3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2012年07月

『クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち』

パリの三大ナイトショークラブの一つである、「クレイジーホース・パリ」にを70日間撮影した、フレデリック・ワイズマン監督によるドキュメンタリー。普段は入れない楽屋や運営会議、オーディションにまで密着している。ワイズマン監督作品の常で、ナレーションやテロップは一切入らない。しかしそれでも不便は感じないし、クラブ内の人それぞれの位置づけやキャラクターはそれなりに把握できる。
前衛的なヌードショーを売りとするクレイジーホースなので、当然ほぼ裸の女性がぞろぞろ出てくる。が、さほどエロティックとは思わなかったし(セクシーだけど)卑猥でもない。ショーの美術的な完成度が高いということもあるが、人間の肉体そのものの力に対して、この筋力すごい!バランスのとり方すごい!と感動した。ダンサーの技術力の高さが窺われる。ただ、オーディションの映像を見ると、一番重要なのは体の形で、顔や技能はその次。基本は「体を見せる」ことで、どんなにショーとして前衛的でもそこはブレない。芸術的でありながらナイトショーのヌードショーという立ち居地から動かない。感情や色気を交えないクールな撮影が、却ってショーの立ち位置を浮き彫りにしているように思った。過剰に「芸術」方向にも「セクシー」方向にも流れない、冷静な視線があると思う。
 経営者にしろ舞台監督にしろ、衣装担当にしろ、音響や照明担当にしろ、プロとしてのプライドと自分の主張をばんばんぶつけてくるので、会議がまとまる気配を見せないのも頷ける。舞台監督が「営業しながら新しいショー考えるのなんて無理だよー!休業しようよー!」と言い出したりする。それだけ皆この仕事を愛しているのだろう。若手の美術監督が、インタビュー(ワイズマンによるインタビューではなく雑誌かTVか何かのインタビュー)等でクレイジーホースへの思いいれを語りすぎ、上司である舞台監督や経営者が若干うんざり気味になっているのがおかしかった(言葉がちょっと空疎なので確かにうんざりするだろうなと思う)。
 ワイズマン監督作品を見るたびに、対象がカメラを意識していない風なので、こんなとこまで撮影していいのか!というところまで撮影していることに驚くのだが、本作も同様。撮られる側にとって決してプラスイメージになる映像だけとは限らないだけに。経営陣、製作陣の企画会議などあまりオープンにしたくない内容ではないかと思うのだが、どうやって了解とったのだろうか。撮影してから公開までにタイムラグがあるから、実際の影響は少ないのでOKということなのかもしれないが。




『ロスト・シティ・レディオ』

ダニエル・アラルコン著、藤井光訳
内戦状態が長らく続いたある国では、行方不明者を探すラジオ番組「ロスト・シティ・レディオ」が放送されていた。番組DJである女性ノーマのもとを、ジャングルの中の村から来た少年ビクトルが、村の行方不明者のリストを持って訪ねてきた。そのリストの中にはノーマの夫の名前もあった。おそらく南米の、架空の国を舞台にした小説。内戦が長期化し、軍とゲリラが戦いを続けた結果、極端な監視社会になっている。ノーマの夫もゲリラ活動に関わっていたらしく、ある日失踪した。現在と過去が入れ替わり立ち代り語られ、レイの身に何があったのか、徐々に見えてくる。過去と現在が時系列入り乱れて語られる構成には最初少し混乱したが、過去がべったりと今に張り付いており逃れられない、ノーマの現状であり、内戦の傷跡が癒えない国の現状とも重なってくる。レイは、それほど政治活動に熱心という風ではないのだが、時代の空気に流されなんとなく巻き込まれて、取り返しのつかないことになっていく。この「なんとなく」事態が進展していき、ノーマもレイも当事者であるはずなのにどこか実感が薄く、気付いた時にはもう遅いという部分が薄ら寒い。大きな(良くない方向への)変化はそういうふうにやってくるものかと。




『農耕詩』

クロード・シモン著、芳川泰久訳
 フランス革命、第二次世界大戦、スペイン市民戦争という3つの戦争を背景に3人の「彼」が織り成す。5部構成だが、1つの章が1つの「彼」に必ずしも割かれているというわけではなく、1つの章の中で複数の「彼」に関する記述が進行する。しかし一人称は「彼」のみなので、この記述がどの「彼」のものなのか、特に時代を特定するものがない森の中や荒野の戦場が舞台のパートでは、渾然一体となって読んでいるうちにわからなくなっていくる。第一章はそれが顕著なので、かなり読み勧めるのにハードルが高い。逆に、第一章を読み終わると大分のみこめてはくる。3人の「彼」は全く別の時代、場所におり、直接的な関係はないように見える。が、少なくとも内2人には多少の関係があり、その関係性や、フランス革命当時の「彼」の一族の秘密などが徐々に明かされていく。今、自分がどの「彼」について読んでいるのかという読み解きと合わせて、ミステリ小説のような面白さもあった。ざっと読了した後に再度読んで構造を確認するといいのだろうが、必ずしも、そういった読み解きをしなくてもいいのではとも思う。読んでいるセンテンスがどの「彼」のことかわからなくなると前述したが、わからないまま、「彼」という存在が渾然一体となり熱量を持ってうごめきはじめ、これが小説のエネルギーだ!と読む快楽を感じさせるのだ。この、読んでいるうちにさまざまな要素が絡み合って転がり続ける感じが出てくる、というところが本作の醍醐味ではないかと思う。フランス革命時の「彼」は戦地でも自分の領土内の耕作地や家畜の交配を気にかけ、妻に農作業を指示する手紙を何度も出す。軍人として働いていても自分の根っこは農民だと言う。本作がはらむエネルギーはその農民としてのもの、土に根ざしたもののように思った。だとすると、本作の題名にも納得がいく。




『通信教育探偵ファイロ・ガップ』

エリス・パーカー・バトラー著、平山雄一訳
壁紙職人のファイロ・ガップは通信教育で探偵術を学び、念願の私立探偵として開業する。持ち込まれた事件の解決に挑むが彼の捜査はいつもとんちんかんなのだった。コメディミステリの連作短編集。コメディというか、ミステリのパロディとして軽く読めた。ガップ君の推理は後半になると意外とちゃんと筋道たってくるのだが、肝心なところで大幅に道を間違える。最終的には全部偶然の産物で解決されるのだった。出てくる人それぞれが独自の理屈をこねくりまわすがぱっと見それが間違っていないように見える(「埋められた骨」の浮浪者の独演には笑った)という、ある意味ミステリ小説の「謎解き」ってそんなもんかもしれないという意味でもミステリパロディだ。本格ミステリに対する皮肉ともとれる。ガップ君がバカ正直で騙されやすく、でも憎めない。一応、ちょっとづつ頭良くなっている感じではあるのだが・・・。




『ロンドン幽霊列車の謎 辻馬車探偵ネッドの事件簿』

ピーター・キング著、森沢くみ子訳
辻馬車の御者ネッドは、馬車から降りた客が突如姿を消したことに気付く。後日、その男は他殺死体で発見され、ネッドの仕事仲間が容疑をかけられ逮捕された。ネッドは仲間を助けようと真犯人捜しに乗り出すが。ヴィクトリア朝ロンドンを舞台にした作品。ネッドは亡き父親から譲り受けた辻馬車で商売しており、ネッドら労働者階級の生活の様子や、当時の風俗が垣間見えて楽しい。実在の歴史上の人物が登場するというサービスも。また私が不勉強だったのだが、この頃ロンドンには既に地下鉄が走っていたというのには驚いた!本作中では拡大工事が進んでおり、一大ビジネスだった様子が垣間見られる。ネッドは好奇心が旺盛すぎて何にでも鼻を突っ込む。観察力に優れているが、すごく切れるというほどではない。すぐに敵の罠にかかってしまうので読んでいてイラつくところも。また、ネッドの父がやっていたことを強調する為に複数の陣営を出してくるのだが、その陣営同士の対立を処理しきれずごちゃごちゃになっている気がした。




『リンカーン弁護士』

 超多忙な弁護士ミック・ハラー(マシュー・マコノヒー)は、依頼人に後ろ暗いところがあっても司法取引で強引に罪を軽くするやり手だ。ある日、裕福な不動産業者の息子、ルイス(ライン・フィリップ)が女性を暴行、重傷を負わせた事件の依頼を受けるが。監督はブラッド・ファーマン、原作はマイクル・コナリーの小説。
 ミックは愛車リンカーン・コンチネンタルの後部座席を事務所代わりにして走り回っている。なぜ大統領?!と思っていたら愛車の名前だった。車が事務所代わりというせわしなさからも、主人公の性格が垣間見えるいい設定だと思う。全体的にちょっと古めの映画の雰囲気があった。オープニングクレジットの作り方とか、音楽の選び方とか、妙に懐かしい。これはあえて古臭くしているのだろうか。何と言うか、景気良かった時代の雰囲気がある映画なんだよな(笑)
 ミックはいかにもやり手で、金が儲かれば正義や倫理もちょっと棚上げしておこうという方針なのだが、ルイスの案件に関わるうちにどんどん泥沼にはまっていく。弁護士として非常に矛盾した状態に陥ってしまうのだが、そこからアクロバット的に巻き返していく様には思わず喝采したくなる。法廷ものというよりも、法廷に持ち込むまでの目まぐるしい調査と攻防(検察とも依頼者ともやりあわなくてはならないという面倒くささ!)で見せる。彼はこれまでの自分の仕事の仕方にしっぺ返しを受け、また同時にそれに救われる。ある依頼人が助けにくるシーンでは思わず笑ってしまった。ミックは「無罪よりも無実を訴える依頼人が怖い」というが、彼のパーソナリティを端的に説明しているセリフだと思う。無実を確信している人とは交渉のしようがないもんなー。
 ミックは弁護士としては間違いなくやり手だが、弁護士以外の部分では普通の人だ。肉体的に超人的な活躍はできないという普通さがよかった。演じるマコノヒーがまた胡散臭さをかもし出していて、いい味が出ている。キーパーソンであるルイス役のライアン・フィリップも、好青年だが妙にペラっとした感じが効いていたと思う。ほどほどのクオリティで、娯楽作としてのバランスがいい。




『ぼくたちのムッシュ・ラザール』

 モントリオールの小学校で、1人の教師が教室で首吊り自殺をした。第一発見者は彼女の生徒。学校側は後任を探すがなかなか見つからない。そんな折、新聞記事を読んで来たというアルジェリア移民のバシール・ラザール(フェラグ)が採用された。少々古臭い授業をするラザールだったが、クラスは何とか落ち着きを取り戻したかのように見えた。監督はフィリップ・ファラルドー。
 新任教師が子供達を変えていく!とか、教師と子供のぶつかり合い!とかいう、一見感動学園ドラマのようなあらすじだが、それとは大部違う。ラザールは授業のやり方は古臭く頭もどちらかというと堅い、ただの一教師だし、子供達も単に子供達だ。もともとクラスが荒れていたとか大きな問題があったとかいうわけではなく、突然前担任が自殺して皆混乱しているだけなのだ。ドラマティックな事件は冒頭の自殺騒ぎだけで、あとは日常が淡々と続く。そもそも、ラザールと子供達の心が深く繋がるかというと、そうでもない。ラザールは「教師」として振る舞い、子供達は「生徒」として振舞うだけだ。
 しかし、一般的な人間関係で「深く心が繋がる」ことがあるかというと、そうそうないだろう。ラザールが抱える苦しみ、子供達の苦しみ、自殺した教師の苦しみは全く別のもので、そこにお互いの共感や深い理解はあまりない。安易に共感・理解したように振る舞うことは、むしろ不誠実だろう(ラザールを自宅に招いた同僚教師の「移民」観のように)。登場人物同士でも、観客に対しても、過度な感情移入は拒むクールさがある。ただ、分からない・共感できないなりに思いやりを示し、理解を試み続けることはできる。その努力をし続けることが人と関わるということかもしれないとふと思った。
 ラザールはある事情を抱えているが、そこを過度に劇的にせず、彼が授業を改良しようと工夫したり、慣れない文化の中で戸惑いつつ生活する様子をカメラは写す。子供達に対しても同様だ。彼らに注がれる眼差しは一貫してフラットで、ほどほどの距離感がある。安易な感動モノではないところに好感を持った。ラザールは理想的な教師、際立った教師というわけではない。だからこそ、ラストシーンで彼は彼女にとって本当に「教師」だったと胸が打たれるのだ。それにしても、本当に今の学校の先生は大変だな・・・。そりゃあ心身のバランスも崩すわと思った。




『崖っぷちの男』

 NY、ルーズベルトホテルの21階、窓側の部屋にチェックインした男は、窓から自殺を図ろうとしていた。発見した通行人が通報し、警察が出動して現場は大騒ぎに。その男は警察側の交渉人として女性警官リディア(エリザベス・バンクス)を指名する。実はこの男・ニック(サム・ワーシントン)は元警官で、強盗の冤罪で投獄されたものの脱走したのだった。監督はアスガー・レス。私は高所恐怖症なのでわりと本気で怖かったです。
 「高層ビルで粘っている自殺志願者がいるが、何をしているのか」というワンアイディアで乗り切った作品。なので、あまり内容を知らずに見た方がいいタイプの映画だと思う。男が高層ビルで何をしているのか、というところからストーリーを考えて、同時平行している事件や過去の事件は後付けっぽい。なので、若干伏線が強引な部分はある(あまりに用意周到だろうとか)。ただ、高層ビルの窓の外に男が張り付いている、というビジュアルは確かにインパクトがあるので、これを中心にもってきた時点である程度勝ったな!という感じはする。
 ニックが何をしようとしているのか、なぜルーズベルトホテルにいるのか、という部分は結構早い段階で明かされる。その後は、彼はどうやって「やりきる」のか、という部分でハラハラさせる。正直、かなり強引で粗い(特に同時進行している「ミッション」)のだが、B級サスペンスぽさがあって却って楽しかった。細部を詰めない方が楽しめる映画というのもあると思う。わりと大雑把な作品ではあるが、ラストの展開、最後にキーパーソンとなる人など、今のアメリカ庶民の気分がかなり反映されている気もした。
 主演のサム・ワーシントンは、結構な大作映画に出演してきたはずなのに、未だに印象が薄い(そして最終的には体力勝負な役どころばかりやっている気がする。今回はさすがにないか・・・と思ったら・・・)。逆に、といつ見ても新鮮な感じがするといえなくもないかも。今回も、弟役のジェイミー・ベルの方が印象に残った。弟のガールフレンドや、女性警官のリディアも気丈でいいキャラクターだ。また、リディアの上司が一見いけすかないのだが、実はしっかり上司をやっていて、見ているうちに好感度上がる。




『英雄たちの朝(ファージングⅠ)』

ジョー・ウォルトン著、茂木健訳
1949年、ルドルフ・ヘスとの交渉により、ナチスドイツと同盟関係を結んだイギリス。和平へとイギリスを導き権力を握った政治派閥は「ファージング・セット」と呼ばれた。そのうちの1人が派閥の中心人物の屋敷で変死体で発見された。犯人は屋敷のパーティに招かれた人たち、つまり派閥とその周囲の中にいる可能性が高い。スコットランドヤードのカーマイケル警部は調査に乗り出すが。歴史改変ミステリ三部作の一作目。ナチスと同盟関係にあるイギリスという設定なので、当然ユダヤ人や同性愛者に対する圧力が厳しい。もちろん史実とは違うが、当時も差別意識を持った人は当然いただろうし、対独協力者もいただろう。そういう、現代のイギリスにとってあまり愉快ではない設定なところが興味深いし、固有名詞が入れ替わるだけでこういった事態は、度合いは違えど案外起こりうるのではという著者の危機意識とも思える。語り手の1人である政治家の娘ルーシーはユダヤ人男性と結婚した為、一族の中では白眼視されている。また、シリーズを通しての主人公であるカーマイケルには同棲している男性がいるが、当然おおっぴらにはできない。道理が通らない息苦しい世界の中での殺人事件捜査だが、その道理を通らせないものが、更にカーマイケルを追い詰めていくのがやりきれない。また、比較的リベラルで人種や性的志向に偏見がないつもりでいても、他の階層に対する偏見はぬぐえない。自分もその中で育ったファージング・セットの特権意識に嫌悪感を持ちつつ、使用人や町人に対する意識にはバイアスがかかっている(そして往々にしてそれに気付かない)ルーシーの視線には皮肉さを感じた。




『さらば復讐の狼たちよ』

 辛亥革命後の中国。ギャングのチャン(チアン・ウェン)一味は県知事が乗っていた列車を襲撃するが、県知事のマー(グォ・ヨウ)から県知事になった方が金儲けができると聞き、知事になりすまして赴任地へ。しかし赴任先の町は実業家のホアン(チョウ・ユンファ)に牛耳られていた。チャンはホアンの用心棒を罰するが、それに腹を立てたホアンはチャンの子分の六弟(ジャン・モー)を罠にはめて自殺に追い込む。チャンはホアンへの復讐を誓う。監督はチアン・ウェン。冒頭の西部劇っぽい映像がワクワク感を煽られていたら、列車が思い切りよく回転するので笑ってしまった。とにかく勢いと熱気があって、おなかいっぱいになる。
 県知事にギャングが成りすまして金儲けをたくらむが、実際に金儲けをしているのは悪徳実業家で、ギャングが実業家と知恵比べをしつつ復讐の傍ら富の独占状態を崩そうとし、最終的にはなぜか革命チックになるという大変にぎやかかつツイストがきいた作品。欧米圏の文化や日本の文化が流入してきた時代背景があるので、セリフに英語が混じっていたり、県知事歓迎のパフォーマンスに使われる太鼓が日本の和太鼓だったりと、文化のちゃんぽん感がユニーク。不安定ながらすごく活気があった時代だったんじゃないかなと思った。
 チャンとホアンは騙しあいを続けるが、お互いの嘘をどこまで見抜いているのか全ては明らかにならない(その後の流れを見ると大体見抜いているっぽいが)。お互いが相手の嘘・ハッタリにどんどん乗っかって話が転がっていく。エピソード量にしろ情念にしろ、そこまで重ねなくても!というところもありいささかくどいのだが楽しい。
 主演のチアン・ウェンとチョウ・ヨンファはもちろん、脇役に至るまで美形ではないがいい面構えの人が揃っていて個性豊か。男性陣も味があるが、カリーナ・ラウ演じる県知事夫人のいけしゃあしゃあとした感じもすごくよかった。




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