3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2011年11月

『スマグラー お前の未来を運べ』

 元役者志望で、25歳のフリーター・砧(妻夫木聡)はふとした出来心で、300万円の借金を背負う羽目に。返済の為、金融業者・山岡(松雪泰子)から紹介された高給アルバイトを始める。それは死体等々のヤバい荷物の運搬業、通称「スマグラー」だった。暗殺された田沼組組長の死体を運んだことで、砧たちは抗争に巻き込まれていく。原作は真鍋昌平の同名漫画。監督は石井克人。
 『探偵はBarにいる』(弟出演)にしろ本作(兄出演)にしろ、高嶋兄弟に何が起こったというのか・・・。というわけで本作には高嶋政宏が変態ヤクザ役で出演し、大熱演している。高嶋兄弟の間では変態ブームが起きていたのかしら。他の出演者も概ね好演でキャラが立っている。主演の妻夫木が(役の設定上)一番影が薄かったくらいだ。
 しかし、高嶋兄をはじめ出演者の努力は、見れば見るほどあー勿体無いな~という気持ちがつのるばかり。全体の構成と、本作の目玉の一つであるアクションの見せ方のテンポが悪く、いちいち話の腰を折っているように思った。
 本作は章立てされた構成なのだが、正直、章立てする必要性は感じない。砧がスマグラー稼業に巻き込まれていく様を一気に見たいのに、なかなか話が進んでいかないのだ。原作の構成を再現しているのかもしれないが、そこは漫画と映画の違いがあるんだから・・・と言いたくなる。監督が脚本も手がけているのだが、あまり得意ではないのかなと思った(他の作品も構成があまり上手くないので)。また、アクションシーンではハイスピードカメラを使ってクリアなスローモーションを見せる。これはこれで、しかるべきポイントで使えば見応えあると思うのだが、毎度毎度やられるとまだるっこしい。ここはさらっと流して!とやきもきさせられる。映画のテンポが停滞し、却ってスピード感がなくなるのだ。
 一番ひっかかったのは、終盤での砧の変貌。彼が俳優志望だったという設定は序盤に明かされるが、終盤での展開に説得力を持たせるほどの伏線がないので、都合が良すぎるように見えてしまう。色々な部分で、配分が上手くかみ合っていない。砧の怪我の治りが妙に早いのも気になったが、あれは物語内時間はどのくらい経過した設定なのだろうか。




『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』

 デュマの小説を元に、ポール・W・S・アンダーソン監督が映画化。王妃の首飾りは原作にも出てくるけれど、いきなりダ・ヴィンチの飛行船など持ち出してしかも3D。どうなの?と思っていたが、脚本の手際が良く、コンパクトに纏まっている。意外と原作のテイストも活かされた、順当な娯楽映画に仕上がっていると思う。
 イギリスとの和平交渉に揺れる17世紀のフランス。田舎からパリへ上京してきた騎士見習いのダルタニアン(ローガン・ラーマン)は三銃士のアトス(マシュー・マクファディン)、ポルトス(レイ・スティーヴンソン)、アラミス(ルーク・エヴァンズ)と知り合う。三銃士は国王ルイ13世のお気に入りだったが、ダ・ヴィンチの飛行船の設計図を美女ミレディ(ミラ・ジョヴォヴィッチ)に奪われたことで失墜していた。一方、枢機卿リシュリュー(クリストフ・ヴァルツ)は国の実権を握るため陰謀を企て、イギリスとの二重スパイであるミレディに王妃の首飾りを盗ませ、バッキンガム公(オーランド・ブルーム)との不倫をでっちあげようとしていた。
 時代劇ではあるがすごくマンガ的で軽い。真面目な時代ものファンは怒り出しそうだが、その軽さが本作のいいところだ。そもそも、原作からして人気週間連載マンガ的な勢いで押し切っているタイプのエンターテイメント小説だと思っているので、本作くらいのアレンジがあっても違和感は感じなかった。飛行船が攻めてきたって、ミレディがバイオハザードばりのアクションこなしたっていいじゃないか・・・。違和感がないのは、作品世界のキモの部分をきっちり押さえているということかもしれない。ダルタニアンの田舎者な部分や、三銃士の(悪い癖を含む)個性はきちんと踏まえられているなと思った。一方、ルイ13世とアンヌ王妃、バッキンガム公の関係は結構改変されている。話の流れ上特に支障は感じなかったが、全世代向けハリウッド映画では積極的な不倫は絶対NGなのかもな~と何かの壁を見た感あり。
 3Dで見たのだが、なかなかよく出来ている。といっても『アバター』のような「よく出来ている」ではなく、書割っぽい、いかにもも「飛び出しますよ~」という見世物としてよく出来ている。本作に必要なのは生々しさではなく派手さ、というところも含め、わかってるな~という感じがすごくする作品だった。
 日本ではジョヴォヴィッチとブルームの2枚看板的な売り方だが、ジョヴォヴィッチはともかくブルームはそれほど露出時間長くない。とはいえ、チャラい色男の役が似合っていて楽しかった。




『ミッション:8ミニッツ』

 陸軍パイロットのコルター(ジェイク・ギレンホール)が目を覚ますと、そこはシカゴへ向かう通勤列車の中。目の前にいる見知らぬ女性が知り合いかのように話しかけ、窓ガラスに映る自分の顔は全く見たことがない他人のものになっていた。混乱しているうちに電車は大爆発を起こす。コルターが気付くと、今度は何かの操縦席のようなカプセル内にいた。彼はあるプログラムにより再構築された、電車爆破テロで死んだ男の最後の8分間の意識に入り込み、爆弾の位置とテロ犯人を特定する任務に就いていたと知らされる。監督はダンカン・ジョーンズ。時間的にコンパクトに纏める手腕はこの人の美点だと思う。
 監督の前作『月に囚われた男』は、ミニマムな設定を上手く使った秀作だったが、本作もある意味密室&ループを使ったいい娯楽作品。前作よりは格段に予算も上がっていると思うのだが、無理に手を広げすぎない感じに好感が持てる。予告編ではストーリーの先の読めなさを打ち出していたが、SF好きな人なら主人公がどういう状況にいるのかすぐに見当がつくだろうし、その後の流れもなんとなく読めるのではないだろうか。もっとも、あまり先読みしないで見るほうが面白いことは間違いない。
 プログラムで再現できるのは、死んだ男の死ぬ直前までの8分間のみ、しかも車中なので行動範囲はごく限られる。そして「現実」に戻ったコルターも密室内におり、そこから出ることができない。時間の閉鎖、空間の閉鎖の両方なのだ。監督はこういう設定が好きなのだろうか(予算の関係なのかもしれないけど)。また8分間を再生といっても、タイムマシンではないから既に起こってしまったことを変えることは出来ない。コルターに出来るのはとにかく何度もトライする(何度も擬似的に死ぬ)ことだけだ。
 ともすると厭世的、ペシミスティックになりそうな設定・話の展開なのだが、そうはならない。これは『月に囚われた男』を見た時も思ったのだが、ジョーンズ監督はSF心のある人なのだろうが、ガチでロジカルなSFを撮っているつもりは多分ないのだろう。ロジックをヒューマニズムが上回っている人なのだと思う。ハードSF愛好者だと、本作や『月に~』のようなラストは採用しないのではないだろうか。前作も本作も、人は何の為に生きるのか、という問いが根っこの方にある。そして、どんな人生であれそれに対する肯定も。本作、最後の展開はSF的には若干反則ではないかという気がしなくもないが(というか多分NGだろう)、あえて個々の人生の肯定の方向にもってくるところが、監督の持ち味だし愛すべきところではないかと思った。




『ウィンターズ・ボーン』

 ミズーリ州の田舎に住む17歳の少女リー(ジェニファー・ローレンス)は、精神を病んだ母親と幼い弟妹の世話をしつつ、なんとか生活していた。ある日保安官が、収監されていた父親が自宅を保釈金の担保にしたまま失踪し、このまま裁判に出廷しなければ家が没収されると伝えてきた。リーはやむなく父親探しを始めるが、地元の人々はそれを快く思わなかった。監督はデブラ・グラニック。
 主演であるジェニファー・ローレンスの存在感が強い。『X-メン:ファーストジェネレーション』では別にこの人じゃなくても・・・という気がしなくもなかったが、本作は彼女でなければ成立しなかったのではないかと思う。いやー、いい女優さんだったんだなー。
 リーを取り巻く環境は苛酷だ。働き手がいないから当然お金はなく、日々の食費にも事欠いている。父親は麻薬製造に関わっていたらしく、親戚や地元の知り合いもその筋の人々で、彼らの助けは望めない。リーはそれでも洗濯をし、料理をし、弟妹を学校に送り迎えし、宿題をやらせる。そういったシーンから、彼女がきちんと生活しようという意思を失っていない人だということがわかる。彼女の強さは後々わかってくるが、冒頭から順次こういうシーンがあることで、彼女の人柄が浮かび上がっていたと思う。
 リーは家族を愛しているし、責任を感じているから、家族との生活を維持する為に奔走するし、親戚からのプレッシャーにも耐える。しかしその愛が、彼女をこの土地に縛り付けている。彼女1人だったらなんとかなるかもしれないが、家族の為にはダーティな仕事をしている親族との付き合いを絶つことができないという。なんともやりきれないが、彼女が周囲に染まりきらない強さを見せるところが僅かな救いだ。
 それにしてもリーの親戚や地元の住人達が怖い!地方のプチマフィアみたいな存在なのだが、荒み方がはんぱない。まともな収入源がないから麻薬製造をしているのだろうが、これ本当に現代?!と慄然とした。最近見たアメリカ映画の中では貧困度合いが際立っている。




『デタッチメント』

 第24回東京国際映画祭にて。今回見た中ではこれが一番よかったです(といっても4本しか見られなかったのですが)。監督は『アメリカン・ヒストリーX』のトニー・ケイ。主演のエイドリアン・ブロディをはじめ、出演者がすばらしい。臨時高校教師のヘンリー・バルト(エイドリアン・ブロディ)は赴任先で英語を教えている。彼には介護施設に入院している祖父がいるが、祖父の認知症が進んでいることが頭痛の種だ。ある晩彼は、1人の少女と知り合う。
 ヘンリーが中心にいるものの、彼の目を通して現代アメリカの学校教育が抱える問題を垣間見、学校の職員や生徒達が描かれる群像劇のスタイルに近い。所々に挿入されるヘンリーの独白は疲れきった風情だ。疲れているのは彼だけではない。学校の教師たちは、全員極度のストレスにさらされて疲労しきっている。アメリカの学校の現場は本当にこんな感じなのだろうか・・・。ヘンリーの赴任先があまり学力レベルの高くなさそうな公立校だということを差し引いても。
 特別に荒れている学校というふうではないが、生徒は授業に対してやる気がないし、教師を半ばバカにしている。保護者も子供の素行の悪さは全部学校のせいにしたり、そもそも学校に全く関心がなかったりで、学校側との連携など望むべくもない。もう学校教育に対して希望を持てる要素が全然見えてこないよ・・・。
 教師達を疲労させているのは、何より、教育を受けることによって何らかのメリットがある、将来が開けると最早子供達に思わせられないということだろう。作中でスクールカウンセラー(ルーシー・リューがキュート!)がカウンセリング中に泣き出してしまうシーンがあるが、そのくらい追い詰められている人もいるということなんだろう。自分の仕事が徒労に終わっているということを日々目の当たりにするのはキツい。ベテラン教師達のタフさはどこから生まれているんだろうとも思う。
 ヘンリーは生徒にも同僚にも、深くは立ち入らない。正にDetachment 。臨時教師という彼の職業が彼の人との接し方を端的に現している。彼に思いを寄せる女生徒への対応や、同居する羽目になった少女との関係も一歩退いたものだ。大人として、教師としてそれは正しい。が、その正しさが、Detachmentを乗り越えようとする彼女らを傷つけることもある。かといって踏み込んだらモラル上の問題に発展しかねないし、度合いが本当に難しいとは思うのだが・・・。しかし踏み込むか踏み込まないか、迷う彼の姿には優しさ(本人は認めないのだろうが)が感じられる。
 ちなみに、ヘンリーに思いを寄せる女生徒は写真が趣味で美術方面のセンスがあるようなのだが、父親(言葉のみ聞こえる)の「写真よりも実用的な技能の方がいい、それよりも痩せて男の子にモテるようになった方がいい」とい趣旨の言葉に、あーわかってないな!と。本人にやる気があっても親にやる気・理解がないと進学もままならないというのが辛い。




『アクシデント』

真昼の繁華街、ビルの窓ガラスが割れ、下にいた男性がガラスで負傷死した。警察は事故死として扱うが、この男性は実は黒社会の大物で、暗殺されたのだ。暗殺を実行したのはブレイン(ルイス・クー)、おやじ(フォン・ツイファン)、太っちょ(ラム・シュー)、女(ミシェル・イエ)の4人チーム。彼らは綿密な計画とトリックにより事故死にしか見えない殺人を実行してきた。しかしある仕事の中で思わぬ偶然により計画が狂い、仲間の1人が死んでしまう。監督はソイ・チェン。製作はジョニー・トー。
ソイ・チェン監督の作品は日本で公開されるとなぜか見ているのだが、今までの作品の中では本作が一番コンパクトに纏まっていて面白かった。製作であるジョニー・トーの影響が結構濃いのか。緑・黄寄りのフィルターかけた感じのビジュアルもちょっとジョニー・トーっぽい。
とにかく題名が全てを表す。終盤の展開には結局それかよ!と突っ込みたくもなるが、そこに至るまでの、ブレインがどんどん追い詰められていく過程はスリリング。最初はクライムサスペンスぽいのだが、ストーリーが進むにつれ神経症的になっていき、だんだんブレインの一人称度が高くなっていく。
 追い詰められていくといっても、彼が勝手に自分を追い詰めていくのだが。彼らには殺人に関わったという後ろ暗さがあり、そのことが仲間を疑う疑心暗鬼を煽る。自家中毒みたいなものだ。ブレインの部屋の様子を見ていくと、えーこれはさすがにちょっと・・・と思うのだが、彼には自分がしていることが見えていない。ラストに拍子抜けするかもしれないが、その分皮肉さが際立つ。




『さすらいの女神(ディーバ)たち』

 アメリカで活躍するニューバーレスクショーの一座「キャバレー・ニュー・バーレスク」のフランス巡業を計画した、元TVプロデューサーのジョアキム(マチュー・アマルリック)。公演は好評だったが念願のパリ公演はキャンセルになってしまった。ジョアキムは昔の仕事仲間に頼み込むが、彼のかつての行いが尾を引き、すげなくあしらわれてしまう。監督は、主演も兼ねているマチュー・アマルリック。
 バーレスクは元々、ヌード未満のセクシーなコントやダンスショーを指していたそうだが、ニューバーレスクは女性が自分の体を使って表現し、観客も女性主体という方向に変わっているようだ。で、ニューバーレスクの一座だし題名に「女神たち」とあるし、女性達メインの物語なのかと思ったら、中心にいるのは常にジョアキム。一座のマネージャーである彼が、公演場所やスポンサーを確保しようと四苦八苦する、正に「興業は辛いよ」なお話だった。常にピリピリして慌しくバタバタしていて、ちょっと躁状態ぽい。アマルリックが主演・監督を務めているのだが、ちょっと自分のことが好きすぎるのか、前に出すぎだったように思う。せっかく「一座」なんだから、もっとダンサーたちも含めた群像劇として見たかった。
 ジョアキムはフランス人で、フランスでの巡業には思いいれがある。が、周囲には「帰省する口実でしょ」と言われたりもする。器が小さく、いつもお金の心配をしなくてはならないからか貧乏性(ホテルのフロントや喫茶室でフリーのキャンディーや砂糖をポケットに詰め込む悪癖あり)。決してお友達になって楽しそうな人物ではない。かつての仕事仲間や同業者の下恋人の彼に対する態度を見ていると、お前一体何をやったんだ!というくらい嫌われている。過去の諸々は作中では言及されることはないので想像するしかないのだが、仕事は出来るけどイヤな奴、という位置づけだったんだろうなぁと窺える。離婚した妻との間に2人の息子がいるが、子供と一緒にいてもまともな会話がないし、子供の気持ちもよくわかっていない。父子の間のぎくしゃくした空気は見ていていたたまれない。
 そんな彼を、全面的にではないが信頼し一緒に仕事をしていくのが一座の仲間達だ。女性達は勝手気ままに振舞うが、彼に対してどこか優しい。子供に対しては結構辛らつなのに(笑)。ただ、女性たちが彼の被保護者であると同時に保護者という存在になってしまっている気がして、これじゃあ何の為のニューバーレスクなのか、と若干興ざめした部分も。




『ランゴ』

 砂漠のハイウェイを走る車から振り落とされてしまった、ペットのカメレオン(ジョニー・デップ)。さ迷い歩いてたどり着いた町は、水不足に苦しんでいた。町の酒場で西部劇のヒーローを気取って「ランゴ」と名乗ったカメレオンは、武勇伝をでっち上げ、英雄に祭り上げられ、保安官に任命されてしまう。自警団を結成し、町の水が盗まれた事件の捜査に乗り出すが。監督はゴア・ヴァービンスキー。
 予告編はジョニー・デップが吹き替えをやるということを前面に出したキャラクター重視っぽいものだったし、監督は『パイレーツ・オブ・カリビアン』のヴァービンスキーだし、これはどちらかというと子供向けなのかなと思っていた。同じ印象を受けた人が多かったのか、実際、私が見た回では子連れ客が半数以上(といっても客の総数があんまり多くなかったけど・・・)だった。しかしいざ見てみると、むしろ引率しているお父さんが涙しそうなガチな西部劇だった。これは嬉しい誤算。『カウボーイ&エイリアン』の後で見たのだが、本作の方が本格的に西部劇ぽかったし、多分『駅馬車』やら『シェーン』やらの過去作品に対するオマージュに満ちているんじゃないかと思う。
 主人公のカメレオンは最初、水槽の中で一人ぼっちだ。色々な一人芝居をして遊ぶのだが、これが否応なしに演じるジョニー・デップのフィルモグラフィーを連想させる。モーションピクチャーによるアニメーションなので、動作の一つ一つが正に(特にジャック・スパロウな)デップ!町に出てきたカメレオンは強い男の振り、ヒーローの振りをして順応していく(だからカメレオンが主人公なのか・・・)。彼は何者かでありたいのだが、何者かを演じるという方法しか知らない。それが役者という存在のようでもあり、何者にもなれない「その他大勢」な私達のようでもあり、どこか切ない。子供よりは大人の心に残りそうな作品だった。
 動物たちが主人公でありながら「これが西部劇だ!」と言いたくなるようなシーン満載で、とても楽しい。さらになぜか空中戦まで。このシーンは使われている音楽込みで笑ってしまった。なお、ハンス・ジマーによるサントラ、ロス・ロボスが歌うメインテーマともにやりすぎ感があるくらい西部劇「ぽさ」をかもし出していて、これまた楽しい。さらに、エンドロールのアニメーションも素晴らしい。




『大脱走』

 第二次大戦末期のドイツ。片田舎の捕虜収容所に、捕虜となった連合軍兵士達が移送されてきた。彼らは皆脱走の常習犯で、ドイツ軍は一箇所に集めて厳しく監理しようとしていた。収容された彼らは早速脱走計画を練り始める。今度は250人を一斉に脱走させ、敵の霍乱を狙おうというのだ。
 戦争映画は苦手なのだが、こういう「~大作戦!」的なものは楽しい!捕虜の面々が本気で脱走好き(笑)なことに加え、収容所が、確かに監視は厳しいのだが思ったよりものんびりしているところも一因か。収容所所長が、連合軍兵に対して、敵ではあるがそれなりに尊重した扱いをするところも面白かった。ゲシュタポも出てくるが、いわゆるドイツ軍人とは全く別物という扱いみたいだ。ゲシュタポは卑怯!悪者!という位置づけ。
 彼らはトンネルを掘って脱出しようとするのだが、掘る為の材料集めや、作業中の音をどうやってごまかすか、掘り出した土をどうやって処分するか(これはちょっと笑った!)等、実にワクワクして楽しい。犯罪映画にも似たワクワク感がある。軍事作戦とはいえ、やっている当事者が、これ絶対ワクワクしているよな~。
 『スティング』とか『オーシャンズ11』みたいな、チームメンバーがそれぞれ担当をこなしていく話が好きなのだが、本作も、調達屋とか、情報屋とか、穴掘り屋とか、それぞれキャラが立っている。特に、バイクで疾走するシーンがあまりにも有名な、スティーブ・マックイーン演じる脱走王ヒルツがかっこいい。何度独房入りになってもへこたれず腐らず、不屈の精神を見せてくれる。独房に入れられる時に、毎回仲間がボールとミットを投げて渡すシーンがあり、ちょっとしたところだがまた良かった。
 全然タイプが違う調達屋と偽造屋の間に生まれる友情や、肝が据わっているようでいて思わぬ弱さを見せるトンネル堀り名人と彼を励ます仲間との絆など、兵士としての使命感だけではなく、仲間との連帯が彼らを支えているところにぐっとくる。ある人物が作戦中を振り返って「楽しかった」とつぶやく姿がまた切ないのだ。




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