手なのだが、本作に出てくる犬は全然美形じゃないけど性格良さそうですごくかわいいと思った。




『籠の中の乙女』

 郊外の家に住む一家。両親は3人の子供達を外の世界から守る為、ずっと家の中だけで育てている。家族の間には厳格で、他人から見たら奇妙なルールや独自の言葉使いが適用されていた。しかし、父親が長男のセックスの相手として、外からクリスティーナという女性を連れてきたことで、子供達の間に変化が生まれてくる。監督・脚本はヨルゴス・ランティモス。日本ではあまり公開されていないギリシャ映画。
 この一家がやっていることは奇妙だが、当人達は全く真面目だし、自分達がやっていることがおかしいという認識は全くない。両親は「他所とは違う」という認識はあるが、子供達は他所とは違うことすらわかっていない。ただ、こういう独自のルールやコミュニケーションは、どの家庭でも多かれ少なかれあるのではないかと思う。部外者から見たら、自分たちも奇妙で滑稽かもしれない。家族の間程度の規模ならともかく、職場とか国家とかに規模を拡大していっても、同じような奇妙さ、閉鎖性が往々にしてあるんじゃないかと思うと、どうも薄ら寒くなる。意味不明に行き交う単語や姉妹の不思議ダンスなど、笑えるシーンも色々あると思うのだが、その薄ら寒さがまとわり付いて息苦しく、どうも笑えなかった。外の世界に興味を持った長女が辿るであろう運命を考えると特に。クリスティーナが「外部」を持ち込んでしまうのは、なかば善意、なかば自分の言葉が通じないことへのイラつきからなのではとも。「物々(必ずしも物とは限らないが)交換」という外の世界の経済ルールを持ち込めば彼女にも共通言語ができる。
 ビジュアルも脚本も、構成が非常にきっちりとしていて几帳面な印象。寓話としてしっかり作りこみすぎで監督のドヤ顔が目に浮かぶところが、ちょっと鼻につくが、白が基調のパキっとしたビジュアルはなかなかよかった。
 なお、後半には主に80年代のヒット作を中心とした映画ネタが盛り込まれているらしいのだが、この時代のヒット作をあまり見ていないのでよくわからず、損した気分に。もっと勉強しておくべきだった・・・。「フラッシュダンス」ネタすら後から指摘されて気付いたくらい。




『謝罪代行社』

ゾラン・ドヴェンカー著、小津薫訳
失業したクリスをはじめとする4人の若者は、依頼人に代わって謝罪する仕事を始めた。仕事が軌道に乗った頃、依頼人に指定された場所に行くと見知らぬ女性の死体が。依頼人は死体に謝罪し、それを録音して送り、死体を始末しろ、さもないと家族に危険が及ぶと脅してきた。依頼人は、そして死体は何者なのか?若者達4人それぞれのパートのほか、自動車を走らせる「わたし」、女性を殺した「おまえ」視点の章が挿入され、誰が何をしたのか最後まで謎をひっぱり飽きさせない。ドイツ推理作家協会賞を受賞したそうだが、それも納得だ。しかしあらすじ聞いてクライムサスペンスを想像していたのだが、想像よりも大分陰鬱で後味も苦い。まさかそんな陰惨な話になるとは・・・。「子供」に関わる部分が非常に重苦しい。確かに信じやすい、影響されやすいかもしれないがもうちょっと何とかならなかったのかと。その悔恨からくる「謝罪」とクリスらの「謝罪」は全く違う階層にあるものなので、それがまたいびつさを生んでいる。




『先生と僕』

坂木司著
大学に入学した極端に怖がりな「僕」は、なりゆきでミス研に入部した。家庭教師のバイトも始めたが、生徒である中学生の隼人からミステリ講義を受けることになる。好奇心旺盛な隼人は「僕」を巻き込んで、日常の中で遭遇する謎を解いていく。いわゆる「日常の謎」系ミステリ連作集だが、そのお手本といっていいくらいオーソドックス。探偵が中学生なので中学生の行動範囲に収まっているというところも非常に日常的だ(笑)。血なまぐさい事件は起きないので、「僕」同様怖がりの方にも本格ミステリビギナーにも安心してお勧めできる。また各話で隼人が「僕」にミステリ小説を勧めるが、これがミステリ初心者読者向けのガイドになっているので、合わせて読んでみると面白いかもしれない。




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