フェルディナント・フォン・シーラッハ著、酒寄進一訳
『犯罪』と同じく、弁護士の「私」がかかわった事件を語る連作集。小説としてはよりクオリティが上がっているように思う。本作では、犯罪を犯してしまう人間の心理の不可思議・不確かさに加え、その「罪悪」は犯人のみに課されるものなのかどうかと問うてくる作品が多くなっている。最初に収録されている「ふるさと祭り」は、まあ本当に胸が悪くなる類の犯罪なのだが、ことが起こった地域、裁判官、何より被告側の弁護士であった「私」がもう無垢ではないと自覚する、弁護士という職業の業に言及した作品だ。「司法当局」などその題名通り、司法制度の奇妙さ、いいかげんさ(もちろんきちんと機能していること前提ですが)にスポットが当たっている。何をもって「罪悪」とするのか、罰せられるべき者は誰なのか、裁判という制度の中では一見して見えてこない、あるいは零れ落ちてしまうものがそこにある。
『犯罪』と同じく、弁護士の「私」がかかわった事件を語る連作集。小説としてはよりクオリティが上がっているように思う。本作では、犯罪を犯してしまう人間の心理の不可思議・不確かさに加え、その「罪悪」は犯人のみに課されるものなのかどうかと問うてくる作品が多くなっている。最初に収録されている「ふるさと祭り」は、まあ本当に胸が悪くなる類の犯罪なのだが、ことが起こった地域、裁判官、何より被告側の弁護士であった「私」がもう無垢ではないと自覚する、弁護士という職業の業に言及した作品だ。「司法当局」などその題名通り、司法制度の奇妙さ、いいかげんさ(もちろんきちんと機能していること前提ですが)にスポットが当たっている。何をもって「罪悪」とするのか、罰せられるべき者は誰なのか、裁判という制度の中では一見して見えてこない、あるいは零れ落ちてしまうものがそこにある。