3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

2011年08月

『夏の終止符』

北極圏の島にある、ロシアの気象観測所で働く2人の男。周囲の放射能を測定し、定期的に無線通信で本部に報告するのが彼らの仕事だ。ベテラン職員のセルゲイは真剣に業務に取り組んでいたが、新人のパベルは遊び気分が抜けない。ある日、セルゲイはパベルに報告を任せて鱒釣りに出かけた。パベルは観測時間を逃し、嘘の記録を伝えてしまう。更に、本部から預かったセルゲイ宛の深刻な知らせを、セルゲイに伝えそびれてしまう。監督はアレクセイ・ポポグレブスキー。
主演2人以外の俳優は一切出てこない、完全に2人芝居。この2人の顔つき、演技がとても良かった。また、北極圏の荒々しい風景にも魅力がある。こういうところで数年間、ほぼ2人だけで暮らすってどういう感じだろうなー、人間関係はだいぶ煮詰まってきついんじゃないかなーと思った。仕事上で一緒になっただけだから、必ずしも人として相性いいとは限らないだろうしなぁ・・・。その、人間関係が煮詰まってきつい、という部分が本作の核にある。この2人の間で起きるドラマは、多分、ほかにも同僚がいたら起こらなかったんじゃないかと思えることだからだ。
パベルはセルゲイの荒っぽい言動に萎縮していて、重要な伝言を言いそびれ続けてしまう。一度言いそびれると余計に言い出しにくくなるという悪循環は、容易に想像できてお腹が痛くなりそうだ。ただ、言い出しにくいシチュエーションというのはわかるが、パベルの行動は少々行き過ぎなように思う。確かに、自分のミスを申告しなければならないのは気が重いし、相手が言動の荒っぽい先輩ならなおさらだ。しかしそれでも、仕事の上のことなのだし、何より人の生き死にがかかっていることだ。普通は怒られることを覚悟でちゃんと話すだろう。少なくとも、逃げ出すほど(しかも極寒の北極圏で)のことではない。
パベルが子供っぽい人物だという描写は、ドラム缶で遊んでいる様やお菓子を隠し持っている様子でわかるのだが、度が過ぎている。子供だって、子供なりの知恵があるはずだと思うのだが・・・。物語上、あるシチュエーションを作りたいが為に、そこに至るまでの心理的なプロセスが乱暴になってしまっている。 また、2人だけの観測所だとわかっていてあんなことを本部がさせるかなーというような、仕事上これは危険なのでは?という部分が気になった。
 男2人の心理劇かと思ったら、むしろ追い詰められていく1人の男の心理劇に近い。最後にいきなり父性が立ち上がるあたりに、ロシアもまた(アメリカとはちょっと違った方向性)父性の国なんだろうかと思った。




『恋愛社会学のススメ』

 リゾート地の別荘に来ているカップル、クリス(ラース・アイディンガー)とギッティ(ビルギット・ミニヒマイアー)。仲の良さそうな2人だが、あけっぴろげなギッティに対して、クリスは世間体や自分の面目を気にしており、時にすれ違う。クリスの知人カップルと出会ったことで、そのすれ違いはより明確になっていく。監督・l脚本はマーレン・アーデ。
 題名はちょっとコミカルに寄りすぎていて、内容とあまりそぐわない。社会学的といえば社会学的かもしれないが、勧めているわけではないしな・・・。クリスとギッティの間のやりとりは、カップルあるある的で、見ていてイタい思いをする人は多そうだ。イベントを盛り上げようとするポイントがズレていて相手がちょっとひいている(相手のノリが悪いときに盛り上げようとして逆効果)ところとか、何で相手が不機嫌なのかよく分からないとか、楽しい時以外の「あるある」感が生々しい。
 特に、これはカップル云々とは関係ないのだが、クリスの先輩(らしい)同業者に対する態度は、こういう人いるよな~と思うと同時に、自分もこういうことやっちゃってるかも、とチクリと刺される。自分より社会的に評価されている人、自信に満ちた人に、その人のことを特に好きだったり尊敬しているわけでもないのに、つい相手に擦り寄るような言動をとってしまうのだ。クリスは割りと対外的な格好を気にする性質なので、相手を気に食わなくても一応立てようとする。自分に正直でいたいギッティにはそれが気に入らない。そしてクリスはギッティの歯に衣着せない物言いを自分の面子をつぶすようなものに感じるという悪循環。
 ギッティはギッティで、クリスに歩み寄ろうと女性らしい格好をしたり「尽くす女」的に振舞ったりするが、クリスは逆にそんな彼女を媚びていると思ったり、かみ合わない時ってとことんかみ合わなくなるんだよな~としみじみ。確かにギッティはワンピースも似合うが、ショーパンにキャミみたいなラフな格好の方が生き生きとしていて似合うのだが。
 見ていていろいろ身につまされる人もいるだろうが、映画としては少々物足りなかった。俳優は皆好演しているので、「あるある」止まりでその先まで行けなかったのが惜しい。なお、クリス役のアイディンガーの頭頂部がかなり薄くなっており、見るたび気になってしまった・・・




『宇宙飛行士の医者』

 1961年、ソ連初の宇宙飛行計画がカザフスタンで進められていた。医者として計画に従事するダニエル(チュルパン・ハマートヴァ)は、既に妻がいたが現地で若い女性ヴェラとも付き合っていた。モスクワへ戻ったダニエルは、同じく医者である妻ニーナと共に、宇宙飛行士候補たちの健康管理責任者となる。プレッシャーに耐える彼らに対して、友人のように接しようとするダニエルだが、国家の発展の為に彼らが犠牲となることに耐えられない。それはニーナも同じだった。ニーナはダニエルが仕事を辞めるように願うが、候補仕官の一人が死に、ダニエルは更に心身を消耗する。しかし有人ロケット打ち上げ計画は迫り、彼は弱った体で再びカザフスタンへ向かう。監督はアレクセイ・ゲルマン・ジュニア。
 同じロシア映画だからというわけでもないだろうが、絵のタッチがソクーロフにちょっと似ているように思った。がらんとした荒野というロケーションが、それを思わせるのかもしれないが。映画にも土地柄ってあるよなとぼんやりと思った。ロシア映画を見ていて、時々すごく非現実的な夢の中の風景を見ているような気分になるのは、日本で育った自分にとって見慣れない風土だからかもしれない。
 カメラは時にたゆたうように動き、どこか幻想的でもある。全体にちょっと膜がかかったような、柔らかな映像だ。若い士官たちとのやりとりは時に微笑ましく、医者と患者というよりも、兄や姉と弟たちのようにも見える。
 そんな穏やかなシーンがあるだけに、「前進しか許されない」という言葉がより重い。人命はそもそも度外視されているのだ。実験に徹することができるのならそれでも前進できるのかもしれないが、医者であるダニエルにとっては、人命が脅かされる計画への参加は、そもそも矛盾している。ダニエルは名誉や成功を求めているわけではなく、医者として正しいことをやりたいと思っているだけなのだ。その矛盾に彼は引き裂かれてしまう。半分寓話的でもあり、どのくらい当時の空気感を考慮しているのかはわからないが、ダニエルのような人は多分、いたんじゃないかなと思える。
 ダニエルと妻ニーナの関係がいい。男女の仲というよりも、志を同じくする同志といった、強い信頼関係がある。ダニエルにはエヴァといういわゆる愛人もいるのだが、エヴァとの関係は男女のもの。エヴァの愛もまた強く、ダニエルは2人の女性に守られている。ニーナとエヴァの存在が彼の中では矛盾せず、ニーナもエヴァもお互いを認めている。最終的には姉と妹のようになっているという不思議な関係だった。




『唇を閉ざせ』

 小児科医のアレックス(フランソワ・クリューゼ)は、湖で泳いでいる時に何者かに妻マルゴ(マリー=ジョセ・クローズ)を拉致され、自分も殴られ昏倒してしまう。マルゴは無残な死体となって発見され、アレックスにも容疑がかけられたものの、巷で騒がれていた連続殺人の一貫とされ、8年が過ぎた。ある日アレックスの元にマルゴを名乗るメールが入る。メールには誰にも言わないでという文面が。メッセージのリンク先には年齢を重ねたマルゴの映像があった。アレックスはマルゴが生きていると確信し、過去の事件の真相を探り始める。しかし過去の事件の関係者と思われる男の他殺死体が発見され、アレックスに容疑がかかる。一方で、謎のグループがマルゴの居場所を探っていた。アレックスは警察と謎のグループの双方から追われる羽目になる。監督はギョーム・カネ。俳優として活躍していたカネだが、監督業も積んでおり、本作でセザール賞を受賞したそうだ。なお原作はハーラン・コーベンの小説。
 原作小説を読んだことはあるのだが、見ていても原作だとは全然気付かず、同じタイトルのコーベンの作品があったよなーとしか・・・。私の記憶力が脆弱すぎたのか、かなり原作からアレンジされているのか。ともあれスピード感があって面白いサスペンスだった。犯人のトリックの一部に、それは初動捜査でバレるだろー!という部分があるところと、ある人物がやっていることが壮大に粘着過ぎて、大分ホラーめいているところを突っ込みたくなるが、ほどよい娯楽映画。これが日本公開されずにいたとはちょっともったいない。確かに日本市場でキヤッチーな要素はあまりないが・・・
 アレックスは身体能力も頭の切れも、ごく平凡(よりはちょっと頭はいいかも)で、妻を愛する気持ちだけが人並み以上という男性。妻が生きているという確信だけが彼を支えるが、警察や謎の組織からどんどん包囲され、追い詰められていく。彼がどうやって真相、そして妻にたどり着くか、そして彼の行動の意味を警察がいつ気付くか、時間との戦いという側面もあり、ドキドキさせる。
 脇キャラクターがなかなかいい味。アレックスに恩義を感じて助けになるブリュノは、いわゆる「お助けキャラ」なのだが、恩義を感じている理由にはちょっと考えさせられた。アレックスのように見た目に惑わされずに判断できるかというと、なかなか難しいだろうなと。また、アレックスが懇意にしている女性、彼女との関係は何なのかと見ていたら、姉のパートナーであっそっちかと。先入観に惑わされるなよ、という演出設定がちょくちょく見られる。姉のパートナーとは、実の姉よりも信頼関係を築いているみたいで、そこも面白かった。




『我らが愛にゆれる時』

 不動産仲介業者として働いているメイ・チュー(リウ・ウェイウェイ)は幼い娘ハーハーが難病で、骨髄移植をしないと余命2,3年だと知らされる。メイ・チューは離婚した夫シアオ・ルーと共に移植の適合検査を受けるが一致しない。思いつめたメイ・チューは人工授精でシアオ・ルーとの間に子供を生み、臍帯血移植を行おうとするが、彼女にもシアオ・ルーにも既に新しいパートナーがおり、簡単には実行できない。監督はワン・シャオシュアイ。
エピソードを右(メイ・チュー側)と左(シアオ・ルー側)に分けて、2組の夫婦の葛藤、そして元夫婦の葛藤を描く。途中から右左に分けた意味はあまりなくなってしまうのだが、面白い作品だった。登場人物それぞれの心の動きを丁寧に追っていると思う。この人はこういう人、という見せ方の演出が丁寧だ。
登場する4人の男女は、基本的に全員真面目ないい人だ。メイ・チューの今の夫はハーハーを実の娘のように可愛がり、看病の為に在宅勤務に切り替え、メイ・チューを支えようとする。シアオ・ルーは娘を育ててはいないものの何とか助けたいと思っているし、シアオ・ルーの今の妻であるトン・ファンさえ、最初はメイ・チューとシアオ・ルーの決断に猛反対だったものの、ハーハーと直に会って親2人に同情的になる。全員、基本的にちゃんとした人だ。
ちゃんとした人たちなので、元夫婦の間で子供を作ることには悩む。特に人工授精に失敗し、メイ・チューが直接セックスしようとシアオ・ルーに持ちかける段階になると、相当葛藤する。全員、それぞれのパートナーに誠実であろうとするので、何をどうするか話しちゃう(まあ子供を生もうという話だから隠しておけばいいというわけにはいかないけど)ので、余計に大変だ。
 ただ、男女関係上の倫理にはすごく葛藤するのに、移植の為だけに子供を生むことの倫理的な是非についてはあまり言及されないので不思議だった。目の前に病気の子供がいたらそんなこと言っていられないということか?それを言ったら男女間の倫理もそうだけど・・・。生まれた子供の将来とか、あんまり考えていなさそうでそこはひっかかった。メイ・チューの今の夫が最後にする決断で、その部分が少しフォローされた感じはあるが。
 中国の、中流、あるいは中流より少し上くらい(シアオ・ルー夫婦はメイ・チュー夫婦よりちょっといい暮らしをしている)共働き夫婦の生活の様子が垣間見えられるのも面白かった。現代を舞台にした中国の映画を見ていると、共働き率高いし、男性がよく料理している。本作でもメイ・チューの今の夫が家事・育児をさくさくこなしている。また、シアオ・ルーは建築業者なのだが、大手会社と下請けの板ばさみになっていて大変そう。高層マンションの建築ラッシュが背景にあるのだろうが、未払い問題って結構多いのかなー。

『ハッピー・ゴー・ラッキー』

 30歳の小学校教師ポピー(サリー・ホーキンス)はルームメイトのゾーイ、妹のスージーとルームシェアしている。明るく気さくで好奇心旺盛な彼女は、気ままに生きているように見える。頑固で生真面目な運転教習インストラクターの逆鱗に触れてしまったり、既婚者の姉妹から出産するつもりなら計画を立てないとと心配されたりもする。監督はマイク・リー。
マイク・リー監督にしては軽めで可愛らしく、リー版ガールズムービー(ガールという年齢の女性たちじゃないけどね・・・)といった佇まい。ただ、可愛いだけではなくホロ苦い部分もある。色々な考え方・生き方があるのよ、と見せていくところもいつも通りか。
 ポピーは基本いい人なのだが、言動に屈託がなさすぎて見ていて疲れるところもある。個人的には、こういう人は苦手だなぁ・・・。気さくなのはいいが、誰にでも話しかけるのにはえっと思う(話しかけられたくなさそうな人もいるし・・・)し、ちょっとしたことがツボにはまってよく笑うところや、何でも茶化してしまうところは、一緒にいたらイライラしそうだ。彼女とひと悶着ある運転教習インストラクターは、本人も結構問題ある人なんだけど、彼がポピーにイラつく気持ちはよくわかる。自分とまともに接していないような気になるんだろうなと。
 ただ、ポピーは享楽的なようでありつつ、仕事はちゃんとやっている。小学校では子供たちをほどよく可愛がっているし、同級生を殴っている生徒がいると、すぐに学年チーフ的な教師と外部のソーシャルワーカーを呼んで話合いをする。学校の外でのことはソーシャルワーカーに任せて余計なことはしない(ソーシャルワーカーとあっさり交際するようになってしまうのは役得ですかね・・・)。結構いい先生だと思う。また、彼女の屈託ない振る舞いは、全部が全部天然というわけではないのかもね、ということがちらっと見える。姉妹に「30歳なのに独身で子供いなくて可愛そう」みたいなことを言われて、えっ私楽しく生きてるんだけどな・・・と一瞬ムっとする風なところは、私も同じようなこと思われてるんだろうな・・・と若干グサっときた。
 ポピーのお洋服が先生らしからぬ(笑)自由さで派手かわいい。特にフルーツモチーフのアクセサリーは、これ欲しい!と思った。虹の形のペンダントもかわいかった。好きなものだけ着ている感じが出ていて、見ていて楽しい。




『キナタイ マニラ・アンダーグラウンド』

 三大映画祭2011にて。警察学校の学生ペッピング(ココ・マルティン)は妻とは結婚したばかりで一児にも恵まれている。しかし生活は苦しく、麻薬売買等のサイドビジネスに励む日々だ。警察の汚職に関わる友人からまとまった金額になる仕事に誘われた彼は、裏社会に足を踏み入れることになるが。監督はブリランテ・メンドーサ。
 序盤、ペッピングが恋人(出来ちゃった婚で出産済み。作中の会話からするとフィリピンでも結構多いみたいだ)と結婚し、家族や友人と会食するまでの流れは快活、にぎやかで、お金はなさそうだがごくごく普通の日常だ。なんだかダラダラ続くなぁとも思ったが、これが後半との対比になっていた。後半、ペッピングが汚職に関わるのはほぼ一晩の出来事で、画面も暗く(低予算だとうこともあるだろうが)、何が起きているのかよくわからないくらいのところも。昼と夜の明暗がペッピングの人生の明暗と重なりメリハリがきいている。
 警察学校の学生なのに、学校の制服(ポロシャツ)着たまま闇仕事の現場に行って大丈夫なの?!とハラハラしていたが、よくよく見てたらメンバーのうち1人は警察関係者でしたね・・・。ヤクザまがいの制裁やるわ、死体の処理が几帳面なんだかアバウトなんだかわからないわで、なかなかにバイオレンスだった。半分拷問だからだろうが、スマートな殺しではない。足が付きそうな気がしてならなかったが、実際治安はどんなものなんだろうか。
本作、ペッピングが泥沼にはまっていく過程を、ほぼ一晩のみで見せているところが面白い。まだ見習いだから脇で見ているか雑用するくらいなのだが、彼が「仕事」の内容にどんどんひいていく様が生々しい。普通、ドラマだと省略しそうな車での移動時間を妙に長く撮っているのだが、この何もしない(出来ない)時間が、ペッピングの迷いを増幅していくように見える。降りようと思えば降りることができそうな瞬間が何回かあるが、毎回彼はそのチャンスを逃してしまう。判断力が麻痺していく感じがもどかしくもリアルだった。






『探偵はバーにいる』

東直己著
ススキノで探偵をしている「俺」に大学の後輩から相談が舞い込んだ。恋人の女子短大生が姿を消したというのだ。たいしたことないだろうと乗り気でなかった俺だが、調べるうちにラブホテルでの殺人事件に絡んでる可能性が出てくる。なぜか今頃になって映画化されるそうなので、おさらいとして読んでみた・・・のだが、あれ?こんなに古臭かったっけ?1992年の作品だそうだが、90年代というよりも80年代のような雰囲気だ。当時の言葉使いや風俗を積極的に取り入れており当時は生き生きとした文章だったのだろうが、これが今になってみると古臭さを更に煽っている。この時代の言葉使いが好きではないのでイラついてしまった。そして「俺」だが、28歳という設定が信じられない。現代の40代後半~50代くらいの男性の言動(いや、今の40代はもっと若々しいかもしれない)に見える。これはおそらく、当時の視線から見てもおっさんくさい男、という設定なのだろうとは思うが・・・。ストーリーはそれなりに、だが文体の風化が著しく、娯楽小説の鮮度って難しいと実感。ハードボイルドと称されている作品だが、ハードボイルドを気取ってスベっている(多分意図的な演出だと思うが)と言ったほうがいい。舞台がほぼススキノに集中しており、行動範囲がこぢんまりしているところは面白かった。




『忍たま乱太郎』

 一流の忍者を目指して忍術学校に入学した乱太郎(加藤清史郎)。親友になったきり丸(林遼威)やしんべヱ(木村風太)と一緒に修行に励んでいた。ある日、4年生の斉藤タカ丸の実家が襲われる。斉藤家はかつてウスタケ忍者だったことから、抜け忍と見なされたのだ。乱太郎たちは斉藤一家を助ける為、ウスタケ忍者と競争することになる。監督は三池崇史。
 原作漫画は1986年から連載が続いており、アニメ化作品も最早長寿番組。今回初の実写映画なのだが、なぜ今?!そしてなぜこのコンテンツを選んだんだ?!と疑問がつきない。三池監督が果たしてどういう風に映画化するのか、まさか『ヤッターマン』みたいにお子さんにはあまり見せたくないギャグ満載なのか?!と、気になることはいっぱい。
 キャラクターの再現率が異様に高いのは『ヤッターマン』で実績を積んだ監督ならではか。正直、キャスティングとキャラ作りをした時点で力の7割を使いました感がなくもない。子供たちはメインとなるは組はもちろん、モブに至るまできちんとキャラ設定されている。多分、メイク・衣装の労力と露出時間とが全く釣り合っていないはずだ。そして大人キャストには更に力が入れられている。学園長役の平幹二朗がまさかのフルヌードを披露したり、寺島進はちゃんと「伝子」姿も披露したり、鹿賀丈史が面白メイクで朗々と歌い始めた時にはどうなっちゃうのかと・・・。特に食堂のおばちゃん(古田新太)が意外にハードボイルド風味で良い。
 ただ、本作が映画としてどうなのかというと、微妙。そもそも子役が多いので演技面での拙さがある。もう一つは脚本の問題だろう。脚本はTV、劇場アニメと一貫して手がけている浦沢義雄。なので、アニメのノリそのままだ。アニメの実写化としては忠実すぎるくらい忠実だし、アニメ「忍たま」の核となっているのはビジュアル面というよりも浦沢の脚本なんだなということがよくわかる。ただ、2時間弱の尺の実写映画に向いた脚本じゃないんだろうなぁ・・・。TVシリーズを見た人はお分かりだと思うが、ベースがコント的なので長尺だときつい(今年序盤に公開されたアニメ劇場版は傑作だと思うが、あれはアニメだから成立しているのだろう。実写だとやりづらいギャグが多い)。ただ、大人にとって微妙なのであって、子供映画、「忍たま」の実写化としては立派に成立している。子供はここでウケるんだろうなぁ、というのは十二分にわかる。三池作品につきもののお色気(主に足)も今回は封印されており、正しく子供映画。そういう意味では全くブレがない。
 



『この愛のために撃て』

 看護助手のサミュエル(ジル・ルルーシュ)は、出産間近の妻ナディア(エレナ・アナヤ)と仲睦まじく暮らしている。しかしある日、家に暴漢が押し入りナディアを誘拐してしまう。返してほしければ3時間以内にサミュエルの勤務先である病院から、警察の監視下にある男を連れ出せというのだ。監督はフレッド・カヴァイエ。
 カヴァイエ監督の前作『全て彼女のために』はごく普通の男が妻を助けたい一心でアウトローな行為に手を染めていくという、非常に面白いサスペンスだった。本作も、全く普通の男性が犯罪に巻き込まれていき、妻への愛の為になんとか踏ん張るというサスペンス。サミュエルを演じるルルーシュが、本当に荒事とは縁がなさそうな、ごく普通の割と善人ぽい風貌。いいキャスティングだなーと思った。彼の「普通の人」演技がうまい。いざ荒事をしなければならないときのオタオタ感がリアルだった。走ったり飛び降りたりよじ登ったりというアクションも、ちゃんと不慣れな動き方なのだ。
 サミュエルを支えるのは妻ナディアへの愛だけなのだが、彼女との関係が冒頭のやりとりでよくわかる。この冒頭部分があるので、後のサミュエルの奮闘に説得力があるし、ナディアの踏ん張りにも頷けるのだ。事件の真相はわりとあっさり明かされてしまうのだが、テンポよく進み、組み立ての上手さを感じた。90分未満というコンパクトな尺が素晴らしい。
 脇の登場人物それぞれに魅力がある。サミュエルと行動を共にすることになるある人物が段々かっこよく見えてくるところなどは、正にお約束的な醍醐味。また、いわゆるボスキャラ役の俳優の面構えが実にいい。冷静冷徹、しかし悪役としてのスケールはそこそこという立ち居地にぴったり。顔に魅力のある役者を、適材適所で使っている。女性達が全員どこかふてぶてしい顔つきなのもよかった。
 また本作、予告編を見てすごく面白そうだなと思ったのだが、本編を見ると、予告編で使われているのは本編のかなり前半の部分が大半。ストーリー的にもとっかかりの部分だ。最近はクライマックスの映像を予告編に使うケースが多いが、そんな中ではかなり良心的というか、律儀な予告編だったと思う。




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