3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

2012年01月

『パラダイス・モーテル』

エリック・マコーマック著、増田まもる訳
「私」は祖父から奇怪な事件の話を聞いた。ある一家で父親が母親を殺し、バラバラにした死体の一部を4人の子供たちの体に埋め込んだというのだ。大人になった「私」はその兄弟それぞれがどのような人生を歩んだのか調べ始める。奇想天外かつグロテスクなミステリのようでもあり、怪奇譚のようでもあるが、一筋縄ではいかない。著者の最近の作品である『ミステリウム』もそうだったが、小説は「誰か」によって語られるものだという側面をすごく意識していると思う。「こういうことがあった」ではなく「こういうことがあったと誰かが言っている」という仕組みなのだと。その仕組みに肩透かしを食らわされたり足元をすくわれたりするのだ。節々にその兆候は見えるものの、ある地点で見える景色ががらりと変わってしまう。その足元の不安定さが著者の作品の魅力なのかなと思った。




『拝啓ミケーレ君』

ナタリア・ギンズブルグ著、千種堅訳
20歳を過ぎてもぶらぶらしている青年ミケーレ。彼の母親は田舎にひっこみ、父親は癌で余命いくばくもない。ミケーレと母や姉、叔母やかつての恋人との手紙を中心に構成された小説。家族や友達間の手紙なので、誰と誰がどういう関係で、ということが最初はよくわからない。読んでいるうちにだんだんと人間関係や背景がわかってくるのだが、名前とポジション一致するまでに結構かかったなー(笑)。それでも、手紙として自然(部外者には内容がよくわからないところとか)なのに小説として成り立っているところに著者の筆力の高さが窺える。いわゆる家族小説なのだが、家族の絆ではなく、家族という繋がりのもろさを描いている。ここに描かれる家族は、非常に不仲というわけではないが相互に深く理解しているというわけではない。むしろ、たとえば父親がミケーレに自分が望む息子像を勝手に観て、ミケーレが本当は何が好きか、何をしたいか知ろうとはしない(というかそういうものがあること自体に思いが至らない)ように、誤解と無理解が往々にしてある。やがて家族は解体していくのだが、それが悲劇的というのではなく(確かに悲劇的な事件は起きるのだが)解体するべくして解体するような諦念が感じられた。兄弟同士や親子同士であっても、必ずしも愛せるとは限らないし理解できるとは限らない、それはごく自然なことなのだという前提がある。家族の間の親密「ではない」距離感がリアルだった。




『モダンタイムス (上、下)』

伊坂幸太郎著
システムエンジニアの渡辺は、出会い系サイトの仕様変更を請け負うがプログラムには不明な点が多く、発注元との連絡もとれない。そしてこの仕事に関わった上司や同僚に次々と不幸が襲う。かれらは皆、特定の組み合わせでキーワード検索をしていたのだ。文庫版で読んだのだが、ハードカーバー版から若干改訂されているそうだ。『魔王』『ゴールデンスランバー』と似た世界観(『ゴールデン~』の世界の近未来?)で、監視社会SFぽくもある。かなり温度低めの文体にしているなという印象を受けた。ただ、本作は『ゴールデン~』よりも主人公にとっての「敵」は不明瞭だし、そもそも具体的な敵など存在するのか?という部分に踏み込んでいる。全員このシステムに組み込まれていて無垢でなどいられないのだ、という点では『ゴールデンスランバー』よりも納得いったし、現代に即しているように思う。システムがだんだんそこに関わる人達の手を離れて一人歩きしていく、何の為のシステムかもシステムの主体もわからなくなったままそこから抜けられないという部分がすごく怖かった。私はこういうものに強い恐怖を感じるのか、と再認識した面も。




『物語論』

木村俊介著
村上春樹、かわぐちかいじ、是枝裕和、伊坂幸太郎ら、さまざまなジャンルで活躍する17人への、著者によるインタビュー集。小説家や漫画家に関しては『物語論』という題名は有効かもしれないが、ウェブデザイナー相手の場合はちょっと題名が強すぎなんじゃないかと思う。小説家・漫画家へのインタビューに関しても、どちらかというと具体的な仕事のやり方に関する内容の方が前面に出ているので、題名はこじつけっぽいなぁ。やり方の文脈を探るという意味では物語なのかもしれないが・・・。ただ、インタビュー集としては薄口ながら面白かった。特に、平野啓一郎、伊坂幸太郎へのインタビューは、この人こんなこと考えてたのかという新鮮さが。平野の、自分が目指すところと読者の受け取り方のギャップなど、なるほどこういう苦悩を踏まえて作風が変わってきているのかと腑に落ちたし、伊坂の「分かりやすい文しか書けない」という自己認識には、そうなのか~と。ちょっと意外だった。




『預言者』

 傷害罪で禁固6年の刑を受け、中央刑務所に入れられた19歳の青年マリク(タハール・ラヒム)。刑務所内はコルシカ・マフィアのボス、セザールが仕切っており、看守までもが買収されていた。マリクはセザールからある男の暗殺を命じられる。拒めばマリクを殺すというのだ。何とか任務を終えたマリクは、生き残る為セザールの使い走りとなる。監督はジャック・オディアール。第62回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品。
フランスの刑務所事情、社会情勢が垣間見えるリアル寄りの作品で、地味は地味。しかし一方でピカレスクロンマン、あるいは青年の成長物語黒バージョンという側面もあり、非常に面白い。
 刑務所内の世界は、とても殺伐としている。外の世界と同じく序列があり、派閥があり、どこかに属していないと食い物にされる。マリクはアラブ系なのだが孤児育ちで、アラブ系としての文化的なバックグラウンドがない。しかし外見はアラブ系なのでシチリアンマフィア、あるいはその他の派閥に属することが出来ない。マリクが殺しを請け負い、その後もシチリアンマフィアの使い走りになるのは、自分の居場所を作り保護してもらう為だ。マリクは生き残る為に読み書きを覚え、刑務所内の講習会で勉強していく。皮肉なことにに、彼に「刑務所内で学ぶことができる」と教えたのは、彼が最初に殺した男だ。この男は死後も時々、マリクの前に現れる(切り裂かれた首から煙草の煙が立ち上ったりして・・・)。マリクが刑務所内で足場を固め、ひそかにのし上がっていく様はスリリングだ。ラストには爽快感すらある。ただ、彼が「選んでしまった」ことによる影も色濃く感じられる。
 刑務所に入れられたことはマリクにとって辛いことだ。だが、もし刑務所に入ることなくずっと外の世界にいたら、彼は学問や経済力などの力を手に入れることはなかっただろう。そのままのたれ死んでいたかもしれない。自由を奪われた世界で自由を手に入れるというところが皮肉だし、こうでもしないと何も持たない人間が一発逆転することは出来ないという世知辛さも感じた。
 刑務所の中で一つの社会が構成されている。政治も経済活動も行われているところが面白かった。外の世界との(お金の流れ的な)やりとりはもちろんあるし、塀の中から外を牛耳るみたいなこともやっている。また、フランスという国ならでは(というよりも日本ではあまり思いつかない)のシチュエーションも興味深かった。アラブ系の受刑者は別棟にに収容されている(刑務所管理側差別的なものではなく、全ての人種を一緒にしておくと流血沙汰が絶えない。受刑者間の差別は根深い)のは、現代のフランスの状況が垣間見られた。また、入所する時に「宗教は持ってる?」「食べられないものはある?」と聞かれるのも、なるほどなと。なお、食事の配膳時に、バゲットを1本そのまま渡すのにはちょっと驚いた。何回かに分けて食べろということだろうか・・・。




『善き人』

 ヒトラーが台頭し、ナチスの力が増しつつある1930年代のドイツ。大学教授のジョン・ハルダー(ヴィゴ・モーテンセン)は党から呼び出される。彼がかつて書いた小説がヒトラーに気に入られたと言うのだ。ハルダーは党から論文を書くように要請され、徐々に党員として組み込まれていく。監督はヴィセンテ・アモリン。イギリスの劇作家、C.P.テイラーの戯曲を映画化した作品だ。
 約90分という上映時間の割には長く感じる冗長なところもある作品なのだが、なかなか渋い。主演のモーテンセンが珍しく気弱なキャラクターなのが新鮮だった。
 ハルダーは「いい人」だ。エキセントリックな妻や病気の母親を支えて家事をこなし、幼い子供2人の世話をする。妻と母親に振り回される姿には同情するくらいだ。思想的にはリベラル寄りで、親友のモーリス(ジェイソン・アイザックス)がユダヤ人ということもありナチスの政策には反感を持っている。そんな人がナチスの一員として働くようになってしまう。
 ハルダーはいい夫・父親・息子として家族を守ろうとするが、その為にはナチスに協力した方が有利なのだ。最初は「このくらいなら・・・」という感覚で始めたことが、どんどん後戻りできなくなっていく、じわじわ包囲されていく様が怖かった。
 また、ハルダーはいい人ではあるが、いまひとつ押しが弱く、相手に押し切られがちだという面も見えてくる。ナチスに協力を要請された時は自分と家族を守る為という理由があるし、自作を褒められて悪い気はしなかったという所もあるだろう。が、女生徒に迫られた時も結局押し切られてしまう(笑)。そもそもそういう性格なのか!と突っ込みたくなるが、そういう弱さは非常にありがちであんまり強く非難できない。彼が、特に友人に対して取った態度は卑怯ではあるが、あの状況で他に選択肢があったか?というと何とも言えないのだ。
 ハルダーの愛人(後に後妻)は屈託なくナチスを支持する。当時はこういう、特に思想も当然悪意もない、ごく普通の人達が多かったんだろう。そういう人達がナチスを支持してしまう、というところが一番怖かったし、他人事ではないと思える。




『ヒミズ』

 15歳の中学生・住田(染谷将太)は父親に疎まれつつも、中学を卒業したら実家の貸しボート屋を継ぐつもりだった。同級生の茶川(二階堂ふみ)は住田に一方的に好意を寄せ、家まで押しかけてくる。ある日、住田の父親が作った借金の取立て屋も乗り込んできた。母親は愛人と共に姿を消し、住田は一人ぼっちになってしまう。 監督は園子音。第68回ヴェネツィア国際映画祭で、主演の染谷と二階堂がマルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞に相当)を受賞。原作は古谷実の同名漫画。
 染谷と二階堂はヴェネツィアでの受賞も頷ける大熱演。特に映画前半での二階堂の不穏な気持ち悪さは尋常ではなかった。度胸のある女優さんなんだろうなと思う。染谷は相変わらず上手いのだが、セリフが篭って聞き取りにくいのが難点だった。
 ただ、主演2人はとてもいいが映画全体としては、『恋の罪』に引き続き、いまひとつがつんとこない。画面にこめられている熱量と反比例してあまり見る気が沸いてこなかった。舞台劇のように声を張り上げるタイプの演技プランに食傷気味になってしまったというのもある。出演者全員にこれやられるとメリハリなくてちょっと辛い。
園監督は、まずよくある「型」からキャラクターや物語に入り、その型の中を独自の掘り下げ方をしていくような作り方をしていると思うのだが、(『恋の罪』の感想でも同じようなことを書いたが)どうも定型で止まってしまっているような気がする。
 また、こういうの10年くらい前にもうなかったっけ?という古さも感じた。原作が結構前の作品なのでそのせいかもしれないが。住田が悪人を殺すことで世の中の役に立とうとする=立派な大人になろうとする(彼の中では)ものの、その試みがことごとく妨害され、最終的には「悪い奴」であった金融会社社長に助けられてしまう流れは、今「大人になる」ことの道筋の見えにくさを象徴していて面白いなと思ったのだが、その後の茶川による救済には、何だかなぁと思った。なんでそこに回帰しちゃうんだろう、それとは別の形の道筋をこれからは示さないとならないんじゃないかなと、この映画が若い人に向けられているのかどうかよく分からなくなってしまった。茶川が抱える問題が全く解決されていないのもひっかかる。茶川が住田のためだけに存在するキャラクターみたいになっているのだ。




『パーフェクト・センス』

 五感が次々と失われる奇妙な感染症、通称“SOS”が世界に蔓延し、人々は恐怖に駆られていた。シェフのマイケル(ユアン・マクレガー)と科学者のスーザン(エヴァ・グリーン)はその中で出会い、恋に落ちる。監督はデイヴィッド・マッケンジー。
 世界に広がる感染症というと、ソダーバーグ監督の『コンテイジョン』が記憶に新しいが、とてもリアルでシュミレーションぽかった『コンテイジョン』と異なり、本作はもっと寓話的。疫病の原因も対処法もわからない。ただ、人間がある感覚が失われた状態に順応していく様子は説得力あったと思う。非日常的なことが起きても、物理的によっぽどのダメージがない限り日常化していくんだなと。嗅覚や味覚が失われると、食事・料理の異なる(風味を味わうこと以外の)楽しみ方を開発し、町が荒れればそれを整える人が自然と出てくる。やっぱり、一応出勤しておこうかな・・・と私でも思うかもしれない。それを人間の鈍さと取ればちょっと怖いシチュエーションなのだが・・・。本作では、強さとして肯定しているように思う。一方でパニックや略奪が起きてくるわけだが、可能な限り人生を味わおうという人達もいる。マイケルとスーザンの恋が、人間の世界が崩壊していく様と同時進行で、より「今ここ」の幸せを求める強さが際立っている。
 ちょっとしたショットが美しく、印象に残った。風景に魅力がある。冒頭、海辺でスーザンと姉が石を投げているシーンが、寂しい風景なのだがすごくいい。延々と散歩したくなるような場所だ(エヴァ・グリーンがなぜか風景にとても映える)。マイケルが墓参りする墓地も、だだっ広い丘の上みたいな場所で魅力があった。
 ユアン・マクレガーはマッケンジー監督の『猟人日記』にも主演しているが、ミステリアスな前作と異なり本作ではとてもキュート。魅力の出し入れが上手い人だなぁ(笑)。ピーコートやパーカー等の衣装も似合っていた。その年でパーカーとジャケット重ね着か!とは思ったが似合う。エヴァ・グリーンはさすがに美しい。ユアンとの共演はミスマッチじゃ?(ジャンルの違う美形というか)と思ったが案外いいです。




『幸福までの長い距離』

辻邦生著
映画にも造詣が深かった著者の、映画にまつわるエッセイ集。1997年の著作なので、取り上げられている作品の中では『アンダーグラウンド』あたりが新しいものになる。本当によく映画をご覧になっていた方なんだな~。私が好きなのだがタイトルを目にする機会が殆どない『トラスト・ミー』(ハル・ハートリー監督)や『愛を弾く女』(クロード・ソーテ監督)が取り上げられていて、しかも結構好意的な評ですごく嬉しい。著者の映画への接し方にミーハーなところがあることが意外だった。映画を大変よく見ているが、いわゆるシネフィル風ではないのだ。また、映画に関する話のなかで、さらっと、小説のスタイルを模索していた過程に言及するところなど印象に残った。




『キングを探せ』

法月綸太郎著
ニックネームで呼び合う4人の男たちには、殺したい相手がいるという共通項があった。彼らは交換殺人を計画し、4枚のトランプのカードで殺害相手と順番を決める。法月警視と息子の探偵・久しぶりの探偵・綸太郎は彼らの計画を暴けるのか。久々の法月シリーズ長編、しかもパパと共演というファンには嬉しい1冊。非常にスタンダードかつ読みやすい本格ミステリで、この調子で法月先生は軽めのものをもうちょっと量産して下されば・・・と思わずにいられない(笑)。カード組み合わせをキーとしたシンプルなパズル系ミステリだが、流石に端整ですっきりする満足感あり。冒頭の犯人たちのやりとりが、ちゃんと最後に効いてきている。文中に出てくる名詞から、あ~現代の話なんだなと散見されるところが個人的に面白かった。なお装丁がクラフト・エヴィング商繪だったのは意外だ。いつになく洒落ています(笑)




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