3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2011年12月

『ピザボーイ 史上最凶のご注文』

 しがないピザ屋の店員ニック(ジェシー・アイゼンバーグ)は、配達先で待ち構えていた覆面男2人組に時限爆弾付きのベストを着せられ、10時間以内に銀行強盗をして10万ドルを持って来い、出来なければ爆発させると脅される。ニックは友人のチェット(アジズ・アンサリ)と銀行強盗する羽目に。監督はルーベン・フライシャー。
 アイゼンバーグ君はなぜペラペラまくし立てる役が多いんだろうか・・・もう他のイメージで見ることができない(笑)。銀行強盗をする2人組、それを強要した2人組という、2組のボンクラコンビが追いつ追われつするコメディ。特に覆面2人組のボンクラ感は堂に入っている。覆面の1人ドウェイン(ダニー・マクブライド)は遺産目当てで父親を殺そうとしており、殺し屋への支払い金として10万ドル必要なのだ。太鼓持ちのトラヴィス(ニック・スウォードン)との掛け合いは頭が痛くなるくらい頭悪そうだった。これに比べると、ニックはしがないバイトだけど一応常識はあるし、チェットはうざいけど臨時教員の職についていて、案外ちゃんと教師やってそう(授業中にメールしている生徒のあしらい方とか結構上手い)。ドウェインは可愛げのない頭の悪さなんだよなぁ(笑)。
 この手のお話だと、事件の渦中にある主人公が成長していく、変化していくというのが一つのパターンだが、本作に出てくる人たちは、ニック組もドゥエイン組も基本的にあまり変化しない。最初に持ってるスペック内で対応していくという感じなのだ。この人イラっとするなぁと思ったら、最後までイラっとさせられっぱなしだった。その割りには全編楽しく見られたけれど。どの登場人物も「成功」「成長」しない、あるとしたら最初から持っているものに気付くというくらい。地に足が着いていると言えば着いているかも。希望はあるけど夢はない、とでも言うか。




『フェイク・クライム』

 高速道路の料金所職員として働いているヘンリー(キアヌ・リーヴス)は、高校時代の同級生に声を掛けられ、成り行きで銀行強盗の運転手にされ、しかも1人だけ逮捕され、刑務所送りに。数年後、出所したヘンリーはやってもいない銀行強盗で逮捕されたんだから実際に銀行強盗をやろうと決意。刑務所で知り合ったベテラン詐欺師のマックス(ジェームズ・カーン)を仲間に誘うが。監督はマルコム・ベンビル。
 予告編もフライヤーもぱっとしないB級サスペンス風だが、これが意外と面白くホロリとさせられた。予告編の雰囲気とは全然違って、ハリウッド映画というよりも、インディペンデンス系だったり、アメリカではなくイギリスあたりの映画のような雰囲気だ。劇中で携帯電話が出てくるので現代の話だと分かるが、雰囲気はもっと昔の映画みたい。あえて古臭い感じにした(登場人物の衣装もあまり時代性が感じられない)のかもしれない。
 ヘンリーはとある事情から、素人俳優として舞台に上がることになる。演目は『櫻の園』で、主演女優に惹かれあっていく。この劇中劇である『櫻の園』と、ヘンリー達のドラマが時に重なりあう。劇中劇が好きな人には魅力があるだろう(本作はそれほどテクニカルな構造ではないが)。『櫻の園』のセリフが全然違う意味合いで生きてくるところ、重なる意味で生きてくるところがあって、クライマックスではヘンリーがんばれ!と応援したくなる盛り上がり方。
 主人公のヘンリーは、アメリカ映画では珍しいタイプの男性だと思う。決して裕福ではないが、上昇志向や野心はない。自分を不幸がることもないし高望みもしない。良くも悪くも欲がない。銀行強盗を思いついても、仲良くなった女優ジュリー(ヴェラ・ファーミガ)にすぐ話しちゃう(笑)。年齢のわりに世間ずれしていない。素直で朴訥としているのだ。キアヌ・リーブスがこのキャラクターに予想外にハマっていて、この人、地はこういう感じなんじゃないかと思ってしまうくらい。最近のキアヌ主演作ではベストだと思う。ぼんやり生きてきたヘンリーが「銀行強盗するんだ!」とキラキラし始めるのは何かかわいい。その熱意に触発されて、人生を諦念していたマックスや、人生切羽詰っているジュリーまで変化していく姿にはぐっときてしまった。




『裏窓』

 カメラマンのジェフ(ジェームズ・スチュアート)は足を怪我してギプスをはめた為、ニューヨーク、グリニッチ・ヴィレッジのアパートで缶詰生活。向かいのアパートの様子を双眼鏡で覗いて暇つぶしをしていたが、ある日、向かいの部屋のサラリーマンの妻が姿を消したことに気付く。これまでの夫婦の様子から妻は殺されたのではと疑うジェフは、恋人のリザ(グレイス・ケリー)や看護師のステラの手を借りて調べ始める。原作はコーネル・ウールリッチの短編、監督はアルフレッド・ヒッチコック。
 午前10時の映画祭にて鑑賞。ヒッチコック作品の中でも多分傑作レベル。TVで見たことはあったのだが、スクリーンで見るのは初めて。やはりセットが素晴らしい。ちゃんと窓の中で何が起きているかわかるような構造、しかもそれぞれの住人の特性がわかるような室内の様子で、ほんとに手が込んでいる。ミニチュアールを見るような楽しさも。覗き見願望を十分に満たしてくれる(笑)。
 美術面の素晴らしさ、ミステリとしての面白さ(原作は読んだことないのだが、どのくらい忠実なのだろうか)はもちろんだが、会話劇としてよくできているし洒落ていたんだなと再認識した。男女の関係が案外きわどい。よくよく考えると、ジェフとリザの関係はどん詰まりっぽいし、最後まで結論が出ない。わかりやすく結論出さないあたりが妙に生々しかった。ジェフが覗く窓の中でも、色々な男女の関係が展開されていて、一種のカタログみたいでもある。べったりだったカップルが最後には・・・というのにはヒッチコックの底意地の悪さが垣間見られる。
 ミステリとしては、実は決め手に欠ける(証拠が弱いので、ジェフたちが推理の結論に飛びつくのが唐突に思える)のだが、語り口、見せ方の上手さでハラハラわくわくさせられた。こういうのを演出が上手いというのだろうか。あとグレイス・ケリーの衣装がステキすぎる。彼女が演じるリザはファッション誌の記者(編集?)という役柄だが、仕事にふさわしい格好。

 


『レベッカ』

 モンテカルロで裕福なマキシム・デ・ウィンター(ローレンス・オリヴィエ)に見初められて結婚し、彼の荘園・マンダレイに共に帰ってきた「私」(ジョーン・フォンテーン)。しかし家政婦のデンヴァー夫人(ジュディス・アンダーソン)は亡くなった前婦人レベッカを熱愛しており、屋敷内は今もレベッカの面影が色濃く残っていた。原作はデュ・モーリア、監督はアルフレッド・ヒッチコック。ヒッチコックが渡米してからの第一作であり、1940年度のアカデミー賞受賞作だ。
 実は本作、ちゃんと見るのは初めて。漠然とこんな話なんだというのは知っていたが、自分のイメージの中ではもっと幻想的な、ゴシックホラー寄りの話だと思っていたので、予想外に理詰めで落とす結末には驚いた。まあ、理詰めにしては証拠が弱すぎるのだが、理由付けをしないタイプの話なんだろなーと思っていたので。原作小説には忠実なんだろうか。
 前妻のレベッカは、名前は頻出するのだが、具体的な姿は一度も出てこない。この物語の中心にいるのはレベッカで、彼女が出てくる人全員を支配しているのに。美しい人だった、素晴らしい人だったという評判がどんどん一人歩きしていき、想像が膨らむ。実際に具体的な姿で見てしまうと、いや評判ほどでは・・・ということにもなりかねないので、上手い演出だ。対して、見ている間は気付かなかったのだが、ヒロインに名前がない。これは驚いた。てっきり夫が名前呼んでいたと思っていた。実体はあるが名前のないヒロインが、名前のみで実体がない女のイメージに脅かされていく構造なのだ。
 ヒロインが多分に子供っぽいし実際に年齢が若い女性というところが、重要だったんだなと見ているうちに腑に落ちた。ある程度落ち着いた(場の雰囲気に左右されにくい)ヒロインだったら、後半の展開にするのは難しい。影響受けやすい子供だからこそ成立する話だ。また、夫も大人の女性で失敗したから今度は「女の子」を、ということだったんだろうなと。




映画『けいおん!』

 桜ヶ丘女子高校軽音部の平沢唯(豊崎愛生)、秋山澪(日笠陽子)、田井中律(佐藤聡美)、寿美菜子(琴吹紬)は進学も決まって卒業を控えるばかり。後輩の中野梓(竹達彩奈)に何をプレゼントするかが目下の悩みだ。そんな折、梓も巻き込んでロンドンに卒業旅行に行くことに。一大ブームをまきおこしたTVアニメーションの劇場版作品。監督はTVシリーズと同じく山田尚子。
 私は「けいおん!」の熱心なファンというわけではないのだが、この映画は「あーけいおんだー!」と実感できるものだと思う。TVシリーズと変わらぬノリ、同じような細かいエピソードを積み重ねていく構造(これを2時間尺で成立させているのは結構力がいると思う)、劇場版だからといって特別な事件は起きない。ロンドンに行くという一大イベントはあるものの、それも高校生の日常の一貫だし、そもそもロンドンに行くまでに結構時間がかかる(笑)。
 ただ、本作はやはりこのシリーズのけじめであり、最後の祭りなんだと思う。去っていく唯たち、引き継ぐ梓という関係がよりクロースアップされているのもその為だろう。TVシリーズからの絡みで、唯たちが梓に送る歌を考えるというエピソードがロンドン旅行のエピソードと併走している。映画単体としてはボリュームオーバーなのだが、唯たちと梓の関係を描く上では、やはり外せなかったのだろう。最後はちゃんと学校で、2期のOPを思わせる正に「机をステージに」な展開も、終了というクライマックスを意識してのことではないかと思う。ファンの人たちは大学編も!と希望しているようだが、続編作るつもりはあんまりないんじゃないかな・・・。
 ロンドンでの顛末にしろ、梓への曲作りにしろ、傍から見ればどうということない、外から見ていたらむしろ気恥ずかしい。ライブの観客もほどよく散漫だった(笑)。しかし当人達の間ではすごく盛り上がっている。この内輪感が高校生ぽい。自分が10代の時に見たら、むしろ距離感感じてきつかったかもしれない。年取ってこういう内輪感を許せるようになったから素直に楽しめたのかも。
 丹念な取材・ロケの実績がある作品だが、今回のロンドンロケもとても丁寧で、ロンドン部分はほぼ全編にわたって場所特定が可能だと思う。意外にも、実際にロンドンに行きたくなるいい観光映画になっていた。あと、TVシリーズでもだが、キャラクターの衣装が、ちゃんとこの年齢の女の子が着る服になっているところはすごくいいと思う。これができていない作品がいかに多いか・・・(作品によってニーズが異なるのでできていなくてもOKな場合もあるが)。唯の私服センスが微妙なところも含め(笑)。




『グラン・モーヌ ある青年の愛と冒険』

アラン・フルニエ著、長谷川四郎訳
みすず書房“大人の本棚”版で読んだ。自由に生きる少年、オーギュスト・モーヌ。彼はある日授業を抜け出し、たどり着いた不思議な屋敷で少女イヴォンヌと出会う。彼女が運命の人とモーヌは心に決める。語り手はモーヌの寄宿先である学校教師の家の息子フランソワ。彼はモーヌの親友となる。年下のフランソワから見たモーヌは憧れの対象でもあり、彼が語るモーヌの姿はキラキラと眩しい。本作は1913年に書かれた作品なのだが、青春小説の眩しさやこそばゆさは時代を超えても変わっていない。情緒のテンションがかなり高めなので読みにくいところもあるのだが、ごく平凡な日常が時に幻想小説のように美しくなる、主観フィルターの流動性みたいなものが面白い。主観の過剰さこそが青春小説だという気もしてくる。これ、今でいったらラノベみたいな感覚で親しまれていたんじゃないだろうか。展開と文体に意外とスピード感があり、終盤に向かって、モーヌもフランソワも急速に大人になっていく。最後の締め方がすごくいい。フランソワが大人になったこと、大人になっても少年の頃と変わらない部分があることが実感されてちょっと感動した。




『ミッション・ソング』

ジョン・ル・カレ著、加賀山卓朗訳
アイルランド人宣教師とコンゴ人女性の間に生まれたサルヴォは、語学の才能を発揮し一流の通訳となった。ある日、イギリス政府情報部からの依頼で秘密会議の通訳をすることに。コンゴ民主共和国の平和的自立を目指す、政治家ムワンザカを中心とした各勢力代表の会談にサルヴォは興奮するが、その背後には資源を巡る陰謀があることに気付く。巻末の解説(真山仁によるものだが、『ナイロビの蜂』以降の作品の傾向を端的に解説していていい文章だった)でも言及されているが、過去のスパイものよりも主人公がナイーヴ。通訳としては非常にやり手だが(どういう仕事か垣間見えるところが面白い)、彼の行動はあまりに無防備だし無邪気だ。また、任務に対しては過度に入れ込んでおり少々妄想じみているとも見える。白人と黒人のハーフであるが故にどこにいてもよそ者で、アフリカに対して愛着と後ろめたさの両方があること、宣教師であった父親の影響、アフリカ系の恋人への思い、そして一流通訳であるというプライドがその根底にある。彼の思い入れは多分に一方的であり滑稽にすら見える。今までアフリカから離れていたのに今更何なんだ、所詮部外者じゃないかと言いたくもなる。しかし著者は、彼のナイーブさや素朴な正義感が、強欲に対抗しうる唯一の手段と考えているのだと思う。他人事にするな、お前も当事者だという叫びが聞こえる。




『するめ映画館』

吉本由美著
名作・傑作・大作ではないが見れば見るほど味が出る映画を「するめ映画」と称し、自分にとってのするめ映画を語り合う対談集。対談相手は村上春樹、川本三郎、和田誠、都築響一、リリー・フランキー、安西水丸、糸井重里というやたら豪華な面子。特に村上春樹のパートは貴重なのでは。自分にとって妙に面白い、愛着のある映画という観点なので、対談相手それぞれの映画に対するモチベーションのありかとか、こういうシチュエーションにぐっとくるとか、逆にこういうのは嫌いだ!等好みのクセが表面化しやすい。この人実はこういう人だったのか、という一面が垣間見える。村上春樹の、同性間の友情にあまり興味がない(だからバディもの映画とかもあんまり好まない)という発言には、なぜ自分が春樹作品にさほど魅力を感じないか腑に落ちた。だからああいう主人公になるのか(笑)。また、他の諸々の著作でもわかっていたことだが、和田誠の知識量には改めて唸る。その映画・俳優に関する情報がぱっと出てくるのには、こういうレベルじゃないと映画ファンと名乗ってはいけないような気に・・・。ちなみに私のするめ映画は『銀河鉄道の夜』(杉井ギサブロー監督、これは名作認定でいいと思いますが)、『アリゾナ・ドリーム』(エミール・クストリッツァ監督)、『青い春』(豊田利晃監督)を暫定的に。




『ホペイロの憂鬱 JFL編』

井上尚登著
JFLのサッカークラブ・ビッグカイト相模原で、ホペイロ(ポルトガル語で用具係のこと)をやっている「僕」。J2昇格を目指して奮闘するチームだが、奇妙なトラブルが絶えない。そのたびに謎解きに駆り出されるのだった。いわゆる日常の謎系のほのぼのしたミステリなのだが、舞台がJFLのクラブというところが特徴になっている。著者はスポーツ通だそうで、クラブ内の描写はよく取材してある(というか好きだから知ってる状態なんだろうなー)。ホペイロというサッカー通以外にはあまりなじみがない仕事だが、クラブの規模によって扱いは違うけれど本作のクラブでは実質雑用係。地味にハードワークをこなしている。クラブはこういう人たちに支えられているんですね。ミステリとしては他愛ないといえば他愛ないが、お仕事場にお邪魔するような楽しさもある、口当りの良い作品だった。ちなみに相模原と町田がライバル意識を持っているというのは妙に生々しい(笑)。




『螺鈿の四季』

ロバート・ファン・ヒューリック著、和爾桃子訳
お忍びで風光明媚な観光地・威炳に滞在することにしたディー判事。現地の知事に挨拶しに訪問したところ、家庭内に問題を抱えているようで様子がおかしい。町では流れ者に間違われて泥棒に勧誘されてしまう。更に沼地で女性の死体が発見され、休む暇もないのだった。著者はオランダの在中大使館に勤務し、その時の経験を元に本シリーズを書いた。そのためか、作中の生活・風俗の描写は結構細かい。司法組織の仕組みもちゃんとわかるように書いている。また、作者の持ち味なのか当時の中国文化にそういう土壌があったのかわからないが、男女の生臭さがあっけらかんと書かれているところが面白い。ディー判事は名判事として名高いのだが、本作ではちょっとお疲れ気味で、名探偵振りにも少々かげりが・・・。螺鈿が出てくる意味はあんまりなかった気がする。味付けとしてもいまいち蛇足感が。




ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ