3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2012年09月

『莫逆家族 バクギャクファミーリア』

 かつて暴走族「神叉」のトップだった火野鉄(徳井義実)。30代となった今は、工事現場作業員として妻と息子の周平(林遣都)を養っている。ある日、鉄のかつての暴走族仲間・あつし(阿部サダヲ)の娘で周平のガールフレンドである真琴がレイプされるという事件が起きる。鉄はかつての仲間達と真琴を襲った犯人に復讐する。一方、暴走族時代に鉄たちから尊敬されていた夏目(北村一輝)を殺した男・渡辺(中村達也)が出所してくる。原作は田中宏の同名漫画。監督は熊切和嘉。
 人気漫画の映画化ということだが、原作は未読。ただ、原作の雰囲気とは大分違うんじゃないかなーという気がした。映画としてはかなり不思議な感じ。映画として1本の線として繋ごうという意思が希薄で、エピソードがポロっと出てはまた次のエピソードに、時系列を行ったり来たりしつつ流れていってしまう。派手なことをやっているはずなのに淡々としていてセリフも決して多くはない(周平のモノローグややや説明口調だが、これは原作にならっているのかな?)。熊切監督の前作『海炭市叙景』と同じ手法でヤンキー映画を撮ったみたいな、不思議な印象になっている。
 中身と手法がちぐはぐな印象を最初受けたが、この映画の疵になっているとは思わなかった。むしろ、ストーリーが進むうちに、こういう話だからこういう手法にしたのか、と納得した。本作は一見「ヤンキーもの」だ。ヤンキーものの魅力(というか日本の物語の一つの典型だと思うが)の一つは、擬似家族的な集団の形成、「仲間」感にあると思う。しかし本作では、その擬似家族集団を主人公が再生させようとしつつ、挫折していく様が描かれていく。鉄はかつての族仲間との絆を取り戻そうとし、それはある程度回復されたようにも見えるが、はかなく崩壊してしまう。その崩壊の原因が、鉄が取り戻そうとした過去の絆に生きる人物にあるというのがまた皮肉だ。
 最近のヤンキーもの映画でヒットした作品といえば『クローズZERO』があるが、これはある種のファンタジーで、高校(それもあまり現実的ではない)に舞台を絞った、ある種密閉された純度の高い世界が舞台だ。しかし本作では、鉄たちは既に家族を持った大人だし、日々の生活をしていかなければならず、仲間との「絆」に殉じるにはしがらみが多すぎるのだ。ヤンキー世界の住人のその後とでもいうべき物語だが、鉄にしろ仲間たちにしろ対立相手にしろ、過去を過去として踏ん切りをつけることができない、卒業しきれない感が痛々しい。大人になるって大変だよな・・・。
 いびつではあるが、妙に心打たれるものがある作品だった。なお、主演の徳井、林以外は熊切人脈とでも言うのか、一部の映画ファンが唸る妙に豪華な面子。




『あなたへ』

 富山の刑務所に指導技官として勤務している倉島(高倉健)は妻・洋子(田中裕子)を病気で亡くす。妻の遺言には、骨は故郷である九州の海にまいてほしいと記されていた。倉島は車で九州の港町へ向かう。監督は降旗康男。
 夫婦の情愛ドラマであると同時に、ロードムービー。富山から九州への風景が、特に華やかなわけではないが目に優しく、その土地の美しさを感じられる。主人公が移動していく映画は、特にドラマティックでなくてもどことなく楽しい。倉島の自家用車は妻と自動車旅行することを夢見て後部座席が改造されているのだが、なかなかにクオリティ高い。倉島が木工技術の技官と言う設定は、この車改造のためだったのかと思うくらいだ(笑)。
 全般的にドラマは淡白で、倉島と妻とは仲睦まじいが、お互いに饒舌ではない。この、饒舌ではなかった、会話を十分にしてこなかったのではないか、今まで妻の意図を十分に理解してこなかったのではないかという部分が、妻の死後、倉島の後悔に繋がっている。なので、映画全体の淡白さが少し物悲しくも感じられた。
 で、淡白な映画なのだが、演技の臭みのようなものが気になり、見ていてむずがゆくなるようだった。個々の俳優がどうこうというのではなく、映画の型みたいなものに作品をはめすぎな気がしたのだ。その型が、きゅうくつそうな俳優も何人かいた。たけしにしろ草なぎ君にしろ、ああいう役柄なら、もっと野放しな状態が見てみたい(笑)。これは主演の高倉健についても、ちょっと思ったことだ。窮屈というのでもないが、渋くて素敵だけど、もっと色々な顔を見てみたいなぁと思わなくもないのだ。ちゃらんぽらんだったりお茶目だったりする役もハマる方だと思うのだが、世間が要求する健さんは本作のような健さんなんだろうなぁ・・・。




『別れの手続き 山田稔散文集』

山田稔著
題名の通り、著者の散文13編を集めた作品集。不勉強で恥ずかしいのだが、著者の作品を読むのは初めて(確認してみたら、著者の翻訳作品はいくつか読んでいた)。これがすごくよかった。客観性と冷静な観察眼があるが冷たくはなく、ユーモアがある。人間のかっこわるさを可愛げに転換させるような、他人への視線の温かみがある。表題作は母親の死にまつわる随筆なのだが、悔恨が胸に刺さる。こういう瞬間は、誰の人生にでもあるのではないだろうか。別れの手続きとはよく言ったものだなと思った。手続きがないと、やっぱりきついんだよなぁ・・・。




『白と黒の造形』

駒井哲郎著
銅版画家である著者による随筆集。自身の製作や芸術論の他、ルドン等の作品によせた解説を収録している。著者の銅版画は見たことがあったが、画業のスタート時点から銅版画の道を選んでいたとは初めて知った。解説文等で時折出てくる厳しい言葉は、その道にかける人故の厳しさなのだろう。ただ、基本的には穏やかで冷静な人だったんだろうなという人柄が窺える文章。特に、ルドンの連作に対する解説は、作家への共感と理解があって、私がルドン好きだということを差し引いても良い文章だと思う。また、銅版画の技術に関してはあまり知らなかったので勉強になった。絵の才能・技術と同時に、どの技法をどのように使うと一番効果的かという職人的な技量も必要なんだなと。長谷川潔の技術の高さがようやくわかった気がする。




『雪の練習生』

多和田葉子著
極北からソ連(らしき国)へ移住し、サーカスの花形を経て作家となった「わたし」が綴る自伝、その娘でサーカスで活躍したトスカ、ベルリン動物園でスターになったトスカの子供。3代にわたるホッキョクグマたちの物語。なおクヌートは実在のホッキョクグマ。読み始めると、あれ、「わたし」ってシロクマ?ていうかシロクマがなぜ会議に?!と戸惑うが、読み進むうちに人間と動物の境はあいまいになり、遠方からはるばるやってきた一族の歴史としてそれぞれの人生(熊だけど)が立ち上がっていくる。代が進むにつれ故郷の記憶は薄れ(クヌートはそもそもベルリン生まれだし)、人間と言語を共有できなくなっていく。「わたし」やトスカは神話の世界に生きているが、クヌートはこの世で生きているようにも見える。その分、クヌートの孤独が胸にしみた。「わたし」が綴る物語や、トスカが調教師の女性と交わす魂のつながりみたいなものは、彼にはない。人間は彼に、地球温暖化防止、環境保護のアイコンであることを一方的に背負わせるたが、それもまた傲慢ではなかったか。




『スリー・パインズ村と警部の苦い夏』

ルイーズ・ペニー著、長野きよみ訳
ケベック警察のガマシュ警部は、妻と結婚記念日を祝う為に湖畔のロッジにやってきた。しかし、親族の親睦会のためロッジに宿泊していたフィニー家の長女ジュリアが、彫像に潰され死亡する。そしてフィニー家の中には、スリー・パインズ村で警部と親しくしていたある人物がいた。ジュリアはなぜ、どういう方法で殺されたのか、ガマシュ警部は捜査を開始するが、変わり者ぞろいのフィニー家に翻弄される。ガマシュ警部シリーズ4作目だが、今回はスリー・パインズ村を離れて湖畔のリゾート地へ。いわゆる隠れ家リゾート的なホテル=ロッジで、食事の描写が相変わらず本当においしそうだ。特に朝食!うらやましい~。それはさておき、本シリーズは登場人物の心情がどこか過剰で、それがアクの強さでもあり面白くもある。本作では、親子間の感情の強烈さ、かみ合わなさが陰影深く描かれている。親が愛情と思っているものが子供に伝わるとは限らず、子供は親に認められたいが必ずしもそれは(当人が望んでいるようには)叶わない。往々にして一方通行であるところが辛い。題名にあるように「苦い」ものを残す。




『冬の灯台が語るとき』

ヨハン・テオリン著、三角和代訳
エーランド島の「ウナギ岬」にある古民家を買い、移住したヨアキム一家。しかし、ヨアキムの妻が溺死してしまう。その頃から、家の中や中に何者かの気配が感じられるようになった。ヨアキム一家を襲った悲劇を軸に、島を荒らす強盗一味、老人達への島の歴史の聞き取りを趣味にする新任警官の3者がおりなすミステリ。随所に、老人達が語る島の歴史や伝説が挿入される。死者にまつわる伝説がちょくちょく出てくることと、ヨアキムの死んだ妻への切実な思いとが相まって、幻想譚、ホラー小説のようでもある。実際、何が起こっているのかがなかなか見えてこないので、オカルト的な雰囲気が強まっていくのだ。しかし、終盤で一気に伏線を回収してきて、本格ミステリとしての全容が明らかになり爽快。大技ではなく小技の積み重ねでも鮮やかな演出が成立しており見事です。スウェーデン推理作家アカデミー賞最優秀長篇賞、英国推理作家協会賞インターナショナル・ダガー賞、「ガラスの鍵」賞を受賞したそうだがそれも納得。あと、舞台が舞台だけに当たり前なのだが壮絶に寒そうだし雪国の厳しさが垣間見られる。この舞台設定だから映える物語だと思う。




『夢売るふたり』

 小料理店を開いて5年になる貴也(阿部サダヲ)と妻の里子(松たか子)。しかし店で火事が起き、全てをなくしてしまう。里子はラーメン屋でのバイトで生活を支えるが、かつての修行先に再就職した貴也は、板前としてのプライドが仇となりすぐ辞めてしまう。酒びたりの貴也は、かつての常連客だった玲子(鈴木砂羽)が泥酔している所に出くわし、そのまま一夜を共にしてしまう。その経緯を知った里子は、結婚詐欺で店を再開する資金を稼ごうと思いつく。監督は西川美和。
 西川監督の作品は『ゆれる』にしろ『ディア・ドクター』にしろ、外枠が決まっていてその中をみっしりと埋めていくような感じの作りだなと思ったのだが、本作は話が転がり続けてどこに着地するのかわからない動的かつ不安定(マイナス要素という意味ではなく)な感じがして新鮮だった。映画の作り方がちょっと変わってきているんじゃないかなと思った。
 貴也と里子の関係が徐々に変化していく様が、非常にスリリング。最初はさっさとバイトを始めたしっかりものの里子に、ひがみっぽく愚痴る貴也。結婚詐欺も計画を立てて指導するのは里子だ。彼女が「脚本」をどんどん手渡すシーンには笑ってしまう。しかし、重量上げ選手のルックスに言及した里子に対して貴也が本気で怒るあたりから、貴也が一人で走り出し、里子側の鬱屈が増していく。重量上げ選手にしろ、ハローワーク職員にしろ、里子にはないもの(才能とか、この仕事で独り立ちしているというようなもの)を持っている。貴也にもそれがあるので騙す相手ながら、彼女らへの共感があるのだ。そこに里子の嫉妬が深まっていく。
 阿部サダヲと松たか子が夫婦役で、しかも阿部サダヲが結婚詐欺師って大丈夫なのか?どんな映画になるんだ?と思っていたが、本編見て納得。むしろ阿部演じる貴也の結婚詐欺師としてのヒット率の高さにも納得だった。この納得感は、貴也の造形だけでなく、貴也に惚れてしまう女性たちの造形の巧みさによるところが大きい。こういう女性たちだったら、たしかに貴也みたいな男性(正確には、貴也のような振る舞いをする男性)に惹かれてころっと騙されるかもしれないなという、双方の組み合わせに対する説得力がある。 不本意ながら、騙される女性たちの心情が身に染みてしまってかなり凹んだ。すごく不幸というわけでもないが不安でちょっとした拠り所がほしい、肯定してほしいという気持ちが切実だった。特に、重量上げ選手の、普通の幸せは諦めてたはずなのにその可能性が見えるとすごく揺れてしまう所とか、見ていて身を切られるようでしたね・・・。




『闇金ウシジマくん』

 法外な暴利で金貸しをし、返済できない人からは容赦なく取り立てる闇金業者の丑島(山田孝之)。イベントサークル代表の純(林遣都)はスポンサー捜しのため、IT企業社長のパーティに顔を出すが、スポンサー候補の男を返済請求に来た丑島に連れて行かれてしまう。パチンコにはまっている母親の借金を丑島に返済中の未來(大島優子)は、友人に誘われて出会いカフェでバイトを始める。やがて純の資金集めは難航し、丑島から金を借りる羽目に。原作は真鍋昌平の同名漫画。監督・脚本は山口雅俊。山口監督は『スマグラー お前の未来を運べ』の企画・脚本も手がけてたのか。映画としては、本作『ウシジマくん』の方が圧倒的に出来がいい。
 邦画洋画ともに大作・話題作の公開が相次ぐ中、ひっそりと公開されたが、これが意外なダークホース。TVドラマから映画化へ、というパターンだが、TV発の映画でもこれくらいしっかりやってくれれば見に行った甲斐があるなぁ・・・。画的には地味だしそんなに豪華という感じではないが、脚本がしっかりしている。あまり色気を出していない(余計な盛り上がりを試みていない)ところがいいのではないかと思う。
 純にしろ未來にしろ、地に足が着いていない、自分が何をしたくて何をしようとしているのかよくわかっていない感じで、見ていて落ち着かなかった。純の言う「人脈を広げてビッグになる」というのは具体的に何をどうしたいのか。そもそも携帯電話の番号だけの人脈を人脈といえるのか。実体がなくてふわふわしている。このふわふわ感とかイベントの雰囲気とかは、2012年現在というよりもう数年前のもののような気がするが(今の20代はもっと地に足着いてそうだし、そもそもそんなに遊ぶお金がない人が多いだろう)、漠然とした上昇志向が痛々しい。豊かさに対するイメージがすごく貧困なんじゃないかなと。多分、そこが今日的なのだと思う。
 山田孝之はいい俳優だなぁと実感した。決して大柄ではないのに大柄で只者ではなく見える。また、大島優子が意外といい。高卒でフラフラしていて、東大宮(駅のチョイスが的確すぎて泣ける)の実家暮らしで、地元ではかわいい子だけどVIPルームに入れてもらえるほどの美貌ではないという、良くも悪くも「普通」で流されやすい感じとか、胸と足に意外とボリュームがある感じとか、本当に出会いカフェとかでバイトしてそうな雰囲気あり。




『I'M FLASH!』

 新興宗教の教祖ルイ(藤原竜也)は飲酒運転のうえ交通事故を起こし、同乗していた流美(水原希子)はこん睡状態、衝突したバイクに乗っていた少年は死亡する。マスコミから身を隠したルイには3人のボディガードがつけられる。ルイは教団解散を決意するが。監督・脚本は豊田利晃。予告編だと、ルイと流美、ボディガードが中心となる話のように見えるが、実際はルイの物語だと思う。
 久々にキレのいい豊田監督作品を見ることができてほっとした。最近の作品『蘇りの森』『モンスターズ・クラブ』では、そんなに長尺ではないのにやたらと長く感じられたのだが、本作はあっという間。編集のキレがよくなっているのだろうか。パッパッと次のシーンに移ってテンポがいい。全編通して疾走感がある。
 ルイは信仰を説く立場だが、自身は信仰を持っているようには見えない。死は救いだと説いてきた彼が、生にしがみつき一瞬の輝きを見せる様は、死と再生を描く寓話のようだ。前2作でも具体的な出来事というよりも寓話的な物語を目指していたように思ったが、本作でようやく作劇と寓話性が噛みあった感じがする。
 ルイを演じる藤原は、これまで、舞台だと圧倒的に映えるが、その演技法がTVや映画にはハマりきっておらずクドく見えてしまうという印象だった。しかし本作ではちゃんと映画俳優としての演技が確立されており、いつになくいい。彼の映画の仕事としては間違いなくベストだろう。整えられた表皮が徐々に崩れ落ちていく、どこかチンピラ臭い、うすっぺらい感じが絶妙だった。倦んだ表情も素晴らしい。
ルイと相対するボディガード役の松田龍平は、何者かになろうという意思が感じられない不思議な存在感。やたらと自然体で、ルイとは対称的なキャラクターになっている。こういう人には神も信仰も必要ないだろうなという感じがする。
 なお、豊田作品ではおなじみの脇役陣もいい味が出ている。松尾創路演じる妙に軽妙な幹部(予告編でも使われている「さくっとやっちゃってください」がいいなぁ(笑))や、ルイの母親役の大楠道代の粘っこさには凄みがある。また、音楽がいい!豊田監督、一貫して音楽だけは毎回かっこいいんだよな(笑)。あ、今回は映画そのものもかっこいいんですよ念のため!




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